最後の銀 勇気の意味 3



 ネクロゴンド地方の東部にそびえる火山は、世界でも数少ない活火山として、また英雄オルテガ最期の地として広く名を馳せている。
 上陸した翌日、全身に湿った衣服が貼り付く不快さを絶えず感じながら、アルトたちはわずかな足場を頼りに火山を登った。
 ふもとまでの道中、ミニデーモンやフロストギズモといった魔物の群れに幾度となく襲われたが、噴煙がたなびく火山周辺では遭遇することはなかった。お陰で日が暮れる前に登ることが出来たが、時折ジャックが怖気づくのをモエギと一緒になだめたため、時間がかかったことに変わりはない。
 火口まで辿り着くと、何を言うでもなく、三人で身を寄せ合いその場に固まった。
 煮え立つ大釜のような奔流は、ジパングで潜った山が活火山であったことも忘れる凶悪さをたぎらせていた。ひとたび足を滑らせてしまえば、全ての生命が一瞬で潰えるだろう。
 アルトは口元を腕で覆いながら、じっと目を凝らした。
 父の死が『最期』と記されるのを、母は忌まわしい呪文のように見つめていた。ここに立つ自分も、おそらく同じような表情をしている。
 鈍色に淀む南西の空へ視線を向けると、広幅の河川の終着点に双子の湖が広がり、禍々しい居城と、底なしの大穴を取り巻いている。
 自らの眼で魔王の根城を捉えながらも、父はその後の期を失った。
 アルトは腰に提げていた、ガイアの剣を抜いた。刀身は経た歳月の分だけ斬るための武器から遠ざかっていたが、掲げると静かな輝きを放ち、奮い立たせてくれる。
 背後でジャックとモエギが肩を並べ、うなずく。アルトも同様にあごを引くと、火口の中央目がけて剣を放り投げた。
 精霊の加護を受けた剣は、あっけなく吸い込まれた。
「……父さん」
 自然と呼びかけていた。
 かすれた思い出と、人々の追憶の中にしかいない父に、会ってみたかった。
 すると、マグマの流れが急速に穏やかになり、静止した。噴煙も滞り、耳鳴りがする。
「何……?」
 モエギの声が震える。腕を引っ張られた。
「アルト、一旦戻るぞ!」
 ジャックの血走った目が迫った瞬間、地の底から震動が上ってきた。言葉を発する間もなくジャックに抱え込まれ、ルーラの波動に包まれる。
 意識が戻った時、揺れる地面に伏せながら見上げたのは、黒煙が雲の層を吹き飛ばす光景だった。
 黒煙の後を追うように、赤い壁が突き出る。黒煙は巨大な魔物の輪郭をかたどり、おびただしい噴火をものともせず稜線を歩んでいく。
 大陸全土を揺るがす震動と熱波に身をかばいながら、アルトは瞬きもせず、溶岩流が火山を越えていくさまを眺めていた。
 父に巡ることがなかった時を生きる者として、その先へ行く。
 果てにはきっと、父がもたらしたかったものがある。



 岩壁の凹凸の少ない箇所に、サーラは尖った石で一筋の溝を刻んだ。魚の骨のような模様が出来上がってきた。
 デラルドから食事を受け取るたびに、サーラは印をつけていた。空腹のあまり満足な睡眠が得られず、寝そべっている時にようやく食事が運ばれてくるため、日数の経過は分からなかった。どこで調達しているのか、高級宿で出されるような食事だったが、恩着せがましい味しかしなかった。
 むやみやたらに口を利けば奴を悦ばせ、口をつぐんだままだと機嫌を損ね、脅しをかけられる。普段のサーラなら決して発しないような乞いにより、餓死を免れていた。
 奴は何故、このような真似をするのだろう。精神から疲弊させ、懐柔することで満たされるのならば、何が奴をそうさせたのか。テドンを滅ぼしたのは、一体何への当てつけだったのか。
 対等な会話が一切出来ない空間で、否が応でも心身が消耗していく。アルトたちを待ち、耐える時間が雲の流れのように鈍く滞留していた。
 どうか、奴の術中にかからないで欲しい。アルトがサーラの仕打ちを知り、激昂して思わぬ所で足をすくわれることが、何よりも怖かった。
 せめて空腹までの時間を長く保とうと、サーラは無駄な消費を避けじっと身を固くしていた。
 そういえば、数日前地震があった。天井からばらばらと岩の破片が落ち、あわや生き埋めになるかと思った。地震で地熱が上がったのか、何もしなくても毎日汗が滴っている。
 直後に姿を見せたデラルドは不機嫌で、自ら敬わせるような文言を指定し、懇願するよう命令してきた。奴の様子は、アルトたちがここへ近付いている兆しだった。
 心にもない台詞を吐き、頭を下げる自分の姿を反芻する。すぐに脳内で振り払った。
 どんなに下らないことでもいい。仲間と笑い合いたい。アルトの微笑みが届く所へ帰りたい。
 このままでは、心が先に音を上げてしまう。
 喉元から突き上げる想いに目をつぶると、生ぬるい風がサーラの乾いた髪を揺らした。
「出ろ」
 顔を上げると、デラルドの歪んだ表情が正面に浮かんでいた。似たような顔の歪み方をしていた男をふと、思い出した。
「……アルトたちが来たのか?」
 空になった陶磁製の器は、まだ料理の温度をほのかに残している。デラルドは答える代わりに薄い唇を動かした。ぱきん、と乾いた金属音が鳴り、足の締め付けから解放される。
 その拍子に無理矢理二の腕を取られ、サーラは洞穴の外へ引きずり出された。
「離せ! 私に触るなっ!」
 振りほどこうと上半身をひねるが、扉の脇に立っていた影が目に入ると、サーラは凍り付いた。
 暗がりの中で、鬼火のような眼光が揺らめいていた。
「久しいな。あの時、勇者の保護者然としていた女か」
 脳裏に蘇る記憶とは異なり、声の主は血に浸かっていたかのような、おどろおどろしい骸骨と化していた。
「貴様が精霊の娘だったとはな。まあ、せいぜいワシが勇者を始末するさまを見物するがいい」
 水飛沫が、一際大きく耳に入り込んできた。



 噴火が収まると、アルトは再び火口まで登った。溶岩流が南の河川に流れ出、急速に冷え固まったことにより、新たな大地が出来ていた。
 灰色の地を南下し、毒沼の瘴気が漂う森を進むと、羽根のレリーフに囲まれた背丈の高い扉を岩山の麓で発見した。扉は瘴気にさらされ見る影もなかったが、ジャックは銀で出来ていると推察した。
 苔むした錠前に最後の鍵を挿し入れると、あっけなく朽ち果てた。三人がかりで扉を開け、暗闇に身を投じた。
 ジャックによると、この洞窟はネクロゴンドの分家である、ダーマの一族が故郷を離れる際通った道だという。岩山に囲まれたネクロゴンドの民が何十年も掘り続け、外界へと旅立つ唯一の手段として開通させたらしい。
 入ってすぐに、ネクロゴンドの歴代の王が祀られた彫像がずらりと並んでいた。侵入者への対策として仕掛けられたのか、落とし穴も至る所に見受けられる。
 いずれにせよ、ネクロゴンドという国が滅ぼされた今は魔物の巣窟となっていた。
 退屈しのぎにからかってくる魔の力を帯びた宝石袋もいれば、よだれを垂らし飢えた瞳をぎらつかせる魔獣もうろついている。不必要な闘いは避け、奥地へと足を進めた。
 徐々に空気が薄くなってきた頃だった。地下水脈が流れる地点に出ると、途端にモエギが身体を抱きすくめた。
「アルト君……ここ、今までより嫌な気配がする」
 視界が届く範囲には、魔物の姿はない。だが、身に覚えのある気配がざわめいていた。アルトは小さくうなずき、背負った剣の柄に手をかけた。
「気を付けろよ。ここまで来たら、何があってもおかしくねえ」
 ジャックも周囲に目を光らせている。モエギは愛用の鉄の爪をしっかりとはめ直した。
 水脈の流れは、おそらく洞窟を抜けた先にある双子の湖からだ。ノアニールの洞窟のような澄んだものではなく、水面は濁り、どことなく腐敗臭を含んでいた。
 上陸してから、既に一週間を過ぎている。サーラがさらわれてからは十日程経過している。
 精霊神ルビスとその眷属を憎むデラルドが、サーラをただ監禁するだけに留まるとは思えない。身を案じれば案じる程、夜も眠れなかった。
 黒々としたもやが身の内にくすぶるのを感じながら、大理石で造られた橋を渡ろうとした時だった。対岸の岩陰から、白い人影が現れた。反射的にその名を呼んでいた。
「サーラ!」
 勇ましい戦士の装いではなく、薄絹のローブだけを纏うサーラはひどく頼りなげに映る。
 サーラもアルトを見つめているが、唇を噛んだままその場から動こうとしない。両腕を後ろで縛られていると気付いた瞬間、別の腕がサーラの背後から伸びた。
「ご苦労様でしたね」
 鼓膜を震わせた声に、アルトは総毛立った。ジャックとモエギも息を呑む。
「あいつだ……! あの優男!」
 ジャックが話した通り、つやのない金髪をした痩身の僧侶が、サーラを後ろから抱きかかえた。
 心臓の音がうるさい。アルトは剣を抜き、ほくそ笑む僧侶の男へ切っ先を突き付けた。
「……お前か。陰でこそこそとのたまわっていた外道は」
「お目にかかれて光栄です。改めまして、わたくしはデラルドと申します。以後お見知り置きを」
「あんたのことなんてどうでもいいのよ! さっさとサーラを返して!」
 今にも水脈を飛び越えそうな勢いでモエギが怒鳴る。デラルドは目元をひくつかせると、サーラの首の辺りに顔を寄せた。
「彼女にご執心なのは、お仲間も一緒のようですね」
 必死に顔を背け、サーラは逃れようともがくが、びくともしない。デラルドはあくまでアルトに見せつけたいのか、挑発的な笑みを投げかける。
「貴方はまだ若い。愛する女性を奪われる苦しみなどとは、無縁だったはず。今ここで、味わわせて差し上げましょう」
 橋を蹴った。ジャックが呼び止めるのもおかまいなしに、アルトは猛然とデラルドへ剣を振り上げた。
 アルトの斬撃は、どこからともなく割って入った曲刀に弾き返された。 退くと同時に、焼けるような痛みが左脇腹に走る。
「アルトっ!」
 様々な声が重なったが、血が舞う中サーラの泣きそうな顔が見えた。一番、見たくなかった顔だった。
 橋の隅に転がり、裂けた箇所を押さえるとたちまちぬめった感触がした。見上げると、血糊のついた曲刀をぶら下げた骸の剣士が、悠然と立ちはだかっていた。
「しばらく会わぬうちに、腑抜けと化したか。勇者になりきれぬ小僧が」
 かつてアッサラームで対峙した時と風貌が変わっていたが、妙な抑揚のついたこの声を聞くと、平気で命を弄ぶ残忍さを思い出す。
 魔王直属騎士団長ロイドの肩越しに、デラルドが声をかけた。
「彼は貴方がやって来ると聞いて、協力してくれたのですよ。何せ、貴方を血祭りにしたいが故に、更なる力を得るため潜伏して」
 唐突に光弾が飛び込んできた。爆発音が耳をつんざき、粉塵が沸き起こる。その隙に抱き起され、柔らかな波動に包まれた。銀の髪が閃く。
「……ジャック」
 視界が開けてくると、モエギが構えを取り目の前を塞いでいた。
「これが、あんたたちの魂胆なら……絶対、許さない!」
 抑えようにも抑えきれない、モエギの怒りが荒い吐息に宿っている。デラルドは嘲笑を挟み、尚もサーラの腰に力を込めた。
「それでいいのです。貴方がたが怒り、憎しみを募らせる程、わたくしはそれに応えたくなる!」
 デラルドはサーラを岩壁に叩きつけ、覆い被さるように迫った。アルトが身を起こそうとすると、傷口が開き激痛が走る。
「よせ!」
 強制的にジャックに押さえつけられた。その合間にモエギが突進するが、ロイドに阻まれうなり声を上げている。
 俺が、助けなければ。
 サーラと視線がかち合う。紅の瞳は恐怖に潤み、青白い首筋は今にも邪な者に食いつかれそうだ。
 途切れ途切れに映る光景の中、サーラは自らの意志をもって、視線を外した。
 その時、サーラの全身から、閃光が放たれた。



 目を開けていたら、居合わせた誰もが視力を失っていただろう。
 閉ざした視界をも染め上げるまばゆさが止むと、アルトはおそるおそるまぶたを持ち上げた。
 最初に見えたのは、炎だった。
 慌てて瞬くと、炎そのものではないと気付く。
 デラルドは水際まで吹き飛び、うつ伏せに倒れていた。ロイドはアルトの後ろ手にある岩壁に追いやられ、蜘蛛の巣にかかったように骨を軋ませている。モエギは尻もちをついて茫然と目の前を見上げ、ジャックの魔法は途切れていた。
 全ての視線の先に、紅い巻き毛を煌々と輝かせたサーラが、たたずんでいた。
 サーラを拘束していたはずの縄は蛇の死骸のように散らばっている。濡れていた瞳は爛々と、厳格な静けさを宿していた。
 遠い昔、同じ姿をしていたであろう精霊が、化身となって現れたかのようだった。
 アルトが立ち上がると、サーラは我に返り大きく目を見開いた。張りつめた空気が弛緩し、髪は元の紫へと落ち着く。
「私、は……」
「サーラ!」
 腹の底から呼ぶ。サーラは弾かれたようにこちらを向き、裸足なのもお構いなしに駆け胸の中に倒れ込んできた。腕が余る程、しなやかな身体はやせ細っていた。
 ごめん、とつぶやくと、サーラは首を横に振った。抱きしめているのは自分のはずなのに、逆に抱きしめられているような安堵が全身を伝っていった。
 モエギの短い悲鳴が上がった。前方を見やると、水浸しになった法衣を引きずり、デラルドがよろめきながら起き上がった。隣でジャックが身構える。
「何だ、あいつの顔……」
 アルトとサーラも思わず、呼吸を止めた。
 傍目からは美青年とも取れたデラルドの顔面は、皮膚が焼けただれ、正視に耐えかねる醜さを露呈していた。
 マントの肩口を掴むサーラの手が震えている。アルトはふいに、自らの手で葬った哀れな男を思い出した。
「あの女の恩恵など、血の薄まったお前は受けていないと思っていたが……」
 アルトは足元に転がっていた剣を拾い上げると、サーラを背中にかばった。片手で覆ったデラルドの顔からは、蒸気が立ち上っている。
「だが、お前も所詮、ただの女と成り下がった母親と同じ! わたしたち信者に対し公平を欠いた罪を、同様に罰せねばならない……!」
「何言ってるの……? おかしいよ、こいつ!」
 モエギが後ずさりする。デラルドの耳には届いていないようで、手のひらの間から尚もうめく。
「やはり、お前もわたしの手で屠るしかない……! その血をもって、いずれわたしに償え!」
 デラルドは呪文らしき言葉を唱えると、忽然と消えた。
 私怨。陰鬱な響きの正体を垣間見、アルトは憎悪とは別の空恐ろしさを覚えた。
「サーラさん……。思い当たる節はある?」
 ジャックが控えめに尋ねると、サーラは曖昧にうなずいた。
「私には、分からない。ただ、あの男はおそらく、私の母がテドンに来る前のことを知っている」
「それより! サーラ、あいつに何かされなかった!?」
 アルトとジャックの間をすり抜け、モエギがサーラの両腕を掴む。答えは否だったが、サーラの瞳には陰りが残っていた。アルトも問う。
「サーラ、さっきの光は……?」
「あれは、人間の成せる業ではない」
 代わりに答えたのは、ロイドだった。サーラを囲み、各々構えを取る。闇の向こうから、ロイドのものだけでない妖気が集まっている。
「奴がワシらの軍門に下った理由が分かった。ある意味、貴様らの中でその女が、最も恐ろしい力を秘めていたのだな。奴は参謀と名乗りつつ、その女への執着心から特命を与えられていたという訳だ。しかし」
 曲刀を払い、へばりついた血糊をしごくと、ロイドは歯を鳴らした。
「小賢しい心理戦を繰り広げる余裕があるならば、一滴でも多く殺戮の血を浴びたいのだよ、ワシは……!」
 併せて六本もの腕を広げたロイドの背に、同属と思われる黄ばんだ骸の剣士が群がって来た。燐のような、おぼろげな色をした影も混じっている。
「小僧よ! 貴様は真の勇者になりきれぬまま、ここで尽き果てるのだ!」
 ジャックとモエギが左右に飛び退いた瞬間、アルトの剣とロイドの曲刀が火花を散らした。瞬く間に次の斬り込みが襲い、跳ねて間合いを取ろうとするが息つく暇もなく突きが繰り出される。
 サーラの気配は既に安全な壁際まで移動している。ロイドに精神を集中させるが、アッサラームで剣を交えた時よりも奴の動きが掴めない。加えてこちらの武器は小回りが効きづらい大剣となっている。どうしても奴の速さを上回った攻撃を仕掛けにくい。
 ジャックとモエギは足場を埋め尽くす勢いの魔物たちを相手取っている。黄ばんだ骸が吐く息を懸命に避けており、アルトも頬がひりつくのを感じた。麻痺を引き起こす有毒な気体だ。
 ジャックが攻撃魔法を放ち足止めしているが、骸の間を縫うようにして緑の影がモエギに忍び寄った。モエギは骸を打ち砕き、足蹴にして水脈に落とすのに精一杯で気付いていない。
 注意を喚起しようと息を吸ったが、ロイドに押されてそれどころではない。足のすねを斬りつけられる。
「仲間の心配をしている場合か? ええ?」
 骨だけで形成されたロイドに表情はないが、甲高い嘲笑を上げながら攻撃の手を緩めることなくアルトを追い立てる。
「モエギ!」
 サーラの叫びにモエギが反応した。が、緑の影はモエギの衣の裾を引っ張り、転倒させると闇の力を集め始めた。覚えのある予感に、どっと嫌な汗が噴き出る。
 ジャックは大量の骸にベギラマで応戦している。反対側のモエギとは距離が空いている。
 あれをモエギが食らってしまえば。最悪の事態がよぎるが、ロイドは焦燥感を募らせるアルトを一向に逃しはしない。
 アルトと同じ記憶を共有しているサーラでも、現状ではどうすることも出来ないのか息を切らしている。先程デラルドを跳ね除けた力は、意図して発動させたものではないらしい。
 魔法の兆候に人一倍敏感なジャックも、ただならぬ様子に首を伸ばした。みるみるうちに青ざめていく。
 無情にも、死の呪文がモエギを襲った。
「え……」
 不意をつかれたモエギの一声は、魔物の群れに飲み込まれた。
 次の瞬間、ロイドの骨格に透けて、巨大な灼熱がもつれ合う骸を丸呑みにした。
 突如暴発した熱風を受け、ほんのわずかな隙が生じる。アルトはそれを見逃さず、渾身の力でロイドを水脈に突き落とした。
 ローブを焦げ付かせながら、ジャックが自ら起こした火の壁を一目散に走り抜ける。
「消えろっ!」
 小山のように固まっている魔物を真空の刃で蹴散らすと、ジャックは膝をつき妖気を失った骨の欠片をかき分け、ぐったりとしたモエギを抱き起こした。
 水脈の水深は見た目より深いらしく、ロイドは這い上がろうとあがいている。燃え上がる骸からさらに緑の影が出現し、ジャックを狙う。アルトはすかさず橋を渡り、的を絞った。
「マホトーン!」
 呪文を封じられ、緑の影がこちらに方向転換する。アルトは駆け抜ける勢いで緑の影を真っ二つにし、肩をいからせたジャックを見やった。固唾をのんで見守るサーラも遠目に見える。
 死の魔法ザキを防ぐには、命の石というお守りを身に着ける以外確実な対処法はない。アルトは以前贈り物として所持していたため事なきを得たが、実際は一行の一月分の食糧費に相応する高級品だ。
「おい! 目を覚ませ! モエギ!」
 全身煤だらけのジャックが、揺さぶり、頬を叩いても、モエギは反応を示さない。毎朝きっちりと結っている黒髪がほどけ、力なく垂れている。
「ジャック、脈を……」
 ザキの効果は絶対ではない。命の石がなくとも、一命を取りとめた例を耳にしたことがある。声をかけたものの、ジャックは気付いていないのか、横抱きにしていたモエギを胸に引き寄せた。
「……許さねえからな」
 ぎょっとしたが、続けられた言葉はアルトの予想と反していた。
「オレより先に死ぬのは、絶対、許さねえからな……!」
 全身を震わせるジャックの後ろ姿に、言葉を失った。
 燃え盛る炎を受けて輝く銀の髪を見つめながら、アルトは心の底から、ジャックに詫びていた。どうしようもなく、泣きたくなった。
 打ちのめされたまま立ち尽くしていると、背筋がぞくりとしてアルトは身を翻した。ロイドの曲刀が二本に減っている。
「やれやれ。這い上がろうにも武器を手にしたままでは、さすがに不自由らしい」
 のんきな愚痴を口にして、ロイドは首を傾げた。
「おや……犠牲者が出たようだな」
 カタカタと笑う骸の剣士を睨み据え、アルトは出来るだけ深く息を吸った。
 ここは、自分が冷静にならねば。目の前の敵を倒さねば。
 奴が恐れるものは何だ? 何が、奴を切り崩す手立てになる?
 ジャックは、土気色の顔をしたモエギを抱いたまま立とうとしない。思考を張り巡らせ、数少ない手がかりを探ると、ある言動が引っかかった。
 ロイドが恐れる力。一か八か、やってみるしかない。
「ジャック」
 視界の端で、ジャックがぴくりと肩を震わせる。
「制裁の鉄槌を、俺に」
 ロイドはあざとく、頭を大げさにひねった。
「ほう? 何を企んでいるのかは知らんが、ワシの手下を排除したとて図に乗るなよ、小僧」
 答えず、アルトは頭上に剣を掲げた。
「アルト……?」
 何本かの水脈の向こう岸で、サーラが息も絶え絶えに眉根を寄せている。目尻が滲んでいた。
 返事代わりに、樽程の火の玉が三発放たれる。火の玉はアルトの剣を取り巻き、刀身と同化して燃えたぎる。ロイドが、ゆっくりと頭の傾きを直した。
「何だと……?」
 アルトは炎の剣を構えると、全力でロイドに突撃した。
 吼えながら剣を繰り出すと炎の渦が無尽蔵に追い打ちをかけ、ロイドは打ち払おうと曲刀を振り回す。手数が減った以上に、精度が格段に下がったことで大幅な隙が生まれる。
 斬るごとに炎がロイドの骨を蝕み、鼻を覆いたくなるような鉄臭さがあちこちから充満する。いつしかロイドはアルトではなく、自分自身を焼く炎と格闘していた。
「おのれぇっ! ワシは死など恐れぬ!」
 精彩を欠いたロイドの動作は取るに足らず、アルトは二本の曲刀も跳ね上げると、祓いの手つきでロイドの身体をばらばらに切断した。
 最初に相見えた時は半端に身体を繋ぎ合わせたままだったため、奴の動きを封じきれなかった。だが、今回は武器を遠ざけ、骨の接合部分を可能な限り細かく散らばせた。容易に元の形状へは戻れないはずだ。
 黒煙を上げる数え切れない程の骨に囲まれ、アルトはくぼんだ双眸をぎらつかせる頭蓋骨を踏みしめた。
「終わりだ、ロイド」
 往生際悪く、足の裏でもがく頭蓋骨に体重をかけ、アルトは毬のように蹴り上げると一思いに剣で打ち砕いた。怨念めいた断末魔の叫びがこだまし、赤黒い眼光は消滅した。
 細く長く息を吐くと、アルトは幅広い刀身を見つめた。やるせない表情をした、小僧の顔が映っていた。
「何しけたツラしてんだよ」
 いつもの、人をおちょくる声が飛んできた。
 そっと視線を巡らせると、ジャックが苦笑を浮かべて立ち上がった。まぶたを閉じたままのモエギを支えながら歩んでくる。サーラも駆けてきた。
「ジャック、モエギは」
 つっかえそうになりながらサーラが尋ねると、ジャックはひょうひょうと片眉を上げた。
「安心しろ。気絶してるだけだ」
 ちょっとばかし治療が必要だけどな、と肩をすくめるジャック。どっと力が抜け、アルトはへなへなと、突き立てた剣に寄りかかった。
「何だよ……。俺はてっきり、モエギが」
「でしょー? 本当にそうだったら、オレはお前の意図を汲んでやれたか分からねえなあ」
 だました種明かしをするように、ジャックはけらけらと笑う。汗をかきすぎて、急に喉の渇きを思い出した。
 アルトは、メラミの呪文をロイドに悟られないよう、かいつまんでジャックに伝えた。呪文に疎いサーラや禁呪を得意とするロイドは気付かなかったが、ジャックは構成を扱いながらも呪文をそらんじられる程、呪文書も読み込んでいた。賢者の修行と本人の努力を知っていたからこそ、勝負に出た。
「つまり、アルトはジャックにメラミを放ってもらい、その剣に宿したのか」
「そういうこと。うん、まあ、死霊は炎に弱いと。オレも一矢報いたから、これで仇討ちも済んだわ」
 ジャックは黒ずんだ顔で微笑した。サーラは何度か口を開閉させ、うつむいた。
「……そうか。せめて、私が自分の力を思うように操れたら、もう少し有利な状況に持っていけたのだな」
「そうだ、サーラ……。あの男を退けた時、何をしたんだ?」
 デラルドの化けの皮を剥いだ、不可解な力。サーラ自身も戸惑っているようで、たどたどしく言葉を紡ぐ。
「あの時……何も出来ない自分が悔しかった。ただアルトを見つめても、お前こそが状況を覆せない歯がゆさを噛みしめているように見えた。もう、私のせいで苦しめたくないと思った瞬間、身体の中で溜まりに溜まっていた衝動が弾けた」
 明確に言い表せない感覚だったのだろう。しかし、その身に流れる血を辿れば、行き付く理由は十分理解出来た。
 いくらか刃こぼれしただけの剣を収めると、アルトはサーラの身なりを眺めた。それとなく目を反らす。
 話によると、意識を取り戻した時には剣や鎧を根こそぎ奪われていたのだという。在処を知っているであろう者に確かめる訳にもいかず頭を悩ませていると、ジャックがおもむろに鼻をひくつかせた。
「どうした?」
 サーラが怪訝な面持ちで尋ねると、ジャックはやーだ、とおどけた。
「サーラさんってば、オレの前職忘れた? 元盗賊の鼻を利かせた所、サーラさんの匂いがする場所がこの階層にあるみたいよ」
 気味悪がりながらも、サーラは安堵の息をついた。言ったそばから歩き出したジャックに、アルトは声をかけた。
「ジャック!」
 何事もなかったかのように気前よく振り向く男を見て、アルトは喉から出かけていた言葉を押し込めた。
「モエギを支えるの、俺も手伝うよ」
 すると、ジャックはむっとしてアルトの肩を思いきりどついた。目を白黒させていると、バーカ、とお決まりの台詞が放たれる。
「お前はサーラさんの何だ? ほら、さっきの熱い抱擁の続きをぶちかませばいいんじゃないの? ほれほれ〜」
 悪ガキのような煽り文句に赤面すると、アルトはジャックに先を行くよう手を払った。憎たらしいが、迷惑をかけた手前何も言えない。同じように頬を赤らめているサーラの手を取る。
「行こう。まだ魔物がいるかもしれないから、俺のそばを離れないで」
 おとなしくうなずくサーラに、アルトはようやく心から、微笑むことが出来た。