地涯の決戦 3



 青葉そよぐダーマの高地を離れ、ラーミアにまたがり上昇すると太陽光線を直に浴びた。地上とはうって変わって、空の旅は風当たりが強く意外と肌寒い。
 アルトはなびく外套を押さえつけ、山道に沿って下降するラーミアの鶏冠越しに前方を見据えた。黒い雲のかたまりが、不規則に変形しながらこちらを目指している。
「早速、バラモスのもてなしか」
 唾を飲み込み、目をすがめ様子を探る。
 かたまりの正体は、主に魔鳥属とギズモ属。ぎゃあぎゃあと威嚇を放っているのがカラスの魔物デスフラッター、ギズモは三種類が勢揃いしている。
「アルト君! 後ろからも来てる!」
 モエギに注意を喚起される。ダーマの北部に生息するタカの魔鳥、ガルーダがけたましい鳴き声を上げながら群れを成して追尾して来た。挟み撃ちだ。
「ジャック、後ろの奴らを!」
 視線を定めたまま指示を与えたが、明確な応答がない。頭を巡らせると、ジャックはラーミアの背にしがみついたまま真っ青になっていた。サーラも同様に振り向き、発破をかける。
「しっかりしろ! ラーミアがむやみに私たちを振り落とすと思うか!」
「それは分かってるけどよ!」
 駄々っ子のように反発するジャックに、モエギも焦燥感を募らせた。
「もう! あたしやサーラは接近戦じゃないとだめなのに! こんな時くらいちゃんとしてよ!」
「ここだとちゃんと出来ないっ! 高い所だけはムリっ!」
 寛容なアルトでも、うんざりする言い分だ。突っ込みを入れる余裕もなく、魔物の群れはみるみるうちに攻め込んで来る。
「サーラ、モエギ! 前方は俺が蹴散らすから、襲って来た奴らを頼む!」
 声が上がり、アルトは魔法の構成を編み始めた。胸の奥で火花が散る。
「ベギラマ!」
 放たれた炎の渦が、先鋒のカラスたちを大蛇の舌となりなめ取る。反撃の隙を与えずもう二発ぶつけると、あおりを食らったギズモたちもたちまち霧散していく。取りこぼしや、炎に耐性のあるヒートギズモが勢い任せに突進してきたが、ラーミアが右手に反れて振り切る。
 数は多くとも、並の魔物は巨鳥でもあるラーミアの方向転換に対応出来ない。反面、ガルーダの騒ぎ立てる声は近付く一方だ。
 容赦なく風がぶつかり、頬がすり切れそうだ。いくらラーミアにその気がなくとも、油断すると落下もあり得る。誰もジャックを責めるどころではなくなった。
 後方で、アルトが放ったのと同じ火炎がほとばしった。降り注ぐ熱波が迫った瞬間、純白の両翼が矢羽のようにしなった。ごう、と耳がちぎれそうな風が起こり、たちまちガルーダが発動したベギラマの炎が押し返され、断末魔の叫びが耳をつんざく。
 火煙に紛れて焦げ臭い匂いがしたのも束の間、ラーミアは低空飛行となった。木立が一斉になびき、青臭く匂い立つ。
 難を逃れた残りのガルーダがいきり立って特攻を仕掛けてくるが、サーラとモエギが応戦し撃破する。ジャックも手の届く範囲内であれば最低限の仕事をしてくれた。
 ダーマへの山麓に到達すると、ラーミアは急上昇し再び舞い上がった。ぐんと臓腑から持ち上げられ歯を食いしばる。皆で支え合いながら、必死にラーミアの背に掴まった。
 戦闘状態とはいえ、生後間もない神鳥の飛び方とは思えない。やはり、古の遺伝子が脊髄反射となって表れるのだろうか。
 絶えずジャックの悲鳴が付きまとうものの、ラーミアは速度を保ったままだ。旋回していくらもしない内に、バハラタの広大な平原が眼下に広がった。若草の鮮やかさが染み入るようだ。
 そのまま、ネクロゴンド地方へと進路が変わる。西の空は大気が暗く沈んでおり、稲光が青く走っている。耳元でサーラがうなった。
「バラモスの膝下ともなれば、ますます手荒い歓迎になりそうだな……」
「ああ。ラーミア、俺たちも出来るだけ魔物をやっつけるから、手薄になったら頃合いをみて城の上に降りられるよう、上手くやってくれ」
「ひいーっ! お願いラーミア、オレには優しくしてっ!」
 もはやジャックをなだめられる者はおらず、モエギの一喝すら響かなかった。めくれた唇の皮を湿し、アルトは前屈みに目を凝らした。
 初めてラーミアに乗せてもらった時の速度で算段していたが、この調子だと陽が昇りきる前にネクロゴンドに着きそうだ。粉をふいた頬を拭い、後ろの三人に態勢を整えるよう指示した。
 陸地を後にすると、魔物の襲撃は数時間の間途絶えた。しかし海面を横切り、物々しくそびえる岩山の先端がはっきり見えてきた頃、フロストギズモの大群が待ち構えていた。集合体でとらえると積乱雲のように渦巻いている。
 奴らは徒党を組み、ヒャダルコと冷たい息をこちら目がけて放ってきた。直撃するとひとたまりもない。冬に逆戻りしたような大寒波が押し寄せ、まともに目を開けなくなった。
「ラーミア!」
 アルトが叫ぶと、ラーミアは垂直に飛び、空中に浮かぶと二、三度両翼を激しくばたつかせた。一際大きく大気を抱くと、無数のフロストギズモに向けて解き放つ。
 しなやかな両翼から生み出された突風は竜巻となり、沿岸付近で瞬く間にフロストギズモを絡め取った。だが、このままでは竜巻自体が脅威となる。
 唐突に、ラーミアが天を仰ぎ高らかな鳴き声を上げた。
「えっ、ラーミア何?」
 モエギが動揺を露わにするが、アルトにはラーミアが何を言わんとしているのか分かった。息を切らしながら喉を振り絞る。
「ジャック! あの竜巻にイオラをぶつけるんだ!」
「マジかよっ!」
 絶望に似た叫びが返ってくる。ラーミアが急下降した。
「ジャック、私につかまれ!」
「あたしも落ちないように支えてあげるから!」
 サーラとモエギの切迫した声。全身を尖らせラーミアは突っ込む。
 竜巻の餌食になる寸前で、詠唱が届いた。
「イオラっ!」
 衝撃波が凶悪な竜巻を突き破り、大爆発が地表を揺るがした。海上も氾濫し、波しぶきが岩山にまで降りかかる。
 潮のきらめきをまとった翼は息つく暇もなく、一直線に双子の湖を目指す。
 雷鳴轟く曇天の下、バラモスの根城を見張っていた魔鳥たちが飛び交っている。ガルーダの上位種、ヘルコンドル。人ひとりをゆうに超える全長があり、執念深い気質だ。確認出来るのは、丁度五匹。
 アルトは背負った鞘から剣を引き抜き、手前に構えた。
 剣山のように連なる寒々しい山を越えると、ぽっかりと口を開けた大穴がはっきりと見て取れた。魔鳥たちは耳障りな怪音を立てながら、城の尖塔を離れ襲撃を開始した。
 先頭の一羽が鉤爪で踏みつけようと降下する。アルトやサーラが剣を振り回し受け流そうと試みるが、続々と頭上に仲間が群がり、たちまち防戦に徹する。
「このっ! ちょこまかしないでよっ!」
 リーチの短い爪を振り回すモエギはあからさまに苛立っている。ラーミアの動きも鈍くなり、これでは城に降り立つこともままならない。
 アルトは試しにベギラマを剣に宿し振りかざしてみたが、魔鳥はひるむことなく鋭いくちばしでつついてくる。火に耐性があるのかもしれない。
 サーラのかけ声が上がり、すぐ背後でずぶりと肉を貫く音がした。細剣の方が小回りが利くらしい。
 一羽の魔鳥が鳴きわめき戦線を離脱するが、羽根が散る隙間から、ヘルコンドルとは別の色をした魔鳥が見えた。赤紫色の派手な魔鳥の翼から、魔法の波動が放たれる。
 視界を遮る魔鳥を薙ぎ払うと、退いた手負いのヘルコンドルが勢いを取り戻し飛びかかってきた。
「ぐっ!」
 アルトはとっさに顔面をかばったが、鋭い鉤爪に頬を引っかかれ焼けつくような痛みがほとばしる。
 どうやら回復魔法を扱う司令塔がいるようだ。この不安定な状況ではらちが明かない。アルトは懸命に声を張り上げた。
「ラーミア! 何とか城の屋上まで近付いてくれ!」
 翼を痛めつけられていたラーミアは、やってみる、というように鳴いた。
 両翼を翻し、突風を起こして魔鳥たちをひるませた隙に抜け出す。右へ左へと傾き、追ってくる魔鳥を翻弄しながら湖上を舞う。身体中が蒸しており、冷や汗なのか脂汗なのか、よく分からないものが滴り飛ばされていく。
 ぐるりと城の上空を回り向き直ると、ラーミアは竜巻を起こした時と同様に、総攻撃を仕掛けてきた魔鳥たちに暴風を浴びせた。刃のような輝きをまとった真空が魔鳥を切り刻む。僧侶が得意とする、バギの魔法に酷似していた。
 反撃を食らった魔鳥たちは激昂している。すると、また一羽だけ異なる魔鳥が上昇し、治癒を施そうとする。
 まずい。考える間もなく、アルトは息を吸った。
「ライデイン!」
 うごめく雲の切れ間から一筋の雷光が走り、司令塔を串刺しにした。黒焦げになった魔鳥は力を失い、たちまち淀んだ湖に落ちていく。
 怒り狂った残りの四羽が即座に向かってくる。気付けば、周囲は降水で満たされていた。
 雨風は鳥類にとって不利となる。炎が効かないなら――
「ヒャダイン!」
 言わずともアルトの意図をくんだジャックが、冷気の嵐を呼び起こした。暴風雨は氷刃と化し、全方位から魔鳥を弄び蹂躙する。
 嵐が止むと、血に濡れた羽根がひらひらと漂っていた。姿が消え失せたことから、軒並み吹き飛ばされたか、どこかに墜落したのだろう。
「どうだ……鳥ども」
 雨混じりに、荒いジャックの息遣いが微かに聞こえた。
 何とか城の屋上に足を降ろした時には、皆傷まみれだった。幸い魔物の姿はなく、アルトは剣を収め先頭の頂にとまった神鳥を見上げた。
「ラーミア……」
 薄闇の下でも尚、幻想的な雰囲気を醸すラーミアだが、強行軍による疲弊は隠せないらしく、胸の辺りを大きく上下させている。アルトたちと同じく、ラーミアもまた度重なる迎撃により傷を負っていた。
 ここに留まっていては、他の魔物が黙ってはいないだろう。バラモスは必ず神鳥を排除しようとするはずだ。
 一行を背に乗せ、無垢な身体いっぱいで共に闘ってくれたラーミアは、胸中で何を思うのだろう。
 そっと、腕を撫でられた。視線を移すと、汚れた白肌をそのままに、サーラが寄り添うように立っていた。
「ありがとう……。お前のお陰で、私たちはようやくここまで来れた。あとは、私たちの仕事だ」
 アルトよりも主らしく、サーラは真っ直ぐにラーミアを仰ぐ。
「お前はレイアムランドに帰り、傷を癒せ。そして、私たちがバラモスを討った時、迎えに来てくれ」
 確かな口調で命じたサーラに対し、ラーミアがうなずいたような気がした。ゆっくりと、尖塔を離れる。
「ラーミア! 絶対、あたしたちバラモスを倒すから! 待ってて!」
 モエギも飛び出て、つま先立ちになり言い募る。ジャックもその隣に並び、唇を引き結んでラーミアを見つめた。
 新雪のような翼をはためかせ、ラーミアはきゅるる、と鳴く。そして本来の優雅な姿で南に飛び去っていった。
「……あいつ、何て言ってた?」
 くたびれた様子で口を開いたジャックに、アルトは静かに答えた。
「頼んだよ、って」
 ラーミアが残していった風の余韻にしばし浸っていると、いつしか傷の痛みも、運び去られていた。



 かつてネクロゴンドが人間の居場所だった頃、そこはかろうじて国と呼べる程度の小数で成り立っていたらしい。
 西の湖に構えられた城塞は、王城の南側が城下町となっていた。今となっては廃墟と化し見る影もないが、見下ろす限り全体の規模は諸国が有する城下町に比べると猫の額程だ。
 神秘的な威容を誇る佇まいも、魔物の気配に取り憑かれた今は禍々しさばかりが際立つ。自分たちが暮らす場所とは異なり、息苦しく、常に緊張を伴う。
 ようやく飛び込んだ魔王バラモスの庭。そしておそらく、あの男もどこかから自分たちを――サーラを、監視しているはずだ。
 城の外に配備されている魔物たちは既に動き出しており、骸の兵士たちがこちらを警戒しながら続々と中へ向かっている。
「ざっと見た感じ、地上に降りられそうな所はないな。ひとまずそこの扉から城の中に入るか」
 ジャックが屋上の突出部を指し、一行は内部に侵入した。
 一国の王は居城の上階に住まうが、人ならざる存在である魔王には当てはまらないらしい。朽ち果てた調度品が散らばり、くもの巣だらけの荒れ果てた王族の私室には、妖気こそ感じられるものの実体を持った魔物の姿は見受けられなかった。
「さすがに、バラモスはこんな所にいないか……」
 アルトが小さくため息をつく。いつ魔物と交戦してもいいように、各々武器を手にしたまま移動した。
 外に面した回廊に出ると、早速複数の骸の兵士が剣を振るってきた。アルトとジャックがベギラマでひるませる隙に、サーラはモエギと前線に立ち突破口を切り開く。
 王族の離れから本城に移ると、骸以外にもネクロゴンドの洞窟で相手取った魔物が揃い踏みしていた。広間から大階段を駆け上がり一斉に襲いかかって来る。
 先制攻撃を仕掛けてきたのは有翼の魔獣、ライオンヘッドだ。手すりを足場にして飛びかかってきたのを二手に分かれかわす。繰り出される前脚をモエギが鉄の爪で打ち払い、背後からアルトが上段斬りを食らわせる。魔獣は後続の骸を巻き込み転げ落ちた。
「ジャック、私が時間を稼ぐ間にあの魔法を!」
 骨や武具をけたましく鳴らしながら押し寄せてくる骸の兵士を切り伏せながら、サーラは指示を飛ばした。ロイドが率いていた軍勢を一掃した炎が必要だ。
 アルトとモエギも加勢に入り、魔力の高まりが膨れるのを背に受けた。
「そこどけろっ! ベギラゴンっ!」
 飛び退くと同時に、炎の奔流が骸を押し流す。たちまち広間は燃え上がり、鼻がもげるような焦げ臭さが沸き立った。
 こうなっては階下には下りられない。火だるまになりながらしぶとく牙を剥いてくる魔獣を一太刀にし、アルトが素早く脇の通路まで手招きした。石造りの幅狭い細階段を下りると、ほこりまみれの大きなかまどや水場の残る場所に逃げ込んだ。
 台所跡と思われるそこは、メタルスライムによく似た銀色の物体が物陰に見受けられるだけで、凶暴な魔物はいないようだった。それぞれ咳き込み、息を整える。広間から漂う黒煙が天井を覆っていた。
「ったく、もう……。さすがバラモスの根城なだけあるね」
 肩で息をしながら、モエギが額に貼り付いた前髪を払う。サーラは剣を一払いすると、一旦腰に提げた鞘に収めた。首筋がじっとりと蒸していた。
「バラモスは、どこにいるのだ? やみくもに歩き回っては消耗する一方だぞ」
 もはや魔窟と呼ぶに相応しい敷地内で、いかにバラモスの下まで辿り着くか。遭遇の度に闘いに応じていてはきりがない。
「あの感じだと、トヘロスみてえな低級の破邪なんざ虫よけにもならねえしな……」
 ジャックも苛立たしげに頭を掻く。じっと曇った床を見つめていたアルトが、ふいにつぶやいた。
「……下じゃないかな」
 え、と揃って注目すると、アルトは剣の切っ先で床をつついた。
「真下じゃないけど、多分、地下だと思う。下りるにつれて魔物の数が増えていったし、何か……足の裏が落ち着かない感じがする」
 言われてみると、一ヵ所に留まっていると居心地が悪い。地熱のように、妖気が床下に張り巡らされているような感覚だ。
「となると、どっかに地下への入口があるってことか」
 ジャックが睨んだ先には、勝手口らしき扉がある。本城の地下にバラモスがいるとしても、先程の広間が通行不可となったため、正門へ回るなりして別の侵入口を探さねばならない。
 わずかな休息を終えると、細心の注意を払い勝手口から屋外へ出た。
 見張り番をしていた緑の影、ホロゴーストを手早く追い払うと、痩せ細った林をかき分けまずは正門側へ迂回する。だが正面は依然魔物の警戒が緩まず、こちらの五倍の手勢が目を光らせていた。ひとまずあきらめ、奥の方を探る。
 反対側へ向かい、林が途切れる辺りで足を止める。木々の隙間から視認出来たのは、丁度本城の真後ろに建てられた、独立した離宮だった。外観の高さは本城に遠く及ばず、せいぜい地上二階分といった所だ。
 ラーミアの背から見下ろした記憶が正しければ、全壊せず保たれている建造物は三つ。最初に侵入した離れを含む本城、目の前にある離宮、そして敷地内の北東の一角にぽつんと建つ、礼拝堂だ。
 外部の警備にあたっていた兵士たちは軒並み本城付近に向かったのか、こちらは手薄な状態となっている。離宮の扉には骸の衛兵が二体配備されているだけだった。
「どうする? あの感じだと、バラモスがいる線は薄いんじゃないかな」
「いや、あえて突入しやすい雰囲気を醸し出して、罠にはめようって魂胆かもしれねえぞ」
 ひそひそと談義するモエギとジャック。どちらの可能性も考えられる。
「ジャック、そこの建物は元々何のための所なんだ?」
 アルトが尋ねた。ジャックはランシールの神殿を訪れた際、ネクロゴンドに関する文献も調べていた。知識の蓄えは四人の中で最も期待出来る。
 ジャックはしばし思案したのち、口元に力を込めた。
「あそこは……確か、破邪の術の研究所だったはずだ」
「地下はあるのか?」
「あるはずだ。けど、何せバラモスの支配下に置かれて二十数年経ってる。好き勝手に作り変えられてるかもしれねえし、第一オレたちは魔王バラモスってのがどんな奴なのか、未だに知らねえんだよな」
 そうだな、とアルトはため息混じりに肩を落とした。
 魔王バラモスは配下や世界全域の魔物の総指揮を執っているものの、その全容を知る者は皆無だ。自らの表立った侵略はこの世界に現れた時のみで、以来この地で長年に渡り脅威の存在として君臨している。
 それはおそらく、ネクロゴンドが人足や船といった手段では不可侵な土地であり、オルテガのような猛者であっても辿り着けなかった天然の要塞であることが最大の要因だ。
 また、サーラはもう一つ、思い当たる理由を挙げた。
「ここを拠点としていても、遠く離れた場所に忍び込み悪行を働く輩もいる。となると、バラモスは少なくとも、配下の奴らのように化ける術はない。そして、人間の世界において明らかに、異質な姿をしているのではないか」
「つまり、人外ってこと?」
 端的なモエギの結論にうなずき、サーラはアルトとジャックにも目配せした。
「あそこにいるかは分からないが、見当がつかない以上行くしかない」
 顔を見合わせ、相違ないことを確認すると、一気に林を飛び出した。
 総出で衛兵二体を葬り、突入しようとした時だった。覚えのある気配が突如現れ、サーラは辺りに視線を走らせた。
 この、粘つくような殺気。放たれているのは、右手の奥からだ。
 サーラの異変から察知してか、アルトも剣の柄を握りしめた。
「サーラ……あいつが、いるんだな」
 無言で首を縦に振る。心臓から全身にかけて強張っていくが、サーラにとってはバラモス同様、決着をつけねばならない相手だ。怖気づく訳にはいかない。
 神妙な面持ちのアルトたちを振り返り、気丈に告げた。
「奴の所には、私だけで行く。外道な奴のことだ、複数で向かえば何をしてくるか分からない」
「サーラ、でも……!」
 進み出たモエギの肩を掴み、ジャックは口端をつり上げた。
「サーラさん。あの胸クソ野郎の鼻を明かしてこい」
 ジャックらしい発破のかけ方だった。自然と似たような笑みがサーラの唇を動かした。
「ああ。アルト、モエギ。私を信じてくれ」
 アルトはわずかに目を見張った。揺れる瞳を、静かに見据える。
 この身を案じる想いは理解出来る。けれど、それよりも勝利を信じてくれる方が、どれだけ力になることか。
 モエギはまだ何か言いたげだったが、やがてアルトが深くうなすいた。
「分かった。サーラのような人間が、あいつに負けるはずがない」
 いつか、ランシールでサーラの代わりに立ち向かってくれたアルトの言葉を思い出した。
 今度は、この手で自ら因縁を絶ち切る。
 大切な仲間に見送られ、サーラは一人、礼拝堂へと走っていった。



 サーラは細剣を抜いたまま、半壊した扉を押した。
 古ぼけた外観の礼拝堂は、ネクロゴンドの一族が所有していた建物だけあり、祭典や婚礼の際はざっと百人が収まる規模だった。
 しかし、現在は祈りを捧げるための場所ではなくなっていた。
 天井は崩落し、祭壇の周囲はほこりまみれの瓦礫に隔てられている。かつては優美に内部を彩っていたであろう燭台やステンドグラスも、ものの見事に朽ち果て、打ち砕かれていた。
 一歩ずつ足を進め、息を吸いこんだ時だった。
「待ちくたびれたぞ、女」
 背筋に悪寒が走り、サーラは瞬時に飛び退いた。
 通路の先に現れた奴――デラルドの顔に負った火傷の痕はそのままだったが、僧侶の装いでなく、血で染め上げたような衣を纏っていた。
「単身わたしの下にやって来たことは褒めてつかわそう。だが……」
 横柄な口調が奴の本性という訳か。初対面時からの馬鹿丁寧な口調よりはましだ。
 唇を結んだまま対峙していると、デラルドは肥溜めにでも足を踏み入れたように、鼻筋にしわを寄せた。
「その面は何だ。それに、お前からあの男の匂いがする」
 忌々しい、と奴は吐き捨てた。
 サーラは剣を向けたまま、冷徹な瞳でデラルドを睨み据える。血色の悪い唇から、ひきつった笑い声が漏れた。
「そうか、そうか……。お前もとうとう、母親と同じく堕ちる所まで堕ちたか。否、お前は禁忌を犯したも同然。精霊神に対する背信、万死に値する行為をしたのだぞ」
 何を言わんとしているのかは、おおよそ理解出来た。
 言わせておけばいい。一旦構えを解き、サーラは淡々と返した。
「これは、私の推測だが……。かつての貴様は、誰よりもルビスと、精霊神に仕える戦乙女たちを崇拝していたのだろう」
 デラルドは一瞬だけ不可解な表情を浮かべたが、すぐに両の口端をつり上げた。
「そうとも。とりわけ、戦乙女の筆頭であった精霊の娘――お前の母親は、全ての信者にとって絶対的な存在だった」
「ならば、何故母はテドンに? 貴様は母の何を知っている?」
 問い質すと、デラルドは両手を広げ、喉の奥で笑った。
「お前の母親はな、突如行方知れずになり、ようやく居所を突き止めた時にはただの女と化していた! ごく平凡な僧侶の男と寄り添って、お前のような出来損ないを胸に抱いてな……!」
 全身から放たれる憎悪の念に、サーラは奥歯を噛みしめ後ずさった。
 以前の自分なら、罵倒一つで心を掻き乱されていただろう。けれど、奴を焚き付け、くすぶらせている暗い影が、今はまざまざと感じ取れた。
 震えた呼吸を挟んで、サーラは剣の柄を握りしめた。
「貴様は、勘違いをしている。母も私も、貴様が崇めるような聖女ではない。私たちは、本来在るべき生き方をしているだけのことだ」
「戯言を。それこそがわたしのような、敬虔な信者に対する冒涜というもの。そもそも、こうしてあの女に成り代わりお前がわたしの前にいるだけで、悪夢がずっと続いているようなものだ」
 血走った眼が、サーラを通して母を凝視している。吐き気を覚えたが、懸命にこらえ、唾を飲み下した。
 デラルドは袖口に手を差し入れると、寒々しい光を宿した黒い珠を取り出した。すかさず剣を構え直す。
「しかし、この悪夢から生み出したものが、わたしに新たな悦びを教えてくれた。所詮人間など、他者を貶め、踏みにじるのが本性。そうして出来上がった世界を守ろうとするなど、愚の骨頂なのだよ」
 純然たる意志を、魂を呑み込み、狂わせた黒い宝珠。初めて目の当たりにしたが、六つの宝珠から誕生した輝きと比べたら、それは宝でも何でもない。形にしてはいけないものだ。
 心の臓がじくじくと脈打っている。サーラは肩をいからせ、押し殺した声で告げた。
「……貴様は、望みのものが手に入らず、駄々をこねているだけの子供と同じだ」
 デラルドの笑みが消えた。
「……何だと?」
 紛い物の珠を握りつぶす勢いで、静脈の浮き出た手のひらを震わせる。
 奴が母レイラに抱いていた想いは、崇拝ではない。アルトですら見舞われる、最も人間らしい感情だ。
「私は、貴様という存在が悲しい。けれど、許す訳にはいかない。貴様はもう、貴様自身が愚弄した人間の、成れの果てとなったのだ」
 歪んだ顔面にみるみるうちに青筋が走り、デラルドは鬼の形相と化した。
「お前に、あらゆる償いをさせるために生かしてきたが……最早、その必要もない。お前という存在を、血の一滴残さず根絶やしにしてくれるわ!」
 黒い珠が宙に放たれ、砕け散る。内包されていた闇の塊が空中に溶け出し、帯状となってデラルドを侵食した。
 おぞましい妖気が吹き荒れ、礼拝堂を揺さぶる。サーラは息を止め、片腕で身をかばいながら後退した。気を抜いた瞬間に自分自身も取り込まれそうだ。
 熱風に圧され、じりじりと入口まで追いやられていく。片方だけ残っていた扉の金具が外れ、背後で轟音が上がる。本城の外壁にぶつかったのだろう。
 奴はバラモスの参謀と名乗り、知略をもって各地に被害をもたらしていたが、己の怨念を具現化するだけの魔力も持ち合わせている。何を仕掛けてくるか分からない。
 だが、たとえ奴がどのような手段を用いようとも、心は定まっていた。
 確かに、サーラは本来この世に生まれるはずのない存在だっただろう。精霊神にのみ心身を捧げ生きてきた母の、数奇な運命により産み落とされた命。辿って来た光景は、いつの時も美しいとは限らなかった。
 けれど、もう恐れはない。
 腕を降ろし、静かにまぶたを閉じる。自身の身に流れる血の息吹に意識を集中させた。
 轟々と礼拝堂を支配する波動が止むと、サーラは目を開けた。
 群がっていた黒い帯は消え失せ、正面には干からびた死霊のような、異形の男が立っていた。暗紅色の衣は布が余り、あばら骨の浮いた胸元がむき出しになっている。
「くか……くかかかか!」
 デラルドは天井を仰ぎ、奇怪な哄笑を響かせた。
「さあ、かの方から賜ったこの力で、お前を鮮やかな絶望へと叩き落してやろうぞ! ひれ伏せ!」
 ゆらりと底光りする眼孔でこちらを見やると、奴は途端に硬直した。
 この世で最も紅い色をした髪がそよぎ、頬を撫でる。
 サーラは形見の細剣を収め、空になった右手に炎を灯した。
 何一つ呪文も唱えられない自分が出来るのは、これだけ。
 もう一つの剣を構え、飛び出す。
 瞬きする間もなく、炎の剣はデラルドの左胸を一刺しにした。
「あ……あ?」
 衣ごと突き破られ、デラルドはわなわなと胸に手を伸ばす。
 しわがれた指が炎に触れた時、奴は火柱と化し天井を穿った。
 業火は礼拝堂をなめ尽くし、ひび割れ崩壊していく。サーラはすみやかに外へ脱出し、断末魔の叫びごと滅びる建物を振り返った。
 結局、全容を暴くことは出来なかった。全身が震えていたが、不思議と心は落ち着いていた。
「貴様の間違った生を、これで終わりにしてやる。
 だから――二度と、私たちの前に現れるな」
 赤黒く燃え上がる礼拝堂をしばし眺め、サーラはその場を後にした。