夢の続き 3



 宮のもてなしは、今まで訪れたロマリアやポルトガでの待遇と比べて、質素なものだった。
 しかし、清潔な客間と寝具は険しい道のりの疲労を和らげ、朝夕の食事も淡白ながら、滋養に効く食材で調理されていた。女中は最初に案内をした者が常に世話を焼いてくれたため、安堵感があった。
 豊かな国ではないが、細やかな気配りと行き届いたもてなしは、下仕えの者のみの器量ではかなわない。衛兵はともかく、女中らを統率する人間の器が反映されているように思えた。
 それがもし、宰相カツヒコのものだとしたら、何があの娘を苦しめるというのだろうか。
 カツヒコがいかなる人物なのか、サーラは物思いにふけりながら、商談までの時間を過ごしていた。
 今日は、商談ではあくまで商人を装い、オーブについては詮索しない。代わりに、ジパングの情勢をそれとなく聞き出す。それから集落の方へ向かい、昨日の娘を訪ね事情を聞く――という流れで行動する。
 ジャックが言うには、宮中の人間と集落の民が言うことはおそらく異なるため、両方の話を掛け合わせてこの国の現状を見通さねばならないという。
 場合によっては、今後剣を抜くことも視野に入れなければならない。集落を訪れた時の見張りの態度からして、彼らは必要あらば人を殺めることも厭わないだろう。
 朝食からしばらく経つと、女中――ジパングでは宮仕えの女性は『女官』と呼ぶらしい――の案内で、サーラたちは渡り廊下の先にある奥の間へと通された。
 女官が一言断り、引き戸を開けると、広々とした間には青い板床が敷き詰められており、中央には琥珀色の和装をした男が正面を向いて鎮座していた。
 髪型は他の男たちと同じで、女官曰く『みずら』という結い方だという。たたずまいは落ち着きがあり、それでいて一国の権力者としてはまだ年若い、二十代半ば程のたくましい男だった。
「へえ……」思わず声を漏らすモエギに、男は視線を定めた。
「我が国ジパングへ、ようこそおいでになられた。
 今日の商談は、私カツヒコがお受けいたしましょう」
 ゆったりと低い響きのある声が、精悍な顔つきと相まって誠実な印象をもたらした。モエギはすっかり男――カツヒコに見入ってしまっている。
 えへん、とわざとらしい咳ばらいが背後から聞こえた。
「こちらこそ、丁重なもてなしありがたく存じます。まあ、世間話も交えつついきましょうや」
 しゃしゃり出てきたのはジャックで、カツヒコは馴れ馴れしい口調にわずかに眉をひそめる。しかし咎めの言葉はなく、サーラたちに座るよう促した。
 綿の入った濃い紅の敷物に腰を下ろす。女官から教わった『正座』で足を整えると、カツヒコは案内の女官に退出するよう言いつけた後、切り出した。
「大体の話は事前に伺っております。縁ある我が国に良い薬を、と」
 サーラが早速薬草を取り出そうとすると、ジャックが制止した。
「ええ、こいつが言い出したお陰で、ウチはもう必死の思いで足を運んできましてね。どうやらこの国は、ガイジンが嫌なんだそうで」
 軽く小突かれたモエギのうらめしげな視線など見向きもせず、ジャックはにたりと笑った。カツヒコは生真面目にうなずく。
「おそらく、長年島の民同士ですら争いの絶えなかった国だからでしょう。単に馴れていないのです」
「はあ。それを統一されたのが、かの女王ヒミコ様なんですねえ。それはさぞかし」
「……貴殿はただの物見遊山で参られたのですか?」カツヒコの瞳に厳しい光が宿った。
「いいえ、まさか。ただ、こういう商売をやってると、色んな噂を聞くんですよ。で、ヒミコ様の話とかもチラッとねえ」
 ジャックは愉快そうに笑うと、急に神妙な顔つきをした。
「ああ、そういや昨日、宮への途中で若い娘さんと会いましてね。何やら思いつめた様子でしてねえ」
 商談とは名ばかりで、実際は今の所ジャックの胡散臭い話術で情報を引き出そうとしているだけである。アルトを横目で見ると、苦笑が返ってきた。
 カツヒコはというと、板床に目を落とし、沈黙を挟みつぶやいた。
「……仕方のないことです。いずれにせよ、貴殿らには無縁の話。商談がまとまり次第、早々に我が国を立ち去られた方が良いでしょう」
 サーラたちは顔を見合わせた。だが、これ以上の詮索は怪しまれるだろう。仕方なく、サーラは用意してきた薬草を並べ始めた。
 ジャックに対しては良い顔をしなかったカツヒコだが、サーラの薬草の説明には真摯に耳を傾け、さらに安価で提供すると付け加えると、あらかたの薬草を買い取ると宣言した。
 安眠の薬草を手に取り、そっと匂いを嗅ぐと、カツヒコは頬を緩めた。その柔らかな表情に、サーラは目を見張った。
「良い香りだ。西洋の薬草は我々には縁遠いものですが、これなら喜ぶでしょう」
「……ありがとうございます」サーラもつい微笑む。
 商談は順調に進んだ。代価にはジパングの細工物や反物を用意してもらうことになり、後程サーラたちの客間に運ばせるという。
 退室すると、アルトが小声で口を開いた。
「意外と、良い人だったな。とても悪い人には思えない」
 サーラもうなずく。薬草を手にして見せた笑みは、おそらく、誰かを想ってのものだった。
 引き戸をじっと見つめたままのモエギに目をつけると、ジャックが頭をはたいた。肩までの長さに伸びた黒髪を揺らし、モエギが抗議の声を上げる。
「痛っ! 何するのよ!」
「お前、あの男のことやたら熱心に見入ってたじゃねえか。はいはい、好みだったんならオレは何も言いませんよ」
「誰もそんなこと言ってないでしょ!」
 所構わずいさかいを起こす二人を諫め、サーラはその場から離れるため三人を追いやりながら歩を進めた。
「上っ面だけだぞあんなの。やっぱり、オレらに関与されたくないことがあるぜアレは」
「そうかもしれないけど、それにしては言いがかりもいいとこでしょ!?」
「かーっ、これだから女ってやつはいい男見るとね、コレだから」
 珍しく粘着質なジャックに、サーラはふと、尋ねた。
「ジャック、お前妬いているのか?」
 途端、ジャックは足を止め、全身をわなわなと震えさせる。さらに声をかけようとすると、猛烈な勢いでサーラに詰め寄ってきた。
「サーラさん! 何が、どうなってそんなこと言うの!?」
 アルトも、モエギも呆気に取られている。サーラは正直に思ったことを伝えた。
「いや、いつになく、ガキみたいだなと思ってな」
 ついおかしくて笑ってみせると、ジャックは声なき声を上げ、顔面をひくつかせたかと思うと、そのままだんまりになってしまった。
 仕方なくモエギを見やると、ようやく理解したのか、戸惑い気味にジャックに語りかけた。
「……あのね。別にあたし、カツヒコさんのことは何とも思ってないから。ただ……」
 歯切れの悪いモエギの言葉に、ジャックは尚も疑惑の眼差しを向ける。
「ただ……何だよ」
 モエギは奥の間の方を気にしながら、言葉を押し出した。
「……あの人、何か匂いがしたの」
「匂い?」
 アルトが首を傾げる。サーラも、思い返すと確かに、カツヒコが袖を翻した時微かに甘い香りがした覚えがあった。
「この国の人はそういう習慣があるのかなって思ったんだけど、あの匂いはむしろ……」
「女性の好みそうな香りだったな」
 サーラが言葉を継ぐと、「そう!」とモエギは顔を輝かせる。だが、すぐにまた考え込む。
「でも、何でそんな匂いが……」
 首をひねるモエギやサーラたちを、ジャックが鼻で笑った。注目を浴びると、機嫌の悪さはどこへやら、いつものようにニヤリと口元を歪ませる。
「そりゃ、女といたからだな」
 サーラは、カツヒコの言動を頭の中で反芻した。同時に、今まで得た情報を思い出す。
 ジパングの宰相カツヒコ。彼に政を任せ、人目をはばかる女王ヒミコ。ヒミコに話題が及んだ時見せたカツヒコの険しさ、誰かを想って細められた瞳――サーラは弾かれたようにジャックを見た。
「その女とは……女王ヒミコ?」
 ジャックは深くうなずく。
「おそらくな。んでもって、香りが移るくらいの仲、ってことだ」
 確信めいたジャックの口調に、モエギはうろたえ、アルトも頬を赤らめる。サーラは柔らかく微笑んだカツヒコと、顔も知らない女王ヒミコの間柄に、しばし思いを馳せた。



 人気のない、陽も射すことのない、冷えた廊下を早足で行く。
 異国の商人から受け渡された袋を手に、彼は離れの襖を開け放った。
 黒塗りの調度品が備えられた、仄暗い間の奥で、彼女は何をするでもなく座っていた。ゆっくりと、面を上げる。
「……カツヒコ、何用じゃ。騒々しい」
 尖った口調に似つかわしくない、凛とした鈴の音のような声。カツヒコは静かに足を踏み入れると、摺り足で進み、彼女のそばに座り込んだ。
「ヒミコ。良い安眠の薬が手に入った。これを煎じて飲めば、きっとよく眠れるだろう」
 喜々として薬草を取り出すカツヒコを、彼女は冷ややかな目つきで見つめている。
「それより、『贄』の準備は進んでおるのか?」
 彼女の視線に繋ぎ止められたように、カツヒコは手を止め、声を落とした。
「……昨日、ヤヨイには話した。私や君をひどく罵っていた。
 しかし、贄を捧げなければ、この国はいずれ……」
 温和な娘が、眉を吊り上げカツヒコやその場にいない彼女を罵倒するのを目の当たりにし、心が軋んだ。だが、宰相たる者、国のためならばいかなる苦悩にも目をつぶらなければいけない。
 彼女はほっそりした手で、うなだれるカツヒコの手から薬草を取ると、匂いを嗅いだ。瞬時に眉が曇り、薬草は無残に投げ捨てられた。
「ヒミコ」
 薬草を拾おうと手を伸ばすと、彼女が己の手を重ねてきた。体温の失せた、底冷えするような手のひらだった。
 視線を交えると、彼女は薄く微笑み、衣擦れの音と共にカツヒコの懐に身を委ねた。
「……わらわのためを思ってかえ?」
 心臓の上に手を添えられる。今朝まで腕の中にあった香りが濃く立ち込め、自然と彼女を抱きすくめていた。
 うなずいてみせると、彼女は小さく笑った。
「案ずることはない。わらわには、おろち神さまがついておる。
 ただヤヨイの身を捧げればよいだけの話。さすれば、良からぬことは起こるまい」
 艶やかな声で紡がれる彼女の残酷さに、背筋がぞくりとする。
 だが、カツヒコにとって、彼女の言葉は絶対だった。
 彼女だけが聞き取れる神からの啓示は、いかに惨いものであろうとも多くの民を、そしてカツヒコを生かし、守っている。
 彼女がいなければ、カツヒコはとうの昔に、この世を去っていた。
 日に日に痩せ細っていく身体を強く抱き、カツヒコは囁いた。
「……娘たちを捧げても、君は一向に快方へと向かっていない。私は……君を失いたくない」
 儚いぬくもりとは裏腹に、己の熱だけを持て余している。彼女のひんやりとした指先が、顎のあたりをなぞった。覗き込む瞳はどこまでも黒く、奈落を思わせた。
「それは、宰相として? それとも……?」
 なめらかな指が、答えを導き出そうと唇の輪郭を撫でる。カツヒコは息を呑む。抱いているのは自分だというのに、まるで蛇に捕えられているような心地がした。
「私は、ただ、君を……」
 彼女の指がすっと離れ、紅を引いた唇は満足げに弧を描いた。月のように白く、怜悧な笑み。
 押し当てるように、彼女は頭をカツヒコの胸にもたげる。
「そなたが先刻、取引した者たち……あやつらは、ただの商人ではない」
「……何と」カツヒコはわずかに身体を浮かせた。腕の力を緩めた隙に、彼女はすくと立ち上がった。
「あやつらは、ジパングの均衡を破る曲者じゃ。おろち神さまが、そう申されておる……」
 カツヒコを見下ろし、彼女は悠然と命を下した。
「あの者たちを始末するのじゃ」
 カツヒコの脳裏に、先程対面した四人の面影が蘇り、即座に反発する。
「何故! あの者たちはこの国に関係ない、罪を働こうとするような者たちではないだろう!」
 食い下がるカツヒコの反応を予想していたのだろう、彼女は静かに答えた。
「なら、近い将来、あやつらがわらわと、そなたを別つ存在だとしたら、どうする?」
 カツヒコは目の前の想い人の言葉が信じられず、硬直した。彼女――ヒミコから表情が消えた。
「答えは、ひとつじゃ。わらわとて……そなたを失いたくない」



 宮は昼食の用意もしてくれた。おそらく、丁重なもてなし云々よりは、集落に食事を出すような店が存在しないため、ジパングの民以外の人間を宮が一手に引き受け、世話しているのだろう。
 サーラたちは女官に断りを入れ、再び集落の方へ出向いた。
「女官さんから聞いたけど、女王ヒミコとカツヒコさんは別に夫婦じゃないんだね」
「ま、色々事情があるんじゃねえの? しかし宮仕えの奴らでもヒミコ様にお目通りがかなわねえとは……やっぱあの男いけ好かねえな、女王を独り占めかよ」
 何にしても、ジャックはカツヒコに難癖をつけたいようだ。一方、サーラは昨日の娘のことに気持ちが向いていた。
 民家のあたりまで来ると、見覚えのある幼女が辺りをうろついていた。昨日、川へ水を汲みに来ていたムツミという子供だ。
 彼女の姿を認めると、いち早くモエギが駆け寄った。
「ムツミちゃん! こんな所で何してるの?」
 ムツミはびくりと震え上がったが、モエギの顔を見ると眉を八の字に下げた。
「おねえちゃんが……いないの」
「ムツミちゃんの、お姉ちゃんのこと?」
 同じ目線にしゃがみ込んだモエギに、ムツミは大きくうなずく。
「おねえちゃん……『いけにえ』にえらばれたって、ずっと泣いてたの。そうしたら、きょう起きたらどこにもいなくなっちゃった……」
 言うなり泣き出したムツミの背を撫でながら、モエギはサーラたちを見上げた。
「モエギ、もしかすると……その子のお姉さんは」
 アルトが問うと、モエギは力強くうなずいた。
「多分……昨日宮への途中で会った人だと思う」
 すると、民家の陰から一人の老婆が姿を見せた。ムツミを見つけるなり、血相を変えてモエギをムツミから引きはがし、その拍子にモエギは尻をしたたかに打った。
「何だい、あんたたちは!」
「オイオイ、バアさんそんなに怒るなよ」ジャックのたしなめにも、老婆は聞く耳を持たない。
「こっちは孫娘がいなくなって大騒ぎだってのに、この子までどうする気だい!?」
 老婆は背が低くずんぐりとしており、しわだらけの顔は目ばかりがやけにぎょろりとしている。モエギを助け起こしながら、アルトがなだめる。
「お婆さん、俺たちは昨日その子にここまで案内してもらった旅の者です。それと、そのいなくなった娘さんにも、昨日宮への道で会いました」
 老婆は半信半疑でムツミの顔を覗き込む。ムツミは小さくうなずいた。
「ムツミ、この人たちにお水はこんでもらったの。わるい人じゃないよ」
 幼い孫娘をじっと見つめたまま、老婆は考え込んでいたが、あきらめたように顔を上げた。
「……そうかい。いきなりすまなかったね。それで、あんたたちは本当にヤヨイと会ったのかい?」
「ああ。名前は聞きそびれたけど、女王と宰相にひどく腹を立ててたぜ」
 ジャックの返答に、老婆は力なく肩を落とした。
「それは、きっとカツヒコ様に言われたのさ。今度の『贄』に選ばれたって……可哀想な娘」
 老女は顔を覆った。やはり、宮と集落とでは話が全く異なってくる。
 モエギは土にまみれた服を払うと、老婆に寄り添って優しく声をかけた。
「おばあちゃん、あたしたちはよそ者だけど、ここの人たちが苦しんでいるのなら力になりたいの。あたしたちも、ヤヨイさんを一緒に捜すから……良ければ話を聞かせて?」
 四人の中で唯一の東洋人という自覚もあってか、すすんでジパングの民に働きかけるモエギを、サーラは感慨深い思いで眺めた。
「おお……こっちこそごめんよ。あんた、優しい娘だねえ」
 涙をぬぐう老婆を温かく見守るモエギ。それを珍しく神妙な面持ちで、ジャックが見つめていた。



 老婆はハナといい、ムツミと、失踪した例の娘・ヤヨイの祖母だという。孫娘たちの両親は数年前に事故で亡くなったらしく、現在は三人暮らしをしているという。
 サーラたちは手当たり次第ヤヨイの行方を追ったが、他の民たちはその姿を見ておらず、また見張りの男たちも集落の外へ出た者はいないと首を横に振った。抜け道があるのでは、と勘繰ったが、集落は丸太の外壁で囲まれており、容易には外へ出られないという。
 結局、ヤヨイを見つけられないまま日が暮れ、サーラたちはハナの家に厄介になることにした。宮には後で適当な言い訳をすれば良い。
 かつては三世代が同居していた家だけあり、民家はサーラたちが上がっても余裕のある広さだった。ムツミたちの両親は食物の加工をしていたらしく、地下には倉庫も備えられていた。今はハナがヤヨイに手伝わせ細々と続けているらしい。
 夕食には、野草を混ぜ込んだ菜飯、乾物の佃煮、吸い物と、宮のように魚や肉はないものの十分な食事を用意してくれた。
 囲炉裏と呼ばれる、居間の中央に設けられたかまどのような場所を囲み、ハナの手料理をいただく。ヤヨイが見つからない中、食事や寝床を用意してもらってまで事情を聞くのは気が引けたが、そうしなければサーラたちも力になれない。
 食事を終えると、程なくしてムツミが眠気を訴え、ぱたりと横になってしまった。ハナは部屋の奥にムツミを寝かせると、人数分の茶を淹れてくれた。
「さて、何から話せばいいのかね……。あんたたちは、まず何を知りたいんだい?」
 アルトはサーラたちの顔を見渡し、答えた。
「今、この国で何が起こっているのか……。『にえ』というのが、一体何なのか、教えて下さい」
 ハナは囲炉裏の炎に視線を据えた。一つ瞬いた後、ゆっくりと話が始まった。
「……始まりは、ヒミコ様のお告げだったんだよ」
 ――女王ヒミコがジパングを統治するようになってから、月に一度、彼女の『啓示』が、宰相カツヒコより民に伝えられることとなった。
 巫女の一族の血を受け継ぐヒミコは、この島にある活火山に眠るという『おろち神』の声を聞くことが出来る。古くから島全体の守り神であるとされるおろち神の啓示は、民たちとそれを統率する者の指標であった。
 ある啓示がカツヒコから通達されたのは、女王ヒミコが即位してから数年、つい数カ月前のことであった。
「ヒミコ様は、こう申されたそうだ。
 数十年にも渡り、島の民同士で流し合った血で大地と山が穢れ、おろち神さまはお怒りになっている。
 このままでは、おろち神さまの怒りにより、土は腐り、水は枯れ、稲は潰えるであろう……と」
「つまり、そのおろち神さまの祟りだか何だかで、大飢饉が起こるってことか」
 ハナはうつむいたまま、続けた。
「そう。そして、飢饉を回避するため、さらにこう申された。
 おろち神さまのお怒りを鎮めるには、穢れのない供物を捧げなければならない。
 そのために、清らかな女子を『贄』として、おろち神さまに捧げよと……」
 ハナは肩を震わせた。手に包んだ湯呑の中身が、板床に飛び散る。
「それで、今のところ飢饉は免れているの?」
 モエギがそっと尋ねると、ハナは小さくうなずいた。
「ああ……。今までの贄になった娘たちのお陰なのか、飢饉の気配はないよ。だけど、稲を育てるのはこれからさ」
「今まで、何人が犠牲になったのだ?」
 ハナはサーラの問いに、「三人だよ」と低く答えた。
「あたしゃ、どの娘もよく知っていてね。つい先月選ばれた娘は、婚礼を控えていたんだよ。婿になるはずだった子はね、その娘を連れて逃げようとした時、宮の兵士に弓で射られてね……そのまま逝ってしまった」
 手に手を取り合い、逃亡を図る若い恋人たちの悲劇が目に浮かぶようで、サーラは鉛を飲み込んだような気分になった。
 見知った娘たちが犠牲になり、これからまさに、自分の孫娘が同じく供物としておろち神のもとへ下るというのだ。ハナの心中を察すると、どうにもいたたまれなくなり、それきり沈黙が続いた。
 稲が育ち、無事に実るまで、どれだけの娘を贄として捧げようというのだろう。飢饉は極めて切実な問題だが、うら若い娘たちも、やがては子を産み、未来のジパングの民を育てていく存在である。
 異国の者であるサーラからすれば、この国の『おろち神』の信仰についてはよく分からない。だが、異教徒ではあれど、同じ信仰者として、違和感を覚える。
 そのおろち神とやらは――否、おろち神からの『啓示』は、本当に信用出来るのか?
「……ハナどの。おろち神というのは、この島の守り神だと申されたな」
 厳しいサーラの声音に、ハナは顔を上げ、こくりとうなずく。
「ならば、何故、娘たちを犠牲にしてまで飢饉を防ごうというのだ? もっと、別の方法を女王は思いつかなかったのか?」
 アルトたちも、一心にハナの答えを待つ。ハナは深いため息の後、顔を向けた。
「あたしたちが何を言った所で、どうにもならないんだよ。ヒミコ様とカツヒコ様は、今までのごうつくばりの為政者共とは違うと思っていたのに……」
「バアさんがそう思うくらいならよ、何であのカツヒコってのは女王の言いなりになってんだよ?」
 ジャックのぞんざいな口ぶりに、ハナもいくばくか声を荒げた。
「島の外から来たあんたたちは知らないだろうさ。ヒミコ様の啓示によって、命を救われた人間も大勢いるんだよ。カツヒコ様も、その一人さ」
「だからといって、あの宰相が民たちの嘆きに見て見ぬふりをしているというのか?」
 昼間、対面したカツヒコの人柄が忘れられず、サーラは食い下がる。ハナは刺すような目つきで、サーラを睨んだ。
「……そうさ。あの男が、先の贄になった娘の婿を殺すよう、差し向けたんだ。あの男はもう、ヒミコ様に骨抜きにされている、ただの腑抜けも同然なんだよ」
 胸の底が、冷えていくような感覚に襲われた。
「あんたたち、それでも本当に何とかしてくれるっていうのかい? むざむざこんな所で、死ぬような歳じゃないだろうさ。
 あたしゃ、もう若い子たちが死んでいくのは、嫌なんだよ。たとえ、誰の子であっても……」
 ハナは背を向け、嗚咽を漏らし始めた。この国の現状を知るためとはいえ、あまりにも惨い話をさせてしまった。
 サーラたちは、まだほんの一片しか、この国を見ていない。女王ヒミコの国というのはほんのうわべだけ。その下に、積もり積もった戦と血の痕を、垣間見たような気がした。
 それまで、口を挟むことのなかったアルトが立ち上がった。ゆっくりと、ハナの正面に回り、正座をする。
「……ハナさん。こんな話をさせてしまって、すみません。
 だけど、俺たちは貴女が心配するほど、ひ弱な人間ではありません」
 アルトはかいつまんで、自分たちの旅のいきさつを話した。世界のこと、魔王バラモスのこと、そしてオーブのこと。淡々と、静かに寄り添うようなアルトの声に、ハナはいつしか面を上げ、少年の話にじっと聞き入っていた。
「……この国の人々だから介入出来ないこと、そしてその逆も、あると思うんです。
 おろち神さまが本当に守り神なのだとしたら、ハナさんのような人をきっと見て、贄を捧げるなんてひどいことをすぐに止めろと言うはずです」
 まさしくサーラが考えていたことをアルトが口にし、自然と拳に力がこもる。
「おそらく、この国は何かがおかしくなっています。俺たちはその原因を突き止め、必ず安穏を取り戻してみせます」
 力強く断言するアルトに、ハナはその手を取ると、ありがとう、と幾度も頭を垂れ、再び涙を流すのだった。