唯一の責任 4



『休業中』
 ダーマからその足でアリアハンに降り立ったサーラたちは、国王との謁見を済ませると一目散にルイーダの酒場へと向かった。
 入口には板が打ち付けられており、来客を遮断するように見慣れない札がかかっている。板の隙間には、扉が根こそぎ破壊された痕跡が残っていた。
 サーラがこの酒場で雇われてから今まで、ルイーダは新年を迎える以外に店を閉じることはなかった。入口の前に立つと、常に誰かの笑い声や軽口が聞こえ、騒々しい程だったというのに。
「サーラ、モエギ、裏口みたいな所はあるのか?」
「あ……うん。厨房の方に勝手口があるから、そこから入れば大丈夫」
 アルトに問われ、モエギは酒場の裏手を指す。サーラと同様、静まっている酒場に違和感を隠せないようだ。サーラが先を行き、勝手口から中に入ると、カウンター裏に出る。広がった光景に、一行は思わず立ちすくんだ。
 酒場は、闘いの痕も生々しく、テーブルと椅子は傷や染みが所々に残っており、壁や床板には穴が空いた箇所も見受けられる。内装の修繕をしている数人の冒険者が視線を向け、サーラたちの姿を見ると目を見開いた。馴染みの商人の男が、道具を放り出し駆け寄ってくる。
「ああ、やっと来てくれたのかい。今、マリリンを呼んでくるよ」
 程なくして出迎えてくれたのは、ルイーダに代わり店主代行を務めているという、マリリンだった。気丈な彼女も、旧友であるサーラやモエギの顔を見るなり、たちまち涙ぐんでしまった。
 あんなに明るく、活気に満ちていた酒場が、今は重苦しい雰囲気に包まれている。冒険者たちの何割かは、当分の休業を機に故郷に帰したらしい。
 マリリンに案内してもらい、一階奥のルイーダの寝室に向かうと、見慣れない男が扉の前を見張るように立っていた。彼の両腕には包帯が巻かれており、おそらく酒場での騒動に一助したのだろう。彼はサーラたちの素性を知ると、柔和な笑顔を浮かべ、すぐに通してくれた。
 薄紫色の壁に彩られた、こぢんまりとした寝室には、クラリスときつい顔立ちの女性がベッドについていた。
「よう、待たせたな」
 ジャックがひょいと片手を挙げると、クラリスは弾かれたようにこちらを見た。
「ジャック……! 皆、来てくれたのね」
 クラリスは、サーラたちの到着にひどく安堵した表情を見せたが、見るからに青白い顔をしている。マリリンは他の怪我人の様子を見てくると言い残し、疲弊した様子で去っていった。
 クラリスは護衛として雇った、戦士のケインと僧侶のセラという夫婦を紹介すると、サーラたちにベッドのそばへ来るよう促した。
 ベッドに横たわるルイーダは、普段の快活さがすっかりなりを潜め、力なく瞳を閉じている。左の二の腕と、脇腹のあたりに包帯が分厚く巻かれており、薬草による湿布のためか変色していた。肌着しか身につけていないルイーダは、記憶の中の彼女よりずっと弱々しく、老いて映った。
「ルイーダさん……」
 サーラとモエギは揃ってベッドの脇に膝をつき、声を詰まらせた。アルトはサーラに寄り添い肩を支え、ジャックは遠巻きにルイーダの寝顔を見つめる。
 最後にアリアハンを発つ前、弱り果てていたサーラを激励し、生きる希望を与えてくれたルイーダが、このようになってしまったことが信じ難かった。同時に、サーラだけでなく、全ての冒険者の母親代わりであるルイーダを打ちのめした輩を、この上なく許し難く思った。
 静まり返る一同に対し、セラという僧侶の女性はいきなり悪態をつき始めた。
「あんたたち、ルイーダさんが死んだように取り囲まないでよ。ルイーダさんは、ワタシとクラリス様の治療でちゃんと快方に向かっているから。あんたらが来たらルイーダさんもオチオチ寝てられないよ」
「セラ、この四人は皆私たちよりずっと、ルイーダさんと親交が深いの。いくら何でも、そんな風に言わなくても……」
 雇い主にたしなめられ、セラは嘆息した。
「そう。悪かったね。丁度良い、治療はワタシがするから、クラリス様はこの人がたに説明した方がいいんじゃない?」
 サーラたちが来るまでは、クラリスが治療を担当していたのだろう。クラリスはありがとう、とセラに弱々しく笑みを返し、客室に場所を移すことにした。
「ちょっと、あんたもついでに説明を手伝いな!」
 サーラたちがぎょっとすると、ケインは至って穏やかに「分かったよ〜」とセラに手を振り、ついて来た。
「あたし、夫婦で本当にああいう言い方をする人、初めて見た」
「ありゃあ、俗に言う『鬼嫁』だな。くわばらくわばら」
 囁き交わすモエギとジャックを、ケインは全く気にしていないようだった。クラリスも妙な二人を雇ったものだ、とサーラも内心苦笑する。あのような口利きをするのなら、ルイーダは大事には至っていないのだろう。
 客室に落ち着くと、サーラはふと、アルトが初めてこの酒場に来た日のことを思い出した。
 アルトとの勝負に負け、まだ過去の傷を引きずっていたサーラに、アルトは屈託なく接してくれた。彼がサーラを外の世界へ連れ出し、辛い出来事も数多くあったが、結果それ以上の喜びを教えてくれたのだ。
 同じことを思っていたのだろう、アルトと視線が交錯し、微笑み合う。
 しかし、クラリスとケインから、サマンオサの悪政や、サイモンとその子供たち、とりわけ娘のアリエルがこの酒場で匿われ、居所を知った義兄のシゲル率いる兵団に争いの末連れ去られたことを事細かに述べられると、サーラたちの間には様々な感情が生まれ、穏やかな気持ちなどすぐに吹き飛んでしまった。
 アルトは怒りのあまり身を震わせ、モエギは混乱しつつも憤りを露わにする。サーラも、惨劇を目の当たりにし連れ去られたアリエルの心情を思うと、いたたまれなかった。
 ジャックは一人、黙りこくったまま何かを思案していたが、唐突にモエギだけを伴い、部屋を出ていってしまった。二人を不思議そうに見送ると、ケインは小首を傾げた。
「彼は、クラリス様のいとこでしたよね。何か思うことがあれば、同じ賢者同士のクラリス様を頼るでしょうに」
「ケイン、言っておくけどね。私とあいつは生まれも育ちも違うのよ。顔を合わせたら喧嘩ばかり。それも、喧嘩腰なのは私の方ばっかりよ」
 そんなものですか、とケインは暗褐色の瞳をぱちくりさせていたが、クラリスはわずかに、寂しさを滲ませていた。
「クラリス。ジャックはあれでも、ちゃんと気遣いが出来る奴だ。貴女の苦労をこれ以上増やさないように、仲間内で話したいのかもしれない」
 口添えすると、クラリスはありがとう、とうっすら微笑んだ。それまで口を利かなかったアルトも、場の空気が緩んだためか、ようやく口を開いた。
「……仮に、偽の国王が魔王の息のかかった者だとしたら、一国を滅ぼすのが目的の一つだろうな。だけど、それなら何故、こんな回りくどいことをするんだ? まるで、人間同士を争わせて、傷つけるような……」
「確かに……。先日まで私たちが関わっていたジパングという国も、内側から崩壊させようという、何者かの目論みを感じたのだ」
「つまり、裏で糸を引いている不埒な輩がいるということね……。きっとそいつは、人間の本質をよく知っているわ」
 サーラが、ジパングの一連の出来事で感じ取った『他意』。それが今、サマンオサをはじめ、アリアハンや他の国の者たちにまで魔の手を伸ばしている。
「アルト。この件は、今までよりもっと巨大な闇がのしかかっている。私たちも、入念な作戦を練らねばならないぞ」
 アルトは力強くうなずき、怪訝な顔つきで扉を見やった。
「そのためには、俺たちの頭脳線がいないとな。ちょっと呼んでくる」
 腰を浮かせたアルトを、何故か慌ててケインが引き止める。
「アルト君、戻って来るまで待てばいいよ。僕が思うに、あの二人はちょっとムフフな仲なんじゃないかい?」
 精悍な顔を言葉通りにやけさせるケインを、「ごめんなさい。彼は腕は立つけど、普段は全く緊張感がない人なの」と、クラリスがげんなりしながら弁護した。



「ジャック、何のつもり!? 痛いんだけど!」
 モエギが訴えると、ジャックは階段を下りた所で立ち止まり、「わりぃ」とつかんでいた手を放した。うっすら痕が残った手首を複雑な思いで眺めると、モエギは腰に手を添えた。
「もう! ただでさえ、あたし気が立ってるっていうのに! 絶対バラモスとその手下のしわざでしょ! それに、ルイーダさんにまで深手を負わせるなんて……ああもう、今すぐぶっ飛ばしたい!」
 地団駄を踏むモエギとは異なり、ジャックは渦巻く怒りを冷静に保っている。元々怒りをむき出しにすることがないこの男でも、昔はもっとモエギにあてられ、わめいていただろう。
 気が済むまで暴れると、モエギは神妙な表情でジャックを見つめた。
「……あのさ。あんた、ジパングにいた時からずっと、一人で考え込んでるよね。あんたはアホ面した賢者なのが売りでしょ」
「バカ面したお前には言われたくねーよ」
「何よ! 最近ずっとあたしのことバカ呼ばわりして! これでも、一応心配してあげてるのに! ホンット、最近のジャックは変だよ!」
 賢者という名目を抜きにしても、この男は自分の考えを大っぴらにせず、一人で独占することがよくある。腹が立つと同時に、自分たちはそれを共有するに値しないのかと、寂しさを覚えるのだ。
 逆に、そういった感情はほとんど顔に出てしまうモエギに、ジャックもばつが悪そうに頭を掻いた。
「確かに、オレはジパングの件から――いや、初めてこの国に来て、ソイの爺さんに話を聞いてから、ずっと考えてたことがあったんだわ。で、ジパングでそれが集約されて、サマンオサやここで起こった出来事で、それはほぼ確信に変わった」
「そう……なの? それで、何であたしだけ連れて来たのよ」
 モエギが問うと、ジャックは辺りを見回し、カウンター裏の厨房の陰に場所を移すと、モエギに顔を寄せた。反射的に動揺する。
「ちょっと、こんな薄暗い所で何!? 変な真似したら殴り飛ばすわよ!」
「やっぱりお前バカだろ! 安心してくださーい、お前の期待していることは『しかし なにもおこらなかった』!」
 何よそれ、と憤慨するモエギに、ジャックは口元に手を当て、囁いた。
「いいからおとなしく聞け。この話は、お前にしか出来ねえんだよ」
 思いがけない言葉が、モエギの耳を震わせた。頬が熱くなるのを感じながら視線を向けると、ジャックは一瞬言い淀んだが、切り出した。
「オレが思うに、テドン、サーラの元恋人の魔物化、ジパングのヒミコを狂わせた黒い宝珠。そんで今、サマンオサを悪政に敷いて、アリアハンにまで被害を及ぼしているのは、全て同一人物の企みだ」
 モエギは、懸命に頭の中で今までの出来事の整理を試みる。だが、それらの事柄が上手く結びつかない。
「ジャックは、何でそう思ったの?」
 首を傾げると、ジャックもいつになく厳しい面持ちで答えた。
「何つーか……手口がどれもこれも胸クソ悪いんだよ。嫌がらせどころじゃねえ、人間に対する悪意だな」
「でも、ヒミコに黒い宝珠を売ったのはただの商人だったよね?」
「それはおそらく、あの商人になりすまして、ヒミコにだけ黒い宝珠をうまいこと売りつけたんだ」
 ジャックの考えが様々な所に張り巡らされており、モエギは次第に頭の中が混乱してきた。
「でも、それを何であたしにだけするの?」
 ジャックは天井を仰ぎ、これは推測だけどよ、と前置きした。
「その、性根腐った野郎は、サーラさん、もしくはそのお袋さんに、何か因縁があるんじゃねえかなと思ってよ。今は大分立ち直ってるけど、そんなこと言ったら、サーラさんも、アルトも正気じゃいられなくなっちまうだろ?」
 バハラタで憔悴したサーラと、そんなサーラを献身的に支え、愛するアルトを思い返すと、ジャックの考えを同じように伝えるのははばかられた。
「そうだね。このことを知ったら、サーラはまた精神的に辛くなるだろうし、アルト君はサーラのために何をするか分からないもの……」
 二人が平常心を失う姿は、容易に想像出来る。それはモエギもジャックも、決して望まない姿だ。  ジャックは眉根を寄せ、短く刈った銀髪を無造作にかく。若き銀の賢者は、疲労感を漂わせていた。
「本当は、あのクソ宝珠に憑りつかれたお前にも、話しにくかったんだけどよ……」
「あたしは大丈夫だよ。ところで、あの黒い宝珠は一体何なの? あたし、断片的にしか覚えてないんだけど、あんたのこと思いっきり痛めつけてて……」
 申し訳なさと同時に、この男の腕の中にいた感覚がおぼろげながらも蘇り、気恥ずかしさで顔を伏せてしまう。ジャックも思い出したのか、歯切れの悪い返答があった。
「あー……あれは、荒れ狂う獣をなだめる、心優しい動物研究家だったの。オレが」
「何? あたし獣なの?」
 顔を上げると、ジャックもむっつりとうなずいた。相変わらずの扱いだが、互いに気まずく、モエギはそれ以上言い返せなかった。
「とにかく、あの黒い宝珠は、人間の心の闇につけ込むシロモノだ。あれは六つの宝珠なんかじゃねえ、おそらく何者かが人為的に創り出したモノだ」
 モエギは、黒い宝珠を手にした時の感覚を思い返した。自分の中の不安や、ままならぬ心のほころびが押し広げられ、善良な部分までもがそれに染まっていく――負の感情につき動かされ、全てを支配されるような、おぞましいものだった。
 ジャックばかりを狙ってしまったのも、この心の裏返しだったのだろうか。ということは、ジャックは薄々、モエギの好意に気付いているのではないか?
 途端にうろたえ始めるモエギを、ジャックは何事かと注視する。
「お前、大丈夫か? 後遺症とか残ってないだろうな?」
「そんなんじゃない! とにかく、あんな思い、二度としたくない……!」
 自分を抱きすくめ、ふいに襲ってきたあの感覚を振り払うかのように頭を振り乱す。
 ジャックは、人の心に聡い。黒い宝珠の性質も的確に捉えている。もし、この心が悟られてしまったのなら、今こうして話しているだけでも、逃げ出したくなる。
 だが、ジャックは慌てふためくモエギの両肩をがっちりと押さえつけ、熱のこもった声で訴えた。
「んなこと、誰だって一緒だろ! あれは、オレが跡形もなく消してやったから! しっかりしろ、モエギ!」
 いつになく真剣なジャックに、モエギは我に返り、まじまじと目の前の男を見つめた。すると、ジャックはそっと手を放し、「わりぃ」とぶっきらぼうにこぼした。
 本気で、心配してくれた。
 この男は、いつもそうだ。普段は憎まれ口しか叩かないのに、いざとなると心の底から、相手のためを思って言葉を投げかけ、時には自らを投げ打ってくれる。幾度となく、モエギはそうして助けられてきた。
 胸が熱くなり、モエギは真っ直ぐにジャックを見つめたまま、口を開いた。
「あたしこそ、ごめんなさい。あの時は、本当に……ありがとう」
 素直な気持ちで、自然と出た感謝の言葉を受け、ジャックは目を見張る。すると、廊下の奥から突然セラが姿を現し、鬼のような形相で怒鳴り声を上げた。
「あんたら、うっさいんだよ! 痴話喧嘩なら外でやれ! こっちは治療で毎日ろくに眠れてないんだよ!」
 鋭い眼光を放つ目は充血が目立ち、目元にはくまが浮かんでいる。完全に気圧されたモエギとジャックが詫びると、セラは鼻を鳴らして奥へと戻っていった。
「……何か、クラリスの護衛の人、強烈だよね」
「ああ……。あのおっかねえ人、口だけでバラモス倒せるんじゃねえか?」
 囁き交わすと、互いに苦笑が漏れた。
「それはともかく、あたしや、ヒミコみたいな人をこれ以上出さないために、早くその黒幕をやっつけないとね!」
 モエギが拳を掲げると、ジャックは目を細め、モエギの頭頂部で結んだ髪をぽん、と押さえた。
「そういうこった。とにかく、今の話はアルトとサーラさんには言うなよ。あと、そのちょんまげ……」
 柔らかく微笑むジャックに、モエギは頬を赤らめ、次の言葉を待つ。
「間抜けっぽいな」
「結局そういうこと言うよね! ホンットバカ!」
 モエギがはたこうとすると、ジャックは逃げるようにしてかわし、そさくさと階段の方へ姿を消してしまった。
 口を開けば軽口ばかりなのは相変わらずだが、ジパングの一件以来、どことなくジャックの眼差しが優しくなった気がする。取り乱したモエギを必死になだめた姿と相まって、胸の奥がじんと痺れる。
 もし、この先ジャックが困ったり、危険が及んだ時は、必ず助けたい。ジャックがいつも、そうしてくれるように。
 新たな決意を胸に宿すモエギの足元を、午後のうららかな陽射しが照らしていた。



 階下が何やら騒がしくなり、静まって程なくした頃、ジャックがぶつぶつ独り言を口にしながら客室に戻ってきた。
「あーやべやべ。オレとしたことがマジになっちまった……」
「ジャック、モエギと何話してたんだ?」
 アルトが問いかけると、ジャックはいつもの調子でおどけた。
「ああ、あいつ怒り心頭だったから、動物研究家のオレがなだめてきたの。何せあいつぁ、本気で暴れると一晩でこの酒場を壊しかねないからな」
「えっ!? あのお嬢さんは、夜になるとあばれ猿にでもなるのかい?」
 本気なのか冗談なのか全く読めないケインの発言に、一同は困惑し、サーラは頭を抱えた。妻の方も厄介だが、夫も夫である。
 続いてモエギが戻ってきたが、どうやらジャックとケインの会話は聞こえていなかったらしい。どことなく上機嫌になっているモエギに、サーラはそっと笑みを浮かべた。
 ジャックとモエギが着席すると、アルトが率先して場を仕切った。
「じゃあ、これまでの出来事を踏まえて、俺たちがどうするべきなのか、話し合おう」
「ちょっと待った。その前に、オレの考えを言わせてくれ」
 ジャックは割って入ると、こう告げた。
 ジパングの件と、サマンオサの件は、同一人物が裏で手を引いている、と。
 ジパングの女王ヒミコを狂わせ、宰相カツヒコや民を苦悩させていた『他意』を確信し、サーラは震撼した。
「やはり、そうなのか……」
「オレの考えが正しければね。サーラさんも何か、感じ取ったことがあったんでしょ?」
 サーラはうなずき、数日前この酒場で起こった出来事を挙げた。
「ここで匿われていたサイモン様の娘を、その義兄が偽王側の兵団を率いて迎えに来たのだったな。ましてや、彼女を巡ってこの酒場で争い、結果ルイーダさんが深手を負い、他の者たちも負傷した……。その娘が受けた衝撃は、計り知れない」
「サーラさんの言う通りだわ。アリエルは、その義兄……シゲルという人に、お前さえいなければこんなことにはならなかった、と言われ、自責の念に駆られてしまった。私たちの声も、届かないくらいに……」
 クラリスは両手を膝の上で強く握りしめた。ケインが気遣わしげに声をかける。
「クラリス様。アリエルには残酷ですが、あのシゲルが言ったことはあながち間違いではない。問題は別の所にあるのではないかな?」
「そう、そこの恐妻家、的を得てるじゃねえか。そのシゲルってガキはおそらく、何らかの影響で偽王に操られて、ここにわざと差し向けられたんだ。問題は、言わば同士討ちをさせて裏で楽しんでいる、悪趣味なクソ野郎がいるってことだ」
 ジパングの時と同じ手口だ。絆が深い者たちを瓦解させ、表向きには人間同士のいさかいに見せかける。一方、裏でそのきっかけを作り、狂っていくさまを傍観している者がいる――
「ねえ、そのシゲルって子、本当はサイモン様に育てられた子なんでしょ? そんな子がおかしいってことは、もしかして、あの黒い宝珠に乗っ取られているんじゃ……」
 モエギが口にした仮定に、アルトは突破口を見つけたように膝を打った。
「そうか! そうだとしたら、ジャックがモエギを助けたように、そのシゲルも助けられるかもしれない!」
「待って、黒い宝珠っていうのは何?」
 クラリスやケインが話について行けないのは無理もない。ジャックがその仕組みと、対処した時のことを説明すると、二人は合点がいったらしく、しきりにうなずいた。
「そうか……つまり、その黒い宝珠は憑りついた人の心を裏返してしまうんだね。シゲルがやたらアリエルに執着したのも、本当は彼女が大事だから……」
 ケインの発言に、何故かどぎまぎするモエギを見て、サーラは黒い宝珠の仕組みをよく理解した。可愛さ余って憎さ百倍とはよく言うが、愛憎の恐ろしさをサーラ自身もよく知っている。
 ジャックはモエギの想いを知って知らぬふりをしているのか、それとも本当に気付いていないのか、表情一つ変えずクラリスを見据えた。
「そんで、クラリス。お前も『破邪の力』を持っているよな。もちろん、アリエルちゃんを助けるのは必須事項だが、おそらくそのためには、シゲルっつうガキを破邪の力で元に戻す必要がある」
「ということは、あなた以外の破邪の力も必要なのね。私も本格的に、あなたたちに協力する時が来たのね……」
 クラリスは生唾を飲み、自らを奮い立たせるように拳を震わせた。無理もない、生まれてこのかた、安全を保たれているダーマ神殿を出たことがなかったため、実戦経験はほとんどないに等しい。それでもよく、酒場での乱闘に尽力したものだ。
「クラリス、そう気負わないでいいよ。君に危険なことは任せられない。万が一何かあったら、ソフィアさんや大神官に顔向けが」
「いや、アルト。うちのジイさんはそれも含めて、クラリスをここに派遣させたんだと思うぜ? それに、お前も外の世界で一発ぶちかましてみてえだろ?」
 ジャックの挑発に似た問いは、クラリスに向けてのものだった。若き大神官の孫は、覚悟を決めたのか力強くうなずいた。
「ええ。私は、結局アリエルも、ルイーダさんも守れなかった。今度こそ、私の力がちゃんと誰かのためになれるよう、闘いたいの。それに、絶対、あの娘を救いたい……!」
 目の前で守るべき者を奪われた悔しさが、ひしひしと伝わってくる。友人でもあるモエギが、クラリスに明るく笑いかけた。
「クラリス、気持ちはみんな一緒だよ。むしろ、あたしたちがもっと早く駆けつけていれば、こんなに負担をかけることもなかったよね」
 クラリスはいつの間にか涙目になっており、詫びるモエギに首を左右に振ると、勢いよく両頬を叩いた。
「私たちは心配に及ばないわ。ここで悔やんでいても、事態は好転することはないもの。一刻も早くサマンオサへ向かいましょう!」
「しかし、大体のことは分かったが、やみくもに動くのは……」
 意気込むクラリスをサーラが諌めようとすると、唐突に扉が開き、セラが姿を見せた。
「セラ! 大丈夫かい? 顔が悪いじゃないか」
「わざと言ってんのかい? あんた」
 目元をひくつかせる妻に対し、ケインは「ごめんごめん」とあくまで笑顔を見せる。
「セラ、ルイーダさんの容態は?」
 クラリスが尋ねると、セラはうって変わり、にっこりと微笑んだ。ジャックがぞっとするのを、サーラは見逃さなかった。
「とりあえず、つきっきりで治療する必要はなくなったよ。
 それで、サマンオサとの戦をおっぱじめようってのかい? ワタシも混ぜてくれないかしらね」
 苦笑しか浮かばない一同に対し、セラは不満そうに嘆息したが、ケインのそばに深く腰を下ろすと真顔で話し始めた。
「ワタシたちはね、一度サマンオサが平和だった頃に訪れたことがあってね。その時の話が役に立つと思って、クラリス様の護衛を買って出たのもあるのよ」
「そうそう! 新婚旅行だったね。あれは三年前……」
「あんたは口出しするなっての! 今日はもう、永遠にあんたの出番は来ないんだよ! 分かったね!?」
 さすがに堪えたのか、ケインは甘い思い出語りを阻害され、がっくりとうなだれた。サーラたちがケインを哀れみの目で見ていると、セラは「こいつのことはいいから」と言い捨て、続けた。
「サマンオサは、精霊神ルビスの信仰が深い国として、ワタシたち聖職者にとって憧れの地だった。そこで生まれ育ったアリエルや、サイモン様は特に、ルビス様と何か関係があるらしい」
「精霊神ルビスと……?」
 サーラも、義父と共に毎日ルビスに祈りを捧げ、教典を欠かさず読んでいた身ではあるが、サイモン親子との関連性は見当がつかなかった。
「まあ、それはきっとあの子らの秘密だろうから、直接会わないとはっきりとは分からないね。それはともかく、ワタシが気になっていたのは、サマンオサの『二対の国宝』さ」
「え〜……セラさん、まさかそれを盗んだんスか?」
 即座に睨まれ、ジャックは「嘘ですっ! 冗談ですっ!」と慌てて胸の前で両手を振る。セラの妙な威圧感に尻込みしながらも挑戦を仕掛けるのは、ジャックらしい。
「……まあ、そういう不貞野郎もいるらしいけどね。二対っていうのは、二つの国宝がもたらす能力が対をなすものだから、だそうよ」
「宜しければ、詳しく教えていただけますか?」
 アルトが丁寧に請うと、セラはニタリと満足そうに微笑む。
「そこのちゃらちゃらした賢者と違って、素直そうな坊やだね。嫌いじゃないよ」
 ジャックはやっぱりちゃらい? と頬をかき、セラに気に入られたアルトは冷や汗をかきながら苦笑する。サーラが警戒の眼差しを向けても、セラは気付かずそのまま話を続けた。
「ワタシが聞いた限りでは、国宝は『変化の杖』と『ラーの鏡』というものらしい」
 変化の杖は、一振りすると相手をたちまち別の何者かに容姿を変化させる。それに対し、ラーの鏡は全てのまやかしを解き放ち、真実を映し出すという。
「なるほどね。その杖と鏡、本当に真逆のことが出来るんだ」
 モエギが感心したようにうなずく。サーラも質問を投げかけてみた。
「その国宝の在り処は、ご存じなのか?」
 そこで、セラはサーラに視線を移すと、訝しげに頭の上から足元までをじっくり観察した。サーラは度々、自分の容姿を意味ありげに見られるのが、どうにも苦手だった。
「……私が、何か?」
 息苦しさを感じ問うと、セラはいや、と腕組みをし、黙り込んでしまった。
「確か、うちのジイさんも前に、サーラさんのことをなめるように見ていたっけな」
「ジャック、その言い方やめろ」
 アルトとモエギ、クラリスが明らかに不快そうだったため、ジャックはおとなしく謝った。サーラも、以前大神官ヨシュアと対面した時、誰かに似ている、と言われたのを思い出していたのだ。
 セラはかぶりを振ると、「その話は後にしよう」と話を戻した。
「国宝は、杖は国王が所有し、鏡は城下町から南の洞窟に保管されているみたいだね。洞窟は、賊や金目のもの目当ての輩から鏡を守るために、あらゆる仕掛けが施されているらしいよ」
「そうすると、杖はおそらく、偽の国王の手中に……」
 クラリスは口元に手を当て考え込むと、思い出したようにテーブルを叩いた。
「そういえば、サイモン様はアリエルにこう言ったというわ……
『偽王を暴くには、それを民衆に知らせ、王を白日の下に晒せ』と。
 私たちがソイ様から受け取った報告文には、サイモン様は確か、脱獄の際、幽閉されている本物の国王と会った、とあったはず」
「となると、両方の……特に、本当の国王の存在を知らせないと」
「いや、アルト。両方が揃わないと駄目だ。そもそも、サマンオサを偽の国王が支配しているのを、大多数の国民は知らねえんだぞ?」
 ジャックの冷静な分析に、アルトはそうだな、と唸り、皆耳を傾ける。
「とはいえ、それは多分、最終段階だな。まずは、アリエルちゃんやシゲルっつうガキを助けてやるのと、オレたちが先にラーの鏡とやらを保護しなきゃいけねえな」
「そうと決まれば、誰がどう動くか決めないとな」
 アルトが気合いを入れ直し、ようやく具体的な作戦の準備に取りかかった。セラに一喝され、意気消沈していたケインも、雰囲気が変わったのを察知したのかようやく顔を上げた。
「うーん……? あれ、話が進んだのかい?」
「あんた、寝てたのかい! ったく、さすがのワタシも呆れるよ」
 どう見ても寝ぼけまなこをしているケインに、サーラもある意味感心した。だが、今はそれどころではない。セラから、先程の件を詳しく聞いてみたかった。
「あの……セラどの。私のことで、何か気にかかることがあるのなら、教えていただきたいのだが」
 セラはサーラの眼差しを受け止めると、部屋の外に場所を移した。その際、ケインは邪魔をされないよう、弱めのラリホーをかけられていた。
 扉を背にすると、セラは雨露のように艶めく長髪をはらった。
「サーラ、っていったっけ。あんた、何者なんだい?」
 怪しむというより、畏怖に似た声音だった。このように接してくる人間には、あまり出会ったことがない。サーラは胸に手を当て、静かに答えだ。
「聖職者である貴女には、素直に話そう。私の母は、かつて精霊神ルビスに仕える、戦乙女だったらしい。ルビス様に仕える者は皆、エルフの女性なのはご存じだろうが、母もそうだったらしく、私にも半分その血が流れている」
 セラは納得したようにうなずいたが、それにしても、と顔を強張らせたままだ。
「サーラさん。あんた……誰に似てると思う?」
 あのセラに『さん』付けされたのと、質問の意図が分からず、サーラも身構える。
「誰に……って、貴女は、私の母をご存じなのか」
「そうじゃない。戦乙女の伝承は知っているけど、ワタシの言いたいことは違うし、あんたの母親についてはさっぱり分からない」
「ならば、私は誰に似ているというのだ? ダーマの大神官も、同じようなことを仰っていた……。どうか、貴女の知っていることを教えて欲しい。私は、母がどこから来て、何故ルビス様に仕えていたのかも、未だによく分からない」
 サーラの境遇には、おおよその見当がついたのだろう。セラはサーラを不憫そうに見つめていたが、ゆっくり口を開いた。
「精霊神の信仰が厚い、ダーマで育ったクラリス様も気付いていないとしたら、ワタシはサマンオサでとんでもないものを見つけてしまったのかねえ……」
 サーラが眉をひそめると、セラは陽が傾いてきた窓の外に視線を移した。屋根に沿ってくり抜かれ、並んでいる天窓からは、黄金色の陽光が降り注いでいる。
「ワタシが、サマンオサの教会を訪問した時のことだった。そこの神父様は大層親切でね、ワタシがわざわざ遠方から巡礼の旅で訪れたことを話すと、奥から布に包まれた肖像画を持ってきて、特別にってワタシだけに見せてくれた」
 えんじ色に金の刺繍が施された布を、厳かにめくると、神父はこう話したという。
「サマンオサに古くから残っている、精霊神ルビスの肖像画だっていうのさ。その絵は珍しいもので、教典にははっきりと載っていない、ルビス様の姿がまるで生きているように描かれていた。その複製は、ダーマの大神官が持っているのみで、他にはどこにもないっていうんだよ」
 サーラは、セラの言わんとすることを感じ取り、唇を震わせた。思いもよらない事実に、口を利くことすら忘れ、頭の中が真っ白に染まっていく。自分自身の存在自体が、中心から揺らいでいくような錯覚に陥った。
「ルビス様は、紅炎の如く鮮やかな巻き毛をした、まさに女神に相応しい、この世のものとは思えない美貌をたたえた方だった。
 ほら、今斜陽が当たると、あんたにそっくりだ。恐ろしいくらいにね」
 高揚した口調で語るセラもまた、わずかに身震いしていた。