愚者の矜持 2



 ダーマ神殿を冠する高地は、季節が真逆になったかのような寒気に包まれていた。
 ジャックはクラリスの外套を羽織らせられ、神殿の裏手から中に入った。
「他の神官たちとすれ違っても知らないふりをして。あなたのことは、その……お祖父様とお母様にしか知らせていないの」
 どこか歯切れの悪い口ぶりだったが、ジャックはおとなしくうなずいた。
 小柄なクラリスとモエギに両脇を支えられ歩く姿は、さぞかし不格好だろう。だが、依然として身体の平衡感覚が戻らないため、頼らざるを得ない。
 祖父ヨシュアの元へ向かう間は、モエギからアリアハンでの出来事を聞いた。
 大魔王ゾーマと名乗る存在、一連の所業を耳にして、ジャックは全身が焼けつくような怒りに見舞われた。その半分は、奴を食い止められなかった自分自身への嫌悪だった。
 ゾーマがもたらした異常事態が世界中に広がりつつあることは、事実のようだった。ここダーマでも神殿周辺の往来は禁止されており、神殿内や宿場は足止めをくらっている者でごった返しているという。
 それだけでなく、神殿を目指す途中で魔物により負傷した者も多数運ばれているらしい。何人か神官とすれ違ったが、彼らはジャックに目を留めると眉をひそめたものの、慌ただしく廊下を走っていった。
 ヨシュアの執務室の手前まで来ると、ますます身体が重くなった。
 大口を叩いてここを発ったというのに、結界を張るどころか、魔力を奪いつくされての帰還だ。生き恥をさらすようなものだった。
「……ジイさんは、オレが行方不明だって聞いた時、どんな反応したんだ」
 半ば独り言のような問いかけだったが、クラリスが律儀に答えた。
「捜せと仰ったわ。必ず、連れて帰って来いって」
「大神官様も、ジャックの顔を見たら安心するよ。きっと」
 モエギが控えめに微笑みかける。同じようには笑えなかった。
 そんなはずはない。自分は、取り返しのつかない過ちを犯してしまったのだ。
 痺れを切らしたクラリスが扉を叩こうとした時、内側から扉が開け放たれた。
「……お祖父様」
 無表情だったヨシュアの瞳がジャックをとらえた瞬間、何かをこらえるように顔の筋肉が強張った。ジャックは祖父の顔を正視出来なかった。
「……入れ。話は、それからだ」
 ジャックは一言も口を利かずに、執務室の奥にある寝室に寝かされた。さほど柔らかくない寝台でも、泥池に沈む心地だった。
 ヨシュアはしばしの間ジャックを見下ろしてから、見守るモエギに声をかけた。
「そなたの尽力により、ジャックがこうして戻ってきたこと、心より礼を言う。後は儂とクラリスに任せ、そなたはしばし身体を休めよ」
「あたしは平気です。あたしもジャックのそばに」
「このような状態のジャックに、そなたがこれ以上出来ることはない」
 モエギの表情が消えた。
「こやつはおそらく、そなたが申していた大魔王なる者に、直接蝕まれている。そなたは、今のこやつに、何をしてやれる?」
「お祖父様、いくら何でもそこまで……!」
「クラリス、お前はやたらむやみに情をかける。そこまで言うならば、お前が彼女についていてやるとよい」
 クラリスは言葉を失い、小さく詫びるとモエギの腕をそっと取った。モエギの視線が突き刺さる。
 歯に衣着せぬ言い方だとは思う。けれどヨシュアの言い分は正しい。
 何よりジャック自身が、こんな自分をモエギに見られているのが耐え難かった。
「……分かりました。ジャックのこと、よろしく、お願いします」
 黙ったままのジャックから目をそむけ、モエギはヨシュアに頭を下げてクラリスと退室していった。足音が遠ざかると、ジャックは消え入りそうな声で詫びた。
「……ジイさん、こんな事態になったのは、オレがしくじったせいだ」
 はびこる沈黙がただ息苦しい。頭ごなしに怒鳴られた方がよっぽどましだ。
「やっぱ、さ、オレには荷が重すぎたんだな。なあ、ジイさんは知ってたんだろ? あの大穴の先に、バラモスよりも凶悪な奴が潜んでいるって」
「知っていた。その上で、お前に結界を張るよう任せた」
 ジャックは目を見開いた。身を乗り出し、腕ごとヨシュアの袖を掴む。
「じゃあ……今の状況になることも、予測していたってことか?」
 左様、とヨシュアがうなずくと同時に叫んでいた。
「なら、何だってオレに任せたんだよ!? 何ならクラリスを同行させるとか、いくらでも今の事態を免れる方法があっただろ!」
 ゾーマの襲来が想定内だったのなら、何故万全を期さなかったのか。全身を震わせるジャックに対し、ヨシュアはあくまで冷静に答えた。
「仮に強固な結界を張ったとしても、奥深くに潜む闇を取り払わない限り、この世界は脅かされる。バラモスにとって代わる者はいくらでもいる。それをあの地へ向かうお前に伝えたとして、何が出来ようというのだ。儂は、ゾーマ自身がこの世界に現れなければ、真の意味で奴らを討つことは不可能だと思っておった」
 頭を鎚で殴られたような痺れが襲った。
 ならば、自分は何のためにあの大穴へ行ったというのだ。それを悟った途端、乾いた虚しさが胸の底に広がった。
「……そうかよ。オレは、いわば囮だったって訳か。たまたま生き延びたから、捜させて助けたって訳かよ。冗談じゃねえ!」
 感情のままに寝台に拳を打ち付けた。ヨシュアは微動だにしない。
「確かに、オレはバラモスとの闘いが終わったら、賢者の肩書を下りて漠然と故郷に帰るつもりだった。ああ、浅はかな考えだったさ。けどな、オレはオレなりに、自分の力がこの世界を守るのに役立つのなら、出来ることをやろうって思ってたんだよ! なのに……」
「分かっている。結界を張る役目を申し出たお前の思いは、本物であったと」
「なら、どうして!」
 怒りをむき出しにするジャックの肩を、しわだらけの手が押さえ込んだ。煩わしくて身をよじったが、びくともしなかった。老人とは思えない力強さだった。
「お前以外には任せられなかったのだ。あの大穴から噴き出たものが、ただでは帰さずとも、お前ならば命までも簡単に寄越すまいと信じていた」
 思いもよらない返答に、ジャックは目を瞬かせた。
 祖父は、囮として自分を向かわせたのではない。更なる脅威を見据え、根絶させるためだったのだ。
 たとえ、その過程でジャックが何らかの犠牲を払ったとしても、生還すると信じて。
 静かに燃える琥珀の双眸を見つめていると、やりきれない怒りが、徐々に鎮まっていった。
「……そこまで考えていたとはな。けど、オレは一番大事なものを奪われちまった。助かったこの身で闘おうにもよ、魔法が使えねえんじゃ話にならねえ」
 祖父が驚く様子はなかった。この老賢人が表情を変えるのは、予期せぬことを耳にした時だけだ。ジャックは押し出すように尋ねた。
「ジイさん……。オレの魔力を、取り戻す方法があるのか?」
 ヨシュアは首を横に振った。さすがにそこまでは期待出来ない、と心の中でため息をついた時だった。
「取り戻すことは不可能だが、お前が再び魔法を使えるようにする手立てはある」
「あんのかよ! で、その方法は!?」
 思わずしがみついて揺さぶると、いつものように、淡々とした答えが返ってきた。
 だが、祖父の言葉は、ジャックをひどく戸惑わせた。
「……え?」
 今までで最も理解に苦しむ言い分に、ジャックはそろそろと手を放し、愕然と祖父を見上げた。嘆息される。
「もう一度言う。
 儂の魔力を、お前に与える。その代わり、儂は一切の生命活動を失う。
 方法は、一つだけだ」
 ジャックは、全身が強張っていくのを感じた。
 厳格な祖父の揺るぎない瞳を目の前にして、文句のひとつもぶつけられない。苦し紛れにつぶやいた。
「んな……バカなことあるかよ。他に方法があるだろ、それを探してからにしようぜ」
「そのような猶予はない」
 更に抗議の眼差しを向けると、ヨシュアは深々と重い息を吐いた。
「この期に及んで、聞き分けのない奴だ……」
「何言ってんだよ、聞き分けが良くてたまるかよ! ジイさんこそ、よくそんな方法を口に出来るもんだってんだ」
 仮に魔力が戻ったとしても、その先に起こることを考えただけで、息が乱れる。
 ダーマ神殿の主である、大神官の死。ただでさえ混沌とした世界情勢の中、どのような波紋を起こすかは容易に想像出来る。
 いつか訪れるものが、すぐそこにあり、それしか選べない。
 理不尽だ。そんな理不尽に振り回されないように、生きてきたというのに。
「ふざけんなよ……」
 知らずのうちに声が震えていた。うなだれるジャックの肩を、老いた手が包んだ。
「ジャックよ。よいか、儂の言うことをよく聞いておくのだ。儂の伝言をどのように使うかは、お前次第だ」
 はっとして顔を上げる。
 祖父の、祖父らしい微笑みを見たのは、それが最初で最後だった。



 伝言を聞き終えた直後、ジャックはヨシュアに従い、魔力を移す儀式に取りかかった。
 ヨシュアの転移魔法により、ひんやりとした石造りの間に移動すると、ジャックは中央にぽつんと置かれた石の台に寝かされた。
 周囲は薄暗く、灯りもない。おそらく神殿内にある地下室なのだろうが、ヨシュア以外は存在すら知らないのだろう。
 傍らの暗闇で、ヨシュアがゆったりとした動作で歩き、道具らしきものを揃えている。過ぎる時間を、いとおしむように。身動きがとれない間、ジャックはなるべく何も考えないようにした。
 準備が整ったらしく、ヨシュアが歩み寄ってきた。小石程の丸い水晶をジャックの口にくわえさせ、濡れた銀の短刀を掲げると、自らの手のひらの真ん中に突き刺す。
 どろりとした赤い液体を刀身に伝わせ、短刀を逆さに持ち、滴を水晶に落とす。すると、血の滴は水に溶けるかのごとく水晶の内部に広がった。
 口内には何も届いていない。だが祖父の血液が水晶に浸透し、色を帯びていくごとに鉄の味が濃くなっていく。
 水晶が柘榴石のように染まりきった頃、ヨシュアは身を引き、水晶を飲み下すよう命じた。
 説明によると、水晶はジャックの体内で融解し、ヨシュアの血液に宿る魔力を移す媒体となる。その間は一時的に意識がなくなり、戻るのは全ての魔力がジャックに移った時となる。
 次に目覚める時には、ヨシュアは隣で横たわり、何の問いかけにも応じない。
 祖父は自らの命と立場を引き換えにしてでも、ジャックを救うと決めていたのだろう。きっと、誰も知らないうちから。
 特異な気質故、自己完結しがちだった祖父と、せめて互いに同意の上で儀式に取りかかることが出来ただけ、ましだったのだろう。
 それでも、代償はあまりにも大きすぎる。
 水晶を口に挟んだまま葛藤していると、ヨシュアは血が付いていない人差し指で、それを押し込んだ。一瞬喉が詰まるかと思ったが、水晶はジャックの喉元に引っかかると、飴玉のように溶け始めた。
 天井がぐらついていく。意識が水晶に吸い取られていくようだ。
 せめてもの抵抗にぐっと眉を寄せると、祖父の手のひらが視界を覆った。
「銀の賢者は、二人も要らぬ。
 お前ならば、きっとこの力を、本当の意味で役立てられる――」
 霞んでいく意識の中で感じられたのは、手の大きさと、温かなぬくもりだけだった。



 意識が戻ったのを自覚してからも、ジャックはしばらく暗闇に留まっていた。目を開けた時目の当たりにするであろう光景を、直視する気力がなかった。
 頬や首筋を撫でる空気は、湿り気と暖かさをほのかに宿している。地下の冷気ではないことに疑問を覚え、重たいまぶたを持ち上げた。
 そこは、よく見覚えのある場所だった。ダーマに滞在する際、ジャックが寝泊まりする部屋だ。寝台に横たえられ、厚手の毛布もかけられている。
 誰が運んだのか。ヨシュア以外に、あの地下室の存在を知る者は限られているはずだ。壁際に人影をとらえ、ジャックは反射的に身構えた。
「あ……」
 備え付けの卓に腰かけていたクラリスが、びくりと震えた。眠っていたのか、目のあたりをしきりにこすっている。
「ジャック……。目が、覚めたのね」
 沈んだ声音で、クラリスも事情を把握していると悟った。だが、彼女は切迫した様子で寝台の横に膝をついた。
「お祖父様は、もうお目覚めにならないの? あなたなら何か聞いているでしょ?」
 すがるように寝台の角を掴むクラリスを眺め、ジャックはヨシュアの伝言を思い返した。
『まず、一つ。儀式によって魔力を与えた者は、通常の死よりも一月程、肉体の衰えが遅い。傍から見れば、植物状態と言っても何ら不思議はないだろう』
 身体はまだ倦怠感が残っているが、いくらかましになっていた。壁に背を預け、深呼吸をする。
「その前に、お前、どうやってオレとジイさんを見つけた」
「お祖父様から、事前に聞いていたの。あなたに治療を施す場合、誰にも知られないよう特別な地下室で行うから、しばらく経っても姿が見えないようであればそこを捜すように、って」
 聞けば、あの地下室は神殿内の中庭にある、小さな泉から階段で通じているのだという。
「泉の水を抜いて、地下室に降りたら、あなたとお祖父様が死んだように倒れていたから……お母様と二人で部屋に運んだの。お祖父様も、ご自分の寝室で眠っているわ」
 ジャックは内心、ヨシュアの用意周到さに驚きを覚えていた。
 クラリスが儀式の概要を知っていたのであれば、ヨシュアの安否を問うはずがない。重要な事柄はジャックにのみ預け、それ以外は不必要な混乱を避けるよう気配りをしている。
 伝言を、どのように使うか。祖父は自身の亡き後も、ジャックを試そうとしているというのか。
「脈はまだあるけれど、いつ止まってもおかしくないくらいなのよ……。ねえ、お祖父様がもし目覚めなかったら」
「お前、それでも次期大神官候補かよ」
 存外冷たい声が出た。クラリスが目を大きく瞠る。短くため息を挟んで、言葉を継いだ。
「ジイさんは、自分の魔力をオレに全部移したんだ。身体の負担もそりゃ相当だろうよ。けど、あのクソジジイがそんなんで死ぬタマかよ」
「それは……」
 答えに窮するクラリスに、さらに畳みかける。
「お前なら現状を把握してるだろ? ジイさんのことは伏せて、大神官代行として神殿を執り仕切れ。そのために修行だの何だのやってきたんだろ」
「それは、そうだけど! そんなに言うのなら、あなたが」
 唐突にクラリスは言葉を切った。神殿に着いてからの、どこか後ろめたそうな態度の理由も、ヨシュアの伝言で明らかになっていた。
『次に、何やら神殿内で、良からぬ噂が広まっている。異常事態の原因は、大魔王なる者がこの世界に出現した際、お前から奪った魔力を媒体に邪悪な力を振るっているからだ、と』
 それを聞いた時、ジャックの中で二つの思いが浮かび上がった。そんな馬鹿な話があるか、という一蹴と、本当にそうなのかもしれない、という、漠然とした不安。
「……オレが今のダーマをまとめられっかよ。こんなことになったのが、オレのせいだって本気で思い込んでる奴らがいるんだろ」
「あなた……お祖父様から聞いたの?」
 弾かれたように顔を上げるクラリス。彼女なりに悪い噂を遠ざけようと配慮していたのだろうが、いずれは誰かしらから耳に届く。
 ジャックはうなずく代わりに苦笑した。
「あのジジイなら遠慮なく言うだろ。オレも最初聞いた時は真に受けかけたけどよ、よくよく考えたら無理な話だろ」
 クラリスは口元に手を当て、しばし黙り込んだ。同じ能力を持つ者ならば、すぐに分かるはずだ。
「……確かに、私たちの力は、邪悪と相反する力。いくら大魔王でも、自分のものにして思うように扱えるはずがない」
「そうだ。神官たちはともかく、どうせよく分かってねえ他の奴らが勝手に不安がって広まった噂だろ。それでもオレが説明するよか、お前が証明した方がよっぽど説得力があるだろうよ」
 ジャックの魔力を悪用された確証はないが、直接力を奪われたのは事実だ。他の者たちの上に立って、ものを言う資格はない。
『我ら一族の破邪の力は、元よりギアガの大穴で災いを封じていたもの。魔の者の長とて、自らのものにして自在に操れるような力ではない。儂がそう話していたと、しかるべき者が民に伝えれば、すぐに疑念も晴れよう』
 ヨシュアは良くも悪くも、情にほだされて動くような人物ではなかった。孫であるジャックへの擁護だと反発があがったとしても、大多数の者は単なる事実として考えを改めるだろう。
 大神官の意見を公平なまま発するのは、生まれながらに後継者として従事してきたクラリスがふさわしい。最も自負しているのは本人だろう。
「……そうよね。分かったわ、お母様や神官たちに事情を説明して、しばらくの間は私が大神官代行を務めるわ。きっと、この時のために、今までの経験があったのよ。きっと……」
 自分に言い聞かせるようにして、クラリスは胸元で強く拳を握った。初めて出会った時の鬱屈とした少女の面影は、もうなかった。
 すっくと立ち上がると、クラリスはためらいがちに告げた。
「ジャック。あなたが眠っている間に、念のため身体の状態を見させてもらったわ。あなたの体内にはまだ、襲われた時の瘴気が残っていて、おそらく……完全に消し去ることは出来ないと思う」
「だろうな。まだ全然満足に動かせねえ」
「それだけじゃないの。瘴気の影響で、あなたの無限にあった魔力が抑制されているのよ」
「……は?」
 いまいち理解出来ず、顔をしかめるジャックに、クラリスは引き出しから手鏡を出してこちらに向けた。
「その証拠に、見て。あなたの髪」
 曇りの残る手鏡を覗いて、ジャックは目を見開いた。
 濡れたようにつやめていた銀の髪が、散々冗談を飛ばされてきた通りの、ただの白髪となっていたのだ。
 銀色の髪は、無限の魔力を持つ者の証。制限がかかったことにより色が抜けた実例は、ジャックの知る限り残されていない。
「本当に、瘴気のせいなのかよ? 儀式の過程でそうなったんじゃ……」
「儀式については確かなことは言えないけど、破邪の力を通じてあなたの魔力の流れを見たの。そうしたら、所々であなたを蝕んでいる瘴気の影が邪魔をして、正常な流れを阻んでいたのよ」
 クラリスは唇を噛み、うつむいた。嘘だろ、と口の中でつぶやくと、いてもたってもいられなくなった。
 無理矢理跳ね起き、寝台から飛び出すと、案の定床に膝をつき崩れかける。伸ばされたクラリスの腕を振り払い、なまった身体に鞭を打って扉に貼り付いた。
「ジャック! あなたここに戻って来てから一日しか経ってないのよ! まだ安静にしていないと」
「うるせえ! オレの不始末だ、好きにさせろ!」
 クラリスの制止もきかず部屋を出る。通りがかった若い女性の神官が短い悲鳴を上げて退いた。冷えた廊下の空気が触れ、上半身は包帯を巻いただけだとようやく気付く。
 神官の女性には目もくれず、ジャックはよろめきながらも壁づたいに神殿の裏を目指した。
 平衡感覚は戻りつつあったが、全身が鉛のように重く、動きの鈍さに苛立つばかりだ。何とか身体を運び、裏口から外へ出る。
 かつて修行をした荒地は、季節の色を失い、突風が吹き荒れていた。砂埃に煙る谷間に向けて、手のひらを突き出した。あえて構成を不明瞭に描き、放つ。
「イオラ!」
 閃光が飛び、崖下の岩山を直撃すると同時に破裂した。轟音と共に右手に広がる森から、鳥類の群れがけたましく鳴き声を上げ現れた。見覚えのある巨鳥属の魔物だ。結界の効果はまだ完全には消えていないのか、こちらに向かってくる様子はない。遠巻きに騒ぎ立てているだけだ。
 腹いせにもう一発、と発動の態勢に入ったが、声を発する寸前で、不意に身体の内側に激痛が走った。
「メラミっ!」
 空にかざした右腕がけいれんを起こし、逆流しようとする魔力を強引に放出すると、現れた火の玉はジャックを巻き込み暴発した。
 かろうじて直撃は免れたが、髪の毛の焼ける臭いが取り巻く。壁を背に座り込み、ジャックは小刻みに震える右腕に目を落とした。
 本来ヨシュアのものであった魔力を移す時点で、そっくりそのまま元通りにはならないと覚悟していた。瘴気を完全に消し去ることは不可能だと判断した上で、祖父も儀式に臨んだのだろう。
 伝言の続きが、脳裏に響く。
『この力をお前に託し、その果てに大魔王ゾーマを倒せるのならば、儂にとって本望なのだ』
「どうしろってんだよ……」
 祖父の秘められた願いを、拒否することなど出来なかった。
 何故ならそれは、一族の誰もが気付けたことでありながら、誰にもかなわなかったことだから。
「荷が重すぎるんだよ……クソジジイ……」
 届くことのない毒づきは心の内にくすぶり、後に残るのは虚しさばかりだった。