唯一の責任 5



 シゲル率いるサマンオサ兵士団が帰国すると、アリエルはシゲルに連れられ、王城の謁見の間に通された。
 キメラの翼により瞬間移動する数刻前まで、アリアハンにいたのが嘘のようだ。城内は一切の光が射さぬよう窓が閉ざされ、仄暗く陰鬱とした空気に包まれていた。
 両手を手枷でつながれ、シゲルと二人の兵士に連行されている間も、アリエルの脳裏では酒場での出来事が繰り返されていた。同時に、沢山の人間を巻き込んだ自分自身を呪い、最早父の伝言通りにアルト一行を頼ることすら、罪深いことのように感じていた。
 燭台のろうそくの火だけが不気味にゆらめく廊下を抜け、かつて父と共に一度だけ拝謁に上がった謁見の間が開け放たれる。アリエルは二人の兵士に取り押さえられながら、虚ろな瞳で周囲を見渡した。
 大きく切り取られた左右の窓と、玉座の背後を彩る精霊神ルビスを模したステンドグラスは、全て暗幕が下ろされていた。玉座には厳めしい顔付の国王が足を組んで鎮座しており、その傍らには政務大臣が控えている。さらに、国王の足元には、暗闇の中で光る魔物の眼光を彷彿とさせる、暗紅色の水晶玉が存在していた。
 兵士に突き出され、膝から崩れたアリエルの隣に、シゲルが片膝をついて頭を垂れた。
「第一兵隊長シゲル、アリアハンの酒場において攻防の末、無事サイモンの嫡女アリエルを奪還して参りました」
 仰々しいシゲルの口調は、遠い他人のように聞こえる。アリエルが顔を上げると、すかさず兵士たちの叱責が飛び、槍の柄で無理矢理じゅうたんの上に平伏させられる形となった。政務大臣の満足げな息遣いが聞こえる。
「ご苦労。兵隊長に任命されてからの働き、見事なものであるぞ」
「お褒めにあずかり、光栄であります」
 シゲルの従順な受け答えに上機嫌で鼻を鳴らす大臣は、アリエルに矛先を向けた。
「それにしても、サイモンの実子とあらば、恐ろしいものよ。アリアハンだけでなく、ダーマの賢者までをも味方につけ、我らに楯突こうとするとは。陛下、この娘もこのままでは生かしてはおけませぬ。サイモンと同じように、反逆罪で流刑に処するべきでございます」
 流刑という言葉に、冷水を浴びせられたような身の強張りを覚える。
 父は、脱獄してまで会いに来てくれた後、さらなる処罰を受けたというのか。アリエルは大臣に詰問した。
「父を、どうしたのですか……! 父は、どこに!」
「口を慎め!」
 兵士に頭を押さえつけられると、大臣の愉快そうな答えが返ってきた。
「サイモンは、もうこの国にはおらん。遥か北西の離島にある監獄へ、流刑となった。父に会いたいのなら、お前も今すぐに同罪にしても良いのだぞ?」
 昔、聞いたことがある。重罪を問われた、世界中の罪人が投獄される流刑地――通称、『嘆きの牢獄』。離島にあるため、投獄された者は脱出の術を与えらえず、絶望に侵食され、いずれ朽ち果てていくと恐れられる監獄である。
 何故、何の罪もない、むしろ誰よりもこの国のためを思ってきた父が、そのような仕打ちを受けなければならない? ルビス様は、父をお見捨てになったのか?
 大臣の下卑た笑い声が響き渡り、アリエルは父の安否を思って唇を噛んだ。
 こんなの、許されるはずがない。許すものか――
 哄笑をさえぎったのは、それまで静観していた国王だった。
「その必要は、ない」
 国王の声音は、かつて耳にした時の明朗さが全く感じられなかった。全てを疎んじ、退屈極まりないといった、ぞんざいなものだった。
「たかが小娘、その首ひとひねりで事は済もう。あの場所は、あの男のような勇猛な者にこそ、この上ない地獄となるのじゃよ」
 その一言で、暗然としていたアリエルの意識は突如冴え渡った。
 目の前にいるこの老人は、アリエルたちが崇め、心の底から忠誠を誓った賢王ではない。
 アリエルは槍の交差から顔を上げ、怒りに満ちた眼差しを投げつけた。
「お前は、誰!? お前は、わたしたちをどうしようとしているの!? お父さんと、元のシゲルを返して!」
 再度兵士の手がアリエルを捕らえる。賢王の面の皮を被った偽王はほくそ笑んだ。
「ふむ……。連れられてきた時は、糸が切れた人形のように生気を失っておったが……父のこととなると、さぞや悔しかろうな」
 懸命に捕縛から抗おうとするアリエルを、兵士の一人が足蹴にしようといきり立った時、シゲルがそれを制止した。
「陛下。大臣殿。お言葉ですが、アリエルにはここに留まってもらう必要がございます」
「シゲル! 貴様、ここで身内の情けをかけようというのか!?」
 憤慨する大臣を無視し、偽王は足元の水晶をたぐり寄せると、表面をひと撫でした。すると、水晶は内側から鮮血が溢れたように染まり、偽王をまだらな光で照らす。アリエルには、まるで水晶が話しかけているように映った。
 怪しげな光が止むと、偽王はぼさぼさの口ひげを撫でつけ、奇妙な笑みを浮かべた。
「うむ。この娘をめぐって、様々な者が動きを見せている。忌まわしき血筋を持つ、勇者アルトの一行もな……」
 偽王の言わんとすることをくみ取り、シゲルもうなずく。
「奴らは、必ずアリエルを助けに我々の懐へ飛び込んでくるでしょう。それを好機とし、奴らを始末するのです。いかがですか? 大臣殿」
 大臣はシゲルの意見が尊重されたのが不愉快らしく、忌々しげにシゲルを睨むと、「陛下のお望みとあらば」とうつむいた。
「では、お主はその娘を監禁し、くれぐれも逃がさぬように。大臣よ、そなたは南の洞窟の守備を一層固めよ」
「御意」
 アリエルは兵士たちに立たされると、シゲルの先導で謁見の間を後にした。扉が閉まるまで、アリエルは偽王をねめつけていたが、偽王はさも自分が最も正しいのだと言わんばかりに、歪んだ笑みを覗かせるのみだった。



 アリエルが入れられたのは、城内の奥まった一角にある、王族の子女用の部屋だった。てっきり牢屋に放り込まれると思っていたアリエルは、シゲルと二人きりになると戸惑いを露わにした。
「ここは……王女様の部屋? 王女様は、どこにいらっしゃるの?」
 すると、クローゼットの中から何やら物音がし、シゲルが開けると一匹の猫が飛び出てきた。
 美しい金茶の長毛をした猫は、シゲルに向かってフーッ、と威嚇すると、アリエルの方にすり寄ってきた。抱き上げてやりたかったが、手枷があるため自由が利かない。
 国王が大分歳をとった頃に生まれた王女は、国民にも愛されており、式典の時などはアリエルも父に連れられ遠巻きに姿を拝見したものだ。愛らしく華やかな顔立ちと、金茶の巻き毛は国中の娘が憧れており、アリエルも例外ではなかった。
 そこで、アリエルは足元の猫を見下ろし、おそるおそるシゲルに尋ねた。
「シゲル……まさか、この猫は」
「そうだ。国王様により姿を変えられた、哀れな王女さ」
 おそらく、国王が所持していたサマンオサの国宝、変化の杖を偽王が悪用したのだろう。アリエルはいたたまれなくなり、しゃがみ込むと、猫と化した王女を腕の中に収めた。
 無抵抗のままこのような姿に変えられた王女も不憫だったが、それ以上に、平然と偽王の悪行を述べ、加担し、挙句の果てにルイーダたちを傷付けたシゲルに、やりきれない怒りが込み上げてきた。
「シゲル……! どうして、あんな奴に従ってひどいことばかりするの!? わたしを守るためだとしても、シゲルの意思がどこにもないよ! なんで、ルイーダさんを……!」
 まるで娘のように、アリエルに接し、守ってくれたルイーダの痛々しい姿が蘇ると、みるみるうちに涙が溢れた。嗚咽を漏らしながらも、アリエルはさらに言い募る。
「確かに、わたしのせいで沢山の人を巻き込んでしまった……。だけどそれ以上に、今度はわたしを利用して、アルトたちまで傷付けようとしている!
 ねえ、シゲル、あんな奴に従うのはもうやめてよ! わたしと一緒に、アルトたちとこの国を救おう!」
「うるさい!」
 正気ではないとはいえ、シゲルに本気で怒鳴られると身がすくむ。その拍子に、王女は腕の中から抜け出し、後ろの寝台の下に潜ってしまった。シゲルが徐々に詰め寄ってくる。
「あの女、まるでお前を自分のもののように言いやがって。お前は、おれのものだ。おれは、お前のために、こうして連れ戻してやったんだ」
「だったら、なんで『お前さえいなければ』なんてこと言うの? わたし……シゲルにああ言われて、すごく悲しかったよ! わたしだって、離れていても必ず、シゲルを助けるって思ってたのに!」
 生家で抱擁を交わしてから、離れ離れになっても心は一緒だと思っていた。それが、アリエルの思い違いだった訳がない。
 シゲルは、一度たりとも、アリエルを悲しませるような真似はしなかった。いつも、いつだって、アリエルを喜ばせ、勇気付けてくれた。
 ふと、ルイーダの酒場で体当たりした直後のシゲルを思い出す。あの時のシゲルは、アリエルがよく知っている、本当のシゲルだった。
「ねえ、シゲルは、大臣や偽の国王に何かされたの!? 教えて!」
 目前にまで迫ったシゲルは、アリエルを乱暴に寝台の上に押し倒し、覆うように両手をついた。アリエルは思わず身を固くする。
「……お前は、知ってたか?」
 怒気が失せた声に、アリエルは困惑する。シゲルは何をするでもなく、淡々と話した。
「お前を残して、一人大臣の軍門に下ったおれの気持ちを。本当は、一秒だってお前と離れたくなかった。お前がいないと、おれは……生きてる意味すらない」
 シゲルの声は、先程とはうって変わって悲哀に満ちている。
「なのに、お前は赤の他人と親しくなって、守られて、今度はおれを置いてオルテガの息子に頼ろうとしている……!」
 呼びかけようとすると、シゲルは寝台についていた手を握り、震わせた。
「アリエル、お前はおれだけのものだ。それがかなわないなら、いっそ……」
 狂気じみたシゲルの様子に、アリエルはきつく目をつぶった。だが、何の気配もなく、そっと目を開けると同時に、アリエルの頬を上から一粒の涙が濡らした。
 シゲルは、アリエルの頭上で、口を震わせ涙を流していた。
 シゲルが泣く姿を最後に見たのは、いつだっただろう。シゲルの家族の葬式の時だったか。それとも、迷子になったアリエルを、サイモンが夜遅くに連れ帰ったのをずっと待っていた時だったか。
 いずれにせよ、シゲルはアリエルのために、一人で重荷をしょい込み、こんなにも身を引き裂くような孤独と悲しみを抱いていたのだ。
 アリエルの胸に申し訳なさが去来し、たまらずしゃくり上げた。
「ごめんね……シゲル。独りにして、ごめんね……」
 この手が自由だったら、今すぐにシゲルを抱きしめてあげたかったが、今は悲しみを分かち合うことで精一杯だった。シゲルも、肩を震わせ、涙が流れるままにじっとしている。
 だが、唐突にシゲルは目を見開き、酒場の時と同じように荒い息をつき始めた。アリエルが呼びかけても、まるで反応がない。
「アリエルを、求めて……奴らが来る? おれは……アリエルに近付こうとする奴らを、排除する……!」
 あの時と同じだ。何者かと話しているような独り言をつぶやくと、シゲルは軽い身のこなしでアリエルから離れた。
「シゲル!」
 呼び止めると、シゲルはちらと振り向く。彼の切なる涙は、嘘のように乾いていた。
「おとなしく待ってろ。お前に群がる輩を排除してから、お前を名実ともにおれのものにしてやる」
 荒々しく扉が閉まり、錠がかけられる音が二人を遮断した。身を起こすと、猫と化した王女が寝台の下から顔を出した。王女はじっと扉を見つめ、静まったのを確かめるとアリエルの膝の上に乗り、不安げな鳴き声を漏らす。
「王女様……ごめんなさい、あなたの寝台を荒らしてしまって」
 シゲルが、大臣や偽王に何らかの術をかけられたのはおおよそ見当がついた。だが、涙混じりに吐露した言葉の数々は、元々シゲルが抱いていた本音のように思える。
 複雑な想いを持て余していると、王女が前足をアリエルの胸元にかけ、濡れた頬をなめてくれた。くすぐったさに身じろぎしながらも、アリエルは頬ずりをした。不気味な程静まった城内で、ほわほわとした長毛の感触にわずかながらなぐさめられる。
「ありがとう……王女様」
 今の自分に出来ることは、ほとんどなくなってしまったのだろう。せめて、これ以上の犠牲が出ないよう、アリエルは両手を組んだ。
「親愛なるルビス様、悪しき者から、サマンオサとそれを救わんとする者たち、そして父と、シゲルを、お護りください……――」



 本来、サマンオサへの入国は、アリアハンから船で南東に向かった島にある旅の扉を介し、険しい岩山に囲まれた領地に移動する。祠の管理はアリアハンが行っており、島側の祠の合鍵は許可を得て借用出来るのだが、サマンオサ領地側の祠がおそらく閉鎖されているため、正当法では入国出来ないとサーラたちは判断した。
 その代わり、サマンオサを訪れたことがあるセラとケインを頼り、キメラの翼をアリアハン国王から支給してもらい移動することとなった。
 入国後は、二手に分かれ、一方は南の洞窟に向かいラーの鏡を入手する。もう一方はサマンオサ城下町に潜伏し情報を集め、居所を掴み次第アリエルや本物の国王を救出する作戦だ。
 ジャックとクラリスは、サマンオサに向かう前にある魔法を飛び級で修得する必要があり、サーラたちはそれまでアリアハンに滞在し、各々の準備を整えていた。
 二人の魔法は、猛特訓の末数日で仕上がったという。何の魔法かはおおよそ知らされていたが、ジャックが毎日特訓を終えると呂律が回らない状態になっており、夕食時には皆に笑い飛ばされていた。
 出発を翌日に控えた夜、サーラはルイーダの部屋で一人、丸椅子に腰かけ寝顔を見つめていた。
 看病していたクラリスやセラは、ルイーダがおぼろげながら目を覚ました時に居合わせていたというが、サーラはまだ彼女が眠っている姿しか見ていない。
 夜も更け、皆それぞれの時間を過ごしている。サーラは、セラの言葉が頭から離れず、今日もそれを振り払うようにモエギやケインと手合わせをしていた。
 ――神と同じ容姿をしているだなんて、馬鹿げている。セラが見たのは、想像上のルビスではないのか?
 そもそも、精霊神ルビスは教典にこそ、真紅の炎を宿した麗しき女神として描かれているが、顔自体はきちんと載っておらず、偶像なども見かけたことがない。
 そのようにやんわりと否定したのだが、セラはサーラが剣術の心得しかない戦士だと知り、ルビスと関係があるのは母レイラなのかもしれない、などと考え込んでいた。彼女は、炎を司るルビスとサーラが、同じ能力を持っていると訝ったという。
「私は……何なのだろう。母は、ルビス様と、何か特別な繋がりがあったのか?」
 肘をつき、組んだ両手に祈るように額を乗せる。冷えた指先は、ただ剣を振るうための堅さしか持たない。
 しばし目を閉じていると、扉が開き、夕食の名残が漂った。今日は女たちでホワイトシチューを作ったのだ。
「やっぱり、ここにいたのか」
 とっさに顔を向けると、旅装を解いたアルトが微笑んでいた。数日の間は実家に戻っていたが、出発前は皆と一緒に過ごしたい、と酒場に泊まることになっている。
「今日のシチュー、おいしかったな。サーラもおかわりすれば良かったのに」
「お前はよくおかわりしていたな」
 いたずらっぽい笑みを覗かせるアルト。年相応の表情を久々に見たような気がする。
「……ルイーダさんのこと、気になるのか?」
 サーラは小さくうなずき、それだけではない、と心の中で付け足す。
 だが、セラとの話を打ち明けたところで、サーラの心のもやは晴れないだろう。一緒にアルトを悩ませてしまうだけだ。
 口を利けずにいると、気配が背後に移り、気付けば背中からアルトに抱きしめられていた。
「心配するなって。サーラには、俺がいるだろ?」
 いつになく積極的なアルトに、サーラはふと、違和感を覚えた。
 妙に軽快な口振りと、伝わるぬくもりの、どこか浮ついた感覚――
 サーラは腕を振りほどき、立ち上がるとアルトを一睨みした。
「……お前、アルトではないな」
 すると、突如アルトは煙にまかれ、視界がはっきりすると同時に、ちろりと舌を出したジャックが現れた。
「あー、やっぱサーラさんにはバレるか! ごめんなさいね」
「貴様、すっかりほとぼりが冷めたと思っていたが、まだこんな真似をするのか? 後でアルトに知らせてやるぞ」
 仲間になって間もない頃は、隙あらばサーラを口説いたり言い寄っていた男である。警戒心を露わにするサーラに対し、ジャックは違うって、と諸手を胸の前で広げる。
「あのね、これはモシャスっていう、変化の魔法の練習なの! ほら、敵を欺くにはまず味方からって言うでしょ? まだ慣れてないから練習がてらに、ねえ?」
「何が『ねえ?』だ。よくもアルトになりすまして私に触れたな」
「だから、すみませんでしたっ! もうしませんっ!」
 サーラさんには、と小さく付け加えたのが引っかかったが、拝み倒すジャックに呆れつつも許すことにした。
 ジャックは賑やかすぎるため、ルイーダの傷にさわる。厨房を抜け、カウンターの裏に場所を移し釈明を聞くことにした。
「サーラさんも、作戦のことは聞いたでしょ? 今回の件は、真正面から攻め込んでも返り討ちにされちまう。こっちも相手をだます必要があるのよ」
 今回の作戦の鍵となるのは、ジャックとクラリスしか使えない、モシャスという魔法だ。術者が出会ったことがある他人に、一定時間変身出来るという高度な魔法らしい。他人に化けるのだ、仲間にもすぐに悟られてしまうようでは、確かに話にならない。
「……まあ、さっきのはどれだけだませるか試みた、という訳だな」
 直に気配を感じるまでは、恋人であるサーラでも本当にアルトがやって来たと思っていた。そうそう、とジャックは理解を得て安堵する。
「いや〜賢者も大変よ。術者がウチは少ないから、クラリスに指摘されまくって何とか出来るようにはなったけど、まーた身体張らないとね」
 いつものようにおどけているが、ジパングに続き再び負担が多い役目を買って出るこの男が、いささか心配になる。
「私たちは洞窟の方へ向かうが、敵は何をしてくるか分からない。用心しろ」
「サーラさん、ありがとね。大丈夫だって、アルトのこともサーラさんのために面倒見るからさ」
 作戦では、アルトとジャック、クラリスがサマンオサの城下町に潜伏し、残りのサーラたちはラーの鏡を保護するため洞窟に向かう。
「アルトのことも頼むが、お前もしくじるな。モエギが心配する」
 ジャックは片眉を上げ、「そうだな」とだけ返す。サーラとしてはもう少し釘を刺したかったのだが、次の一言で吹き飛ばされてしまった。
「さーて、次はサーラさんに変身して、アルトに色目使ってみっかなー!」
 意気揚々と客室の方へ向かおうとするジャックを容赦なく引っ張り、凄みを利かせようとした時だった。奥から、おぼつかない足取りでルイーダが姿を見せ、サーラはすぐさま羽織りものごと彼女の肩を支えた。
「ルイーダさん……! まだ、安静にしていた方が」
「いや、大丈夫だよ。そこのぼうやが来たせいで、目が覚めちゃっただけさ」
 視線を向けられ、ぎくりとするジャックに微笑むと、ルイーダはサーラに向き直る。面やつれこそしているものの、彼女の瞳は生気を失ってはいなかった。
「全く、アタシとしたことが情けないよ。だけど、あのシゲルって子が憎みきれなくてね。あの子はきっと、アタシにアリエルをとられたと思ったんだろうね……」
「しかし、ルイーダさんをこんな目に遭わせた奴を、簡単に許す訳には……」
 サーラが歯噛みすると、ルイーダは身を引き、毛を逆立てる動物をたしなめるようにサーラの髪を撫でた。
「あんたは、優しいね」
 まなじりをつり上げるサーラには、似つかわしくない言葉だった。ルイーダは手を下ろすと、そのまま腕組みをし、口元を引き締めた。
「だけど、それを目の前のアタシにだけ向けていたら、結局そのために怒りの矛先を誰かに向けて、あんたはまた憎しみで剣を振るってしまうよ」
 それは、ルイーダの親心の表れなのだろう。口をつぐむと、ジャックが笑いかけた。
「そうそう。言ったでしょ、サーラさん? オレたちはアリエルもシゲルも助ける。そんで、うら若い少年少女の気持ちを弄ぶ奴をやっつける。それだけを考えなさいな」
 ジャックの諭すような口調に、サーラは渋々うなずく。
 この男は、実際は様々なことを考えているのだろう。だが、示す答えは驚くほど明快なのだ。
 気を利かせたのか、ジャックは二階へ去っていった。サーラはルイーダに一礼すると、苦笑混じりにこぼした。
「前に、ルイーダさんと約束したことを違わぬよう、行って参ります。どうか、無理はなさらずに」
「分かってるよ。ホント、あんたは真面目だね」
 笑い飛ばされ、かえってルイーダから元気をもらったような気がする。サーラもそろそろ部屋に戻ろうとすると、
「サーラ。あんたは誰が何と言おうと、自分以外の誰でもないんだよ。
 アタシの、大切な『娘』さ」
 背中を、力強く押され、送り出されるような心地がした。それは一年前、この酒場から旅立った時の痛切な思いとは異なっていた。
 娘という響きに、こみ上げる感情をしっかり抱き、サーラは振り返った。
「……ありがとう、ルイーダさん」
 もう一人の母は、ただ目を細め、静かにうなずいた。