深海の隠者 幽遠の青 4



 ポルトガに向かった一行は、帆船を停めている間ダンや乗組員たちに休養するよう言い渡すと、国王ロカに謁見した。
 エジンベアがスー族の宝を未だ所有していること、その宝がより重要な物を得るために必要なことを話すと、ロカ王は忌々しげに西の窓辺を見やり、直ちに返還を要求するため腰を上げてくれた。
 久方ぶりに宿の料理を味わおうとそわそわしていると、その日は城内の客室を用意された。お陰で豪勢な食事にありつけたが、一行を留まらせるには何か理由があるように思えた。
 すると、翌日の昼にはロカ王の甥であるジェフが姿を見せた。彼は王族でありながら、かつては世界中を旅し、ポルトガ南の灯台の管理者として自由気ままに生きている男だ。初めてポルトガから出航した際、サーラとアルトが世話になった以来の再会だった。
 その彼を何故呼び寄せたのかというと、何でもジェフを筆頭に、一行をポルトガ海軍の一員として同行させ、返還の交渉人とするというのだ。
 ポルトガ側からの働きかけだけでは難航し、かといってアルトの素性を話し、援助をあおごうとしても、気位の高いエジンベア側はそう簡単に壺を渡さない。ロカ王はそう踏んだのだ。
 四人はそれぞれ海軍の軍服を着用し、ジェフは常任ではないが、海軍に籍を置いているため自身の軍服を持っていた。
 諸々の準備を経て、さらに一夜明けた早朝、一行はポルトガ海軍が有する帆船に乗り込み、エジンベアに向かったのだった。



 ダンから聞いた話では閉鎖的な印象の強いエジンベアだったが、一連の話をジェフにしてみると、彼は朗らかに笑った。
「エジンベアが他国と一切関わり合いにならないのは、かつてアリアハンが全世界を制圧した際、それ以前の時代に、エジンベアが数々の略奪を行ってきたのを厳しく言及したからだね」
 船室で卓を囲み、サーラは仲間と共に話に聞き入る。四人に与えられたのは下級兵のもので、白と青を基調としたシャツとベストに、藍色の上着を羽織っている。ジェフは上着に肩章があり、首元はスカーフで覆っている。試着した姿を仲間内で見た際、アルトやジャックよりも、手伝いの侍女がサーラに惚れ惚れとため息をこぼしていた。
 ジャックは詰襟が窮屈なのか、シャツのボタンをくつろげて天井を仰いだ。
「はあー、ダンさんはあくまで近年のことしか強調してなかったけどね」
「ということは、かつてはアリアハンがエジンベアを監視していた訳ですね」
 アルトの言葉を受け、ジェフはうなずく。灯台で世話になった時は毛皮で身を包んでいたが、しかるべき衣装を纏うと、彼の王族らしい品性がきちんと漂う。
「それが、各国が戦争によりアリアハンから再び独立し、ほとぼりが冷めたため、エジンベアはほぼ未開拓であるスー地方への侵略を行った。最早アリアハンが各国に干渉する力はない。そのため、隣国である我々が取り締まることになったのさ」
「つまり、エジンベアは昔から略奪好きの性悪どもがのさばる国ってことね!」
 何を聞いても、モエギにとってエジンベアの印象はすこぶる悪いらしい。隣でサーラが苦笑すると、男性陣も同様に眉を下げたり、呆れたように肩をすくめた。
「まあ、エジンベアも元々、国内の統一戦争の末、今のようになった経緯があってね。そう何でもひとくくりにしては、物事の判断を見誤るぞ?」
 ちょっぴり意地悪く微笑みかけられ、モエギは答えに窮し、首をすぼめた。さらにジャックが追い打ちをかける。
「どうも、すみませんね。こいつは単細胞なもんで」
「ずいぶんはっきり言うよね! 初対面からだけど!」
 いつものやり取りが始まり、船室は一時笑いに満ちた。
 アルトとサーラにとっては初対面以来、モエギとジャックは初めて関わったジェフだが、思いがけず協力を得ることになった。
 悠々自適な暮らしを好む男だが、一行の事情を使者から聞くな否や、今回の特命を快諾してくれたという。
 船旅の間は、これまでの一行の歩みを語ると興味深く耳を傾け、世界の様々な土地や事象について連日話し合った。そのため、エジンベアまでの数日はあっという間に過ぎたのだった。



 起伏の激しい丘陵地帯の頂に築かれたエジンベアの王都は、王城を覆う城壁の中に町はなく、城内に民家や商店が軒を連ねるという造りになっていた。
 話に聞き及んでいた通り、門番兵が明らかに『田舎者』を見る目つきでこちらを待ち構えていたが、ジェフが名乗ると渋々道を開けた。もしサーラたちが旅装のままだったとしたら、簡単には開門を許されなかっただろう。
 監視官として滞在するポルトガの軍人を介し、一行は難なくエジンベア国王との謁見を果たした。しかし、問題はここからだった。
 広々とした謁見の間にて、すさまじい数の宝石を埋め込んだ冠を輝かせる国王が鎮座している。細面で、いかにも神経質そうな面立ちだ。隣に控える禿げ上がった大臣も、定期訪問でない今回の謁見に対し、明らかに不満げな顔をしている。
 彼らの応対には全く動じず、早速ジェフが話を切り出した。交渉は彼に一任し、サーラたちは海軍としてスー地方の巡察を行い、その際渇きの壺が返還されていないと発覚した、という設定で同行したことになっている。
 蛇のような目をした国王は、手にした王笏を柔らかなじゅうたんに打ち付けると、苦々しく吐き捨てた。
「蛮族から奪った品々は、貴国の指示通り全て返還しておる。それを今更、取りこぼしがあったというのか。一体どうなっているのだ」
 ポルトガに落ち度があるとでも言いたげな口調に、後ろで控えているサーラも眉をひそめる。ジェフは落ち着き払った声音で返した。
「これまでの我が国の調査では、スー族から報告がなかったのです。おそらく、多大な力を秘めた品のため、我が国にも悪用されるのを警戒していたのでしょう」
 その場を切り抜けるための方便でもあるのだろうが、実際の可能性もなくはない。気に食わないのか、大臣が一歩進み出、声を荒げた。
「返還の要求は、本来ポルトガではなく蛮族からというのが筋であろう! 正式な要請を受けて今回の訪問となったのか、え?」
「一方的に侵略した奴らが言えたクチかよ」ジャックが小声で毒づく。
 その後やりとりが続いたが、エジンベア側が素直に非を認め、壺を返還する気配は一向になかった。一方で、国王から気になる発言が飛び出た。
「我らは一年程前、代々我が国に伝わる宝珠を国外に持ち出されたのだ。これ以上、国の財宝を奪われる訳にはいかぬのだ」
 これには、「あんたたちの宝のほとんどが奪ってきたものでしょ」とモエギが憤慨していたが、さらに語られた事実に、サーラは耳の毛が逆立った。
「かつて、竜の神より祖先が賜りし、緑の宝珠……。あれが我が国から失われた今、貴国の言いなりになるだけでは、この国の威厳が危ぶまれる」
 あくまで体面を保ちたい国王の言い分よりも、その宝珠が滅びたテドンで発見され、現に一行の荷物にしまわれていることに、四人は思わず顔を見合わせた。
「そんな……じゃあ、この国から緑の宝珠を持ち出した張本人が、何故テドンに?」
 アルトがサーラに視線を寄越す。宝珠を見つけた牢屋には、白骨死体が転がっていた。全ての犠牲者を埋葬した今、あの晩のように牢屋の主と面と向かって話せるのか、確信が持てない。
 だが、何もエジンベアだけが宝珠を失った国ではない。六つの宝珠の多くは、戦乱の中で人から人の手へと渡っているのだ。サーラは小さく首を横に振った。
「分からない。私が村を出た後のことだ。その者がテドンに辿り着いて、もしかすると……実質保護されていたのかもしれない」
 とにかく、サーラたちがエジンベアの威厳である宝珠を持っている、などと申し出る訳にはいかない。各々視線を交わすと、国王が王笏を二度打ち鳴らした。
「静まれい。いずれにせよ、あれは我らのものとなったのだ。いくら貴国とて、これ以上食い下がるのであればこちらにも考えがある」
 玉座の傍らで、大臣も意味ありげにほくそ笑む。ジェフは埒が明かないといったようにしばしうつむくと、挨拶を済ませ謁見を終えた。
 居館の入口まで引き返した所で、誰とはなしに重いため息が吐かれた。
「皆、すまない。あの通り、どうにも融通の利かない連中でな……」
「ジェフさん、謝らないで下さい」
 アルトがすかさず気遣う。が、何故か明朗な声音だった。
「あれ? アルト、言った割には全然こたえてなくない?」
 いつもと様子の違うアルトに、ジャックが珍しく真顔で驚いている。アルトは人気のない通路に場所を変えると、腰袋から大きな葉の束を取り出した。
「アルト君、それ……何?」
 モエギが繁々と見入るが、一見薬草の一種にしか見えない。アルトはにっこり微笑んだ。
「こういうこともあるだろうと思って、持ってきたんだ。渇きの壺は、俺たちに絶対必要なものだ。手に入れるためには、正攻法じゃない手段もやるしかない」
 このままおとなしく引き下がるのは嫌だから、と力強く付け加える。サーラは知らずの内に、笑みを浮かべていた。モエギやジャック、ジェフも同じく、アルトを頼もしげに見つめる。
 アルトは大きくうなずくと、自らの作戦を話し始めた。



 アルトが持ち込んだのは、スー族の村で入手した『消え去り草』という珍品だった。
 服用すると、身体が一定時間透明になるという不思議な草のため、ごく一部の道具屋でしか扱われていない。アルト曰く、よろず屋の女店主に気に入られ、旅に役立ちそうな品はないかと尋ねた所教えてくれたという。何でも、「出会った頃の旦那によく似ている」とうっとりされたらしい。
 ともかく、この力を使い、宝物庫に忍び込み、渇きの壺を手に入れるのだ。作戦の実行にあたり、ジェフにはエジンベアの臣下で親交のある者と談話した後、別の場所で待機してもらうことにした。
 あらかじめ宝物庫の場所を確認し、モシャスでエジンベアの兵士に変身したジャックが見張りの衛兵に交代を知らせ、手招きする。三人は透明状態となり、人知れず侵入した。
 宝物庫は、不埒な侵入者から財宝を遠ざけるためか、仕掛けが用意されていた。どうやら、部屋の奥にある三つのパネルに岩を乗せることで、さらに奥にある閉ざされた扉を解錠するようだ。
 岩の動かし方によっては行き詰まるようで、アルトとサーラが順序を組み立て、岩の移動はモエギとアルトが協力して行った。
 どうにか解錠に成功し、扉を開けると、大理石の台座には話に聞いた通りの奇妙な壺が置かれていた。一見、一抱えの壺があらゆる水を吸い上げるようには思えないが、何にせよこのままエジンベアに眠らせておく訳にはいかない。
 再度消え去り草の効果を得て、荷袋に入れ、持ち出す。ジャックは見張らせたままで、後からジェフの待機する酒場で合流する。
 酒場の裏で効果が切れるのを待ち、ジェフの元へ着くと、彼はそわそわしつつも冷静に迎えてくれた。
「どうやら、首尾よく持ち出したようだな。こちらの方も探りを入れておいた。しかし、万が一壺が消えたと知れたら、真っ先に疑われるのは我々になるな……」
 顔を曇らせるジェフに対し、モエギがくすくすと笑いながら返す。
「大丈夫。ジャックが手を打ってくれるから」
 サーラもアルトと笑み交わす。ジェフが疑問符を浮かべていると、噂をすればジャックが遅れて戻ってきた。
「ジャック、上手いことふれ回ったくれたか?」
 アルトもどことなく、いたずらっぽい顔つきをしている。変身を解いたジャックは、愉快そうに肩を揺らした。
「バッチリよ。ほら、居館の脇にでっかい礼拝堂があったろ? 信仰深いここの奴らがこぞって嫌がりそうな話を吹聴してきてやったわ」
 ジャックは衛兵に扮している間、他の兵士や侍女たちにある噂を流した。
 それは、スー族が今でもエジンベアの侵略を恨んでおり、この十数年欠かさず呪いの儀式を行っているという、出まかせの話だ。
 さらに、それをスー地方へ巡察に訪れた海軍、つまりサーラたちが話していたのを小耳にはさんだと口添えしてもらった。
 それを聞くな否や、ジェフは両手を打って大笑いし始めた。
「エジンベアの人間は悪霊だの、呪いだのを気にするタチだからな。負い目のある者たちから欠かさず呪われていると聞けば、噂は勝手に一人歩きする」
 だからといって、壺が忽然と消えたのを呪いと結びつけるかどうかは怪しい。そのため、ジャックは話を上乗せし、スー族の秘術で未だ返還されない渇きの壺をたぐり寄せようとしている、ともばらまいておいた。
 かなり強引なごまかし方なため、当初噂の構想をジャックから話された時、サーラは頭を抱えずにはいられなかった。
 だが、こういった噂を流すよう提案したのはアルトである。いつの間にこんな作戦を思いつくようになったのか、サーラとしてはジャックの影響が強い気がしてならなかった。
 すると、早上がりなのか、居館の兵士数人が酒場を訪れた。彼らはサーラたちの身なりを目にするなり、血相を変え近寄ってきた。
「おい! 先刻国王陛下と謁見してたのは貴様らか!」
 素直に応じると、兵士の一人があからさまに青ざめた顔で問い質す。
「聞いたぞ! 何でも、蛮族の奴らが日夜我々を呪い続けていると!」
「しかも、我らが蛮族から奪った財宝の未練故、更なる術をこの王都にまでかけていると……! おぞましい!」
 思惑通り、彼らは好き勝手に噂を誇大させ、恐れおののいている。必死に笑いをこらえるサーラたちは、兵士たちを適当にあしらい、遅めの昼食にありついた。
 自尊心は高いものの、やはり閉鎖的な環境で育ったため、未知のものに対して恐れを抱きやすいのだろう。
 これが国王や臣下たちまでだませるかといえば、断言は出来ない。しかし、民衆の声が高まれば、国王らの偏った考えも揺らぐはずだ。
 何より、エジンベア国民は大きな勘違いをしている。あの壺は、本来彼らのものではないのだ。その事実がある以上、彼らに正当性はない。そして、臣下の中に現状を快く思わない者も、決して少なくはないとジェフが断言してくれた。
 ポルトガへ帰国すると、後に嫌疑がかかった際、強行手段としてあのような措置を取ったと口裏を合わせるよう、ジェフから頼み込んでもらった。ロカ王はとてつもないはったりだと呆れつつも、致し方ない、と容認してくれた。
 一行は恐縮しつつも感謝を述べ、十分な休養を得て、再び北海の浅瀬へ向かい出航した。



 進水式以来の故郷で英気を養ったダンたちが、張り切って航海に臨み、数日後には北海の中心部へと辿り着いた。
 浅瀬に帆船を横付けし、アルトが荷袋から渇きの壺を持ってくる。
 サーラや、他の皆が甲板で見守る中、アルトは壺を掲げ、頭を垂れた。しかし、良く晴れた快晴の下をかもめが何羽か横切っていったのみで、何も起こらなかった。
「あれ……?」
 困ったように首を傾げるアルト。高揚感に満ちていた皆も戸惑いを浮かべ、サーラも腕組みをしてうなった。
「そういえば、どのように使うのか、肝心なことを聞いていなかったな……」
 すると、ジャックがずかずかとアルトに歩み寄ると、壺を譲り受け皆を見回した。
「そんなの、聞かなくっても分かることでしょ。そーら」
 力の抜けるかけ声を上げたかと思いきや、ジャックはふわりと壺を浅瀬のそばへ投げ入れた。水音を立てて、壺は穏やかな波間に浮かぶ。モエギが慌てて覗き込み、青ざめた顔でジャックに非難をぶつけた。
「ちょっと! あの壺、スー族の人たちに返さなきゃいけないのに! それを――」
 わめき立てるモエギの口を、ジャックは煩わしそうに片手でふさぐ。
 ぷかぷかと浮き沈みを繰り返していた壺が、音もなく沈んだかと思った時だ。壺の注ぎ口が真上を向き、徐々に周囲の海水が渦巻き始めた。サーラもアルトも、乗組員たちも一斉に船体から身を乗り出す。
 うねりは次第に勢いを増し、海底からの呼び声のように大きな奔流と化す。一抱えの壺が、一体何故大量の海水を飲み込んでいくのか。まるで底を知らないように、浅瀬を干上がらせていく。
 ごうごうと荒いしぶきを散らしながら、浅瀬の岩肌が現れた。周囲の水位が下がっているのではない。浅瀬が隆起しているのだ。ダンが急いで舵を取りに戻り、帆船を遠ざける。
 サーラもアルトと支え合いながら、息をするのも忘れ、たちまち姿を変えていく浅瀬を食い入るように見つめた。
 浅瀬はごく小さな孤島となり、岩場に守られるようにして、一行の帆船よりも二回りは大きな廃船が現れた。長年の間海の底に眠っていた船は苔むしており、見るにも無残な姿となっていた。
 海面がゆっくりと静まっていくのを、皆声もなく眺めている。ジャックにしがみついていたモエギが、ようやく口を開いた。
「本当に……沈んでたんだ……」
 ぼんやりとしたつぶやきの後、ジャックは乗組員たちを振り返った。
「あそこに上陸する! 準備を頼む!」
 張りつめた声音に、茫然としていた乗組員たちは我に返る。慌ただしく梯子やロープが運ばれる中、ジャックはモエギを引き剥がそうともせず、廃船をじっと睨みつけていた。
 四人で上陸すると、海水に濡れた陸地には壺が転がっていた。アルトが壺を拾い上げ、そのまま廃船に近付いてみることにした。
 びっしりと苔や海藻に覆われ、朽ち果てた船体は、長らく沈んでいた年月を思わせる。渇きの壺の威力により打ち上げられた魚が、苦しげにもがいているのも多く見受けられた。
 船底には、大破した箇所がぽっかり口を開けており、サーラたちは慎重に中へと入る。磯臭いのに加え、こもったかび臭い匂いが鼻をつく。ヒトデやらの海中生物も至る所にはびこっていた。
 アルトがメラの灯火を松明代わりにして、様子を探る。ほとんどの積み荷は見る影もなかったが、奥にある階段をおそるおそる上っていくと、操舵室らしき場所へと出た。
「今の所、怪しげな気配は感じられないが……」
 サーラとアルトは念のため、剣の柄に手をかけたまま辺りを見回す。すると、調度品のチェストの引き出しが半開きになっており、赤錆にまみれた小さな宝箱が顔を覗かせていた。引き出しには鍵穴があったが、沈没の際何らかの衝撃で開いたという所だろう。
 サーラが宝箱のふたに力を込めると、留め具ごと壊れ、取れてしまった。中身に目を凝らすと、サーラは瞠目し、すぐさま集まるよう皆に呼びかけた。
 そこには、赤い敷布にくるまれ、奇妙な形状の鍵がしまわれていた。
 二十数年も海の中に残されていたであろうその鍵は、鋳造されたばかりの白金の輝きそのものだった。そっとアルトが触れてみると、天井の穴から差し込む光に反射して、銀のような色合いにも映る。
 鍵には人の目を模した細工が施されており、瞳にはめ込まれている石榴石も、切り出されて間もない色彩を放っていた。
「これが……ネクロゴンドの人たちが守ろうとした、最後の鍵なの?」
 多大な犠牲と歳月の果てに、一行の手に渡ろうとしている鍵に、モエギでなくとも畏怖を感じずにはいられない。誰も鍵を取り出そうとしなかった。口ごもりながらも、アルトが言葉を押し出す。
「その、鍵は……。ジャック、お前が、受け継ぐべきじゃないかな」
 ジャックは無言でアルトを見やる。いつになく重苦しい雰囲気を纏った銀の賢者は、鍵に手を伸ばそうとして、唐突に操舵室の閉ざされた扉へ顔を向けた。
「ジャック、どうしたのだ?」
 尋ねた所で、サーラたちも扉へ視線を移した。扉の仄暗い窓の奥で、何かが揺らめいたような気がしたのだ。
 魔物とは異なる妙な気配を感じ、サーラはふたの外れた宝箱を元に戻そうとした。だがジャックが宝箱を奪うと、「オレが行く」と目配せをし、一人で扉の前に立った。
「……オレは、ネクロゴンドの一族の末裔だ。この鍵を、譲って欲しい」
 ジャックが低く語りかけると、揺らめきは白濁した色を成した。聞き取りにくい、くぐもった声が響く。
『……その声は……兄、者?』
 問いの意味は、四人とも分かるはずがない。ジャックも困惑しているようだ。一呼吸置き、返答する。
「オレは、ジャック。この船が沈没した頃に生まれたんだ、あんたの兄貴の訳ねえよ」
 だが、声の主は反応せず、一方的に言葉を連ね始めた。
『おお……。兄者、わたしは、今でもあの時の判断を、一度たりとも、恨んではおりませぬ。兄者の術により、我らの至宝は、魔王の手の届かぬ所で守っておりました……』
 言わんとすることを悟ったのか、ジャックはわずかに身じろぎしたが、黙って続きを待っている。
『兄者よ、わたしは遠く離れた地から、もう一つの至宝である銀の宝珠のことを、常々憂慮しておりました……。しかし、この落ち窪んだ眼でも、銀の尊き光は、今でもありありと感じられます……』
 思いがけず宝珠の話が出た。サーラたちも、固唾をのんで聞き入る。
『兄者……不肖の弟の、最後の頼みであります。どうか、我らの至宝を、しかるべき者――天と地に選ばれし者のもとへ……――』
 白いもやのような影が音もなく消え、扉の奥の気配は、それきり途絶えた。
 声の主が、どのような生きざまの末、この船と共に人生を終えたのか。その断片を受け取っただけでは、とても知り尽くせない。
 だが、彼が遺した言葉、思いを最も受け継ぐことが出来る者がいる。それは、扉の前に立った男以外に、まだ地涯と呼ばれる遥かなる地にも、生きているのかもしれない。
 サーラたちが立ち尽くしていると、ジャックがこちらを振り返った。どことなく疲労感の漂う面持ちだった。
「……戻るか」
 いつもの笑みをかろうじて口の端に浮かべ、言葉少なに告げる。ジャックはそのまま、宝箱に収められた鍵を、帆船に持ち帰った。



 この世に三つ存在する、全ての鍵を手にした一行は、アルトの指揮によりランシールを目指すこととなった。
 鍵が揃い、真っ先に浮かんだのは、『地に許されし者』のみが入ることを許される大神殿だった。既に宝珠が保管されていると確信を得ているため、日数はかかるがより確実な場所へと向かうべき、と意見が合致した。
 孤島を離れると、島は再び渦潮に飲み込まれ、元の浅瀬となった。波が緩やかになり、岩場に波頭が砕けて散るのを、ジャックは静かに見つめていた。
 食糧や燃料などの物資は、ポルトガで十分に蓄えてある。ランシールまでの船路の間、四人は船室で話し合う時間を多く取っていた。
 まず、渇きの壺については、ランシールに到着し一段落した際、ポルトガの海軍に預けることにした。
 立場上有利なポルトガ側は、一連の作戦をやむを得ぬとし、エジンベアを丸め込めるはずだ。このまま秘術のせいにして、スー族に直接返還するよりかは、いくらか現実的だろう。
 ロカ王や、ジェフをはじめとするポルトガ海軍には、相当な迷惑をかける。だが、ダンも「あんたたちも、無茶するよなあ」と苦笑いしつつ、その方がいいと賛同してくれた。後日何らかの詫び入れをするよう、しっかり釘を刺されたが。
「それにしても……まさか、あの船を転移させたのが、同じネクロゴンドの人間だったなんて」
 アルトがつぶやくと、ジャックは腕を組み、長いため息をついた。
「そうそう。オレの名推理には穴があった。よく考えりゃ、魔王側は後に自分たちを脅かすものを奪っておきたかったはずだ。なのに、わざわざバシルーラで、どこぞとも知れない場所へ飛ばす訳がねえんだよな」
「穴があった時点で、名推理とは言えないと思うんだけど」
 すかさずモエギが突っ込みを入れるが、普段ならすぐに開き直るジャックは、長い瞬きだけをした。サーラも疑問を口にする。
「そもそも、ジャックを『兄者』と呼んだのは、単に声色や風貌が似ていたからなのか? 本物の兄者と呼ばれる者も、銀髪だったのだろうか」
「それに、あの声の主……『弟』が感じた銀の光っていうのは、兄が生きているってことなのか、それとも、銀の宝珠がまだ残されているのを指しているのか……」
 アルトも肘をつき、こめかみのあたりを抱える。
 再度彼に尋ねられるかというと、可能性は限りなく低い。『弟』はおそらく、ジャックを『兄者』と見なし、最後の鍵を託したことで心置きなくこの世を去ったのだ。まだ同じ場所に留まっているのなら、気配は微弱ながらも残るはずだ。
 皆、難しい顔で黙り込む中、モエギが上目遣いにサーラを見やる。
「こういう時、サーラの予知夢で分かればいいんだけど……」
「そうだなあ。サーラさん、ちょっとオレと一緒に寝てみない?」
 ごく軽い調子で出たジャックの発言のはずが、二人は瞬時に殺気立った。特にアルトは、あまり目にしたことのない凄みを利かせたため、サーラも怒るどころか冷や汗ものとなる。ジャックは慌てて両手を振った。
「冗談だっつーの! ほら、サーラさんって自分のことしか予知夢に見ないでしょ? こう、他の誰かと一緒なら、意識が影響することもあるのかなーって」
 悪びれもせずぺらぺらと述べるジャックに業を煮やし、モエギは甲板にまで聞こえそうな勢いで卓上を叩きつけた。
「バッカじゃないの! それ以前の問題でしょ!? 鍵を渡したのがこんな男だって知ったら、あの弟さんも浮かばれないよ!」
 モエギは乱暴に立ち上がると、ジャックに侮蔑の眼差しを投げつけ、船室を出ていってしまった。アルトは座ったままだが、明らかに機嫌を損ねている。
「……お前、よく俺たちの前でそんなこと言えたな」
「またまた、アルトくん。冗談くらい分かるでしょうが」
 別人のような剣幕なため、ジャックが視線を泳がせながらなだめるが、アルトは完全無視を決め込んでいる。今度はサーラがアルトに言い聞かせる番となった。
「こいつの冗談は今に始まったことではないだろう? 今は下らないことで喧嘩をしている場合ではない」
 アルトは無言でうつむいている。モエギのことも気がかりだが、ひとまず話を戻すことにした。
「とにかく……ネクロゴンドは地涯とも呼ばれる場所だ。バシルーラで逃がす必要があった程、世界の中でも断絶された土地なのだろう。あの『弟』が指す銀の光が何なのかは定かではないが、おそらく今もネクロゴンドに存在するのではないか?」
「さっすが、サーラさん! うん、オレも何となくそう思ってたのよね〜」
 やたら明るい調子でジャックが場を取り繕うが、アルトは一向に機嫌を直さない。サーラは軽くため息をつくと、出来るだけ優しく説いた。
「アルト、もう少し大人になれ。残念だが、こいつは誰彼構わずこういう口を利く奴なんだ。未だに、私にもな。だが、本当にそういった気持ちがある訳では」
「分かってるよ」
 一蹴し、アルトは手短にまとめた。
「今はランシールに向かってるんだ。そのことは追々話そう」
 船室は静まり返り、船体にかかる波音だけが遠く聞こえる。
 今に始まったことではないジャックの冗談で、こうも雰囲気が悪くなるとは。本当はアルトのそばを離れたくないが、より理由が分かるモエギの元へ向かうため、サーラも船室を後にした。



「ジャックの、バカーっ! 変態ーっ! 鈍感野郎ーっ!」
 甲板に出た所で、海に向かって絶叫するモエギの声が耳をつんざく。近くにいた乗組員が、困惑しながら小声で懇願してきた。
「さっき、ものすごい怖い顔で出てきたと思ったら、ああやって叫び出したんすよ……。姐さん、どうにかしてくれないすか?」
 他の乗組員もこくこくとうなずいている。サーラは深々と嘆息すると、モエギの背後に歩んでいった。
「若白髪ーっ! デリカシーなし男ー……」
「あんまり叫びすぎると、潮風で喉をやられるぞ」
 反射的に振り向いたモエギは、顔面を赤くして荒い呼吸を繰り返すと、船体にぐったりと背を預けた。苦い笑みが広がる。
「信じられない。何であんなことが言えるの? あたしホント、時々あいつのことが分からなくなるよ……」
「私でも、アルトのことが分からない時がある。あれからアルトも、頑なに機嫌を直そうとしない」
 サーラでも……? と弱々しくつぶやき、モエギは視線を落とした。
「……サーラは、もう分かってるんだろうけど、あたし」
「そういう話は、ここでするな。寝室に行くぞ」
 下手な言葉をかけると、今にも泣き出しそうだ。モエギがいたたまれず、サーラは強引に手を引くと、二人の寝床がある部屋へ降りていった。
 船底の方にある寝室は、上等な宿屋と大差ない、広々とした造りになっている。互いの寝台に腰を下ろすと、モエギはうつむきがちに告白した。
「あたし、今まであんな軽口、聞き流してたはずなのに……。いつの間にかジャックの言うこと一つひとつが、気になってしょうがなくなって」
 サーラは口を結んだまま、深くうなずく。何度か指摘しようとしたが、わざわざサーラが示すことではないと思っていた。
 モエギは寝台に寝転がると、天井をじっと見つめた。その横顔が出会った頃よりもずっと女らしくなっており、サーラは目を見張る。
「いっつもふざけてるし、意地悪な時もあるし、絶対に自分の気持ちを悟られないようにしてる奴だけど、本当は優しい。真面目だと思われるのが嫌だから、ああやって振る舞ってる気がするんだ」
「……それにしても、私は時々、モエギでなくともあいつを腹立たしく思うがな」
 人の心に聡いジャックのことだ。本心では、モエギの好意に気付いている可能性もある。気遣わしげな態度を取ることもある。それでも、つかず離れずの関係を保ち、時に先程のような、無神経な発言を性懲りもなく繰り返すのだ。
「モエギだけにではない。あいつはおそらく、誰にも、アルトにすら、本心を見せない。何故かは分からないけれど、あいつは聡い反面、自分自身の心には疎いように見える」
 モエギは起き上がり、「そうなの?」と純粋に問う。サーラは船室でのジャックの振る舞いを反芻した。
「本当はさっきも、やけに明るいと思っていたのだ。ジャックも、最後の鍵の件では、自らの重責を感じずにはいられなかっただろう。その反動で、最近は割と落ち着いていたのが、ああやって余計な口を利いたのではないだろうか」
 サーラの見解を聞き終えると、モエギは小さくうなずいた。
「うん……。ああやって振る舞うことで、自分を保っている所もあるのかもね。でもね、あたしは、もっと頼って欲しいよ」
 黒曜石の瞳が揺れる。夜の海のように、寂しげなきらめきを宿して。
「もっと、頼られるようになりたい。だけど、憎まれ口ばっかり。酒場で誰かの仲を取り持ったり、アルト君のことを好きだった頃には、こんな気持ち全然抱いたことなかったのにね」
 ふいに、サーラはジャックを呼び寄せて、今のモエギを見せてやりたい衝動に駆られた。人の思いを自分のことのように喜び、怒り、悲しむモエギには、ジャックよりもずっと素直な優しさがあるというのに。
 それに気付かない、もしくは明確な態度を示さないジャックは、どこか欠落しているのだ。
 サーラは腰を上げると、天井を睨み据えた。
「今日は話が進みそうにない。モエギは食事の時間まで休んでいろ。私が奴に灸をすえてやる」
 モエギが呼び止めるのもきかず、サーラはずかずかと船内を進んでいった。いくら仲間でも、モエギの気持ちをことごとく踏みにじるあの男を、野放しにしていたくない。
 すると、当のジャックが丁度階段を下りてきた。素早く足を止め、迎え撃つ。
「おい、ジャック。貴様の度重なる言動で、モエギが傷付いているのを知っているのか?」
 通路に立ちふさがるサーラを目の前にし、ジャックは口元をひくつかせ、低姿勢で様子を伺う。
「サーラさん、さっきはさすがに言い過ぎたわ。アルトにも言われて、たった今謝りに来たとこなのよ」
「指摘されずとも、むやみやたらな言動は今後控えろ。下手すれば士気に関わる」
 サーラの剣呑な雰囲気に、ジャックも笑みを消した。背筋を伸ばし、一言つぶやく。
「……悪かったよ」
「しっかり謝れ。モエギはお前の妹ではないのだからな。振り回すな」
 先を通してやると、ジャックはすれ違いざまに、こう告げた。
「じゃあ、オレからも言っておくけどよ。サーラさんも、アルトが何であんなに怒ったのか、考えてみな」
 思わぬ所を突かれ、サーラは息を呑む。寝室に歩んでいくジャックの背中を見つめ、アルトはまだ船室に残っているのだろうかと頭上を仰ぐ。
 ――アルトがサーラに抱く想いは、時として燃えさかる烈火のごとく、彼の言動に現れる。だが、サーラが咎めなくとも、最近のアルトはジャックの軽口など真に受けず、あしらうようになっていた。
 それが、何故あのような、露骨な態度を取ったのか。しばし考え、それでも答えが出ない程、サーラは男女間の事柄に鈍くはない。
 しかし、どう接すれば、アルトの想いに応えられるのだろう。恋人同士となっても、アルトとの年の差が縮まることはない。サーラが年上の女性らしく包容出来たら最良なのだろうが、いつでもそのように接せられるかといえば、答えは否だ。
「私が、あの二人に果たして、説教出来たものだろうか……」
 階段を上っても、アルトの元へ戻る気になれず、サーラはしばし潮風にあたることにした。
 忘れ難いかの地までは、まだしばらくかかる。