らしくない



 予定外の里帰りではあったが、モエギはダーマからバハラタに戻ると、新年の挨拶も兼ねて馴染みの人々の元を訪ねた。彼らは皆目を輝かせて、成長したモエギを迎え入れてくれた。
 アリアハンで数年暮らし、旅に出てからは世界各地を回ったが、やはり故郷の空気が一番しっくり来るものだ。ひんやりと澄んだ大気を吸うと、心なしか安心感が得られる。
 家に戻ると、母ワカバと父セイジが食卓でくつろいでいる所だった。特に、父は年初めの休暇を連日満喫中のようだ。
 モエギはふと、両親が食しているものに目を留め、歓声を上げた。
「あっ、くるみ餅だ! なつかし〜、お母さん作ってくれたの?」
「そうよ。あんたが家を出てからも毎年作っているけど、今年は張り切って沢山作ったの」
 一つ手に取り、早速口に入れようとしたが、モエギははたと居間を見回した。
「あれ? あいつは?」
 すると、母もたった今気付いたような反応をし、
「あら、ジャック君どこ行ったのかしらね。確か、あんたが出て行ってすぐに外に出ていったけど……表で会わなかったの?」
 モエギがこくりとうなずくと、父が朗らかな声を上げた。
「モエギがいなきゃ、うちにも居づらいだろうさ。お前、餅持って行って食わしてやれ。母さんのくるみ餅は美味いからな!」
「いやね、たまの休みの日だからってにこにこしちゃって!」
 仲睦まじく笑い合う両親は、昔なら何の不思議もなく映っていただろう。けれど今は、娘のモエギにすら、夢のように幸福な光景に思えた。
 モエギは小皿に盛られた餅を数個掴み、小ぎれいな布にくるんで、すぐさま家を出た。



 バハラタの街並は歩き慣れたものだったが、ジャックが行きそうな場所となると、皆目見当がつかない。一応グプタとタニアの元も訪ねてみたが、姿は見ていないという。
 教会、商店街など、他所の人間が興味を持ちそうな場所を一通り当たってみたが、やはり雪のように白い髪はどこにも見当たらなかった。真冬だというのに、歩き疲れて身体が熱っぽくなってしまった。
 久しぶりに川の方へ行って涼もうか、と足を向ける。段々と川の流れが耳に近付いてきた頃、川岸でぽつんとたたずむ長身の男を見つけた。
「何やってるのよ、こんな所で……」
 呼びかけようかと息を吸った。が、わずかに見えた表情がどこか気だるげで、モエギはそのまま口をつぐんだ。
 らしくない顔、だった。
 モエギは段差を降りて、男――ジャックのそばへ歩んでいった。
 さすがに気配を感じ取ったようで、ジャックはこちらを振り向くと、大して面白くなさそうに口端をつり上げた。
「おう、寒中水泳か?」
「あんたにしてはつまらない冗談ね。ていうか、軽くセクハラなんだけど」
「別に、服脱がなくたって出来るし」
「ならあんたが入れってのよ。どうしたの? 冴えない顔して」
 ジャックはただ薄く微笑んでいる。いつもの軽い口調もどこか芯が通っておらず、覇気がない。
 ――数ヵ月に及ぶダーマの修行を終え、気が抜けているのだろうか。それもそうだろう、辛酸を舐めた盗賊生活、自由気ままな旅人暮らしから一変して、ダーマ大神官の孫、『銀の賢者』と崇められるまでになったのだから。
 自ら選んだ道とはいえ、元が気楽な性分のジャックには堅苦しい日々だっただろう。
 モエギは懐から布にくるんだ餅を取り出し、ジャックに差し出した。
「これ、うちのお母さんが作ったの。食べる?」
 ジャックは、所々くるみの欠片がはみ出した餅を物珍しそうにじっと見つめ、「何これ」とつぶやいた。
「何これってことないでしょ。お餅よ。あんたの口に合うか、分からないけど……」
「モチ? モチって何?」
 幼児のような質問を投げかけられ、モエギは面食らってしまった。東と西とでは、山脈ひとつ隔てるとこうも食文化が違うものなのか。
 仕方なく、餅の原料や作られる過程を説明すると、ジャックは興味深そうに熱心な態度で聞いてくれた。先程までは気力の感じられなかったジャックの予想外の反応に、思わず声や身振り手振りにも力が入ってしまう。
 ジャックは一通り聞き終えると、ひょいとモエギの手から餅を取り上げ、大口を開けて頬張った。
「ん、何らこの食感、……」
 しばらくあごを上下させ、飲み下すと、ジャックの表情にやっと明るみが差した。
「うまいな、コレ。もう一個くれる?」
「いいよ。そう言うと思って、結構持ってきたんだ!」
 ジャックが喜んでくれたのが嬉しくて、反射的に笑顔を返してしまい、モエギはしまった、と内心冷や汗をかいた。気味悪がられるのではと思い、慌ててそっぽを向いた。
「ていうか、あんたは食いしん坊だから、一個だけだと不満がると思ったのよ!」
 今度は極端に声が尖ってしまい、結局自己嫌悪に見舞われる。
 おそるおそるジャックの表情を伺うと、しょうがないな、とでも言いたげに笑っていた。
「お前、おかしくねーか? 何で笑った後に怒り出すワケ?」
「う、うるさいわねっ! だって、あんたが最初元気なさそうだったから、こっちも何だか、調子狂っちゃうのよ!」
 へいへい、とあしらうようにして答え、ジャックはもう一つ餅を口にして目を細めた。
「オレ、おふくろの味っていうのはあんまり記憶にねえけど、一応ダーマの方でおばさんが食わせてくれたんだ。けどオレのお袋のとは違うな」
「……どんな風に?」
 ジャックはさらにもう一つ餅を手にし、指でもてあそんだ。長く、骨っぽい指先が粉で白くなる。
「お前のお袋のは、安心するっていうのかね。今まで食ったことのない味だわ」
 一つ目はあっという間に平らげてしまったのに、二つ目、三つ目はじっくり味わってくれている。何てことのない話なのに、何故か胸が熱くなる。モエギも残りの一つに口をつけた。
 弾力があって粉っぽい生地と、中に練り込まれた木の実の餡、そしてくるみの優しい甘さ。故郷そのものを表したような、懐かしい味だった。
 しばらくは、緩やかな川のせせらぎだけが、二人を包んでいた。
 ジャックは指をさっとなめると、満足そうに腹をさすった。
「ああ、アッサラームにいた頃も、こんな食いモンなかったな。きっと水がいいから、このモチってやつもうまいんだな」
「まだ食べたいなら、うちにあるから戻ろ? ここじゃ、寒くなっちゃう」
 くずをはらい、布を丁寧にたたんでしまうと、モエギは川岸を離れた。ジャックも黙ってついて来る。
 どうして川岸でたそがれていたのか、聞いてみたかったけれど、ジャックはどこか干渉を拒むような雰囲気を漂わせていた。
 それでも、何とかジャックを元気づけたい一心で、モエギは歩みを止め思い切って声をかけた。
「あのね、あんたが治してくれた傷、あれから全然痛まないし、お母さんも火傷が残らなくて良かったって言ってた」
 ジャックも少し離れた距離で留まり、丸い瞳でモエギを見つめる。
「あたし、無理言ってあんたについて行ったのに、結局足手まといになった部分もあったし、そういう力はあんたに敵わないけれど……あんたが悩んでいる時も、ほとんど力になれないけれど……」
 憎たらしいくらいに思っていたジャックを、いつからかこんなにも慕うようになった。まだ、とてもぎこちなくて、上手く伝えられないけれど。
「あんたが元気ないと、あたしも、どうしていいのか分からなくなるよ……」
 最後は尻すぼみになってしまった。自分でも何を言っているのだろうと、茶化されるのを覚悟してうつむく。ずかずかと足音が近付いてきた。
 途端、頭上に大きな手のひらが乗せられ、心臓が飛び跳ねた。
「何言ってんだよ、そんな情けねえ声出してよ」
 見上げると、力強いジャックの笑みがあった。いつもの、いたずら小僧のような瞳の輝きに、しばし目を奪われた。
 いつもの、ジャックだ。
「だって、あんたの様子が何か変だったから……!」
「オレだって一人の時はさすがにおとなしくなるっつーの。独り言とか言ってたらイヤでしょ?」
 独り言をぶつぶつつぶやいているジャックを想像してしまい、つい笑みがこぼれた。ジャックもモエギの髪をくしゃりと撫で、
「だろ? オレも色々考えてたの。例えば、もうちょい早くお前の所に駆け付けられたら、こんな髪にならなかったのに、とか……――」
 不自然に言葉が途切れ、いきなり頭をはたかれた。突然のことだったので、モエギは訳が分からず抗議した。
「痛っ! 人の頭おもちゃにしないでくれる!?」
「うっせー! いいからもう、お前ん家帰るぞ!」
 しまいにはバーカ、などとぬかすこの男を、まだとても、賢者と認められた者のようには思えない。
 けれど、ジャックが自分のことを言葉にせずとも気にかけてくれていた。それがただ嬉しくて、先を急ぐ大きな背中に向かって、モエギは満面の笑みを浮かべてみせた。