照れ隠し



 アルトとサーラがバハラタに帰還した直後の、とある日のこと。
「そういやさ、お前背中大丈夫なの?」
「はっ?」
 一行はすっかりモエギの実家に入り浸っている。今日はアルトがサーラを連れて外出しているものの、モエギと、ジャックはかなり滞在が長くなっているので、特に出歩きもせず居間でくつろいでいる。
「背中って……ガルナの塔でのこと?」
 他に誰がいるという訳でもないのに、モエギは声を潜め尋ね返す。両親も今は出払っている。
「他に何があるってんだよ? モロにスカイドラゴンの炎くらった奴がよ」
 率直な言葉と共に、あの時の声にならない痛みがぶり返したような気がして、モエギは顔をしかめた。
「あんなの、思い出したくないのよ。ホント、死ぬかと思ったくらい辛かったんだから!」
 振り下ろした拳が、食卓と双方の湯飲みを揺らす。こぼれた茶の雫に目を落とし、ジャックは口をへの字に曲げた。
「だからよ。オレは服の上からベホイミかけたから、実際にちゃんと治ったか分からないワケ」
 向かいの男は、不機嫌というよりは拗ねているように映った。
 この男なりに、心配してくれているということなのだろうか。
「……別に、あんたが治してくれてからは、特に痛みはないけど」
「けどよ……」
 いつになく煮え切らないジャックに、モエギは身を乗り出し問い質した。
「けど、何だってのよ?」
 詰め寄ると、ジャックは不自然に視線をはずし、投げつけるように答えた。
「だから、背中とかに、火傷の痕とか残ってたら、困るだろ!」
 何をそんなに気にしているのだろう、と思った直後、みるみるうちに頭に血が上ってきた。
「あんた、まさか……」
 思えば、ガルナの塔からダーマに戻った後も、何かとばたばたしていたため、ジャックのベホイミ以外治療は受けていないのだった。姿見のようなものも、バハラタの実家にはないため、自分で見ることも出来ない。
 モエギは椅子から飛び上がり、壁際まで後ずさった。
「ちょっと! 背中見せろって言うんじゃないでしょうね!?」
「あーだから言うの嫌だったんだよ! お前絶対そういう感じになると思った!」
「じゃあ何で言い出したのよ!? バカじゃないの!?」
 売り言葉に買い言葉、結局延々と繰り返してきたこのパターンである。だが、ジャックは苛立ちを落ち着けるように大きく息をついてから、口を開いた。
「……火傷の痕なんて残ったら大変だろ。女なのに」
 不意打ちをくらい、モエギの心臓が跳ねた。
 何なのだろう。相変わらず喧嘩の応酬だというのに、この男が唐突にこぼす、不器用な思いやりの破壊力ときたら。
「仮にも、とか言いたいんでしょ!」
 それに対する自分の返答は、さらに不器用だ。そんな言葉をかけられて、この状況で何と言えというのだ。
 ジャックがのそりと立ち上がり、モエギは反射的に身を強張らせる。
「あのな。これは医者が『その後の経過はどうですか』ってのと一緒なの。誰がそんな……下心とかお前に抱くか」
「露骨なこと言わないでよ! あたしだって、そんな……」
「ならさっさと確認すっぞ」
 次の言葉を返す前に、ジャックは大股で間近に歩み寄り、モエギの背中が見えるように向き直らせた。
「やだってば! 何かしたら鉄の爪で殴り飛ばすからっ!」
「何もしねーよボケ! 少なくともお前の考えてるようなことはな!」
 必死の抵抗も、この体格差では虚しいだけである。ジャックは暴れるモエギを押さえつけ、服越しに手のひらを背中に当てた。途端に息が止まり、モエギは硬直した。
 壁に隠されている仕掛けを探すように、ジャックは人の背中をぺたぺたと調べる。それだけでも耐えるのが精いっぱいで、モエギは全身に力を込め、じっと固まっていた。
「痛む所とかないか?」
 すぐ背後でジャックの声が聞こえる。声も出ず、モエギは首を横に振った。
「はい、じゃあ背中見せてくださーい」
「ちょっ……」
 抑揚のない声と、裏返った声が重なると、服を勢いよくめくられた。
 やだやだやだ、単純な単語が溢れ返す脳内。ただひたすら早く終わって欲しいと願い、モエギは額を壁にぶつけた。
 数秒の間の後、背中に布の感触が蘇った。
「……もう終わったんですけど」
 振り向くと、ジャックがむくれたようにこちらを見下ろしていた。涙がにじみ、視界が歪んでいる。
「跡形もなくきれいになってたわ。良うございましたね、お嫁に行けなくならないで」
 しれっとした声音に、一人でわめいていた自分が恥ずかしくなり、次の瞬間には拳が唸った。ひっ、とジャックが仰け反る。
「終わりだ、終わり! ほら、済んだんだからその素手の凶器しまって……」
「バカっ! 変態! もう出てってよ!」
 なだめるジャックをまるで無視して、モエギはやみくもに拳を振り回した。さすがに相手出来ないと判断したのか、ジャックは尻尾を巻いて家から飛び出していった。
 モエギは荒い呼吸を繰り返し、その場に座り込んだ。
「……何なのあいつ! デリカシーなんて、ダーマに置いてきたんじゃないの……」
 鳴り止まない鼓動が落ち着くまで、モエギはうずくまっていた。



「あれ、ジャックどうしたんだ?」
 モエギから逃げ出し、息を切らしながら町を歩いていると、アルトとサーラに出くわした。丁度戻る頃だったのだろう。
「いや、猛獣から逃れてきたとこ……」
「猛獣? 魔物にでも遭ったのか?」
 真顔で尋ねてくるアルトたちに、ジャックは事の一部始終を説明した。案の定、二人は呆れ返ったようにため息をついた。
「貴様、年頃の女にすることか」
「それはモエギが怒って当たり前だと思う」
「……やっぱり?」
 だが、このまま変態扱いされたままでは腑に落ちない。
「だってよ、あいつ……あんな無茶までしてクラリスをかばったんだからよ。ちゃんと診ておくのは、オレの責任っつーか……」
「じゃあ、もしモエギに火傷の痕が残っていたら、責任取ってあげなきゃいけなかったな」
 普段は素直な言動のアルトが、珍しく意味深な笑みを浮かべた。すぐに言わんとすることを察したジャックは憤慨した。
「ハァ!? ふざけんな! あー痕残ってなくて良かった……」
 流れた冷や汗は何のためだったのか、それは誰にも知る由はない。



「穏やかな100のお題」より
配布元・シュガーロマンス