夢の続き 1



 うっすら瞼を開けると、息が触れ合いそうな程すぐそばに、彼は横たわっていた。
 およそ人生の半分を共にしているというのに、彼の顔を間近で見つめられるのは、ほんの一時しかない。
 民のために心を砕き、昼夜せわしなく立ち回っている証拠に、頬は幼い頃のあどけないふくらみがとうに失せ、削がれている。
 そっと精悍な輪郭をひと撫でして、肩にかけられた腕を解き、物音を立てぬよう彼の元を抜け出た。傍らにあった衣を身に沿わせ、縁側に出ると空を仰ぐ。微かな吐息は一瞬だけ闇を白く染め、溶け落ちていく。
 何度か瞬いて、数刻前のやりとりを反芻する。
 宮の者が寝静まった頃、彼は時折、音もなく現れる。一日が終わるその時だけは、互いが全てだった。今日も、二言、三言交わしたのち、自然と身を寄せ合っていた。
 この闇は、彼のよう。彼に触れるたびに、この身は本来の在るべき自分を失い、呑まれていく。
 かつては、それすら悦びだった。だが今は、想いに相反して、身体の中からするすると、自分を生かしている力が流れ出ていく。
「……そんな所にいたら、身体が冷える」
 背後を振り返ると、彼は身体を起こし、夜着を纏うとこちらへ歩んできた。
 何も答えずにいると、たくましい腕に絡め取られる。この肌にただひとつ、馴染んだぬくもり。
 垂らした黒髪を愛おしげに梳きながら、彼は囁いた。
「眠れないのなら、明け方までそばにいる。だから……」
 頬を寄せ、名を呼ぶ彼の声はいつの時も、熱をはらんでいる。狂おしい響き。彼の名を零した唇は、柔らかく塞がれた。
 彼と共に見る夢が、自分を理想から遠ざける。
 そして自分を、この国の未来もろとも、歪ませていく――



「今日見た夢、何だかいい所で終わっちゃったんだよね」
 今朝、ムオルを発ったサーラたちは、再び南の宿場へと足を進めていた。モエギが仰いだ先では、小鳥たちがさえずりながら青天の下を横切っていく。
「いい夢だったのか?」
 サーラが尋ねてみると、モエギはそれはもう、と言わんばかりに鼻息を荒くした。
「あたしが次々とごうけつ熊をはっ倒していって、どこかの王様にごほうびがもらえることになって、やったー! って思った矢先に目が覚めたの」
「そういうのってあるよな。俺はそういう時二度寝するよ」
 相槌を打つアルトに「だよね!」と向き直ったかと思いきや、モエギは再び意気消沈した。
「あたしもそうしたんだけど、その続きが見れなかったの……」
「はーん、それでお前寝坊したんだ。しっかし、夢でもクマ公なんざと格闘してるとはお前らしくて結構」
「何よそれ! あたしのイメージってどんななのよ!」
 ジャックはけらけらと笑うだけで、食ってかかるモエギに答える気はまるでないようだ。毎度の口喧嘩に呆れつつ、サーラはつぶやいた。
「まあ……夢というのは、続きを見ようとするとかえって、見れないものだな」
 続きが見たいと切望するような夢など、ほとんど見たことはないが――サーラはアルトに視線を移した。
「ところで、オルテガ様の兜……本当にアリアハンに送って良かったのか?」
 アルトは口元を緩やかに結び、小さくうなずいた。
 サーラたちがムオルを発つと伝えた日、ポポタの母パリスはおもむろに古びた兜を持ち出してきて、アルトに、と差し出した。
 二対の角を備えた兜は、オルテガが愛用していたものだったという。所々傷跡や剥げがあったが、年月を経た鈍い輝きは大切に保管されていた証だった。
 パリスはアルトが被るために渡したようだったが、アルトは自分には合わない、とアリアハンで待つ母に送るよう、手配をしていったのだ。
「まあな、あの兜はアルトにはちょっくら重たいしな」
 ジャックもちゃっかり会話に参加している。アルトは帯剣した新しい剣の柄にそっと手をかけた。
「ああ。それに、俺はこの剣があるだけで十分だよ」
 ムオルの武器屋は、サーラたちの出発に合わせてきちんとオルテガの剣を手入れし、譲ってくれた。アルトはサーラとモエギに微笑みかける。
「ありがとうな。父さんの剣と一緒だと思うと、心強いよ」
 サーラはモエギと顔を見合わせ、笑み交わした。
 オルテガゆかりの地を訪れたことは、きっとアルトにとって得るものが大きかっただろう。心なしか、アルトの表情から硬さが消えたように思えた。
 しかし、これからの旅路や、世界で起こっていることを考えると、気を引き締めるどころか張りつめていく一方だ。
 サマンオサの不穏な情勢、黄金の国ジパングの女王が手中に収めたという宝珠――オーブ。
 ムオルでの一時は、再び争いに身を投じていく自分たちにとって、ささやかな安息の時間だった。
「アルト。一旦ダーマに戻るのか?」
 隣に並ぶと、アルトは歩みを止め、地面に目を落とした。
 サマンオサには、オルテガの旧友サイモンがいる。だがサイモンは音信不通となっており、その消息も含め、アリアハンとダーマ側が調査を進めている。
 日数が経過しているため、何かしら進展も望めるのだが、アルトの瞳は曇っている。新たな情報を得たとしても、それが良い報せではないだろうと、サーラたちも心のどこかで予想しているのだ。
「……それは、一旦宿場に着いてから決めよう」
 サマンオサのことも気がかりだが、ここからそう遠くない国で、旅の目的の一つであるオーブが手に入るかもしれないのだ。すぐには決断出来ないだろう。
「そうだな。とりあえず、宿場を目指そう」
 宿場に戻れば、ジパングについてもまた話が聞けるかもしれない。サーラたちは泥混じりの雪原を踏みしめ、先を急いだ。



 雪解けが始まり、ダーマへの山道は雪崩のおそれがあるため封鎖されていた。宿場の主人からそれを聞き、ジャックは詰め寄った。サマンオサの調査について進展があったならば、ダーマ側から使者が来ていてもおかしくなかったのだが。
「じゃあ、ダーマ側からは客は……」
 この時期は暇なのだろう。主人は悠長にパイプをふかしながら、カウンター越しで首を左右に振った。
「あんたらが発ってからはさっぱりだね。それよかおれぁ、東の国が気になってよ」
「東の国って……ジパングのこと?」
 モエギが窓の向こうを見やる。霞んでぼんやり浮かんでいる影が島国ジパングだということは、最初に宿場を訪ねた時耳にしていた。
 主人は忌々しげに、遠くに浮かぶ島を睨んだ。
「今に始まったことじゃねえんだが、たまにあっちの方からズン……って、揺れみたいなもんが聞こえるんだよ。あそこには活火山があるから、多分そのせいだとは思うんだがよ……」
 主人はまだ何か言いたげだったが、パイプを口から離すと煙を吐き出した。
「ジャック、どうするのよ? ルーラを使えばダーマには戻れるだろうけど……」
「しかし、ダーマに戻ったところで、サマンオサの情報が得られるかどうか……」
 モエギとサーラが考えあぐねいていると、ジャックが両手で制止した。
「おいおい、何も全員で行くこたぁないでしょ? まあオレは行くとして、あとはアルト君が来てくれりゃあいいよ」
 アルトはというと、神妙な表情をしていたが皆の視線を感じたのか、顔を上げた。
「あ……そうだな。じゃあ、サーラとモエギはジパングについて話を聞いておいてくれないか?」
 やはり、サイモンのことが気がかりなのだろう。顔色は優れなかったが、アルトは健気に微笑んだ。
 サーラたちが承知すると、ジャックは手早く支度を整え、アルトを伴い表に出ると瞬時に消え去ってしまった。一連の動きを見ていた宿の主人は、今頃気付いたようにパイプを口から離した。
「そういやあ、年が変わる頃、ダーマで賢者の即位式があったって聞いたんだが……あのあんちゃん、もしや」
「そうよ。でも、本人にはそのことについて触れないであげて」
 モエギの声音は静かなものだった。主人はにわかには信じがたいのだろう、「いいけどよ」とつぶやいた後も、しばらく宿の扉を見つめたままだった。



「では、サマンオサからの便りはまだないと……」
 高地の頂に神殿を構えるダーマの寒さは容赦がない。大神官ヨシュアの執務室にて熱いハーブティーを出すと、アルトとジャックは暖を取るようにしてティーカップを包んだ。
 クラリスは茶の残りが収まっているポットと盆を傍らに置くと、祖父の隣に腰を下ろした。
「ここに滞在している人たちの中で、サマンオサ出身の人や訪れたことがある人を募って派遣したのだけど、人数もほんの一握り……誰もまだ帰ってきていないわ」
 正式に賢者として認められたクラリスは、神殿での職務の一端を担うようになった。その職務の一つとして、サマンオサへ派遣する調査員を自ら募ったのだ。
 不穏な情勢のサマンオサへ進んで赴こうとする者は少なかったが、その分サマンオサを案じる者たちが集った。キメラの翼を託し向かわせた者一人ひとりの面影が、クラリスの心に陰を落とした。
「派遣させてからはどのくらい経った?」
 ジャックの問いに、ますます身体が重みを増していく。クラリスは何とか平静を装った。
「半月ほどは……。サマンオサは世界の中でも国土、人口が有数の国だから、調査に時間がかかるのかもしれない」
 半ば自分に言い聞かすような答えだった。ジャックとアルトは顔を見合わせ、互いにうなずくと立ち上がった。まだハーブティーが飲みかけだというのに。
「もう、発つのか」
 ヨシュアの声には、寸分の名残惜しさもなかった。淡々と、目の前のことに対し反応していくのが祖父なのだ。それに対し、すまなさそうにアルトが礼をした。
「申し訳ありません。俺たちも別の件で、気にかかることがあるのです。もしサマンオサについて進展があれば、南東の宿場の主人に言付けてください」
 ヨシュアは承諾のしるしに、ゆっくりと瞬いた。二人は頭を下げると、足早に執務室を後にした。クラリスは慌てて後を追った。
「ちょっと! 貴方たち、もう行かなきゃいけないの?」
 二人は足を止めた。振り向きざまにジャックがニタリと笑う。
「お前も随分人懐っこくなったもんだね。けど生憎、のんびりと茶ぁ啜っている余裕もないんでね」
「別の件って何なのよ?」
 矢継ぎ早に質問を投げかけると、今度はアルトが口を開いた。
「クラリスもジパングっていう国は知っているだろ? あの国にオーブの一つがあるかもしれないんだ」
 オーブが関わっているとなると、クラリスのわがままで引き止める訳にはいかなかった。クラリスと、アルトやジャックたちが背負っているものが異なる重みだということは、十分理解していた。
「そう……。気を付けてね。モエギさんやサーラさんにも、よろしく伝えておいて」
 二人は目を細めると、短く別れの言葉を告げて廊下の角を曲がっていった。今度はクラリスも追いかけなかった。
 のろのろと執務室に戻ると、まだ湯気を立てているティーカップを片付け始めた。ヨシュアは机に腰かけ、己の執務にあたっている。厳寒の時期はダーマを訪れる者も少なく、その間はヨシュアも祭壇より自室にいることが多いのだ。
 職務に追われるようになっても、常に神殿の中で暮らすクラリスは規則的な生活時間を保っていた。朝は丁寧に見繕いをし、職務の合間には必ず茶の時間を取る。
 しかし、ジャックやアルトたちはそんな悠長な時間など持ち合わせていないのだ。
 彼らに会うたびに、クラリスは自らを取り巻いている生活に疑問を感じていた。
「お祖父様、わたしはこのままで良いのでしょうか」
 ヨシュアは筆を止め、こちらを見やる。クラリスは茶器に目を落として話した。
「わたしは、生まれた時からずっと、この神殿の中でしか生きていません。そのような生活の中で、いずれ大神官となるような器は本当に、育っていくのでしょうか」
「……何が言いたいのだ」
 わずかだが、ヨシュアの声音に感情が見え隠れした。祖父に意見することはあまりないし、いつもは淡々と諭されるだけなのだが。
 伯母ソラリスと同じく、ヨシュアにずけずけとした物言いをするいとこを思い浮かべ、クラリスはそっと答えた。
「……わたしは、外の世界で育ったジャックの方が、ずっと大神官に相応しい器を持っているように思います。わたしも、外の世界で見聞を広げたら、もっと」
「あれと、お前は違う」
 おそるおそる顔を上げると、ヨシュアは席を立ち、窓辺に歩んでいった。
「あれは……ジャックは、この神殿にはおさまらぬ。逆にクラリス、お前が外の世界に出たとしても、あまりの広さに己を見失うやも知れぬ」
「そんなことは、ありません! わたしはただ、将来のために見聞を広げ、自らの糧にしたいだけです!」
 偽りはなかった。祖先たちは皆、この神殿に生まれ、身をうずめてきただろう。だが、ソラリスやジャックのような異例が生じた今、クラリスは祖先たちと同じ道を辿ることに不安を抱かずにはいられなかったのだ。
 神殿の外に生きた彼らは、同じ血族とは違う、人間本来の生命の輝きを纏っている。そして、それに嫉妬し、時に激しく焦がれる自分がいるのだ。
 燃えるようなクラリスの眼差しを受け、ヨシュアは嘆息した。
「儂は、お前がソラリスと同じ考えであれば、決して外に出すまいと思っていた」
 ヨシュアの琥珀色の瞳は、微かに曇っていた。促すでもなく、ヨシュアは語った。
「ソラリスの才をダーマのために手放すまいと、儂はあれを厳しく躾けた。だが、押さえつけた鳥が羽根を散らすように、ソラリスは儂や神殿からの重圧から逃れようとし、ついには己の身ひとつで羽ばたいていってしまった」
「……つまり、伯母様は、ただ逃れるために、外の世界へ行ってしまったのですか?」
 祖父は深くうなずいた。
「その分、クラリス……お前を過保護に育ててしまったのやも知れぬな」
 そうつぶやくと、ヨシュアは苦笑を覗かせた。祖父にしては珍しく、自嘲的なものだった。
 ヨシュアは柔らかな目つきで、クラリスを見つめた。
「今、すぐにとはいかぬが……お前がそのような意志を持っているのであれば、機会があれば神殿外への務めを任せることにしよう」
「本当に? お祖父様?」
 思わず駆け寄ると、ヨシュアはしっかり首を縦に振った。たちまち笑みがこぼれる。
「ありがとうございます……!」
 これで、自分も近い将来、神殿以外の世界を知ることが出来るのだ。途方もない喜びに、クラリスは両手で口元を押さえた。
 しかし、外へ出る機会というのは、必ずしも心躍るようなものではないだろう。ましてや、魔王やその配下の魔物たちがはびこる世の中では――クラリスが居住まいを正した時だった。
 コツコツ、と窓際で壁を叩く音が鳴った。音のした所を見やると、頭部から灰色の美しいグラデーションに彩られた鳩が、書簡をくわえてとまっている。書簡は浅葱色の紐で固く結んであった。
 ヨシュアは鳩に目を留めると、すぐさま中へ招き入れ、書簡を手に取り素早く広げた。琥珀の瞳が文面を辿ると、みるみるうちに眉間のしわが深まっていった。
 そういえば、浅葱色の紐で結ばれた書簡は、ヨシュアの机で何度か目にしたことがある。あの色は確か、アリアハンの文官の証だったはずだ。
 それに気付くと、身体の中が一気に抜け落ちるような錯覚に襲われた。クラリスは震える唇で、問いかけた。
「お祖父様……まさか、サマンオサについての」
 祖父は書簡を読み終えるまで黙ったままだったが、やがて文面から視線をはずすと、低く囁いた。
「……もう少し、あの二人を引き留めておくべきだったか」