唯一の責任 1



 お前さえいてくれれば、と彼は切望した。
 お前さえいなければ、と彼は吐き捨てた。
 同じ唇で告げられた言葉のはずなのに、流れた涙の温度は、全く違うものだった。



 ジパングでの出来事をそれぞれの胸に残し、サーラたちは一旦ダーマ南東の宿場にルーラを用いて戻った。十数日の間で、アリアハンやダーマでサマンオサについての新たな情報がつかめているかもしれない。
 宿場のぶっきらぼうな主人は、貸した小舟が行方不明になったことは気にせず、サーラたちの無事を喜んでくれた。だがそれも束の間で、ちょうどサーラたちが発ったのと入れ違いで、ダーマからの使者がやって来た、と眉を曇らせた。使者は、切迫した様子だったという。
 サーラたちはその足で、ルーラによりダーマ神殿へと向かった。厳寒期を過ぎたものの、未だ残雪が多い高山の冷気に身を震わせながら、まずはジャックの叔母であるソフィアと面会した。ふっくらとしたソフィアの顔色は、記憶にない程青ざめたものだった。
「ああ……あなたたちを、ずっと待っていたのよ。大神官の執務室に通すから、お父様の話を聞いてちょうだい」
 神官長として、常に落ち着き払っているソフィアの狼狽した様子に、ただならぬものを感じる。廊下を早足で進みながら、ジャックはふと気付いたように尋ねた。
「そういや、クラリスは? ようやく賢者らしくお勤めでも行ってるのか?」
 この神殿を訪れる度、真っ先にサーラたちを出迎えるクラリスの不在はサーラも気になった。
「もしかすると、彼女もサマンオサの件で、派遣されているのですか?」
 サーラの問いに、ソフィアは足を止めずにうなずいた。
「そうなの。ジャックとアルト君がここに来て、すぐ発っていった直後、お父様がクラリスに直々に命を下したの」
 詳細は大神官ヨシュアから伝えられると言い残し、ソフィアは執務室にサーラたちを通すと風のように去っていった。
「ソフィアさんの様子からすると、俺たちがいない間に、何か悪い報せがあったのかな……」
「まあまあ、アルト君。とりあえず大神官様の話を聞くまでは分からないから」
 アルトをなだめるモエギも、不穏な空気を払拭することは出来ないようで、いつもより笑顔が弱々しい。
「しかし、あの箱入りクラリスを向かわせるとはな……。獅子の子落としとは、いかにもジイさんがやりそうなことだぜ」
「サマンオサのことも気がかりだが、クラリスに身の危険が及んでないと良いが」
 だが、仮にクラリスの命に関わる出来事があったとすれば、ソフィアも平静を保ってはいないだろう。それはない、と打ち消し、しばらくの間着座しヨシュアの到着を待つことになった。
 暖炉の暖かさが身体に浸透してきた頃、純白のローブを纏ったヨシュアが姿を見せた。ソフィアが後に続き茶を行き渡らせると、ヨシュアは開口一番尋ねてきた。
「どこに行っておった」
「ジパングだよ! ここより南東の島国! 色々あってぶっ倒れたりしたけど、オレたちはジイさんの言っていた宝珠を探しに行って手に入れたの! ったく、寄り道してたみてーに言うなっつの」
「宿場の方に、こちらからの使者が来たと聞き、ジパングから戻った後すぐに伺いました。遅れて申し訳ありません」
 アルトにならい、揃って一礼する。ヨシュアは責めている訳ではない、と顔を上げるように言うと、懐から一通の書簡を取り出し、卓上に広げた。
「アリアハンのソイからの書簡だ。最後にお前たちがここを発ってから、入れ違いに届いたものだ」
 書簡には、アリアハンの元政治顧問であるソイの達筆で、こう綴られていた。

『アリアハン国にて、サマンオサ国のサイモンの娘を保護。
 サマンオサ国は悪政の下、孤立無援状態。
 諸悪の根源は国王および腹心の心変わりにあるものと思われるが、詳細は更なる調査を要する。
 アリアハン国王は至急、アルトおよびその一行の帰還を命ずる』

 書簡を読み終えると、アルトはいても立ってもいられないといった様子で立ち上がった。
「くそっ……俺たちのいない間に、こんな……!」
「アルト、落ち着け。もう少し話を聞いてから発たねば……」
「けど、今すぐアリアハンに向かわないと!」
 サーラがなだめても、アルトは焦燥感を抑えきれず地団駄を踏む。
「アリアハンには、クラリスを派遣させておる。お前たちの所在がつかめずにいた数日前、クラリスからさらに情報が入った」
 ヨシュアの言葉の続きを、サーラたちは固唾を飲んで待つ。
「――サイモンの娘が、同じくサイモンの息子である少年と、サマンオサの兵団に連行された。娘をかくまっていたルイーダの酒場にて交戦、店主のルイーダが重傷を負ったという」
 執務室に、戦慄が走った。ジパングに滞在している間に、目まぐるしい出来事が起こっていたのだ。サーラはルイーダの危機に目の前が暗くなり、アルトに支えられた。動揺はモエギも似たようなもので、唇を震わせる。
「そんな……ルイーダさんが……」
 槌を振り下ろしたような音が耳をつんざく。卓上に叩き付けた拳をわなわなと震わせ、ジャックは怒りを押し殺した声で、誰にでもなく問う。
「クッソ、野郎が……。こっから先は、オレたちがアリアハンに行った方が早いよな? んな、くだらねえことしてる奴ぁ、オレたちがぶちのめしてやらねえとなあ?」
 アルトが間髪入れずうなずく。サーラを支える手に力がこもった。
「すぐに発ちます。お許しください」
「そんな、許すも何も……クラリスは一応護衛を二人雇って向かったけれど、きっとあちらで困り果てているわ。どうか、皆を助けてあげて」
 ソフィアは胸元で両手を組み、切実に訴えた。早々に発つサーラたちを、ヨシュアも腰を上げて見送る。琥珀の瞳が、ジャックに向けられた。
「ジャックよ。お前は何か、感じるか? あの国に」
 サーラたちは、動きを止め二人のやり取りを見守る。ジャックは、苦々しく笑った。
「ああ、感じるよ。根こそぎぶっ飛ばしてやりたい、悪意をな」



 ――話は、およそ一月半前にさかのぼる。



 廃油のように沈んだ色をした海に投げ出され、ああ、これまでなのかと諦めに似た悲しみが身体の中に流れ込んだ。突き刺すような冬の荒波にもまれながら、このまま死ぬのは嫌だ、という思いがせり上がる。
 このままじゃ死ねない。死ぬものか――体内に残るぬくもりは、父と、同い年の『兄』がくれたもの。
 絶対に、取り戻す。父を、兄を、そして、祖国を――
「うわっ!」
 目を開けた瞬間、横で素っ頓狂な女性の声が上がり、派手な音がしたため思わず目をつぶる。
 おそるおそる、もう一度目を開くと、古びた木の天井が視界に入る。窓から射し込む光の中で、舞い上がるほこりが映し出される。横になっているのは簡素なベッドで、毛布や布団が何層にも重なっており身動きが取れない。
「いってって……。って、ちょっとあんた、目が覚めたのかい?」
 一瞬、ここは自分の家かと錯覚したが、顔を覗き込んできた妙齢の女性に見覚えはなかった。
 また頭がぼうっとして、返事が出来ずにいると、女性は手を伸ばし臆せずに頬に触れてきた。張りのある、しなやかな手は、ずっと昔に亡くした母を思い起こさせた。
 すうっと、流れ星のように、一筋の涙が頬を伝っていった。女性はしばし声を失くしていたが、触れた手で涙をすくい取ってくれた。
「あんた、暖流とはいえ冬の海からよく生き延びられたね。名前は? 言えるかい?」
 母というよりは、近所の気のいいおばさんのような、朗らかな女性だ。しばらく閉じていた貝のような舌は重かったが、何とかか細い声で答える。
「……わたしは……アリエル」
「アリエルね。アタシはルイーダ、このアリアハンでルイーダの酒場っていう店をやっている、女主人さ」
 アリアハン。父に教わってから、何度も唱え、焦がれてきた土地。ここが、そのアリアハンだというのか。
 起き上がろうとして身をよじったが、身体はまるで自分のものではないように軋み、節々が痛む。顔をしかめると、ルイーダという女性は肩を押さえつけ、苦笑した。
「あんた、無理に起きようとするんじゃないよ。粥ぐらい用意するからさ、まずは少しでも何か口にしなよ。ね?」
 そういえば、久しくおいしい食事から遠ざかっている。急に空腹を感じ、うなずくと、ルイーダは勢い良く立ち上がり、「すぐ用意してくるよ」と部屋を後にしていった。
 アリアハンは、常春の国。四季を通じて草木花に彩られ、温かな人々が暮らす古の都。いつかそう、父が話してくれた。幼かった自分と兄は、母に抱かれ未だ知らぬ土地に胸を弾ませた。
 あの日々を塗り潰してしまった、祖国。父と、兄を奪った、故郷――サマンオサ。
 生き延びることは出来た。この先も、生きて、生き抜いて、いつか父と兄を取り戻さなければならない。
 それが、唯一残された『わたし』の、責任なのだ。