最後の銀 勇気の意味 2



「あいつ……?」
 モエギが首を傾げる。ジャックは同じ人物に見当をつけていたらしく、驚きはなかった。
 精霊神ルビスとその眷属に異様な執着を見せる、魔王配下の参謀、デラルド。サマンオサでの出来事以来なりを潜めていたが、奴は大胆にもサーラを直接標的としたのだ。
 アルトの周囲にいる人間誰一人として、奴の姿を見た者はいない。だが、他に予想出来る犯人が思い当たらなかった。
 一時でもサーラのそばを離れた後悔の念よりも、彼女がさらわれたという事実が、アルトの冷静さを急激に奪っていった。
 アルトはすぐさま邸宅に戻り、応接室から赤の宝珠とガイアの剣をひったくった。他の三人は台所であれこれ騒いでおり、気付いていないようだ。
 乱れた感情に比例してもつれる足が苛立たしい。玄関先まで引き返すと、台所につながる廊下からセラがやって来た。ただならぬアルトの様子に、大股で近寄って来る。
「どうしたんだい? アタシたちの食事を放り出す急用なの?」
 顔を向けると、大抵のことには全く動じないセラが、わずかにたじろいだ。
 事情を説明する時間すら惜しく、アルトは背を向け門まで駆けた。ジャックに目で促す。
「アルト……今から、ネクロゴンドに向かうの?」
 アリエルが細い声で尋ねる。彼女の方を見ずにうなずく。
「ジャック、ルーラを」
 低い声でせかす。ジャックも、モエギも緊迫した表情でこちらを見つめている。
「早く!」
 唾混じりに叫ぶと、ジャックは小さく舌打ちしてから、発動の構えを取った。モエギが間に立ち、右手をジャック、左手をアルトに差し出し手をつなぐ。身を強張らせるアルトの肩越しに、モエギはアリエルへと言葉をかけた。
「アリエル、ありがとうね。サーラのことは心配しないで。みんなにも、黙ってて」
 背後で、アリエルが大きく首を縦に振るのが伝わった。
 本来はアルトが礼を述べるべきだ。余計な心配をさせないよう配慮すべきだ。普段何てこともないように行っている振る舞いにも、気が回らない。サイモンの墓に花を手向けることなく去るのを詫びるのにすら、上手く舌が回らない。
 それでも、アリエルはアルトに声をかけた。
「アルト! どうか、気を付けて……! お二人も!」
 モエギとジャックは視線だけを返し、三人はルーラ特有の上昇気流に包まれる。
 どうにかアルトが振り向き、ごめん、と絞り出すのと同時に、身体は瞬時に浮遊し意識が弾けた。



 降り立ったのは、ランシール大陸の東にある小さな港町だった。
 一行の帆船が停めてある波止場の入口に着地すると、アルトはかぶりを振って混濁した意識を覚醒させた。転移時の反動で、移動直後は常に寝起きのような症状がつきまとう。
 人気のない周囲の様子を確認すると、アルトは間髪入れず帆船に向かおうとした。すると両肩を掴まれ、抵抗しようとした直後右頬に拳がめり込んだ。傍らでモエギの悲鳴が上がる。
「ジャック!? こんな時に何するのよ!」
 波止場へと降りる石畳の階段を転げ落ち、殴られた箇所を押さえ見上げる。憤然と立ちはだかるジャックの腕をちぎらんばかりに、モエギがしがみついていた。
 ジャックは腕を一振りしてモエギを遠ざけると、不気味な程ゆっくりと階段を下りてきた。
「……お前な、奴と一回接触してんなら、これがどういう意図で行われたことか分かるだろうが」
 幸い、階段はなだらかで高さもさほどなく、右頬以上の痛みはない。アルトも立ち上がり、いつになく怒気を漂わせているジャックを睨み返す。
 ジャックはアルトの目の前まで来ると、問答無用で胸倉を掴んだ。
「お前がそんなんだと、あいつの思うツボだろうが!」
 何故怒られているのかが分からず、アルトもやみくもに怒鳴り返した。
「お前こそ何だよ。お前には大切な人がいないから、今の俺の気持ちなんか分かる訳ない!」
 新緑の瞳が大きく見開かれる。アルトをねじ上げる力が、一瞬緩んだ。
 目の前の男には、決して言ってはならない言葉だった。それ以上に、モエギに酷なことを聞かせたのも自覚していた。
 だが、最も愛する者が、最も忌まわしい者の手中にあると思うだけで、全身が焼けただれるような怒りに侵食される。憎悪はさらなる負の感情を呼び起こす。
 アルトは再度突き飛ばされ、したたかに尻を打った。耐え切れんばかりに、モエギが階段を一蹴りで飛び降りアルトの元にひざまずいた。小さく力強い手のひらに抱き起される。
「二人ともやめてよっ! こんなことしてたら、サーラを助けにいくどころか同士討ちみたいだよ! ホント、やめて……!」
 背中に回された手がわななき、モエギは震えを抑え込むように身を縮めた。
 モエギの懇願を間近で耳にし、アルトはジャックが示唆した意図に気付いた。途端に、冷水を浴びたような気分になった。
 身をよじり、謝ろうとすると、ジャックがばつの悪そうな表情でそばにしゃがみ込んだ。固く握りしめていた拳をほどき、ためらいがちにモエギの丸い肩に触れる。
「……わりぃ」
 モエギは顔を上げない。覗き込むジャックの横顔は、小さな子供を泣かせてしまったような罪悪感と、痛みが滲んでいた。
 何度か背中を撫でると、視線がアルトに向けられる。アルトも憮然として口を開いた。
「……そうだった。奴は、人間の憎しみやいさかいを好む外道だ。今度の奴の目論みは、おそらく、俺を苦しませること」
 ジャックは、そうだ、と目の動きで応じる。
「分かったみてえだな。お前は根が真っ直ぐすぎるから、こういうことですぐに動揺してつけ込まれる。目を覚ましやがれと思って殴ったけどよ、オレもちっとばかしあてられたかな……」
 不本意そうに口を尖らせると、ジャックは唐突に人差し指をアルトの鼻に突き付けた。
「とにかく。何でも一人で突っ走るな! こういう時のために、オレたちがいるんだろうが!」
 バーカという毒づきの後、頭をわしゃわしゃと掻き乱され、仕上げにはたかれた。
 ジャックに手を上げさせるまでに、目先の感情に捕らわれていた自分を恥じた。二人に視線を巡らせ、素直に謝罪する。
「二人とも、ごめん」
 ジャックは鼻を鳴らし、苦い笑みを浮かべた。双方怒りが鎮火したのを悟ってか、モエギも顔を上げ、安堵のため息をついた。
「もう……。アルト君、今は状況が状況だから許すけど、言っていいことと悪いことがあるからね?」
 これには、「ごめん」を繰り返すほか、どうにも出来なかった。
 わずかながら気まずさを残しつつも、気を取り直し帆船に戻る。町のこぢんまりとした酒場で骨休めをしていた乗組員も戻ってくると、早速事情を説明した。
 舵手のダンを始め、船の男衆も思いがけない事態に戦慄した。また、不毛の地ネクロゴンドへ乗り込むと聞き尻込みする者もいた。
 しかし、アルトたち三人がネクロゴンドに上陸した後はアッサラームへ戻り、待機していて欲しいと伝えると、多くの者が胸を撫で下ろしていた。彼らの反応を見て、アルトは一つの決意を固めた。
 早速、ダンを交えて船室にこもる。机に広げた地図を眺め、今後の進路について話し合う。
 現在地のランシールから北西へ進み、アッサラームで物資の調達をしてからネクロゴンド地方へと向かうこととなる。ダンはあごにたくわえたひげをしきりに撫でながら、難しい顔をした。
「通常時ならいいんだけどよ……。サーラさんのことを考えると、一刻も早くあんたらを連れて行かないといけない。今回は往路だけなんだから、いっそアッサラームで別の船を借りた方がいいんじゃないか?」
「確かに……」
 同意するモエギの隣で、ジャックが意見を述べた。
「いや、あそこではそう気前良く船を借りられねえ。話をつける時間だけで一日分海上を進める」
「なら、このままこの船で行くのか?」
 焦燥感を募らせるアルトに、ジャックは何故か挑発的な笑みを見せた。訝ると、ジャックは甲板まで出るよう告げた。
 乗船する全員を集めると、ジャックはその中心に立ち皆を見回した。船に戻ってから、装いも賢者のものとなっている。
「オレ、前から考えてたんだわ。この帆船ごとルーラで転移出来たら、今までの何倍も楽になるんじゃねえかなって」
「船ごと!? こんな大きな船を?」
 ポルトガの造船技術を余すことなく費やした帆船は、海原を行く小城と形容してもおかしくない威容を誇る。目を丸くするモエギを一瞥し、ジャックは気が削がれたように肩をすくめた。
「護符の時は根拠のない自信を押し付けたくせに……。まあ、オレも今なら出来るかなと思ってよ。特に、現状を考えると成功させなきゃいけねえ」
 途端に引き締まったジャックの表情に、誰もが異論を飲み込む。アルトも一歩進み出た。
「……頼む。ジャック」
 ジャックは口元に笑みをたたえ、任せとけと言わんばかりに胸を叩いた。
 緩やかに両手を広げ、銀の賢者は瞳を閉じる。波間に浮かぶ帆船を抱くように、ゆっくりと両腕を持ち上げると、徐々に帆船を取り巻く波が大きくなる。
 大海に身を委ねるかのごとく、胸を開き両腕を左右に広げると、緑の双眸が開かれた。
「……ルーラ!」
 船底から、心もとない浮遊感が這い上がり足元に纏わりつく。直後、奇妙な揺れと共に視界が暗転した。
 気付いた時には、乾燥した土ぼこり混じりの風を感じていた。アッサラーム市街地から程近い、港の風景が一面に広がっている。ついさっきまで停泊していた港町よりも人影が多く、活気づいた声がちらほらと上がっていた。
「着いた……」
 船上にいながら、全く別の場所へ転移する感覚はアルトも初めてだ。モエギと肩を並べ、辺りをぽかんと見渡す。
 今まで待機を余儀なくされていたダンや乗組員たちは、驚きよりも転移時独特の感覚に困惑したようだ。船酔いとは無縁の男たちは一様に膝をつくか船体に寄りかかり、青い顔をしている。
「うえ……。ジャックの旦那よ、あんたらはいっつもその術のたびに、こんな気持ち悪い思いをしてるのかい……」
 頑丈なダンも、胸元を押さえながら荒い息で問う。転移を成功させた高揚感からか、ほんのり血色が良くなったジャックは意地悪く微笑んだ。
「どう? 船酔いする人間の気持ちが分かるっしょ?」
 降参といった風に諸手を挙げたダンに、アルトとモエギも思わず苦笑した。
 事を急ぐとはいえども、船路や上陸後に備え十分な蓄えが必要となる。出航は翌日早朝とし、この日はアッサラームで物資調達に奔走することになった。
 わざわざサーラの居場所を知らせてきたことから、奴には相当の自信と企みがある。はやる気持ちを否が応でも静めてくれるのは、腫れ上がった右頬の鈍い痛みだった。



 最初に入り込んできたのは、水の流れる音だった。
 すぐそばではない。壁を隔てた向こう側から流れを感じる。
 力が抜けた身体を包む空気は、ひんやりと湿っている。初夏の今頃は心地良いはずなのに、どこかこもった、不快感が纏わりつく湿り気だ。
 重いまぶたを何とか持ち上げると、ごつごつとした岩肌に囲まれた洞穴の中に倒れていた。起き上がろうとしたが、意識が朦朧としており身体の感覚も上手く掴めない。
 瞳を閉じ、ゆっくりと記憶の糸をたぐり寄せる。
 ――スー地方の東部にて栄えたオーエンバーグを訪れると、以前目についた派手さと不穏さは消え去っていた。
 宿屋は若い冒険者が出入りし、劇場からは子供の歌声が聞こえる。労働者が軒を連ねていた簡素な造りの商店街も、石造りのしっかりとした店構えとなっていた。
 様変わりした町の外れには、かつての名残を唯一感じさせる地下牢が新たに設置されていた。自警団の者に話を聞くと、一斉蜂起の際捕縛した町の権力者、オーエンが収容されているとのことだった。
 知り合いだというジャックの口利きで、オーエンのいる牢屋を訪ねてみた。ジャックは冷やかしのつもりだったようだが、実際にオーエンと対面すると、いつもの饒舌は全く発揮されなかった。
 オーエン自体は、いかにも豪商といった風情の、たっぷりとあごひげをたくわえた肉付きの良い男だった。だが、殺風景な牢屋で暇を持て余しているかと思いきや、せっせとわらを編んでいたのだ。
 拍子抜けしたジャックが何をしているのかと尋ねると、オーエンは特に噛みつくこともなく淡々と答えた。恩人の屋敷のために、日よけをこしらえていると。
 おそらく窓を覆うためのそれは、編み目が粗く、ぴょこぴょことわらが飛び出している。それでもオーエンは気にする素振りがなく、肥えた身体を丸める姿は、覚えたての作業に夢中になって取り組む少年を思わせた。
 立ち尽くしていると、オーエンは脂っぽい顔に似つかわしくない笑顔で、ぜひ屋敷の老人を訪ねて欲しい、と勧めてきた。
 捕縛された際、何かの拍子で気が動転してしまったのか。そんな推測を交わしながら屋敷を訪ねると、浅黒い肌に上質な毛織物を重ねた白ひげの老人が出迎えてくれた。
 町興しのため、集落を出てこの地にやって来たスー族の老人は、オーエンの様子を聞くとそうか、と目尻に何重ものしわを寄せた。老人からは、あの男への恨みつらみが欠片も感じられなかった。
 オーエンに町を牛耳られ、名ばかりの町長となっていた老人に労働者たちはオーエンの追放を訴えたという。しかし、老人は予期せぬ形になったとはいえども、彼がこの町を発展させた最大の功労者であることは揺るぎない事実と主張した。それ故、オーエンの捕縛後も彼の名前を町の名として残したのだ。
 また、老人はオーエンがたくわえていた私物から、あるものを見つけたという。夕闇に染まる前の太陽の輝きを掲げた竜の置物と聞き、三人揃って見せて欲しいと頼んだ。
 それはまさしく、六つの宝珠のうちの一つであった。
 旅のいきさつを打ち明けると、老人はすんなりと黄の宝珠を譲ってくれた。曰く、オーエンの様子を聞いた限り、この宝珠には十分恩恵を受けた、とのことだった。
 穏やかな老人の微笑みは何故か、牢屋に捕らわれているオーエンと、束の間だぶったような気がした。



 そこまで思い出して、サーラは目を開けた。
 あの後、宝珠はジャックが所持していた。酒場で昼食を摂り、出ようとした所で、唐突に声をかけられたのだ。
 我ながら、気が緩んでいた。年若い男が僧侶の法衣に身を包んでいたこと、広く周知されていないテドンの名、しかも復興について話を持ちかけられたこと。知らない男だったが、そこから同郷、もしくはポルトガあたりの者だと判断し、耳を貸してしまった。
 詳しい話を聞くため、モエギとジャックとは別行動を取り、僧侶の男について行った矢先に、何らかの術で意識を奪われた。気付けば、このざまである。
 洞穴の入口には鉄製の扉が立ちふさがり、両手を後ろで縛られ足かせまでつけられている。扉の脇には松明が一本備えられているのみで、時間の経過もよく分からない。
 サーラ個人に絞ったような話題をちらつかせ、このような場所に閉じ込めるなど、真っ当な聖職者のやることではない。
 狙いが何なのかは分からないが、自由が利かず、愛剣を含めた全ての荷物が消え失せている。鎧の重厚感の代わりに、頼りない布心地の絹のローブを纏っている。
 腹ばいになり、何とか上半身を起こしその場に座り込むと、サーラは扉を睨みつけた。立ち上がり、足かせのない左足で扉を蹴る。
「開けろ!」
 裸足で蹴りつけても、扉はびくともしない。何度も声を荒げたが、気配は感じられなかった。
 足裏の痺れと痛みに耐えかねて、サーラは一旦腰を下ろした。こういう時、魔法の心得が何一つないのが悔やまれる。
 無力化された自分を痛感すると、ふいにアルトの顔が浮かんだ。
 どこか思い詰めた表情のまま、サーラを伴わずサマンオサに向かったアルト。このことを知れば、アルトはきっと自分を責める。自分自身のうかつさが許せなかった。
 空腹を感じ始めた頃、扉の向こうで何者かの気配が動いた。息を潜め、じっと扉を睨み据える。錠の外れる音が鳴り響く。
 現れたのは、オーエンバーグで声をかけてきた、金髪の僧侶だった。
「気分はいかがですか?」
 柔和な笑顔だが、氷の膜が張ったような淡い瞳は全く笑っていない。
「……貴様、何者だ」
 扉を閉めると、優男の僧侶は表情を変えずに答えた。
「わたくしはデラルド。バラモス様直属の参謀を仰せつかっております」
 聞いたことのない名だ。さして広くない洞穴で距離を詰められ、サーラは背後の壁まで後ずさる。
「私を捕らえてどうするつもりだ? 今に私の仲間がここまで来るぞ」
「ええ、そのように手配しておりますとも。その間、貴女がいつまで強情な態度でいられるでしょうね?」
 いやに丁寧な口調が、かえって不気味だった。青白い手が伸び、あごを持ち上げられる。途端に悪寒がして、即座に顔を背けた。
「触るな」
 大体の魂胆は行動から読み取れる。虫唾が走る思いだった。デラルドは素直に身を引き、薄ら笑いを浮かべた。
「尊い血筋の下に生まれたというのに、人間の血が混じった貴女はやはり、不完全のようですね」
「……何だと?」
 仰ぎ見ると、デラルドは同じ目線にしゃがみ込み、怜悧な笑みで突き付けた。
「人間であるが故の弱さが、貴女を苦しめる。
 例えば、目の前にいるわたくしが、貴女の故郷を滅ぼした張本人ということ……とか」
 一瞬、身体の中で刻まれていた全ての時間が、止まった。
「直接貴女に恨みはないのですがね。その様子では、何も知らされていなかったのでしょう?」
 焼け焦げ、灰に埋もれた故郷の光景。降りしきる雨よりも冷たい涙の味。沢山の人が与えてくれた優しさ。あれからサーラを生かしてきた全てのものが一緒くたになり、衝動となった。
 全身でぶつかり、喉元を食いちぎらんばかりに牙を剥いた。デラルドは獰猛な飼い犬を愉快そうに弄び、目と鼻の先で顔を歪めた。
「憎いでしょう? 殺したいでしょう? ですが、今の貴女に成す術はない。それどころか、この狭く暗い洞穴でのたれ死なないためには、わたくしに頼らなければいけない! 仇のわたくしに媚びへつらい、生を繋ぎ止める!」
 硬直したサーラから離れ、デラルドは扉の前に立ちはだかると狂ったように嘲笑を響かせた。
 この上ない屈辱だった。まともな反論すら何一つ返せず、ただ荒い呼吸を繰り返す。
 今、自分以外の何かになれるのなら、一振りの剣となって目の前の業を貫きたかった。
 ひとしきり笑うと、デラルドは平衡感覚を失い這いつくばるサーラを悠然と見下ろした。
「勿論、生きようが死のうが、貴女の勝手ですよ。でも貴女は死ねない。だから、貴女を餌に最も忌まわしい者を葬るのです」
 瞬時に浮かんだ姿に向かって、心の中で叫ぶ。
 真意を悟ると、言語すら忘れかけていた精神に、徐々に冷静さが戻って来る。
「餓死しない程度に、食事は用意しましょう。せいぜい、生き長らえることですね」
 優越感たっぷりに言い残すと、デラルドはその場を去った。
 沸騰したままの身体を何とか起こし、サーラは洞穴の片隅にもたれかかった。言い尽くせぬ思いがどろどろと、溶岩流のように全身を駆け巡っている。
 今は奴の言う通り、アルトたちが来るまで生き延びなければならない。それがあの下卑た男を悦ばせるのであっても、耐えなければいけない。
 アルトや、ジャックは既に、奴の影に気が付いていたのだろう。奴の存在をひた隠しにし、サーラが憎悪に苛まれないように。今は彼らの優しさが、心苦しかった。
 おそらく、アルトたちもこれが罠だと気付いている。それでも互いを救おうとする自分たちの本質を利用するのが、奴の真骨頂だ。
「……私は、屈しない。だから……」
 愛しい名を呼ぼうとするだけで、喉が詰まる。こみ上げるものを決して流すまいと、サーラは唇が切れる程噛み、耐えた。