地涯の決戦 5



 アルトの手により討たれたバラモスはその後微動だにせず、煙に紛れ跡形もなく消滅していった。
 ラーミアがサーラを乗せ、散り散りになったモエギとジャックを探し当てる間、地上に残った魔物たちは王の崩御と神鳥の襲来に恐れおののき、我先にとバラモスが元いた地底へ撤退していった。
 モエギは正門付近、ジャックは城下町跡の外れにぐったりと倒れていた。どちらも爆発のあおりを受け、正視に耐えかねる火傷を負っていた。
 アルトの治癒魔法、またラーミアの力もあってか傷の癒えたサーラは、二人を担ぎ、屋上にたたずむアルトの下へ戻った。
 城の一帯を覆う煙はいつの間にか薄い灰色となっており、分厚い雲に閉ざされていた遥か上空には、夏の青が覗いていた。
 威容の名残もとうに失せた城の屋上はラーミアの力により清められ、サーラは傷付いた二人を引きずり下ろし床に横たえた。長らくその場を動かなかったアルトが剣を収め、ゆっくりと歩み寄って来る。
 力なくまぶたを閉じたままのモエギとジャックに治癒を施しながら、アルトはぽつぽつと言葉を紡いだ。
「……バラモスの術でここから弾き出されて、もう二度と戻れないかもしれないって思った」
 だが、ジャックの叔母ソフィアから受け取ったキメラの翼が脳裏をよぎった時、迷わずレイアムランドへ、と念じたという。
「ラーミアはあの二人と一緒に、塔のてっぺんで俺を待っていた。数秒も経たない内に、ラーミアが『行こう』って、俺を乗せて飛び立ったんだ」
「……そうだったのか」
 ラーミアは澄んだ眼差しで、背後からサーラたちを見守っている。穏やかな視線を背に感じていると、不思議と激戦に疲弊した身体が楽になっていく気がした。
 実際、ラーミアには治癒の力が備わっているのだろう。アルトが扱えるのは中級のベホイミまでだが、二人の治りは目に見えて早かった。
「あいつは……倒したんだな」
 ちらと、ただの黒炭になってしまった礼拝堂を横目で見るアルト。黙ってうなずくと、青年は静かに微笑んだ。
「ん……?」
 先に目を覚ましたのはモエギだった。しばしぼんやりとしていたが、焦点が定まってくると、むくりと上半身を起こした。
「アルト君……、サーラ……バラモスは?」
 ほっと息をつき、アルトが答えようとすると、別の声が上がった。
「決まってんだろ? 魔王バラモスはもういねえよ」
 一斉に注目を浴び、ジャックは仰向けに寝転がったまま苦い笑みをこぼした。
「おっせーよ、アルト」
 くしゃっとジャックが笑う。ようやく、アルトはいつものように目を細めた。
「そっか……。あたしたち、ついに、バラモスに勝ったんだね」
 くたくたになるまで走り切ったような表情で、モエギも安堵のため息をつく。
 ようやく成し遂げた魔王討伐だというのに、サーラは素直に笑うことが出来なかった。残された母の謎と、旅の終わりと共に訪れる別れが、みぞおちのあたりを重くする。
 それでも、皆の清々しそうな顔を見渡すと、心は穏やかに晴れ渡っていった。
 微笑をたたえ、仲間たちと昼下がりの陽光に包まれていると、いずこからか凛とした女性の声が降って来た。
『勇者……アルト、仲間たち、そして……サーラ……。この声が、聞こえますね……?』
 アルトが立ち上がり、天を仰ぐ。サーラもそれにならった。
 声には聞き覚えがあった。旅の途中、守りの奥深くに居を構える美しい種族の長――否、それよりもずっと前から、この声を知っている。
「何だ? あ、もしかして、ルビス様とか……」
 しきりに瞬きを繰り返すジャックに対し、アルトはやんわりと首を横に振った。
「いや……多分、違う。旅立つ日の朝、俺の夢の中で話しかけてきた声だ」
「えっ? じゃあ、一体誰なの?」
 モエギとジャックも腰を上げる。声は陽射しに紛れて、心地良く響く。
『貴方たちは……本当に、よく頑張りました。これで、この世界も……きっと、報われましょう』
 雲の切れ間から射す光に向かい、アルトは頭を垂れた。世界が緩やかに、金色の輝きで満たされていくようだった。
 厳かなぬくもりを感じていると、声の調子が変わった。
『ときに、サーラ……。貴女は……』
 どこか浮かない様子に一抹の不安を覚えたが、問う前に声は打ち消した。
『いいえ……。今は、よいでしょう。さあ、お帰りなさい。貴方たちを待っている、人々の所へ……』
 溶けるように声は遠ざかっていった。唇を結んだまま、ゆったり流れる雲を見つめていると、アルトが肩を叩いた。
「サーラ。もう、終わったんだ。帰って、これからのことを考えよう」
 屈託のない笑顔が広がる。向き直り、サーラもこくりとうなずいた。
「……ああ。帰ろう」
「うん、帰ろ! まずは、アリアハンへ!」
 モエギも弾けるような笑みを浮かべ、ラーミアの下へ歩み始める。
 母のことは胸にしまおう。故郷が滅びても、帰る場所はある。
 そして、いつか新たな故郷をこの目で確かめる。アルトと、同じ未来に立って。
「ちょっと待った」
 足を止め、サーラたちは銀髪の賢者を振り返った。
 ジャックはぼろきれと化した衣の内側からキメラの翼をさっと抜き、アルトの胸に押し付けた。
「ジャック?」
 金属部分が黒ずんだキメラの翼を掴み、アルトは眉を曇らせる。ジャックはずかずかと一人ラーミアに近付き、翼をひと撫でして締まりのない笑顔を向けた。
「お前ら先帰れ。オレ、ちょっくらやることあっから」
「な……ジャック!」
 少し前から何やら様子がおかしいと思っていたが、やはり独壇場で事を運ぶ気だったのか。
 サーラが引き留めようとすると、黒髪をなびかせモエギが走り寄った。
「待ってよ! 何考えてるのか知らないけど、それならあたしも行く!」
 小さな背中が張りつめている。アルトも拳を握った。
「ジャック……帰ってからじゃ、駄目なのか?」
「うん。今、オレがやんないといけないことがあるのよね」
 へらへらと答え、ジャックはモエギに視線を戻した。微かに震える姿を見つめ、一瞬だけ暗い面持ちになったが、すぐに口の端をつり上げた。
「モエギ、わりぃな。ま、野暮用だからよ」
 顔を上げたモエギの表情はうかがえない。ジャックはそっと手を伸ばし、一度だけ耳の辺りを撫でつけると、振り切るようにラーミアを仰いだ。
「ラーミア、あっちの湖に開いてる穴のとこまで頼むわ」
 神鳥はじっとジャックを見つめ、首を上下させると胴体を斜めに傾けた。あれ程までに空を飛ぶのを嫌がっていたというのに、ラーミアにまたがるジャックの動きは機敏だった。
「ラーミア! 私たちも」
 サーラは身を乗り出したが、アルトの腕に遮られる。
 汚れのない両翼が陽の光を纏いはばたく。西日でジャックの表情は隠されているが、腹立たしいことに変わりはない。
「待って……待ってよ! ジャックっ!」
 二、三歩後退しつつも、モエギは頑としてきかない。アルトが背後から押さえつける。
「モエギ。ジャックには、やることがあるんだ。モエギがそんなんじゃ、ジャックもいつまで経っても行けない」
 アルトは言われずとも、悟っていたのだろう。冷静な声音で諭され、暴れていたモエギも抵抗を止めた。サーラも隣に並ぶ。
 モエギはしばらく押し黙っていたが、深く息をつき、唇を解いた。
「ラーミアっ! ジャックを、お願い……!」
 涙声の叫びを受け取り、ラーミアは一声鳴くと、ジャックを乗せて東へと飛び立っていった。
 白い翼が去っていくと、モエギはサーラの肩に顔を埋めた。背中を撫でてやると、滲んだつぶやきが落とされた。
「分かってる……。分かってるけど、あたし、何でだろ……。不安で、しょうがないの」
「……大丈夫だよ。ジャックなら」
 サーラもアルトも、モエギの胸中を思うと、それ以上は何も言えなかった。



「……ったくよ、せっかくバラモスの野郎を倒したってのに、湿っぽくさせんなっつーの」
 ぶつぶつとラーミアの羽毛に埋もれ、愚痴をこぼす。発つ時は普通に座ったままだったが、三人の姿が見えなくなるとすぐにカエルよろしくしがみ付いた。
 ラーミアの飛行能力ならば、三十分もかからずに穴のそばまで行けるだろう。見る影もない賢者の衣をいっそ湖に脱ぎ捨てようかと思ったが、もらいものの上小言を言われたくないのでやめておいた。
「にしても……心残りはオレのマホカンタが打ち破られたってことだよな。あーくやしっ、結局よー、アルトにはかなわないのよねー」
 久方ぶりに好き勝手独り言を垂れたものの、どうもすっきりしない。答えは明白だった。
 いつからかは分からないが、知っている。モエギの気持ちが、自分に向きすぎていることに。それを受け止められず、拒めずにいる自分自身も。
 この闘いに区切りがついたら、聞いてやるくらいは出来る。そうすれば、たとえ時間がかかったとしても、モエギもあきらめがつくはずだ。
 この世界はどれだけの人間が手を取り合っても抱えきれない程、果てしない。何も、偶然仲間となった男にいつまでも操を立てる必要などない。武者修行の途中でもっと頼りがいのある奴と出会えばいいのだ。
 ただ――そこでジャックは思考を断った。
 余計なことを考えている場合じゃない。最後の大仕事が待っている。
 しばらくラーミアの背で寝心地の良さを味わっていると、気が付けば湖の水面が眼下に迫っていた。最初に訪れた時よりはいくばくか瘴気が緩和されている。呼吸に気を遣うこともなさそうだ。
 全ての災いは、ギアガの大穴より出ずる。いつだったか、クラリスが仰々しく語っていたのを思い出す。
 そういえば、彼女にもらった祈りの指輪はなくしていないだろうか。ズボンのポケットに手を突っ込むと、輪っかとすべすべした丸い感触があった。ほっと息をつく。
「さーて、ラーミア、そこの外壁が崩れてる所まで頼む」
 アルトやサーラであれば意思の疎通が図れるのだろうが、ジャックは一方的に伝えるほかない。それでもラーミアは正しく理解してくれるのだから、神鳥という存在は不思議なものだ。
 ラーミアは突入時の戦闘態勢が嘘のように、ゆったりとした速度で降下し指定の場所に到着した。這いつくばりながら地面に降りると、首元に回り絹のような羽毛を撫でる。
「ありがとな。オレの勝手に付き合ってくれてよ」
 本当は四人揃ってラーミアに乗り、ダーマにも凱旋すれば祖父の度肝を抜けたのだろうが、致し方ない。
「アルトたちはキメラの翼で帰っただろうさ。お前は……まあ、レイアムランドに帰るのかね」
 ラーミアは喉をぐっ、ぐっと鳴らしていたが、ジャックが離れると両翼を揺らした。水面がさざめく。
「またな!」
 大きく手を掲げる。それを合図に、ラーミアは空を舞い、生まれた場所へ帰っていった。
 これが今生の別れではない。同じ世界に生きているのだから、会いに行こうと思えばいつでもまた会える。
 ラーミアが去ると、空は紫がかった色に変容していく。反対側の湖は曇ってよく見えないが、アルトたちも既に転移したことだろう。
 殺風景な湖の岸辺に一人残ると、さすがにわびしさを覚える。気を引き締め、ジャックは崩れた外壁の隙間に身体を滑り込ませた。
 上空から見ても、ゆうに小さな村がまるまる収まる規模だったが、実際に近付くと大きさをまざまざと見せつけられる。石垣に囲まれているものの、得体の知れない恐怖が足元に忍び寄って来るようだ。
 壁内の片隅には詰め所らしき小屋も残されていた。ネクロゴンド側で衛兵を常駐させていたのだろうが、もう随分と人の気配がなくなって久しいようだった。
 何にしても、諸悪の根源であるバラモスを討った今、強固な結界を張れば全てが終わる。
「……やるか」
 腕輪に手を当て、強く握りしめた。
 まずは石垣の外側を回り、特定の地点を決める。ヨシュアから預かった小石程の水晶玉を腰袋から取り出し、破邪の力を捻出して託す。水晶玉の透明度が際立ち、一瞬だけ閃光を放つと力が充填されたことになる。
 破邪の力をもって邪気を相殺する、というのは何度かこなしてきたが、純粋に自らの力を物質に宿すのは慣れが必要だった。
 そもそも、魔力を物質と共存させることは人間の成せる技ではない。水晶や護符など、魔力を取り込める媒体であれば話は別だが、例えばそこいらの武器屋で手に入る剣に魔法の効力を付与するような離れ技は、常人では不可能だ。
 それを平然とやってのけるアルトは、やはり規格外なのだろう。しかし、彼にとってそのような能力は二の次でしかない。
「ま、これからはそんな力いらねえよな」
 かぶりを振り、作業に集中する。
 同様に力を込めた水晶玉を五ヵ所に配置し、一周した所で正面に回る。真上から見下ろせば、水晶玉は丁度五芒星の頂点となる。
 あとは、五つの水晶玉を繋ぎ、破邪の力を極限まで高めて結界を張る。かつて母がダーマと決別した際、否それよりも遥か古の時代から引き継がれてきた方法だと、ヨシュアは語っていた。
 この勤めを終えたら、お役御免となる。大神官はクラリスが継ぎ、自分は再び気ままな商人の息子に戻るのだ。叔母は寂しがるだろうが、たまに顔を出せばいい。
 今までの功労と引き換えに祖父から金をふんだくって、家を建てる。昔思い描いた通り、家族一人につき一部屋の豪邸だ。
 そうしたら、久し振りに、ひょっこりあの酒場を訪ねてみようか。別れを告げてから、彼女はどうしているだろう。もう、後腐れなく話せるはずだ。
 我知らず笑みが浮かんでいた。だが、浮足立った心は急に静まる。
 最後にアッサラームに滞在した期間中、酒場の前を通りかかった時だ。急に不機嫌になったモエギを思い出す。
 ダーマでの夜も過干渉してくるあいつがうっとおしくて、つっぱねたら、泣きそうな顔で怒鳴り返された。
 あの時、何故突き放せなかったのだろう。せいせいするどころか、慌てて取り繕う自分がいた。
 あいつだけは、そういう対象になり得ないと思い続けてきた。けれど。
「何考えてんだ、オレ」
 闘いの疲れを引きずっているのだろうか。雑念を一笑に付す。
 意識を五ヵ所の水晶玉に戻し、瞳を閉じた。
 暗闇の中に浮かび上がる、青白い五つの輝きを慎重に繋ぎ合わせる。それぞれから魔力の軌道が走り出し、別の輝きに向かって伸びていく。
 五芒星が描かれた時、体内に流れる全ての魔力を、結界へと転換する。
 本番同様の訓練は一度したきりだった。実際に臨むと、環境の違いもありじれったい程にはかどらない。
 焦らず、確実に。底知らずの魔力を全投入した結界が、この世界を数百年生き長らえさせる。祖父は確かに、約束してくれた。
 ならば、喜んでこの力を捧げよう。そして、かつての日常に戻るのだ。
 疲労がのしかかる中、懸命に神経を尖らせ、一本一本の線を結んでいく。最後の線が、終点へ到達した。精密に描かれた五芒星がくっきり浮かび上がる。
 今だ。全身に行き交う魔力を絞り出そうとした、その時だった。
 突然地面の底から激しく揺さぶられ、とっさに踏ん張ることもかなわず身を投げうった。視界が上下左右にぶれて定まらない。
「何だ……!?」
 頭を持ち上げ周囲を見回す。丹精込めて造り上げた五芒星は掻き消え、水晶玉は無造作に転がっていってしまった。
 ひどく寒々しい空気が素肌をかすめ、身震いが止まらなくなる。自分でも、全身から血の気が失せていくのが分かった。
 逃げなければ。本能が警鐘を鳴らしている。
 ルーラの構成を胸の中に描き、詠唱を試みた瞬間、それはやって来た。
 衝撃が響き渡った。例えるなら、巨竜が地底からうねり狂いながら遡り、大地をひっくり返したような地動だ。同時に身の毛がよだつ程の邪気が後を追い、大穴から溢れ出す。
 奔流と化した邪気は、容赦なくジャックを飲み込んだ。抗うこともままならず、それでも転移魔法を唱えたが、てんで発動する気配がない。
 衝撃波により外まで押し流され、外壁を突き破り湖に放り出される。淀んだ水中は粘っこく自由を奪い、もがこうとしても身体が追いつかない。
 手探りで祈りの指輪をはめようとしたが、指すらもがくがくと震えて使い物にならず、あっけなく手を離れどこかへ消えてしまった。
 混乱する頭の中でただ理解出来ることは、このままでは死ぬ、ということだった。
 旅路の間、何度かそういった目に遭ったことはある。けれど、ここまで窮地に追いやられたことはなかった。
 死ぬ? この、オレが?
 見えない何かによって押し込められたこの状況で、猛烈な怒りが湧く。
 冗談じゃない。よりによって、こんな所で。
 辺りを包む無数の気泡を尻目に、残りかすのような魔力の名残を体内から集める。鳥の餌程の魔力しか得られなかったが、どうにかするしかない。
 決して奪われないように握りしめ、胸に当てる。ただひたすらに念じた。
 どこかへ。どこでもいい。
 こんな、しみったれた湖の底で死ぬなんて、死んでもご免だ。
 ぼうっと胸の中心に熱が灯る。ともすれば吐き気をもよおす、慣れた感覚に包まれ、脱力感が身体を沈ませる。
 最初は戸惑うばかりだった力に、いつしかこんなにも、生かされていたのか。
 自分が自分でなくなるような、無理矢理引き剥がされるような心細さに襲われ、何もかもが遠ざかっていく。
 混濁する意識の中、最後に何故か、こんなことを思った。



 ――ああ、またあいつの泣く顔、見ちまうのかな。