深海の隠者 幽遠の青 3



 ホビットの長老ウディと、ジャックが導き出した仮説は、こうだった。
 魔王バラモスがこの世界に現れ間もない二十数年前、かつてネクロゴンドに国があった頃、双方が争いを繰り広げた。
 ネクロゴンドの一族は、既に魔王の勢力がこの世を脅かすと予見しており、奴等の手に渡ってはいけないものをいずこかへ持ち去るべく、帆船で亡国を試みた。
 しかし、魔王側の襲撃に遭い、バシルーラの術により船ごと飛ばされ、遥か遠く離れた北海にそのまま沈没した。
 そして、彼らが死守したものは――元は彼らが造った三つの鍵のうち、残り最後の鍵ではないかと、ジャックは説いたのだ。
 長老や、サマンオサ国王の話を振り返り、帆船が沈没した地点に見当をつけたアルトたちは早々に出発を決めた。
 ドミニクが用意してくれた干し草の寝床で夜を明かすと、皆驚く程清々しい目覚めを迎えた。
 朝食では、ドミニクの義母が焼きたての黒パンを持ってきてくれたため、ほかほかのパンに玉ねぎのジャム、香草入りの野菜スープに舌鼓を打った。モエギは特に、もう一月ここに泊まりたいと名残惜しそうに味わっていた。
 見送りの際は、長老とドミニクの呼びかけで、二度寝している者以外は全員顔を出してくれた。皆それぞれ、自家製のチーズやら堅焼きのパンといった食料、安眠効果のあるポプリ、花をかたどった木のブローチなどを押し付けんばかりに与えてくれたため、結構な大荷物となってしまった。
 アルトはドミニクと固く握手を交わし、今度は子供が産まれたら、アルトたちの冒険譚を聞かせに来る、と新たに約束した。また、長老からは平べったい茶封筒を受け取り、『困った時に開くが良い』と口添えされた。
 ホビットたちの温かな厚意ともてなしを胸に、一行は再び、海原へと旅立っていった。



 北方大陸を発った日の夜、アルトは一人甲板に立ち、潮風にあたっていた。
 明日の昼には、ネクロゴンドの帆船が沈没したと思われる地点に到達するという。舵取りはダンの部下が行っており、他の者は見張りの数名以外眠りについている。
 夜が更けた海上は、波こそ穏やかだが、一面に紺碧の闇が広がっている。見つめているだけで、海の底に引きずり込まれるのではと妙な懸念が浮かぶ。
 ふちに腕を乗せ、なるべく真下を見ないように、あごを落とし目線を水平に保つ。北方大陸は、もやの向こうに隠れてしまった。
 ――世界をまわるうちに、いつしか沢山のしがらみが、自分を取り巻いていると知った。
 ホビットの集落に滞在する間、アルトは個人的に長老ウディと話をした。何故竜と呼ばれたのか、はっきりさせたかったのだ。
 長老曰く、竜の神は精霊たちの楽園が築かれ、崩壊するよりもずっと古くから、運命を司る者として世界を見守っていたという。対し、竜の一族は、古より存在する竜の神の化身であるが、神そのものではないという。
 かつて、崩壊する楽園から、竜の神が光を救い、地上――この世界へと送った時、光は竜の加護を受けた。そのため、長老は光の末裔であるアルトを竜と形容したらしい。
 元を辿ると、光となった青年は、一体どれだけの重荷を課せられ、運命づけられ地上に降り立ったことだろう。その魂が、今こうして自分にも脈々と受け継がれているのが、今更ながら信じられなかった。ただ、偉大な父の遺志を継ぐだけのために使命を全う出来た方が、よほどましだった。
 それでも、この力を振りかざし進む理由は、光や竜と称されるには、似つかわしくない。
「俺は、ただ、サーラを悲しませた奴を、許せないだけだ……」
 ホビットたちの温情に紛れ、かすんでいた負の念が、再び姿を現そうとする。
「眠れないのか?」
 背後から上がった声に振り向くと、ジャックが船室から出てきた所だった。相部屋で、眠っているものだと思っていたが。
「ああ……そっちこそ、なかなか寝付けないのか? 新しい薬は?」
「おかげさんで、薬は効いてるわ」
 船酔いがひどいと愚痴をこぼしていたジャックに、長老が去り際に丸薬を処方してくれたのだ。サーラがすかさず作り方を聞いていたのを思い出し、口元がほころぶ。
 ジャックは見張りにも適当に労いの言葉をかけ、隣に並ぶとふちに背を預けた。夜目にも、銀色の髪は月のようにつやつやと輝いている。
 話によると、ジャックはサマンオサ国王から船のことを聞いた時点で、ネクロゴンドのものではないかと予想していたらしい。
 二十数年前、つまりバラモスがこの世界に現れて間もない頃、真っ先に立ち向かい侵略された国。かの国が所有し、アリアハンとイシスに寄贈した鍵二つと、行方知れずの最後の鍵。彼らが死守するとなれば、その鍵以上のものはないだろう。
 アリアハンに帰還した際、ご隠居の元政治顧問ソイに相談した時のことが思い起こされる。いくら文官や大神官でも、見聞き出来るものには限りがあるのだ。
 アルトと思考が自然と似通ったのか、ジャックが笑いかけてきた。
「いやー、うちのジイさんやソイの爺さんも知らなかった謎を、独壇場で暴く感じ! たまんねえなオイ」
「あの人たちが知らないっていうのが、今思えば手がかりの一つだったよな」
 右隣を見やると、ジャックは高揚していると思いきや、うっすら笑みを残したまま遠い目をしていた。呼びかけると、こちらを見ずに返してくる。
「……いや。オレとあの長老の仮説が本当だとしたら、鍵と心中した人間がこの海に眠ってて、しかもそれはオレの遠い親戚なんだって思うとさ。そうまでして、守らなきゃいけなかったのかなって」
 一国が多大な犠牲を払い、守り抜いてきた手つかずの至宝。彼らと同じ血が通う、ジャック。
 いつもひょうひょうとした男もまた、自身に流れる血の重みを感じずにはいられないのだろう。
「きっと、ジャックに見つけてもらえるなら本望だろ。ちゃんと、同じ一族の手に渡るんだから」
「まあ、そうかもな」
 控えめに答えて、ジャックは天を仰ぐ。日が暮れてから雲が出てきたため、星は望めない。
「……なあ、アルト。お前が何やかんや背負ってても戦おうとしてんのは、サーラさんのためかい?」
 サーラを蝕もうとする暗い影を夜の海に投影し、アルトはうなずく。
 今自分が戦うのは、運命でも血脈のためでもない。ただ、一人の男として、愛する人を傷付ける存在を許し難いからなのだ。
 すると、両頬を挟まれ、無理矢理ジャックの方を向かされる。こちらを覗き込む瞳は、波風と同じように揺らめいていた。
 何も言えずにいると、手を放し、ジャックは微かに笑った。弟分を諌める眼差しで。
「お前、ドミニクのおやっさんと約束しただろ? 一人で全てを背負うなって。ちゃんと意味分かってんのか?」
「それは……」
 父のように単身でバラモスに挑まない、と言いかけて、真意を悟り口をつぐんだ。ジャックもニヤリと口角を上げる。
「分かったろ? オレもさ、実のところ一人で色々考え込んでると気が滅入ってくんのさ。オレでこんなんだから、お前も相当きてると思ってよ。今日は睡魔にやられて落っこちるまで、話そうぜ」
 冗談めかしたジャックの思いやりが、月明かりの代わりに心を照らしてくれる。アルトもつられて微笑んだ。
 波音だけが満ちる中、互いに、思いの丈を話し合った。言いそびれていた黒い宝珠のこと、仇敵の存在。未知数な破邪の力のこと、何のために戦うのか――明確な意志を持つアルトを、以前よりは自分の軸を持っているとジャックは評してくれた。それに対し、自分にはアルト程の大義名分がない、とこぼす。
「オレは、お前らの力になるのと、仇討ちが出来りゃいいのよ。でも、目の前のものは失いたくない。我ながら刹那的だよな」
 その日暮らしを長年続けてきたジャックは、過去や未来よりも、今この時を大切にする傾向が強い。アルトは無理を承知で、旅を終えた後のことを尋ねてみたが、銀の賢者は「オレの故郷は、アッサラームだから」とだけ答え、潮の香りに瞳を閉じるのだった。



 翌日、北海のほぼ中心にあたる海域に入った。一行が目にしたのは、孤島のごとくぽつんと存在する浅瀬だった。
 潜りが得意な乗組員に海中を調べてもらったのだが、浅瀬の丁度真下が岩場になっており、沈没船らしきものは見当たらないという。ただ、岩場がちょうど、帆船と同等の質量を持っているとのことだった。
 どうしたものかと、皆揃って考え込んでいると、アルトがホビットの長老から受け取った封筒を持ってきて、皆の前で開封した。中には、手のひら大の肉厚な葉っぱが一枚と、長老ウディからの手紙が入っていた。
 それによると、北海よりさらに東にある大陸の奥地に、原住民であるインデオが住んでいるという。彼らは古くから大陸――スー地方に根ざす一族で、古来より独自の文化やまじないの風習を持っており、彼らを訪ねると新たな道が開けるやも知れぬ、と書き綴られていた。
 さらに、濃緑の葉っぱは、生命の力が宿る世界樹の葉だと添えられていた。ホビットたちの集落でも貴重なもので、年に一枚だけ落葉するというが、一行が訪れた日長老の家に舞い込んできたものらしい。世界樹の葉を大切にしまい込み、皆視線を交わす。
 現状では、何も解決出来ない。確実な望みはないが、心当たりがあるというダンが指揮を取り、まずはぐるりと北東からスー地方に接近することとなった。
 アリアハンがサマンオサに入国する際介する祠を通過し、スー大陸の西部に差しかかった所で、町とおぼしきものを発見した。一行は積み荷の補給のためポルトガに寄港するのを変更し、真新しい港に降りると、四人で町を訪ねてみた。
 入るなり、オーエンバーグへようこそ、と化粧づいた若い娘に出迎えられたジャックが、露骨に顔をしかめた。何事かとサーラが尋ねると、オーエンという、アッサラームで有名な大富豪がいるのだという。
 とりあえず町を散策し、情報を得ていくと、やはりジャックの知るオーエンという男が仕切っている町だと判明した。
 成金で、とにかく贅沢を好むオーエンは、ここで町を興したいという一人の老人の噂を聞きつけ、協力を申し出た。
 だが、実際は金持ちの道楽で、オーエンは実用性がなく高級品ばかりの武具店や、アッサラームの劇場に似て非なる、女を見世物にしたショーパブ、さらには法外な金額でしか宿泊出来ない宿屋など、単に自分好みの町を造り上げただけだった。客層もやはり、遊覧しに来た富裕層、もしくは柄の悪い連中がほとんどで、サーラたちはなるべく遠巻きに町を見て回った。
 愛想良く出迎えた娘を始め、一部の者はオーエンから多額の金をもらい上機嫌で暮らしているらしいが、それ以外の町興しのため移住してきた労働者は殺気立っており、贅の限りを尽くした屋敷でふんぞり返るオーエンに気付かれぬよう、密かに謀反を企てていた。
 オーエンの申し出を受け入れた老人も屋敷に住んでいるというが、このような享楽的な町を思い描いてはいなかっただろう。ジャックは、「この世で一番厄介なのは、行動力のあるバカだ」と、屋敷を睨んでいた。サーラたちも薄々勘付いていたが、オーエンはアッサラームでも評判が良くないらしい。
 だが、町の様子を見る限り、サーラたちが出る幕はなさそうだった。不満を抱えた労働者が一斉蜂起するのも時間の問題だ。あとは、なるようになるだろう。
 オーエンの目を忍んで営まれている店で必要な物資を買い込み、その日のうちに、着飾った町を後にした。
 後になってみれば、この時荷物に宝珠を入れていたら、伝わる熱に促され、さらに厄介事に首を突っ込んでいただろう。



 東の山脈を辿り、サマンオサ地方を南に確認すると、やがて大きく開いた河口が見える。上流に向かって進むこと数日、清涼な空気に包まれた奥地に、その村はあった。
 三方を山に囲まれた乾いた盆地に、土壁の住居がゆったり間隔を空けて点在している。木の棒を組んだ簡素な柵で一帯が囲われており、かろうじて集落だと認識出来た。今回は、この地にゆかりがあるというダンも同行している。
 手始めに、門番と思わしき、浅黒い肌に太陽の紋様の入った前掛けを身に着けた青年に近付いてみる。彼も待ち構えていたようで、手に持った長槍をたん、と地面に打ち付けた。
「ここは、インデオの方の集落ですか?」
 他に集落は見当たらなかったため、分かりきったことだが、アルトがあいさつ代わりに尋ねる。サーラは半裸の門番からそれとなく目をそらしつつ、果たして言葉が通じるのだろうかと内心首を傾げていた。
 門番の青年はぐるぐる首を回し、アルトの問いをじっくりと咀嚼してから、ようやく答えた。
「ここ、スーの村。お前たち、旅人? それとも、侵略?」
 片言だが、会話は可能なようだ。モエギが眉をひそめ、アルトの前に進み出る。
「侵略だなんて、聞き捨てならないわね。あたしたちは、れっきとした旅人!」
 門番は警戒を解かない。まあまあ、と仲裁に入ったのは、ダンだった。
「おれは、この者たちを乗せて海を渡ってきた船乗りだ。ほら、あの紋章に見覚えがあるだろう?」
 ダンはにこやかに、停めた帆船の方を指す。目をこらしてようやく見える程度の距離だが、一行の船の帆にも、きちんと進水を行ったポルトガの紋章が描かれているのだ。
 門番は左手をひさしのように額にあて、指された方を眺めると、すぐに細い目を瞬かせた。視力が良いのだろう。
「あれ、ポルトガの紋章。お前、ポルトガ人?」
「そうさ。ポルトガの民は約束しただろう。お前たちの聖なる地を、踏みにじったりはしないと」
 いつの間に、そんな約束が交わされていたのだろう。ポルトガの歴史は四人とも知らない。
 だが、門番には伝わったようで、彼は左右に一回ずつ長槍を打ち付け、祈るように顔の前で長槍を持ち、瞳を閉じた。
「ダンさん、どういうことだよ?」
 門番が今にも襲いかかってくるのではと、後ずさりするジャック。舵手は、まあ見ていろ、と門番に向き合ったままだ。
 門番は目を開けると、すんなりその場を退いた。それどころか、笑顔まで見せる。
「ポルトガの民、歓迎する。その仲間、入っても良い」
「オレたちは歓迎しねえのかよ」
 ジャックの突っ込みに、モエギが安堵して笑う。インデオなりの敬意を表してくれたのだろう。緊張が和らいだアルトに目配せし、サーラたちもダンにならい一礼してから、村へと足を踏み入れた。



 ダン曰く、インデオ、もといスー族は、十数年前にある国から侵略されたという。
 その国はポルトガの北西に位置する島国で、国交もなく、むしろ他国を全て敵視し、やたらむやみに軍事ばかりに力を注いでいた。
 小心者の国が目をつけたのが、スー族が点々と住まうこの大陸だった。止める国もいないのをいいことに、独断で侵略を行ったのだ。スー族は抵抗する者もいたが、大多数はただうろたえるばかりで、侵略者たちは彼らの集落をあさり、金や資材になりそうなものを次々と取り上げていった。
 近隣国であるポルトガは、以前からその国を監視していた。急に潤ったその国を不審に思い、使者を送ったが、『田舎者』扱いされ取り合ってもらえず、今度は密偵を忍ばせた。そこでスー地方への一方的な侵略が判明し、ポルトガ国王ロカが直々に警告文を送りつけた。
 しかし、その国が素直に悪事を顧みることはなく、ポルトガは他国への更なる悪影響を防ぐべく、艦隊を率いて攻め入った。
 戦は一年余りでポルトガに軍配が上がり、ロカ王は相手国に過度な制裁や領土の明け渡しを求めず、ただ『あるべきものを、在るべき所へ』と厳命を課した。
 強力な海軍を有するポルトガにはぐうの音も出ず、略奪された品の数々は大方、ポルトガの手によりスー族の元へ返され、彼らとの約束が交わされた――
 ポルトガの民がこの地を踏んだ名残で建てられたという宿屋で、サーラたちはひんやりと涼しい一室のござに座り、食事を摂りながらダンに一連の話を聞かせてもらった。四人の反応は様々だったが、共通していた意見は、その侵略国の方がとんでもない田舎国だということだった。
「信じられない! 人の家にずかずか上がり込んで、礼儀知らずもいいところだよね!」
 モエギはぷりぷりと腹を立てながら、骨付きの獣肉の塩焼きにぱくついている。相も変わらず肉食な女を横目で見ると、ジャックはげんなりしてこめかみに手を添えた。
「骨付き肉にかぶりつきながら言われっと、何か真実味に欠けるっつーか……。でも、あの王様やっぱかっけーな、ちくしょう」
「ロカ王か……。久しくお会いしていないが、やはり人格者だな」
 サーラも、老齢ながら精悍なポルトガ国王を思い返す。アルトはこの地方でよくとれるという、コーンをとろとろに煮込んだスープに舌鼓を打ちながらダンに質問した。
「その国とは、今も敵対関係なのか?」
 船旅の間に、アルトやサーラたちも、すっかりダンや乗組員たちと打ち解けた。遠慮なしに接するアルトに、ダンは困ったように首を傾げた。
「まあ、友好国ではないなあ。ただ、その国――エジンベアは敗戦国だから、ポルトガの監視下にありゃあ、うかつなことは出来ないだろうな。もし何かあっても、国のお偉いさんたちが奴らをねじ伏せてくれらあ!」
 戦争中、丁度青年期を過ごし、海軍に憧れていたというダンは、興奮気味に拳を繰り出す真似をした。一気に笑いが起こる。
 ――思えば、ポルトガで船を手にしてから、しばらくは辛い出来事の連続だった。自他共に、沢山の涙が流れ、悲痛な、あるいは憤怒の叫びを耳にしてきた。
 失ってばかりで、打ちのめされていた日々。この先もずっと、失われた故郷を胸に抱え、時折痛みを覚えながら生きていくのだろう。本当の自分も、おぼろげなままに。
 だが、今はこの手で守りたいものがある。仲間がいる。見守ってくれる人がいる。何より、アルトがいる――それだけで、笑っていられるのだ。
 おいしそうにスープをすするアルトを見つめると、目が合い、笑みがほころぶ。愛する者にだけ向けられる微笑みは、いつの時もサーラの心を満たしてくれる。
 けれど、時々、アルトは瞳の中でこう言っているような気がするのだ。
 俺は、サーラの思うような人間じゃないよ――と。



 昼食を終えると、一行は村長の家を訪ねた。
 だだっ広い平屋は、上はアルトと同じくらい、下は乳飲み子といった子供が十人近くおり、慌ただしい。ダンが事情を話すと、赤ん坊を抱えた恰幅の良い女性が奥の間へ招き入れてくれた。
 村長は、五十半ば程のやせた男性だった。鳥が描かれた衝立の向こうでは、母親が子供たちに手伝いの指示を与えている。
 赤と黄、緑といった原色の敷物に座り、鎮座する村長はじっとサーラたちの話に耳を傾けてくれた。色黒の顔にぽつぽつと白いひげが目立つ村長は、大体の話を聞き終えると、脇に置いてあるつづらから色あせた巻物を取り出し、目の前に広げた。
 そこには、鯉のような魚が口を開け、注ぎ口となっている、土色の壺が描かれてあった。
「これ、渇きの壺いう。でも、昔奪われた。これ、わしらの宝。水、いくらでも吸い込む」
「この、変わった壺が……?」
 アルトは繁々と絵に見入っている。ジャックは早々に要領を得たらしく、村長にずいとにじり寄った。
「これ、譲って欲しいな〜。平和のためにさ。お願いしますよ」
「それ、無理。壺、奪われたまま」
 ジャックの愛想笑いが固まった。おのずと、ダンに視線が集中する。彼は大げさに両手を顔の前で振った。
「待て待て! エジンベアからは、あくまで大方の品を返してもらったんだ! その壺は、奴らがまだ隠し持っているんだろ!」
「何ですって!? ホント頭にくる! そいつらの国に乗り込んで取り返そう!」
 鼻息荒く立ち上がるモエギを諌めながら、サーラはジャックに問いかけた。
「確かに、取り戻さねばならないものだが……ジャック、その壺で何が出来るというのだ?」
 ジャックは巻物を手に取ると、ひらひらと揺らした。
「水を吸い込むんだぞ? そしたら、あの浅瀬で使ってみたくなるでしょ」
「しかし……」
 あの浅瀬は、北海のど真ん中にある。そんな大海の最中で水を吸い上げるなど、いくらスー族の宝をもってしても想像し難い。
「何にしても、ここにないのなら、どうにかして壺も手に入れないといけないよな」
 アルトも渋い顔をする。一部始終を黙って見守っていた村長が、ぽつりとこぼした。
「この村、馬いる」
 まるで脈絡のない一言に、一同は唖然とする。村長は一人ひとりを見回し、淡々と述べた。
「この家の外、白い馬いる。馬、喋る」
 喋る。全員が顔を見合わせた。
「あの……それが、何か」
 怖々とアルトが尋ねた以外、誰一人対応出来ていない。
「おれたち、嘘つかない」
 村長は渋面のまま、あくまで言い張った。



 ひとまず、上手く例の壺が手に入ったら返しに来る、と約束し、村長の家を後にした。村長は十歳くらいの娘を案内に寄越し、是が非でも喋る馬と引き合わせたいらしい。一行は訳が分からないまま、女の子の後をついて行く。
 陽に照らされ、青々しく光を放つ草地では、確かに白馬が一頭放し飼いにされている。おとなしく草をはむ姿は、どこからどう見ても他の馬と変わらない。
「君は、あの馬と話したことがあるのかい?」
 アルトが女の子のそばに屈むと、彼女は首を横に振った。きっちり結った三つ編みが二本揺れる。
「あの馬、気に入った人、喋る。父さん、そう。でも、気に入らない人、ただの馬のふりする」
 彼女はつまらなさそうに答え、さっさと家に戻ってしまった。
「はあ……。つまり、人を選ぶってことか。馬のくせに」
「そうやって馬に接すると、お前は間違いなく無視されるぞ」
 サーラがぴしゃりと言い放つと、「ホントのこと一番知りたいのはオレなのに……」と、ジャックはすねてしまった。だが、馬が人間の態度を敏感に感じ取るのは本当のことだ。
 村長は、この馬がサーラたちの知りたいことを教えてくれる、と考えたのだろう。そう思うしかない。
「喋る馬ねえ……。そういや、ポルトガにも似たようなのがいてな」
「えっ!? じゃあダンさん話しかけてみてよ!」
 モエギにせっつかれ、ダンは弱ったように後頭部を掻く。
「いや、ポルトガにいるのは、呪いで馬と猫にされた、何とも悲運な恋人たちでな……」
 そこで再び、ダンの語りが始まった。
 ポルトガに、美男美女として名高い男女が一組いる。男はカルロス、女はサブリナ。よく海辺の公園で語らっていた二人は、絵画のモデルになって欲しいと頼まれる程、絵になる恋人同士だった。
 しかし、ある時を境に、二人が一緒にいる姿を見かけなくなった。何でも、日の出と共にカルロスが馬となり、日中は人間のままのサブリナが、日の入りと同時に猫となって、逆にカルロスは人間に戻るという呪いをかけられたらしい。
「彼らは、馬や猫になっている間は一言も口が利けない。だが、姿が変わっていても、意識はずっと人間のままらしいんだ」
「ってことは……二人はもうずっと、会話が出来ないままなの?」
 ダンがうなずくと、モエギはみるみるうちに意気消沈してしまった。アルトも怪訝な面持ちになる。
「何で、そんなことを……彼らが何かしたっていうのか?」
「いいや、二人とも善良な人間だ。でも他の奴らは、仲睦まじい二人に対する魔王のやっかみだ、なんて言っとったよ」
 噂は定かではないが、非情なバラモス側の行いかと思うと、しばし重い沈黙が流れた。
 一般民にまで魔の手が及んでいるとなると、一刻も早くバラモスを討たねばならない。他にも、奴らに苦しめられている人々が世界中にいるはずだ。
 ただならぬ空気を感じてか、ダンは明るい調子で声を張り上げた。
「まあ、その二人を思い出したら、あの馬も元は人間なのかなって思ったんだよ」
 旅仲間とはいえ、目上のダンに気を遣わせてしまい、アルトが詫びる。気を取り直し、例の白馬に近寄ってみた。
 騎乗用の馬よりは小柄だが、たてがみは絹糸のようにつやがあり、毛並みもきめ細かく整っている。馬の方も気付いたようで、じっとこちらに視線を向けている。
 まずジャックが話しかけたが、案の定返答はなかった。続けてモエギ、アルトと声をかけてみても、馬は鼻息を漏らすのみで応じない。
 全員拒否されるのも想定しつつ、サーラは馬の正面に歩み寄った。故郷でもよく馬の世話はしていたが、白馬と対面するのは初めてだ。
 そっと首のあたりを撫でてやると、柔らかな毛の奥に体温を感じる。黒目はゆっくりと瞬き、サーラを静かに見つめている。
 馬の目というのは不思議なもので、見つめられているだけで心が落ち着く。故郷で乗っていた愛馬を思い出し、サーラは自然と頬を緩めた。
『初めまして』
 例えるなら、中性的な若い男性の声がした。サーラが後方の仲間たちを振り返っても、皆どうしたのかと目をぱちくりさせている。目の前の白馬から、一歩退く。
「……お前が喋ったのか?」
 ごく小さく問う。馬はぶるる、と息を吐くと、再び声を発した。
『私は、エド。貴女とは、話がしたい』
 そう名乗った馬は、決して口を開いてはいない。念波のようなもので声を送っているのか。奇妙な感覚に、心臓が脈打つ。
「何故……私なのだ?」
『貴女は、私と同じだからです』
 同じ? もしや、この馬も本当に呪いなどで偽りの姿をしていて、元がエルフだったりするのか?
「お前も、エルフなのか?」
『いいえ、私はこの村の村長の長男として生まれるはずでした。しかし、死産したため、弔いの儀式が行われた際、精霊の気まぐれでこの馬に魂を委ねることになり、魔力を与えられ生まれたのです』
「……それは、気の毒だったな。しかし、それの何が、私と同じだというのだ?」
 詰問すると、エドは尻尾を向け、柵の方へ遠ざかっていく。気を悪くしたのだろうかと思って、いくら魂が人間でも、馬の機嫌を伺うのも妙な話だと自嘲する。
「サーラ、話せたの?」
 モエギが興味津々といった様子で声をかけてくる。曖昧に答えていると、エドがこちらを振り返った。
『場所を変えましょう』
 サーラだけが目を見張り、モエギやアルトたちはエドに注目する気配がない。もう少し、と断り、サーラは牧草を積んだあたりで待っているエドの方へ走っていった。
 内緒話をするように、エドの顔のそばに身を寄せると、彼はこう告げた。
『まず、貴女の用件を仰って下さい。それから、何故私と貴女が同じなのかを、話しましょう』
 語り部のような、流暢な言葉遣いに戸惑いつつも、サーラは聞きたい事項を挙げた。
「私たちは、北海の中心に沈没した船に遺されたものが欲しい。だが、あそこは浅瀬と岩場になっていて、とても目的のものに辿り着けない。この村の宝だった壺を使えば、私たちは目的を果たせるだろうか」
『幾分抽象的な質問ですね』
「それもそうだろう、今私たちはあらゆる所から情報を得て、仮説を頼りにするしかないのだ! なら問う、渇きの壺とやらは海のど真ん中でも、海水を吸い上げられるのか?」
 アルトたちから離れたため、存分に問い質せる。馬に必死になって訴える姿は、端から見ると滑稽だろうが、それでも手がかりが得られるなら聞き出すしかない。
 エドは低くいななき、目を伏せた。
『出来ますよ。あの壺は、浅瀬を陸地に変えられる。この大陸にはそうして出来た集落もあります。村長は――父は、貴女がたがそのことを知って、正しく使ってくれるのか、私に試させたのです』
「信じるに足る人物か、と……? ならば、何故私を選んだ?」
 エドは離れて見守るアルトたちを一瞥し、瞳をいたずらっぽく輝かせた。
『銀髪の男は、自分しか信じていない。黒髪の娘は、己の感情に正直すぎる。あの青年は迷いましたが、私は貴女の方が気になった』
 よくもずけずけと評するものだ。サーラは人知れず声を潜めた。
「……とにかく、教えてくれて感謝する。たとえ目的のものがなかったとしても、壺はいつか必ず、この村に返す。
 だから、教えて欲しい。お前と私の共通点は何なのだ?」
 すると、エドは真正面から、サーラを見据えた。
『私も、貴女も、気まぐれな運命のもとに生まれた、本来はこの世に生を受けるはずのない存在だった。
 だけど、恐れることはありません。貴女も、私も、必然の存在なのです……――』
「どういうことだ……? 答えろ、エド!」
 エドはそれきり、ただの馬となってしまった。喋れるのだろうが、彼はもう必要なことを話し終えたらしい。再び手近な草にありついている。
 ここ数ヵ月、不確かなことに振り回されてばかりだ。足元の小石を蹴り飛ばしながら、久々に苛々とした気分で戻ると、皆心配そうだった。
「サーラ、何か怒るようなことを言われたのか?」
「もしかして、中身がむっつりした中年オヤジだったとか」
 にまにまするジャックを張り倒すと、アルトと並んでモエギも顔を覗き込んでくる。
「あたしたち、何も聞こえなかったから……。何て言ってた?」
「あんたになら、あの馬が答えてくれたってことなんだろ? すごいじゃないかい」
 ダンはダンで前向きに捉えている。サーラは皆の顔を見て、しばし逡巡した。
 今は、未知の存在と、それこそ抽象的な話をしたせいで苛立っているだけだ。もう、余計な心配はかけたくない。
 わざと大げさに深呼吸をし、サーラは笑顔で告げる。
「エジンベアに行くぞ。壺を取り返して、あの浅瀬にもう一度行く。壺を使えば、浅瀬は陸地になるそうだ」
「マジで? おっし、希望が見えてきた!」
 ジャックが跳ね起きた。意気込む仲間たちの姿を眺め、サーラはエドの言葉を振り返る。
 この世に生きる者は誰しも、母に守られ、無事に生命を授かって生まれてきた者だ。当然、そうでなかった生命もある。遡ってみれば、どんな夫婦でも、出逢いからして気まぐれな運命だっただろう。
 亡き両親――レイラとトーマも、その一組にすぎない。そう思うことで、苛立ちは薄れた。
 何と言われようが、こうして生かされている限り、己の生を全うしよう。故郷に眠る人々と、今を共に生きる大切な人、仲間のために。
 それでいいだろう、とエドを振り返ると、そよ風に紛れて彼の笑い声が微かに聞こえた。