精霊の器 0



 何だって、こんな目に遭わなきゃいけねェんだ。
 さっきまで大斧を振るっていた右腕は血まみれで、だらしなくぶら下がっている。左腕で斧の柄を杖代わりしてに歩を進めるが、いかんせん長さが足りずやりづらい。何度悪態をついても時間は巻き戻らないというのに、息切れの合間に口をついて出るのはちくしょうだとか、くそったれといった罵りばかりだった。
「ねえ、おっちゃん……」
 ああくそ、と枯草に覆われた地面に大斧を突き刺した所で、前方を行く少年が怖々と振り返った。薄暗い森でも色白な顔に、血の気は一向に戻らない。
「何だよ」
「すこし、休もう。このままじゃ、おっちゃんも死んじゃうよ」
 つぶらな瞳いっぱいに涙を浮かべ見上げられる。数時間前、目の前で祖父らしき老人を魔物になぶり殺されてから、初めて口を利いた。
 食料はおろか、目ぼしい薬草のひとつも見当たらない、しけた森だ。わざわざかごを持って足を踏み入れた挙句、収穫はなく、犠牲だけを払い少年だけが生き残った。
 たまたま行き着いた先がここでなければ、少年も老人と仲良くこの世を去っていただろう。残され、途方に暮れるのは、ときに自ら死を選ぶ程、困難な道程だ。
 黙ったままでいると、少年は怒ったような、ひどく傷付いた表情を浮かべた。舌打ちを返す。
「こンなへんぴな所で死ぬかよ。まあでも、これ以上血が流れるのはまずい」
 不明瞭な視界を探り、身を潜められそうな茂みの陰に腰を下ろす。魔物の気配は今の所ないが、万が一遭遇してしまったら、まともに闘える自信はない。
 応急処置で右腕に巻いておいた布を解いて捨てる。老人の骸の匂いを嗅ぎつけて、新たな魔物が襲撃する危惧があったため、念入りな止血は後回しだった。回復魔法の心得でもあればいくらか違うのかもしれない。ふと脳裏をよぎった、仲間でもない連中の面影を振り払う。懐かしい顔ぶれも、今は走馬灯のようで気味が悪い。
「オイ小僧、傷の手当ては出来るか」
 確認程度に尋ねる。削げた頬にやや赤みが戻った。
 少年は身に着けていた外套をためらいなく裂いた。肌に深く食い込んだ爪痕を水筒の水で洗い流し、揉んだ薬草をあてがいきつく縛る。慣れた手つきだった。
「お前、他に家族はいるのか」
 じいちゃん、とすがりつく声が耳に蘇る。少年は水筒の残りを差し出した。
「そんなこと聞いてどうするのさ」
 差し出された水筒を奪い、喉を鳴らして流し込む。かび臭い苦みが鼻を抜けた。
「言いたくねえなら無理強いはしねェよ。なら質問を変えるか。ここは、どこだ」
「どこって……見れば分かるじゃんか、森だよ」
「近くに村とか町はねェのか? 見た感じ、ダーマ神殿のふもとでもなさそうだしよ」
 少年は訝しげにこちらを凝視した。軽くなった水筒を押し付けてやると、押し殺した声で返す。
「……南に帰れば、ドムドーラって街だけど」
 聞き覚えのない地名だ。右手で口を拭おうとしたが、肩がぴくりと動いただけで、腕は全く持ち上がらなかった。
 晩秋の夜風のような、寒気の入り混じった空気に肌が粟立つ。
「……やっぱりか」
 少年はますます不信感を募らせた。やけになって、わざと大げさに笑ってみせる。
「気付いたら全然知らねェ所にいて、赤の他人助けた挙句、利き腕が使いモンにならなくなっちまった」
 へッ、と仕方なく左手で笑顔を拭い去る。少年は得体の知れないものを見たように身を引いた。
「お、おまえ、じゃあなんでおれを助けたんだよ! おまえみたいな奴、おれいっぱい知ってるんだ! 恩に着せて、いいだけ金ふんだくって……!」
「へェ、可愛いナリして意外と鼻っ柱が強いな」
「からかうな! おまえみたいな奴らのせいで、おれのおやじも、おふくろも死んだんだ! おまえに助けられるくらいなら、じいちゃんと死んだほうがましだった!」
 涙声で少年は吐き捨て、立ち上がるとやみくもに走っていった。
 助けた直後、さほど泣き喚かないと思っていたが、少年はいつ死んでもいいとずっと前から匙を投げていたのだろう。
 放っておけば勝手に魔物の餌となる。せっかく命拾いしたというのに、とんだ大馬鹿だ。
「なら、何だってオレみてェな奴の手当てをしていきやがった」
 少年の背中はまだ視認出来る距離にある。斧を支えに立ち上がり、大股で歩む。いくらか身体の調子はましになっていた。
 背後から詰め寄り、仕方なく尻を蹴飛ばしてやった。少年は呆気なく地面に突っ伏した。
「何するんだよ!」
 跳ね起きた少年の腹に足の裏を突き付け、腰をひねり感覚のない右腕を見せつける。
「テメェがどこでのたれ死のうが知らねェけどよ。オレァお前の命と引き換えに利き腕ダメにしちまったンだよ」
「お……おまえにやる治療費なんかないぞ!」
「あー、金の心配か。テメェみたいなガキに大金期待する程イカレてねェよ、オレァ」
 少年は全身を強張らせたまま、じゃあ何だよ、とこちらを睨み据える。飢えた野良犬の目つきだった。
 足を退け、斧を後ろ手に移す。逃げる機会をうかがっているのか、少年はじりじりと後退する。
「オイ。ドムドーラって街は、そんなにごうつくばりが多いのか」
「……おまえ、さっきから変なことばっかり聞くな。そうだよ、ドムドーラは商人の街だ。何でも金がものをいう、金のある奴だけがまっとうに相手をされる、くそみたいな街だ」
 吐き捨てるような口調だった。
 似た街を知っている。まだ少年と同じくらいの歳だった頃、世の中は金の流れに沿って動いていると思っていた。
 けれど、この少年はどぶくずのような世界に染まりきれない。生きるのが下手なくせに、死ぬこともままならない。
「何笑ってるんだよ」
 自然とにやついていたらしい。笑みを保ったまま、膝をついて少年の目線に下りた。
「お前、名前は」
「おまえの目的を話してくれたら教える」
 育った土地柄か、用心深い。素直に話してやった。
「その、クソみてェな街までオレを連れて行け。で、お前はオレの調子が良くなるまで面倒を見ろ。そうしたら、オレが他の奴に負けねェくらい金稼いでやっから、お前はオレの右腕になれ」
「はあ!? やだよ、おまえみたいなおっさんに付きまとわれるなんて」
「いいや、お前は何だかんだオレを拒めねェ。いやァ、お前が女だったらヤバかったな。手厚くされてほだされちまったかもしれねェ」
 少年はうええ、と心底嫌そうに顔をしかめた。反応がおかしくてつい笑う。ともすれば息子程歳の離れた子供を相手にするのは楽しかった。
 豪快な笑い声に拍子抜けしたのか、少年はためらったのち、口を開いた。
「……パーシヴァル。長いからパーシィでいい。で、おっさんは」
 向けられる眼差しは半信半疑だったが、利害は一致したようだ。ヤニにまみれた歯をむき出しにして、笑ってみせた。
「カンダタだ」