地涯の決戦 2



 ダーマ神殿の裏にあたる岩場に着陸すると、あまり人目につかない場所で待つようラーミアに言いつけた。
 誰もが、神鳥の伝承を知っている訳ではない。魔物と勘違いして襲いかかる者が出てくる可能性もある。見た目は立派な成鳥だが、心は生まれたての無垢なままだ。むやみに好奇の目にさらしたくなかった。
 ラーミアが素直に了承すると、一行は大神官ヨシュアを訪ねた。
「神鳥を蘇らせたようだな」
 執務室でのあいさつもそこそこに、来客用の卓を囲み、アルトが深く一礼した。
「宝珠と鍵の件は、ヨシュア様のご助力なしには成し遂げられませんでした。ですが、実際は教えていただいたよりも、遥かに多くの事柄が秘められていました」
 世界中に散らばった英知と、様々な思念が組み合わさった結果、こうして報告が出来る。確かな自信を得たアルトとは相反的に、サーラは心が晴れないままでいた。
 ネクロゴンドの洞窟で、あのおぞましさから逃れるため、意図せず引き起こした力。いくら出生が精霊神ルビスに依存するものであっても、偶発的な力ではいざという時あてにならない。
 ヨシュアならば、何らかの助言をくれるはず。サーラはこれまでの経緯を話した上で、切り出した。
「貴方は初めて私と対面した時から、私がルビスと関係のある者だと悟っていたはずです。その由縁をご存じであれば、私の力をどう生かせば良いのか、ご教授頂けませんか」
 真剣な眼差しを受け止め、ヨシュアは胸元を覆うひげを撫でつけた。
「ふむ……。お前たちももう分かっておろうが、儂も全てを知っている訳ではない。由縁は明確には分からぬが、ルビスは元々炎を司る精霊。いくばくかの恩恵を得ているのならば、そなたが発したのはおそらく、浄化の炎であろう」
「浄化……? ジャックの破邪の力とは、また違うんですか?」
 モエギがジャックとヨシュアを交互に見る。ジャックは半日の空旅が祟ってか、うつむきがちに黙り込んでいる。
「私が、力を発した時は……ある者は化けの皮が剥がれたように皮膚が焼けただれ、ある者はしばらくの間、身動きがままならないようでした」
「その者たちの特徴は」
 サーラは余計な記憶を避け、デラルドとロイドについて説明した。ただでさえ厳めしいヨシュアの目元が、一層曇る。
「となると、その聖職者を装った者は、浄化の余地がある。つまり、本来は人間だったが、邪悪な力に染まっている可能性が極めて高い」
 やはり、元は自分たちと変わらない人間なのか。サーラは肩を落とした。
 逆に、ロイドのような魔の力から造り出された者には、浄化の炎はさほどの威力を発揮しないという。
「破邪の力が相殺だとしたら、浄化とは、一体……」
 アルトが両の拳を固く握る。ひげから放した手を、ヨシュアはひらりと振った。
「端的に言えば、清めるのだ。ルビスは精霊神となった以後、度々浄化の炎を用い、浮かばれない死霊に鎮魂をもたらしたという」
 浄化は、精霊神の慈悲のあらわれなのだろう。ルビスに仕えていた母レイラを憎むデラルドには、それすらも忌まわしいということか。
 あの男は、どこで、道を違えたのだろう。歪んだ笑みが、かつての恋人と重なる。
 故郷を滅ぼした仇であるはずなのに、あの洞穴でくすぶらせていた激情が再び襲うことはなかった。
 だが、あの狂気を野放しには出来ない。奴は執拗にサーラを狙うだろう。
 もう、泣き濡れてアルトの懐に甘えるだけでは、いたくないのだ。
 サーラは顔を上げ、居住まいを正した。
「私は、私の意思で、自らの力を操りたいのです。魔法の心得はありませんが」
「サーラよ、そう気負うでない」
 面食らうと、ヨシュアはにたりと笑い、アルトとジャックを目で示した。
「魔法ならば、身近に手ほどきしてくれる者がいるであろう。この神殿一帯は魔物を寄せ付けぬ。そなたならば、二、三日の滞在中にものに出来るはずだ」
「そうだよサーラ! 修行するにはもってこいの場所だもん!」
 モエギも喜々として両の手を合わせる。アルトに視線を移すと、快くうなずいてくれた。
「大丈夫。俺とジャックがついていれば」
 頼もしい仲間たちに囲まれ、肩の力がふっと抜ける。サーラも微笑み返した。気張りすぎる自分だからこそ、温かな絆に助けられる。
 神殿に戻っているクラリスにも会いに行こうと席を立つと、沈黙していたジャックが片手を挙げた。
「あ、オレ後で行くわ」
 具合が悪いのだと思っていたが、祖父に個人的な話があるのかもしれない。勝手知ったる神殿内であれば気遣いは不要だ。
「じゃあ、またソフィアさんに客室を用意してもらうから、夕食の時に」
 落ち合う約束をして、ジャックを残し執務室を後にした。扉を振り返り、モエギが不安げにつぶやく。
「ジャック、何か……思い詰めた顔してた」
 ジャックのこととなると、途端に感情の落差が激しくなるのは気がかりだ。モエギの肩を軽く叩き、サーラは諭した。
「あまり心配するな。ジャックも、今は十分に自分の立場を理解している。込み入った話があるのだろう」
「それより、クラリスともサマンオサの件以来会ってないだろ? モエギは特に仲良いんだし、久しぶりに色々話したいんじゃないか?」
 今ではすっかり人懐っこくなった少女の顔が浮かんだのか、モエギもあきらめがついたようだ。一階に降り、クラリスの姿を捜すことにした。



「どうした。以前訪ねてきた時までは、締まりのない顔ばかりしておったはずだが」
 二人きりになると、途端にこれだ。年中しかめっ面の祖父に言われたくない、とジャックは内心毒づき、眉間のしわをもみほぐした。それでも常日頃のへらへらした自分にはなれず、用意していた問いをぶつける。
「ジイさん。結界ってのは、どう張るんだ?」
 航海の際、護符に破邪の力を施し魔物を寄せ付けないようにしたこと。また、シリルが結界を張った空間で純粋な心を保っていた魔物がいたことを挙げた。
「ダーマに登って来るまでの山道や、ここより北の方は魔物がウジャウジャいやがる。それでもこの神殿が魔物に襲撃されたって話は聞いたことがねえ。それは、ジイさんがここに馬鹿でかい結界を張ってるからなんだろ?」
 じっと答えを待つと、「成程」とヨシュアはうなずいた。
「お前の魂胆は分かった。やはり、お前はソラリスの息子だ」
 思い出したように、祖父は時折ジャックに母の面影を見出す。話が飛躍する癖は慣れたが、瞬時に理解することは不可能のように思える。
「はいはい、何をおっしゃりたいんですかね」
 苛立ちを露わにしなくなったのは、我ながら成長したと思う。肩をすくめてみせると、ヨシュアは深々とため息をついた。
「正確には、ここに結界を張ったのは儂の力だけではない。ソラリスが、自らの魔力を全て結界に注ぎ込み、ダーマの平和は保持されていた」
 初耳だった。思わず身を乗り出す。
「……全て?」
「左様。その代わり、ソラリスはダーマと決別すると言い張り、言葉通り二度と帰って来なかった」
 母もまた、賢者となるだけの魔力を持った人間だった。それを全て結界に代えたのならば、並大抵のことでは消えない強固なものだっただろう。
 しかし、ネクロゴンドでの話が真実ならば、母が亡くなった時点で結界の力は弱まっているはずだ。それを見越した上で、ヨシュアも結界を張った時に力を貸したと推察出来た。
 母はそうまでして、アッサラームで築いた新しい家族との暮らしを選んだのだ。肉親ながら、何と強情な女だろう。苦笑いしか浮かばない。おのずと、ヨシュアが言わんとしていることを悟った。
「そうか。ジイさんにはお見通しって訳か」
 首をふるふると横に振り、ジャックは口の端をつり上げた。
「オレもお袋と同じように、交換条件で何か企んでると思ったんだろ? お袋程極端じゃねえけど、まあジイさんが思ってるので大体合ってるわ」
「はっきりお前の口から言え。そうでないと承諾のしようもない」
 厳格な祖父には従うしかない。観念し、胸の内を明かすことにした。
「……オレにしか、結界を張れない場所がある。そこをオレたちの祖先がやってきたようにふさぐから、それでオレのお勤めを終わりにしたいんだ」
 ネクロゴンドの火山から見下ろした、底なしの暗い大穴が、脳内で渦巻いていた。
「たとえバラモスを討っても、ネクロゴンドにあるあの大穴をどうにかしねえと、また何かあったらたまったもんじゃねえし。悪い話じゃないだろ、ジイさん」
 ヨシュアは答えなかった。張りを失ったまぶたを閉じ、押し黙っている。
「まさか、オレが賢者としてここに残ってくれるって、期待してた?」
 おどけてみせると、ヨシュアはゆっくり目を開き、静かにジャックを見据えた。
「ジャックよ。それが、お前の生き方か」
 落胆の色はない。ただ、誓いを求める儀式のように問う。ジャックは強気な笑みを返した。
「そうだ。オレは、オレのやりたいように生きる」
 賢者としてダーマに残って欲しいと、引き留められた訳ではない。大神官になれと、言い渡された訳でもない。
 ならば、帰る場所はあの土煙にまみれた、雑多で騒がしい故郷だ。
「だから、教えてくれよ。出来れば、オレが年老いて死んだ後でも、何百年も持続するような結界をよ」



 巨大な白い鳥を見たと人々が囁き交わす間をすり抜け、サーラたちは女性の神官と立ち話をしているクラリスに声をかけた。
「あっ……! 今丁度、あなたたちの話をしてたのよ!」
 神官が下がると、クラリスは再会を喜び、客室で改めて話をした。
 サーラはまず、アルトと二人でアリエルを訪ねた時のことを報告した。アリアハンでテドン復興同盟の仮決定が下されてから、サマンオサにも顔を出していたのだ。
 アリエルはサーラの無事を大層喜び、サイモンとの別れからも立ち直りつつあるようだった。シゲルも気力を取り戻し、セラとケインの相変わらずな仲を聞いて、クラリスは良かったと何度もうなずいていた。
 サマンオサから帰還後、ようやく一人前の賢者として振る舞えるようになったと、クラリスは生き生きとした瞳で語った。勤めの傍ら、次期大神官としての教養を身に付けるべく、今まで以上に勉学に勤しんでいるらしい。
 しかし、クラリスはふいに目を伏せ、こうもつぶやいていた。
 わたしよりも、ジャックの方が大神官にふさわしいのではないか、と。
 普段からジャックの素行を知るサーラは、やんわりと否定した。いくら銀の賢者だとしても、ジャックがそのような生き方を選ぶのは想像し難い。施されてきた教育がそもそも違うと言ってやると、クラリスも苦笑していた。
 クラリスは、長旅の間の様々な出来事に親身になって耳を傾け、来るべき決戦の勝利を願ってくれた。
 夕食は、ジャックの叔母ソフィアが早めに仕事を切り上げ、贅を凝らした食事を振る舞ってくれた。中でも、米や野菜を詰めた鶏肉の丸焼きはいつまでも噛みしめていたくなる程旨味が凝縮されており、あっという間に皆の腹に収まった。
 ジャックも、ソフィアの手料理を絶えず頬張っていたが、ヨシュアと何の話をしたのかは聞けなかった。
 客室は、ぜいたくにも一人一部屋与えられた。サーラは食後、アルトの部屋で香草茶を飲みながら、自らの決意を明かした。
「次に奴と……デラルドと闘うことになった時は、私が奴を討つ」
 二人用のテーブルに付き、お茶をすすっていたアルトは目を見開いた。茶器が音を立てて受け皿に置かれる。
 抗議の眼差しを受け、サーラは気丈に微笑んでみせた。
「こればかりは、お前に頼りたくない。譲らない」
「それは、分かるけど……どうして」
 何故笑っていられるのか、アルトは不思議でならないようだ。サーラは暗い感情を隠し、静かに返した。
「お前は、ディートを私の代わりに、楽にしてくれた。もう、あの時のように、お前に負担をかけたくない」
「負担だなんて……。いくらあいつが仇だとしても、危険すぎる」
「私は、一方的にいたぶられるだけの弱者ではいたくない」
 有無を言わせず遮ると、アルトは口をつぐんだ。
 いつの時も、アルトはサーラに気を配ってくれる。悲しみから遠ざけようとしてくれる。だからこそ、突き刺さる想いが痛い。
「それに、お前に庇護されるがままなのも嫌だ」
 心を鬼にして告げる。結局アルトに守られているだけでは、何のために剣を振るうようになったのか分からなくなる。
 しかし、それ以上にサーラを突き動かすものがあった。
「……あの男に応えてやれるのは、私しかいない」
 途端に顔をしかめるアルトに、サーラは臆することなく続けた。
「人間だった者が、人間を貶める。それはおそらく、人間によって傷つけられたからだ。私にとってのお前のように、あの男を止める者がいなかった。だからこそ、邪悪に染まった」
「そんな……あんな奴のこと、かばうような」
 アルトの瞳が揺らいでいる。そこに垣間見える負の感情が、奴の落ち窪んだ瞳にも隠れていた。
 サーラはアルトの強張った頬に手を伸ばした。駄々をこねる子供のような恋人に向かって囁く。
「憎しみの連鎖は、絶たねばならない。私が自ら終わりにする。私も、お前にそんな顔をさせたくない」
 視線が交錯したまま、沈黙が流れた。
 先に折れたのはアルトだった。厚みを増した手のひらが重ねられ、滑り落ちる。
「……分かった。サーラが決めたことなら、俺はそれを尊重する」
 頑固な口元から、強がっているのが伝わった。本当は心配でたまらないのだろう。そんなアルトの想いがそばに感じられることに、サーラは心の中で感謝した。
 不確かな未来の先に、これからの生き方を描く気にはまだなれない。けれど、どちらかが欠けている絵図だけは、描きたくなかった。



「ジャック、いる?」
 食休みを終えると、モエギはジャックに充てられた部屋の扉を叩いた。昼間にヨシュアと何の話をしていたのか気になるのもあったが、ネクロゴンドへ向かう前に一つ、伝えておきたいことがあるのだ。
 しつこくノックを続けたが、無反応だ。散歩がてら、どこかをほっつき歩いているのだろう。
 神殿は既に閉門している時間だ。夜に外を出歩くのは内部の者でも許されていない。かといって特定の場所が浮かぶ訳でもなく、行き先の検討がつかずモエギは嘆息した。
 一旦自分の部屋に戻って待とう。踵を返した途端、背後から声をかけられた。
「あれ? 何してんのお前」
「わあっ!」
 すっとんきょうな悲鳴を上げ後ずさると、呆れた表情のジャックが立っていた。旅装を解き、寝間着代わりにしている半袖のチュニックとズボン姿になっている。
「ったく、素人のコソ泥かよ。残念ながら、夜食の蓄えはオレの部屋にねえぞ」
「そういう目的じゃない! ただ、ちょっと……話がしたくて」
 視線を外すと、ジャックは不可解そうに首を傾げた。
「まあ、いいけどよ。部屋にいるのも難だし、夜風にでもあたりに行くか」
 あっさりと承諾し、ジャックは執務室の方へ足を向けた。あまり移動時に通らない方向のため、モエギはためらったが、おとなしく後を追った。
 執務室の前を過ぎた行き止まりには、下り階段がある。外部の者は立入禁止だとばかり思っていたが、ジャックは特に気にするでもなく階段を下りていった。
 狭苦しい通路を抜けると、薄明かりが射し込む、小さな中庭に出た。
 ダーマ一族専用の庭なのか、短く刈られた芝生には一揃えのテーブルと椅子が備えられており、丸く石に縁取られた泉が中央にある。水面は月の明かりを受け、揺らめいていた。
 夏とはいえ、高地に居を構えるダーマの夜は涼やかだ。おろしているモエギの黒髪が夜気をはらみ、柔らかくそよぐ。
「オレもあんまり来たことないんだけどよ。クラリスがよく、そこで茶飲みながらくつろいでるらしい」
 へえ、とモエギも指された白塗りのテーブルを眺める。暮らしぶりがうかがえる、ちょっとした憩いの空間だ。
 見上げると、半月の光がおぼろげに望める。あの月よりも、ジャックの髪の輝きの方が綺麗だと思う自分が、どこかおかしかった。
「で、話って何だよ」
 壁際にもたれかかり、ジャックがこちらを見やる。モエギは庭の入口に立ったまま、視線を据えた。
「うん……。あの、ヨシュア大神官と、何の話してたのかなって」
 ふいに、ジャックの瞳が陰った。どきりとして、慌てて取り繕う。
「別に、話したくなかったらいいよ! ただ、気になっただけだから」
「歯切れ悪いな。お前、前からそんなんじゃなかっただろ」
 訝しむだけで、ジャックから明かそうとする気配は感じられない。
「あんたは出会った頃からずっと、秘密主義だよね」
 売り言葉に買い言葉。結局いつもの口喧嘩だ。
「大体な、何でいちいちオレにつっかかる訳? 仲間ってのが何でも開けっ広げに付き合うもんだとでも思ってんの?」
「違う! ジャックこそ、何でそんな冷たいこと言うの?」
 遠回しに好意を寄せられるのを拒否しているのか。はたまた、本気でモエギの想いに気付いていないのか。
 いずれにせよ、一方通行なのかもしれない。ふいに空しくなり、モエギはやけになって言い放った。
「そんなこと言うんならもういい。もう、あんたのことなんてこれっぽっちも心配しない。一人で勝手に好きにすればいいでしょ!」
 ジャックの前を大股で横切り、上の階に戻ろうとすると、手首を掴まれた。
「何よ!」
 振り解こうと睨みつけると、声を失った。
 ジャックが、まるで、母親に置いてきぼりにされそうになった幼子のような顔をしていたのだ。
 たちまち苛立ちが抜け落ち、息を詰めてジャックを仰ぐ。我に返ったように、ジャックはそろりと手を放した。そのまま後頭部を掻く。
「……わりぃ。何か、お前が泣きそうな面したから。オレも大人げなかったわ」
 それはこっちの台詞だ。訳が分からず棒立ちになるモエギに、ジャックはばつが悪そうに話した。
「オレは単に、根掘り葉掘り聞かれるのが好きじゃねえんだよ。でも、お前に心配されるくらい余裕がなくなってるってことだよな」
 視線をさまよわせるジャックは、自らの感情を持て余しているように思えた。いつか、サーラが語っていた言葉を思い出す。
 聡い反面、自分自身の心には疎い。
「……大丈夫?」
 とりあえず、簡潔に問う。ジャックは手を下ろし、何でもないようにひょうひょうと言ってのけた。
「心配すんな。ジイさんとは、ちょっくら今後のことについて話してただけだ。そういや、お前はこの先どうすんだ? バハラタに帰んのか?」
「それは、まだ考えてないけど……あのね、ジャック」
 ジャックは「ん?」と無防備に返す。頬にかかった髪を耳にかけ、モエギは真っ直ぐに目の前の男を見つめた。
「バラモスと、決着がついたら……ちゃんと伝えたいことがあるの。聞いてくれる?」
 何かを確かめるように、二度、瞬きされる。気恥ずかしくなり、モエギはうつむいた。そんなに変なことを言っただろうか。それとも、おかしな顔でもしていたのか。
 返事がないので、おそるおそる目線を上げると、いきなり頭頂部をわしづかみにされた。
「へっ?」
 わしゃわしゃと頭を撫でられ、たちまち顔面に血が上る。抵抗しようと息を吸うと同時に、ジャックに笑い飛ばされた。
「バーカ。何辛気臭い顔してんだよ、らしくねえぞ」
 モエギは乱れた髪を押さえつけ、わなわなと唇を震わせた。人がどれだけ勇気を振り絞ったと思っているのだろう。
「何するのよ!」
 怒鳴り声が中庭にこだまする。獰猛な獣をなだめるように、ジャックは両手を前に突き出した。
「そんな怒んなって。分かった分かった、聞いてやるからよ。これ以上話してたら苦情来るわ、こりゃ」
 寝静まった神殿で、モエギの怒声に驚いて安眠を妨げられる者もいるかもしれない。その辺りはさすがに理解出来たので、モエギも渋々うなずき、客室に戻ることにした。
 廊下へ向かおうと踏み出すと、背中に声がかけられた。
「モエギ。この先のお前には武者修行の旅をすすめる」
 振り向き首を傾げると、ジャックはにんまりと笑った。
「色んな奴に会って、いつか素手で熊を倒せ」
 何を言い出すのかと思えば、妙な提案だ。きっと、ジャックなりの冗談で励まそうとしてくれているのだろう。
「バカじゃないの」
 幾度となく叩いた憎まれ口が、自然と笑顔を引き出してくれた。



 一行は三日程ダーマに滞在し、各々の能力に磨きをかけた。
 ジャックがヨシュアに何やら特訓を受けるというので、サーラはアルトに魔法の扱い方を教わった。元々アルトもさほど魔法に長けてはいないので、勤めの合間にクラリスにも稽古をつけてもらった。
 モエギはというと、一度バハラタの両親に会っておきたいと里帰りしていた。ジャックにもアッサラームに帰らないのか、と尋ねてみたが、決着をつけたらでいいと強情に言い張るのみだった。
 武器や防具の手入れを入念に行い、ソフィアの計らいで薬草などの物資も十分に揃った。
 アルトはネクロゴンドで譲り受けた刃の鎧を纏うと決めた一方で、剣は父オルテガの形見を最後まで使うことにしたようだ。刃の鎧と同様に保管されていた稲妻の剣は、今はなきネクロゴンドの宝物としてダーマに納めた。
 出立の朝は、神殿の裏で迎えた。森林に面した岩場で、一行はクラリス、ソフィア、そしてヨシュアと向かい合った。
 クラリスからは、全員に祈りの指輪という、精神力を回復する希少な宝飾品が与えられた。またソフィアは万が一の時のためにと、キメラの翼を一人ひとりに声をかけながら手渡してくれた。
 太陽が真南に昇る頃には、ラーミアの翼によりネクロゴンドに辿り着くだろう。神鳥が蘇った今、魔王バラモスも満を持して迎撃するはずだ。
 ダーマの結界を抜けた時から、闘いは始まる。
「それでは、行って参ります」
 アルトが頭を下げ、サーラたちもそれにならう。ヨシュアは普段通り、彫像のような顔つきで、返答代わりにうなずいた。
「そなたらに、精霊神ルビスの加護があらんことを」
 厳かに告げると、ジャックに視線が注がれた。
「ジャックよ」
 大神官といえども、やはり孫が気がかりなのだろうか。ジャックが怪訝な表情で身じろぎすると、ヨシュアは一歩歩み出た。
 次の瞬間、ジャックはヨシュアに抱擁されていた。
 サーラたちはおろか、クラリスも呆気に取られる中、ジャックは蒼白になってしまった。
「まあ……お父様ったら」
 ソフィアだけは瞳を潤ませ、微笑ましげに二人を見守っている。ジャックはわめきながらヨシュアを突き放すと、冷や汗を垂らしながらぜえはあと性急な息継ぎを繰り返した。
「ジジイ! 何のつもりだ!」
「この期に及んで爺呼ばわりか。たわけが」
 知るかよ、などと悪態をつきながら両腕をさするジャック。見事な鳥肌が立っていた。
「大神官様なりの、愛情表現……なのかな?」
 つぶやいた拍子にジャックに睨まれ、モエギが苦笑する。緊張がほぐれ、ささやかな笑いが起こった。
 全く掴めないヨシュアの心情だが、どこか茶目っ気があり、この老人なりにジャックを可愛がっているのだろうと思えた。
「必ず、四人揃って帰ります。どうか、待っていてください」
「もちろんよ。サーラさんたちも、ご武運を」
 クラリスの華奢な手をサーラも握り返し、微笑み合った。
 故郷が滅びても、帰る場所はある。
 そしていつか、灰色の森は再び人々の息吹で緑を取り戻す。
 決戦の先にある未来を手にするため、一行は空へ発った。