最後の銀 勇気の意味 1



 自分は自分なのだと言い聞かせていても、どこかで甘んじていた。
 あらゆるものに運命づけられた、『勇者』の響きに。
 やがて突き付けられた現実は声もなく、一人の青年の真価を問うていた。



 夏に向け、徐々に色深くなる晴天の下、アルトは一月半ぶりにサマンオサの地を踏んだ。
 悪政により寂れていた城下町は、民と各地からやって来た有志により整備が進み、鬱々とした雰囲気は消え去っていた。
 歩道には幾多の足跡や轍が見られ、所々工事の名残が残っているが、それもこの国が沢山の人々の力により復興の兆しを見せている証だ。
 アルトが町並みを見回しながら歩いていると、あちこちで軽いざわめきが起こる。サマンオサを救った若き英雄の顔は、至る所で知れ渡っているようだ。寄せられる視線の中には、その背後につく眼光鋭い女僧侶に気付き、怖々とそらされるものもあった。
「どう? あれからそんなに経ってない割には、この国も見違えたものでしょ」
 まるで自分が復興の総指揮を執っているかのように、女僧侶セラは肉付きの薄い上半身を得意気に反らす。アルトは相変わらずの態度に苦笑を覗かせた。
「そうですね。これなら今年中には、元の美しいサマンオサに戻る」
 情勢が乱れる前のサマンオサを訪れたことはないが、活気を取り戻していくさまを眺めていると、期待を込め口にせずにはいられなかった。
 しかし、笑顔も長くは続かなかった。作業に精を出す人々の横顔は、悪政から解放された直後の晴れ晴れとしたものではない。どこか、最も大切なものだけを返してもらえなかったような、寂しさが滲んでいた。
 ――ランシールの大神殿で課せられた試練に一人赴き、六つの宝珠の一つ、青の宝珠を手に入れた矢先のことだった。特殊な道具を用い、突然転移してきたセラから、サマンオサのアリエルの元に来るよう依頼された。
 話を聞いた時点で、既に一つの結果が出たことを悟っていた。それは、誰もが阻止したかった未来だ。しかし現実になってしまった今、安易に口にするのははばかられた。
 アリエルの口から直接耳にするまで、アルトは自分から言及しないと決めていた。しかし、サマンオサ国内の様子を知ると、胸の中に重い澱のようなものが沈下していくのを感じずにはいられなかった。
 城下町の南北に渡る大通りに差しかかる。激戦により上階が大破した王城も、修復が進み元の威厳が戻りつつある。サマンオサ国王やセレス王女は教会を離れ、王城の一階で寝起きをしているという。
 足を止め、王城を見上げていると、否が応でもあの夜を思い出す。降りしきる豪雨に混じった血の匂い。痛切な叫び。嘲笑うかのように高みの見物を決め込む、仇敵の存在――
「ところで、サーラさんは連れて来なくて良かったのかい? 随分仲睦まじげだったじゃないの」
 我に返ると、いつの間にかセラが数歩先でこちらを振り返っていた。気を取り直し、かぶりを振る。
「……今回は、俺だけで良いんです。サーラはこの国に来ると、自分のことを気にしてしまう。それに、今は少し、距離を置いてみようと思って」
「そうかい。まあ、分からなくもないけど。男と女は色々あるからね」
 どちらの理由に対しても、セラはそれ以上追及せず再び歩き出した。大股で闊歩する彼女に置いて行かれないよう、アルトもすぐに踏み出す。
 前者の理由はもっともらしい建前で、後者が本音だった。
 主にジャックから指摘され続けているが、自分でも自覚していた。サーラを愛している、始めはただ真っ直ぐで一途なだけだった想いが、思いもよらない執着となっている気がしてならないのだ。
 サーラを奪おうとする全てに牙を剥き、排除を厭わない冷酷さが、心の中に潜んでいる。純粋な愛情故の狂気。自分の異様なまでの感情が、いつしかサーラを苦しめやしないかと、不安を感じていた。
 アルトがサマンオサに滞在する間、サーラはジャック、モエギと共にスー大陸の東部にある、オーエンバーグの様子を伺うことになっている。最初に訪れた時から状況が変化したのか、ジャックが気にかけていたのだ。
 サーラはアルトについて行くと言ってくれたが、やんわりと断った。セラが来てから丸一日休養を取り、疲れは緩和していた。また、主用があるのはアルトだけだったため、一人で事足りると伝えたのだ。
 サーラも、アルトが距離を置きたがっているのをうっすら感じ取っただろうが、特に引きとめることもなくうなずいてくれた。磨き上げたばかりのようなルビーの瞳が、寂しげに瞬いていた。
 自分のままならない想いで、苦しめたくない。そのために、一時寂しい想いをさせてでも、離れている間に気持ちを整理したいのだ。
 たかだか一日二日離れる程度で、結局自分の方が感傷的になっている気がする。自嘲気味な笑みがこぼれた。
「おーい! おーいっ!」
 突然、城下町の南部に軒を連ねる商店街から、長身の筋肉質な男性が飛び出てきた。見慣れた深緑の鎧姿ではなく、一般民と大差ない軽装に長剣を提げている。前を歩いていたセラがぎょっと髪の毛を逆立てた。
「ケインさん!」
 セラの夫である戦士ケインが、両手を大げさに振りながら満面の笑みで走り寄ってくる。待ちわびていた恋人を迎える年頃の娘のような、春めいた雰囲気を纏っている。
 目前まで迫ってきた夫をひらりとかわしたセラの代わりに、アルトは骨太な成人男性の抱擁を受ける羽目になった。
「セラ〜! 帰りが遅いじゃないか! おいしいものでも食べてきたのかい? こんなにむちむち、いやがっしり肉がついて……」
「あの、人違いです……」
 アルトが苦悶の声を上げると、すぐさま痛烈な横蹴りにより解放された。大きく息をつくと同時に、セラが地面に倒れた夫の耳をつっぱねているのが目に入る。
「あんたは節操なしかい! 器用に軌道修正してアタシに突進してくるってのが筋だろうが!」
「ごめん! ごめんってばセラ! あまりにも待ちくたびれていたから、制御がきかなかったんだよ」
 どこにいても騒がしい二人の夫婦喧嘩は、城下町の人々の注目を集める。言い合いからして、セラもまんざらではないのは気のせいだろうか。
 人騒がせだが、ある意味微笑ましい夫婦のやり取りを目にして、アルトは一旦気持ちを切り替えることにした。セラをなだめ、ケインに一礼する。
「お久しぶりです、ケインさん」
 ケインは衣服についた土ぼこりを払うと、赤く腫れた耳をさすりながら柔和な笑みを浮かべた。
「ああ、よく来てくれたね! いやあ、また男前になったんじゃないかい?」
「つい今しがたあんたが抱擁してたけどね」
 たった今アルトに気付いたような口振りに、セラがうんざりした様子でつぶやく。ケインはいつも通り全く気にせず、ぐるりと町並みを見渡した。
「この城下町も、大分元通りになってきたよ。僕たちがここを離れている間、クラリス様は民の代表に復興の指揮を任せて、ダーマに戻られたそうだよ」
 そういえば、城下町に降り立ってもしゃんとした賢者の娘は見当たらなかった。クラリスはアルトたちが来たらよろしく、と言い残していたという。
 ダーマ神殿に守られて生きてきたクラリスも、サマンオサの件に貢献することにより、大きな糧となっただろう。機会があれば、滞在中の話を聞いてみたい。彼女は大きな目を輝かせて、喜んで話してくれるだろう。
「アタシたちも、クラリス様には色々勝手を言って、世話になったからね。落ち着いたら挨拶に行かないと。それよりあんた、二人はどうだい? アタシがいなくなったからって、食事残したりしてないだろうね」
 口調は手厳しいが、女子供には時折優しさを垣間見せるセラが、不機嫌とは別の表情を見せた。気遣わしげに眉根を寄せる妻に、ケインも笑みを弱める。
「大丈夫だよ。食事は摂っている。ただ、顔色は相変わらず青白いね……。庭に出て、少しでも陽に当たればと声をかけても、外に出る気配はないよ」
 会話の内容を理解して、上向きになっていた心が再度しぼんでしまった。アルトは二人を交互に見て、気を引き締めた。サマンオサを訪ねた理由は、復興や再会を喜ぶためではない。
「案内して下さい。アリエルに、会わないと」



 城下町の南東に佇むサイモンの邸宅に足を運ぶと、アルトは目を見張った。
 庭師の入念な手入れが行われた前庭は、伸び放題だった草木が刈られ、太陽に洗われたように瑞々しく輝いていた。小さな池ではカエルや虫が水浴びを楽しみ、そよ風に揺られる初夏の花が、彩りと涼やかさを呼び込んでいる。
 昼時の陽光に汗を拭いながら、庭の様子を見て回っていた初老の庭師がこちらに気付く。にこやかな表情で会釈してくれたが、他の民と同じく、どことなく憂いが混じっていた。アルトも頭を下げると、セラとケインにつられて邸宅に入った。
 見違える程生き生きとした邸宅の様子に、一瞬、主のサイモンが戻ってきたかのような錯覚に陥った。しかし、予感は覆されないままだ。
 中は以前訪ねた時よりすっきりしている部分と、散らかり方がひどくなっている部分があった。数ヵ所に積み重ねられた古い調度品や日用品、書物などを見た所、片付けの最中なのだろう。
 通された応接室で、セラがお茶を振る舞ってくれた。柑橘系の香りがする冷たいお茶は、喉に染み渡る。
 程なくして、ノックの音が聞こえた。ケインが顔を見せると、促すように背後を振り向き、前を譲る。小柄な少女と黒髪の青年が姿を見せると、アルトは瞬時に腰を浮かせた。
「アリエル! シゲルも……」
 アリエルは遠い血縁であるアルトの顔を認めると、青白い顔に安堵の笑みを浮かべた。表情の動きは弱々しく、彼女自身も一回り小さくなったように見える。皮のワンピースに、丸みのある腰袋を提げていた。
 一方、シゲルは一瞬だけ口の端を上げると、アリエルがアルトの向かい側に座るのを待ち、沈んだ面持ちで隣に腰を下ろした。鈍い光沢のある鞘に収まった剣を抱えている。
 セラはこめかみあたりの髪を耳にかけ、ため息をつくとケインに目配せした。ケインも珍しく真顔でうなずき、夫婦は扉の脇に立つとその場に残った。
 あらかじめ用意されていた二人分のお茶には手を付けず、アリエルとシゲルはグラスの黄味の強い表面に目を落としたままだ。アルトが何と声をかけようか考えていると、シゲルが口を開いた。
「お前なら、もう分かっているだろ。親父は死んだ」
 率直な言葉に、アルトは太ももの上に置いていた両手を強く握った。事実を目の当たりにしたはずの、自分たちにも言い聞かせるような厳しさがあった。
「先月末、教会で葬式をしたんだ。亡骸が帰ることのない、空っぽの棺に庭中の花を入れて……。それでも、国王様や王女様を始め、国中の人が参列してくれた」
 現在は、国内で一月の間喪に服しているというが、城下町には人々の様子以外、そのような気配がなかった。アルトは言葉を選びながら、声音を抑え返した。
「そうか……。俺も、後で花を手向けるよ。でも、服喪期間なら何故、町や城の方は変わった様子がないんだ?」
「それは、わたしが国王様に頼んだから」
 か細い声だが、静まり返った部屋にいる全員がアリエルに注目した。アルト以外は理由を知っているはずだが、彼女が口を利いたことに驚いたのだろう。
 アリエルは皆の顔を眺め、そっと苦笑した。
「わたし、みんなが思っているよりは大丈夫だよ。そうじゃなきゃ、アルトとすら顔を合わせられないもの」
 思いのほかしっかりとした声の調子に、誰ともなくほっと息をつくのが聞こえた。アリエルはアルトに視線を合わせると、自ら説明してくれた。
「国王様は反対されたわ。元はといえば自分のせいで、父さんを死なせたんだって……。だけど、これは父さんの願いだったの」
「……サイモンさんの?」
 身を乗り出すと、アリエルはこくりとうなずいた。泣き腫らした痕が痛々しい目元を撫で、彼女は父サイモンを捜していた間のことを語った。



 アリエルは当初、サマンオサ北部にある祠から旅の扉を介し、サイモンが投獄された牢獄へ向かおうとした。
 しかし、転移先の祠に滞在する兵士から、対岸にある牢獄へ渡ろうにも、ここ数年女の亡霊により、渡る船がことごとく押し戻される現象により渡れないと報告を受けていたことが判明したのだ。
 そこで、サマンオサ国王は真相を探るため、遥か北方の氷床に覆われた島、グリンラッドに住む老魔術師を訪ねるよう進言した。さらに、北方に向かうにあたり、大陸南部に根城を構える海賊たちに協力を請うと告げた。
 国王所有の帆船で海賊の元へ向かったアリエルは、頭領のレダを筆頭に、海の荒くれたちにも大歓迎された。海賊たちは、アリアハンのルイーダに衰弱したアリエルを預けてからも、ずっと安否を気にかけていたのだ。
 彼らはサイモンへの恩義を忘れておらず、その娘であるアリエルのためならばと、快諾してくれた。レダは自ら船の操縦を買って出、海賊船ではあるが船一隻と心強い味方が増え、船旅は順調に滑り出した。
 グリンラッドでは、意外な事実が判明した。島の中心部に一軒家を構える老魔術師は、実はサマンオサ国王の実弟だったのだ。どことなく面立ちの似た老魔術師は、一見がらくたばかりの物置から奇妙な骨を探り当て、アリエルに託した。曰く、この骨が示す先に、手がかりがあるという。
 通称、船乗りの骨という品を大多数の者が訝しんだが、浮き出る方角の通り船を進めていくと、ポルトガとロマリアに隣接する地中海をさまよう不気味な幽霊船に行きついた。亡霊と魔物が棲みつく船内を探索すると、アリエルはある亡霊に出会った。
 死しても尚、乗組員として働き続ける亡霊の中に、エリックという青年がいた。彼は辺境の地に置いてきた恋人オリビアを案じ続けており、自分の代わりにあるものを渡して欲しい、と懇願してきた。アリエルはオリビアの名を耳にし、件の亡霊が居ついている岬にも同じ名がつけられているのを思い出した。
 船は何日もかけてオリビアの岬に辿り着き、アリエルはエリックから譲り受けたロケットを海に投げ入れた。その途端、船を襲おうと荒れ狂っていた波が静まり、怨霊と化していたオリビアがぼんやりと姿を現したのだ。
 彼女は、エリックが乗り込んだ船が難破したことで、多大な衝撃を受けた。そのあまり、帰らぬ人となった恋人の後を追って自害していた。報われぬ悲しみが、いつしか怨念となっていたのだ。
 だが、エリックが遺したロケットは想いごと届いた。正気に戻ったオリビアの元へエリックが現れ、引き裂かれた恋人たちは二度と離れぬよう、身を固く寄せ合いながら天に向かって消えていったという。
 ようやく、サイモンが捕らわれている牢獄まで来たアリエルに、レダはあるものを差し出した。それは、かつてサイモンがサマンオサ王族と海賊たちの友好の証として預けた、赤の宝珠だった。
 レダは、亡き義父から秘かに宝珠のことを聞かされていたのだという。しかるべき時が来た際には、元の持ち主に戻すように、と。アリエルはサイモンに見せるため、宝珠を持って牢獄へと足を踏み入れた。
 世界中から重罪人が収容されるという牢獄は、ひどく寒々しい場所だった。生命の息吹が感じられず、投獄された者は根こそぎ生気を奪われ、骸と化す。至る所に転がる白骨と、息苦しくなる程の死の匂いを和らげるため、セラが清めの呪文をかけてくれた。
 一刻も立ち去りたい気持ちを懸命にこらえ、アリエルはシゲルとケインに守られながら、牢屋をくまなく見て回った。生存者はおらず、サイモンは何らかの方法で脱獄したのでは、という考えがよぎった。
 しかし、望みはあるものを目にすることで潰えた。
 牢屋の粗末な寝床に、まだ白骨化して間もない死体が転がっていた。その傍らに、サイモンが肌身離さず携えていた、ガイアの剣が立てかけてあったのだ――



 部屋ごと押しつぶされてしまいそうな静寂が、重くのしかかっていた。
 声をかけようにも、言葉が見つからない。下手になぐさめを口にしても、かえって彼らの傷をえぐるのは明白だった。
 セラは、あまりにも無慈悲な死を弔うかのように、胸の前で拳を握りしめうつむいている。震える拳は、やり場のない怒りを宿していた。ケインも、偉大な英雄を偲び、沈痛な面持ちで固く目を閉じている。
 アルトも、幼少期に父オルテガを失っている。だが、オルテガは現在も行方知れずとなっており、実際にその死を目にした訳ではない。
 それにひきかえ、アリエルとシゲルは、最後まで希望を持って捜し続けた父が、物言わぬ姿に変わり果てたのを目の当たりにした。その胸中は、二度と這い上がることの出来ない奈落に落とされたような絶望感に見舞われただろう。
 音もなく濡れていた両頬をぬぐうことなく、アリエルはしばらく口をつぐんでいた。シゲルは小刻みに震えるアリエルを見かねてか、華奢な肩を両手で掴んだ。
「アリエル、少し休め。一気に話さなくていいんだ、な?」
 シゲルは涙こそ見せないが、目尻のあたりは赤く潤んでいる。アリエルは目を見開くと、今気付いたように濡れた頬を乱暴にふいた。気丈な声が上がる。
「いいの。わたしは今、話したいの」
 強情ともとれる、決然とした態度に、シゲルはおとなしく手を放した。アリエルは涙を溜めながらも、真っ直ぐアルトを見つめた。
「あのね、続きがあるの。聞いてくれる?」
 目の前の少女の瞳が、アルトは不思議だった。打ちひしがれ、今も絶望の淵にいてもおかしくないのに、アリエルの瞳には力がある。どんな運命にも、どんな現実にも、決して屈しないと抵抗する、意志の宿った瞳だ。
 可憐で愛らしく、妹のように親しみを覚えるアリエルだが、こうした一面を見ると、彼女もやはり英雄の子なのだと思い知らされる。
「……うん。聞くよ」
 妹にではなく、対等な者に対しての返答をした。アリエルはわずかに微笑むと、再び口を開いた。
「あの時のわたしは、ただ泣き崩れるしか出来なかった。父さんをあんな目に遭わせた、全ての存在を許さないって思った。気付いたら、レダから返してもらったこの宝珠にすがるように、胸に抱いてた」
 アリエルは腰袋から、目がくらむような輝きを放つ宝珠を取り出した。強烈な色彩に、目をしばたたかせる。
 赤々と燃える朝日のような生命力と、侵し難い気高さを具現化したかのような、赤の宝珠。同時に、大きな篝火の暖かさに包まれているような頼もしさを感じる。
 アリエルは宝珠を腹の辺りに抱えると、厳かにひと撫でした。宝珠の輝きを受け、青白かったはずのアリエルの顔が血色を取り戻しているように映る。
「多分、無意識に祈っていたんだと思う。こんな最期はむごすぎる。最期まで、父さんに英雄の誇りを持たせて欲しいって……。そうしたら、急に宝珠が光を帯びたの」
 アルトは息を呑んだ。
「わたしたちが茫然としていると、父さんの亡骸が鮮やかな炎になって、目の前に来たの。そして、父さんの声がはっきり聞こえたの……」
「……人魂だね」
 セラのぶっきらぼうな説明が入った。ケインも腕組みをして、深くうなずく。シゲルは両手を膝の上で組み、アリエルの手中にある宝珠を見つめている。サイモンの面影を見出すように。
「その時、わたしたちは父さんが生きていて、目の前で耳を傾けてくれているのと同じように、話が出来た。わたしとシゲルは、いつ父さんが消えてしまうか怖くて、でも夢見心地で、父さんがいなくなってからのことを話した。火がついている間だけ会えるなんて、おとぎ話みたいだよね」
 アリエルはどこか浮世離れした目つきで、サイモンとの最期を語った。だが、居合わせたセラたちの反応は、これが宝珠の見せた幻ではなく、現実に起こったことだと証明していた。
 サイモンは、サマンオサが復興しつつあること、かつての盟友の息子であるアルトがサマンオサを救うため尽力してくれたことを、大いに喜んだ。何より、アリエルとシゲルが成長し、生き延びたことを、滲んだ声で良かった、と心から労ったという。
「……その時、親父が言ったんだ。アリエルとおれが、親父の一番の誇りだって。心配するな、って」
 言葉少ななシゲルの唇は、震えていた。アリエルはシゲルの手に自分の手を重ねると、涙を押し込めるようにぎゅっと目をつぶった。
「それでね。最期に、せっかくサマンオサが復興しようとしているから、父さんのことはみんなの胸にしまって、これからは前だけ向いて生きて欲しいって、言ってたの。だから、サマンオサは明るいままなんだよ」
 力強く言い切り、アリエルは柔らかく微笑んだ。彼女らしい、優しくも見る人を元気づけるような笑顔だった。
「……そうか」
 アリエルにつられ、アルトもようやく笑うことが出来た。国全体が喪に服さないのは、サイモンの遺志だったのだ。
 すると、うわずったうめき声が上がり、たちまち大の男の嗚咽が部屋に満ちた。
「あんたが泣くんじゃないよ! ったく、いい歳した男がさ!」
 セラにどつかれると、ケインは盛大に鼻水をすすりながら反論した。
「君だって、サイモン様を見届けてから、船の中で僕の胸を濡らしたじゃないか!」
「あんたの目と鼻から滴るものを受け止めながらね!」
 頬を紅潮させセラが応じると、シゲルが気を削がれたように「きったねえな……」とぼやく。アルトとアリエルは顔を見合わせ、くしゃりと笑み崩れた。
 飽きもせず喧嘩の応酬を繰り広げる困った夫婦を横目に、シゲルはアリエルを肘で小突き、わざとらしく声を荒げた。
「ほら、渡すぞ!」
「あっ、うん!」
 二人は同時に、それぞれ手にしていたものをテーブルの上に差し出した。ラーの鏡と同じく、アリエルの一族『守護者』に伝わる三つの神器の、残り二つだ。宝珠は、これで四つ目となる。
「ガイアの剣は、武器としては使えない。だけど、大地の女神の力が封じ込められたものなの」
「どういう時に使えばいいんだ?」
 尋ねると、アリエルは剣の鞘に手を添えた。父の形見でもある、古びた剣との別れを名残惜しんでいるようだ。
「それは、わたしも父さんも知らなかった。だけど、この剣のことをレダに話した時、思いがけないことを教えてもらったの」
 秘密の呪文を打ち明けるように、アリエルは上半身を傾け、口元に手を当てた。アルトも自然と顔を寄せる。
「この大陸のさらに南西、海賊の家よりも離れた海に浮かぶ孤島で聞いたそうなの。予言者だっていう人から」
 シゲルが面白くなさそうに睨んでいるのが視界の隅にちらついたが、それどころではない。予言者は、こう口にしていたという。
 魔王の神殿は、ネクロゴンドの山奥にあり。選ばれし者は、火山の火口に大地の加護を受けし剣を投げ入れ、自らの道を拓くであろう――
 火山。父オルテガが行方をくらませた、ネクロゴンドの地に息づく活火山のことだ。
 父が消息を絶った地に、足を運ぶ時が来たのだ。呼吸を忘れ、アリエルと見つめ合っていると、横から無理矢理シゲルに引き剥がされた。
「シゲル!」
 アリエルが咎めるが、シゲルは構わずにガイアの剣をアルトに押し付けた。
「おい。言っておくけどな、おれとアリエルはもう兄妹じゃないんだ。アリエルはおれのものだ。変な気を起こすなよ」
「シゲルったら! アルトにはちゃんと、サーラさんがいるのに……!」
 頬を膨らませるアリエルは、確かにシゲルが心配するのも分かるくらい可愛らしい。やはり、サーラに一緒に来てもらった方が良かったかもしれない。
 苦笑いしつつ、譲り受けた品をしまい手にすると、アルトは腰を上げた。
「それより、アリエル。元気が出てきたなら、外に出てみないかい? いい天気だよ」
 はっとして、アリエルは肩を落とす。話をした限り、聞いていたよりはふさぎ込んでいる印象が薄れていたのだが、本人は何故か気乗りしないようだ。
「どうしたんだ? 何か、気になることでもあるのか?」
 問いかけると、代わりにシゲルが答えた。
「アリエルは、しばらく外に出ないって決めている。それが、こいつなりの喪に服す行為なんだ」
 弁護するというよりは、シゲルも渋々了承しているといった雰囲気だ。宝珠の赤みがなくなると、アリエルの顔色はやはり健康的とは言えない。
 少女らしい外見とは裏腹に、頑固なアリエルのことだ。彼女なりの考えがあるのだろう。それでも、アルトには意地を張っているように見えた。
 立ち上がると、アルトは有無を言わずアリエルの手を引っ張った。二人は揃ってこちらを見上げる。
「アルト! わたしは、外に出たくないの!」
「アリエル。君は大丈夫だと言いつつ、まだサイモン様のことから立ち止まったままだ。今すぐ元気になる必要はないけれど、ここに閉じこもっていたら気持ちもふさいだままだよ」
 アリエルは渋り、シゲルに助けを求める。何事もアリエルを最優先するシゲルだが、おもむろに立ち上がるとアルトに顎をしゃくった。
「おれも、このことはアルトに賛成だ。何も町の方まで行けとは言わない。でも、お前ここに帰って来てから、庭にすら出てないだろ?」
 シゲルに促され、アリエルも不承不承腰を上げる。出たくないというのは単に本人のわがままではなく、別の理由があるのだろう。
 庭に出るだけだから、と断り、アルトはアリエルを連れ出した。いつの間にか小競り合いが沈下していた夫婦は、昼食を作っておくからと送り出してくれた。
 玄関にある両開きの扉まで来ると、アリエルはちらりとアルトの顔を伺った。今から約束を破るような、ばつの悪そうな表情をしている。だが彼女も、アルトも同様に頑なな面があることを知っているはずだ。反論はなかった。
 アルトが扉を開けると、風が前庭の草花を撫で上げ、清々しい音色を奏でた。高く澄み渡った空に手招きされるように、アリエルが一歩踏み出す。
 外に出てしまえば、後押しする必要はなかった。アリエルはゆっくりと周囲に首を巡らせながら、前庭を進んでいく。慣れ親しんだ自分の家のはずが、アリエルは立ち入ってはいけない場所のように、そろそろと歩いている。
 アルトは数歩間隔を空けて彼女の後をついて行ったが、前庭の中心あたりでふいにアリエルが立ち止まった。
「……アリエル?」
 背後から声をかけると、アリエルが振り返る。黒々とした瞳が、水面のように揺れていた。
「父さんが捕らわれていた牢獄は、地上よりもずっと深い、光の届かない場所だった。あんな所に何ヵ月もいたら、心も身体もぼろぼろになって当然だよ。想像するだけで、寂しくて、悲しくて、しょうがなかった。なのに、わたしは……」
 以前も、こんな彼女の懺悔を聞いた覚えがある。サマンオサの王城の地下から脱出した時は、自分の無力さを悔いるアリエルを叱咤した。彼女も思い出したのか、言葉を切り、口をつぐんだ。
 だが、アリエルが外に出ることを拒んでいた理由が分かった。彼女は、投獄されてから命が尽きるまで、太陽の下から隔離されたサイモンの代わりに、邸宅から出ようとしなかったのだ。亡き父の苦しみを、少しでも自分に課すことで弔いになればと思ったのだろう。
 シゲルや、セラ、ケインも、アリエルの気持ちを尊重するが故に、強く出ることが出来なかったのだ。
 アルトも、彼女の父に対する思いは理解出来る。胸が痛くなる程、アリエルの健気さ、純粋さはまぶしい。けれど、それが本当にサイモンのためになるかと問われると、素直にうなずくことは出来なかった。
 うつむくアリエルの隣に肩を並べると、アルトは優しく語りかけた。
「アリエルにとって、外の光を浴びないことは、サイモン様のためだったんだね。けど俺は、それでサイモン様が喜ぶのかなって思うよ」
 アリエルは眉尻を下げたまま、小首を傾げる。まだ悲しみの底から浮上しきれない彼女には、すぐに届かないかもしれない。アルトは穏やかな口調で自らの考えを連ねた。
「苦しみ、悲しみに寄り添うことが、最良の弔いではないよ。少しずつでいいから、君がこれからのこと……未来に向かって、笑って生きていくのが、サイモン様の望みじゃないかな。俺は、そう思うよ」
 虚を突かれたように、アリエルがアルトを見つめる。
 風が吹き抜け、刈られて地面に残っていた草が舞い上がる。濃い緑の香りが二人を包む。
 庭師はサイモンの帰還を信じて、この美しい庭を整えただろう。歴史ある邸宅も、変わらずに佇み、主の息遣いや笑い声が再び戻るのを待っていただろう。
 彼らの望みは叶わなかった。だけど、主の代わりにこの場所を守り、意志を受け継いでいく子供たちがいる。きっとサイモンはそれだけで、十分なのだ。
「……うん」
 アリエルはそっとうなずき、花がほころぶように微笑んだ。生気のなかった頬に、ほんのりと赤みがさす。
 城下町の方から、一際強い突風が吹き込んだ。翻ったワンピースの裾を慌てて押さえ、アリエルが背後を見やる。
「わたしも、ご飯の手伝いをしないと。アルト、せっかくだから食べていってよ。今日はアルトが来るからって、ケインさんが朝からいっぱい食材を買い込んでいたの」
 鼻歌を歌いながら朝の市場を物色しているケインが瞬時に浮かび、アルトも破顔する。
「それは、ごちそうにならないとな」
 お互いに弾けた笑い声を上げ、邸宅に戻ろうとした時だった。
「アルト! アルト、いるか!?」
 よく耳に馴染んだ声が耳を震わせた。向き直ると、城下町の方から切迫した様子で駆けてくるジャックの姿が飛び込んできた。その後を追い越さんばかりに、モエギも走ってついて来る。
「ジャック! モエギ! あの町に行ってたんじゃないのか?」
 邸宅の門まで駆け寄ると、ジャックはぜえぜえと息を切らしながら膝に手をついた。賢者の装いではなく、普段の軽装をしている。アリエルが門を開け、二人を敷地内に迎え入れる。
 ただごとではない二人の様子を目にして、さっと身体の内側に得体の知れない影が差す。怖々と尋ねた。
「……サーラは?」
 隣で、アリエルが息を呑み込むのが聞こえた。
 ルーラで適当な場所に転移し、全速力で走ってきたのだろう。ジャックの呼吸が整うのを待たずに、モエギが脂汗を浮かべながらアルトの片腕を掴んだ。
「アルト君、落ち着いて聞いてね。……サーラが、さらわれたの」
 身体の中に入り込んだ影が、一気に膨らむ。
「サーラが……? どうして? ジャック、何があったんだ?」
 喉を震わせるアルトから身を引き、モエギがごめん、と顔いっぱいに申し訳なさを浮かべる。ジャックは額の汗をぬぐうと、早口で話し出した。
「あの町を見て回っている間に、サーラさんどっかの僧侶に声をかけられたんだ。くすんだ金髪の優男で、テドンの復興がどうたらこうたら言ってたんだけどよ……」
「テドンの?」
 用心深いサーラは、普段は見知らぬ人物には警戒を怠らない。だが、世間的にはあまり取り沙汰されていない故郷の話を持ちかけられ、気持ちが傾いたのかもしれない。ジャックは焦りを隠さずに続ける。
「サーラさんは話を聞いてくるって、オレらと一旦別行動を取ったんだ。町の方も前よりガラの悪い奴が減って、オレらも油断した……。なかなか戻ってこねえなと思ったら、こんなものがねじ込まれてたんだ」
 ジャックはズボンのポケットから、色あせた紙片を取り出した。そこには、固まった血のようなインクで、短い文がしたためられていた。
『忌まわしき精霊神の化身の娘を案じるならば、ネクロゴンドの地にある洞窟の奥地まで来い』
 あらかじめ用意していたような、流麗な筆跡だ。脅迫文の末尾には、Dという差出人の頭文字が残されている。
 テドン。精霊神。Dと名乗る差出人――もたらされたいくつかの断片が収束し、アルトの中で犯人が導き出された。途端に、言いようのない怒りの炎が全身をほとばしる。
「アルト……?」
 ただならぬアルトの様子を感じ取ったのか、アリエルとモエギの怪訝な視線が寄せられる。ジャックは紙片を握りつぶし、険しい眼差しでアルトを見据えている。
 全身を這っていく、黒い影がもたらす感情に促され、アルトは顔をゆがめた。
「……あいつだ」