英雄の息子 1



 子供は親を選べないもんなあ、と誰かが言った。
 名は覚えていない。ただ、ごく普通の家庭に生まれた子供だったことは確かだ。
 そんな皮肉がついて回るあの場所が嫌で、自ら立ち去った。
 だが、自分についた二つ名を断ち切ることは不可能だったし、したくなかった。それはすなわち、父の存在を否定することになるからだ。
 だから、その名に恥じぬよう生きてきた。大人たちは皆、自分を出来た子だと褒め称えてくれた。それに応えようと、より一層鍛錬に励み、己を高め、慎ましく振る舞った。たとえ同年代の子供たちから、敬遠されても。
 けれど、あの人だけは、何の名にもとらわれない、ただの少年である自分を見てくれたような気が、したのだ。



 バハラタ南に位置する港は人々の集落と言うより、バハラタと外界を結ぶただの中継地点と表現した方が正しかった。民家は点々と存在するものの、そのほとんどが廃屋のようだった。
 サーラたちが船を波止場に泊めようとすると、一人の老人が慌てて民家から飛び出してきた。まるで恐ろしいものでも迫ってきたかのように動揺していたが、サーラたちの姿を目に捉えたのか、力が抜けたようにその場にしゃがみ込んだ。
 梯子を下ろし、地上に降り立つと、老人はのろのろと近寄ってきた。
「いやあ、幽霊船にしては立派な船だと思ったわい」
「驚かせたようですみません。俺たちは旅の者で、バハラタに用があってこちらに船を泊めさせてもらいました」
 アルトが頭を下げる。老人に続き、その妻と思われる老婆が顔を見せた。
「まあまあ……お爺さんが窓の外を見ていたらいきなり出ていったものだから、何事かと思ったけれど……あなたたち、どこからいらっしゃったの?」
 老夫婦は腰をかがめているので、目線が低い。自然、見上げられるような形になり、サーラは顔を伏せた。アルトが丁寧に対応する。
「俺たちはポルトガからずっと、西の大陸を回ってきたんです」
「ポルトガ……! 何でまた、そんな遠国から……」
 老夫婦は揃って目を見開いている。アルトが手短にいきさつを話すと、彼らは戸惑いつつも長旅を続けてきたサーラたちを気遣い、家に招き入れてくれた。
 民家と呼ぶにはあまりにもこぢんまりとした、小屋のような家に通され、老婆が麦飯を出してくれた。中には使い古した漁の道具などが所狭しと並べられており、必要最低限の生活用品しか置かれていない。
 老夫婦は何カ月ぶりの来客だろう、と声を弾ませた。
「昔はのう、ランシールやアリアハンと定期船が行き交っておったんじゃよ。じゃが、アリアハンが鎖国してからはとんと船が途絶えてのう。いつしかこの港からも人が去ってしもうた」
 老人は薄くなった頭を撫でつけながら、遠い目をした。
「それにしても、あなたがたは何でまた、こんな真冬に船旅なんて……魔物も凶暴になっていると聞くのに。しかも、あんな立派な船にたった二人で」
 老婆は年齢を感じさせない、少女のような口調で尋ねてくる。あのような船を一介の旅人が持てるはずもないので、アルトは当たり障りのない程度に魔王討伐のことを話した。老人の目が途端に輝く。
「何と、お前さんがたのような若者がのう! しかし、お前さんはあの方とどこか顔立ちが似ておる。はて、名は何じゃったか……」
「オルテガのことですか? オルテガは俺の父です。父をご存じなんですか?」
 そうじゃ! と、老人が大きく手を打った。老婆も口に手をやり、まじまじとアルトを見つめる。
「そうか、お前さんがオルテガ様の……うむ、わしはあの方を知っておるよ」
 老人はしきりにうなずくと、猪口に酒を注いだ。外はもう薄暗く、翌朝出発することにしている。
「わしがまだ漁をやっていた頃、この港を訪れてのう。漁師だったら、間違いなく網元になれたじゃろうな、あの方は……それ程たくましく、曇りない目をした方じゃった」
 アルトはにこやかに老人の話に聞き入っている。アルトにも祖父がおり、アリアハンを旅立つ前に一度挨拶したのだが、この老人同様気さくな好々爺だった。もしかすると、その祖父を懐かしんでいるのかもしれない。
 サーラが黙って耳を傾けていると、老婆が気遣わしげに声をかけてきた。
「わたしもね、もう何十年も生きてきたけど……あなたほどきれいなお嬢さんを見るのは初めてだわ。なのに、さっきからずっと悲しそうな顔して……何かつらいことでもあったの?」
 老夫婦にはテドンのことは話していないし、このような辺境に住んでいてはテドンの凶報も伝わってこないだろう。サーラは出来るだけ笑顔を作れるよう努力した。
「……いえ。長旅で疲れているだけです。いらぬ心配をかけて申し訳ない」
「そう……ここは何もない所だけど、寝床ぐらいはいくらでも貸してあげるから、どうぞゆっくりしていってね」
 穏やかな土地柄なのだろう、バハラタの女性はモエギの母ワカバも含め、皆世話好きな印象を受ける。だが、今のサーラにはそれがかえって心苦しかった。
「お前さんがたはバハラタに用があるそうじゃが、そっちに向かっている間はわしらが責任を持って船を預かっておこう。安心してバハラタに行きなされ」
「しばらく戻ってこれないかもしれません。それでもお願い出来ますか?」
 アルトの申し出に、老夫婦はもちろん、と同時に首を振った。



 サーラたちは老夫婦に見送られ、早朝港を発った。その際、舵手のダンや乗組員たちには船を守ってもらうよう頼んでおいた。
 今後の進路はひとまず、モエギやジャックと再会してから決めることにしている。とはいえ、一口にオーブと鍵を探すとは言えど、片っ端から世界各国を回る訳にはいかない。
 そもそも、バラモスの居所はネクロゴンドだということは分かっているが、手がかりはそれだけで、地形も移動手段も詳しくは知らない。魔王討伐を掲げている割にはあまりにも漠然としている。
 今までは流れのままに進んできたが、船を持った今はそうもいかないだろう。サーラたちはまだ、世界のことに対して無知だった。
 比較的温暖なバハラタ地方だが、真冬ともなれば空気はさすがに冷えており、自然と足取りも鈍る。だが魔物に遭遇することもほとんどなく、道程は概ね順調だった。
 恋仲になったとはいえ、サーラとアルトの関係はそう簡単に変化するものではなかった。交わす言葉は仲間としてのものが大半を占め、何より今は口数も少ない。お互い、早くモエギやジャックに会いたい気持ちが強いのだろう。だがそれでも、二人の間に流れる空気は以前とどことなく違っていた。
 数ヵ月振りに戻ってきたバハラタは、心なしか彩りを失っていが、それも凍える季節のせいだろう。まばらな石畳の感触が懐かしく、サーラとアルトは踏みしめるようにしてゆっくり進んでいった。
「帰ってきたんだな……」
 アルトが感慨深げに町並を見渡す。顔を覚えているのか、町民たちが次々と声をかけてくる。アルトは快く応対していたが、サーラは会釈だけをして、目的の場所を目指した。
 規模も造りも異なるが、この町はテドンと違い確かに存在している。人の息吹が感じられ、あらゆる生命が息づいている。今まではそれが当たり前だと思っていた。
 だが、サーラの故郷はもう、全てが奪われた。
 モエギの家に到着すると、アルトは大きく息をついた。
「ジャックもモエギも、びっくりするな、きっと」
 サーラがうなずくと、アルトは真顔になり、扉をノックした。程なくしてワカバが顔を見せ、二人の姿に絶句した。
「……あなたたち」
 ワカバが慌ただしく奥へ駆けていったかと思うと、すぐに彼らの声が聞こえてきた。
「ちょっと、押さないでよ! 子供じゃあるまいし!」
「お前に言われたくねえよ! ほら早く行けって!」
 やがて、押し出されるようにして小柄な娘と、銀髪の青年が現れた。モエギはそろりと、中腰のままサーラを見上げる。豊かな黒髪は、ばっさりと切り落とされていた。
「……モエギ、その髪」
 モエギは姿勢を正すと、元あったものを探るように手をやり、途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「あ、ああ……切ったの。色々あって……」
 消え入るような声でつぶやき、モエギはじっとこちらを見つめた。サーラは、小さく首を横に振った。
 のしかかるような静寂が、四人を包む。
 モエギの顔がみるみるうちに歪んでいくが、懸命に取り繕ったのだろう、かろうじて微笑み、告げた。
「……サーラ、アルト君、おかえり。ずっと、待ってたんだよ」
 小さな手が、そっとサーラの手に触れる。ジャックを見ると、眉を八の字に寄せ、必死に笑顔を浮かべている。
 ――帰って、きたのだ。帰る場所は、もう一つここにあったのだ。
 言いようのない感情が押し寄せ、瞳から堰を切ったように、透明なものが溢れ出した。
 モエギはサーラに抱きつき、声を殺して泣き始めた。サーラはされるがまま、ただ頬を伝うものを止めることも出来ずに、立ち尽くしていた。



 サーラの涙は、渇くことがなかった。号泣という程ではなかったのだが、何も言わずにずっと、白い頬を濡らしていた。アルトは共に泣くことも、なぐさめの言葉もかけることも出来ず、サーラとモエギが肩を震わせ抱き合っているのを見守るほか術がなかった。
 ワカバの計らいで、サーラはモエギの部屋に通され、モエギが付き添った。その間、アルトは居間でジャックと向かい合い、今までのことを話した。ジャックはダーマでのことを後回しにし、テドンやランシールでの出来事に黙って耳を傾けてくれた。
 ジャックは聞き終えると、鼻から息を出し椅子にもたれかかった。昼過ぎに着いたのが、もう夕暮れ時になっている。
「……そっか。そりゃ、苦労したな」
 ワカバが淹れてくれた茶はすっかり冷めていた。アルトは残り少なくなった中身を飲み干すと、目を伏せた。
「ポルトガを出てからは、乗組員の皆はいたけれど、サーラもずっと感情を押し殺して、気を保っていたのかもしれない」
「まあ……な。それはしょうがねえよな。サーラさん強がりだから、ホッとして心が折れちまったのかもな」
 うなずいてみせたが、心の中は自責の念でいっぱいだった。
 サーラは、テドンから出航した時よりずっと脆くなっている。口数があからさまに少なくなり、笑顔が消えた。アルトも出来る限り気遣ったつもりだったが、あの涙を目の当たりにすると、力が及ばなかったのだろうかと悔んでしまう。
 思い詰めているのが伝わったのか、ジャックがため息をついた。
「アルト、お前までそんなんだったらサーラさんも元気になれねえぞ? サーラさんはやっと落ち着ける場所に帰ってきて、緊張の糸が切れたんだろ。お前のせいじゃねえよ」
「けど……」
 なおも渋ると、ジャックは言いにくそうに口を動かした。
「お前がさ、その……サーラさんのこと好きなのは分かるけどよ。まだ恋人じゃあるまいし」
「いや、それが……」
 サーラとの一連の出来事を打ち明けると、ジャックはしばし茫然としていた。が、気を取り直すのは案外早かった。
「そうかよ……あのサーラさんがなあ。うらやましいねえ」
 あの時のことを思い返すと、心が浮き足立つと同時に自己嫌悪を覚える。誰よりもつらいのはサーラだったはずなのに、己の感情にとらわれ、情けない姿を見せてしまった自分が恥ずかしい。
「……でも、俺はサーラを守るにはまだ力が足りない。もっと、強くなりたい」
 爪痕がつくくらい、拳を握りしめる。自分がまだ未熟な人間であることを、痛い程思い知らされた。
 あれではまるで、あの時と同じではないか――
「そうだな。オレにしちゃ、年上の女になぐさめられるってシチュエーションはぐっとくるものがあるけど、さすがにこの歳じゃねえな。ま、お前ならまだ許されるさ。その昔の男ってのも、不憫ではあるけどな」
 アルトはディートの最期を思い出した。いくら魔物化したとはいえ、元は同じ人間だったのだ。心の臓を貫いた重みが、今もこの手にありありと残っている。だがそれと同時に思い起こされるのは、ザキをくらった時の全身が闇に蝕まれていくような喪失感だ。
 アルトが殺さなければ、アルトが殺されていた。
 ワカバは気を利かせてくれたため、外に出て行ったきりだ。そろそろ戻ってくるだろうかと窓の外を見やると、奥から足音と共にモエギが姿を見せた。
「サーラは?」
 モエギは腫れぼったい目でこちらを見、肩を落とした。
「今は泣き疲れて眠ってるけど、あたしと話してる間もずっと泣いてた。多分、何日かはみんなで話すことも出来ないと思う」
「俺とも……話せないのか?」
 アルトが問いかけると、モエギはしばし見つめ返してから、申し訳なさそうにうなずいた。サーラも、モエギにアルトとのことを話したのだろうか。
「これ以上心配かけたくないって。どうしても会いたいなら、起こさないように様子見てあげて」
「そういうお前もすごい目してるぞ。冷やすか?」
「あ、うん……ありがとう」
 ジャックはおもむろに立ち上がると、布巾を拝借して水に浸し、モエギに手渡した。この二人の関係も、少々変わったような気がする。具体的には、売り言葉に買い言葉ばかりではなく、互いに思いやるようになったと言うべきか。
 ジャックとモエギにも、この数ヵ月で様々な出来事があっただろう。少しずつでいいから、話を聞きたい。
 やがて、陽が沈む頃ワカバが夫のセイジと仲良く帰宅した。アルトとサーラの帰還で、ごちそうを振る舞おうと食材を調達していたらしい。沢山買い込んでしまったわ、とワカバは明るく笑いかけた。
 夕食はサーラを除いた面々で摂り、モエギが取り分けたものをサーラに運んだ。食卓では主にジャックの修行や、ダーマのことが話題になり、何故モエギが髪を短くしたのかも判明した。
 モエギはよく修行に耐えられたよね、と憎まれ口を叩いてたが、ジャックは元々根は真面目なのだ。そうでなければ、家族のために盗賊にもならなかっただろうし、賢者への道などとうに諦めていただろう。そうジャックに語りかけると、本人は「真面目なのはお前とサーラさんで事足りてるんだよ!」と一蹴してしまった。
 夕食後、モエギに了承を得、アルトはろうそくを手にサーラの様子を見に行った。モエギのベッドに横たわり、サーラはひっそりと寝息を立てている。だが、見るからに憔悴しており、肌もつやを失っていた。
 アルトは音を立てないようベッドの傍らに立膝をつき、サーラの顔を眺めた。そっと頬にかかった髪をよけてやると、微かに眉が動く。伏せられたまつ毛が滲み、涙が一筋、日焼けを知らない肌に消えていった。アルトの胸にやりきれなさがこみ上げる。
 何があっても正面から向き合い、決して逃げないこと――イシスの女王の教えの通り、サーラの悲哀に満ちた狂気も、ディートを失った虚無感も自分なりに受け止めてきた。それをサーラがぶつけてきたのは、ただ頼れる者がアルトしかいなかったためなのだろうか。そんなはずはない。
 自分は、サーラにとってはまだ幼く映る時もあるのかもしれない。だが、それに関係なく、本当は甘えて欲しいのだ。心を委ねて欲しいのだ。
 甘えることを拒まれる方が、かえって不安になる。
「……おやすみ」
 涙の伝ったあたりを撫で、アルトは静かに部屋を出た。