最後の銀 勇気の意味 5



 一行はルーラによりアッサラームまで転移し、一旦帆船が停まっている港に戻った。舵手のダンに労われ、サーラにはここぞとばかりにむさ苦しい乗組員たちが群がり、無事を喜んでいた。
 冒険者用の宿で部屋を取り、男側の二人部屋にて六つの宝珠を卓上に並べる。念のため、窓は用心深くカーテンで閉ざした。
 全ての宝珠が揃った。しかし、個々の輝きは並べた途端、シリルが指摘した一色を弾く。色彩豊かな他の五つに比べ、青の宝珠は憂うつそうに縮こまっていた。
「青の宝珠は、勇気だっけ。おかしいよね、アルト君が一人で手に入れたものなのに」
 卓上を囲み、モエギが口を尖らせる。すっかり元の生気を取り戻したモエギは、ホマホマに直接お礼を言いかったと残念そうにしていた。
「確かに、あれは勇気を試される絶好の機会だったな。その力が呼び起こされてねえってことは、何か弊害があったんだ。そうだろ、アルト」
 図星をつかれ、アルトは答えに窮した。気遣わしげにサーラが顔を覗き込む。
「アルト、シリル殿は最後に何と言っていた?」
 視線が集まり、ますます肩身が狭い。思い当たる節があるからこそだ。
 祠を後にする際、シリルはアルトだけに、こう言い残した。
「……心を尽くせ」
 噛みしめるようにつぶやく。モエギが不可解な面持ちで青の宝珠を見つめた。
「それだけ? そんなこと言ったって、アルト君は十分」
「妥当だな」
 遮ったジャックの一言が、重くのしかかる。目で促され、アルトは卓上に両手をついた。
「結果じゃないんだ。今までどれだけのことをしてきたとしても、俺はどこかで相応しないって判断されたんだ」
「しかし、お前が真の力を引き出すとは限らないだろう? ジャック、アルトでなくても良いのではないのか?」
 サーラの心配りも空しく、ジャックは即座に否定した。
「いや、こればっかりはアルトの問題なんだわ。他の宝珠はともかく、青の宝珠は長い間誰の手にも渡ることなく安置されていた。あの神殿に入れるのは地に許されし者、つまりは勇者だ。この宝珠は、まだアルトを認めてねえんだ」
「ジャック!」
 容赦ない言葉の数々にモエギが抗議しようとするが、アルトは深くうなずいた。
「そうだ。俺が、やらなきゃいけないんだ。じゃないと、神鳥は蘇らない」
 握った拳が震えるのを、サーラとモエギが心配そうに見やる。
 理由は明らかだ。地球のへその最深部で言い張った決意に反し、サーラがさらわれたことで簡単に平常心を失った。あの男がサーラをいいように扱うのを目の当たりにして、怒りをむき出しにした挙句返り討ちにされた。
 そんな自分に、この宝珠が求めるものは見出せない。
 沈黙が滞る中、ジャックが青の宝珠以外を手際よくしまった。ついでに軽く肩を叩かれる。
「まっ、何とかなるだろ。あんまり思い詰めんな」
 白い八重歯を覗かせるジャック。モエギもそうだよ、と明るく振る舞う。
「悩んでも仕方ないよ。無事にサーラも助けられたんだから、今日はゆっくり休んで、明日また四人で話し合おう?」
 うなずき、隣に立つサーラを見やる。面やつれした顔に、胸が痛む。
「大丈夫だ。お前は諦めないだろう?」
 柔らかな表情を目にすると、改めてこの笑顔が消されなくて良かったと思う。サーラこそ辛い期間を過ごしただろうに、弱音を一切吐かずいたわってくれる。
 仲間のありがたさは同時に、牽引する立場の自分に、さらに疑問を投げかけるのだった。



 その晩は、一向に眠気がやって来なかった。
 普段は寝つきの良いアルトでも、今夜ばかりはすうすうと寝息を立てているジャックがうらめしい。寝返りを打ち、薄手の毛布をかけ直す。じっとしていても、こめかみや襟足が汗ばんだ。
 宝珠は、所持者の願望や能力に呼応し、それを最大限に増幅する。かつてクラリスが教えてくれたが、すなわちその現象が真の力を引き出すということだったのだ。
 無垢な輝きを纏った五つの宝珠は、いずれも所持者の心からの意志、願いに応えた。アルトも、彼らに劣らない信条をもっているはずだ。
 何が、足りないのだろう。寝床でじっと考え込んでいても、煮詰まるだけだった。
 少し夜風にあたろうと毛布を跳ね除け、アルトは相部屋を出た。
 冒険者用の宿は部屋数が多く、廊下は狭い。板張りの床は宿泊客が持ち込んだ泥や砂ぼこりのしみが馴染んでしまっている。
 突き当たりの窓からは、ちらほらと夜街の明かりがうかがえる。酒を飲み歩く男たちの陽気な笑い声、客引きの女の喧騒。外をうろつく気分にはなれない。
 おとなしく部屋に引き返そうとした時だった。別の部屋から、寝間着姿のサーラが姿を現した。磨いたような肌が夜目にまぶしい。
「……眠れないのか? アルト」
 うなずくと、サーラは私もだ、と苦笑いした。窓辺にやって来る。
「何日もあの洞窟に閉じ込められていたせいで、昼夜の感覚が変になってしまった。身体もなまっているし、しばらくはモエギと手合わせでもしようかと思ってな」
 窓の脇に灯るランプに照らされた横顔は、疲労の色が濃かった。人々が営む日常に戻りきれていないサーラの様子に、はっと胸を突かれた。たちまち自己嫌悪が募る。
 自分のことばかり考えていた。サーラの方がずっと、心細かっただろうに。
 たまらず、細長い手を取っていた。
「サーラ……正直に言ってくれ。本当に、あいつに何もされなかったか?」
 サーラは簡単に弱さをさらけ出す真似はしない。それがアルトの逆鱗に触れることであれば、尚更だ。だからといって、心の奥底に傷を隠して欲しくない。
「俺に話すのは辛いかもしれないけど、サーラが何の理由もなく捕まったはずがない。どんな話でも、聞くから」
 紅の瞳が、儚く揺れた。もう片方の手でアルトの手の甲を包むと、サーラは唇を解いた。
「……あの男は、私の母の代わりに、私を憎んでいる」
 強く握り返すと、サーラも手の力を強める。うつむきがちにサーラは続けた。
「詳しいことは、私にも分からない。だが、奴は私の母に恨みがあって、テドンを滅ぼしたのだろう。けれど母はもういない。奴は怒りの矛先を、私に向けるしかないのだ」
 知ってしまったのか。奴の凶行をひた隠しにしていたのは、幸い責められなかった。
「でも、サーラの母さんはもう、ずっと昔に亡くなっているはず。何故今更テドンを……」
 そもそも、あの男は何者なのか。それを知るには、再び相見える必要がある。
 サーラはアルトの手をさすり、視線を上げた。
「これは、私の推測だが……。あの男は、精霊神ルビスの敬虔な信者だったのではないかと思う」
 サーラはぽつぽつと、捕らわれていた間のやり取りを打ち明けてくれた。
 奴は大多数の信奉者に口伝されていない、アルトとアリエルの先祖についても知っているような口振りをしていたという。アルトをも忌まわしい者と見なしたのは、ルビスと特別な関係にあった者の末裔だからではないか、と。
 あの男の狂気が自分にまで向けられているのは、空恐ろしい。それ以上に、全てを語ったのではないにしろ、あの男の仕打ちは黙って耳を傾けているだけで憤りに震える。今はどうしようもないと、アルトは必死に耐えた。
 それでも滲み出る嫌悪感を察してか、サーラは一呼吸置くと、そっとアルトを抱きしめた。ふわりとした髪が頬や首元にかかり、花のような香りに身体の芯が熱くなる。
「すまない、アルト。私があの男にテドンの復興を持ちかけられ、つい心を揺さぶられてしまったのがいけなかったのだ。私は大丈夫だから、今は青の宝珠のことに専念してくれ」
 ぎこちなく頬に口付けると、サーラはうっすら微笑み、部屋に戻っていった。アルトは茫然と、淡い紫の髪が扉に吸い込まれていくのを目で追う。
 余韻に浸るどころではなくなっていた。思わぬ所から、すきま風が流れ込んでくる。
「……俺は」
 本当に、自分のことしか考えていなかった愚かさを、呪った。



 翌朝、アルトは日の出と共に起床すると、手早く身支度を整えた。ろくに眠れなかったが、かえって意識は冴えていた。
 ジャックたちは無理矢理起こさず、四人揃って食堂の席についた所で、アルトは宣言した。
「これから、俺はアリアハンに行く」
 朝食は羊肉や野菜をはちきれんばかりに挟んだパンだ。満面の笑みで頬張ろうとしたモエギが、大口を開けたまま静止した。ジャックも片眉を上げる。
「そりゃまた、急だな。全員でか?」
 アルトはいや、と首を振り、サーラを真っ直ぐ見つめた。
「サーラだけ一緒に来てくれればいい。数日で戻って来るから、ジャックとモエギは今後の準備をしたり、ゆっくり過ごしてて」
 サーラは見当がつかないようだったが、有無を言わせないアルトの態度に素直に従った。モエギが咳き込みながら、甘酸っぱいジュースに手を伸ばす。
「あたしたちは、別にいいけど……アリアハンに何か用事があるの? アリエルの所には行かないの?」
 サマンオサで、ろくに別れの挨拶も出来ずに立ち去ったのだ。再度出向かなければ、アルトも居心地が悪い。用事が終わったら行くと返すと、ジャックはにやにやとパンをかじった。葉野菜の小気味良い音が鳴る。
「ま、いいんじゃねえの。オレたちは適当にやってっから、楽しんでらっしゃい」
 婚前旅行にでも送り出すような口調だ。サーラは照れたようにむっとしていたが、アルトは笑顔でうなずいた。



 アッサラームからの移動はジャックのルーラに頼り、若干文句を言われながらもアリアハンの正門前で見送った。戻る際はキメラの翼を用いる。
 空高く城下町を見守る太陽を見上げると、木々の生き生きとした緑が飛び込んでくる。色濃くまだらな影を落とす大通りは、撒かれた水が光を弾き、きらめいている。
 どんなに離れて過ごしていても、ひとたび故郷へ帰ると馴染んだ光景に心が和む。世界へ旅立ち、初めてアリアハンの地を好ましく思えた。
 町中を流れる小川で水遊びをする子供に目を細め、アルトはサーラを連れて王城に向かった。
 国王との謁見は夕時前となり、その間はルイーダの酒場に顔を出した。
 酒場の面々はほとんどが出払っていたが、何人かと顔を合わせ近況を話していると、ルイーダがカウンターを乗り越えて現れた。
 すっかり怪我も癒えたようで、ルイーダにアリエルやシゲルのことを伝えると、女主人は心底ほっとした笑みを浮かべていた。アルトの代理として訪ねてきたクラリスからも話を聞いていたそうだが、サイモンの死後のことは知らなかったらしい。
 アリエルたちが落ち着いたら、ルイーダのもとを訪ねるよう言付けると約束して酒場を後にした。実家にも一旦帰り、母や祖母と団らんのひとときを過ごすと、指定の時刻に王宮にて謁見となった。
 今回はごく個人的な拝謁となるため、応接室に通される。アルトとサーラを迎えるなり、アリアハン国王はぱっと晴れやかな笑顔を見せた。
「久しいな、アルト! サマンオサでの件、真にご苦労であった」
 直接報告が出来なかったことを詫びると、国王は気にせずとも良い、と朗らかに笑う。
 布張りのソファに腰を下ろし、まずはサマンオサを経ってからの旅路について話した。国王からはサマンオサとの国交が復活したこと、アリアハンであぶれていた若者や冒険者などを積極的に派遣し、働きを評価されていることが聞けた。
 父オルテガとサイモンの縁が、双方亡き後もこうして息づいているのが有り難い。たとえ遠戚でなかったとしても、同じ志を持った二人が出会う運命は揺るがなかっただろう。
 国王は不毛の地と化したネクロゴンドの有様を憂慮すると共に、オルテガ最後の地である火山を越えたアルトを称えた。
「いよいよ、決戦が近いということだな。ところで、今日は他の件で訪ねてきたと聞き及んでいるが」
 アルトは居住まいを正し、一つ深呼吸をした。
「陛下。魔王の手により脅かされたのは、ネクロゴンドやサマンオサだけではありません。この女性、サーラの故郷は、昨年の秋魔王の配下により滅ぼされました」
 サーラはおろか、国王、控えている兵士たちも一斉にアルトに注目した。国王は腰を浮かせ、サーラに目を見張る。
「何と……。確かに、ポルトガ国王からテドンという村が甚大な被害を受けたとは耳にしていたが……。よもやそなたが、テドンの出身だったとは」
 アルトには何かと目をかけていても、仲間、しかもサーラやモエギのような一介の冒険者でしかなかった者まで、国王は気に留めないだろう。サーラは膝の上で固く拳を握った。
 はやる気持ちを抑え、アルトは直訴した。
「テドンは、ネクロゴンドと同様、人々の営みそのものが奪われました。俺は、もう一度テドンを復興させたいのです。そのために、アリアハンを盟主国とする、テドン復興同盟の結成を提案いたします」
 サーラの眼差しが、毅然と正面を向くアルトに突き刺さった。
 ざわめく兵士たちを静め、国王はソファに深く座り直す。気さくな若き君主の表情ではなくなっていた。
「盟主国が我らというのは、どういった理由か。申せよ」
 いくら父の恩恵があろうとも、アルトにはまだ国王に申し立て出来るような権限などない。そんなことは承知の上だ。
「厳密には、盟主となるのは俺です。俺がアリアハンの一国民であるため、盟主国がこの国になるだけのことです」
「アルトよ。そなたの提案は大いに結構だ。しかし、そのようなことは己の目的を果たし、名実共に父を凌ぐ英雄となってから申せ。身の程をわきまえよ」
 相手は、かつて世界を統べた国の現国王だ。更には、改めて父の存在に圧迫される。サーラが怖々と腕を掴んだ。
「アルト。陛下の仰る通りだ、魔王を討ってからでも」
 やんわりサーラを退け、アルトは国王を見据えたまま言葉を連ねた。
「俺はこの目で、テドンの惨い実情を目の当たりにしました。あの時、俺はようやく、バラモスを討つ決意を固めたのです。ここで身の程をわきまえて引き下がるようでは、父を超えることなど出来ません」
 サーラが恐縮して身を引いた。不敬ともとれる言動に、年嵩の兵士が肩をいからせる。それを目で制し、国王は大きく息をついた。
「盟主は、強固な意志だけでは務まらぬ。直に惨状を知ったのであれば、考えなしに申し出た訳でもあるまい。そなたが盟主となった暁には、どのようにして復興を目指すつもりか」
 一つうなずき、アルトは昨夜から考えていた展望を話した。
「同盟国として最たる国は、テドンと定期船の行き交いがあったポルトガです。同じく魔王軍による被害を被ったサマンオサも賛同してくれるでしょう。更にはテドンがネクロゴンドの膝元にあったことから、ダーマ神殿にも協力を仰げます」
 幸い、アルトは挙げた国などの主と全員面識があり、懇意でもある。直接同盟への加入を説くことは難しくはない。
「まずは調査員を派遣し、村周辺の安全の確保や、地質の変化などを調べる必要があります。調査員は主にポルトガの者から募り、集落としての再建が可能であれば、どのような村にするかを熟慮します。その際には、彼女の希望を尊重したいのです」
 勝手に話を進め、サーラには申し訳ない気持ちもあるが、ここで言い淀んでは侮られる。
「意見がまとまり次第、住民を集めねばなりません。同時に、村の出身者が他にいるのであれば復興を知らせる活動も行います。人を集めるには、スー大陸の東部に開かれた新興地が参考になります。あとは」
「アルト、もうよい」
 遮った国王は、力なく首を左右に振り、苦い笑みを向けた。
「そなたが、そこまで頭の働く者とは思わなんだ。私も国務やサマンオサの援助にばかりかまけて、世界を見渡すことをおろそかにしていたようだ」
「それでは……」
 国王は大きくうなずき、兵士の一人に伝えた。
「外務担当と、ソイを呼べ。テドン復興同盟の結成にあたり、今晩食事会を行う」
 既に応接室は黄金色の陽射しで満たされている。命じられた兵士は慌ただしく退室していった。
 鎧が鳴る音が遠ざかると、国王はアルトとサーラに目配せした。
「食事会には、無論そなたたちも出席するのだぞ。それと、同盟の活動はこちらに任せよ。なに、そなたの提案を横取りはしまい。あくまでそなたたちは、魔王討伐に専念せよ。盟主としての実働は、それからでも遅くはない」
 うなずきかけた表情は、やはり温情溢れるものだった。アルトとサーラはその場にひざまずき、一心に頭を垂れた。



 その晩は外務担当の文官や、はるばる城下町に出てきた元政治顧問のソイを交え、国王との食事会が開かれた。
 改めて同盟のことを説明すると、恰幅の良い文官は感心しきりだった。ソイは愉快そうにパイプ煙草をふかし、鼻眼鏡の奥で目を細めていた。
 翌日、他の臣下たちも交えて会議を行い、仮の決議をするという。それまでは王城にて待機するよう命じられ、サーラはアルトとそれぞれ客室に泊まることとなった。
 湯浴みを済ませ、ほのかに色づいた肌に絹の寝間着がひんやりと心地良い。侍女が気を利かせ、鎮静作用のあるハーブティーを淹れてくれた。
 ふかふかとした天蓋付きの寝台に腰かけ、お茶を味わうと、サーラは国王と対話するアルトを思い返した。
 旅立って間もない頃、アルトの出来すぎている振る舞いが度々鼻についた。優等生然としているくせに、中身が伴っていないアルトに失望したこともある。
 しかし、今日のアルトは堂々としていた。国王や国の重臣にも物怖じせず、盟主としての真摯な姿勢を頑なに貫いていた。
 昨日までは、あんなに自責の念に駆られていたのに。微苦笑して、サーラはアルトの姿を、声を反芻する。
 気付けば、飲みかけのお茶を放り、隣の客室の扉を叩いていた。アルトは快く招き入れてくれた。
「話すのに精一杯で、せっかくのごちそうもあんまり味わえなかったよ」
 くつろいだ格好で、いたずらっぽく笑うアルト。サーラは窓辺に立つ青年に歩み寄った。
「……何故、急にあんな提案を持ちかけた?」
 笑顔が消えた。咎めている訳ではないと証明するべく、サーラはゆっくり尋ねる。
「私は、そんな大それたことは考えていなかった。それに、今はもっとやるべきことがあるはずだろう?」
 廃墟と化した故郷の復興は、嬉しくないはずがない。諸国の援助を得ることが出来れば、まさに願ったり叶ったりだ。一方で、アルトばかりが責務をしょい込んでいる気がしてならなかった。
 ただアルトと一緒に過ごしたかったのに、出てくるのは説教じみた言葉ばかりだ。
 アルトはこちらに向き直り、一言だけつぶやいた。
「……ごめん」
 手を伸ばせばすぐに届く距離に、アルトの沈痛な顔があった。いつの間にか、自分がわずかに見上げる側となっている。体温を間近に感じるだけで胸が絞られた。
「俺が、一番先に気付けたら良かったのに。サーラがだまされてしまうくらい大事なことが、俺には考えもつかなかった」
「もしかして、私があの男の話をしたから、同盟のことを思いついたのか?」
 たちまち、アルトの顔が怒りとも悲しみともつかぬ形に歪んだ。しかしすぐに、危うさは振り払われる。
「うん。俺は気付かないうちに、サーラを失いたくない気持ちに支配されていた。だからあいつにも弱みにつけ込まれたし、そんなんじゃ宝珠に見放されて当然だ」
 自嘲めいた笑みを口端に滲ませ、アルトはでも、と言葉に力を込める。
「失わないためじゃない。サーラのために、これからのために、今の俺が出来ることをしようって決めたんだ」
 淡々と、穏やかに告げたアルトに、サーラは目が覚める思いがした。
 ランシールの神殿で、自分はこのままでは駄目だとうなだれていたのに。
 自分自身との闘いの末、答えを見出したアルトは、今までにない新たな活力をみなぎらせていた。
 混じりけのない心を持った青年は、サーラを明るい陽の下へ導いてくれる。
 今のアルトになら――何もかも、委ねられる。
 身を寄せ、サーラは溶け合うぬくもりにまぶたを閉じた。刺さっていた棘が抜けるように、捕らわれの日々の屈辱が頬を濡らす。
「本当は……怖くて、たまらなかった。お前以外の人間に触られることが、どれだけ嫌だったか……」
 過ちこそ免れたものの、思い出したくもない記憶ばかりだった。サーラを抱きしめ、アルトは繰り返し背中を撫でてくれた。
 しがみつくと、しっかり抱き返され、身体が後ろ向きにしなる。
 いつの間に、こんなに大きくなったのだろう。たくましくなったのだろう。
 離れたくない。ずっと、そばにアルトを感じていたい。
 悲壮な想いではなく、切なる願いが身体の内側に染み渡っていった。
 アルトはサーラの頬を指でなぞり、涙の跡に口付けた。
「サーラ……」
 吐息が耳元に触れ、ほどけていく。解き放たれていく。
 全身で受け止める重みが、ただ、いとおしかった。



「遅いなあ……」
 アルトとサーラがアリアハンに発ってから三日。宿の食事に飽きてきたモエギは、ジャックとぶらぶら昼の飲食店街を散歩していた。
「お前さあ、一昨日の晩から何回同じこと言ってんの? ボケるぞ」
 後頭部で両手を組み、ジャックはうんざりとため息をつく。向き直り、モエギは抗議の声を上げた。
「あんたこそ、何でそんなのんびり構えていられるの? あたしは早く魔王をギャフンと言わせに行きたいの!」
 へいへい、と適当にあしらわれる。このままでは一方的に疲弊するばかりだ。一旦別の話題を探ってみる。
「この辺って、確か初めてアッサラームに来た時も歩いたなあ。あ、あそこのお店でジャック酔いつぶれてたよね」
 中心街よりも平坦で簡素な造りの街並みを眺め、モエギは一軒の古びた酒場を指差した。いかつい外見とは裏腹に温厚な主人と、勝気な給仕の娘で切り盛りしていたのを覚えている。
「……ジャック?」
 ジャックは両腕をだらりと下げ、色あせた店の扉をじっと見つめていた。営業中の札がかかっているが、足が向く気配はない。そのくせ、すぐにでも飛び込みたいような目つきをしている。
 モエギはやっぱり宿に戻ろう、とさりげなく促した。その場に留まっていると、息が詰まりそうだった。
 なるべくジャックの顔を見ないよう、大股で先を歩く。知らない人みたいで、もやもやと得体の知れない不安がこみ上げる。
 雲一つない快晴の日に、嫌な気分でいるのは悔しい。モエギは声を張り上げた。
「そういえば、アルト君に聞いたんだけど!」
 怒ったような口調で、モエギが死の魔法に倒れた際ジャックが口走った言葉を挙げる。
「あれって、どういう意味?」
 返事はない。相手する気分にもなれないのだろうか。
 中心街に差しかかってもだんまりなので振り返ると、ジャックがつんのめり青筋を走らせて怒鳴って来た。
「いきなり立ち止まるな!」
 広場に面した通りは相変わらず人でごった返しており、押し流されそうになった所をジャックに引き寄せられる。掴まれた肩が、かっと熱くなる。
 商店の軒先まで下がると、あっけなく解放された。一喜一憂している自分が歯がゆい。
 じっと睨むと、ジャックは面倒くさそうに耳の裏を掻いた。
「あのなあ。何考えてんのか知らねえけど、オレは単に人の死に目に遭いたくないの。あの時倒れたのがアルトでもサーラさんでも同じ! はい、おしまい!」
 強制的に会話を終了され、モエギは拍子抜けしてしまった。後に残るのは虚しさだけだ。
 サーラやアルトは、モエギの想いを知って何かとジャックとの仲を取り持ってくれる。二人の厚意には感謝しているが、空回りする度に弱気な自分が顔を覗かせる。
 すると、唐突に手を引っ張られた。思わず見上げると、ジャックは不本意そうにあごをしゃくる。
「ほら、ボケっとすんな。迷子になられたら困るんだよ」
 振り解けず、されるがまま人をかき分け、通りを横切っていく。いからせた背中を見つめ、心の中で問う。
 今でも、忘れられない誰かがいるの、と。
 口に出せるはずがない。せめてもと、つないだ手を離さないよう握り返した。
 程なくして宿泊先に戻ると、一階の受付横でくつろいでいるサーラとアルトの姿があった。
 うわさをすれば何とやらだ。すぐさま駆け寄ろうとしたが、アルトと並んで座るサーラを目にして、ぴたりと足が止まった。
 まだ少女の面影残る頃から、サーラとは付き合いがある。けれど、サーラを見てどきりとしたことは初めてだった。
 数年越しの友人でもあるモエギでも愛でたくなる程に、サーラは綺麗だった。
 うららかな陽射しを思わせる笑みを見つめていると、これが本当のサーラなのだと、訳もなく嬉しくて、口元が緩む。ちっぽけな悩みなど、すぐに吹き飛んでしまった。
 二人は本当の意味で、結ばれたのだ。
「どうした? あのこと知らせたかったんだろ?」
 談笑している二人を示すと、ジャックもしばし見入り、満足げに微笑んだ。
 邪魔をしないよう近付き、二人を呼ぶと、モエギは部屋で青の宝珠を見せた。清々しい真夏の晴天を模した輝きに、四人揃って歓声を上げる。
 アルトの勇気は、丁度今日の空の色をしていた。