最後の銀 勇気の意味 4



 奥へ進むと、洞窟の一角に人工的な場所を見つけた。
 重厚な扉に守られていたのは、宝物庫のようだった。いくつかの年季の入った宝箱が並べられている。
 壁際に細剣が立てかけられているのを目にしたサーラは、小さく声を上げた。歩み寄った途端、箱の影からふよふよした物体が飛び出てきた。
「くせものお!」
 甲高い声が上がる。身を引いたサーラが懐にぶつかり、アルトもジャックと顔を見合わせた。
「おめーら、ネクロゴンドの金庫番ホマホマさまの目を盗んでのろうぜきかあ!? しょっぴくぞこのやろお!」
「何だ、こいつ?」
 魔王の膝元にはおよそ似つかわしくない、妙に威勢のいいベホマスライムだ。ジャックが眉をひそめる。
「やいやい! ここに自由に出入りできるのは……」
 丸い目をつり上げるホマホマという魔物は、ジャックを捉えると振り回していた触手をぴたりと止めた。瞳孔が開き、わなわな震え出す。
「シ……シリルさま!?」
 聞き覚えのない名前だ。ホマホマはぴゃっとジャックの肩に飛びついてきた。
「あああ……! おいらはてっきり、シリルさまもあの時おっ死んでしまったと……!」
 とりあえず人違いであることを教えようとアルトが口を開くと、ジャックは人差し指を口元に当てた。依然気を失ったままのモエギを支え直し、ホマホマに優しく声をかける。
「ホマホマ。心配をかけてすまなかったな。ここに来たのは、お前に頼みがあったからなのだ」
 普段の砕けた口調とかけ離れているが、何か意図があるのだろう。アルトはサーラと事の成り行きを見守ることにした。
 ジャックは身体を倒して、モエギをホマホマに近付けた。
「こいつ、いや、この娘が魔王軍により重傷を負ってな。お前の術で治癒を施してくれないか」
 ホマホマは赤みを失っているモエギの頬を触手で撫でると、身震いした。
「こりゃあ、死の魔法でいのちが半分もってかれてまさあ! シリルさまのたのみとあらば、このホマホマが一肌ぬぎやしょう!」
 鼻息らしきものを漏らし、ホマホマは寝かせられたモエギの胸の辺りに降りた。アルトは内心首をひねる。
「あのさ、もしかして」
 小声で尋ねると、ジャックは一つうなずいた。
「そう。精神力の限界」
 銀の賢者として無限の魔力を持つジャックでも、強大な魔法を何発も放てば精神力は尽きる。二日も洞窟にこもっていると、身体も満足に休まらない。
 最大の要因はおそらく、大量の骸を焼き討ちにした炎の魔法だ。あの土壇場で、ジャックはギラ系の最上級魔法、ベギラゴンの発動に初めて成功したのだ。
 ベホマスライムはその名の通り、上位の回復魔法ベホマに特化した能力を持っている。アルトはまだベホマを使えず、偶然出会ったホマホマに頼るあたり、モエギの状態が決して芳しくないと悟る。
 ホマホマは早速治療にあたり、触手から力強い輝きをモエギの心臓に送り込んだ。
「それにしても、シリルさまがこんなに若い娘さんに入れ込むなんてなあ。まさか、ネクロゴンドの生き残りだったんですかい?」
 本物のシリルという人物は、少なくとも中年以上の年嵩なのだろう。それにしては、十分若者の範疇であるジャックを訝る気配がない。
「まさか」
 何に対してなのか、ジャックは言葉少なだった。
 やがて治療を終えると、ホマホマは触手の付け根辺りを反らした。人間でいえば、えっへんと胸を張っている姿だ。
「これで大丈夫。しばらくすれば、目をさましまさあ」
 心なしか、モエギの顔色に生気が戻った気がする。サーラは魔物相手に、おずおずと切り出した。
「あの……すまないが、そこの剣は私のものなのだ。装備や持ち物もあるはず。最近、僧侶風の男から女物の鎧などを預かっていないか?」
 ホマホマは視野が狭いのか、初めてサーラに目を留め、元々赤い頭部をゆでだこのように染めた。
「あ、ああ、あずかった! おいらはけっして、うまいものにつられて、引き受けたんじゃないからな!」
 大体の事情は掴めた。サーラは怪訝な顔をしたが、返してもらうよう要求すると、ホマホマは手際よくサーラの装備一式を並べてくれた。
 予備の道具袋に収めると、ジャックは他の宝箱にも目を配り、あくまでシリルという人物としてホマホマに囁いた。
「ホマホマよ。私はこの者たちと、魔王を討つ。そのために、今こそお前が守ってきた宝物を使う時なのだ。私に免じて、譲ってはくれないか?」
 よく芝居を打てるものだと、アルトは舌を巻いた。先刻吐露していた言葉も同様だったのだろうかと思いかけて、心の中で打ち消す。
 ホマホマはしばしの間ジャックを見つめ、感極まったように触手で両の目を覆った。
「あああ……。そのために、おいらをたずねてきたんですね。分かりやした、持っていってくだせえ!」
 素早く宝箱を解錠すると、ホマホマは脇に退き腰、もとい触手を折った。
 宝物は二つあった。一つは、ほとばしる稲妻のような模様が入った、珍しい刀身の剣。もう一つは、肩部分に湾曲した刃を取り付けた刺々しい鎧。
 ネクロゴンドの民も、いずれ現れる勇者を待ちわび、このような品を用意していたのかもしれない。どちらも、四人の中ではアルトに最も相応しい代物だった。
 ジャックは辛気臭い顔を保ったまま、屈み込みホマホマと向き合った。
「ホマホマよ。宝物を譲ってもらった今、もはやお前がここに留まる必要はない。このような陰気な場所を離れ、魔王の手が届かない所で暮らせ」
 ジャックなりにこの魔物を案じたのだろうが、ホマホマは疑問符を浮かべた。疑惑の眼差しが向けられる。
「シリルさま。おいらが魔王の影響を受けないよう、この宝物庫に結界を張ってくれやしたよね? まさか、わすれたとでも?」
「へっ? あ、いや、トシのせいかな〜……」
 ぼろが出たようだ。ホマホマは半眼でジャックを見つめると、大ざっぱな態度となった。
「おめーは、シリルさまじゃねえ。でも、シリルさまにうりふたつだ。銀の髪は、ネクロゴンドの民のあかし。おいらにうそをついたことをあやまりゃあ、見逃してやらあ」
 小さな軟体でふんぞり返るホマホマは、少なくとも邪悪な魔物ではない。ジャックは肩を落とし、不服そうに謝罪した。
「悪かったな」
「おめー、本気であやまってないだろ。シリルさまは、お礼をいう時とあやまる時は心をこめてと」
「分かったよ!」
 くどいベホマスライムを制し、ジャックにしては誠意のこもった謝罪が行われた。
「うんうん。最初っからすなおにいってりゃいいのによお」
 こめかみをひくつかせるジャックに、アルトはそっと忍び笑いを浮かべた。
 簡潔に事情を説明すると、ホマホマはシリルという人物について教えてくれた。半分以上はなれそめ話だったが、おおよそはこうだった。
「シリルさまは、ネクロゴンドの第一王子だったんだ。おいらが知ってるのは、シリルさまは髪の色と同じ、銀のたまを守るのが仕事だったってこたあ」
「銀の……宝珠」
 三人で視線を交わす。サーラも問いかけた。
「その御仁の居場所は分かるか?」
 ホマホマは急にうろたえ、あさっての方向を見つめた。
「……分からねえ。ただ、おいらがずっと正気でいられるのは、シリルさまが張ってくれた結界のおかげだ。破邪の結界は、かけたやつが死ぬと消える。だから、まだシリルさまは生きてんだ、きっと」
 気丈な言葉とは裏腹に、空気が抜けた風船のようにホマホマがうなだれる。アルトは笑いかけた。
「そんなに落ち込むなよ。その人に会えたら、ホマホマのことを話してみるからさ。きっと、喜ぶよ」
 ホマホマは勢いよく頭を上げると、口を食いしばり嗚咽を漏らした。
「ありがとよお。おめーらのこたあ、わすれねえ……!」
 出口が近いらしく、ひとまず出発することにした。何にせよ、地上に出て外の空気を吸いたいのは皆一緒だろう。
 去り際、ホマホマは思い出したように声をかけてきた。
「ネクロゴンドの城はのっとられたけど、湖のほとりにほこらがあったはずだ! おめーら、たのんだぞ!」
 ホマホマの記憶がいつのものなのかは定かではないが、気の良い魔物に感謝を述べ、一行は洞窟を後にした。



 踏み荒らされた狭い石階段を上ると、サーラは曇り空にもかかわらず反射的に目を覆った。久しぶりに外気にさらされ、皮膚にまとわりついていた重苦しさが風にさらわれていく。
 解放感も束の間、目の前に広がる景色を眺めると、すっと身体の内側が冷えていった。
 アリアハンのナジミ湾を二つ並べたような湖は淀んだ濃霧に隔たれ、全容が掴めない。水面は血の色で濁り、様々な生物の頭蓋骨やあばら骨が浮かんでいる。所々毒気を含んだ気泡が音を立てていた。
 向かって正面の湖は、うっすらと城の尖塔がそびえており、その上を十数匹の魔鳥がけたましく舞っている。対し、東側の湖は霧で何も見えない。
 湖の底に、どれだけの浮かばれない魂が沈んでいるのだろうか。肌に入り込む風はひんやりと、この世のものでない匂いがした。
「これは……並大抵の方法では、渡れないな」
 アルトが生唾をのむ。ジャックも同意しようとすると、微かにうめき声が上がった。
「……あれ?」
 一斉に向き直る。モエギは虚ろな瞳で眉間にしわを寄せ、ぼんやりとつぶやいた。
「え……? もしかして、三途の川?」
 アルトとジャックは理解不能のようだが、モエギの故郷では死の間際に見える川をそう呼ぶらしい。サーラは乱れた黒髪を撫で、注意を向けさせた。
「違う。ここは、バラモスが滅ぼしたネクロゴンドの国だ」
 状況を把握したのか、モエギは素っ頓狂な声でわめいた。すかさずジャックが押さえつける。
「お前な! その大音量で魔物共が襲ってきやがったらどうすんだよ! お前の声量は騒音に等しいんだよ!」
「だって……!」
 まだ意識がはっきりしないようで、モエギの反論は弱々しい。ジャックはぜえぜえと息をつくと、その場にしゃがみ込んだ。
「あーあ、こんな危険因子いらねえよ、ったく」
 サーラはアルトと肩を寄せ合い、苦笑した。ふて腐れた割には、声の調子が弾んでいた。
 夜を待たずに、一行は十分な休息を取ると翌朝出発した。
 ぐるりと険しい岩山に包囲されたネクロゴンドの中心部では、湖の南部以外に探索出来る土地がない。ホマホマの助言通り、湖の岸辺に沿って祠らしきものを探す。
 バラモスの居城は目と鼻の先だ。サーラたちの動向は奴に監視されているはずだが、別段執拗な襲撃はなく、周辺に生息する魔物たちを追い払うだけだった。余裕めいた対応は、さすがに二十数年間この世界に居座る魔王らしい。
 それにしても、バラモスにとって六つの宝珠が全て一行のもとに揃うのは阻止したいはずだ。現に最後の一つは、限りなく近い場所にある。
 バラモスは、宝珠が揃っても一行を寄せ付けない、何らかの確信を得ているのかもしれない。シリルという人物と会話が可能であれば、そのことを聞こうと四人で決めた。
 さらに翌日、まだ陽が昇りきらないうちに、一行は湖の結合部にあたる突端で人工的な建物を見つけた。
 小さな神殿のような白亜の祠は円形で、湖一帯に漂う瘴気に面していながら風化することなく、厳かにたたずんでいる。無彩色の風景の中で、祠は唯一の聖域として仄明るい光を放っていた。
 そばまで来てみると、なめらかな外壁は化粧漆喰のまばゆさだけでなく、どことなく発光しているように映る。
 サーラは生まれつき、自分には魔力がないと思い込んでいた。しかし、デラルドやロイドを拒絶した力の暴発を経て、おのずと祠を包んでいる光の正体を理解出来るようになっていた。
「この光は、建物自体に宿っているものではない。祠の中で、誰かが魔力を放っている」
「サーラ、分かるのか?」
 アルトは戦士の装いに戻ったサーラを見つめる。しきりに瞬きを繰り返すモエギを横目に、ジャックが言葉を継いだ。
「だな。この気は、オレと似た匂いがする。でも、オレどころか、ジイさんの比じゃねえ」
 若葉色の瞳が高揚に満ちている。ジャックは引き寄せられるようにして、銀のつややかな扉に手をかけた。
 一瞬、祠自体が脈打ったように一回り大きくなる。ジャックが手を引っ込めると、扉が開く代わりに澄んだ声が流れてきた。
『懐かしい……』
 声質はジャックと同じだが、語り部の調べのような、心に染み入る声音だ。
『遥か昔、新天地を求め旅立った同胞よ。歓迎しよう』
 音もなく、内側から扉が開け放たれた。ジャックの先導で、サーラたちも足音を忍ばせ中に入った。
 扉を閉めると、時折咳をもよおす瘴気は一切遮断された。かえって息苦しいのは何故だろう。祠を支える六本の柱は半透明で、外景を映すでもなく無機質に内部を囲んでいる。
 塵一つない円盤状の床には、ネクロゴンドの紋章である羽根が描かれている。その縁に立つ人物を目にして、誰ともなく驚きの声が上がった。
「よくぞ、辿り着いた。そして、おかえり。我が同胞よ」
 銀糸を織り交ぜた、厚みのある白絹のローブを鷹揚に翻した男は、ジャックと同じ顔で控えめに微笑んだ。
「長髪の、さらさらのジャック……」
 呆然とモエギがつぶやく。即座に突っ込みを入れるはずのジャックも、反応が追いつかず立ちすくんでいる。双子として、本物のジャックと並べても何ら不思議ない若々しさだ。
 静謐な雰囲気のあまり、耳鳴りがする。沈黙を破ったのはアルトだった。
「俺は、アリアハンのアルトです。貴方は、シリル様ですね」
「左様。最後に他人の口から我の名を耳にしたのは、いつだったか」
 シリルがうつむくと、銀の髪がしゃらしゃらと揺れ、つい目を奪われる。瞳の色も同じだったが、色香のある声の調子と物憂げな表情は、別人だった。
「お願いがあります。銀の宝珠をお持ちなら、俺たちに譲って下さい」
 単刀直入なアルトの頼みを受け、シリルは面白そうに頬を持ち上げた。
「若者よ。そう、焦ることもあるまい。しばし、ゆるりと過ごしていかれよ」
 凛々しい焦茶の眉がひそめられる。サーラも進み出た。
「シリル殿、お伺いしたいことがある。私たちは、既に五つの宝珠を持っている。銀の宝珠が手に入れば、神鳥を蘇らせすぐにでもバラモスを討ちに行くつもりだ。なのに何故、奴は懐に入り込んだ私たちを野放しにしている?」
 無意識に拳を握りしめていた。シリルは西に向かって、窓もない白壁の先を見据えた。
「それは、至極簡単なこと。現状では、そなたたちは神鳥を蘇らせることは出来ない」
「……何だと?」
 サーラたちが固まる中、それまで黙りこくっていたジャックがずかずかと身を乗り出し、シリルの胸倉を掴んだ。
「ふざけんなよ。説明しろ」
 瓜二つの他人同士が顔を突き合わせている絵面は、奇妙だった。シリルはやんわりとジャックの手を押し留めると、ぐるりと周囲に目を走らせた。
 すると、半透明だった六本の柱がたちまち輝き出し、それぞれ異なる色に染まった。
 緑、紫、赤、黄。調和の取れない色合いに目の奥が痛くなるが、うち二本の柱は半透明のままだ。モエギが口に手を添える。
「もしかして、これ、宝珠の色?」
 シリルは、是と答えた。
「そなたたちが、どこで宝珠と神鳥の伝承を知ったかは分からないが……宝珠が神鳥の子種となるには、それぞれに秘められた真の力を引き出さねばならない」
 柱を一本ずつ指し示し、シリルは語った。
「緑の安穏は、祖国から逃れてきた罪人が、行き付いた場所とそこに暮らす人々の末路を憂いもたらされた。
 紫の包容は、一途に夢を追い求めた男が、同じ夢を目指し道半ばで斃れた女の最期を弔い救った。
 赤の栄誉は、大地を守護すべく英雄が、命尽きるまで戦い強固な意志を子達に託したことで与えられた。
 黄の奉仕は、未開の地を開拓した老人が、共に汗を流しながらも道を違えた豪商を労い改心させた」
 シリルが腕を下ろすと、柱は全て同じ姿に戻った。アルトが青ざめた顔で問う。
「……青は? 青の宝珠も、俺たちが持っています」
 穏やかな表情だったシリルは、突如鋭い目つきでアルトと対峙した。
「持っているだけだろう? 青は、まだ真の力を発揮していない」
 アルトはよろめきかけたが、何とか踏みとどまり喉を震わせた。
「そんな……俺は、確かにあの洞窟で試練を」
「言い訳をしながらも、そなたに確固たる自信はなさそうだがな」
 意地悪く微笑むと限りなくジャックに近いが、本人よりも老獪さが際立つ。サーラは震える肩に手を伸ばそうとして、思い留まった。
 勇者になりきれぬ小僧。地獄の底から、ロイドの嘲笑がこだまする。
 アルト自身が、青の宝珠の力を引き出さねばならない。やぶからぼうにサーラが手助けしていては、アルトを甘やかすだけだ。
「でもよ、バラモスがタカをくくってんなら、こっちはやるしかないんだよ。銀の宝珠はどうなんだ? もったいぶるな」
 ジャックをいなし、シリルは高圧的な笑みを向ける。
「案ずるな。我がそなたたちを表へ帰した時、自動的に銀の宝珠はそなたたちの手に渡る」
「だから、そういう言い方をやめろって言ってんだよ」
 ジャックは語気を強めた。
「どう見ても不自然なんだよ。あんたはまるで歳を取ってない。少なくとも、あんたの弟は骨すら朽ちて霊魂しか残っていなかった」
「……ノエルに会ったのか」
 その名が誰を指すのかは、サーラにも分かった。北海にその身をもって最後の鍵を沈めた、ネクロゴンドの一族。
 答えずとも要領を得たようで、シリルは静かに胸を上下させた。
「そうか。ならば、あやつも我も、報われる。もう、あやつを待たせる訳にはいかないな」
 観念したのか、シリルは吹っ切れた表情となった。
「我らの国がバラモス率いる大軍に乗っ取られた日から、我は王城から持ち出した銀の宝珠を楔として、この祠にこもり来るべき時を待っていた」
 ネクロゴンドの王族が築いた祠は術者の力を蓄え、あらゆる生物も、時間の概念すらも拒むという。
「銀の孤高は我を生き長らえさせたが、同時に人であることから乖離させた。万物がありのままに生きる流れから離別した我は、役目を終えた時ようやく、人に還ることが出来る」
「あの……つまり、あたしたちが銀の宝珠を受け取ったら、あなたは」
 モエギが言葉に詰まり、みぞおちの辺りで手を組み合わせる。別人だとしても、ジャックと同じ顔の相手には躊躇するのだろう。心境を読み取ってか、シリルはあっさりと告げた。
「左様。我はこの世からいなくなる」
 どこかへ旅立つのを待ちわびているような、浮ついた素振りだった。
 引き留めた所で、彼のためにはならない。
 彼はもう、今を生きる人間ではないのだ。
 ジャックが引き下がると、口をつぐんでいたアルトが顔を上げた。
「必ず……必ず、俺も真の力を引き出します。だけど、貴方のことを覚えていた魔物がいた! 貴方が逝ってしまえば、その魔物も」
「あやつに会ったのか。息災だったか?」
 アルトがうなずくと、シリルの目元が柔らかく細められた。
「では、あやつも連れていくとしよう。さあ、表へ出るがよい」
 名残惜しむことなく、シリルは客人を見送る。
 彼は自らを孤独だと微塵も思わず、高い境地で己を保っていた。紛れもなく、銀の宝珠に呼応した存在だった。
 かける言葉が見つからず、サーラは頭を垂れ、一足先に祠を後にした。モエギは何度もシリルを振り返っていたが、黙って出てきた。
 同胞と呼ばれたジャックは、もっと聞きたいことが沢山あったはずだ。けれどそれらしき会話を交わすことなく、祠の前に下り立つ。
 アルトは、なかなか出てこない。話し込んでいるのかと思いきや、重い足取りで姿を見せた。尋ねてみると、一言だけ言葉を交わしたという。
 銀の扉がひとりでに閉まると、祠は瞬時に閃光を放ち、幻だったかのように丸ごと消えてしまった。
 ジャックが、円形状にくぼんだ地面に埋もれる、銀の宝珠を掲げた竜のオブジェを拾い上げた。袖口で拭い、語りかける。
「弟と、あいつによろしくな」
 閉ざされた空の下で、宝珠は誇らしげだった。