愚者の矜持 4



 竜の一族の居城は、霧に覆われた岩山の頂に築かれていた。
 なだらかな場所に着陸し、砂利の地面を踏むと、アルトは周囲を見渡した。
 空気は薄く乾いており、曇天の切れ間から陽が射している。見下ろす先は鬱屈とした雲と険しい山々の連なりだというのに、まばらに生えた野草の色だけが鮮やかだった。
 ラーミアにはその場で待機するよう伝え、サーラと連れ立ち門を叩く。案内役として姿を現したのは、エルフ種の少女だった。
「アルトさまと、そちらは……サーラさまですね。ようこそ、おいでくださいました。女王さまがお待ちです」
 澄んだ声はこちらへ、と入城を促す。
「女王様……?」
 竜の一族の長を指しているのだろうか。案内役のエルフは静かにうなずき、歩き始めた。
 城内は人の気配が感じられず、アルトたちの足音だけが響く。池に浮かんだ薄紅色の花が柔らかに咲き、天窓からは涼やかな陽射しが降り注いでいる。
「不思議なものだな……。この城だけが、私たちの世界から分断されているようだ」
 サーラも辺りに視線を巡らせ、吐息をこぼす。何らかの力が働き、ゾーマの影響を緩和しているのだろう。
 歩を進めていくと、奥まった部屋の前でエルフの少女が振り返った。
「こちらが、女王さまのお部屋です。面会が終わりましたら、再度わたくしがご案内します」
 どこか張りつめた声音で、彼女は一礼した。重厚な扉を押し、アルトは部屋に足を踏み入れた。
 室内には、祭壇程の大きな寝台が一台据えられていた。調度品は見当たらない。以前招かれた、イシスの女王の贅を尽くした部屋とは真逆だった。
 陽光に照らされた城内と異なり、暗がりに燭台の炎だけがぼんやりと揺らめいている。絹を透かしたような天蓋を隔てて、寝そべっていた人影が身を起こした。
「貴方が、アルトですね」
 耳に心地良い、低めの女性の声だった。
 竜の一族の女王ともなれば、威厳に満ちた態度で接してくるとばかり思っていた。実際は柔らかく、ともすれば弱々しい程だ。
 サーラと並んで一礼し、簡単に自己紹介を終えると、アルトは早速切り出した。
「竜の女王様。大魔王ゾーマとは、一体何者なのでしょうか。奴は何を企んでいるのですか」
 大魔王、とつぶやいた女王の声が、一段低くなった。
「彼は……今でこそ魔の者の頂点に立つ存在ですが、そもそもは貴方と同じく、精霊神ルビスの伝承に起因する者です。貴方の血筋が光ならば、彼の血筋は闇。互いに相反する運命にある者です」
 サマンオサで、アリエルから聞いた伝承を思い出す。黒の宝珠に取り込まれた者のなれの果て――魔王。
「では、魔王バラモスでなく、ゾーマこそが、真のアルトの敵ということですか」
 サーラが拳を握る。女王はこくりとうなずいた。
「バラモスは、ゾーマの手駒に過ぎません。ゾーマがここより遥か地中深くにある世界を侵略する間、バラモスは『栓』をしていたのです」
 バラモスがこの世に現れたのは二十数年前。長年ネクロゴンドを拠点としながらも、配下による各地での暴虐が勢いを増したのは、アルトが旅立ってからだった。
 バラモスの悠長さの意味を悟り、戦慄が走る。
「つまり……バラモスは、ゾーマのために時間稼ぎをしていた?」
 サーラもはっとしてこちらを見る。
「ということは……」
 女王はアルトたちの視線を受け、力なく首を縦に振った。
「ゾーマがこの世界に宣戦布告した今、彼が侵略していた世界は、既に……」
 重い沈黙が下りた。喉元に、綿をつめられたような心地だった。
 侵略するに値する世界ならば、この世界と同様に、人々が暮らし、沢山の生命が息づいていただろう。
 自分たちが気付かないまま、どれだけの犠牲が出たのか。どれほどの苦しみ、悲しみが救われることなく、年月が過ぎていったのか。
 いてもたってもいられず、アルトは訴えた。
「女王様! 俺は今すぐにでも、ゾーマのいる世界へ向かって奴を討ちます! あいつのいる闇の世界へ向かうには、どうすれば……!」
「アルト、落ち着け。早まっても、今はどうにもならない」
「けど……、なら、サーラはどうしてそんなに落ち着いていられるんだ! 俺たちの目の前で、あんなに沢山の人が……!」
 アリアハンの王城での凄惨な光景が蘇り、奥歯を噛みしめ全身を震わせる。人の命をいとも簡単に踏みにじる奴を、何も知らずに野放しにしてきたのが、悔しくてたまらなかった。
「……アルト」
 うつむくアルトに声をかけたのは、女王だった。平静さを保ったままの呼びかけに、我に返る。
 そっとサーラの表情を伺うと、伏せたまつ毛の奥が沈んでいた。たちまち後悔の念が押し寄せる。謝ろうと口を開いたが、女王が先に語りかけた。
「貴方の怒り、焦りは、痛いほど分かります。彼女ならば、尚更でしょう。けれど、貴方のその危うさが、貴方の弱点となるのです」
 これまでアルトを諌めてきた数々の言葉が脳裏をよぎる。いずれも、早まったアルトを犬死にさせないよう発せられたものだった。
 己の浅はかさに口をつぐむと、女王は寝台のそばに来るよう二人を手招きした。近付くと、苦しげな息遣いが聞こえる。
「……ですが、こちらにも時間がありません。私が伝えられることを、話しましょう」
 女王は腹のあたりをさすり、深い息をついた。
「ゾーマがいるのは、アレフガルドという地下世界です。元々は、精霊神ルビスが、崩壊する楽園の欠片を集めて創った世界です。そのことは、知っていますね」
 アレフガルド。ルビスにまつわる伝承を知る者ならば、誰もがその名を耳にしたことはある。サーラが驚嘆と畏怖を込めて言う。
「それが……実際に、私たちの世界の下に、存在していたのですね」
「ええ。ルビスがアレフガルドを創造した際、この世界とは、不可侵条約が結ばれました。ですが、ギアガの大穴の封印が破られ、バラモスが消えた後、新たな封印はゾーマによって阻害された……」
 女王の視線が向けられる。サーラと顔を見合わせ、アルトは言い募った。
「その封印を張ろうとしたのは、多分俺たちの仲間です。それじゃあやっぱり、ジャックはゾーマに……」
「女王様は、どこまでご存じなのですか。ジャックは無事なのですか」
 薄布越しにサーラが詰め寄る。女王は静かに首を振った。
「私が異変を感じ取ったのは、ギアガの大穴で新しい封印が張られようとした時、見計らったように多大な邪気が突き上げてきたことだけ。術者である、貴方たちの仲間の安否までは分かりません」
 遥か天涯から世界を俯瞰する竜の一族でも、仔細な存在までは見通せないのだろう。ジャックの無事を一刻も早く確認したかったが、本題に戻ることにした。
「つまり、ギアガの大穴が、この世界とアレフガルドを繋ぐ場所になっているのですね?」
「そうです。神鳥の力を借りれば、大穴には辿り着けるでしょう。ですが、その先はゾーマの領域。貴方たちでも、ひとたび彼の闇に囚われてしまえば、太刀打ち出来ないでしょう……」
 女王はうめき、腹を抱えてうずくまった。呼吸が荒い。案内役のエルフの硬い表情を思い出す。
「女王様、もしかして、体調が悪いのに俺たちと話を」
 絶えず息を吐き出しながら、女王は寝台を這いずり、枕元から紫の包みを取り出した。天鵞絨の布にくるまれた包みを差し出し、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「これは、我ら竜の一族が、竜の神より賜った至宝。黒い衣を剥ぎ取る、ただひとつの術。然るべき時が来たら、この包みを開くのです」
 アルトは両手で包みを受け取った。女王のぬくもりが残っているのか、ほのかに温かい。
 ふいに、隔てられた隙間から、尖った爪が覗いた。青白い手が薄布をかき分ける。
 現れたのは、頭部にひれの生えた、美しい女性だった。全身を引き絞り、小刻みに震える姿を目の当たりにして、彼女が命そのものを燃やしているのだと悟った。
 女王は額に汗を貼り付け、そっと微笑んだ。
「貴方たちの顔を、最期に一目見ることが出来て、良かった。さあ、お行きなさい」
「女王様……」
 慈悲深い眼差しに促され、アルトはサーラと揃って一礼し、女王との面会を終えた。
 間もなくして、女王は自らの子を産み、息を引き取ったという。



 竜の女王のもとを去った後、アルトは諸国を回った。
 ゾーマの存在は公にせず、バラモスを討伐したことで魔物の残党が一時的に凶暴化していると説明し、各地の代表にはしばらくの間防戦に徹するするよう求めた。二十数年もの間脅かされたのだ、短期間での殲滅は難しいだろうと事前にふれ回ることで、残党狩りが長期に渡った時の不安を生み出さないようにした。
 一旦アリアハンに帰ると、モエギから手紙が届いていた。ジャックをアッサラームで見つけたという吉報に、サーラと身を寄せ合い安堵した。
 手紙には、クラリスと協力してジャックをダーマに護送したが、戻るには時間がかかると短くつづられていた。込み入った事情があるのだろう、まずは無事で良かった、落ち着き次第連絡をするようにとサーラが返事を書いていた。
 アリアハンでは、国王が床に臥せったため、隠居生活を送っていたソイが臨時で国政に復帰することとなった。彼は、国のことはこちらで引き受ける代わりに、目的に専念するよう背中を押してくれた。
 出発に向けて準備を進める傍ら、アルトはサマンオサのアリエルや、ムオルのポポタ一家、ポルトガに帰した元船長のダンなどを訪ねた。ポルトガにはセラとケインもいつの間にか戻っており、しばらくは国防に従事すると語っていた。一度は兵士団を解雇された経歴のあるケインだが、各地での貢献が国王の耳に入り、特例で復職したのだという。
 アルトたちが向かうのは全く未知の世界だ。一度足を踏み入れたら、大穴で繋がっているとはいえ、そう簡単にこの世界には帰れなくなるだろう。大体の者は事情を察し、さりげなくアルトたちを励ましてくれた。
 やがて、モエギから返事が届き、数日後にはジャックと揃ってアリアハンに戻ると報せがあった。早ければ明日には二人が帰ってくるため、母イリアナはごちそうの準備をしないとね、と久しぶりに華やいだ様子で夕飯の買い物に出かけていった。
 祖父エルガンはゾーマの襲来以降、ふさぎ込みがちになった。母曰く、食事以外は横になっているか、ぶらりと散歩に出かけ夕方酔って帰ってくるかだという。
 晩夏を迎え、常ならば外はまだ明るい時刻だが、依然として空は灰色に閉ざされている。
 母と祖父が出払っている間、アルトは自分の部屋でサーラと荷物の整理をしていた。
 竜の女王との対面後、アルトは城での発言を悔いていた。
 目の前で、何の罪もない人々がゾーマの餌食となった。無慈悲な殺戮をまざまざと見せつけられた。数多の闘いを乗り越えてきたアルトでも、正気を保つので精一杯だった。サーラも、きっと同じだったはずだ。
 各地を回っている間は、知り合いを交えて話すことが大半だった。サーラの態度に変化は見られなかったが、二人きりのうちに謝りたい。
「サーラ、あの時のことだけど、ごめん」
 机で薬草類の仕分けをしていたサーラは、顔を上げてわずかに首を傾げた。
「ほら、俺、竜の女王様と会った時に、アリアハンの城でのことで、サーラを傷付けるような言い方をしたから……」
 尻すぼみになり、鞘の手入れをしていた手が止まる。サーラも作業をやめ、寝台に置いてある荷物をどけて隣に座った。えんじ色の丈長のスカートがふわりと広がる。
「アルトが気に病むことではない。お前の言い分は、もっともだ」
「けど、サーラだって平気だったはずないだろ? なのに……」
 磨き布を握る拳に、白い手が重ねられた。向き直ると、サーラは小さく首を横に振った。
「ああいう時は、誰かが冷静に対処しなければならない。ジャックを欠いている中で、それは私の役目だと思った」
 だが、とサーラはうつむき、自嘲気味に微笑んだ。 
「私はいささか、お前たちより、人の死に慣れすぎているのかもな」
 日頃の雑談と大差ない口調で、サーラはつぶやいた。ひび割れた氷に冷水が染み込んだように、悲しみが胸を刺した。
「そんな……そんなこと言うなよ」
 サーラの手を握り返し、アルトは声を張り上げた。
「人の死になんか慣れなくていい。亡骸のことだって、本当はサーラに任せるべきじゃなかった!」
 今回は秘密裏に行う必要があったとはいえ、故郷の人々の亡骸を自ら埋葬したサーラの心境を思い起こすと、改めてゾーマへの怒りが湧き上がる。
「俺はあいつを絶対に許さない。必ず、倒す」
「アルト……」
 気遣わしげなサーラの視線が向けられる。幾度か繰り返した悪癖に気付き、大きく息をついて苦笑してみせる。
「ごめん。ジャックにも言われたな、本気すぎて怖いって」
 サーラは神妙な面持ちで見つめていたが、そっと微笑み、アルトの頬に手を伸ばした。ひんやりとした感触に混じって、薬草の青臭い香りが漂った。
「お前が怒るのは、いつも大切なもののためだ。これ以上傷付けさせないように、守るために闘う。私は、そんなお前だからこそ、愛するようになった」
 真摯なサーラの想いが胸に迫る。痛ましさに凍えた胸が、たちまち息吹を取り戻す。
 かつて未熟な自分を助け、叱咤した彼女は、最初の目標だった。仲間として苦楽を共にし、恋人となった今も、嘘偽りのない言葉が変わらずアルトを奮い立たせてくれる。
 もう、己の危うさで彼女を苦しめたくない。
 アルトは空いた方の腕でサーラを強く引き寄せ、しなやかで儚い身体を陽が落ちるまで抱きしめていた。



 寒々しい風が、石畳を渡って吹き荒れていく。見慣れた街並みのはずが、人もまばらで活気に欠けていた。
 ダーマ神殿にて、ジャックが挨拶を済ませ下山したのが昨日のことだ。ひとまずうちに来れば、とモエギが声をかけると、ジャックは素直に応じた。
 母の手料理を囲み、不穏な世界情勢を脇に置いた父の雑談に耳を傾けながら、互いにあまり言葉を交わさないままその日は眠りについた。今日はバハラタで過ごし、明日アリアハンへ向かうこととなっている。
 モエギがジャックの捜索で発ってから、ゆうに二週間は経過している。手紙で連絡しているとはいえ、なるべく早くアルトたちに顔を見せたい。だがその前に、やるべきことがいくつかあった。
「さて、どうすっかねえ」
 ジャックは両手を頭の後ろに組み、何となしに周囲を眺めた。観光名所としても名高い教会は、ゾーマの襲来以降さほど信仰心の厚くない者も連日通っているという。出歩いている者は大方、背中を丸めて教会を目指していた。モエギはもっとしゃきっと歩けばいいのにと思いつつ、口にはしなかった。
「とりあえず、町長さんにお願いはしたけど……」
 家を出て真っ先に向かったのは、地元民のモエギですら縁遠いバハラタの町長宅だった。昨日既に訪問の約束を取り付けており、町長はアルト一行の一員である二人、とりわけモエギをバハラタの英雄と称え歓迎してくれた。
 町長には、クラリスから預かった親書を渡した。内容は、今後ダーマからバハラタにかけて魔物の襲撃が増加することを想定し、防衛の際相互の連携を密にするという要請だ。
 この要請を提案したのは、クラリス本人ではなく、ジャックだった。使者としてモエギを名指ししたのも、彼である。
 ジャックの方が適任だったのでは、と話を振ると、ため息をつかれた。
「あのなあ、オレはもう賢者でも何でもないの。むしろ何? 教えてって感じ」
 大げさな身振りを挟み、疲れたように笑う。
「ま、おつかいにはお前が適任だろ」
「……お駄賃は別にいらないからね」
 子供扱いされているようでむくれるが、ジャックは何も返してこなかった。この男にしては反応が薄い。
 見上げると、視線が合った。無言のまま繁々と見つめられ、沈黙に耐えられず口を開く。
「な、何!? 気持ち悪いんだけど!」
 思い切り顔をそらす。即座に後悔が渦巻き始めた。
 バカバカバカ、と脳内で広がる自己嫌悪の片隅で、ダーマでの出来事が蘇る。
 いつもふざけてばかりで、曖昧な態度だった男の、まっさらな言葉。むき出しの弱さ。すがる力の切実さ。
 常にどこか一枚、隔てられていた壁を、ジャックは自ら取っ払ってくれた。
 泣き崩れたモエギよりも、ずっと傷付き果てたジャックの心に触れた時、自然と想いを伝えていた。
 あの状況下で、ジャックはモエギの言葉をどう受け取ったのだろう。
 おそるおそる様子を伺うと、ジャックは露骨に嫌そうな表情でこちらを見下ろしていた。
「……あの、ご、ごめん。気持ち悪い、は言い過ぎだよね」
 内心土下座を繰り返す。これでは今までと何ら変わりないではないか。真意を聞くのもはばかられる。
 縮こまったまま歩を進めていると、やたら長い嘆息の後にジャックがぼやいた。
「何がどうなってこうなったんだかなあ……マジで人生分かんねえわ」
「え、どういうこと?」
「あー、こっちの話。確かにオレが気持ち悪かった」
 ジャックがあっさりと自分の否を認めた。信じがたさに凝視すると、あしらうように手のひらを返された。
「見んな。こっち見んな」
「はあ!?」
 挙句の果てに、結局突っぱねられる。さすがに怒号を上げるも、ジャックは頭を掻きながら苛立たしげに歩くのみで、顧みてはくれない。
 分かっていない。絶対に分かっていない。
 変わり映えしない喧嘩の応酬に、モエギは人知れず肩を落とした。



 気まずい雰囲気のまま、モエギはある店の前で足を止めた。
「武器屋? 爪でも新調すんのか?」
「あたしのはもう新調してあるの。ちょっと、ここで聞いてみたいことがあって」
 扉を叩く。はあ、と腑に落ちないままジャックも続いて入る。
 バハラタの武器屋は、モエギの両親と同年代の夫婦が切り盛りしている。丁度禿頭の主人が鉄槍を梱包しており、他に客の姿は見当たらなかった。
「おう、こっちに戻ってたのか! そっちの連れも見たことあるな……あれ、前からそんな白髪だったか?」
「あの、おかみさんいますか?」
 苦笑しながらそれとなくかわすと、主人はすぐに女将を呼んでくれた。
「あら、モエギちゃんじゃないのさ! 恋人連れてきたって?」
「何勝手に解釈してんだあのハゲ……」
 背後からただならぬ怒りを感じ、モエギは違います、と半笑いで訂正しながら泣きたくなった。
「もう、最近ずっと晴れないだろ? そのくせうちの商品は注文が絶えなくてね」
 やはり、バハラタでも魔物の凶暴化に対策を講じているようだ。父は特に触れなかったが、街から男性の姿が減っていた。一般民も魔物討伐に駆り出されているのだろう。
「おかみさんは、確か魔法関係のことに詳しかったですよね? 実は、ちょっと相談したいことがあって」
 改まったモエギの様子に、女将は内所に上がるよう勧めてくれた。現在は接客よりも発注された品の運搬が多いらしく、店番は暇なのだという。
「おい、モエギ」
 振り返ると、ジャックは難しい表情でこちらを睨んでいた。
「何考えてんのか知らねえけど、オレの後遺症はお節介で治るもんじゃねえんだよ。クラリスが言ってたんだ、何の手立てもないって」
 陰った眼差しが胸に突き刺さる。モエギは負けじと言い返した。
「解決するかは分からないよ。分からないけど、あんたのために出来るだけのことをしたい。それすらいけないの?」
 ジャックが息を呑むのが、はっきりと分かった。目顔で念を押し、モエギは女将の後に続いた。
 居間の卓に着き、女将に大まかな経緯を伝える。無論、ジャックの個人的な事情は伏せてだ。
「はあ……。魔法の発動の手助けになる道具はないか、ねえ」
 女将は戸惑い気味に頬に手を当てた。
「そもそも、私からしてみりゃ、杖もなしに魔法を使える人に言うことないんだけどねえ」
 そうなの? とジャックに視線を投げかけると、元賢者はうなずく代わりに瞬いた。
「大体の魔法の使い手は、杖や魔力を溜められる道具を介して発動を試みる。直に放つったら、垂れ流しに出来るくらい魔力が有り余ってる奴だろうな」
「えーと……大体の人は何で杖とかを使うの?」
「お前なあ……」
 腕を組んだままがくりとうなだれるジャック。どうせ無知なのをからかわれると覚悟していたが、悪態をつかれることはなかった。
「そうだな……例えば、体内にある魔力を使うのと、杖に溜めておいた魔力を使うのとでは、精神力の消耗が違う。術者のコンディションが悪けりゃ魔力を捻出するにも疲れる。お前も風邪っぽい時は拳や蹴りが鈍るだろ?」
 うんうんと首を縦に振る。自分のことに置き換えられると非常に分かりやすい。
「魔力自体が強けりゃ、めちゃくちゃ体力のある奴みたいに、多少の疲れも関係なくバンバン魔法を放てる。けど魔力ってのは人によって違う。そんなに魔力が強くない奴は、余裕のある時に自分の魔力を杖とかに溜めておいて、少しでも消耗を和らげる。それが極端には生存に繋がると」
 体力を溜めるのは無理な話だけどな、とジャックは締めくくった。
「へえ〜。あんたそこまで分かってて、モエギちゃんに連れて来られるまでどこの店も当らなかったのかい?」
 女将はひとしきり感心してから、奇妙な質問をジャックにした。疑問符を浮かべるモエギの隣で、ジャックはしばしの間固まった。
 何を言わんとするのか、モエギにはよく分からない。女将を見てもにこにことしているだけだ。
「ジャック?」
 声をかけると同時に、ジャックは両手で頭を抱え悶絶し出した。
「あーっ! うわっ、オレ恥ずっ! 賢者の常識は社会の非常識!」
 また訳の分からないことを、と半ば呆れつつ、以前の調子が戻ってきたようでつい笑ってしまう。女将も大口を開けて笑った。
「あはは。灯台下暗しっていうやつだね」
 魔法についてはさっぱりだが、ジャックの性格上モエギでも理解出来ることはあった。ここぞとばかりに、意地の悪い笑みをじたばたするジャックに向けた。
「ははーん。あんた、杖を使うのは魔力が弱い人だけだと思ってたんでしょ? コンディションの悪い術者」
「はいオレですー! 超絶コンディションが悪いのに杖に行き当たらなかったオレ……そしてクラリス……」
「だろうね。賢者様の杖はお飾りだって、お客さんがよく言ってたもんだよ」
 確かに、生粋の賢者であるクラリスも杖を用いず闘っていた。杖以外にも、額飾りなどは似たような役割を果たしてくれるのだろうが、ジャックは大神官から賜った腕輪を除籍の際返納していた。
「えっと……オレ杖初心者なんで……何かおすすめのあります?」
 肩を小さくして手を挙げるジャックに、女将は満面の笑みでうなずいた。
「あるよ。やんちゃそうなあんたに、ぴったりのがね」



 女将が格安で提供してくれたのは、『理力の杖』という品物だった。
「魔力で打撃力を増幅させて、武器としても使える……」
「まいったわ。今からそこらの岩で試したい」
 ジャックは上機嫌で新しい杖を振り回している。店を訪ねた時とは一転して、足取りが軽い。
「良かったね。まさか、賢者のあんたやクラリスが気付いてなかったのは意外だったけど」
「そんで、おかみさんもオレが賢者だったのは暗黙の了解だったと」
 ダーマのお膝元であるバハラタの人間が気付かない訳がない。されど取り立てて騒がないののも、他の地域より賢者という存在が身近であり、重んじているためだ。
「……これなら、前のようにはいかないけど、サーラやアルト君にも顔向け出来るかな」
 川岸で足を止め、微笑みかける。うきうきと杖を撫でていたジャックも、自然と柔らかな笑顔を浮かべた。
「……おう。ありがとな、モエギ」
 武器屋で向けられた眼差しが嘘のように澄み渡っていた。まぶしくて、目を細める。
 以前ならば、照れ隠しに跳ね除けていただろう。けれど今は、ジャックの喜びが自分のことのように嬉しい。胸が温かくなって、抱き続けている感情が間違いではないと信じられる。
「あたし、ジャックが笑ってるのが、一番好きだよ」
 溢れる想いのままに、気付けば口にしていた。瞬時にジャックの笑顔が消え、はたと我に返る。
 迷惑というより、驚きや困惑がないまぜになった表情で、ジャックは沈黙したままモエギを見つめている。浮かれていたのが馬鹿みたいで、たまらずうつむいた。
「ごめん。あの、特別な意味じゃなくて」
 まるで矛盾している。晴れ晴れとしていた心が急速にしおれていく。
 そもそも、自分たちは再び闘いに身を投じるのだ。こんなに揺れの激しいままでは、思わぬ所で足をすくわれかねない。何とか平静を装い、向き直る。
「天気もずっとこんなだもん、暗いのはやだなって……」
 灰色の空を背にして、ジャックは辛そうに顔をゆがめていた。
 何を言えばいいのか分からず、口をつぐむと、遠慮がちに肩に手がかけられた。
「……十分、特別だろ」
 大きく目を瞠る。一歩踏み出せば身体が触れ合う距離で、語りかけられる。
「ずっと、そうやって取り繕ってきたんだろ。もう、やめろそれ」
 無責任な投げかけを耳にした瞬間、モエギはかけられた手を振り払っていた。
「やめろって……ずっと、ずっと、あんたのせいじゃない!」
 いつも偉そうにして、人の気持ちなどおかまいなしにへらへらとして。そのくせ手を振りほどこうとしたら弱った顔をしてすがる。
「やっぱり、あんたなんか嫌い! 嫌い……!」
 力任せに胸を殴る。涙がにじんでいるのを見られたくなかった。
 アッサラームで、リズと交わした会話が蘇る。彼女は、遠い目をして話してくれた。
『あいつ、大口叩く割にヘタレだからさ。でも、あなたはあたしと違って、あいつと同じ場所に立てる人なんでしょ。あいつのこと、よろしくね』
 勝気そうな瞳を伏せ、彼女はこうも言っていた。
『ジャック……目を覚ました時、あなたの名前を口にしてた。少し、寂しかったけど、あなたがモエギさんで良かった』
 あいつには内緒ね、と照れくさそうに笑うリズの面影が浮かんで、かき消える。
 あんな風に大人になれたらいいのに。一番嫌いなのは、直情的にぶつかることしか出来ない自分自身だ。
「だいっきらい……!」
 一際強烈な一発を叩き込んで、とうとう嗚咽が抑え切れなくなった。うなるようにして泣く。
 両の拳を押し付けたままでいると、そっと両手首を取られた。されるがままだったジャックが膝を折り、モエギの拳に額をつける。
 ひんやりとした額が拳の熱を吸い取っていく。反面、掴まれた手首は熱い。
 一体何のつもりだろう。尋ねようとすると、先にジャックが口を開いた。
「お前、いっつも殴って、痛くねえのか?」
 生きてきた中で、初めて耳にした問いだった。
「……痛いよ。今だって、腫れて、痛いよ」
 魔物相手には爪を用いるが、組手や素手の時はしばしば腫れ上がった拳を持て余す。それでも庇う前に、手が出てしまうのが性分だ。
「ちょっと、やめてよ。あたしの手なんていいから」
 端から見ると恥ずかしい光景のような気がして、小さく咎める。実際は周囲に人の影はない。
 額を離し、ジャックが立ち上がる。手首を掴まれていたのが、いつの間にか両の手を握られていた。視線が交錯する。
「……オレは、この歳になってもガキだし、お前と違ってふざけるのばっかり得意だからよ。まだしばらくは、つっぱねるばっかりで腹立つだろうけど、この際言っとく」
 大きくて骨ばった手に包まれ、頬に胸に熱がともっていく。ますます大仰な光景になっている気がするが、いつになく口下手なジャックの次の言葉を待った。
「オレも、お前の真っすぐな所が……その……」
 徐々に視線が逸れていき、しまいにはだーっ、と背をそむけられる。
 どう反応していいのか分からず硬直していると、ジャックは向き直り指を突き付けた。
「とにかく! オレに変な遠慮すんな! そんで泣くな!」
 たまったもんじゃねえよ、と最後にぼそっと付け足され、反射的に濡れた頬を押さえる。心なしか、ジャックも顔を赤らめているように見えた。
 何故か、奇妙なおかしさが次第にこみ上げ、たまらず笑い声を漏らす。ジャックはますますいきり立った。
「お前なあ! さっきまで散々人のこと殴って泣いてたくせに、笑ってんじゃねえよ!」
「だって……!」
 羞恥に耐えかね反撃してくるジャックとじゃれ合っているうちに、暗い感情はどこかへ吹き飛んでしまった。
 これからも、当分お互いに胸の内を素直に明かすのは困難だろう。
 だけど、自分たちはそれでいいのだ。
 想いは既に、いつでも手を伸ばせる距離にある。



 ネクロゴンドで別れてからおよそ二十日、ジャックとモエギがアリアハンに帰還した。
 ジャックは出会った頃の軽装に戻っており、唯一賢者の名残といえば、見慣れない杖くらいだった。おまけに、尖った髪から銀の輝きがすっかり抜け落ちていた。
 再会の喜びを交わすのもそこそこに、アルトが指摘すると、ジャックは落ち着いた口調で「ちゃんと、話すからよ」と薄く笑った。頬が削げ、表情も前よりいくばくか年嵩に見えた。
 アルトの部屋で、ジャックは事のあらましを語った。また、アルトも竜の女王から得た情報や離れていた期間のことを話した。
 大神官ヨシュアが、自らの命と引き換えに魔力をジャックに譲渡した経緯を聞き、アルトは初めてヨシュアに怒りを抱いた。いくらアレフガルドの救済に思いを巡らせていたとしても、託されたジャックの重荷を考えると、ひどく身勝手に思えたのだ。
 もはや帰らぬ人に等しいヨシュアをなじることはためらわれたが、隠しきれないアルトの義憤を汲み取り、ジャックはこう諭した。
「確かに、もうちょっと自分の立場や遺された側のこと考えろよジジイ、ってなるけどよ。根っこで考えてたことは、お前と一緒だったんだよ。ジイさんは」
 その上で、ヨシュアと同じ志を持つアルトの力になれるなら、それでいいのだとジャックは笑っていた。
 死の淵から生還したジャックは、かつてのちゃらんぽらんな振る舞いがなりを潜め、落ち着いた柔軟さを身に付けたように思えた。その隣で微笑むモエギの眼差しにも、本来の彼女らしい輝きがともっていた。特に二人から明言はなかったが、離れている間にこれまでの関係に変化があったのかもしれない。おそらく、良い方に。
 依然として、ゾーマによる新たな脅威は何も知らない世界の民を怯えさせている。実はバラモスが生き延びているのでは、という憶測も飛び交っているという。アルトたちがとどめを刺し損ねたとまでは追及されていないものの、今後そういった声も挙がる可能性は大いにある。
 急きょアリアハンの宰相として王城に舞い戻ったソイは、床に臥せったままの国王に代わり、友好国との連名で全世界に声明した。
『魔王バラモスはアリアハンの若き英雄、アルトとその一行により確かに葬られた。
 二十数年間、この世に幅を利かせた魔王の残滓はそう簡単に消え去るものではない。だが真の平和の訪れもまた、決して遠き未来ではない。
 晴れ渡る空によろこびを告げるその日まで、いまを生きる全てのいのちに、希望が絶やされんことを』
 連名には、大神官代行としてクラリスの名も連ねられていた。ギアガの大穴へ出発する前にソイと面会した際、小柄な老人は感心したように何度もうなずいていた。
「話は聞いておる。まさかあのクソジジイがわしより先にとは思わなんだ。けどそれ以上に、あの小娘が気丈にあやつの跡目を継ぐ器になったってのが、予想外じゃったな」
 ひとしきり笑った後、ソイはジャックの肩に手を置いて不敵な笑みを覗かせた。
「おぬしもうかうかしておれんぞ、ジャック。わしからも頼む、あのゾーマという輩の鼻の面を明かして来てくれ。国王に早く復帰してもらわにゃ、わしもいつヨシュアのあとを追うか分からん」
 老人はあくまで明るかった。だからこそ、応えなければという決意が一層強まった。
 武具の手入れや所持品の補充を手早く行い、アルトたちはそれぞれ、家族にひとまずの別れを告げてからアリアハンを発った。祖父は心細そうに黙っていたが、母は旅の途中と変わりなく見送ってくれた。浮かべていたのは、かつて父が旅立った時と同じく、一人の男を心置きなく戦場へ送るための笑みだった。
 城下町の西に浮かぶ湖の岸辺にラーミアを呼び寄せ、半日程かけて件の大穴へと出発した。
 念のため確認したが、ラーミアは雛鳥であるため、地上世界とアレフガルドをまたがるにはまだ力不足だという。成鳥となれば転移が叶わなくもないそうだが、それよりもアルトたちがゾーマを討つ方が先だとあっさり答えた。謙遜ではなく、神鳥は心からそう信じているようだった。
 双子湖のほとりに降り立ち、レイアムランドの方向にラーミアの姿が消えるのを見送ってから、一行はがれきの壁を乗り越え大穴へと近付いていった。
 暦では残暑の頃だというのに、大穴の周辺は強風が吹き荒れ、外套を巻きつけなければ寒さでまともに探索も出来ない。上空が灰色に閉ざされてからというものの、どこの土地も季節が忘れ去られてしまったようになっていた。
 積み上がったがれきの崖を登っていくと、底なしの穴が火口のように黒く広がっていた。先頭に立ったアルトは唾を飲み込み、後に続く仲間たちを振り返った。
「正直、ここには二度と来たくなかったんだけどよ……」
 外套で口元まで覆ったジャックが、恨めしげにアルトの足元を見つめた。強張った長身をぽんと押し出し、モエギが顔を出す。
「大丈夫、三度目は絶対ないから。だって、あたしたちがゾーマを倒すんだもの」
「お前、ホント威勢だけはいいよな……」
 ジャックの嫌味にも、モエギは眉ひとつ動かさず挑戦的な笑みを浮かべた。鋭く細められていた緑の双眸がふと和らぎ、闘志を宿す。
「ま、オレも負けるつもりは毛頭ねーよ。ゾーマだか何だか知らねえが、あいつだけは泣いても謝っても、絶対許さねえ」
 出会った頃の幼稚じみたかけ合いが、懐かしく感じられた。競い合うような二人の覇気を背に受けると、不思議と恐怖が薄れ、腹の底がさらなる闘いに沸き立つ程だった。
「いよいよだな、アルト」
 涼やかな声が隣で響いた。サーラが淡い髪をなびかせ、薄く微笑む。彼女もまた、高揚に満ちた瞳をしていた。
「……ああ。どうしてだろうな、本当はもう、闘いたくないって思ってもいいはずなのに。変な気持ちだ」
 握りしめた拳を胸元のベルトに当てる。サーラの唇が、それは、と答えを紡ぐ。
「まだ、私たちが旅路を共に出来るからなのかもしれないな」
 不謹慎だと知りながらも、照れくさそうに目を細めるサーラの横顔が、色あせた景色の中で鮮やかに刻まれた。
「……そうだな」
 微笑み返し、アルトは眼下の大穴を一睨みしてから、仲間たちに呼びかけた。
「行こう。俺たちが、やるしかない」
 ジャックも、モエギも、サーラも、皆一様にうなずいた。手を取り合い、一思いに飛び込む。
 未だ見ぬ当たり前の幸せを、取り戻すために。