英雄の息子 6



 アルトとジャックがルイーダの酒場に戻ると、店の前の敷地でサーラが誰かと手合わせをしているのが見えた。その傍らにはモエギが立っており、こちらに気付き口元に人差し指を添えた。
「何だ? 話はもう終わったのかよ? ……って」
 ジャックが目を剥いたので、何事かと視線の先を追う。
 サーラが対峙しているのは、普段のドレス姿でサーベルを操る、ルイーダだった。サーラはこちらに気付いていない様子で、じっとルイーダに神経を集中させている。
「行くよ!」
 草が散り、ルイーダが急速に間合いを詰める。サーラは迎え撃ち、真剣が甲高い音を立てた。
 すぐさまサーラは距離を置くが、ルイーダは容赦なく突くようにして攻め込む。刃先が小気味良いリズムを刻んで幾度も交わり、ルイーダは表情こそ真顔なものの、瞳を生き生きと輝かせている。
「ルイーダさん……あんなに剣術が出来たのか」
 アルトたちが見入っていると、手合わせの邪魔にならないよう、モエギがこちらに向かってきた。
「モエギ、お前らアリアハンの話はちゃんと聞いたのかよ?」
「聞いたわよ! あんたたちと違って、こっちはそれだけじゃ暇を持て余しちゃうのよ!」
 モエギはアルトに向き直ると、サーラをちらと見やり微笑んでみせた。
「サーラ、ようやく剣を抜く気になったみたいだよ。だからルイーダさん直々に手合わせしてくれてるの。今日はお店もヒマだからって」
 ルイーダさんらしい言い回しに口元をほころばせると、アルトはサーラの動きを目で追った。
 一旦バハラタに戻ってから、サーラはしばらく剣を抜こうとしなかった。アリアハンに来るまでの間も、主に船上での戦いをこなしてきたので、アルトやモエギ、そして賢者の能力を身に付けたジャックの三人だけでも事足りていたのだ。
 だが――こうしてサーラが剣を振るう姿を改めて目の当たりにすると、やはり共に戦ってくれたらどんなに心強いだろう、と思ってしまう。
 かつて、未熟なアルトを救ってくれたサーラを、未だに心のどこかで頼っているのだなと、わずかに苦笑した。
「サーラ、いつまでも剣を受けてるんじゃなくて、遠慮せず攻めてきな!」
 ルイーダが高揚した声を投げかける。だが、息が上がっているのはどちらかというとルイーダの方だ。
 サーラは尚も無言でルイーダの突きを受けていた。が、ふいに突きのリズムが鈍くなると、身体ごとそれをかわし、ルイーダの脇に滑り込むと下から上へ大きく剣を振るい、サーベルを打ち払った。
 その反動でルイーダは足場を崩し、草むらに尻餅をつき「あたっ!」と悲鳴を上げた。サーベルは弧を描き、敷地の端に突き刺さった。
 アルトは二人に声をかけようとしたが、モエギがそれを制した。
「もうちょっと待って。まだ手合わせは終わってないよ」
 サーラは肩を上下させながらゆっくり呼吸を整えると、剣を納めルイーダの元に膝をついた。
「ありがとう……ルイーダさん。これで十分、感覚を取り戻せた」
 サーラに支えられ起き上がると、ルイーダはドレスについた土を払いながら笑みを浮かべた。
「今のあんたなら、あたしでも相手出来るかなって思ったけど……この次はなさそうだね」
 ルイーダがいたずらっぽく笑うと、サーラも目を細めた。かつてのきつい瞳とは異なる、柔軟さを備えた力強い眼差しだった。
「サーラ! アルト君とジャックも戻ってきたよ!」
 モエギが大きく手を振ると、サーラの表情がぱっと明るくなり、こちらに駆け寄ってきた。
「どうだった? 手がかりになりそうな話は掴めたのか?」
「ああ……まあ」
 大きな収穫はなかったが、このサーラの顔を前にしては言い難く、仕方なくジャックに振った。
「まあ、小腹も空いたし中で話そうぜ! いや〜、それにしてもサーラさんの華麗な剣さばきがもう! 美しすぎて! なっアルト!」
 サーラの視線が再び向けられると、アルトも素直に一言告げた。
「……うん。良かった。大丈夫なんだな、もう」
 するとサーラもうなずき、微笑み返してくれた。
「ああ。もう少し慣らした方がいいが、ほとんど勘は取り戻した」
「ほとんどって、ほんの二、三回手合わせしただけなのに……大したモンだよ。さ、モエギちょっと手伝って」
 ルイーダは腰のあたりをさすりながら、モエギを連れて先に酒場へと戻っていった。サーラがルイーダのサーベルを取ってくると、ジャックはしげしげとそれを眺めた。
「にしても、ルイーダさんの腕も結構なモンだよな。サーラさんは昔からルイーダさんが剣術の心得あるの知ってたの?」
「ああ。一度聞いたことはあった。だから願い出てみたのだが……あれでもっと軽装なら、お前より強いかもな。ジャック」
「いや〜ねサーラさん! もっと総合的にオレを評価してよ! 魔法とか魔法とかルックスとか」
「サーラ、疲れただろ? 行こうか」
 間に割り入ってサーラを促すと、「アルト君も分かるようになったじゃないの……」と、妙なジャックのつぶやきが聞こえた。



 サーラとモエギが集めた情報により判明したのは、まずアリアハンは開国したものの、かつて他国との間を行き交っていた定期船は、海の魔物の凶暴化により復旧していないこと。その代わりアルトたちが封印を解いた『いざいないの洞窟』の旅の扉を介して、ロマリアとの交通が活発化したこと。だが旅の扉を利用するのは、専らアリアハンに留まっていた者たち――逆にロマリアからはるばる訪れる者はさほどいないこと、などだった。
 また、噂ではアリアハンが長年鎖国していたため、開国した際に一方的に国交を断たれた友好国があるという。
 アルトはアリアハンを発つ前に、一度国王に謁見し、噂の真相も含め話を伺うことにした。
 日を改め、アルトたちは城を訪れ国王への拝謁を申し出た。すると、取り次ぎをする兵士がアルトをじろじろと観察し、声音を低くして尋ねてきた。
「お前、アルトか?」
 どうやらアルトを知っている者のようだ。歳も兵士の中では若く、同じくらいだろう。うなずいてみせると、若い兵士はどこか陰のある表情で笑った。
「へえ。学堂を辞めてからしばらくして旅立ったって聞いたけどよ。ちゃんと英雄の息子やってんだな」
 サーラたちは兵士の言葉に怪訝な顔をしたが、アルトは無言で手続きが終わるのを待っていた。許可が下りると、去り際も若い兵士はうとましそうにこちらを見送った。
「何? あの兵士! アルト君の知り合い?」
 モエギが忌々しげな声で問いかける。アルトは階段を上りながら答えた。
「多分。アリアハンの学堂で一緒だったんだと思う」
「はあ……何か恨まれるようなことでもしたのか?」
「別に、何も」
 モエギとジャックが口ごもるのが背中越しに伝わってきた。サーラは黙々と後をついて来る。
 アリアハンの子供が集い、学ぶ学堂。幼い頃に通った数年間は、歳月の霧で隔てた向こうに暗い影を漂わせていた。
 もう、昔のことだ。アルトはひたすら足を運んだ。
 王の間に着くと、兵士数名が整列しており、その奥には玉座に収まった国王と、大臣の姿があった。
 アルトたちは玉座に向かって一礼し、片膝をついた。
「オルテガの嫡子、アルト、この度訳あって一時帰国しました。つきましては陛下に直接お伺いしたい事柄があり、拝謁を願い出た次第です」
 国王は顔を上げるよう命じてきた。視線を上げると、旧友に再会したかのように安堵した笑みが広がっていた。
「アルトよ、よくぞ無事に戻った! そなたたちの話は諸国の王からも聞き及んでいる。亡きオルテガ殿もさぞや喜ばれるであろう!」
 現国王は御齢三十六で、諸国の中で若い君主だろう。即位したのが三十を過ぎた頃だったため、アリアハンの鎖国の理由はあまりにも若い王の誕生が一因として挙げられている。
「陛下、アリアハンは俺たちが旅立ってから開国したとのことですが、何か関係があるのですか?」
 国王は口元を引き締め、深くうなずいた。
「今のそなたには話しても良いだろう。開国の頃合いについては、既に鎖国の際父君とソイの間で決められていたのだ」
 国王の話によると、鎖国は現国王の若さだけでなく、アリアハンやオルテガの子であるアルトを外敵から守るためでもあったという。また、鎖国する直前に、各地の友好国へ、数年後アリアハンが開国した際アルトを援助するよう要請していたという。
「父君は、オルテガ殿の訃報によりすっかり弱気になってしまい、外国との交通も封鎖するため『いざないの洞窟』を閉じられた。だが、それではいけないとソイが打開策として、現在の状態になるよう、父君の代から各国に手配をしてくれていたのだ」
 しかし、と国王は言葉を濁した。額を抱える君主に代わり、控えていた大臣が続けた。
「友好国のサマンオサが、『魔王に怯え鎖国をするなど、アリアハンも落ちぶれたものだ』と、開国後一方的に国交を断ち、現在全くあちらの様子が分からぬのです」
 サマンオサ――アリアハンの東にある大陸を統べる、豊かな大地を有する国であるが、領土は険しい岩山に閉ざされている。そのため、外国との交流があまりない独立国家でもあった。
 だが、かつてオルテガが道中、サマンオサより志同じくして旅立ったという男と出会い、旅路を共にしたことから、アリアハンはサマンオサと国交を結んでいた。
 アルトは、父と共に闘ったという男の名を挙げた。
「サマンオサには、父の友人であるサイモン様がいるはずです。国王以外に、サイモン様にも便りは……」
 だが、国王と大臣の表情は変わらぬばかりか、さらに影を落とした。
「……サイモン殿宛てにも既に書簡を送らせた。国王宛てと共にな。だが、サイモン殿からは全く返信がないのだ」
「サイモン殿は勇猛なだけでなく、人との縁を重んじる方だと伺っておりました。そのサイモン殿から音沙汰がないとすると、何か良からぬことでも起こっているのでは……」
 アルトの胸に不吉なざわめきが生まれた。サイモンは勿論のこと、サマンオサの王は代々名君として語り継がれている。その王であれば、いくらアリアハンが鎖国したからといえども、世相から事情を察することくらい出来るはずだ。
 世界各国に比べ閉鎖されたサマンオサで、一体何が――アルトの意識は父の旧友の祖国へ大きく揺らいだ。
「陛下、このままサマンオサを放っておいては危険です。俺たちが直接出向いて、現状を探って」
 すると、背後に控えていたジャックに肩を掴まれた。
「アルト、いくら何でも唐突すぎるだろ!」
「けれど、サイモン様に何かあったとしたら……!」
 助けを請うようにサーラに視線を投げかけた。もし、テドンのように、サマンオサも人知れず苦しんでいるとしたら――
 だがサーラは、なだめるように無言でアルトを見つめ返すと、玉座に向き直った。
「お伺いしたいことがあります。サマンオサへ向かうとなると、どのような手段を使えば良いのでしょうか」
 ひどく冷静なサーラの質問に頭が冷え、アルトも黙って答えを待つことにした。国王の代わりに大臣が返答する。
「サマンオサへは、昔はこの大陸より北東へぐるりとサマンオサの大陸沿いに船を進めれば良かったのじゃが、サマンオサ南部は今や海賊たちの根城となっておる。残念ながらそのルートは使えぬな」
「では、サマンオサに開国の旨を伝えた際は如何様に?」
「その時は、ここより南の寒帯にある祠の『旅の扉』を介して、サマンオサ領土に通じる旅の扉へと使者を渡らせたのじゃ。しかし……」
 大臣は途端に顔が青ざめ、口を閉ざしてしまった。サーラが促すと、大臣は振り絞るような声で一言告げた。
「その時の使者の一団は、アリアハンに帰国してから皆、原因不明の病で……命を落としたのじゃ」
 アルトたちの間に戦慄が走った。そうとなると、サマンオサはほぼ間違いなく何らかの危機を迎えているとしか思えない。
 国王はしばらく難しい顔をしていたが、やがて静かに語りかけてきた。
「アルトよ。そなたがサマンオサやサイモン殿の身を案じるのは分かる。だが、サマンオサの情勢が不明瞭なまま、そなたたちを派遣させる訳にはいかぬのだ。
 サマンオサの件に関しては、ソイや、ダーマ大神官の協力を得て慎重に調査を進めるつもりだ。そなたたちは今しばらく、別のことに目を向けてはくれまいか」
 国王の沈痛な面持ちは、サマンオサ同様にアルトたちを案じているようにも取れた。
 確かに、現段階でサマンオサに向かったとしても、万一何かあった場合こちらにとって不利になるのが確実だろう。アルトもこれ以上何も言えるはずがなかった。
「……分かりました。サマンオサの件は陛下にお任せいたします。その代わり、大神官に協力を依頼するにあたっては、俺たちが直々に出向いても良いでしょうか?」
 アルトは今後、一度ダーマに顔を出してからさらにその北を目指す予定だったことを話した。それについては国王も快諾してくれた。
「では、ヨシュア殿への書簡をこれから用意させよう! 明後日にはアルトの元へ兵を手配する故、そなたたちはしばらくアリアハンで英気を養ってくれ」
 アルトたちは深々と頭を下げた。胸中はサマンオサへの不安が渦巻いていたが、気さくで活力ある国王の激励が救いだった。



 アルトたちがアリアハンに滞在した日数は、一週間にも満たなかった。
 ダーマ大神官宛の書簡を手に、彼らはバハラタ地方へと、再び冬の荒波の中へ出航していった。
 数日間は以前のように連日賑わっていたこの酒場も、また古株ばかりのたむろする店に戻った。
 早朝の掃除を終え、ルイーダは閑散とした店内を見渡すと、大きく息をついた。
 ロマリアへの旅の扉が復旧したことにより、この店の冒険者は次々とアリアハンを後にし、広大な世界へと旅立っていった。そのくせ、他国からこの田舎国まで来て、名簿に名を連ねる者はほとんどいない。
 数年間の鎖国は、確かにアリアハンを守ったかもしれない。だが、それと同時に衰えさせた部分もあるのかもしれない。
 まあ、それはそれでいい。あの子たちが、アリアハンを巣立ち、見違える程成長していたのだから。
 二階から足音が聞こえたかと思うと、マリリンが寝間着にケープを羽織って降りてきた。まだ切れ長の目を眠そうにこすっている。
「ルイーダさん、今日はいつもに増して早いこと……こんな早く起きてどうするのよ?」
 ふああ、とマリリンは上品な顔に似つかわしくないあくびをする。ルイーダはカウンターに腰かけ、頬杖をついた。
「さあ、どうしようかね。あの子たちがいると毎日お祭り騒ぎだったから、久し振りにゆっくり散歩でもしようかね」
「ああ……ならアタシが店番してますから。皆まだ寝てるし」
「店番って、そんなナリじゃ客出迎えられないよ。もう少し陽が高くなるまでひと眠りしてきな」
 マリリンはふぁい、とあくび混じりに返事をしてから、二階へと引き上げていった。マリリンもまた、連日あの子たちと一緒に飲み交わしたり、久方振りに女同士の会話に華を咲かせたりしていた。
 ルイーダは窓の外に目をやった。まだ朝もやのかかる町並を、黄金色の朝日が薄く染め上げている。
 あの子たちを旅にやってからも、いつも無事に生きているか、大変な目に遭ってやしないかと気にかけていた。
 その矢先にテドンの話を耳にし、再び戻ってきたあの子――サーラの様子といえば、とても見られたものではなかった。
 せめて母親代わりにと、話を聞き、諭し、剣をもう一度握らせた。幸い、あの子は絶望の淵から這い上がることが出来たようだった。
 何もルイーダが世話を焼いたためだけではない。モエギ、ジャック、そして、アルト――それぞれが、それぞれの形であの子を慕い、愛しているのが、端から見ていても十分伝わってきた。
 別れ際、託した言葉を、あの子は理解してくれただろうか。
 ぼんやりと物思いに耽っていると、ふいに外が騒がしくなった。この店は城下町の入口近くに構えているため、何かあったとしたらそちらの方だろう。
 ルイーダは適当なガウンを引っかけ、店を出て様子を伺った。思った通り、見張りの兵士が何者かともめている。どうやら、相手はがらの悪そうな連中――しかも大人数、のようだ。
 こんな朝方に、一体何の用で? ルイーダはいきなり近付かずに、距離を保ったままやりとりに耳を澄ました。
「そんなこと、いきなり言われても困ります!」
「だがなあ、こちとら急用なんだよ! 今すぐアルトっていう奴に会わせろ!」
 アルトの名を耳にした瞬間、ルイーダは反射的に飛び出していった。それを目に留めた大男が片眉を上げる。
「ああん? 何だぁアンタは。悪いけどよ、おばさんには用はねえよ」
 近くに来てみると、いかつい男たちがざっと十数人は押し寄せている。中には女の姿も見受けられた。鮫のように研ぎ澄まされた瞳をした、長身の女。
「こっちだって、あんたらみたいな荒くれ共にはこれっぽっちも用はないよ。ただ、ちょいと引っ掛かることがあってね」
 門番の兵士はいつの間にやらルイーダの陰で震えている。この大人数では、成程魔物より厄介かもしれない。
「ああ? 何でえ、つまりアンタ、アルトっつう奴の知り合いか?」
「ああ、あの子がよちよち歩きの頃から知ってるとも。けど、アルトならつい昨日、アリアハンを発ったばっかりだよ」
 男衆にどよめきが走った。先頭にいた男が喰いかかってくる。
「何だとぉ!? おれたちゃ、何週間もかけてこのクソ寒い中アリアハンまで航海してきたんだぞ!」
 航海、と聞いて、ルイーダは改めて男たちを注意深く観察した。外套を羽織っているものの、ほとんどが体格が良く、日焼けした顔をしている。
 この集団、もしかすると――ルイーダが尋ねようとすると、後ろで黙っていた女が口を開いた。
「てめえら、静かにしやがれっ!」
 途端に、ざわついていた男衆がしんと静まる。女はずかずかとルイーダの目の前にやって来た。紺碧の豊かな長髪に、涼やかな容姿の女だ。
「アンタのような女なら、そこの兵士よかよっぽど話が出来そうだね。
 あたいはレダ。これでもこいつらを束ねる、海賊の頭領だよ」
 レダと名乗った女は握手を求めてきた。握り返すと、女とはとても思えない、皮の厚いがっしりした手だった。
「あんたたちの風貌を見て、何となく見当はついたよ。けど、海賊さんたちがアルトに何の用だい?」
 ルイーダが警戒の色を見せると、レダは真顔になり、背後に顎をしゃくった。
 すると、一番奥にいた男が誰かをおぶって歩み寄って来た。男がそっと下ろした人物を、レダが抱きかかえてこちらに見せる。ルイーダは息を呑んだ。
 毛布で何重にもくるまれた隙間から、青白く小さな顔が覗いている。全てが小作りで、伏せられたまつ毛は力なく貼りついている。
 ルイーダはしばしその人物を凝視し、レダに尋ねた。
「……この子、一体どうしたっていうんだい? まるで、死人のような」
「そう。あたいらも、この子をサマンオサの海岸で拾った時は死んでるのかと思ったよ。けど、ちゃんとまだ生きてるんだよ」
 ルイーダはおそるおそる、青白い顔を覗き込んだ。
 アルトと同じくらいだろうか、まだ年端もいかない、少女だった。顔を間近に近付けると、やっとだが呼吸をしているのが分かる。
「この子と、アルトに何の関係があるっていうのさ?」
 レダは、ズボンのポケットからしわくちゃの紙を取り出し、押しつけるようにしてルイーダに見せた。
「この子が手に握っていたものさ。あまりにも固く握ってたからさ、危うく気付かない所だったよ」
 レダは小さく肩をすくめてみせた。ルイーダは走り書きの文字を読み上げた。

『もしもの事があった時は、アリアハンのオルテガの子、アルトを頼れ。
――サイモン』

 思いもよらない署名に、ルイーダはレダと、衰弱した少女を交互に見た。ふいにめまいを覚えた。
「何てこと……この子、一体どうして、あのサイモン様の……」
「さあね。あたいらには知る由もない。けどこんな弱りきった子を死なせる程身勝手ではないし、サイモンには借りがあるからさ」
 ルイーダは紙切れをレダに返すと、身を翻した。
「分かった。アタシはこれでも酒場の主人でね、あんたらみたいな大人数でも丸ごと受け入れられるんだ。さあ、その子をアタシの店で看病するから、来てくれないかい!」
 朝早くから綺麗にした店内がたちまち汚れてしまうだろう。だが、今のルイーダにとってそんなことは、何の問題にもならなかった。