深海の隠者 幽遠の青 1



 その者は、望んでいた。
 己の身が朽ち果てようとも、本当の主がそれを手にする瞬間を。
 その者は、見つめていた。
 世界の中心にうごめく、数多の記憶と未来を。
 彼らは、辿り着く者を、すり切れた時間の中で待っている。



 サマンオサの教会は、難民たちが徐々に持ち家へと帰り、人もまばらになった。礼拝堂の祭壇には心ばかりの供物が供えられている。滞在中に、皆で犠牲者の弔いを行ったのだ。
 神父に連れられ、国王が療養する個室に通されると、寝台の傍らには薄藍色のワンピースを纏った少女と、軽装備の兵士二人が立っていた。少女は金茶の巻き毛を揺らし、サーラたちを振り返ると優雅に会釈する。
「えーと……どなたさん?」
 首を傾げるジャックに、少女は寝台で上半身を起こしている国王と顔を見合わせ、胸に手を当てた。
「わたくしは、この国の王女セレスですわ。偽の国王と大臣の策略で、猫に姿を変えられていましたが……ようやく身体の自由が利くようになりましたので、お父様をやっと見舞いに来られましたの」
「あの時、アリエルと一緒にいた、あの猫……?」
 王城に侵入したアルトとジャックは思い当たる節があるようで、王女セレスはワンピースの裾をつまみ、一礼した。
「わたくしは訳が分からぬまま、変化の杖で猫にされ閉じ込められていました。けれど、今お父様と再びこうしていられるのも貴方がたのおかげ。深く感謝いたしますわ」
 おっとりした物腰の愛娘を、国王も目を細め眺めている。王女はところで、とサーラたちに尋ねてきた。
「アリエルはもう、生家に戻っているのかしら。わたくし、彼女にもお礼を言わなければ……」
 戻っていると説明するや否や、王女は父に断りを入れ、兵士たちを連れて慌ただしく部屋を後にしていった。
「そっか……自分の意思に関係なく姿を変えられたら、気が滅入っちゃうよね。良かった」
 モエギが胸を撫で下ろす。心細い日々の中で、同室に捕らわれていたというアリエルの存在は、彼女にとって大きかったことだろう。
 国王もまた、娘を温かな眼差しで見送ると、サーラたちに向き直り楽にするよう命じた。神父によると、国王自ら話があるとのことだが。
「……そなたたちには、言葉で言い尽くせぬ程の感謝をしておる。改めて、サイモンやアリエルを始め、全てのサマンオサの民に代わり、礼を言う」
 国王に深々と頭を下げられ、サーラたちも同様に頭を垂れる。
 諸悪の根源は完全に断ち切った訳ではなく、サイモンは流刑に処されたままだ。それでも、この国を絶望の淵から救い上げることは出来た。
「俺たちも、この国での出来事が大きな糧となりました。まだ、気持ちの整理がつかない部分もありますが……」
 アルトはうつむきがちに口をつぐんだ。サーラも、母レイラと精霊神ルビスの関係についてはっきりさせたかったが、それはおそらく、表向きには決して伝えられていない事柄なのだろう。国王に尋ねても、明確な答えが返ってくるとは思えなかった。
 国王も、同じ血を分けた者同士が出会ったことにより交わされた、おおよその内容を理解したのだろう。静かな声音で説いた。
「アルトよ。そなたが背負うものは、父オルテガよりも重きものとなるやも知れぬ。だが、そなたの真っ直ぐな心は人を動かし、闇を打ち破る光となろう。どうか、その心を常に持ち、仲間たちと共に魔王を討って欲しい」
 アルトの表情はどこか陰があったが、うなずく横顔は世界の命運を担う決意を表していた。
 もはや、魔王討伐はオルテガの遺志を継ぐ以上に、アルト自身が成し遂げなければならない使命となったのだ。
 父の名に恥じぬよう強くなりたいと瞳を輝かせ、無邪気にサーラを慕っていた少年は月日を経て、たくましい青年へと成長した。
 この青年を、最もそばで支えたい――たとえサーラ自身が何者であっても、その想いが変わることはないのだ。
「皆、志は一つのようだの……。アルトよ、良き仲間を持ったな」
 黄玉色の瞳が微笑み、アルトはサーラたちを振り返る。モエギも、ジャックも、迷いのない、力強い笑みをたたえていた。
「そなたたちは、この国に十分貢献してくれた。後のことは、サマンオサの民と、クラリス殿が請け負ってくれる。近日中に旅立つが良い」
 突然言い渡され、サーラたちは困惑する。傷が癒えたら、しばらくは復興の手伝いをするつもりだったのだ。
「クラリスの奴、いつの間に根回ししてたんだよ……」
 彼女の計らいだと踏んだジャックは、あさっての方向を向き頭を掻く。渋るサーラたちに、国王はこう話した。
「聞いた所、そなたたちは宝珠と、鍵を探して世界を旅しているそうだの。儂の知っていることで、何か手がかりになればと思うのだが」
 代々、賢王と謳われたサマンオサ国王自らの申し出は、またとない好機だ。今まで耳にしたことのない話を知っているかもしれない。アルトが乞うと、国王は快く話してくれた。
「入国のために使われている、旅の扉を管理していた者から聞いた話なのだが……。
 そなたたちは、『空から落ちた船』というのを聞いたことがあるか?」
「空から、船……? それは、おとぎ話とかですか?」
 つぶらな瞳をしばたたかせるモエギに、国王は首を横に振る。だが実際、空想でしか起こり得ないことのように思える。
「その方は、実際にその光景を目にしたのですか」
 サーラが問うと、今度は左様、と首を縦に振り、国王は詳細を語った。
 ある時、サマンオサ北東の海域から、ツンドラ地帯を隔てた北海に、帆船が落下し沈没したのだという。目撃した者も単眼鏡で見たため、はっきりとは確認出来なかったそうだが、その帆船は突然空中に現れたらしい。
 位置を確認するため、アルトが地図を取りに行くと、思案顔のジャックがぼそっとつぶやいた。
「瞬間移動……ルーラか? いや、バシルーラ……?」
「バシルーラってことは、誰かに飛ばされたの? 船ごと?」
 おそらくな、とジャックが答え、モエギも腕組みをして考え込む。船というだけでは、何のための船なのか分からない。例えば国が所有している船ならば、帆に各々の国の紋章が描かれているのだが。
 目撃した本人に直接聞きたい所だが、故人となっており、本人が船を見たのも二十数年は前だったという。
 そこで、ジャックが何か言いかけたが、アルトが戻って来た拍子に気を削がれたらしく、舌打ちした。アルトにではなく、自身のまとまりかけていた考えが散ってしまったためだろう。
 アリアハンのいざないの洞窟で入手した世界地図を広げると、魔法により訪れた土地が浮かび上がる地図に驚きつつも、国王は北海のあたりを指で囲んだ。
「このあたりだったと思うが、何せ何十年も前に沈んだ船……簡単には見つけられぬだろう」
「だが、仮にバシルーラで飛ばされた船だとすると、ただの客船などではないだろうな。何か、その船に意味があるはずだ」
 サーラも眉根を寄せる。すると、国王がふと思い出したように顔を上げた。
「そういえば……。北海の西に位置する巨大な森林地帯には、ホビットが住むという。その中に、サイモンとオルテガの仲間がいたはず」
「父さんと、サイモン様の……?」
 オルテガの旅仲間が、サイモン以外にいたというのは初耳だ。アルトが目を見張る。
「うむ。彼らは古くから、かの地に住まう種族。北海のことにも通じておるだろう。一方、海のことならば、海賊を頼るのも一つの手だが……いかんせん、どちらを訪ねるにも骨が折れるだろう」
 アリエルを拾い上げ、アリアハンに連れて来たという海賊たちは、サマンオサの南部に拠点を構える一味。片やホビットは、北海に面しているものの、真逆の森林地帯に住む種族である。両方を訪ねるとすると、相当な日数がかかる。
「いずれにせよ、私たちは一旦、船を停めてあるバハラタ地方へ戻ることになる。そうすると、陸沿いに船を進めていけば、ホビットがいるという地の方が進路も楽だろう」
「そうだな……船を目撃した確率が高いのは、ホビットの人たちだろうし。国王様、その、父の仲間だった方の名前を教えていただけますか」
 アルトとしては、情報を得る以上に、オルテガの仲間だった人物が気になるようだ。国王は、ドミニクというホビットだと教えてくれた。
「彼もサイモンと同様に、オルテガの手により故郷へ帰された者。そなたがオルテガの息子と知れば、快く迎えてくれるであろう」
 アルトは礼を述べ、出発の準備が整い次第再度挨拶することを約束し、退室した。城下町の外から戻って来た時より、いくらかアルトの表情も和らぎ、サーラは心の中でほっとした。
「二十数年前……そんなこと、あるのかね」
 背に受けたジャックのぼやきは、自問自答しているようだった。



 天まで抜けるような快晴の下、サーラたちは城下町の正門前で出発の挨拶を交わした。
 大々的な見送りは遠慮し、共にこの地を踏んだクラリスと護衛のセラ、ケイン、それに加えアリエルとシゲルという顔ぶれのみだ。
 クラリスはダーマ、アリアハンと連携し、サマンオサを復興させるためしばらく滞在するという。大神官ヨシュアからも許しを得たため、彼女は神殿にいた時よりもずっと生き生きとしている。
「クラリス、俺たちの分もサマンオサを頼むよ」
 本来は、アルトが直接アリアハン国王に今回の件を報告する必要があるのだが、クラリスは報告文を用意してくれたらアリアハンへ持っていく、と申し出てくれたのだ。彼女はもちろん、と承諾の笑みを見せる。
「任せて。あなたたちが安心して旅が出来るよう、私も出来る限りのことをするわ」
 外界へと羽をはばたかせた従妹を、ジャックも満足そうに見つめている。続いて、アリエルとシゲルが進み出、落ち着いた声音で告げた。
「アルト。わたしたちは、準備が出来たら父さんのいる牢獄へ行くことにしたの」
 手をつなぐ二人は、義兄妹というより初々しい恋人同士に見える。だが、表情は浮つきがなく、頑ななものだった。シゲルも口を開く。
「義父さんを助けるのと、もう一つ……一族に代々伝わる剣を、お前たちに渡さなきゃいけないんだ」
「剣……? 先日話していた、三つの神器とやらか?」
 サーラが低く尋ねると、サイモンの子たちは揃ってうなずいた。
「変化の杖と、ラーの鏡は国宝として納めていたけれど、残りの『ガイアの剣』はわたしたち一族が代々受け継いできたものです。あの剣は、来るべき時が来たら『放浪者』の一族に渡さなきゃいけないの」
 アリエルから語られた伝承は、モエギやジャックにも大体話している。話は理解したものの、モエギは眉尻を下げ、精一杯の言葉をかけた。
「お父さん……サイモン様が、無事だといいね」
 サイモンが囚われた牢獄は、生きて帰った者がいないと恐れられている。望みは薄いが、今はそれ以上の言葉を誰も口に出来なかった。
 アリエルはありがとう、と小さくつぶやき、再びアルトに目を向けた。
「父さんと、ガイアの剣がわたしたちの元に帰ってきたら、必ず知らせる。その時まで、どうかみんな、気を付けて」
 アリエルこそ、父の安否が気がかりで押し潰されそうだろうに、常に周囲への気遣いを忘れず気丈に振る舞う。彼女やシゲルのためにも、サイモンの無事を願わずにいられなかった。
「お前たちもな。また会えるのを、楽しみにしている」
 サーラが肩に手をかけると、アリエルは口元を結び、深くうなずいた。
 すると、クラリスの脇でにこやかに控えていたケインが、セラに何やら耳打ちをする。面やつれもすっかり消え去った鬼嫁は、聖職者らしからぬ、悪だくみを思いついたような笑みを浮かべた。若干青ざめたジャックが怖々と声をかける。
「あのー、お二人さん? オレたちそろそろ出発するんだけど、最後に何か?」
 彼らも、クラリスの補佐としてサマンオサに残るはずなのだが、セラはアリエルの背後に回ると、ぬいぐるみを抱くように両腕をからめた。
「おい! アリエルに何するんだよ!」
 シゲルが瞬時に腕を解こうとするが、セラは力を緩めず、上機嫌で宣言した。
「決めた。ワタシたち、今度はこの子たちの護衛をする」
「えっ!?」
 夫婦以外の全員が声を揃えた。きょとんとするアリエルとは対照的に、シゲルは猛烈に吠えかかった。
「お前ら正気か!? おれたちがこれから行こうとしてるのは、ろくな所じゃない。それに、アリエルだけならまだしも、おれもいるんだぞ? 少しでもためらいとか、ないのかよ!」
 セラたちもまた、黒い宝珠に侵されたシゲルと相見えている。ケインが腕に負った傷も、シゲルの手によるものだ。彼としては根強く残る、負の記憶だろう。
 だが、シゲルのためらいを全く意に介さず、ケインは朗らかに笑った。
「気にしているのは、君だけだよ。それに、牢獄だなんて物騒な場所に行くなら尚更、保護者同伴じゃないとね」
 要は大人がついていないと、と言いたいのだろう。シゲルは「そんなガキじゃないし……」と、あくまでつっぱねる。セラはアリエルに腕を絡めたまま、顔を覗き込んだ。
「どうだい、アリエル? ワタシたちがいれば、いくらか気も紛れるってものでしょ。クラリス様も、お手伝いを蹴って申し訳ないけど、賛成してくれるわよね?」
 言葉とは裏腹に、主導権を握っているのはセラである。クラリスも、予期せぬ事態に目を白黒させながらも答えた。
「え、ええ……。なら、こうしましょう。私から、アリエルたちの護衛を依頼したことにするの。そうすれば、報酬で満足な準備も出来るでしょう?」
「さっすが、クラリス様! 話を分かっておいでだ!」
 ケインが諸手を上げる。シゲルは尚も納得いかない様子だったが、アリエルが微笑みかけた。
「シゲル、一緒に来てもらおう。少し変わってるけど、悪い人たちじゃないよ」
 アリエルにはめっぽう弱いシゲルも渋々折れ、夫婦は仲良く雇い主に感謝を述べる。妙な雰囲気に呑まれ、サーラたちは立ち尽くしていた。
「悪い人たちではないけど、強引だよな……」
「まあ、シゲルがつっこみ役になるのは必至だな」
 アルトとジャックは率直な感想を述べている。サーラはモエギと共に、夫婦に声をかけた。
「短い間だったが、ありがとう。貴方がたも元気で」
「君たちもね。今度また会う機会があれば、旅の話でも肴にして飲み交わそう!」
 握手を交わし、セラと向き合う。彼女はもう、サーラにルビスの面影を重ねてはいなかった。
「サーラさん。いつか、あんたが真実を知ったら、ワタシに教えてちょうだい。ワタシはいつか、自分の手で新たな教典を作りたいの」
 セラの野望は、果たして叶って良いことなのか賛同しかねたが、同じく隠された真実を知りたい者として、うなずいた。さらに、セラはモエギと抱擁を交わし、くすぐったそうに笑った。
「その髪型の方がいいよ。あんたも、色々頑張りな」
 モエギは結い方を教わったお団子頭に手を添え、満面の笑みを覗かせた。
「それじゃあ……また!」
 アルトが手を振り、クラリスたちに見送られ正門を出ると、まばらに生えた青草が風に揺れ、爽やかな音色を奏でた。サマンオサも、あと半月程経てば季節の花が大地を彩るだろう。
 まずは、船を停めているバハラタの漁村に戻ることになる。ルーラの詠唱のため円陣を組むと、ジャックがじろじろとモエギに視線を投げかけた。
「お前、そういや髪型変わったな。ちょんまげはやめたの?」
 最近までモエギがしていた、髪の束を丸めた形をちょんまげ呼ばわりするのはいかがなものか。サーラが内心呆れる中、モエギは澄まし顔で返答する。
「間抜け呼ばわりした奴には言われたくないわよ。あたしだって、闘いの中でもそういうとこに気を遣いたいの」
 ジャックはむっと口を尖らせると、モエギの頭頂部でまとめたお団子を鞠のように小気味よく叩き始めた。
「これ、アレだろ? お前のお袋さんが作ったモチってやつ。いや〜、ついに自分の頭にまで食べ物乗っけちゃったか〜」
「人の頭で遊ばないでよっ! これがお餅に見えるあんたの方がよっぽど食いしん坊じゃないの!?」
 ジャックは悪びれた様子もなく、楽しそうにモエギの髪をいじり続ける。真っ赤になったモエギがみぞおちに肘鉄を食らわせ、二人のじゃれ合いは一旦終了したが、サーラとアルトは顔を見合わせ呆れ返った。
「何か、二人ともだんだん、やり取りが子供っぽくなってないか?」
「……まあ、喧嘩する程何とやら、だろう。しかし、この分ではルーラの詠唱にしばらくかかるな」
 腹を抱え、声なき声を上げてうずくまるジャック。モエギは乱れた髪を撫でつけながらも、しばらく頬を赤らめたままだった。



 丸二月は停泊させていたバハラタ南の漁村に戻ると、舵手のダンを始め、乗組員たちが顔を揃えて出迎えてくれた。いい加減同じ顔ぶれで過ごすのに飽きていたようで、特にサーラやモエギを迎え入れる男たちの表情は嬉々としていた。
 サーラたちが不在の間は、帆船の整備をしたり、バハラタの町に赴き食糧の調達や、教会で護符を買ってきたという。それでもありあまる待機日数に、アルトはこのまま彼らに同行してもらって良いのかと、秘かに頭を悩ませていた。
 船旅に備え、ダンたちが既に揃えていた食糧や日用品に、いくらか新しく出回っていたものを積み込み、あとは出航のみとなった。
 うららかな昼下がりの陽に照らされる船尾楼甲板に集まると、舵手のダンに今後の進路を相談する。バハラタ南からぐるりと、大陸の西沿いに船を進めるよう地図上で示すと、ダンは渋い顔をした。
「このルートだと、途中でムオル地方を経由していくことになるが、ここらは海流の流れに逆らうことになる。ムオルあたりで一旦寄港するまで、ざっと八日はかかるな。このツンドラ地帯を抜けて、さらに二、三日ってとこか」
「すると、その間は十分な蓄えも補給出来ず、魔物にも遭遇する回数が多くなるということか……」
 長旅に備え、蓄えは多めに用意しているものの、サーラは眉を曇らせた。航路の途中にはジパングがあるが、何せ港がない。また、船上で魔物を相手取ると、立ち回りなどで何かと不自由が多いのだ。サーラたち戦闘要員の立場からしても、消耗は出来るだけ抑えたい。
 皆が頭を悩ませる中、モエギは舵にかけられているひも付きの護符をちらと見て、唐突に手を合わせた。
「そうだ! 護符があるなら、ジャックが魔除けの力を込めたり出来ないかな?」
「へ? オレが? あの〜、トヘロスのこと言ってんならそこのお兄ちゃんをあたってくんない?」
 ジャックは人違いだとでも言わんばかりに、アルトを親指で差す。当の本人も困ったように苦笑した。
「モエギ、護符とかお守りに魔法で祝福をかけられるのは、僧侶とか神父さんのような聖職者だけだよ」
 神に仕える、一定の魔力を持つ者は、装飾品などに魔法で祝福を施すことが出来る。効果は微々たるものだが、例えばピオリムの祝福を受けた護符は『韋駄天の護符』などと称され、通常の品より数倍値が張るのだ。
 舵にかけられているのは、船乗り用なのか、手のひら大の銀盤に舵の型押しと、『安全祈願』を意味する文字が彫られ、藍色のひもが通っている護符だ。
「悪いが、おれたちが買ってきたのは普通の護符だぞ。まあ、モエギさんが彼を指名したのは間違いではないがな」
 ダンは護符を手に取り、明らかに聖職者を見る目つきでジャックを捉えた。盗賊上がりの頃から旅を共にしているため、サーラとしては未だに聖職者として扱えない。
「そうか。お前も賢者なら、聖職者と同等か。それに、破邪の力を持つのならそれを利用して、魔物を追い払えるな」
「ちょっと待ってサーラさん、それとモエギ!」
 サーラには両手を振り、続けて咎めるような口調でモエギを名指しすると、ジャックは盛大にため息をついた。
「お前ら、何でもオレなら何とかしてくれるって思ってるっしょ。あのね、オレは僧侶的なお仕事はしてないの」
「だけど、あんたなら出来るんじゃないのかい? バハラタの教会でちょっくら聞いたんだけどよ、あのダーマ神殿に一切の魔物が寄り付かないのは、賢者様が結界を張っているからなんだと」
 ダンがもたらした思いもよらぬ情報は、サーラやアルトはおろか、ダーマに滞在していたモエギ、大神官ヨシュアの孫であるジャックですら、沈黙に陥れた。
「んーと……? それは、大神官のじさまが張ってるの?」
 ジャックの問いかけで一斉に注目を浴び、ダンは弱ってこめかみのあたりを掻いた。
「そこまでは知らんよ。おれは根っからのポルトガ国民だからな……でも、そんなことを出来るのは、大神官様くらいだろう?」
 ジャックは、結界のことを祖父から聞かされていなかったのが不可解なようで、「今度ジジイに問い詰めてやる」と独り言を口にしている。一方、発案者のモエギは言わんとしていたことが形になり、意気揚々と発した。
「そう! その破邪の力で、船に結界を張るのよ! ジャックなら絶対出来るって!」
「お前、からっきし魔力もないくせに、その自信はどっから出てくるの? まあでも、魔物の相手をしなくてもいいんなら、それに越したことはないよな。ダンさん、護符を貸してくんない?」
 モエギの表情がぱっと華やぐ。ダンから護符を受け取ると、ジャックは右手に銀盤を乗せ、左手をかざすと静かに目を閉じた。
 銀の髪が風をはらみ、周囲の空気が研ぎ澄まされていく。湧き起こる波動はまっさらな光のごとく澄み渡り、徐々にジャックの手の中に凝縮されていった。
 サーラたちがじっと見守っていると、波動は収縮し、骨ばった手のひらに収まった。銀の賢者は顔を上げ、何てこともないように護符のひもをつまみ、ぶら下げる。
 やや黒ずんでいた銀盤は、聖水で清められたように、濡れたつやを帯びていた。
「すごい……傍目じゃ分からないけど、何となく聖なる気を感じる……」
「ジャック、どうやったのだ? 魔法の心得がない私にはさっぱり分からない」
 興奮するアルトに護符を預け、ジャックはひょうひょうとサーラの疑問に答える。
「簡単よ。自分の中に破邪の力を集めて、それを注ぎ込む。この力は……そうだな、普通の魔力と違う色をしていて、その違う色を結集させるって感じかな。モエギちゃんも、今の説明で分かったかな〜?」
「今度は幼児レベルの知能だって言いたいの? 全く、そうやって鼻にかけなきゃ手放しで褒めてあげるのに」
 頬を膨らませるモエギだが、アルトから護符を回してもらうと、見たことのない鉱石でも扱うようにじっくりと眺めていた。ダンも感嘆の息を漏らし、満足そうに笑いじわを寄せた。
「こいつを舵にぶら下げておけば、いずれ効果が分かるな。さて、久方ぶりの出航だ!」
 温厚で人当たりの良いダンも、やはり海育ちの男だ。ずっと陸に留まり待ちくたびれていただろう。
 乗組員たちが呼応するように威勢の良い声を上げ、帆を張ると、帆船は東の海原に向かって繰り出していった。