英雄の息子 2



 翌日も、サーラはモエギの部屋から出てこなかった。モエギ曰く、サーラの心の中には悲しみの源泉があり、ふとした拍子に涙が浮かんでくるのだという。
 そんな状態のまま、サーラを無理に引っ張り出す訳にはいかない。モエギには引き続きサーラに付き添ってもらうことにし、アルトはジャックと今後の進路について話し合うことにした。
「鍵だけじゃなくて、オーブってやつを集めた奴も『許されし者』? しかも船がいらなくなる……何だそりゃ」
 モエギの家に入りびたりではワカバに申し訳ないので、アルトとジャックはバハラタでも一際目を引く立派な教会へと足を運んだ。
 冬のきりりとした陽の光が、ステンドグラスの透明感をより高めている。中では老人数人と神父が談話しており、アルトたちは入口近くの席で声を潜めた。
「俺もよく分からない。けど、集めるに越したことはないだろ? バラモ……魔王を討つための手助けになるかもしれないし」
 一般の民がいる場所でバラモスの名を口にするのは、テドンの有様を目の当たりにしてから極力避けている。無力な民にとって、バラモスがどれ程脅威であるかを痛感したのだ。
「まあ……それも一理あるわな。でもよ、そのために世界の隅々まで回るっていうのは無茶すぎるぜ? そもそも、奴がいるのはネクロゴンドっていうことしか分かってねえんだろ?」
 アルトがうなずくと、ジャックは珍しく責めるような口調になった。
「オレたちは、今まで成り行きでここまで来たようなモンだ。けど、これからはそうもいかねえぞ? ったく、分からねーことだらけだな……」
 そう言われてしまうと何も返せない。それと同時に、ジャックが本気でアルトたちに協力しようとしているのが伝わってくる。やはり、ダーマでの生活がジャックの血肉になり、新たな決意をさせたのだろう。それはアルトにとって大きな喜びだった。
「ちっ、またジイさんの世話になるしかねえな……」
「え? ってことは、ダーマに行くのか?」
 ジャックは素早く腰を上げ、毛先鋭い銀髪を掻いた。
「ああ。そもそも、下山する時にジイさんから一度お前に会いたいって言われてたんだよ」
「俺に? 俺だけでいいのか?」
「いいんじゃねえの? サーラさんはまいっちまってるし、モエギがいないと余計塞ぎ込むだろ。とにかく、ジイさんなら伝承とかにも詳しいだろうし、オレらが話聞いてくる間に、サーラさんが少しでも元気になりゃいいしさ」
 本当は自分もサーラに付いていてやりたかったが、かえって負担になるような気がしたので、アルトも不安を振り払うように立ち上がった。
「そうだな、さすがに登って下りてくれば、サーラも……」
「あれ? アルト君何言ってんの? 普通に登山するつもりだったの?」
 やけにもったいぶった言い方をされたのでむっとすると、ジャックはしたり顔で笑った。
「オレは賢者だぜ? キメラの翼よりもっとすごい魔法使えるようになったんだもんね。それじゃ、支度整えたらすぐ出発すっぞ!」
 言うなり、ジャックは教会を飛び出していった。アルトも疑問符を浮かべながら、後を追うことにした。
 家に戻るとモエギがちょうど居間におり、アルトたちの慌ただしさに面喰らった。
「どうしたの? ジャックは戻ってくるなり着替えだとかってわめいていたけど。どこか行くの?」
 すると、空色のローブに白の外套を纏ったジャックが部屋から顔を出した。着替えの早さと、あまりの様変わりようにアルトは舌を巻いた。
「ちょっくらアルトとダーマに行ってくる。モエギ、サーラさんのことまかせたぞ」
 モエギがアルトを見やる。大神官ヨシュアの話は知っているのか、促すように首を縦に振った。
 ジャックはすぐ外に出て行ったが、アルトはその前に一目、サーラと顔を合わせておきたかった。まだ出たくないのだろうか。
「モエギ、サーラは?」
 モエギが口を開きかけた時、物音を聞きつけたのか、サーラが奥からそろりと姿を見せた。髪が乱れており、目の下にはうっすらとくまが出来ている。
 アルトはサーラに歩み寄ると、真っ直ぐ赤い瞳を見つめた。
「サーラ、大丈夫か?」
 サーラは無言のまま、小さくうなずいた。よく見ると、白目まで充血している。とても大丈夫とは思えなかったが、アルトは出来る限り笑みを浮かべた。
「俺とジャックは、これからダーマに行ってくる。鍵とか、オーブのことを大神官に聞かなきゃいけないんだ。しばらく留守にするけど、その間はゆっくりするといい」
 サーラの表情は疲れ切っていたが、わずかに口元が緩んだ。
「ああ……すまない」
 少しでも微笑みのようなものを覗かせてくれたことに安堵し、踵を返そうとすると、早く、と声が背中を叩いた。振り向くと、サーラは髪を撫でつけながら、細く、だがしっかりした声でつぶやいた。
「出来るだけ、早く……帰ってきてくれ。私も、早く立ち直れるようにするから」
 恥じらうようにしてうつむいたサーラの頬は、ほんのりと赤みを取り戻していた。アルトは目を細め、深くうなずいた。
「ああ。待っててくれ」
 二人のやりとりを見ていたモエギも、にこやかにアルトへ語りかけた。
「アルト君、サーラのことは心配しないで。ダーマは寒いけど、いい所だよ。いってらっしゃい」
 入口でサーラたちに向き合い、アルトは力強く告げた。
「……行ってくる!」
 サーラとモエギの眼差しを背に受け、アルトは寒空の下へ踏み出した。
「遅えぞアルト。サーラさんと行ってきますのチューでも……いや、そんな場合じゃねえよな。わりぃ」
 ジャックはおもむろに手を差し出してきた。アルトが首を傾げると、問答無用で手を握られた。
「ジャック、何で手なんかつなぐんだよ。気持ち悪いな」
「オレだってなあ、本当はキレイなおねえさんとつなぎたいの! でもルーラはこういう決まりなの!」
 ルーラ、とアルトが復唱すると、ジャックは口元を結んだ。
「そう。キメラの翼は個人でしか使えねえが、ルーラは術者が行ったことのある所なら、複数の人間を一気に瞬間移動させることが出来るんだ」
 アルトが感心してみせると、得意気に胸を反らしジャックは微笑んだ。
「それじゃ、行くぜ……ルーラ!」
 ジャックが詠唱すると、アルトたちの周囲に突風が沸き起こり、浮遊感に包まれた。その瞬間、弾けるようにして意識が飛んでいった――



 意識を失ったのはほんの一瞬だった。反射的につぶっていた目をそっと開けると、目の前には岩山ひとつを彫刻にしたような、荘厳な雰囲気を漂わせる神殿がそびえ立っていた。辺りは一面の荒い山々で覆われており、少し酸素が足りない感じがする。
「……よし! 何回か訓練しておいたけど、そこそこの距離ならいけるな」
 ジャックは手ごたえを感じているのか、両手を開閉させている。その手首には、大粒のエメラルドがはめ込まれた銀の腕輪が輝く。ヨシュア大神官から直々に贈られたもので、これが賢者の証なのだという。
「すごいな……俺、いきなり全然知らない所に来ちゃったよ」
「だろ? いや〜、サーラさんにも早く見せてあげたいね。オレがばんばん魔法使う所」
 うなずき合うと、門の前にいた壮年の男が慌ただしくこちらに向かってきた。原色使いの、やけに派手派手しい服装をしている。
「どなたかと思えば、ジャック殿ではありませぬか! 随分と早いお帰りで……」
「別に帰ってきたんじゃないぜ。大神官かクラリスに会えるか?」
 直ちに、と男はすぐさま門を開き、中に消えていった。
 アルトより遥かに歳も地位も上であろう人間が、ジャック相手にはいささか恐縮しているのが不思議でならない。だが、当の本人は至極当然のように歩み始め、我が家に帰るかのごとく神殿へ足を踏み入れた。
「まあ、ジャック様!」
 神官や他の人々が一斉にジャックへ注目を向ける。銀の髪はダーマで一際特別な意味を成すのだろう、誰もがジャックのことを賢者として認めているようだ。
 ジャックもジャックで、若い娘や女性の神官には愛想良く振る舞っている。とはいえ、笑顔を振りまくのみで、手を振ったり口説いたりはしない。そのような真似は出会った頃に比べしなくなったが、まだやりかねない部分もあったので、アルトは内心ほっとした。
 程なくして、夜明けの海のような髪をした少女が早足でこちらに向かってきた。ラピスラズリの宝玉を冠した額飾りをつけている。
「随分と早く戻ってきたのね。あなたがここを発ってからまだ十日しか経っていなかったのに」
「意外と早くこいつが戻ってきたからな。アルト、紹介するぜ。オレのいとこのクラリス」
 クラリスのことはジャックから十分に聞いている。アルトは丁寧にお辞儀をした。
「初めまして。俺はアルト」
 すると、クラリスは珍しいものでも見るかのようにじっとアルトを見つめた。大して歳も違わないであろうに、どこか大人びた容姿をしている。さすがのアルトもどぎまぎしていると、見かねたジャックが口を挟んだ。
「おいおい、そんなに見つめるな。アルト君にはきちんとお相手がいるんだから」
「別に、そんなつもりじゃないわ。ジャック、この人がそうなのね?」
「ああ。可能性はなきにしもあらず……だな」
 勝手に話す大神官の孫たちから、アルトはぽつんと取り残される。もしオルテガの息子だということを言いたいのであれば、ジャックの言い分がおかしい。
「あの……俺が何か」
 おずおずと尋ねると、クラリスは居住まいを正し、にっこりと優雅に微笑んだ。笑うと、顔立ちに反して年相応の愛らしい少女に映る。
「失礼しました。あなたのことはジャックから聞いているわ。今の話はまた後ほどしましょう。お祖父様にも伝えてくるわね」
 最後の言葉をジャックに投げかけ、クラリスは颯爽と祭壇の方へ向かっていった。そこに立っている白衣の老人が、大神官ヨシュアなのだろう。
 鹿を思わせる、すらりとした後姿を眺めていると、ジャックが肘で突いてきた。
「アルト君、サーラさんという人がありながらクラリスも気になる?」
「そんなんじゃないよ。ただ、ジャックの話よりずっと優しそうな子だから」
「ああ、あいつはオレ以外には従順なんだよ。と、もう一人毛嫌いしてる奴がいるみてえだけどな」
 アルトは昨日のジャックの話を思い返した。そういえば、あの男もダーマに登り、ジャックたちの修行の手助けをしたという。
「カンダタも、まだここにいるのか?」
「さあな。モエギの話だと、謹慎処分くらったりしたらしいから、果たしてまともな職に就いたかどうか」
 間もなくしてクラリスが戻ってきた。ヨシュアは職務に区切りがついたら面会するとのことで、アルトとジャックは神殿の奥へと通された。
 てっきり客室かどこかへ案内されると思っていたが、連れてこられたのはヨシュアの執務室兼自室だった。大神官の個人的な部屋だと聞き、アルトが想像していたのは隙間なく本棚が並ぶ書斎だったが、思いの外その類のものはあまり置かれていなかった。おそらく、ヨシュア自身が生きた知識の収納庫なのだろう。
 部屋には来室した者のために用意しているのか、分厚いえんじのクッションが敷かれた、二人掛けの長椅子が一対置かれている。アルトはジャックと並んで腰かけ、クラリスはその向かいに座った。
「モエギさんは一緒じゃないのね。でも、あなたがジャックと来たってことは……」
「ああ……それは」
 アルトがテドンやサーラのことをかいつまんで話すと、クラリスは口を両手で覆った。
「そんな……あんまりだわ。なんて卑劣極まりない……バラモス!」
 怒りを含んだ拳で空を切るクラリス。アルトも、何故バラモスがテドンを滅ぼすよう仕向けたのか疑問に思っていた。
 地図上では、ネクロゴンドに最も近いのが南のテドンとなっている。かといってあの村自体に侵略価値があったとは思えない。
 考えられるのは二つ。オーブのことと、サーラの母レイラのことだ。
 出来ることなら、原因は前者であって欲しい。もし後者だとすれば、サーラはますます自分を責めるだろう。サーラのためにも、それは杞憂だと信じたかった。
 鍵とオーブについて、ネクロゴンドの地理と歴史、そして、テドンが滅ぼされた理由――これがヨシュアに言及する項目だ。それに加え、アルトに関してもヨシュア側から何らかの話がされるだろう。
 沈黙が広く取られた空間に満ちている。いよいよ、バラモスを討つため具体的に動き出す時が来たのだ。
 しばらくして、衣擦れの音が耳をかすめ、ヨシュアが現れた。一斉に立ち上がる。
「……ふむ。約束通り、連れて来たな」
 一瞥される。髪は話に聞いていた通り、銀糸のように真っ直ぐと下ろされているが、瞳の色もごく薄く空にかかった雲のような灰色だった。アルトは背筋を伸ばした。
「オルテガの息子、アルトです。お初にお目にかかります」
 深く一礼すると、ヨシュアは彫像のような顔をふ、と和ませた。
「……確かに、似ておる。あの男よりは、いくばくか年若い気もするが」
「ジイさん、気がするんじゃなくて実際そうなんだよ」
 すかさずジャックが突っ込むが、アルトはそれより父のことを見知っているようなヨシュアの口振りが気にかかった。
「父さん……父をご存じなのですか?」
 ヨシュアは返事の代わりに一つ瞬いてみせ、流れるようにジャックに視線を移した。
「そのことは追い追い話すとしよう。ジャックよ、クラリスの話によると、儂に会いに来たのは他の理由もあるそうだな」
「ああ。オレたちは、まだあまりにも知らないことが多すぎる。その上、アルトが色々持ち帰ってきちまって……忙しい所悪いが、話を聞いてもらえねえかな」
 ジャックはいつになく切実な眼差しをしていた。ヨシュアもそれを感じ取ったのか、クラリスの隣に腰を下ろすと、くぼんだ眼をこちらに向けた。
「良かろう。話してみるが良い」



 アルトは今までのことを簡潔に話し、鍵とオーブ、ネクロゴンド、そしてテドンのことについてを尋ねた。
「俺たちは、今まで流れのままに進んできました。そこで力をつけ、いつかバラモスに対抗出来れば……と思っていました。けれど、このままでは分からないことばかりなのです。どうか、ご助力をお願いします」
 頭を下げると、ヨシュアは思考を巡らせているのか豊かな髭を撫でつけ、厳かに口を開いた。
「ふむ。何から話せば良いのやら……。では、まずネクロゴンドについて話すとしようう。
 お前たちは、ネクロゴンドのことをどこまで知っておるのだ?」
「ネクロゴンドねえ……。アルトの話では、オルテガさんは火山に落ちて亡くなったらしいから、火山があるってことぐらいしか」
 ジャックがうなる。アルトも、実はそれくらいしか知識がない。アリアハン国王からはバラモスの本拠地がネクロゴンドである、ということしか聞かされていなかった。
 素直に打ち明けると、クラリスは呆れたように天井を仰ぎ、額を押さえた。
「あなたたち、よくもそんな知らない所へ魔王討伐に行こうとしてたわね……。お祖父様、わたしから話しましょうか?」
「いや、お前は黙っておれ」
 クラリスの申し出をやんわりと制止し、ヨシュアはアルトたちに語りかけた。
「……今でこそ、ネクロゴンドはバラモスに侵された不毛の地とされておるが、あそこはかつて小さな国だったのだ」
 アルトとジャックは顔を見合わせた。初耳である。
「決して恵まれた土地ではなかったが、あそこには古より人を置く必要があった。ネクロゴンドの王族は破邪の力を代々受け継ぎ、それをもってある場所を封じるのが古来の務めだったのだ」
「ある……場所?」
 アルトが首を傾げると、それにはクラリスが答えた。
「全ての災いは、『ギアガの大穴』より出ずる……その穴が、ネクロゴンドの中心にあるの。今からおよそ二十五年前、バラモスはそこからこの世界に現れたとされているわ」
「じゃあ、その時に国も滅びたってことか?」
「おそらく、破邪の結界が弱まった頃を見計らって、破ってきたのだろう……善戦空しく、ネクロゴンドは侵略された」
 沈黙が走る。いわばこの世界で最も始めに滅ぼされたのが、ネクロゴンドだったのだ。バラモスは数多くの屍の上に、自らの拠点を築いた。
「ネクロゴンドの人々は、皆バラモスの手にかかってしまったのですか? 生き残りはいないのですか?」
 すると、ヨシュアはまず自分を指差し、それからジャックとクラリスを見渡した。ジャックの目が点になる。
「は……? ジイさん、それどういうこと?」
 ヨシュアはあくまで落ち着き払っている。クラリスは怪訝な表情で声を潜め、問いかけた。
「あなた、お祖父様から聞いていなかったの? わたしはてっきりお祖父様が話したのだと……」
「だから、何? まさか、ジイさんやオレたちがネクロゴンドの……」
 ヨシュアに注目が集まる。大神官はこくりとうなずいた。
「今から百年前、ネクロゴンドの王族は自分たちのような能力者を出来るだけ後世に残し、育てようと分家を試みた。そしてバハラタの遥か北、人跡未踏の地であったこの高地にダーマを築いた。その開祖となったのが、儂の曾祖父ヨハンだ」
 アルトは隣に座る戦友の横顔を眺めた。『銀の賢者』である以上に、この青年に流れる血は重かったのだ。だがそれでも、ジャックの表情は王族の血などものともせず、むしろそれを取り込もうとする強かな笑みを宿していた。
「じゃあ、オレやクラリスにも破邪の力ってやつがあるんだろ? いいね、またオレの強みが増えた」
「でも、あなたもわたしもまだそれを引き出す方法を教わっていないわ。お祖父様、それは自ら得るものなのですか?」
 事実を知っていた割に、クラリスはどこが自信がなさげだ。ヨシュアはそれを勇気づけるように、しっかりと首を縦に振った。
「左様。儂が今までお前たちを導いてきたのは、あくまで賢者として育てたまでのこと。お前たちはもう、己の力で更なる悟りを開いていく段階だ」
 そうよね、とクラリスは自分に言い聞かせるようにしてつぶやいた。
「ヨシュア様、話は戻りますが、バラモスの元へ辿り着くためにはどうすれば良いのでしょう。火山があるのなら、それを乗り越えて行かなければ……」
 アルトが再び問うと、ヨシュアは表情を険しくした。
「火山もあるが、バラモスの城は険しい岩山に囲まれ、何人たりとも近付くことは出来ぬ。昔はそこへ繋がる洞窟があったが、たとえそこを抜けたとしても広大な湖が行く手を阻むことになる」
「では、方法がないのでは……」
 アルトは言いかけて、ふとポルトガ王の甥ジェフの言葉を思い出した。
 六つのオーブを集めた者は、船を必要としなくなる――その旨を話すと、今度はオーブへと議題が移った。
「オーブ……宝珠についてだが、儂もあれがいつの世から存在するのかは分からぬ」
 オーブは古の時代、竜の神が産み落としたものとされ、世界各地で保管されていた。だが、人間たちが己の私欲や戦に利用し、略奪と高額な売買によってそのほとんどが行方知れずとなったという。
「オーブってのは、そんなに価値のあるモンなのか?」
 ジャックが訝しげに尋ねると、クラリスが早口で解説した。
「オーブは非常に無垢で、それでいて無限大の力を持っているの。所持者の願望や能力に呼応し、それを最大限に増幅するのよ。だから所持者によってその力は、善にも悪にも働くわ。ただ、一人の所持者につき力を使えるのは一回だけだし、オーブを扱えるのは選ばれた人間だけ。だからオーブは人から人の手に渡って、どこにあるのか分からないの」
 アルトは緑のオーブのことを思い出した。もしかすると、テドンがあのようになったのは、オーブの力のせいではないか?
 テドンの一連の出来事を、アルトは事細かに話した。目も当てられない程破壊された村の有様と、そこで出会った、限りなく現実に近い幻。ヨシュアは黙って聞いてくれたが、クラリスは戸惑いがちにこう返した。
「それは、オーブがあなたたちに感化されて……」
「いや、俺たちがオーブを手にしたのは幻が消え去ってからだった。手にもしてないのにそんなことがあるのか?」
「それは……分からないわ」
 クラリスはアルトの気迫にたじろぎ、祖父の意見を仰いだが、ヨシュアも黙り込んでいる。見かねたジャックが代わりに発言した。
「アルト、そのオーブがあった場所に白骨死体があったって言ってたよな? なら、そいつが幻を生み出したと考えられねえか?」
「けど……何のために」
 ジャックもさすがに検討がつかないらしく、さあな、と首をひねった。
「じゃあ、バラモス側は? オーブを狙ってテドンを襲ったのか?」
「それも分からねえ。だが、少なくともテドンが滅ぼされたのはオーブのせいだけじゃねえ。考えてみろよ、テドンはネクロゴンドの目と鼻の先だぜ? いくら小さくても村一つ無くなりゃ……そりゃ、手柄だろうさ」
 アルトはさらにレイラのことについて話そうとしたが、口にするのは阻まれた。おそらく、ジャックの脳裏にも、サーラのことがよぎっただろう。
 理由が何であれど、これ以上テドンやサーラのような犠牲者を出したくない。今はその思い一つがあれば良い。アルトは高ぶる感情を懸命に落ち着かせた。
「……話を戻そう。民にとって、宝珠は単なる値打ち物でしかない。だが、その真価は別の所にある」
 ヨシュアはおもむろに立ち上がると、本棚から一冊の書物と世界地図を取り出してきた。書物の装丁は所々剥げかけており、本文は黄ばみが目立つ。ヨシュアはその中の一節を読み上げた。
「『六つの宝珠が南の天涯に集いし時、神鳥蘇りて地涯を渡らん』」
「神鳥……って、つまりは鳥か?」
 ジャックが不思議そうにつぶやく。そこでアルトは気付いた。
「つまり、その鳥が、ネクロゴンドまで導いてくれるのですね?」
 大神官はゆっくりと首を振り、肯定した。
「おそらく、そうであろう。竜の神は後の乱世の発端がギアガになると考え、それに立ち向かう者がネクロゴンドへ辿り着けるよう、宝珠に神鳥の子種を託したのだ」
「それでは、もし俺たちがオーブの所持者となるなら、その力は全て神鳥のために使わなければいけないということですか?」
「無論、その通りだ」
 オーブの力は一回しか使えない――それをテドンでの出来事の解明に使えたらと思ったのだが、どうやらそれは叶わないらしい。
「で? ジイさん、天涯とか地涯ってのは?」
 ヨシュアは地図を卓上に広げると、まずネクロゴンドを指した。
「『地涯』とは、つまり地の果て……ネクロゴンドのことだ。さらに、『南の天涯』というのは」
 節くれだった指が、ネクロゴンドの南西の隅にある島に置かれた。
「言い伝えでは、この島……レイアムランドが、そう見なされておる。島には神鳥の守護者がおり、宝珠が集う時を待ちわびているという。宝珠が全て揃った時は、ここを訪れると良い」
 レイアムランドは極寒の地だというが、船で向かうことが出来るそうだ。その際は防寒を怠らないようにと、ヨシュアに釘を刺された。
 現在、オーブがあると判明しているのはランシールだけだ。だが、ランシールの神殿の神官はこう告げた。神殿に入れるのは、『地に許されし者』だけだと。
「ジイさん、今度は鍵について教えてくれねえか?」
 ヨシュアは口元に手をやり、髭をもぞもぞと動かした。どんな言葉が出てくるのだろうと思いきや、
「クラリス。喉が渇いた。茶を用意せよ」
 アルトは思わず拍子抜けし、ジャックは頭を抱え嘆息した。慣れているのか、クラリスだけは何もためらうことなく従い、さっと部屋を出ていった。
「ジイさん……相変わらずだな」
 ヨシュアは平然としている。ジャックからその人柄は聞いていたが、独自のペースを持った人間のようだ。だが、どこか憎めない。
 間もなくして、クラリスが人数分の紅茶を手に戻ってきた。ヨシュアはそれを受け取り一口すすると、口を開いた。
「では、気を取り直して話そう。鍵は、かつてネクロゴンドが全て管理していたのだ」
「それでは、何故その内二つがアリアハンとイシスで保管されていたのですか」
 アルトの問いに、ヨシュアはこう返答した。
 ネクロゴンドも、竜の神と同様後の乱世に備え、一つを当時全世界を統治していたアリアハンに、もう一つを近国で親交のあったイシスへと寄贈した。それが今から五十年前だという。
「鍵を保管する国では、それに対応した扉を各々で造った。そのため、ランシールにあるとされる宝珠も、最後の鍵を保管していたネクロゴンドが管理していたのだろう」
「ジイさん、ネクロゴンドの人間が管理してた鍵の行方は分からねえか? 手がかりもねえのか?」
 ヨシュアは瞳を閉じ、首をふるふると横に振った。
「それは、儂にも分からぬ。ただ、バラモス側が既に奪ったということはないであろう」
「そうね。もしそうだとしたら、ランシールにあるというオーブも残ってはいないでしょうし」
 クラリスも口添えする。それは心強い情報だと言えるだろう。
「なら、これ以上は自分たちで調べるしかないな……」
 アルトとジャックは互いにうなずいた。これで、鍵とオーブを探すことに明確な理由が出来た。
「よし。鍵とオーブについてもはっきりしてきたし、ジイさん、そろそろそっちの話をしてくれねえか?」
 ヨシュア側の話――先程ジャックとクラリスが交わした会話に関連することだろう。アルトは固唾を飲んでヨシュアの言葉を待った。
「ふむ。では、アルトよ。お前の父オルテガのことから話そう」



 これまで、様々な人間からオルテガの話を耳にしてきたが、この老人は父のことをどのように記憶していたのだろうか。
「十数年以上前のことか……アリアハンの当時の国王から、オルテガという男がダーマを訪れた際援助をしてもらえぬかと要請があった。将来、必ずやバラモスを討つであろう男だと、大げさなくらいの肩の入れようであった」
「確かに、代は変わりましたが、今の国王は俺に対しても大いに期待されているようでした」アルトは恐縮しつつも付け加えた。
 そのオルテガが、要請のあった数ヵ月後実際にダーマへと登ってきた。ヨシュアは直々にオルテガと面会した。
「しかし、当時の国王の期待のかけようもまんざらではなかった。オルテガは、当時はまだ青年と言っても良かっただろう。だが、大地深く根付く樹のような佇まいと、漆黒に限りなく近い瞳の穏やかさが、印象的だった」
「なら、あながちあなたと似てなくもないわね。あなたもとても澄んだ瞳をしているから」
「そ、そうかい?」
 クラリスが大きくうなずく。アルトは照れくさくなり、頬を軽く掻いた。
「ふーん。オレにはそんなこと口が裂けても言わねえのにな」
「いじけないでよ。いい? あなたとアルトさんは品行からして違うのよ」
 けっ、とジャックが口を尖らせる。アルトは苦笑せざるを得なかった。
「まあまあ。それと、クラリスも俺のこと呼び捨てでいいよ。同い年だろ?」
 クラリスはありがとう、と華やかな笑みを向けた。本当に、ジャックだけには手厳しい少女である。
「うむ。続きを話すが、あの男もネクロゴンドのことを儂に尋ねてきた。オルテガは、ダーマの開祖である儂の曾祖父がネクロゴンド出身であることも、きちんと知っておった」
 おそらく、アリアハン国王から聞いたのであろう。アルトと違い、オルテガは旅立つ時既に大人であったし、アリアハンが鎖国したのはつい数年前のことだ。当時はアリアハンも世界の事情に明るかったのだろう。
「儂はネクロゴンドの歴史と地形について、オルテガに説いた。勿論、神鳥の伝承も教えたが、あの男はまず船が欲しいと言っておった。そして北東へ発っていった」
「……それだけですか?」
 アルトが問うと、ヨシュアは否、とつぶやき、目付きを鋭くした。
「そのさらに数ヵ月後、オルテガが再度戻ってきたので面会したのだが……あの男は儂が名を教えた、とある魔法を習得していたのだ」
 ヨシュアは両手を組み、紐解くようにしてその名を口にした。
「神に選ばれし者のみ唱えることが出来る、心に秘められた魔法……ライデイン」
 アルトにはヨシュアの真意が図りかねた。考えた末、尋ねてみる。
「つまり、オルテガの息子である俺も、その魔法を使えるかもしれない……ということですか?」
 オルテガの息子だから、それに匹敵する器なのかを見定めようとしているのだろうか。だとしたら、余計なお世話だ。
 この老人も、結局は自分を英雄の息子と見なしているのだ。アルトはいささかヨシュアに失望した。
「お言葉ですが、俺は父とは別の人間です。そんなことを言われても」
「アルト、聞いてくれ。お前なら本当に唱えられるかもしれねえんだ」
 ジャックが言い聞かせるようにアルトの両肩を掴む。この男にしてはやけに真剣だ。
「お前、魔法は構成で唱えてるだろ? 名前だけで発動させてるもんな。
 それは、魔力を持っている奴でも物凄く高度な詠唱方法なんだ。魔法使いや僧侶でも出来ない奴が大勢いる。それを、剣術に長けたお前が易々とやってのけてる。それだけでもすげえことなんだ」
「確かに、そうかもしれないけど……ライデインなんて魔法は聞いたことがないよ」
 そうだよな、とジャックはヨシュアを見やり、続きを促した。
「オルテガは、魔法には特別長けていなかったが……道中強敵に遭遇した折、魔力の高まりと共にライデインを唱え、発動に成功したという」
 ヨシュアは、心に秘められた魔法はその名を唱え、それに相応する魔力があれば発動することが出来ると説明した。
「ですが、神に選ばれし者とは一体……」
 それも伝承なのだろうが、それこそ大げさすぎやしないか。父はそうだったかもしれないが、たとえ息子であっても自分には関係ない。
 ヨシュアは琥珀石のような瞳で真っ直ぐアルトを見つめ、告げた。
「心に秘められた魔法を使えるのは、神に選ばれし『勇者』のみ。天と地に許されし者も、暗にそれを指している」
 勇者――。アルトはゆっくりと味わうように、その言葉を口の中で転がす。
 ポルトガ王ロカは、許されし者をすなわち『勇者』だと口にしていた。世界の全てを知るには、危険が伴う。それに打ち勝つからこそ、知ることが出来る。それを勇者と呼ばずして何と呼ぶ――あれも、あながち嘘ではないということか。
 ならば、最もそれに相応しかったはずの父は、何故天にも地にも許されることなく、ネクロゴンドで果てた?
「ヨシュア様。貴方に会っておきながら、父は何故鍵もオーブも手にせず、ネクロゴンドへ向かったのですか?」
 せめて、アリアハンとイシスから二つの鍵だけでも手に入れることが出来たはずだ。なのに、何故。
 ヨシュアは眉間に深くしわを寄せ、うめくように声を発した。
「……あの男は、あくまでネクロゴンドのことだけを知りたがっていた。また、オルテガは再度面会した際、こう話していた」
 オルテガは、最初にダーマを訪れてから北東へ発った際、その道中で魔物の手により深手を負ったという。それをとある村の人々に介抱され、何とか治癒したが、若干後遺症が残ったらしい。
「それ故、一刻も早くバラモスの元へ辿り着かねばと焦っておった。あの男は神鳥に頼らずとも、奴の城へ潜入する方法を模索しようとしたのだろう……それから船を手に入れるためポルトガへ向かうと言い残し、それきりとなった」
 日射しが徐々に弱くなってきた。ジャックは紅茶を飲み、ぬるいとぼやいた。
「では、その勇者というのは父ではなく、俺だと言うのですか?」
 尋ねると、ヨシュアは静かにうなずいた。
「現に、二つの鍵と宝珠が一つ、お前たちの手にある。
 アルトよ、お前は今までオルテガの息子として期待されてきたのであろう。だが、お前は既に父とは別の新たな道を歩み始めている。お前はいつか、オルテガを凌ぐであろう」
 そう告げ、ヨシュアはカップの中身を飲み干した。
 自分が、『オルテガの息子』と称されたことは数知れない。だが、『勇者』などという大それた存在だということは実感が湧かない。すんなりと受け入れられる方がどうかしている。
 アルトが言葉を失っていると、ノック音が聞こえ、若い神官が姿を見せた。
「失礼します。ヨシュア様、お取り込み中申し訳ありませんが、ソフィア様がお呼びです。至急お越しいただけますか」
「うむ。直ちに向かおう」
 ヨシュアは立ち上がり、アルトを見下ろした。
「では、最後に一つ言おう。
 お前は、剣にニフラムを宿し、対峙した者を倒したと言ったな。武器に魔法を定着させるのは、本来人間でない者の技とされておる。
 お前は、己の発想一つでそれをやってのけた。それが、何よりの証拠だ」
 茫然とするアルトを尻目に、ヨシュアは部屋を後にした。その途端、ジャックが呼吸を止めていたかのように大きく息を吐き出した。
「まいったな……ジイさんには。これじゃ、アルトにプレッシャーかけるだけじゃねえか」
 でも、とクラリスは髪を翻し弁護した。
「お祖父様も、貴方たちに希望を託したいのだと思うわ。貴方たちは成り行きで鍵とオーブを手に入れたのかもしれないけど、それはとてつもなく幸運なことよ。こうなったら、伝承の通り神鳥を蘇らせないと」
「そうだけどよ……」
 ジャックは元気をなくした子供をなぐさめるように、アルトの顔を覗き込んだ。
「アルト。勇者だとか、そういうことはあんまり気にすんな。ほら、オレだって大神官の孫だのネクロゴンド王族の子孫だの、肩書きはどんと増えちまったけど……かといって自分がいきなり変わっちまうことはねえだろ? お前はこれからも、お前のままで進めばいいんだ」
 わざと乱暴に肩を叩くジャック。アルトはかろうじて微笑んだ。ジャックのその自然体は、大いに見習うべきだ。
 だが、ヨシュアの言葉から受けた衝撃は、そう簡単には消化出来るものではない。沈黙を続けていると、ジャックとクラリスが勝手に会話を始めた。
「となると、次はどうするべきだ?」
「そうね……鍵のうち二つはアリアハンとイシスが保管していたのよね? なら、その国の誰かがもう一つの鍵のことを知っているかもしれないわ」
「なら、近いのはどっちかというとアリアハンか……イシスはルーラじゃちょっとキツイな」
 話の展開からして、次の行き先はアリアハンになるだろう。だが、アルトはヨシュアが言っていた、オルテガを介抱したという北東の村が気にかかった。
「なあ、その前に……ここの北東にある村に行きたいんだけど、いいかな」
 切り出すと、ジャックとクラリスは意表を突かれたのか、揃って目を丸くした。
「それは、それでいいけどよ。オルテガさんのことでか?」
 アルトは深くうなずいた。
「ああ。もしかすると、今も父さんのことを覚えている人がいるかもしれない……。父さんのことをもっと知ることが出来れば、俺ももう少し気持ちに整理がつくと思うんだ」
 本当は、一刻も早く鍵やオーブを探さなければいけないのだろう。だが、サーラのことも気にかかるし、今は多少遠回りする方が良いと思ったのだ。
 クラリスは手際良くダーマの北東を指でたどり、指し示した。『ムオル』と記されており、そこへ行くには一旦ダーマの東の山脈を南下し、そこからさらに北上しなければならない。おそらく、長旅になるだろう。
「途中に、中継地点になっている宿場があるはずよ。食糧を十分に持って、天候に気を付ければそう難しい道程ではないわ」
「よし、まずはそのムオルに行ってみて、それから鍵のことをアリアハンで聞いてみるとすっか!」
 ジャックが勢い良く立ち上がり、伸びをする。クラリスは地図と書物をしまうと、アルトにそっと声をかけた。
「……アルト、戸惑わせてしまってごめんなさい。元はといえば、わたしがジャックからあなたの話を聞いて、それをお祖父様に話してしまったのがいけないの。そうしたら、お祖父様があなたに会いたがって……」
 アルトもゆっくり腰を上げ、クラリスに微笑みかけた。
「そうだったんだな。……大丈夫、俺が何者であっても、バラモスを討ちたい気持ちは変わらない。
 俺には、奴を絶対に許せない理由があるから」
 まぶたの奥に浮かぶのは、サーラの打ちひしがれた姿と、ランシールの夜自分を映していた、燃えるように紅い瞳だ。
 もう、サーラを悲しませたくない。サーラを、幸せにしてやりたい。
 ジャックとクラリスは息を呑むようにしてアルトを見つめていたが、やがて小さくつぶやいた。
「……そうか。それなら、大丈夫だ」
 ジャックはクラリスに向き直ると、アルトの肩を抱き白い歯を見せた。
「クラリス、ジイさんに礼を言っといてくれ。今日はひとまずバハラタに戻るけど、また何日かしたらダーマに寄って、それからムオルを目指す。今度はモエギの奴と、サーラさんも連れてくっから」
「ええ。こちらでも旅の援助が出来るよう、お母様にも話しておくわね」
「ああ。おばさんによろしくな」
 ジャックは肩に置いていた手を背に伸ばし、アルトを押し出しながら部屋を後にした。
「ありがとな、ジャック。お前のおかげで色んな話が聞けた」
「おう。あとは、サーラさんの調子次第だな」
 うなずき、アルトは幅狭な廊下を歩きながらサーラに想いを巡らせた。
 大切なものを失った傷は、そう簡単に癒えるものではないだろう。ましてや、それはあまりにも理不尽な形で、いっぺんに奪われてしまったのだから。
 せめて、また立ち上がり、歩き始めることが出来るようになるには、どうすれば良いのだろう――
 アルトの思考は、いつしかサーラのことで埋め尽くされていった。