夢の続き 5



 ジパングは、過去数十年にわたり、豪族たちの権力争いが絶えなかった。部族の繁栄のため、力ある者たちが領土を奪い合い、遂には二つの勢力に分かれた。
 一方は、武力で数々の豪族を服従させ、我こそ頂点に立つ者なりと豪語する猛将。片や一方は、力を持たない部族と次々に結束し、島国全体の統一を図る勇将。長年の戦に疲れ果てた民は、ただひたすらに終戦を願っていた。
 勝利への異様な執着を持っていた猛将は、島に古くから伝わる山神であるおろち神の熱心な信仰者で、おろち神に仕え、活火山のふもとにひっそりと住む巫女たちの集落に足繁く通っていた。
 最後の戦に備え、知恵を授かろうと、猛将は巫女の長である老婆を訪ねた。長にはわずか十二歳の孫がおり、修行中の身として同席していた。猛将は、年端もいかない少女ながらも、新雪のように透き通った存在感を放つ、長の孫娘に目を留めた。
 その少女こそが、後の女王ヒミコであった。
 猛将は必勝の決め手を長に問うた。すると、傍らに控えていたヒミコが突如、啓示をもたらした。
 猛将の陣営と、勇将の陣営の間に存在する山道の地盤が緩んでいる。開戦と共に山道は大雨に見舞われ、土砂崩れが起こる、というのである。
 戸惑う猛将に対し、長の老婆は、ヒミコの潜在能力は巫女の一族の中で最も高いと断言し、啓示の信憑性を保証した。数多の戦で勝利を収めてきた猛将は、啓示を確実な武器とするため、一旦己の陣営に引き上げ、気象を読むに長けた部下に裏付けを取った。するとやはり、開戦の頃に空が荒れる気配がするとのことだった。
 間もなくして、両者の命運がかかった戦の火蓋が切って落とされた。猛将の軍は、勇将の軍が有利なようにわざと低地へ陣営を移し、例の山道におびき寄せる作戦をとった。弓兵が多い勇将の軍にとって、高所からの進軍は絶好の機会であった。勇将は迷わず山道を経由し、猛将の陣営へと駒を進めていった。
 開戦から数日後、ヒミコの啓示の通り、局地的な豪雨が両軍を襲った。丁度山道に差し掛かっていた勇将の軍は、啓示通り土砂崩れに見舞われ、瞬く間に大量の犠牲者を出した。その中には、総大将であった勇将・タケヒコも含まれていた。
 一方、豪雨は猛将の陣営も同時に襲ったが、低地でなだらかな場所であることを利用し、兵たちに堀を造らせ、被害を最小限に食い止めていた。
 濁流により戦力を大幅に削られ、同時に総大将を失ったタケヒコの部族は戦意を失い、女子供の保護を条件に猛将・ナダクモに投降した。ナダクモはそれを受け入れ、ジパングは彼の手により統一され、新たに一つの国となった。
 ナダクモは妻帯しておらず、世継ぎもいなかったが、タケヒコにはまだ兵役にも駆り出されない、幼い嫡男がいた。
 その嫡男――カツヒコの運命を、ヒミコの啓示が大きく変えてしまった。



 若干十二歳の少女でありながら、一方の部族を死に至らしめたヒミコの啓示に、アルトたちはただ茫然とした。
「それじゃあ、ヒミコはあなたのお父さんを殺したも同然……」
 口元を押さえるモエギ。カツヒコは暗い光を瞳に宿していた。
「間接的に、だがそうなる。実際、幼かった私は、全てをヒミコのせいだと思い、彼女を憎んでいた」



 降伏したタケヒコの部族の内、残された男たちは大人しくナダクモに従ったごく少数を除き、多くは抗ったのち処刑され、またタケヒコらの後を追い自ら命を絶つ者もいた。
 女子供は、ナダクモの手により保護を受けたが、ほとんどが望まぬ婚姻や強制労働を強いられた。その中で、タケヒコの嫡男であったカツヒコと、その母は別の扱いを受けた。
 カツヒコの母は、半ば強引にナダクモの妾にされかけたが、彼女はタケヒコの妻であることを誇りに思っていたため、それを拒否し、処罰を前に自害した。
 遺されたカツヒコは、将来ナダクモに対し反旗を翻す恐れがあったため、逆らった母のこともあり、幼いうちに始末をとの声がいくつも挙がった。カツヒコ自身、父と母を立て続けに失い、生きる気力を失っていた。
 それを制したのが、ヒミコであった。
 少女でありながら、ナダクモに勝利をもたらした奇跡の巫女として、ヒミコはナダクモの部下たちと同等の発言権を得ていた。彼女は論議の渦中に晒されたカツヒコを憐れんだ。
 勇将タケヒコの息子とはいえ、まだ年端もいかぬ子供ではないか。このまま一方的に命を奪うのはあまりにも酷、見逃してはくれまいか、と。
 部下たちは反論したが、ナダクモはヒミコを重宝する一方で、おろち神に近しい彼女のただならぬ能力に恐れを抱いていた。ナダクモは迷った末、カツヒコを生かす代わりに、自らの部下とすべく徹底的に従わせることで合意を得た。
 こうしてカツヒコは、ナダクモの宮の下男として、生かされることを許されたのだった。だがそれは、母と同じく父を誇りにしていたカツヒコにとって、敵の門に下り生き恥を晒すことでもあった。
 牢屋と大して変わり映えしない、申し訳程度の寝床を与えられたカツヒコを、ヒミコが様子見に来た。カツヒコは望まぬ生を与えたヒミコに猛反発した。
『お前、女のくせに何様だ! お前が、父上たちを死なせたのは分かっているんだぞ! いつかお前も、ナダクモも、全員この手で同じ目にあわせてやる!』
 激情に駆られるカツヒコに対し、ヒミコはあくまで冷静だった。
『そなたには、まだ生きる理由がある。だから生かしてやったまでのこと。わたしやナダクモが憎いのであれば、生き抜いて殺せばよい。わたしは止めぬ』
 カツヒコは、自分の命がヒミコやナダクモの手の上で転がされていることに強い憤りを感じた。いつか彼らを断ち切り、己の身ひとつで自由を手にしてみせるため、また父や母の無念を晴らすため、生を選んだのだった。



「その頃から、ヒミコは権力を持っていたのですね。けれど、何故彼女はナダクモのような男に仕えたのですか?」
 客観的に考えると、タケヒコの方が民を思いやり、人望ある長のように思える。それにも関わらず、ヒミコはナダクモに勝利をもたらし、島の統一後もナダクモに従った。
「あと、オレからも気になった所。ヒミコが、テメーに生きる理由があるって言ったのは、それも啓示とやらがあったからなの?」
 カツヒコはアルトとジャックを交互に見、拳を握りしめた。
「……ジャック殿の問いには、後でお答えしよう。ヒミコが、ナダクモに仕えていた理由は、彼女自身の口から聞かされた」



 宮の下男となった男児たちは、カツヒコの他にも数十名おり、皆タケヒコの部族の子供たちだった。
 カツヒコたちは雑用、掃除、使い走りなど、身体が棒のようになるまで朝晩こき使われた。少しでも休もうものなら、容赦なくナダクモに仕える小間使いや兵士に体罰を処され、ナダクモの部族の子供たちとはうって変わり、まるで奴隷のような扱いを受けた。
 与えられる食事も、環境も粗末なもので、体罰と相まって心身を病み、そのまま冷たくなって死していく同胞が何人もいた。
 その中でも一際、タケヒコの嫡男であるカツヒコへの風当たりは厳しく、またカツヒコ自身も負けん気が強く刃向うことがままあり、生意気だとカツヒコのみ陰で集団暴行を受けることもあった。
 目が見えなくなる程顔が腫れ、青黒い痣を何か所も作っても、カツヒコは決して屈しなかった。どんなにナダクモの部下たちの反感を得ようと、父の息子である誇りを捻じ曲げてでも彼らに従うような真似をしたくなかった。
 心を殺して、彼らの嘲りや非道な支配をやり過ごすことは、カツヒコにとって死も同然だったのだ。
 だが、カツヒコもやはり、十分な環境も手当ても与えられず、日に日に弱っていった。利発な目は落ちくぼみ、骨が目立つ手足はうっ血に染まっていった。
 そんなカツヒコを、秘かに見舞う人物がいた。
 持ち前の気力をもってしても、とうとう起き上がれなくなり、温度のない自分の土間に横たわったカツヒコの元に、人目をしのんでヒミコが現れたのだ。カツヒコはぼんやりと、ヒミコを自分の命を奪いに来た使者のように思った。
 だが、ヒミコはカツヒコのそばに膝をつくと、不思議な力でカツヒコの傷を癒し始めたのだ。
 ヒミコが念じることで生じる波動は、カツヒコを清らかな光で包み込み、たちまち痛々しい傷の数々を和らげてしまった。
 ヒミコは、己の力を『鬼道』と称し、おろち神に仕える巫女の中でも、特に力を持つ者しか使えない術なのだと語った。
 カツヒコは、彼女が何故自分を助けるのか疑問に思った。同時に、既に死していった同胞を何故同じように助けなかったのか、と詰問した。
 彼女は、ナダクモの目下に置かれている以上、全ての子たちを助けることは出来ないと肩を落とした。冷淡な青白い顔に、カツヒコは初めて苦悩を見た。
 ヒミコはさらに、カツヒコは虐げられている下男の中でも抜きんでて生命力があり、また気概を持ち合わせているため、無下に死なせたくないのだとこぼした。
 彼女の不可解な行動に、カツヒコは初めただ戸惑いを覚えるばかりだったが、その後も彼女は時折、カツヒコが痛めつけられ身動きが取れなくなる度に、ひっそりとカツヒコの元を訪れた。
 ヒミコとはいくつか歳が離れていたが、彼女は実際の年齢以上に大人びており、口数も少なく滅多に感情を表さなかった。カツヒコは、彼女が自分の命の手綱を握っていることに優越感でも抱いているのかと訝っていたが、ある時それを尋ねると、意外な事実を聞かされた。



「ヒミコが最初にもたらした啓示は、ただおろち神の声を聞いたままに伝えただけだった。それが、ナダクモに勝利をもたらしたばかりに、ナダクモはヒミコを自分の側に置き、政の指針となる啓示をもたらすよう強制したのだ」
 カツヒコの脳裏には、アルトたちが知ることのないナダクモの下卑な顔が浮かんでいるのだろう。凛々しい眉は嫌悪に歪んでいた。
「ヒミコや、他の巫女たちはおろち神にのみ仕えていたいと懇願した。しかし、ナダクモはヒミコの並外れた能力と、少女ながらも神秘的な美貌に魅入られ、頑として聞かなかったという」
「はーあ、またロリコン野郎か」
 ジャックの呆れたため息に、カツヒコは首を傾げ、モエギは何かを思い出したようにうつむいた。アルトは懸命にその場を取り繕う。
「それで、何故ヒミコはナダクモの元へ?」
 カツヒコは唇を噛み、沈黙を挟んだ後こう返した。
「……ナダクモが、ヒミコの祖母を人質に取ったのです」
 巫女たちは蒼白となり、そのようなことをした暁にはおろち神の祟りが訪れる、とナダクモを諭そうとした。しかしナダクモは、啓示により島の長となった自分はおろち神に守られている、と耳を貸さなかった。
「ヒミコは、自分一人が犠牲になれば皆を守れると思い、また自らの啓示により多大な島民の命を奪ったことに自責の念を感じていた。それ故、ナダクモの元へ行くことを決めたのだ」



 運命に翻弄され、その元凶と思っていたヒミコもまた、自由を奪われナダクモに飼われている身だった。それを知ると、ヒミコに抱いていた憎悪が揺らぎ、矛先は次第に、ナダクモにのみ向いていった。
 それからも、ヒミコの訪問は続いた。ぽつりぽつりとではあったが、互いの身の上や、最近の出来事をやりとりし、カツヒコに傷があれば鬼道をもって治癒してくれた。
 カツヒコ自身もまた、ナダクモたちに立ち向かえるようにと、同胞たちを集めて密かに身体を鍛え、時にヒミコが持ち出してきた書物を頼りに、武術の腕を磨いていった。
 勇将の息子であるカツヒコはたくましく育ち、ヒミコはカツヒコを陰で支えながらも、いつしかナダクモ以上の政の手腕を身に付け、部下たちの地位を脅かす存在へと変わっていった。ナダクモ自身は何人もの妻を迎え、世継ぎも生まれていたが、彼の独裁的な政は自然と民の不満を煽るようになっていた。
 ナダクモは、ヒミコがカツヒコと内通していることに気付いていたが、ヒミコの能力と、かつて信仰しているおろち神に仕える巫女たちを屈服させてまで、ヒミコを己の配下にしたという背徳感があり、彼女を強く咎めることを出来ずにいた。そんな主君の態度に、部下たちも不信感を募らせていた。
 それとは裏腹に、カツヒコとヒミコの間には同じく籠の鳥という親近感が生まれ、同時に子供の頃とは異なる、年頃の男女の感情が芽生え始めていた。
 カツヒコが一方的にナダクモの部下たちに痛めつけられることが減り、それどころか同胞たちと徒党を組み、昔のように虐げられるという事例は激減した。
 それでも衝突は免れず、生傷の絶えないカツヒコをヒミコは気遣い、鬼道で癒すことを止めなかった。だがその度に、二人の間には徐々に奇妙な空気が流れるようになった。



「だんだん、ナダクモの絶対的な権力は薄れていったのね。それで、カツヒコさんたちも虐げられるばかりではなく、力をつけていった……」
「ほんで、ヒミコとの仲も深まっていったと」
 にやりと笑うジャックを煩わしそうに一瞥すると、カツヒコは深く息をついた。
「……そんな時、私たちの転機が訪れたのだ」



 いいように従わせていたカツヒコたちの勢力が力をつけてきたこと、ヒミコの異様な存在感、ナダクモの衰えに、それまで甘い蜜を吸ってきたナダクモの部下たちは、危機感を抱いていた。
 ナダクモによる島の統一から数年後、ヒミコは王位が変わる、という啓示をもたらした。それから間もなくして、ナダクモが病に伏せったのだ。
 王位継承者であるナダクモの息子は、まだ政が出来る程育ってはおらず、ナダクモが崩御したとなると、後見人が必要となる。その位に最も相応しいのは、ヒミコであった。
 部下たちはヒミコを恐れ、何としてでも彼女を引きずり下ろそうと画策した。
 それは、ヒミコを穢し、巫女としての力を失わせるというものだった。
 実際にそうすることで彼女の力を抑えられるかは、誰も決定的な証拠を持っていなかったが、ナダクモが床に臥せっている今ならば、何をしようと構わないという意識が部下たちの倫理観を麻痺させていた。
 ヒミコは自身も知的な思考の持ち主で、彼女の存在はその能力共に、最早国の主柱であった。
 だが、唯一の弱点は、彼女自身に関わる啓示は何も聞こえない、ということだった。
 彼女には常に数人の女官が付いていたが、ヒミコが一人になる時を見計らい、ナダクモの部下たち数名が彼女を捕えた。その様子を目撃したカツヒコの同胞が慌てて報せを寄越し、カツヒコは単身ヒミコが連れ去られた所へ駆け走った。
 宮の裏にある林の中に、カツヒコは幸いヒミコが穢される前に辿り着くことが出来た。ナダクモの部下たちは、親の仇であり全ての元凶であるヒミコを何故助けるのか、とカツヒコに問う。
 カツヒコは、彼女は将来、最も多くの民を生かすことが出来る人物だと言い張った。ヒミコはナダクモに従いながらも、この島の未来を憂い、啓示をもらたす者として正しい政を行い、民を救いたい、とカツヒコに打ち明けていたのだ。
 己の力量を顧みず、ただヒミコに嫉妬し、野蛮な方法で失脚させようとする部下たちの浅ましさを罵り、カツヒコは鍛え上げた武術で彼らを鮮やかに撃退した。
 常に気丈で冷静なヒミコも、この時ばかりは恐怖を隠せず、部下たちが引き上げた後はしばらく口も利けなかった。寄り添うカツヒコに、ヒミコもまた何故自分を助けたのかと疑問を投げかける。
 カツヒコは、全ての元凶はナダクモであるとし、ヒミコは自分と同じく自由を奪われ、運命の波に揉まれた同士なのだと語りかけた。
 結果的には、ヒミコの啓示がカツヒコの人生を大きく変えた。だが、ナダクモに囚われながらも自分を助け、島の民に対する切なる思いを抱いているヒミコをいつしか慕うようになり、自分が守れるようになりたかったと、カツヒコは育んでいた想いを吐露した。
 年月を経て、精悍な青年へと成長したカツヒコを、ヒミコもまた、孤独な宮中で心の拠り所にしていた、と告白した。
 二人は互いへの愛情を確かめ、深く結びついたのだった。



 カツヒコは、遠い目で憂いのこもった笑みを浮かべた。
「その時、私は初めて知った。ヒミコが、幼かった私をナダクモたちから擁護し、生きる理由があると告げたのは、啓示でも何でもなく……ただ、私を憐れみ、残酷な大人たちから救うための方便だったのだと」
 ようやく答えを知ったジャックは、薄い唇を固く結び、カツヒコの言葉を無言で受け止めた。
 カツヒコと、ヒミコは自然と、似たような境遇である相手に惹かれていったのだろう。また、親族から引き剥がされた孤独感が、二人をより一層結びつけたのかもしれない。
 立場やこれまでの人生は異なれども、愛する女性がいるアルトにとって、カツヒコとヒミコの馴れ初めには深い重みがあった。何人たりとも立ち入ることが出来ない、血よりも濃い絆が。
「……それで、あなたたちは、このジパングをつくったの?」
 モエギが促すと、カツヒコはこくりとうなずいた。
「その騒動があり、今度は私が標的になった。だが私はそれを好機とし、同胞たちと謀反を起こした」
 カツヒコを筆頭に鍛え抜かれた同胞、またナダクモたちに不満を募らせていた民が団結した結果、ナダクモの勢力は瓦解し、カツヒコたちが勝利したのだった。それから程なくしてナダクモは病死し、彼の幼い息子はヒミコが母親と共に島の外へ逃がしたという。
「そして、私とヒミコはジパングを建国した。私たちと、島の民全てが、自分自身の自由のもとで生きていける国を。
 それが、私と、ヒミコの、悲願の夢だったのだ……」
 既に、格子の窓からは高く昇った陽が射し込んでいた。アルトたちは、目の前の男に宿る暗い過去と、過酷なヒミコの運命に、しばらく思いを馳せていた。
 彼らが夢見た国は、何故こうも、歪んでしまったのだろう。今のジパングに、少なくとも民の自由は存在しない。
 また、カツヒコの口から語られる女王ヒミコは、彼の私情を抜きにしても、聡明で慈悲深い女性のように思えた。何が、彼女を変えてしまったのだろうか。
 口元に手を当て考え込んでいたジャックが、おもむろに沈黙を破った。
「……まあ、アンタも、女王も、壮絶な人生を歩んできたってことだな。んじゃ、今度はオレらの番ってことで」
 おどけてみせると、ジャックは傍らに置いていた吹矢を手に取った。今朝、アルトたちを襲撃してきた黒装束の一人が持っていたものだ。
「ヒミコは、『鬼道』とやらを使えるって言ったよな。オレやアルトも、『魔法』っていう似たような術を使えるんだけど、アンタの部下がこの吹矢でオレをぷすっとやると、その術が全く使えなくなった訳。どうなってんの、コレ?」
 細長い筒を弄ぶジャックに、カツヒコは首をひねった。
「……おそらく、それは鬼道の気の流れを麻痺させるための毒が仕込まれていたのだろう。だが、私は貴殿らが同じような術を使うことは知らぬ」
「じゃあ、コレを使うよう仕向けたのは、誰だ?」
 アルトとモエギは顔を見合わせる。ジャックがやたらあの吹矢に執着しているのは、よほど悔しかったからだと思っていたのだが、どうやら別の思惑があるようだ。
 カツヒコは眉をひそめ、低く返答した。
「……貴殿らの啓示を受けたヒミコなら、その吹矢を持たせるよう命令したやも知れぬ。しかし、そのようなことまでおろち神が申されるであろうか」
 カツヒコ自身も腑に落ちない様子だが、ジャックは手ごたえを感じたようだった。吹矢を板床に置き、カツヒコに押し返す。
「となると、いよいよそのおろち神ってのが怪しくなるんだよな。
 これはあくまでオレの推測だけど、おかしくなってるのはヒミコじゃなくて、おろち神なんじゃねえのかな? 宰相さんよ」
「おろち神が? 何で、神様みたいなのがおかしくなるの? あたしもう訳分かんないよ!」
 モエギが耐え切れんとばかりに頭を抱える。アルトもそれに賛同した。
「俺も、何が何だか……。一体何をすればいいのか、よく分からなくなってきた」
 身を乗り出すアルトとモエギに、ジャックはまあまあ、と手でなだめる。
「オレだって、頭こんがらがる寸前なの! けどよ、話聞くとヒミコは相当おろち神ってのと深い繋がりがあるみたいじゃない? んで、もしかしたら力に呑まれかけてる……という仮定を立てたんだけど、アンタはどう思う?」
 カツヒコもジャックの推測についていけないのか、答えに窮していたが、何とか返してきた。
「私は、巫女たちのことまではさほど詳しくはないが……一つ、ヒミコのことで気がかりな点はある」
 アルトたちが鬼気迫った様子で詰め寄るので、さすがのカツヒコも困惑を浮かべたが、ゆっくりと口を開いた。
「実は……貴殿らの言う、宝珠についてなのだが」
 これまで触れられることのなかった宝珠が話題に上り、アルトは一層肩に力が入る。
「私が、異国の商人から宝珠を買い取った時、代価として与えたのは職人たちの細工物のみだった。しかし商談の翌朝、その商人を見送る際、荷物にはヒミコが身に付けていた装飾品が何品も入っていたのだ」
 またもや、不透明な疑惑が湧き上がったが、吹矢の件よりはいくらか理解が出来る。
「つまり、カツヒコさんはヒミコの装飾品までは与えていなかった、ということですね?」
 カツヒコは首を縦に振る。モエギは弱り果てて音を上げた。
「それが何だっていうの? あたし分かんない! ねえ、ジャックなら分かるんでしょ? ちょっと教えなさいよ!」
 普段なら自分の頭の弱さを馬鹿にされるので意地を張るモエギも、今回ばかりはジャックに頼らざるを得ないようだ。ジャックもからかう余裕はないのか、呆れた表情を見せつつも真面目に答える。
「それは、多分カツヒコの商談とは別に、ヒミコがその商人と何か取引したってことだろ。でなけりゃ、ヒミコの私物が紛れ込む訳が……」
 そこで言葉を切り、ジャックは思い当たる節があるのか、腕を組んで黙り込んだ。銀の賢者であるジャックですら、かなり難問のようだ。
 ヒミコの私物と耳にし、アルトはふいに、初めてムオルの道中にある宿場を訪れた時のことを思い出した。
 確かあの時、居合わせた例の商人からヒミコの装飾品を受け渡され、サーラが顔を真っ青にしていた――
「ジャック、その商人とは、俺やモエギよりサーラの方が接触している。一度サーラの所に戻って、話を聞いてみよう!」
 肩を揺さぶると、ジャックも同じ場面を振り返っていたのだろう、間髪入れずうなずいた。立ち上がりざまにカツヒコに告げる。
「宰相さん、アンタはヒミコに探りを入れてくれ。商人と、何を取引したのか。
 それと、何でオレが術を使えるのを、知っていたのか」
 カツヒコは目まぐるしい論議に若干圧倒されていたが、「聞いてみよう」と目元に力を込めた。



 一応手当ては施されたものの、傷が癒えるのを悠長に待っている場合ではない。焦燥感を露わにするサーラを見かねたハナは、集落の外れに住む、とある一族の元へサーラを案内した。
 他の民家から隔てるように、小さな鳥居を門とし、低い塀で囲んだ小さな宮へと連れて行かれ、ハナは住人らしき中年の女性にサーラを任せると「仲間の子たちにも伝えておくよ」と去っていった。
 ハナからサーラの世話を言付けられた女性は、フジノと名乗り、他にも同居する親族を含め、こう紹介した。
 わたくしどもは皆、女王ヒミコと同じく、おろち神に仕える巫女の一族なのです、と。
「貴女がたは巫女の一族と言ったが、男性はいないのか?」
 フジノを家主に、他はフジノの妹と、その娘である稚児の三人暮らしだという。フジノはサーラの傷の具合を見ながら、おっとりとした口調で返答した。
「わたくしどもは、人間とは血を交えませぬ。一族の子は皆、おろち神さまからの賜りもの。授かりの儀式を行うことにより受胎し、あとは里の女たちと同じように産むのです」
 肌着のみを纏い、包帯を解かれ丹念に傷の具合を診られる。急襲を喰らってから数時間は経過したが、再び傷口を洗い流されると、痛みのあまり座布団を強く掴んでしまった。フジノは眉ひとつ動かさず続けた。
「ヒミコは、一族の中でも非凡な才を持って産まれました。ですが一度、わたくしどもとは離縁した身。それ故、儀式を行うこともなく、子を持たぬのです。そればかりか、一族の掟を破ってまで、あの宰相を愛してしまった」
 語気が強まり、サーラはおそるおそるフジノの表情をうかがった。筆をはらったように細い瞳は、険しい闇に覆われている。
 人間と血を交えないということはすなわち、異性との関わりすら禁じられているのだろう。それでも、掟を破ってもなお、他の女性のように子を宿すこともないのか。それを、カツヒコはどう思っているのだろう。
 サーラは心の中で二人を憂いたが、それ以上は触れず話題を変えた。
「……貴女がたは、元々この集落に住んでいたのか?」
 問いには、脇で娘をあやしているフジノの妹が答えた。
「いいえ。元々はこの集落の北にそびえる、おろち神さまのおわす山のふもとに祠を構え、暮らしておりました。しかし、ヒミコが女王として即位した際、彼女は島が安全になったからと、集落の片隅にわたくしたちの住まいを用意したのです。長だったばば様も、他の巫女たちも既にこの世になく、かつての力もないわたくしたちは、仕方なく移住したのです」
「力? 貴女がたも、ヒミコのような力を持っているのか」
 サーラがわずかに眉をひそめると、フジノはやんわりと首を横に振った。
「先程も申しましたが、ヒミコは一族の中でも特別です。多大な力を持つあまり、あね様はヒミコを産んで憔悴し、すぐに亡くなられた」
 フジノは、ヒミコの叔母なのだろう。血縁者ながらも、彼女たちがヒミコのことを語る声はどこか沈んでいた。
 サーラの怪訝な顔に気付くと、フジノは気を取り直し付け加えた。
「しかし、わたくしどもも『鬼道』という術は、一人前の腕を持っております。もっとも、その子はまだ使えませぬが」
 フジノの目線の先で、稚児が抱かれたまま無邪気な声を上げている。口元を緩めると、ささやかな笑い声が部屋に溢れた。
「ハナさんから話は伺っております。肉は切られていますが、筋や神経まではさほど影響のない傷です。この程度であれば、わたくしの力でも元通りに治せるでしょう」
 フジノの確信に満ちた説明は心強い。サーラは頭を下げ、床に座ったままじっと目を閉じた。
 傍らで深呼吸をすると、フジノは何やら呪文を唱え始めた。印を結び、手のひらをサーラの傷口にあてがうと、回復魔法とよく似た心地よい波動が生まれた。割れた箇所が、むずむずと修復されていくのが、何とも不思議だった。
 波動が止むと、サーラは肩越しに傷口を眺めた。うっすらと赤い痕を残して、憎々しい傷はふさがっていた。
「見事なものだな……。アルトやジャックの魔法に引けを取らない」
 フジノたちが首を傾げたので、サーラは仲間たちが同じような術を使えることを話した。芋づる式に、旅のいきさつやジパングを訪れた理由も語って聞かせていると、入口の方が騒がしくなった。
 フジノの妹が玄関に向かうと、程なくして仲間たちが上がり込んできた。フジノは慌ててサーラの前に立ちはだかる。
「まだ治療が終わったばかりです! 女人以外はお待ちなさい!」
 ジャックやアルトの渋る声が遠巻きに聞こえる。サーラは苦笑を浮かべつつ、急いで平服に着替え、三人を通してもらった。
 振る舞われた穀物茶を味わいながら、ジャックを中心に先刻までのやりとりや、島の歴史、カツヒコとヒミコの数奇な人生について、サーラは長い説明にじっと耳を傾けた。
 カツヒコとヒミコの馴れ初めを知り、サーラはますますいたたまれない気持ちになった。彼ら二人は、大勢の人間に翻弄されながら、ひどく孤独だっただろう。そのため、より強い絆で結ばれているのだ。
 二人のことは、フジノたち親族も初耳だったらしく、治療中とはうって変わり口数が極端に減っていた。
 アルトは、サーラに確かめたいことがある、と語気を強めた。
「サーラは、ジパング帰りの商人から、女王ヒミコが使っていたものを触らせてもらっていたよな。その時のこと、詳しく教えてくれないか?」
 ダーマ神殿とムオルの中継地点となる宿場で出会った、ほくほく顔の商人を思い返し、サーラは薄れかけている記憶を懸命に呼び起こした。
「確か、あの商人は、オーブと引き換えに女王の品をもらったと自慢げに話してきたな」
「じゃあ、直にヒミコと取引したって言ってた?」
 商人が話しかけてきた時、最初から一緒にいたのはジャックだけだった。モエギの問いに首を横に振る。
「いや。ヒミコには会えず、補佐の男……つまり、カツヒコと取引したと言っていたはずだ」
「ほんなら、何でヒミコの私物を持ってる訳? 矛盾してやがるぜ」
 ジャックが舌打ちする。話の内容が理解出来ず問うと、ジャックはうんざりした様子で口をねじ曲げた。
「いやね、ヒミコがおかしくなった原因が、その商人と暗に取引した所にあるんじゃないかって思ってるんだけどさ。こうなったらカツヒコの野郎の返答待ちだな」
 行き詰まった空気に、サーラも天井を仰ぐ。だがふと、引っかかるものを感じた。
「だが、あの商人から押し付けられたヒミコの品には、おぞましい気が宿っていた。もっとも、あの商人は気付かなかったようだが」
「そうなると、ヒミコは既におかしくなっていた……? くそっ、全然見当がつかないな」アルトが苛立たしげに床を小突く。
 この国に来てから、もどかしさばかりを感じている気がする。これほどまでに錯綜した出来事は、道中で初めてかもしれない。
 それはやはり、人間同士による諍いのせいなのだろうか?
 いずれにせよ、打開の糸口は、カツヒコが握っている。サーラはフジノたちに礼を言い、一旦ハナの家に戻ることにした。



 民の息遣いを遮断するように、暗く生い茂る森の中に構えた離れは静まり返っている。カツヒコは襖を開け、物音を立てぬよう入室した。ヒミコは、何をするでもなく、平机の側に座っている。
「……あやつらの始末に失敗したそうじゃな」
 カツヒコは立膝をつき、深く頭を垂れた。
「すまない。あの者たちは、普段は魔物相手に旅をしているという。私の影たちでは力が及ばない」
 探りを入れてくれ、と銀髪の男に頼まれたものの、今のヒミコ相手には慎重に言葉を選ばなければならない。正座に直り、唇を湿す。
「君は、あの者たちが術を使うことを知っていたようだな」
 吹矢のことには触れずに、感心したような態度で接すると、ヒミコは上機嫌で返した。
「わらわには、全てお見通しじゃ。鬼道とは違えども、『気』の流れは同じ。もっとも、本来は力馬鹿の集まりのようだがの」
 口元を覆い嘲笑すると、ヒミコは目つきを鋭くした。
「して、あやつらをこのまま野放しにしておく訳にはいかぬまい。次はカツヒコ、そなたの手で……」
「恐れ多くも、承知致しかねる」
 ヒミコが言うより早く、カツヒコは被せかけた。
「君は、どうしてしまったのだ? 誰よりもこの国の未来を憂い、民を救いたいと一心に願っていた君が、何故生贄を捧げるような真似をするのだ?」
 あの異国の者たちに打ち明けた過去、思いが蘇り、カツヒコは夢中でまくし立てた。
「君を疑うのではないが、おろち神が民を苦しめるようなことを申されるだろうか? ましてや、何の罪もない異国の者たちを殺めるなど」
「黙れっ!」
 ひび割れたような叫びが耳をつんざいた。ヒミコは全身を震わせている。
「おぬしなど、わらわの啓示なしにはただの木偶の坊同然だというのに。わらわを私欲で支配しながら、さも民を統率するのは自分だという顔をして」
「それは、君が持つ巨大な力故、人を遠ざけたいと……」
 ヒミコは燃えるような瞳でカツヒコを睨み据えている。ぶつけられた言葉はほとんどが言いがかりだったが、怒りにも、悲しみにもとれる表情が胸に迫り、なだめようと手を伸ばすと、邪険に跳ね除けられた。
「そう、全てはこの力のせい! しかし、この力も今や絶対のものではない。おぬしは知らぬだろうが、わらわ一族は本来、人間と血を交えぬのが掟。それ故、禁忌を犯しているわらわの力は、衰える一方なのじゃ」
 ならば、何故自分を愛したのか。そう問いかける前に、ヒミコは唐突に不気味な笑みを浮かべた。
「じゃが、おぬしとの戯れもそろそろ終わりにしよう。わらわはもう、誰にも支配されぬ。おろち神さまと運命を共にし、醜い争いで穢れたこの地を、娘たちの御霊で清めようぞ!」
 ヒミコは機敏な動きで立ち上がると、懐から手のひら程の珠を取り出した。カツヒコは目を剥いた。
「全ては、異国の商人から譲り受けた、この珠を手にしてから気付いたのじゃ。
 カツヒコ、三日後に予定通りヤヨイの『輿入れ』を行うぞえ。良いな」
 青白い手の中で、愛おしげに転がされるその珠は、夜の海のように寒々しい闇を宿していた。