英雄の息子 8



『最果ての村 ムオル』
 つららをぶら下げた立て看板には、そう記されていた。
 広大な平地に根付くこの村は、背後をツンドラ地帯で覆われており、夏でも残雪があるということで一部の者には有名だという。
 家並みは牧歌的な外見をしているものの、防雪のためか高床式になっており、どの建物も、少し見上げた視線の先に窓と扉が備え付けられていた。
「ここが……父さんの訪れた村」
 アルトはどこか落ち着かない様子で辺りを見回している。昼間だが、数人の子供たちが雪遊びをしているだけで、あまり人は見受けられない。
「とりあえず、オルテガ様のことを知っている人間がいないか聞いてみようか」
 サーラは、つららを剣に見立て向かい合っている子供たちに声をかけた。
「お前たち、誰か、大人の人に聞いて欲しいことがあるのだが」
 耳や頬を赤く染めた子供たちは一斉にこちらを見た。その中の、金髪の少年が歩み出る。歳は十二〜三歳くらいだろう。旅人が珍しいのか、丸々とした瞳は興味深々といった様子だ。
「兄ちゃんたち、旅の人?」
 少年の意識は、どうやらアルトに向かっているようだ。本人もそれに気付いたようで、少年に近寄ると中腰に屈んで微笑んだ。
「そうだよ。昔、俺の父さんが――」
 言い終わらない内に、少年の表情がみるみるうちに輝き、アルトの両手を勢い良く握った。
「ポカパマズさん!? ねえ、ポカパマズさんでしょ!?」
「ポカ……?」
 サーラたちは顔を見合わせた。何かの方言だろうか。
「違うよ、俺は、アルト……」
「わーいっ! ポカパマズさん、帰ってきてくれたんだね!」
 手を取ったまま踊り出す少年に、アルトは戸惑いを隠せないようだ。サーラはされるがままのアルトに代わり、少年に尋ねた。
「すまないが、私たちは大人の人の話を聞きたいんだ。君のご家族に会わせてくれないか?」
 少年は「ママならいるよ!」と、他の子供たちに解散するよう告げると、家へと案内してくれた。二階建ての立派な民家では、母親らしき女性が出迎えた。
「ポポタったら、そんなにはしゃいでどうしたの?」
「ママ、ポカパマズさんが帰ってきた!」
 少年――ポポタの母親はアルトに目を留めると、驚きを隠すように口を手で覆った。一礼し、困惑気味にアルトは口を開いた。
「突然失礼します。俺はオルテガの息子、アルトです。ポカパマズっていう名前ではないんですが、この子が何を言っても聞かなくて」
「だってポカパマズさん、昔のままだよね! ママ?」
 ポポタにエプロンの裾を引っ張られ、少年の母親は改めてアルトを眺める。懐かしむような眼差しは、オルテガの面影を見出したのだろうか。
「そうね。そっくりだわ。さあ、この寒い中冷えているでしょうから、どうぞお入りになって」
 ポポタに手をがっしり掴まれ、アルトが連れ去られると、ジャックはおもむろに笑みをこぼした。隣でモエギが瞬く。
「どうしたの?」
「いや、ポカパマズが誰なのか、オレ何となく分かっちゃったかも」
「え? 誰、教えてよ!」
「教えませーん、自分で考えてくださーい」
 むくれるモエギをなだめつつ、サーラもポカパマズが誰のことを指すのかは、ポポタの母親の反応で理解した。
 ただ、何故ポカパマズなどという、妙なあだ名なのかはまだ、到底理解出来そうになかった。



 ポポタの母・パリスは、全員にマシュマロ入りのココアを振る舞ってくれた。広々とした間取りの家には、他に祖母ペリーヌが同居しているのみで、父親はポポタが幼い頃に亡くなっているという。
「ごめんなさいね。いきなりポカパマズだなんて呼ばれたら、困るのも無理ないわよね」
 パリスは、ドライフルーツがふんだんに盛り込まれたパウンドケーキを切り分けながら、申し訳なさそうに苦笑した。すっかりアルトになついたポポタは、その隣を陣取り両足を上機嫌で揺らしている。
「だって、ポカパマズさんはポカパマズさんでしょ? ママもおばあちゃんも、村のみんなもそう呼んでたよね?」
「ポポタや。この方はポカパマズさんではなくて、ポカパマズさんのお子さんなんだよ」
「ポカパマズさんの……子供ってこと?」
 会話を聞いていたモエギが、ようやく合点がいったのか手を打った。
「そっか! ポカパマズさんって、オルテガ様のことなんだ!」
 パリスとペリーヌは深くうなずき、遠い記憶を見つめるように目を細めた。
「最初はね、誰もあの方のことをポカパマズさん、だなんて呼んでいなかったのよ。それが、ポポタがひょんなことを言い出したものだから……」
「ポポタ、あの本を皆さんに見せておやり」
 ポポタは勢い良く椅子から飛び降りると、一目散に階段を上っていった。弾む背中を目で追ってから、アルトは切り出した。
「――父は、傷付き倒れている所を、この村の人たちに救われたと聞きました。その時のことを、教えていただけませんか?」
 パリスはパウンドケーキを行き渡らせると、席に着いた。
「……もう、大分前のことね。まだ幼いポポタが、村の入口で倒れていたオルテガ様を見つけたの」
「今でも覚えておるよ。肩から背中にかけて深い傷を負っておって、わしらが駆け付けた時はもう、亡くなっているのかと思ったくらいだったね」
 だが、オルテガにはまだ息があり、教会で急いで治療を施したという。幸い傷はふさがったが、オルテガはかなり体力を消耗しており、しばらくの間ポポタの家で療養生活を送ることになったらしい。
「その時、もう夫は亡くなっていて……ポポタにとっては、オルテガ様が父親代わりだったのでしょう。まるで本当の父親のように、オルテガ様もポポタを可愛がってくださったわ」
「……父さんが」
 アルトの横顔は、どこか沈んだ色をしていた。本来アルトのそばにいるはずだったオルテガは、どのような心境でポポタと接していたのだろう。
 間もなくして、ポポタが一冊の本を抱え戻ってきた。誇らしげに皆の前に置かれた本の表題には、『やさしいくま』と記されている。どうやら絵本のようだ。
 アルトは黄ばみがかった本文を、ゆっくりと読み上げ始めた。



『あるところに いちねんじゅう ゆきにおおわれた むらがありました。
 むらのそばには おおきなもりがあり そこには おそろしいくまたちが すんでいました。
 くまたちは はるになると えさをもとめて むらのちかくまで やってきます。
 むらのおとなたちは こどもたちに むらのそとにでないよう きびしく いいきかせました。
 ところが あるひ ひとりのおとこのこが むらのそとで たおれている くまをみつけました。
 くまは いまにも しんでしまいそうでした。
 おとこのこは むらのみんなに ないしょで くまに たべものをあげました。
 つぎのひも そのつぎのひも おとこのこは くまに たべものをあげにいきました。
 くまは みるみるうちに げんきになりました。
 すっかりげんきになったくまは おれいに じぶんのなまえを おしえてくれました。
 わたしの なまえは ポカパマズ。
 もし わたしの なかまが きみのむらを おそうことがないように わたしが きみたちを まもるよ。
 そういって ポカパマズは もりへ かえっていきました。
 それから もりのくまたちも ポカパマズも むらのちかくに すがたをみせることは いっさい ありませんでした。
――おしまい』




 読み終えると、アルトはじっと、色褪せた裏表紙を見つめた。
「……ポカパマズは、この絵本に出てくる熊の名前だったんですね」
「そうさ。ポポタは昔からこの話が大好きでねえ。オルテガ様も熊のように大柄な方だったから、まだ幼かったポポタはすっかり、この本の熊をオルテガ様に当てはめて呼び名をつけた」
 それがいつしか村中に広まり、誰もがオルテガをポカパマズ、と呼ぶようになった。オルテガ自身も、快くその愛称に応じていたという。
 ポカパマズという不思議な響きから、ムオルの人々の笑顔が浮かび上がるような感覚がした。
「……それはきっと、尊敬の念も込めてだったのでしょう」
 サーラがつぶやくと、アルトは目が覚めたように顔を上げた。パリスはもちろんだとでも言わんばかりに、首を縦に振った。
「ええ。何年経っても、この村の人間みんながオルテガ様を慕っているわ。だから、そのお子さんであるあなたが、こうして訪ねてきてくれて、とても嬉しいわ!」
 アルトは照れ臭そうに、鼻の下をこすった。会話を理解しているのかしていないのか、ポポタも満足そうにココアをすすっている。
 サーラはふと、この村の人々はオルテガの訃報を聞いているのか疑問に思ったが、和やかな雰囲気の中で話題にするのはためらわれた。
 それからしばらくは、オルテガが村に滞在していた時の思い出話に耳を傾けた。
 療養中は、一日でも早く身体が元通り動かせるように、訓練を欠かさなかったこと。身体が癒えてくると、村の仕事の手伝いを買って出たり、ポポタや他の子供たちの面倒を見ていたこと。
 孤独な長旅の中、ムオルでの日々は村人たちだけでなく、オルテガにとっても安らぎの一時だっただろう。
 ポポタも、その当時描いたというオルテガの似顔絵や、オルテガがポポタのために作ってくれたという水鉄砲を見せてくれた。水鉄砲は精巧な作りで、ポポタは暖かくなると、今でも毎年これを引っ張り出して遊ぶのだと得意気に笑っていた。
 そうしているうちに日も暮れ、ポポタはテーブルに顔を突っ伏して眠ってしまった。ゆるやかに上下する背中に厚手の毛布をかけながら、パリスは語った。
「オルテガ様は、ポポタの面倒を見つつも、本当はアリアハンに残してきた息子と、こうして一緒にいてあげたかった、とひっそり口にしていたわ」
 アルトは幸せそうに口元を緩ませる、ポポタの寝顔を眺めた。はしゃぎ疲れたのだろう、熟睡しているようだ。
「……仕方のないことです。父は、世界のために旅に出たのだから、そう思ってくれていたのが分かっただけで、俺は十分です」
 まるで幼き日の自分でも見ているような眼差しで、アルトは微笑んだ。
 オルテガがポポタに注いだ愛情は、少年を通して、離れ離れになっていた実の息子に伝わったのだろうか。
「ポポタも、オルテガ様が発つ日は散々泣きじゃくっていたけれども、お前さんが発つ時は、どうかねえ」
「泣いてくれるのは、それはそれで嬉しいかもね」
「さてね。子供とはいえ、オルテガ様の時よかでっかくなってるから、ここは男として涙をこらえて……」
 モエギやジャックが勝手なことを言い合う中、アルトは黙ってポポタを見つめたままだった。だがその瞳は、在りし日のオルテガを思い浮かべているように映った。



 その晩は宿屋で身体を休め、翌日は再びポポタの家を訪ねた。
 ポポタは、オルテガのような戦士になり、村の人々を守るのが夢なのだという。そこで、せっかくの機会だから、と剣術の手ほどきを依頼されたのだ。
 ポポタの家の庭は、剣術の稽古に十分な敷地を持っている。先生となるのは無論、アルトで、サーラたちはしっかりと外套を着込み、見学することになった。
 ポポタは日頃から剣術の練習をしているらしく、一応初歩的な技術を体得しているようだが、まだとても実戦させられるような腕前ではない。アルトは剣の素振りや、様々な斬り込みの動きを手本として見せ、丁寧に指導した。
「アルト君、何だか楽しそう」
「だな。あいつ、自分より年下の奴と触れ合う機会、ないみたいだしな」
 ポポタに寄り添い、剣の振り下ろし方を細かく説明するアルトは、確かに生き生きとしている。容姿は全く異なる二人だが、こうして見ていると兄弟のようにも思えてくる。
 サーラはふと、アルトが愛用している鋼の剣のことが気にかかった。
 今はポポタから借りたひのきの棒で代用しているが、思えばあの剣は、カザーブのふもとのすごろく場で、ジャックが景品としてもらったものだった。アルトは欠かさず手入れをしているようだが、相当使い込んでいるのではないだろうか。
 これからは今まで以上に、立ちはだかる魔物たちも手強くなるだろう。今のうちに、剣を新調した方が良いかもしれない。
 サーラはアルトに一声かけ、モエギを連れて村の武器屋を覗いてみることにした。
「おう、話は聞いたよ! ポカパマズさんの息子の連れだね。いやあ、あんたがたみたいな娘さんらが仲間だなんて、息子さんも隅に置けないね!」
 陽気に笑う武器屋の主人の対応はモエギにまかせ、サーラは店の品物をじっくりと見て回った。
 田舎村の割には様々な武器を仕入れているようだが、剣は銅の剣と、鋼の剣以外には見当たらなかった。
「この店は、他に剣は置いていないのか?」
「ええ、うちの品はそれくらいでね」主人は申し訳なさそうに頭を下げた。が、唐突に何か思い出したようで、慌てて奥へ引っ込むと、ほこりをかぶった横長の箱を抱えてきた。
「えっ、何なに? まさか、秘蔵の剣とか?」
 期待に目を輝かせるモエギに、主人はもったいぶったようにほこりを払い、ふたを持ち上げた。サーラたちは思わず咳き込んだ。
「ああ、すまねえ。何せ、大分前に預かったものなんでね」
 うっすら目を開けると、箱の中には、一振りの使い古された大剣が収められていた。
「これは……?」
「聞いて驚くなよ、この剣はオルテガ様がムオルに滞在していた時、うちの店に寄贈してくれた剣なのさ!」
 サーラとモエギは身を乗り出し、剣をまじまじと見つめた。
 刃渡りの長い両刃の剣で、柄も太く、まさに大柄だったというオルテガのような戦士のためのものだ。
「ちと質は新品の剣に劣るけど、鍛え直せば十分使えるさ。オルテガ様の品だから、ずっとしまっておいたけど……その息子さんが使ってくれるんなら、すぐにでも鍛え直して譲ってやるよ」
「ホント!? やったねサーラ! アルト君もきっと喜ぶよ!」
「ああ。一応アルトに話してから、改めて頼む」
 思いがけない収穫に、サーラもつい顔がほころぶ。主人は満面の笑みで二の腕を叩き、「待ってるよ!」と見送ってくれた。
 オルテガの遺した品だと知ったら、アルトはどんな反応を見せるだろう。早く知らせたくて、サーラたちは早足で武器屋を後にした。
 すると、ポポタの家の方角から、アルトとジャックが血相を変えてやって来た。
「どうした? ポポタの稽古は?」
「それが、俺たちが休憩している間にいなくなったんだ!」
 アルトは荒い息をつきながら、せわしなく周囲に目を走らせている。
「何で急に? ポポタくんも一緒だったんじゃないの?」
 ジャックも額に汗を浮かべ、顔を歪ませた。
「あいつ、調子に乗って魔物を倒してみたいって言い始めたんだよ。んなの危険だっつても聞かなくてよ、休憩がてらお袋さんに止めてもらうよう言ってたら、そのスキに……!」
 あのくらいの歳であれば、外の魔物が危険なことも分かるだろうに――その時ふと、サーラの頭の中で声がした。
『おれにだって、倒せると思ったんだ!』
 精一杯強がっている、まだ甘ったれの、子供の声。
「今時期は、熊も出るっていうのに……!」
 焦燥感に駆られているアルトの肩に手を置き、サーラは確信を込めて告げた。
「ポポタは、村の外からそう遠くへは行かないはずだ。村の入口に行くぞ!」
 アルトとジャックの呼吸が整うと、全員で走り出した。
 調子に乗るのも無理はない。どんな人間でも、力がつくと試したくなる。ましてや、オルテガに憧れるポポタなら、尚更――
 村の外壁を越えると、手分けしながらポポタの名を呼んだ。ムオルに着くまではさほど魔物に遭遇しなかったが、あの絵本でも語られていたように、熊が近くまでやって来ている可能性は否めない。
 ポポタの名を叫び続けていると、遠巻きに甲高い悲鳴が耳に届いた。声のした方へ駆け付けると、ポポタがその数倍にも及ぶ背丈の熊と対峙していた。人食い熊と呼ばれる、バラモスの手によって凶暴化した魔物だ。
「く……来るなっ!」
 ポポタは銅の剣を握りしめながら、全身を震わせている。一方、人食い熊は喉の奥からうなり声を上げ、ポポタと少しずつ距離を縮めてくる。
 サーラたちの方が、ポポタと離れている。このまま直接熊に手を下そうとしたら、ポポタが先にやられてしまう。
 どうすれば――必死に策を探していると、ジャックが小さく囁いた。
「今、まだ春先だよな?」
 この状況で何を、と言いかけた瞬間、若葉色の瞳は芽吹くように青みを増した。
「ラリホー!」
 突き出された腕から、空気がうねるような波動が生じたかと思うと、熊はおろか、ポポタも糸が切れたように、力なく地面に崩れ落ちた。
「アルト、ポポタをこっちに!」
 アルトと、モエギも飛び出し、ポポタをこちらへ抱きかかえ運ぶ。ジャックは一息つくと、再び熊に向けて手をかざした。
「もうしばらく冬眠してやがれ! バシルーラッ!」
 熊はわずかに宙に浮いたかと思うと、一瞬にして矢のように空へと姿を消した。森の向こうで鈍い音を確認すると、サーラたちは安堵のため息をついた。
「まだ肌寒い時期だからよ。ラリホーも効きやすいかなってね」
 ジャックだけはあごを上向きにし、一人で満足げにうなずいている。この男の力だけで全て片付いてしまったのには面喰らったが、ポポタに何事もなかったことに深く感謝した。
 村の入口付近で、低く積まれた石垣に腰かけポポタの目覚めを待っていると、少年はアルトにもたれかかったまま、重たげにまぶたを持ち上げた。
「良かった……。もう大丈夫だからな、ポポタ」
 アルトが優しく声をかけると、ポポタは何度か瞬いてから跳ね起き、アルトを睨みつけた。
「なんでじゃまするんだよ! あんなやつ、ぼくが倒すとこだったのに!」
「いや、邪魔したのオレなんだけど……」
 ジャックの抗議はまるで無視し、ポポタは小さな肩をいからせている。アルトは一呼吸し、座ったままポポタに語りかけた。
「ポポタ。君が強くなりたいのは分かる。だけど、強いのと無鉄砲なのとは違う。俺たちが来なかったら、今頃君は」
「だって! ぼくだって、スライムくらいは倒せると思ったんだもん! だけど、だけど……」
 サーラは傍らで見守るだけだったが、ポポタの真正面に向かい合い、大きく息を吸い込んだ。
「甘ったれるな!」
 雷に打たれたかのように、ポポタはぐずるのを止め、怖々とサーラを見上げた。アルトたちも同様に、サーラを凝視している。
 ――昔も、こうして未熟な子供に怒鳴ったことがあった。だが、あの時は自分自身も、未熟だったのだ。
 サーラはポポタと同じ目線にしゃがむと、そっと両肩を抱いてやった。
「……強くなることを焦るな。焦って、もしお前が魔物に殺されたら、お前の家族も、村の人たちも、オルテガ様も悲しむ。それをよく覚えておくんだ」
 最後に出来るだけ柔らかい笑みを添えると、ポポタは緊張が解けたのか、途端に大声で泣き出した。サーラはポポタが泣き止むまで、細い身体を抱きしめ、背中をさすってやった。
 何故か、自分も泣きたいような気持ちに駆られながら。



 パリスやペリーヌに事情を話すと、ポポタはサーラ以上の叱咤を受けていたが、懸命に涙をこらえ、反省の様子を見せていた。アルトやジャックも、ポポタから目を離したことを詫びた。
 一旦宿に戻り、サーラはアルトにオルテガの剣のことを話した。剣が鍛え直されたらそれを受け取り、ムオルを発とうとアルトは答えてくれたが、心なしか気を落としているように見えた。
 夕食や湯浴みを済ませると、どっと疲れが押し寄せ、サーラはベッドに横になった。
「それにしても、今日は危機一髪だったね。ジャックのお陰で、何とか無事に終わったけど……」
 モエギも隣のベッドで髪を拭きながら、長い息をついた。
「けど、サーラがポポタくんを諭すのを見て、あたしちょっと感動したよ」
 サーラはモエギの方に寝返りを打つと、上半身を起こした。
「……そうか?」
「昔のサーラじゃ、あんな風にはいかなかったんじゃないかな。ポポタくんもきっと、安心して泣いてたんだと思うよ」
 サーラは、母親似の顔をぐしゃぐしゃにして泣いていたポポタを思い浮かべた。
 ポポタは、英雄に憧れている、ただの村の少年だ。もう、むやみに外に飛び出したりはしないだろう。
 だが――思いがけず記憶に蘇った、もう一人の少年のことが気にかかり、サーラは寝間着にケープを羽織ると、部屋を抜け出た。
 すぐ隣の部屋をノックすると、ジャックが寝ぼけ眼で出迎えた。
「あれ〜、サーラさんたら、まさか、夜……」
「アルトは今いるのか?」
「アルト? ああはい、そゆこと」
 昼間の活躍が嘘のようにふざけている。この男にはつくづく呆れるが、程なくしてアルトが姿を見せた。
「サーラ、どうしたんだ?」
 アルトも困惑しているようだが、サーラは有無を言わずその手を取った。
「大事な話があるんだ」
 サーラのただならぬ様子に、アルトも羽織りものを着て共に階下に降りた。
 宿屋の談話室は静まり返っており、暖炉で火のはぜる音だけがしている。アルトはソファに腰を下ろし、目をこすりながらサーラを見上げた。
「大事な話って……?」
 サーラは座る代わりに、アルトの側に屈み、打ち明けた。
「……思い出したのだ。昔、お前を助けた時のことを」
 あまりにも突然だったのだろう、アルトはえ、と言ったきり絶句した。
 ――アリアハンを発つ前、昔アルトはサーラに助けられたのだと訴えたが、その時は全く思い出せなかった上、それは今日まで続いていた。
 だが、ポポタを魔物から守ったことにより、似たような状況だったアルトとの出来事を、ふいに思い出したのだった。
 スライムの集団に襲われ、太刀打ち出来ない少年を偶然見つけ、スライムを一掃した。茫然をそれを見ていた少年に、怒りがこみ上げた。
 ろくに魔物も倒せないくせに、何故外に出たのだと問い詰めると、少年は刃向かうようにして返してきたのだ。
 おれにだって、倒せると思ったんだ! と。
 その時のサーラには、少年がただいきがっているだけの小僧にしか思えず、少年の未熟さを責めることしか出来なかった。ただやみくもに怒鳴っていたサーラの言葉を、アルトは屈すことなく、燃えるような瞳で受け止めていた。
 さすがに言うだけ言って放っておくことは出来ず、手当てを施し少年を家まで送った。それがかのオルテガの家であることも知る由もなく、誰にも少年のことを話さず、今日まで幾重にも積もった記憶の奥深くに、沈んでしまっていたのだ。
「……あの時のお前の心境を思うと、何故、もっと優しく出来なかったのか、いたたまれなくなったのだ」
 すまない、と深く頭を下げた。暖炉の熱と、微かに通る外気の冷たさが二人を包んでいる。
「……そっか。思い出してくれたんだな」
 存外穏やかな声がして、顔を上げると、アルトは嬉しいような切ないような表情で微笑んでいた。
 座れよ、とソファの空いているスペースを叩くアルトに従い、サーラもその隣に背を預けた。身体の沈み具合が心地よい。
「今更謝らないでくれよ。あの時のサーラがいたからこそ、今の俺があるんだから」
「だが……」
 尚も後悔の念が残るサーラに、アルトは小さく首を横に振った。
「……あの頃、あんな風に俺と接してくれたのは、サーラだけだったよ」
 澄んだ瞳は霧が立ち込めたように、薄く濁った。促さずとも、アルトは自然に語り始めた。
「俺は、アリアハンの学堂を初等部で辞めた。他の同級生とそりが合わなかったんだ。先生たちが、俺を父さんの息子だからって特別扱いするのが、気に入らなかったらしい」
「アリアハンの子供は皆、その学堂とやらで学ぶことを義務付けられているそうだな」
 以前、ルイーダから話を聞いたことがある。また、酒場の冒険者でも、地元の者は大体がその学堂を出た人間だった。
「同級生だけでなくて、俺自身も、だんだん先生たちまで嫌になってさ。学堂の授業に頼らないで、俺は他の大人たちから剣術や魔法を教わった。それで必要なことは大体身に付けられたけど、今考えれば、そうやって良くしてもらっていたのも、特別扱いだったんだろうな」
 アリアハン城で、アルトを疎ましげに睨んでいた若い兵士を思い出す。そもそも義務教育である学堂を辞めることが出来た時点で、常識破りだったのかもしれない。その上、オルテガの息子ともなれば、故郷では嫌でも人々の話題となるだろう。
 アルトは頭の後ろで手を組み、大きく仰け反った。見上げた天井には、何を思い浮かべているのだろう。
「母さんや爺ちゃんから、礼儀作法は厳しくしつけられたから、大人たちを相手にしていた方が、同じ年頃の人間と交わるより気が楽だったよ。
 けど、大人でも子供でも、俺は皆にとって、アルトっていう一人の子供である以前に、オルテガの――英雄の息子だった」
 沈下するような息遣いが、その重圧を物語っていた。
 何とかなぐさめてやりたくて、力なく置かれた手に手のひらを重ねると、アルトはこちらを向いた。
「あの時……サーラに助けられた時、俺は皆を図ったんだ」
「図った?」
 聞き返すと、手の下で拳が形を成した。
「まだ未熟な俺が魔物を倒せるのか、試したかった。その裏で、倒せなかったら倒せなかったで、どんな反応されるんだろうなって面白がっている部分もあった。それまでずっと、父さんの息子だからって優等生に見られていたからさ」
 結果はあの通り、と珍しく自嘲するような笑みがちらついた。
「……そんなことを考えていたのか」
 アルトの告白は、アリアハンを発つ数日前に出会った時の生意気さを思い起こさせた。それは、サーラの歪んだ捉え方だけではなかったのだ。
「サーラは俺が父さんの息子だなんて、知らなかったんだろ? まるで悪ガキを叱るような……けど、何故かもっと、別のことに対して怒っているようだった」
 サーラは視線を落とし、かすれた声で答えた。
「だから、今日思ったのだ。ポポタのように、あの時お前を優しくたしなめられたらと」
 己の力量も知らず、強がっている少年が許せなかった。おそらく、本当に許せなかったのは、アルトと束の間だぶった誰か、だった。
 微かに震える冷えた手に、アルトが指を絡ませる。温かい血の通う、力強い手。アルトの瞳は、元の輝きを取り戻していた。
「けど俺は、あの時は悔しかったけど、今はサーラがああして怒ってくれたのが、嬉しいんだ。
 俺を、英雄の息子でも何でもない、ただの甘ったれのガキとして、扱ってくれたから」
 告げられた言葉に、サーラは今までオルテガのことで悩んできたアルトの姿を反芻した。
 カザーブで涙を見せまいと明るく振る舞った横顔。オルテガの名を引き合いに出して反らした瞳。
 この少年を、アルトという一人の少年として認めたのは、誰でもなくサーラが初めてだったのかもしれない。
 サーラはもう片方の手をアルトの手に添え、身体ごと真っすぐ向き合った。
「私にとって、お前はずっと、アルトだ。他の誰でもない、アルトという、ただひとりだ」
 アルトも笑顔をしまい、真顔になる。丸い瞳が暖炉の灯を包み、揺れている。サーラも頬が上気するのを感じた。
 ルイーダと再び別れる前、贈られた言葉が胸に蘇る。
「私は、ずっと自分のためだけに剣を振るってきた。けれど、これからはそれだけじゃない。
 皆と、お前を守るために、私は……一緒に行きたい」
 多くのものを失った今だからこそ、見出したものがある。そのかけがえのないものを、これ以上失わないよう、剣を振るおう。
 それが、今は亡きサーラの大切な人々の願いだと、ルイーダは告げた。
 アルトは静かにうなずき、心からの笑顔を滲ませた。
「ああ。一緒に、行こう」
 寄り添い、契りを交わすように、唇をそっと重ねる。炎が、二人を包むように紅く、燃えていた。





 光の失せた仄暗い空間を、冷やかな風が通った。
「ロイド。次の手は考えているのですか?」
 粘りつくような声音に、骸の剣士は返事の代わりに嘆息した。
「次の手も何も、貴様の策が仇となったのだぞ? 次は貴様だけで奴らを仕留めてはくれまいか」
 半ば八つ当たりだったが、背を向けたままの同胞はくぐもった笑い声を立てた。
「生憎、わたくしの命は勇者たちの始末ではない。前の件は、精霊の娘が関わっていたから知恵を貸したまでですよ」
「はっ。またそれか。では、サマンオサやジパングの件はその片手間とでも言うのかね?」
 呆れたように返すと、同胞は肩越しにロイドを見やった。全身を衣で覆う中、切れそうな瞳だけが爛々と光っている。
「片手間とは失敬な。あの二国は、人間たちが争うに相応しい舞台なのですよ。わたくしの描く話ぴったりの……」
 再び独り笑う同胞を、ロイドは薄気味悪く眺めた。
「ロイド。君が命を弄ぶことを悦びとするように、わたくしは人間たちの負の感情を賛美しているのですよ。
 同じ人間同士がいがみ合い、血を流すのは、最高の戯曲だとは思いませんか?」
「同士討ちさせて、高みの見物か。それなら、直に手を下す方がよっぽど甲斐があると思うがね」
 ロイドが去ろうとすると、同胞はうって変わり別人のように低くつぶやいた。
「それにしても、どこまで邪魔をするか、あの女は……あの男の血が未だ根付いているというだけでも、忌々しいというのに……」
 奴の独り言には嫌でも慣れた。肩をすくめ、ロイドは同胞の居住まいを後にした。
 同じくバラモスに仕える配下ではあるが、奴とはどうも相容れない。だがバラモスは、奴を重宝し何かと命を下している。
「忌々しい……奴も、勇者も、銀の賢者共も」
 陰気なロイドの瞳は、怒気をはらんでいた。