深海の隠者 幽遠の青 2



 約二週間の航海を経て目にしたのは、見渡す限りの樹海に覆われた、通称北方大陸だった。どの港から出発してもかなりの日数を要するのと、冒険者の間でも謎に包まれた大陸のため、やたらむやみに目指す者がいないというのがダンの弁だった。
 ジャックが祝福を施した護符は見事に功を奏し、帆船が向かう先に魔物が寄りつくことはなかった。むしろ、船が近付くと入江にいたマーマンたちが尾を震わせ、すみやかに退散していく程だった。
 北海に面した大陸を北上していくと、西に航路を変えた所で波止場らしきものが見え、一旦船を横付けすることとなった。アルトは甲板から身を乗り出し、波止場の近くにほったて小屋が建っているのを確認する。
 果たして、人はいるのだろうか。大きく息を吸い、小屋の方向へ呼びかける。
「すみませーん! 誰かいますかーっ!?」
 出来る限り声を張ったのだが、誰も姿を見せない。代わりに、船室から虚ろな目をしたジャックが現れた。
「うっせーぞアルト! こちとらよ、毎日毎日船の魔物と格闘してんだぞ! 頭に響くわ、ったくよ〜」
 扉の脇に座り込むジャックを、追って出てきたモエギが軽く支える。言うまでもなく、船酔いだ。
「ちょっとほら、具合悪いのに飛び出したりしないでよ! アルト君、着いたの?」
「うん……でも、無人かもしれない」
 とはいえ、波止場は別段吹きだまりなども見当たらず、数隻浮かんでいる小舟もロープで停められ、いつでも使える状態に整備されている。舵を取るダンの元にいたサーラもやって来た。
「とりあえず、降りてみるか? 丁度日も南から動いた頃だし、昼寝でもしているのかもしれない」
 周りにいた乗組員たちも、「昼寝にはうってつけだな!」と天を仰ぎ一斉に笑う。雲は多いが、初夏の兆しを思わせる青空が覗いている。
「降りられるんなら、さっさと降ろしてくれ〜……」
 陸の上では常に余裕を振りまいているジャックも、海上ではお手上げのようだ。モエギに介抱されるがままとなっている。
 ダンの指示で錨を降ろし、梯子を伝ってアルトとサーラが波止場に降り立つ。モエギはジャックの容態が心配だと、船に残った。
 ほったて小屋の周りには、船の道具やら樽やらが雑多に置かれており、小屋自体も老朽化が激しい。せいぜい一部屋程度の構えである。
 上部が円形になっている扉を叩き、再び小屋の主がいるか声をかけてみる。間があって、億劫そうに扉が開かれた。
 小屋の主は、ぼさぼさの赤髪と、ずんぐりとした体型の、背の低い中年の男性だった。自然と見下ろす形になり、男性は絵の具らしき染みがついた前掛けで手元を拭い、丸々とした瞳で見上げる。
「何だあ、お前さんたちは? 外海から迷って流れ着いたんかい」
「いえ、俺たちはあることを調べたくて、この地を目指してきた旅人です。ホビットの方たちの集落に行きたいのですが」
「ほう! そりゃあ、珍しい客もいたもんだな。最後にこの船着き場から同胞が旅立っていってから、おれぁ画集を三冊くらいこしらえたよ」
 背格好からして、この男性もホビットだろう。彼の背後には、一備えの机と椅子、壁中を埋め尽くす風景や植物などの水彩画が見える。波止場を望める窓際では、画架に立てかけられた海原の絵が描き手を待っている。
「あの……船上から一度、この者が呼びかけたのだが」
 サーラが怪訝な表情でアルトを指すと、小柄なホビットは悪びれる様子もなく、悠長に返した。
「ああ、聞こえとったけど、ちょうど手が離せない所だったんだ。いやあ、すまねえすまねえ」
 笑顔で頭を掻くホビットは、集落から一人離れ、船着き場の管理をしているという。何せ、利用する者が数年に一度現れるかという人気のない場所なため、趣味の水彩画を好きなだけ描けると思い、管理者となったらしい。
「ああそうそう、集落なら、森の入口に看板が立ってるからよ、それを見て行けば夕方までには着くんじゃないかねえ」
 随分ざっくりとした説明である。ホビットは明らかにそわそわしており、早く人払いをして絵の続きを描きたいのが嫌でも伝わってきた。
「……分かりました。ちなみに、その集落にドミニクという方はいらっしゃいますか?」
「おう、ドミニクなら嫁さんが里帰りしてて、暇してると思うよ。あんたら、ドミニクの知り合いかい?」
 アルトはうなずき、父の名を口にする。ホビットはのんきに相槌を打った後、目玉が飛び出す勢いでアルトを凝視した。
「あんたが、オルテガ様の息子だっつうのかい! そりゃ、早くドミニクの所行ってやれや! そこの船はちゃんと預かっておくからよ!」
 打診せずとも、快く船を引き受けてくれたホビットに、アルトとサーラも思わず笑みが広がる。バハラタへの抜け道に住んでいた、ノルドという気難しいホビットが本当に同族なのか、疑わしくなる程だった。
 礼を述べ、船上で待つダンの元に戻り事情を説明すると、「うまいもんをどっさり土産に持ってきてくれよ!」と、快く送り出してくれた。
 モエギとジャックも船を降りたが、銀の賢者は潰れたカエルのように地べたに這いつくばり、心の底から嘆いた。
「あああ……サーラさん特製の酔い止めも効かねえオレは、娯楽も何もないこの森でしか、生きられねえのか……」
「さっきから、ずっとこの調子なの」
 困り果てた様子で、ジャックを見下ろすモエギ。一応、サーラが船酔い防止の薬を処方していたのだが、長旅だと効果が切れてしまうらしい。
「情けない、と言いたい所だが……苦しませてすまない」
 あまりにもジャックが参ってるため、サーラも不憫そうに眉を下げる。動かぬままのジャックに肩をすくめ、アルトは声をかけた。
「仕方ない。ジャックには、ダンさんたちと船に残ってもらうしかないな」
 冗談めかして言ったのだが、ジャックはアルトの発言を受け、ゆらりと幽鬼のごとく立ち上がった。
「……オイ、アルト。オレを、あのむさ苦しい連中と待たせる気か。行くぞ」
 言うなり、ふらつきながらも先陣を切って森を目指すジャック。サーラとモエギが顔を見合わせると、アルトは苦笑した。
「まあ、ジャックはサーラや、モエギと一緒にいたいんだろうな」
 女兄妹に囲まれてきたジャックの習性を、自然と刺激出来たようだ。サーラは呆れ返り、モエギもしょうがないなあとため息をつきながらも、どことなく嬉しそうだった。



 草花がまとわりつく看板が示す道順は、幸い数回の曲がり道を通るのみで済んだ。
 やがて『ホビットの村』という、古びた立て看板を見つけると、サーラたちは視界に広がる大樹の群れに、長旅の疲れも忘れ見入った。
 広場になった森の中を囲むように、幹の太い大木が幾重にも連なり、たくましく地面に下ろされた根元には、扉がいくつもはめ込まれている。目を凝らすと、幹の上部には丸や四角といった窓が開いており、若い男性が顔を出すと、地上にいるエプロン姿の娘に手を振った。
 そこは、森の中に築かれた集落ではなく、自然とホビットが共存する森そのものだった。
「これは……ホビットというのは、木を家にしているのか?」
 立て看板を通り過ぎ、入って右手の草むらでは、前掛けをつけたふくよかな女衆が井戸端会議に花を咲かせ、その奥では適当な丸太や岩に座り込み談話する老人の姿もある。
 目の前を、金粉をまぶしたような見たこともない模様の蝶が横切った。蝶は広場で駆け回っている子供たちの方へ飛んでいき、天使のようにふわふわとした髪型の男の子と女の子が無邪気に追いかける。ふと、こちらに視線が寄せられた。
「あっ! 人間だ!」
 男の子が指を差してくる。以前、エルフの集落を訪れた時も似たような注目を浴びたが、子供たちはさらに珍しい蝶でも見つけたように、全速力で走ってきた。
「わーっ、人間! 人間! おっきいなあ」
 総じて頭打ちされたような背丈のホビットにとって、最も背が高いジャックなどは巨人に等しいのだろう。楽しそうにぴょんぴょん跳ねている。
「ねえねえ、おじちゃんの髪の毛、なんで白いの? どうしたらそんなに背が高くなれるの?」
 女の子に見上げられ、ジャックはようやく船を離れ調子が戻ってきたものの、額を抱える。
「何だこいつら……おじちゃんって、白髪って言われるよりきっついんだけど」
 サーラとモエギはつい笑ってしまう。ジャックはすっかり気が削げてしまい、女の子に対し無言を貫いている。
 青々と頭上を覆う茂みから、緑を帯びた陽射しが降り注ぐ中、アルトは屈んで子供たちに話しかけた。
「こんにちは。俺たちは世界を旅していて、ドミニクさんって人を探してここまで来たんだ」
 子供たちは跳ね回るのを止め、すぐさま反応した。
「ドミニクおじさん!?」
「おうちにいると思うけど、たぶんおひるねしてるよ」
 陽は既に、西に向かって傾き始めている。精神的に痛手を負っていたジャックが進み出た。
「じゃあさ、『お兄さん』たちを、そのおっさんの家まで連れてってくんない? 客が来たら、おっさんもオチオチ寝てられないよな?」
 満面の笑みで尋ねるジャック。自分はあくまで若いという主張と、ドミニクをあらゆる手段を使ってでも叩き起こし、うさ晴らしをしたいという魂胆が見え見えである。
 子供たちはジャックをまんまるの瞳で見つめると、首を傾げながらも「いいよ」と先導してくれた。
 ドミニクの家は、数ある大木の中でも、視界に入る限りでは二番目に立派なものだった。男の子が隣のさらに大きな木を指し、「ここは長老さまのおうち!」と教えてくれた。
 子供たちを再び遊びに帰すと、アルトが扉の前に立ち、根の間にぴったりとはまる木製の戸を叩いた。
「また、気付いたけど眠いから無視する、なんてことはないだろうな……」
 来客よりも、自身のやりたいことを優先する。ホビット全体に対しそのような認識を抱きたくないが、どうにも不安でサーラはつぶやく。
 だが、数回ノックしても、何の反応もない。隣でモエギが大きく深呼吸をし、身構えた。
「こうなったら、あたしが力いっぱい扉を……」
「お前はバカか? お前みたいなのがぶち破ったら、間違いなく器物破損で訴えられるぞ」
 速攻で制止され、むくれるモエギを差し置き、ジャックが手を合わせる。何をするのかと思えば、詠唱の準備に入ったようだ。モエギと同じ方法が念頭にあっただろうに、きちんと良識はわきまえている。
「ザメハ!」
 ジャックの手から放たれた波動は扉に行き渡り、外枠を伝い弾ける。果たして中まで伝わったのか怪しんでいると、ふいに扉が開いた。
 くるくると渦巻く、赤土色の髪をかき上げ顔を出したのは、台形のりんかくをした大きな鼻の中年男性だった。やや垂れ気味な眉が、いかにも親しみやすい風貌を醸し出している。首元には、ロザリオらしき銀の鎖も覗いていた。
「珍しく、他人の魔力を感じたんだが……どなた様かな?」
 子供たちが言っていた通り、明らかに寝起きの目をしている。何はともあれ、成功だ。
「ほら、世の中は馬鹿力より知性がモノを言う」
「バカバカうるさいのよ、船上では役立たずだったくせに」
 モエギとジャックの小競り合いは放っておくことにする。眠たげに目をこするホビットは、アルトに目を留めると近視の者のように顔を突き出した。
「お前さん、どこかで……」
「突然お尋ねしてすみません。俺は、アルトといいます。貴方がドミニクさんですか?」
 ホビットの男性は、いかにも……と、ためらいつつ認める。アルトは進み出ると、深く一礼した。
「生前、父がお世話になりました。お会い出来て嬉しいです」
 にっこり微笑むアルトを目の前に、ドミニクは口をぽかんと開ける。胸元から取り出したロザリオには竜の彫り細工が施されており、彼は感謝を伝えるように握りしめた。
「そうか……お前さんが、オルテガ様の息子かい。よう、よう来てくれた」
 小さな瞳を潤ませ、ドミニクは快く招き入れてくれた。
 大樹をまるまる住居にしたドミニクの家は、調度品から食器など細々した品まで木製のものを揃えてあった。土の上に敷かれたじゅうたんは干し草を編んだもの、窓辺の日よけはつる草を垂らしたポット。あらゆるものを天然の素材で作り、工夫を凝らした住まいに、サーラは感嘆の息を漏らした。
 じゅうたんの隙間からは、所々草や小さな花が顔を出し、土と木の匂いは心を和ませる。木の幹の曲線をそのまま残した円形のテーブルに案内され、椅子の代わりに埋め込まれた切り株にめいめいで座る。隅には釜戸やぶら下がった調理器具が見受けられた。
「ホビットの人って、木の中にこんな家を作っちゃうんだね。あっ、ほら二階もあるみたい!」
 瞳を輝かせ、モエギが指した先には梯子が伸びており、西日と生い茂る葉のきらめきが見える。天井が枝葉になっているのだろう。
「この家は、ドミニクさんが作ったんですか?」
 水の入った丸っこい木のコップを運んできたドミニクは、いやいや、と照れながらコップを行き渡らせた。
「わしらホビットは、一家代々同じ木に住むんだよ。まあ、老いた木からは移り住むんだけどな、この家は長老様からの計らいで、わしの代から住んでおるよ。手を加えたのもほとんどわしだ」
 ドミニクは、せり出した出っ張りに置いてあるびん詰めを取り、中身を器に流し込んだ。器をテーブルに出すと、アルトの隣に座り大きく息をつく。彼にとっては丁度良い高さだが、サーラたちはテーブルが低く、小人の世界に迷い込んだような心地だった。
 アルトをドミニクと挟む形で座るサーラは、器の中身を繁々と眺めた。
「これは……焼き菓子ですか?」
 器には、表面がでこぼこしたクッキーのような菓子が山盛りになっている。すすめられるがまま口にすると、程よい渋みと混ざり、ほんのりと甘い味がした。
「それは、どんぐりを混ぜ込んであるんだよ。樹液で甘みをつけたものでな、まあ食べなされ」
 ドミニクの言葉に甘え、それぞれ手を伸ばし頬張ると、皆口に合ったようで笑みがこぼれた。
「うまっ! おいモエギ、頬袋にしまっとけ」
「こればっかりは、あたしもリスだったら間違いなくそうする!」
 甘すぎなくて良い、と二人は遠慮なしに菓子をつまみ続ける。アルトもそれをたしなめつつ、穏やかな表情で味わっている。
 サーラも、幼い頃どんぐりを食べられないものかと、渋抜きを試みたことがあった。だが上手く出来ず、えぐみの残るどんぐりの味が嫌で義父に泣き付いたのだ。ほろ苦い思い出ごと、サーラは無言で菓子を噛みしめた。
「さて……。わざわざこんな秘境にやって来るとは、どうしたんだね? まあ、わしは嫁が出産前で実家に帰っとるから、いくらでも話は出来るけどなあ」
 ドミニクに微笑みかけられ、アルトは言葉を選びながら口を開く。
「その……色々話したいことはあるんですが、一番の目的は、『空から落ちた船』の話をご存じないか、お聞きしたくて」
 問いを復唱し、ドミニクは首を傾げる。
「ふーむ、それは知らんな。長老様なら、ご存じかもしれん」
 となると、長老にも会う必要が出てくる。サーラも尋ねた。
「船着き場に住んでいる者の話からして、貴方がたは滅多に外海に出ぬようですが……ドミニク殿はどのようにして、オルテガ様やサイモン様とお会いに?」
「おお! それはこの後話すとして、サイモン様はお元気かな?」
 どうやら、諸国の情勢もこの森には伝わってこないらしい。サーラはアルトたちと顔を見合わせ、手短にサマンオサの件を打ち明けた。かつての仲間の理不尽な投獄に、ドミニクは一回り身体が小さく見える程、落胆してしまった。
「そうか……。その牢獄の噂は、わしも聞いたことがある。ここより西の孤島にあるんだがね、まず船では近付けないんだよ。サイモン様のお子たちが彼を救えるよう、今は祈るしかあるまい」
 胸元のロザリオを包み、ドミニクはそっと頭を垂れる。頬杖をつき、ジャックが興味本位で質問を投げかけた。
「ドミニクさん、そのロザリオに竜の細工がしてあるけど、何か意味があるの?」
 竜といえば、サーラたちが探している宝珠は、元々竜の神が産み落としたとされるものだ。大体の国はルビス信仰が一般的だが、この大陸のように閉じた土地では、重んじる神が違うのかもしれない。
 ドミニクは、ロザリオを見えるように持ち上げ、ふちをなぞりながら答えた。白い石を磨き上げた盤面が、光を浴びて輝く。
「わしらホビットは、この大陸から海を隔てた北にある、険しい岩山の頂におわす竜の一族から、あることを託されておるのだよ」
「竜の、一族……? 彼らは実際に、今もその岩山にいるんですか?」
 アルトも目を見張る。質問攻めだなあ、と苦笑しつつも、ドミニクは丁寧に教えてくれた。
「いるというか、住んでいる、と言われておる。わしらは、この大陸の中心にそびえる『世界樹』を守る、森の女神の眷族なのだよ」
 竜の一族、世界樹、森の女神。あふれんばかりの馴染みのない語句の数々に、モエギがこめかみを押さえうなる。
「えーと? ドミニクさんたちは、竜の一族からその、世界樹っていうのを守るように頼まれてるのね? で、何で森の女神の話になるの?」
「お前、知らねえのか? 元々精霊は炎、大地、金、水、森の女神様がいるんだよ。その中でも、精霊神っていう名目で一番偉いのがルビスってこと」
 へえ〜としきりにうなずくモエギと、得意げに鼻を反らすジャックを眺め、「お前もクラリスに聞くまで知らなかっただろ」とアルトがぼやく。旅路を経て、アルトも随分とジャックをあしらえるようになったものだ。
 そもそも、バハラタやアッサラーム地方だと、国が神学を義務教育にすることもないため、個人の信仰心や知識に格差が生じるのは無理もない。サーラも言葉を継ぐ。
「ルビスがエルフを眷族としているように、他の女神もそれぞれ眷族を従えているのだろう」
「え? じゃあ、アルト君も大地の女神の眷族なの?」
 まじまじとモエギに見つめられ、アルトはやんわりと否定した。
「俺やアリエルはむしろ、大地の女神の直系……かな」
 腕を組み、考え込むモエギに苦笑しつつ、ドミニクが説明してくれた。
「エルフや、わしらホビット以外の眷族を教えよう。
 大地はノーム、金はドワーフ、水はニンフ。わしらは人間に対し友好的に接するが、他の眷族はむしろ逆だろうな」
「はあ〜。種族によっちゃ、どこにいるか見たこともない奴らばっかりだわな」
 ジャックの言う通り、どの眷族も人間の目に触れぬよう、もしくは関わり合いにならないよう、ひっそりと暮らしているのだろう。
「世界樹、っていうのも気になるけど……。話は戻りますが、ドミニクさんは何故、父さんやサイモン様のお供をしていたんですか?」
「おお、その話だったわい!」
 ドミニクは分厚い手のひらを合わせ、懐かしむように話し始めた。



「もう、十年以上前かの。わしは、いい加減この森で暮らすことに飽きてしまってな。巷で、冒険者という者が世界中を自由に旅していると風の噂で聞きつけ、わしも冒険者になるべく森を出たんだよ」
 ホビットは、他の眷族と違い、外界に出ていく者を引き止めないという。その代わり、この森を出て行く者も滅多におらず、ドミニクは自身の僧侶の心得のみを頼りに飛び出した。
 アリアハンのルイーダの酒場と同様に、世界各地には冒険者の登録を請け負い、仕事を斡旋する施設が存在する。所によっては、宿屋や武器屋など、冒険者にのみ割安で商売を行っている店も存在するため、冒険者として旅をするには登録が不可欠なのだ。
 ドミニクは、手始めにムオルまで足を伸ばしたが、最果ての地と呼ばれる村では冒険者のための施設がなかった。代わりに、ある男との出会いにより、ドミニクは思いがけず旅の仲間としてついて行くことになったのだ。
「それが、オルテガ様だった。彼は自分以外の旅人が珍しかったのだろう、途方に暮れるわしに、人懐っこい笑顔で話しかけてくれたよ」
 ムオルでの療養生活を終えたオルテガは、今後の旅のために船が欲しいと、ポルトガを目指した。ドミニクは途中で立ち寄ったダーマ神殿で、冒険者として登録し、正式に僧侶となった。
 険しい山脈を越え、アッサラームを経由しロマリア半島を横切り、潮風漂う国に辿り着くと、そこにはもう一人の仲間がいた。
「サイモン様は当時から既に、サマンオサの近衛兵として派遣されておった。何でも、オルテガ様の後を追っていたというが、ことごとく行き違いが生じたため、ポルトガで待ち伏せしておったらしい。彼は造船技術世界一の国で、とんでもないことを言い出しおったよ」
 サイモンは、先代のサマンオサ国王と対立関係にあった海賊たちにかけ合い、船に乗せてもらうと宣言した。その代わりに、国王側と海賊たちに協定を結ばせ、仲を取り持ったのだ。
「当時は、まだ海上の脅威が今ほどでなく、わしは二人と一緒にポルトガの帆船に乗せてもらい、海賊の元を訪ねた。だが、あんな荒くれどもがちゃんと聞く耳を持っているのか、最初は疑わしくてしょうがなかったね。奴らは、自分たち以外の存在を全く信用しなかった」
 オルテガとサイモンは、ネクロゴンドの地を目指す必要性を説き、三日三晩海賊たちの根城に居座り、説得を続けた。結果、当時の頭領がとうとう観念したという。
「その時口添えしたのが、頭領の拾い子の女の子だったかね。懸命に訴える二人を見続けて、頑としてきかない頭領の方が臆病者だの、意地っ張りだの言い出して……。あの子も、今は立派な娘さんになっているんだろうなあ」
 三人を目的地へ連れて行く代わりに、国王側は海賊たちへの過度な弾圧を止め、互いに干渉しない約束をした。その功績もあり、サイモンは後に近衛隊長となったという。
 海賊船に揺られ、ついにネクロゴンドの地に降り立ったオルテガは、突如ドミニクとサイモンに別れを告げた。サイモンは勿論のこと、ドミニクも一介のホビットでありながら、死する時までオルテガに尽くす覚悟でいた。予期せぬ言葉に、揃って茫然としたという。
「わしも、サイモン様も猛反対したよ。ここまで来て、オルテガ様だけを敵地へ向かわせるなんて……。だけど、あの方はわしらを家族の元へ帰したいのだと、穏やかに微笑むだけだった」
 ドミニクは瞳を閉じ、それきり話すのを止めた。
 まぶたの裏側には、在りし日のオルテガとサイモンの姿が、鮮やかに蘇っているのだろう。木々のざわめきと、小鳥のさえずりが、空間を満たした。
 アルトの様子をうかがうと、青年もまた、回想の中にたたずむ父に思いを馳せているように見えた。
 オルテガも、妻と息子を残し、どんなに帰りたかっただろう。だが、英雄はごく身近な幸せよりも、仲間の幸せを願い、顔も知らぬ人々の分まで平和をもたらすため、単身乗り込んでいったのだ。
 オルテガの訃報を聞いた時の、幼かったアルトの心境は知る由もない。しかし、今はアルトも父の心境を理解出来るだろう。
 尊敬する父の、英雄としての軌跡を心の奥で辿った時、抱く思いは何なのだろう。
 沈黙が続いた後、ドミニクは眠りから覚めるように、ゆっくりと目を開けた。
「オルテガ様が、火山に落ちて行方知れずになったと耳にした時、わしは無理矢理にでも、あの方にについて行くべきだったと自分を悔いた。一月も、ろくに誰かと会話が出来ない程にな……」
 深いため息を挟み、ドミニクはアルトの正面に向き直る。
「アルトや。どうか、わしと約束しておくれ。オルテガ様のように、一人で全てを背負うな。お前さんは、仲間に恵まれとる。仲間と共に、皆の力で、オルテガ様の無念を晴らしてくれ」
 仲間でありながら、オルテガをそばで救えなかったドミニクの痛切な思いが胸を焼く。アルトはサーラたちを見回し、ドミニクの手をしっかり握ると、目を細めうなずいた。
 ふいに、ゆるやかに扉を叩く音が響いた。来客の見当がついたのか、ドミニクは目元を腕で乱暴にこすり、すぐさま玄関口に向かう。
「起きてる時は、ちゃーんと出迎えるんだな」
「ジャック!」
 小声で突っ込むジャックをモエギが咎め、しんみりとした空気が四人の笑い声で明るくなった。
 ドミニクが招き入れた客は、彼よりも背の低い、上半身を覆う程の白ひげをたくわえた老人だった。深緑のローブを纏った小さな肩にはリスがしがみついており、しきりに目を瞬かせている。
「紹介しよう。わしらホビットの長老である、ウディ様だ」
 サーラたちが立ち上がり一礼すると、長老ウディも目礼を返す。ほとんど開いていない瞳は、群青色の光をたたえている。
 長老は口を開いたかと思いきや、肩に乗せているリスに向かい語りかけた。
「何やら、珍しい気配がしおったから、ぶらりと訪ねてみたのじゃが……。これは、風変わりな取り合わせじゃのう。エルフ、人間、銀の子、そして……竜」
 サーラから時計回りに見渡され、どう返答すべきか困惑する。長老が腕を伸ばすと、リスが袖口からテーブルに移り、真っ先にどんぐりの焼き菓子に食らいついた。
「わあ〜、かわいい!」
 普通のリスより体長が二倍はあるが、モエギは構わず黄色い声を上げる。座るよう促され、ドミニクと長老もテーブルに着く。
 リスはあっという間に菓子を平らげると、ジャックに呼び寄せられ、肩に上り毛づくろいをしている。あまり動物好きの印象がないのだが、ジャックはどことなく上機嫌で、リスの頬をつっついたり、毛並を撫でている。
 各々自己紹介をすると、アルトが遠慮がちに問いかけた。
「あの……。最初に竜とおっしゃったのは、何故ですか」
 長老の口振りからして、サーラたちにあてられた言葉なのだろうが、アルトが竜と呼ばれたのはサーラも疑問に思った。長老は動じず答える。
「かつて、この世に舞い降りた光は、竜の一族の遠い血縁。それが、おぬしだということは、もう分かるであろう」
「それは、アルトが大地の女神だけでなく、竜の一族の末裔でもある……ということですか」
 サーラの問いを、長老はうなずき肯定する。当のアルトがさらに質問しようとしたが、さえぎったのはジャックだった。
「そういう込み入った話は、後で一対一でしてくんないかな。オレらがここに来たのは、この大森林から東の北海で、『空から落ちた船』を見た人がいないか聞きたかったからなんだよね」
 機嫌良くリスを可愛がっていたかと思いきや、ジャックは明らかにしびれを切らしている。リスが主人の元に駆け戻ると、長老は顔を寄せ、何やらしきりにうなずいている。
「あのリスは、何でも長老とだけ話が出来るみたいなんだよ」
 同族のドミニクでも理解し難い光景なのか、苦笑いを浮かべる。一方、長老は何やら思い出したのか、天井を仰いだ。
「おお……。あの時のことか。それは、知りたいじゃろうな」
「えっ!? 長老さんは、実際にその船を見たんですか?」
 モエギが身を乗り出す。リスは声量にびっくりしたようで、慌てて長老の背中に隠れてしまった。
「もし覚えてたら、どんな船だったか描いてくれませんか」
 いつになく真剣なジャックの態度は、既に何らかの検討をつけているように見える。ドミニクがあちこちをひっくり返し、更紙と木炭を持ってくると、長老は記憶を描き出すように手を動かした。
「わしは、あまり絵心がないのじゃが……帆に描かれておった紋章だけは、世界樹のてっぺんから見た時からずっと、目に焼き付いておる」
 たどたどしい帆船の絵の中に、羽根をモチーフとした紋章が確かな線で描かれた時、ジャックだけが青ざめた顔となった。
「この紋章は……どこの国だ?」
 サーラも一通りの国の紋章は知っているが、見覚えのない形をしている。アルトやモエギも首を傾げるばかりだ。
 静寂の中、長老は絵を凝視したままのジャックに問うた。
「おぬしは、知っておろう? 銀の子よ」
 一斉に注目が集まる。ジャックは、苦々しく笑った。望んでいた答えに、戸惑うように。
「……知ってますよ。これは、ネクロゴンドの王族の紋章だ」