悟りの書



 モエギは、訓練場の中で一人地べたに座り込み、奇妙な装飾の施された鉤爪と睨み合っていた。古代のイシスの王を模したとされる装飾は相変わらず、不敵な笑みをたたえている。
 ここはダーマの中に数多く設置されている訓練場の中でも、武術を志す者たちが集まる所だった。生憎宿で仲良くなった娘たちに同種の者はおらず、モエギは筋肉隆々の大男や、痩身の修行僧に混じって鍛錬に励んでいた。
「よっ、何黙って座り込んでるんだ?」
 顔を上げると、黒髪の青年――とはいえ、顔つきはモエギ同様歳より幼く見える――が、興味深そうにこちらを覗き込んでいた。
「チュン。あんたこそ、さぼってないで技の一つでも編み出したらどう?」
 青年――チュンは有無を言わずモエギの隣に腰を下ろすと、稽古着の中をあおいだ。武闘家にしては薄っぺらい肉付きをしている。
 このチュンという青年は、訓練場に顔を出すようになってから時々居合わせるようになり、言葉を交わすようになった。歳の近い者が他にいないというのが、理由の一つだ。
「なあ、この悪趣味な爪どこで手に入れたんだ? おれなら絶対こんなの使いたくないなあ」
「あたしだって、好きで使ってる訳じゃないんだからね! これは、えーと、その……もらいものよ!」
 モエギの白々しい嘘にもチュンは疑う素振りを見せず、ふーんと答えるだけだった。この数週間の付き合いでチュンに抱いた感想は、とにかく能天気な奴、ということだった。
「そういえばさ、あんたたまに宿屋ででかい図体したおっさんと喋ってるよな。しかも結構楽しそうに」
「どこが! あんなロリコンオヤジ、さっさと別れたいくらいよ!」
「え、あのおっさん、まさかあんたの恋人……」
「そういう意味じゃない!」
 すると、チュンは先程より半オクターブ高い声でふーん、とやけに嬉しそうにつぶやいた。
 この青年は、話によるとダーマのふもとにある村の農家の三男坊だとかで、特にやることもなく軽い気持ちで武術を学ぼうと上ってきたらしい。とはいえ、ここでは熟練した武闘家に教えを請うにはそれなりの金がかかるので、最初は独学で修業を積んでいたらしいのだが、今はあろうことかモエギから学ぼうとしているのだ。
「とにかく、あんたは昨日あたしが教えた型を練習しててよね!」
 チュンはほいほい、と気の抜けるような返事をして離れていった。モエギは肩を落とし、こめかみを押さえた。
 気を取り直して、目の前の鉤爪を見つめる。モエギはこの爪に、ある確信を持っていた。
 星降る腕輪の効能があったため気付かなかったが、この爪を装備して戦っている時、どうも操られている気がする――否、操られているのだ。
 思いにもよらずカンダタに傷を負わせてしまった時、この爪は魔物どころか、人間の血までをも欲していた。あの時は人間を傷付けたくないという迷いがあったので、余計爪に支配されたのだろう。
 だが、捨てたりしたらそれこそ祟りが起こるだろう。この爪を使いこなすには、他の人間を巻き込まないように修行を積まねばならない。
 モエギは立ち上がると、爪を手にチュンの元へ歩いていった。
「チュン、ごめん。あたしこれから一人で修業する」
 チュンは型の動作のまま固まり、モエギをまじまじと見た。
「えっ? 何言ってるんだよモエギ。じゃあおれ、誰に武術習えばいいんだよ」
「他の人に教えてもらって。それか、自分で勉強して。……悪いけど」
 立ち去ろうとすると、手首をぐいと掴まれた。素人ではあるが、やはり男なのでそれなりの力があった。
「おれ、あんたと修行するから今まで楽しくやってこれたんだよ! なのに、いきなりおさらばって……そりゃないだろ!?」
 チュンの眼差しは先程とはうって変わって真剣で、ただ歳が近い者同士という親しみ以外のものをにじませていた。わずかに動揺を覚えたが、ふとジャックの顔が脳裏をよぎった。
 ジャックは今、必死にらしくもない努力を重ねている。真面目くさったことを避けて生きているあいつが、ただアルトの役に立てるようにと――
 モエギはチュンに掴まれた手首を身体ごとひねり、技をかけた。チュンは素っ頓狂な声を上げ、ものの見事に床に叩き付けられた。それを見下ろし、モエギは告げた。
「……あたし、あんたとは違うの。暇つぶしで来た訳じゃないの。だから、ごめん!」
 チュンはぽかんと口を開けている。モエギは他の者たちの視線を背に受けながら、その場を走り去った。
 廊下を駆け抜けながら心に浮かんできたのは、ジャックの憎らしい程屈託のない笑顔だった。



 魔法の発動を成功させてからの数日間、ジャックは一通りの魔法をこなした。一度成功させると他も難なくクリアしていったが、まだ実戦で発動させたことはない。また、構成を描いてから発動させるまでが長い、とヨシュアに指摘されていた。
「ジャック、今日は実際に危機に直面した時の発動訓練を行うぞ」
 例のごとく、ジャックはクラリスと共に滝底でヨシュアを相手取っていた。とはいえ、クラリスとの室内での学習は終了し、ここ数日は朝からヨシュアの教えを受けている。
「危機……って、魔物と戦うのか!?」
 ジャックが興奮気味に問うと、ヨシュアは否、と首を振った。
「では、実際にどういった状況で行うのか、クラリスに手本を示してもらうとしよう」
 ヨシュアが顎で促すと、クラリスは無言でうなずき、ジャックに出来るだけ離れるよう指示した。ジャックが坂の上まで上ると、ヨシュアが杖を握りしめ、静かに念じ始めた。
「オイオイ、まさかあのパルプンテってやつじゃねえだろうな……」
 ぼやいていると、滝底の丁度真上あたりの崖がぐらぐらと揺れ始め、その次には大きな崩壊音を立てて、人の何倍もの岩がクラリス目がけて落下してきた。
「クラリスッ!」
 とっさに叫んだのとほぼ同時に、クラリスは素早く手を頭上に掲げ、声を飛ばした。
「イオ!」
 瞬間、クラリスを押しつぶそうとした岩が中心から弾け、粉々になり地面に散らばった。土煙が止むと、クラリスはうずくまっていた体勢を解き、こちらを見上げた。
「さあ、次はあなたの番よ!」
「あなたの番よ! って……」
 クラリスの声を真似ると、本人は当然露骨に顔をしかめた。
「ふざけないで! これは一歩間違えると命に関わる訓練なのよ!?」
 それは今の手本で嫌という程理解出来た。ジャックは眉を曇らせ、渋々滝底へと戻った。
 すると、ヨシュアが何も言わない内に再び崖が崩れ、今度は先程の倍の巨岩が降ってきた。
「オイーッ! 聞いてねーぞっ!」
 ジャックは無我夢中で構成を描き、巨岩に向かって手を突き上げた。反射的に目をつぶる。
「イオッ!」
 すると、まるで爆撃でも落とされたかのような轟音が鳴り響き、いくつもの破片がジャックを直撃した。しゃがみ込み頭を防御したが、ヨシュアやクラリスの安否が気になる。
「ジイさん、クラリス、大丈夫か!?」
 咳き込みながら辺りを見回すと、ヨシュアは薄い膜のようなものを周囲に張っていたが、クラリスはその場にへたり込んでいたので慌てて駆け寄った。
「わ、わりぃ……」
 ヨシュアの不意打ちを問い質すのも忘れ、とりあえず笑ってみせたが、クラリスは珍しく茫然としている。ヨシュアが膜のようなものを消し、歩み寄ってきた。
「……やはりな」
 そして、奇妙なことにニタリと笑みを浮かべた。鳥肌が立ち、思わず自分を抱きすくめると、ヨシュアはすぐにいつもの表情へと戻り尋ねてきた。
「ジャックよ。お前は今イオの構成を描いたのだな?」
「ああ……イオラなんて、唱えたつもりねーんだけど」
「だが、今のは確かにイオラ……否、イオナズンに匹敵する威力があった」
 マジで、とジャックは仰け反った。気を取り戻したのか、クラリスも乱れた髪を撫でつけながら立ち上がった。
「でもよ、オレは一番初歩のイオを描いたんだぜ! どういうことだよ!」
 クラリスにも訴えかけると、いとこの少女は眉根を寄せ、口元に手を当てた。若干脅えているのか、肩が震えている。見かねたヨシュアがそこに手を置いた。
「クラリスよ、案ずるでない。銀の賢者であれば誰しも、この巨大な力を持て余すのだ」
「あのさあ、そうやってもったいぶったり本人差し置いて話すんのやめてくれない? あとジイさん、前置きナシってひどくない?」
 やっと不満を口にすると、ヨシュアはジャックに向き直った。
「ふむ……では、今の実践の意図を話そう。
 まず、これは危機的状況を通し、発動の速効性と質を高めるための訓練だ」
「そりゃ、嫌でも速くなるだろうよ。こちとら命がかかってんだからよ。で、何でオレの魔法はあんなのになっちゃったワケ?」
「それは、窮地に陥ることにより、構成での制御があやふやになったためであろう」
 ヨシュアは、アッサラームでの件を例に出した。思い返せば、あの時もベホイミを唱えたはずだったが、実際にはベホマ級の回復力だったと、妹のセリアが事後口にしていた。
「でもよ、呪文ってのは構成よりはっきりと階級の差がつけられた発動方法だぜ? なあクラリス」
 クラリスはジャックと視線を合わせようとせず、じっとどこかを横目で睨み、つぶやいた。
「分からないわ……。あなたの力は、理解不能なのよ。何も知らなかったくせに、どんな魔法使いも賢者も凌駕しようとしている……」
「お前、そんな堅苦しいこと言って……まぐれじゃん、まぐれ」
「まぐれではない」
 ぴしゃりとヨシュアに言い放たれ、ジャックもクラリスも反射的に祖父を見た。ヨシュアは続けた。
「銀の賢者は皆そうなのだ。最初は有り余る魔力の放出量に四苦八苦する。ならば何故、制御率の高い呪文より構成を重視するのかというと、やはりそれは速効性に秀でているからだ」
「じゃあ、メラとかイオとか初歩の魔法で階級飛ばしちまうんなら、どうすりゃ制御出来るんだよ」
「それは、初歩の構成に上級の図式が混ざらないよう、明確な意識を持って描くしかない。危機的状況ではそれを正確にはこなし難い。そのために訓練するのだ」
 言われてみると、確かに先程はどの程度の爆発であの岩を粉砕出来るのか判断出来ず、イオラやイオナズンの構成がちらついた。瞬発力は盗賊だった頃培ったはずだったが、魔法となると訳が違う。
 状況を瞬時に判断し、最も相応しい魔法を選び出さねばならないのだ。
「つまり、出来るようになるまでやるしかねえ、ってこった」
 うむ、とヨシュアは深くうなずき、突然話を変えた。
「では、これからお前たちはこの谷を散策すること。そこで何か起こった時は必ず、魔法で解決すること。良いな」
「へっ? 良いな、って、ちょっとオイ!」
 ジャックが呼び止める間もなく、ヨシュアはルーラを唱え、突風に運ばれいずこかへ去ってしまった。
「何か起こるって、どうせ全部ジジイのせいだろ。なあ……」
 話を振ろうとして慌てて言葉を切った。が、ヨシュアに悪態をつくと必ず咎めてくるクラリスが、何故か黙っている。ジャックが顔の前で手をはためかせてみせると、やっと口を利いた。
「……ごめんなさい、ちょっと疲れただけ。さあ、行くわよ」
 いつもより沈んではいるが、口調は強気を保っていた。ジャックはにっと口元をつり上げ、クラリスと共に歩き出した。
「なあ、もしかしてオレにびびってるの?」
 問いかけてみると、クラリスは小作りな口を尖らせた。
「そんなことないわ。ただ、びっくりしたのよ」
「でしょー? 強敵相手なら別に制御しない方が良かったりして」
 すると、クラリスはうんざりしたようにため息をついた。
「何言ってるの? こんなこと想定してなかったから教えなかったけど、制御していない魔法は多大な精神力を消費するのよ? 言っておくけど、精神力は魔力と違って限界があるんだからね」
「へいへい、限界のない人間なんていてたまるかって話でござんすね」
 そうよ、とクラリスは澄ましたように鼻を高く上げた。口ではまだまだ敵わないようだ。
 でこぼことした道の傍らには、薄墨色をした川が流れている。水深はせいぜい膝が浸かるくらいだろうが、勢いはどちらかというと速い。ジャックはクラリスに視線を向けたまま、それを適当に指した。
「ほら、あのジジ……ジイさんのことだから、川が氾濫したりするのさ。見ろよ、今バッシャーンってまさに……」
 クラリスが川の方を凝視し、ぐいと袖を引っ張った。ジャックも振り返ると、長いものがこちら目がけて突進してきた。すんでのところでかわすと、ジャックはその正体に目を疑った。
 川の中から胴体をくねらせながら、精巧な彫刻のような水竜が牙をむいてたたずんでいたのだ。
「あんのクソジジイ……やりすぎだろコレ」
 まるでジャックの毒づきに反応したかのように、水竜は目にも止まらぬ速さで襲いかかってきた。相手は水、使う魔法は――
「あなた、私が教えたことちゃんと覚えてるでしょうね!」
 水竜はクラリスにも攻撃を仕掛けようと、胴体を鞭のようにしならせる。流石ヨシュアと言うべきか、愛する孫娘にも容赦はない。ジャックは攻撃魔法を瞬時に取捨選択した。
「水だからって、安易に火を使うなってことだろ!」
 ジャックは水竜の標的がクラリスに向いている隙をついて、川に手を突っ込んだ。先程の訓練での失敗を踏まえ、迷わず氷の中級魔法を編み上げる。
「ヒャダルコ!」
 パリパリと乾いた音が川の流れをせき止め、みるみるうちに水竜が氷の彫像と化す。さらに追い討ちをかけるように、クラリスが詠唱した。
「イオ!」
 ガラスを棒で叩き割るような衝撃音の後、水竜はダイヤモンドダストとなって砕け散った。川に張った氷も板のように崩れ、やがて元のせせらぎが戻ってきた。
「つ、冷てーっ!」
 手袋をしていたものの、ヒャダルコで凍った川に手を浸しているのはさすがに酷だった。すかさずクラリスが手を診てくれた。
「馬鹿ね、川に手をかざすだけで良かったのに……ほら、低温火傷してるわ」
「でも、直接突っ込んだ方がアレも早く凍ると思ってよ」
「そうかもしれないわね」
 相変わらず素直じゃねえなあ、と心の中でつぶやきながら、おとなしくクラリスのホイミを受けた。麻痺しかけた指先の感覚が、ゆっくりと戻っていく。
 回復魔法は、術者によって効能が異なる。アルトのホイミは湯に浸かっているかのようにじんわりと効くが、クラリスのものは清涼感がある。
 そこでふと、ジャックはひっかかるものを感じた。
「なあ……クラリス」
「何、もう怖気づいたの? 今度はそこの崖からゴーレムが出るかも――」
「構成で魔法を使うのって、本当に賢者だけなのか?」
 クラリスはきょとんとした目でジャックを見、気味悪そうに首を引っ込めた。
「な、何よ……そんな真面目な顔して」
「いや、知ってる奴にいるんだ! 長ったらしい詠唱なしに魔法を使う奴が!」
 何故気付かなかったのだろう。ロマリアの城下町に魔物が侵入してきた時の、鮮烈な叫び声。砂漠で地獄のハサミを相手にした時、唯一頼りだったほとばしる炎。
 アルトはいつだって、たった一言で魔法を発動させていた。
「そうね……お祖父様が言っていたわ。まれに、賢者以外にも構成で魔法を唱える人間がいるって」
「そういう奴って、何なの?」
 クラリスは眉間に細い指を当て、考え込む。ジャックは固唾を飲んで答えを待った。
「……その人は、もしかすると『心に秘められた魔法』を使えるのかもしれない」
「心に、秘められた……? 何だそれ?」
 説明的な話になると早口になるクラリスが、今はゆっくりと言葉を運ぶ。
「呪文も、構成も存在しない、その名を唱えるだけで発動する魔法よ。だからといって、誰でも使える訳じゃない。それを使うことが出来るのは、銀の賢者ぐらい、極めてこの世でまれな人間よ」
 クラリスはジャックの目を真っすぐ見つめ、告げた。
「そして、その人は……神に選ばれし『勇者』と呼ばれるの」



「よォ、嬢ちゃん久し振りだなァ。しばらく面見ねェと思ってたんだ」
 カンダタと顔を合わせたのは、夕食後ひと風呂浴びようと湯具を小脇に抱え、部屋を出た所だった。
「せいぜい一週間くらいでしょ。あんたは今何やってるの?」
 宿屋の二階、向かい合わせに位置する男部屋と女部屋の間は、常に滞在者で賑わっている。何でも、中には出会いだけを求めてダーマにやって来る不届き者もいるらしい。
 案外、この男もそうなのかもしれないが――カンダタは満足そうに腹をさすりながら、笑みを覗かせた。
「オレか? オレァな、明日試験だ」
「試験!?」
 モエギは思わず吹き出してしまった。あまりにも、この男に似つかわしくない単語だったからだ。
「へッ、そうやって笑ってられるのも今のうちだぜ? いい装備が手に入ったら高額で売りつけてやらァ」
「えっ、武器商人でもやるつもり?」
 カンダタはまあな、と不精ひげの生えた顎を撫でた。
「ゆくゆくはな。だが、そう簡単にはいかねェからよ。しばらくはダーマに仕入れをすることになりそうだ」
 仕入れ、とピンとこないまま復唱すると、カンダタはにやにやと腕組みをした。
「どんなことするのか知らねェだろ? 例えば、この宿の食堂は莫大な量のメシを用意してるだろ? この高地で材料をどう調達してるのかっつったら、神殿に雇われた商人が各地で食材を買い付けてくるんだ」
 移動はどうするのか、と尋ねると、カンダタはキメラの翼を使うのだと教えてくれた。
「キメラの翼!? そんな贅沢していいの!?」
 キメラの翼といえば、一度行ったことのある所であればどこにでも行けるという、片道切符のような道具だ。だが便利性に比例して、はした金では手が出せない高級品ということで知られている。
「おう。まァ、そいつの分は給金から引かれちまうんだけどな。でもって、ダーマから遠方に行ける奴ほど給金が高ェ。オレァせいぜいイシスやカザーブぐらいしか行けねェが、イシスに足を伸ばせる奴は結構少ねェらしい。だからやってみようかなってよ」
「そう……。でも、あんたがもし、あのカンダタだってばれたら」
「そいつァ心配ねェよ。忘れたのかァ? オレァ、盗みの時ァ覆面つけてたんだ」
「あ、そっか」
 こうも簡単に過去の悪事を述べられると複雑だが、そのカンダタがこうしてまっとうな職に就こうとしているのは喜ばしい限りだ。
「まあ、受かるといいわね」
「ありがとよ、嬢ちゃん。金が手に入ったら髪飾りの一つでも買ってやらァ」
「それはどうも」
 カンダタは親指を立てて、ニカッと黄ばんだ歯を見せた。そのまま別れ、モエギは軽いステップで浴場へ向かった。



 翌朝、いつも通り訓練場へ向かおうと身支度を整えていた所だった。
「あーっ!?」
 モエギの尋常ならぬ叫び声に、大部屋の女たちは何事かと集まってきた。荷物やベッドを引っ掻き回しながら、モエギは悲鳴に近い声を上げた。
「爪が……爪がないっ!」
「爪って、あの変な顔のやつ?」
 仲の良い魔法使いの少女が尋ねる。寝床のあたりをくまなく調べたが、それらしきものは見当たらない。
「そうよ! 変でも気持ち悪くても悪趣味でも、あの爪はあたしの……!」
 いきり立つモエギに、以前バニーをやっていたという女が思い出したように言った。
「そういや、昨日の晩若い男があんたを訪ねてきたよ。あんたに貸したものを取りに来た、って」
 ダーマに来てから、物の貸し借りをした覚えはない。だが――モエギはある予感を覚え、一応聞いてみた。
「その人、どんな人だった?」
 元バニーの女は寝乱れた巻き毛をかき上げ、口をすぼめた。
「そうだね、ひょろっとした、黒髪で冴えない感じの――」
「大変だーっ!」
 突然、女部屋に小太りの男が飛び込んできた。まだ着替えも済ませていない者が多いため、甲高い悲鳴が上がる。
「ちょっと、勝手に入ってこないでよ!」
 女たちの文句に負けじと、男は声を張り上げた。
「それどころじゃないんだよ! 神殿の訓練場で、若い男が暴れてるんだ! 右腕に、不気味な爪をつけて――」
 全身から、血の気が失せていくのが分かった。モエギは一目散に部屋を出た。
 廊下は騒ぎを聞きつけた滞在者でごった返しており、モエギはそれを無我夢中でかき分け階段を下りた。
「おい、嬢ちゃんどうした!?」
 宿を出ようとすると、カンダタの声が聞こえた。だが構っている暇はない。モエギは全速力で神殿内部へ向かった。
 間違いない。そんな知り合いは一人しかいない。なんて、馬鹿な真似を――
 武術の訓練場に辿り着くと、朝だというのに野次馬や神官たちが群がっている。その間を縫って中に入ると、目の前に広がった光景に言葉を失った。
 床には手足に傷を負った武闘家たちが倒れており、苦悶の声を上げている。その中心に、返り血で汚れた稽古着を纏った青年が突っ立っていた。
「チュン!」
 チュンは不自然な程ゆっくりと振り返り、焦点の定まらない目でモエギを捉えた。
「良かった……やっと、来てくれた」
 モエギは唇を切れそうなくらい強く噛むと、つかつかとチュンに歩み寄った。
 すると、まるでそこだけが別の生き物であるかのように、チュンの右腕がしなりモエギに襲いかかった。とっさに宙返りを打ち、間合いを取る。チュンのうめき声が届いた。
「なあ……誰も武術なんか教えてくれないんだ。どいつもこいつも、おれを馬鹿にして……。だからおれ、あんたがこの爪に取り憑かれていると思って、この爪さえなければ、またおれと一緒に修行してくれると思って……」
 能天気ではあったが、穏やかな笑みをたたえていたチュンの顔には濃いくまが浮かんでおり、憔悴しているのが目に見えて分かる。痛々しさに目を逸らしたくなったが、そうする訳にはいかなかった。
 これは自分のせいだ。自分が、責任を取らねばならない――モエギは傍らに落ちていた鉄の爪を拾い上げ、腕にぴったりとはめた。
「チュン! 行くよ!」
 叫ぶなり、モエギは駆け出した。チュン自身に戦う気はないのだろう、構えすら取らなかったが、やはり黄金の爪をつけた右腕だけがこちらを狙ってきた。金属音が場内にこだまする。
 腕が塞がれるのならば――モエギが下段蹴りをくらわせると、チュンは猿のようにそれをかわし飛び退いた。面食らう間もなく、チュンが身体をひねり右腕を繰り出す。モエギも上半身を反らし、寸分の差で逃れる。
 この動きは、チュンのものとは明らかに違う。これは、おそらくその爪を使っていたという、イシスの王のものだろう。
 やはり、あの爪を持ってきてはいけなかったのだ。あの爪は、魔物どころか人間をも傷付け、狂わせてしまう――
 チュンは右腕のみならず、蹴りも仕掛けてくるようになり、なかなか攻めることが出来ない。だが星降る腕輪は幸いつけていたので、今の所まともに打撃をくらってはいなかった。
 だが、問題はチュンの方だ。チュンの身体は決して鍛え抜かれたものではない。なのにこのような激しい動作を繰り返していては、いつか限界を超えてしまう。
 ほんの一瞬の隙をついて、黄金の爪がモエギの右足を裂いた。肉を破られる痛烈な衝撃が走ったが、モエギはそれをこらえ、距離を置いた。歯を食いしばり、チュンを視界に据える。チュンは全身で息をしており、顔も蒼白になっていた。
「モエギ……」
 チュンは今にも泣き出しそうだ。実際、もう泣いているのかもしれない。
「おれ、こんなつもりじゃなかったんだ……本当は武術なんかどうでも良かった。ただ、あんたと一緒にいたかったんだよ……!」
「チュン……」
 きっと、自分も泣きそうな顔をしている。足元を見やると、出血は思ったよりひどいようだ。
 人の血など、無縁のような奴だったのに――モエギは、男にしては柔和すぎる程、邪気のないチュンの笑顔を思い返した。
 そんなチュンを、これ以上傷付けたくない。
 モエギは鉄の爪をはずし、床に投げ捨てた。野次馬たちが驚愕の声を上げる。
 このままでは、勝ち目はない。だが、チュンを殺す必要はない。
 一か八か、やってみるしかない――モエギは少しずつ、チュンと間合いを詰めていった。
「モエギ、おれ、このままじゃあんたを……」
「バカ言ってんじゃないわよ!」
 チュンがびくっとひるんだ。今だ。
 モエギは出来る限りの速さでチュンに飛びかかった。すかさず黄金の爪がうなり声を上げて向かってくる。刃が頬をかすめ、二つに結った髪の左の房が、髪飾りごと床に散らばった。
 そのまま倒れ込み、モエギはチュンの腹部を肘で思い切り打ちつけた。うごっ、とチュンが泡を吹き、程なくして気を失った。
「……やった……」
 モエギは肩で息をしながら、汗だくになって立ち上がった。振り向くと、自分の髪だったものが、無残な形で黒い固まりを作っていた。
「あたしの、髪――」
「嬢ちゃん、油断するなっ!」
 人ごみの中からカンダタの声が飛んできた。チュンの方を見やると、白目のまま跳ね起き、その勢いで右腕が殴りかかってきた。人々の悲鳴が上がった。
「ラリホー!」
 瞬間、しん、と辺りが静まり返った。反射的に閉じた目を開けると、チュンはうつ伏せになって床に沈み込み、寝息を立て始めた。茫然としていると、視界の外からまぶしいものがきらり、と姿を見せた。
「オイッ! 大丈夫か!」
 両肩を抱かれ、覗き込むようにして飛び込んできた顔が、ひどく懐かしく、そしてずっと待ち望んでいたように思えた。
「ったく、何やってんだよ! 若いヤローが変な爪持って暴れてるって聞いたから、やな予感したんだけどよ!」
 木々が紅葉し、散っても尚、若葉のように青々とした瞳。モエギの口から、自然と言葉がこぼれた。
「魔法……使えるようになったんだ」
 ジャックはしばし目を見開いた後、小さくうなずいた。
「ああ……そうだよ」
「お母様、こっちよ!」
 聞き覚えのある声がしたかと思うと、クラリスとソフィアが駆けつけ、モエギの姿を目に捉えるとひどく驚いた。
「モエギさん! こんな、ひどい怪我して……ジャック、すぐ救護室に連れて行きなさい!」
「待って、ソフィアさん! その爪をはずして! じゃないと、また……」
 ソフィアはモエギとチュンを交互に見、クラリスに指示した。
「クラリス、ラリホーの重ねがけをして! それから、他の皆に怪我人の手当てをするよう伝えて!」
 クラリスは戸惑いながらもうなずき、チュンにラリホーを唱えると、訓練場の外にいた神官たちに呼びかけた。
 ソフィアはチュンのそばにひざまずくと、黄金の爪を調べ、一気に顔を強張らせた。
「これは……。モエギさん、悪いけど……シャナクを使わせてもらうわ」
「シャナク……って?」
 ソフィアに尋ねたつもりだったが、答えたのはジャックだった。
「シャナクは、呪われた武器とかを浄化して、呪いを解く魔法だ。その代わり、呪われてた物は壊れて砕けちまう」
「壊れるって、そんな……」
 モエギは言いかけたが、このまま放っておくと他人どころか、モエギ自身までもが取り憑かれてしまうかもしれない。ぐっと言葉を飲み込むしかなかった。
「モエギさん、あなたがこれを使っていたのよね。ジャックから聞いたわ。でも、これはあなたが今まで無事だったのが不思議なくらい、妖力の強いものよ。シャナクした方が、あなたにとっても、この男の子にとっても良いことだわ。いいわね?」
 モエギは口をきっと結び、うなずいた。
「それじゃ、唱えさせてもらうわね。
 忌まわしき呪いを解きし、聖なる祝福……シャナク!」
 ソフィアの両手から、青白く光る珠が湧き起こったかと思うと、黄金の爪は光が消え失せると同時に亀裂が入り、跡形もなく砕け散った。
 クラリスと数人の神官が、倒れていた怪我人の治療に当たる。モエギはチュンを見下ろし、ソフィアに頼んだ。
「ソフィアさん、この人……チュンは悪くないの。あたしが、いけなかったの……」
 ソフィアは目を細め、いたわるように声をかけた。
「分かったわ。話は後で聞くから、早くジャックに治療してもらいなさい」
 はい、と首を縦に振り、モエギはジャックに肩を貸してもらい訓練場を出た。クラリスがこちらを気にかけているのが、視界の隅に映った。
「ジャック、てめえいきなり現れたかと思ったら、ラリホーって何だ! ふざけたのかと思ったぜ!」
 人ごみの中からカンダタが抜け出てきた。他の人々はモエギの様子を見て、よくあいつを止めたと称賛したり、怪我や髪を気にかけて憐みの声を投げかけた。
 ジャックは憮然とした表情で、カンダタに返答した。
「お前なら、あのヤローぶった斬ってたかもな」
「殺すかよ。ただ、半殺しにはしたかもな……」
 ちらとモエギの方を見、カンダタは珍しく眉を八の字に寄せた。
「嬢ちゃん……髪」
 モエギは左耳の上に手をやったが、先程まであったものはなく、空を切るだけだった。開いた口でそのまま笑顔を作る。
「そんな顔しないでよ。もう少しで顔に爪跡がつくとこだったんだから!」
 人々の注目がジャックにも集まり始めていたが、当の本人は周囲を見回し、得意のひょうひょうとした口振りで振る舞った。
「皆さん、朝早い中お騒がせしてすいませんね。怪我人がいるんで、ちょっと静かにして道開けてちょうだいね」
 いつものジャックなら「どけどけ!」とでも言いかねないのに、思いのほか人当たりは柔らかだった。人々は素直に左右に割れ、名誉の負傷を負ったモエギとジャックを見送った。



 救護室は、訓練などで怪我を負ったり、体調を悪くした者が休む場所で、神殿の者たちが暮らす一角とは反対の奥まった所にあった。
 救護室にいた神官の男女二人は、モエギよりジャックの姿を見て同時に目を見開いた。
「あ、貴方はジャック様……!」
「様はよしてちょうだい。それならまだ『ソラリス様の……!』って仰け反られた方がいいわ」
 ジャックはわざわざ身振りで真似してみせた。神官たちはあまりにも砕けた大神官の孫に困惑していたが、モエギの怪我の具合を見てすぐに気を引き締めた。
「そちらの方、只今お手当ていたしますので、こちらへ……」
「あ、わりぃ。ベッドだけ貸してくれねえかな」
 神官たちは顔を見合わせ、「え?」と仲良く疑問符を浮かべた。ジャックはあっけらかんと言う。
「いやいや、オレが治すの。そんな、アナタがたの手なんかわずらわせてたら、これからもっとひどいのがどやどや来ちゃっててんてこまいよ? はいはい、どけてちょうだい」
 神官たちは唖然としながらも、モエギとジャックを一番奥のベッドに通した。ベッドの間は簡素ではあるがカーテンで仕切られており、これなら落ち着くことが出来そうだ。
 モエギはベッドに腰を下ろすと、緊張の糸が切れたように大きく息を吐いた。どっと疲れが押し寄せ、そのまま息絶えるように横倒れになった。
 右足の傷は大事に至るものではない。だが、チュンをあのような状態にまで追い詰めてしまったことが、モエギの心をひどく痛めていた。
 その間に、ジャックはどこからか濡れた布を持ってきて、モエギの足元にしゃがみ込むと張り切った声を上げた。
「ほれ、足出せ。寝転がってる奴なんかにゃ治療してやらねーぞ」
「足……?」
 言うなり、ジャックはモエギの胴着をたくし上げ、傷口をぬぐい始めた。
「ちょっ、ちょっと!」
「あーあ、これだもんな。仮にも女なんだから、もっと色っぽい声とかさあ……」
「そういうこと言うのやめてくれない!」
 飛び起きると、ジャックはモエギを見上げ、したり顔で笑った。
「ほら、起きれるじゃねーか」
 不意に心臓が跳ね上がり、モエギは口を尖らせそっぽを向いた。
 今のは何だ。何故、しかもこんな男にあたふためかなければいけないのだ。らしくもない。
「さて、傷口はきれいになったから、治療始めるぜ」
 そっと視線を戻すと、ジャックはそれこそらしくない、真面目な表情をしていた。また心臓が落ち着きを失う。
 どうしちゃったの、あたし――モエギは今までにない程の自己嫌悪を感じていた。しかも、今抱いているものと似た気持ちを、味わったことがある。
 だが、これは以前のものとは違う。あの時よりもっとはっきりと、掴める場所にある。
 けれど、それを掴む気には、まだ突然すぎてなれない。
 ぱし、と弾けた音がして、すねにひりひりとした痺れを覚えた。ジャックがこちらを睨んでいる。
「お前、力入れすぎ。ほれ、力抜いて、楽にしろ」
 どうやら足を叩かれたらしい。だが怒る気にもなれず、モエギは言われた通り全身の力を抜いた。ジャックはよし、とモエギの傷口に手を添え、まぶたを閉じた。
 さっきは一瞬のことでよく分からなかったが、今はじっくりとジャックの魔法を見ることが出来る。モエギは息をひそめ、足元を見つめた。
 大きな手のひらに、空気が凝縮され、集まっていく。ジャックはうっすらと目を開け、囁くように唱えた。
「……ホイミ」
 途端に、手のひらから緑を帯びた光が溢れ出した。光はモエギの傷に染み込み、ほのかな熱を持って修復していく。
 光が止む頃には、傷などなかったかのように、足が元通りになっていた。
「すごい……魔法なんて、アルト君しか使えなかったのに」
 右足をぶらぶらさせてみても、どこも痛みを感じない。ジャックは立ち上がると、何かを見つけたように眉を上げた。
「あ、ここもか」
 ジャックの手がふいに、モエギの頬をほんのわずかにかすめた。
「な……」
 硬直したモエギを全く気にかける様子もなく、ジャックは指をこすり合わせ、拍子抜けした声を出した。
「何だ、血かよ。顔が傷付いてたワケじゃねーのか。ま、そこは唾でもつけとけ」
 あっさりと告げたジャックに、訳の分からない怒りがこみ上げ、モエギはその腕を力いっぱい叩いた。
「いてっ! おい、何すんだ――」
「バカっ!」
 はあ? とジャックは眉をつり上げる。
「バカ、って、オレはわざわざ覚えたての魔法で」
「バカなのはあたしなの!」
 静寂が耳をつんざいた。モエギはよく洗い干されたシーツを、血管が浮くくらい強く握った。
「チュンに、中途半端な態度取ったし、そもそもあの爪を成り行きで使ってたのは、あたし……」
「チュンって、あの爪で暴れてたヤローのことか? 何でまたあんな奴が……」
 モエギは途切れ途切れに、チュンのことや先程のことを説明した。聞き終えたジャックは呆れた様子で言った。
「お前もつくづく男運ねえな。つーか、お前みたいなのに想い募らせる奴もいるもんだな」
 いつもなら殴りかかる勢いで抗議する所だが、その気力も今はない。モエギは振り絞るように言葉を紡いだ。
「あたしだって、まさかチュンがあたしのことを……なんて、思ってもみなかった」
 他人をくっつけたり、自分が想いを寄せることはあっても、好意を持たれるのは初めてだった。カンダタはよく分からないので、この場合は論外とする。
「何だか、人の気持ちって怖いね。あたしがサーラに抱いた気持ちとか……」
 すると、頭を軽くはたかれた。何するのよ、と声を荒げるより早く、ジャックが口を開いた。
「しっかりしろ。お前、ここに何しに来た? 修行だろ? 心が乱れちまったら、何にもなんねえ。あんな奴のために心を裂くな」
「でも、チュンはあたしのせいで――」
「バカヤロー」
 ジャックはぼりぼりと頭を掻き、苛立ったように言葉を吐き出した。
「お前、肝心なとこ忘れてんだよ。あのセンスのカケラもねー爪をお前によこしたのは、オレだ」
「あ……」モエギは目を見開き、ジャックを見上げた。
 確かに、ピラミッドであの爪を見つけた時、モエギはいらないと拒絶した。だが爪の封印を解き、ミイラたちに襲われたため、ジャックがあの爪で戦えと押し付けたのだ。
 ジャックは口をすぼめたまま、モエギから視線をそらした。
「だから、これは誰のせいでもねえ。それ以上自分を責めんな」
 分かったか、と指を突き付けられ、モエギはこくりとうなずいた。
「……ごめん。ごめんね」
 それと――モエギは出来る限りの勇気を出して、付け加えた。
「……ありがとう、ジャック」
 すると、ジャックは頬をゆるめ、この男にしてはひどく穏やかに微笑んだ。
「おう」
 モエギは口を真一文字に結び、自分の胸を駆け巡ったものを落ち着かせるので精一杯になった。
 何で、こんな奴に――必死に普段の軽口ばかり叩いているジャックを思い浮かべるが、それを打ち消すかのように、あらゆる出来事が蘇ってくる。
 シャンパーニの塔やバハラタでのこと、イシスで頬をはたかれたこと。そして、先程視界に飛び込んできた、本気でモエギを心配する表情――
 知っているのだ。本当は誰よりも他人のことを思いやることが出来る、懐の深さを。
 モエギは拳を握りしめ、うつむいた。胸が、燃えるように疼いている。溢れるものを、止めることが出来なかった。
「おい、どうした?」
 ジャックが問いかけてきたが、モエギが首を左右に振ると、それ以上は何も聞いてこなかった。代わりに一言、ぽつりとこぼす。
「……髪なら、また伸びるだろ」
 モエギは小さくうなずいた。入口の方が騒がしくなり、ソフィアやクラリスの声が耳に届いた。
 髪のことで泣いたのではない。ジャックも、きっとそれを知っている。
 ただ、その理由はモエギだけが分かっていた。



 黄金の爪による騒動により、武術訓練場は一時閉鎖され、その間モエギは暇を持て余していた。
 この数日であったことといえば、カンダタが試験の際身分証明と過去の経歴を問われ、ごまかそうとした所神官と口論になり、挙句の果てに相手に殴りかかろうとして押さえられ、謹慎処分になったことと、意識を取り戻したチュンと話したことくらいだ。
 満身創痍だったチュンがいくらか気力を取り戻したとソフィアに教えられ、モエギは彼のいる救護室を訪ねた。
 黄金の爪、もとい古代イシス王の脅威は相当なものだったのだろう。修行をしていた男たちがまだ苦悶の表情を浮かべながら療養していた。彼らとの摩擦を避けるためだろう、チュンは贅沢にも個室を用意されていた。
 チュンは、部屋に入ってきたモエギを見るなりぼんやりしていた瞳を見開き、開口一番に尋ねた。
「あんた、その髪……」
 モエギは十分すぎる程短くなった髪を触り、明るく答えた。
「切ったの。ショートカットも悪くないでしょ?」
 元々二つに結い上げていたのだ、首元の寒さは変わらないし、モエギとしては戦いの時に邪魔にならなければ良いのだが、それでもやはり長年伸ばしていた髪を失った寂しさが、口元に滲んでしまった。
 チュンはゆっくり視線をそらし、沈痛な面持ちで詫びた。
「おれ……あんたに迷惑かけっぱなしな上に、あんたを傷付けて……。自分がこんなにしょうもなく思えたのは初めてだよ」
 はは、と乾いた笑いが空気に溶けた。
「おれ、もうあんたや他の奴らに合わす顔がないよ。体力が戻ったら、下山して家に帰ることにしたんだ」
 あのような騒ぎを起こしては、さすがに滞在し続けるのも酷だろう。モエギは何も言わなかった。
「なんか、さ……農家は兄貴が継ぐし、下の兄貴はバハラタでちゃんと家庭も持ってるし、おれだけぷらぷらしててさ。特にやりたいこともないし……でも」
 そこでチュンは言葉を切り、モエギをまぶしそうに見つめた。
「聞いたよ。あんたが魔王を倒すために旅をしてるって。大神官のもう一人の孫のことも。おれにはとても真似出来ないけど、あんたならきっと出来るよ」
 おそらく、ソフィアが話したのだろう。チュンはしみじみと語った。
「こんなおれでも、あんたは優しくしてくれたし、おれはあんたの一生懸命な所が好きだった。あんたを見てると、自分も頑張れるような気がしたんだ」 
 内心、チュンが何故自分に執着心を見せたのかが分からなかったのだが、ようやく合点がいった。自分をそんな風に見てくれる人間もいるものなのだ、と胸にほのかな熱が灯った。
「でも、これからは自分で何とかしてみるよ。時間はかかるだろうけど、せめてあんたに一人前の男として扱ってもらえるように、さ」
 チュンの表情は、怒りも呆れも受け止めて緩和してしまうような、元の柔らかさを取り戻しつつあった。
「……そっか。あんたならきっと、大丈夫だよ」
 モエギが出来る限り優しく言葉をかけると、チュンはへへへ、と顔を笑み崩した。
 そう、前向きであれば、きっと何とかなる。



 その日の朝、食堂でいり卵をつついていると、突然入口の方からどよめきが広がった。
「クラリス様!」
 人々は慌てて道を開け、何事かとクラリスの姿を目で追う。その美貌に惚れ惚れとしている男たちもちらほらと見受けられた。
 モエギも、何故クラリスが――と訝っていたが、彼女は食堂を見回し、モエギを視界に捉えると迷わず歩み寄ってきた。
「え、ちょっと何!?」
 彼女とはダーマに来た初日に話しただけで、黄金の爪の一件ではその場に居合わせただけだ。一体何の用だというのだろう。
 クラリスはモエギの目の前までやって来ると、小ぶりな唇を開いた。
「モエギさん……だったわよね。お祖父様があなたを呼んでいるの。一緒に来てもらえるかしら」
「はあっ!?」
 思わず席を立つと、向かいに座っていた魔法使いの少女がひらめいたように手を叩いた。
「ほら、あれじゃない? この前の――」
 モエギも一瞬そう考えたのだが、黄金の爪の一件についてだろう。褒められるのだろうかと思ったが、あれは元々モエギがまいた種だ。自分が青ざめていくのが分かった。
「あの……あたし怒られるの?」
 おずおずと尋ねると、クラリスはきょとんとしてから、モエギが彼女に抱いていた印象とはあまりにかけ離れた、愛らしい表情で笑った。
「まさか。とにかく、わたしについて来て。それと――」
 大神官の孫娘はさらにカンダタの名を挙げたので、モエギは目を丸くした。チュンの時と比べたらささいなものではあったが、仮に謹慎処分となっているカンダタを呼びつけるとは、果たしてどういった用件なのだろう。
「何だァ? 今日はやけに騒がしい――ん?」
 丁度階段から食堂に降り立ったカンダタを見つけ、モエギは大声でこちらに来るよう手招きした。カンダタの巨体を目前にしたクラリスは少々圧倒されたようだが、毅然と胸を張った。
「あなたがカンダタね。お祖父様から」
「おうおう、あんたが噂のクラリス様かァ。いいぜェ、オレの好みだ」
「……え?」
 クラリスは瞬時に顔をひくつかせた。おそらく、軟派な男は心底嫌いなのだろう。モエギは慌てて仲裁に入った。
「ま、まあまま! クラリスさん、それなら早いとこ行こう!」
 そしてカンダタには無言の視線を送った。カンダタはつまらなさそうに口を曲げる。
「まあ、いいけどよ……メシ食ってからでいいか?」
 カンダタの豪快な腹の音が、食堂にこだました。



 通されたのは、モエギとジャックがダーマを訪れた初日ソフィアに通された客室だった。部屋では既にヨシュアと、ジャックが待っていた。
「よう、久し振り……って、この前会ったけどよ」
 ジャックは相変わらずといった様子で片手を上げた。以前より構え方に落ち着きが出ている。髪のことに触れるかと思ったが、ジャックはそのままヨシュアに視線を向けた。
「ジイさん、こっちはモエギ。最初に会ってるよな。で、このオッサンがカンダタ。まあ……その、何だ、今は一応カタギだ。この二人なら白兵戦はお手のものさ」
 モエギは丁寧にお辞儀をし、カンダタは首だけで挨拶した。ヨシュアがカンダタの悪名を知っていないかとひやひやしたが、大神官は何も言わずに座るよう指示した。
「モエギ……と言ったか。そなたの活躍は聞いておる」
 大神官の耳にも、やはりあの一件は届いているのか。照れ臭いような、恥ずかしいような気がしたが、モエギは素直に頭を下げた。
「ところで、嬢ちゃんはともかく、オレまで呼び出して何の用だァ? オレァ神殿のお偉いさんと慣れ合う気はねェ」
 カンダタはふてぶてしい態度で、ヨシュアを軽く睨んだ。この男の育ちを考えると、高貴な人物を苦手とするのも分からなくはないが、モエギはヨシュアが怒り出さないかと懸念した。
「ふむ。確かに、呼び出したのは儂だが……用があるのはジャックとクラリスなのだ。代わりに説明するがよい」
 クラリスは礼儀正しく返事をし、切り出した。
「今日、わたしたちがあなたがたを呼んだのは、あることに協力して欲しいからなの」
「ある、こと……?」
 二人はまだ修行中のはずだ。そこにモエギとカンダタが介入する理由など、皆目見当がつかない。ジャックを見やると、説明が代わった。
「ああ。修行の総仕上げに、オレとクラリスはここから北にあるガルナの塔に行って、『悟りの書』っつうモンを持ち帰らなきゃいけねえんだ。でもって、それに書いてある『賢者の誓い』ってやつをジイさんの前で読んで承認されると、晴れて一人前の賢者になれるってワケ」
「何だァ? そんなモン、二人で行けばいいじゃねェか。それとオレたちに何の関係があるってンだよ」
 クラリスは、カンダタの言い分に顔をしかめつつ返答した。
「ガルナの塔には魔物が棲み付いているの。もちろん、わたしやジャックにも対抗する力はあるわ。けど、お祖父様は打撃能力に長けた人間に協力を請うよう、おっしゃったのよ」
「それで、お前らが適任かなってよ。ま、あんたはダメ元で名指しさせてもらったぜ」
 ジャックが笑いかけるが、カンダタは気難しい表情で黙っている。確かに、カンダタの斧さばきは魔物とも互角に渡り合えるだろう。この中では誰よりも、力と体力に優れた戦士だ。
 だが、カンダタが問題を起こしたことはヨシュアにも知れているはずだ。大神官としては、常識的に考えてそんな人間に協力を請うのは遠慮したいはずだが――
「あの、大神官様……この人のこと知ってますよね。いいんですか? こんな大事なことに協力させて」
 モエギが尋ねると、ヨシュアは無表情のまま答えた。
「うむ……その者のことはジャックより、少しばかり聞いておる。だが、賢者の修業は内密なものでな。腕が立てば、協力者の過去の経歴は殺人以外不問としている。その代わり、特に報酬はないのだが……ジャックの友人であれば、引き受けてくれまいか」
 モエギは、ヨシュアの言葉に驚きを覚えた。初めてこの老人に出会った時は冷たいとすら思えたが、賢者の創出のためには手段を問わない切れた頭脳と、何よりジャックを思いやる心が見て取れる。
 もちろん、断わるはずがない。モエギは力強くうなずいた。
「はい。あたしで良ければ、喜んで同行させてもらいます!」
「……そうか。礼を言う。して、その者は」
 ヨシュアが視線を向けると、カンダタは苛立ったように後頭部を掻いた。
「待ってくれや。オレはオレなりに、迷ってンだ……」
「わたしはどちらでも構わないけどね」
 クラリスの冷徹な声に、モエギとジャックは苦笑する。が、意外にもその一言で、カンダタはくるりと表情を変えた。
「……そうかァ?」
 カンダタの意味深な笑みに、クラリスは目元をひきつらせた。
「な、何よその笑い方は……」
「よし、決めたぜ」
 どん、とテーブルを叩き、カンダタは勢い良く立ち上がった。
「オレも行くぜ。せっかく『クラリス様』とご一緒出来るんだ、そんな機会みすみす逃すワケにァいかねェなァ!」
 大声で笑い出したカンダタを茫然と眺めた後、クラリスはジャックに抗議を浴びせた。
「ちょっと! わたしこの男と一緒に行くの嫌! あなたよりずっとふざけてるわ!」
「当たり前だろ! あいつとオレを比べるな!」
「だって知ってるはずないでしょ!?」
 急にやかましくなった部屋の中で、モエギが困ったようにヨシュアを見ると、大神官はわずかだが苦笑していた。
 クラリスといいヨシュアといい、最初の印象から比べると随分人間らしい人柄になった。彼らが変化したのは、やはりジャックに感化されたからなのだろうか。
 そうであればいい――モエギもヨシュアに向かって、はにかんでみせた。



 ガルナの塔は、神殿の裏にある起伏にとんだ峡谷の向こうにそびえているという。ここはジャックとクラリスが修行をしていた場所らしく、先導したのはジャックだった。それにモエギ、クラリスが続き、しんがりをカンダタが務める。
 地面はただでさえ傾斜がきつく、足取りが重くなるのに加え、所々霜や氷が張っており、転ばないようにと気を張らざるを得なかった。だがジャックにとっては屁でもないらしく、いつも通り軽口を叩き始めた。
「いやー、オレもいよいよ賢者か。今まで無職みたいなモンだったからな」
「あんた、賢者がどんな存在か分かってるの? 再就職が決まった失業者みたいに言わないでよね」
 モエギがすかさず突っ込むと、クラリスもジャックの斜め後ろでうなずいた。
「そうよ。賢者――しかも銀の賢者は、一世紀に一人生まれるか生まれないかの希少価値なのよ? それが二人も、しかもそのうち一人があなたみたいなろくでもない男だなんて、本当は信じられないわ」
「そこまで言うかよ。あーあ、口うるさい女が二人揃うと気が滅入るね」
「何ですって!?」
 モエギとクラリスが同時に叫ぶと、カンダタが愉快そうに笑った。
「ジャックよォ、それは贅沢ってモンだぜ。こんなに可愛い娘っ子たちに囲まれて、うらやましいぜェ?オレとしてはよォ」
「テメーみたいなロリコンと一緒にするな。オレは年上か、せいぜい同い年しか範疇にねえよ」
 きっぱり告げられ、モエギの胸に鋭いものが突き刺さった。クラリスが顔を覗き込む。
「モエギさん? 顔色が悪いようだけど……」
「あ、ああ……ここ空気薄いからかな?」
 そう? とクラリスはやけに親身な瞳でモエギを見つめた。初めて出会った時と比べると、大分モエギに心を開いているようだ。これもやはりチュンの一件のおかげだろうか。
 それにしても――ジャックの、男にしては細身な背中を見つめる。
 当人がまだ子供っぽいためか、妹が三人もいるためだろうか。直接言われた訳ではないが、ここまではっきりと範疇外だと認識させられると、さすがに堪える。
 だが、今のモエギの気持ちは誰も知らない。アルトの時のようにだだ漏れにはしたくないのだ。サーラにすら、打ち明けるのを迷っているくらいだった。
「しかし、クラリス様がまだ賢者になってなかったとはなァ。今のうちかねェ」
 カンダタがにやつきながら、無精ひげの生えた顎をさする。この男くらい開けっぴろげに好意を口に出来たらどんなにか良いだろう。とはいえ、この男に至っては冗談なのか本気なのか、未だ計り知れないのだが。
「今のうちって何よ。あなたとの関わりはこれっきりよ、分かってる?」
「へッ、怒っても可愛いなァ。ますます好みだぜ」
 クラリスは付き合いきれない、といった様子で再び前方に向き直った。クラリスには申し訳ないが、カンダタのお気に入りが乗り換わったようで、モエギとしては一安心だった。
「クラリスさん、カンダタはそうやって冷たくしても逆に喜んじゃうから、無視無視!」
 比較的広い道に出たので隣に並ぶと、クラリスは苦笑した。
「クラリスでいいわ。でも、無視する訳にはいかないのよ。あれでも協力してくれる人だし……」
「そう? じゃあクラリス、あんまり刺激しない方がいいよ。あいつ、Sっぽいけどあなたに対しては真正Mみたいだから」
「えす……えむ?」
 クラリスが目をぱちくりさせる。どうやら、こちらは世間ずれしていない生粋の令嬢のようだ。モエギは思わず舌を巻いてしまった。
「あー、クラリスはそういうこと知らなくていいから。カンダタ、テメー冗談だとは思うけどよ、変な真似すんじゃねえぞ」
「分かってらァ。そんなことしたら、間違いなくオレの首が飛ぶしなァ。だから、やっぱり嬢ちゃんと……」
「なんで結局そうなるのよ!」
 迫ってくるカンダタを全身で拒絶していると、クラリスがふいに笑い声を漏らした。モエギとカンダタが不思議そうに見ていると、クラリスは首を傾げながらこぼした。
「あなたたちって、いがみ合っているけど息がぴったりだわ。案外お似合いかもしれないわよ?」
「な……クラリス、それだけは撤回してくれる!?」
「おう、クラリス様に言われちゃ本望なような、残念なような……」
 モエギはちらとジャックの反応をうかがったが、妹たちを相手にする時でも浮かべないような、柔らかな笑みでクラリスを眺めていた。胸が鈍く痛んだ。
 視線に気付いたのか、ジャックがこちらを見たので慌てて目をそらし、クラリスの手を引っ張った。
「ほら、行こうクラリス! あんなオヤジいなくても、あたしがちょちょいと魔物くらい片付けるわよ!」
 大股で先を進む。背後でジャックとカンダタが会話を始めたので、とりあえずこれで良い。
 クラリスはジャックをけなしてはいるものの、最初のような憎悪を向けることはもうしなくなったようだ。それは喜ばしいことなのだが、反面ジャックはこのいとこの少女をどう思っているのだろう。やはり、亡き母ソラリスを重ねているのだろうか。
「モエギさん、本当に調子が悪いんじゃないの? さっきから考え込んでいない?」
 声をかけられ我に返ると、クラリスは細い眉根を寄せて、本気で心配していた。
「……気になっていたんだけど、髪、短くしたのね。聞いたわ。あの時切り落とされてしまったって」
「ああ! 確かに今はちょっと寒いけど、また伸びるからいいの!」
 明るく言い放つと、クラリスも安心したように微笑んだ。この少女も、実は思った以上に根は優しいのかもしれない。
 だが、ジャックは寒々しい程短く切り揃えられたモエギの髪を見ても、まだ何一つ言わない。
 あたし、何て言って欲しいんだろう――モエギのつぶやきは、心に仄暗い影を落とした。



 神殿を経って数日後、モエギたちは無事ガルナの塔に辿り着いた。塔はダーマ創設の数十年後に建築されたらしく、左右に二つの尖塔がそそり立ち、砦のような外観を示していた。神殿自体が相当長い歴史を誇っているので、この塔もかなりの年月を重ねているのだろう。
 クラリスは複雑な文様の入った扉の前に立つと、おもむろに鉄製の鍵を取り出した。
「ガルナの塔は、野盗が出入りしないように閉鎖されているの。お祖父様から預かったこの鍵で、開くはずよ」
「何だか、耳に痛ェな」
 過去シャンパーニの塔を拠点としていたカンダタは、ばつが悪そうに頭を掻いた。
 クラリスが鍵を挿し入れると、扉は錆びついた音を立てて開かれた。内部の空気は冷え冷えとしており、そのくせ何年も人の出入りがなかったのか、ほこり臭く淀んでいた。早速咳を始めたのはジャックだ。
「こりゃ、早いとこ悟りの書を持っておさらばしたい所だな……」
 クラリスがメラを唱え、備え付けの燭台に火を灯す。すると、暗闇の奥から原色の羽根を持った蝶がゆらゆらと寄ってきた。
「何だァ? 蛾か?」
 カンダタが目を凝らし観察しようとすると、蝶は黄金色のりん粉を撒き出した。
「カンダタ、そのりん粉を吸い込むな!」
 ジャックが叫ぶが時すでに遅し、カンダタはそれを吸い込んだのか激しい咳を始め、同時に担いでいた斧を手放した。鉄の斧が大きな音を立てて床に落下すると、さらに奥から何者かがうごめく気配がした。
 と、暗闇からいきなり炎が噴出され、なめるように床を焦がした。ジャックは手早く燭台からたいまつを作ると、正面にかざした。
 その先には、けたましい鳴き声を上げる黄土色の魔鳥と、左右に角を持った鹿のような獣、さらに先程のどぎつい色をした蝶が数匹、群れをなしていた。
「カンダタ、斧落としてる場合じゃないわよ! 早く!」
 だが、カンダタは膝をついたまま細かく震えているだけだ。この症状は以前にも目にしたことがある。麻痺だ。
「クラリス、カンダタにキアリクをしろ! モエギ、お前はたいまつの明かりの中で戦え!」
「……分かった!」
 モエギは新調した鉄の爪で構えると、先陣を切って躍り出た。
 ここの周辺に棲息する魔物は事前に把握してある。マッドオックスという獣の突進をかわし、その頭部を踏み台にして魔鳥ガルーダを切り裂く。硬度のある羽根が散乱する。
「おらァ、いくぜェ!」
 復活したのか、背後からカンダタが飛び出し、斧片手にしびれあげはを仕留めようと奮闘する。だが、しびれあげはは他と比べると普通の昆虫程度の大きさしかなく、なかなか斧が命中しない。
「何やってるのよ! ラリホー!」
 クラリスの声と共に超音波のような波動が伝わり、しびれあげはは力尽きたように床へと舞い散った。それをカンダタが一太刀で裂く。
「助かったぜ、クラリス様よォ!」
 ジャックはというと、得意の鞭をふるいながら出方をうかがっている。ガルナの塔へ向かうまでにも幾度か魔物と遭遇していたが、今相手取っている数には及ばない。
 マッドオックスは学習したのか、飛び乗る隙を与えまいとしきりに突進を仕掛けてくる。それに気を取られるので、なかなかもう一匹のガルーダまで手が回らないのだ。
 その時、ガルーダが羽をはばたかせ、モエギ目がけてギラを発射した。マッドオックスに邪魔され避けられない。
「ヒャド!」
 炎がモエギ寸前で氷に凝固され、相殺される。ジャックがとっさに唱えたようだ。これでマッドオックスに集中出来る。
 モエギはジャック、カンダタと連携してマッドオックスを一掃し、ようやく全ての魔物を片付けることが出来た。魔物たちの絶命を確認すると、ジャックが頭ごなしに怒鳴った。
「カンダタ、テメーしびれあげはに近寄るなって言っただろ! 一人でも麻痺しちまうと戦力が落ちるんだぞ!」
「ああ、そうだったなァ。でもよ、クラリス様のキアリク、あれァ気持ち良かったぜ」
「あんたが言うと何か嫌なのよね……」
 モエギがぼやくと、クラリスもこくこくとうなずいたので、お互い苦笑した。
「とにかく、お祖父様は魔物たちを相手にするのも修行のうちだとおっしゃっていたわ。心してかかって。いい?」
 モエギたちはうなずき、先を進むことにした。



 内部は入り組んでおり、いくつもの小部屋が存在していた。モエギたちは、ヨシュアから事前に渡されていた地図を見ながらくまなく部屋や通路を調べ、時には『旅の扉』という瞬間移動の仕掛けを利用した。
 旅の扉は、ジャック曰く先人たちの技術の結晶だという。床に描かれた魔法陣から絶えず魔力の渦が湧き出ており、その上に乗るとそよ風に包まれてほんの一瞬気が遠くなる。そして、気が付くと先程とは別の場所に到着している。魔力の根源はルーラという移動魔法に近いという。
 モエギはアリアハン大陸を発つ際に、誘いの洞窟で体験していたのでそれ程不快でもなかったのだが、他の三人は初体験だったらしく、独特の浮遊感に気持ち悪さを訴えていた。
 魔物は、他におおくちばしという鳥の頭部が異様に発達した魔鳥属や、キラーエイプ、ごうけつ熊といった凶暴化した獣たちが襲ってきた。もう真冬に近いというのに、何故冬眠しているはずの獣属が活発なのだろうと疑問に思っていると、再びジャックがこう説いた。
「そりゃ、きっとバラモスの妖力だな。獣っつうのは寒さに弱いけど、そういう欠点をバラモスが補うことで強化してるんだ。ま、生態が変わっちまえばもう普通じゃねえしな」
 そういった知識を培うのも修行の一環だったらしく、モエギは素直に感心した。純粋な学識だけであればクラリスの方が上なのだろうが、ジャックは実戦経験に基づく知識がクラリスより勝っていた。
 途中行き止まりに遭遇しながらも階段を上り、最上階に辿り着いたが、そこにあったのは別の品物だった。
「オイ、本当に悟りの書ってのァあるのか? もう大方行ける所は調べちまったぜェ?」
 カンダタが粗雑に宝箱を閉め、肩をすくめた。モエギとジャックも首をひねっていると、クラリスが口を開いた。
「となると、あのロープの先しかないわね」
「げっ」ジャックが露骨に顔を歪めた。
「クラリス、ロープって下の階にあった……」
 クラリスがうなずくと、ジャックは途端にうろたえ始めた。
「あ、あのさあクラリス。どっかにまだ旅の扉残ってねえかな? オレら猿じゃねえんだからさ……」
「そこしかないのよ。行きましょう」
「クラリスのいじわるーっ!」
 まるで喧嘩をした少女のごとく反発するジャックを尻目に、クラリスは階段を下っていった。カンダタがモエギにそっと耳打ちする。
「あいつ、高所恐怖症なんだ。こりゃ、賢者への道も閉ざされちまうかもなァ」
 カンダタがクラリスの後を追うと、モエギは仕方なく、駄々っ子のようにしゃがみ込んだジャックに声をかけた。
「あんたね……男のくせにしっかりしなさいよ」
「嫌なモンは嫌なのっ!」
 またこの男は――モエギは内心がっかりした。ヨシュアとの修行で頼もしくなったかと思いきや、こういう部分が根強く残っている。
「でも、賢者になるには乗り越えないと」
「その前に天国の住人になるって! とにかく、オレは嫌っ!」
 モエギの中で、何かがぶち切れた。
「……あんた、いい加減にしてよっ! じゃあ今までの賢者はどうして賢者になれたのよ!」
 ジャックは年甲斐もなく、ぶすっと頬を膨らませて答えた。
「そりゃ……あのロープの先に悟りの書がなかったんだな」
「でも、今まで行った所のどこにもなかったのよ!? そんな簡単に死ぬ訳ないでしょ! ほら、早く!」
 モエギが無理矢理腕を引っ張るが、尚もジャックは渋る。とうとう堪忍袋の緒が切れ、モエギは怒号を上げた。
「じゃあ、サーラはどうなるの!? もしテドンが滅ぼされてたら! サーラはあんたよりも、ずっとつらい思いするんだよ! 死ぬよりつらいんだよ!?」
 すると、ジャックの顔つきが変わった。腕を振り払い、無言で階段に向かう。
 今、サーラのことを引き合いに出すべきではない。だが、ジャックを動かすには、モエギの言葉だけでは足りなかった。それが、たまらなく悔しい。
 後をついて下りると、クラリスがロープを目の前にして難しい顔をしていた。
「このロープの先に、階段があるはずよ。……でも、さすがに怖いわね」
 今モエギたちがいる尖塔と、その先をつなぐのはたった一本の綱。日も暮れかけており、見通しもあまり良くないが、地面らしきものはかなり下にある。
 モエギたちが躊躇していると、カンダタが肩を揺らし一歩踏み出た。
「へッ、高所恐怖症野郎やか弱い嬢ちゃんたちにァ、ちと酷ってモンだよなァ。いいぜェ、オレが行ってやらァ」
 誰に言われるでもなく、カンダタはロープに手をかけると慎重に床から足を離した。大きくロープがたるみ、モエギとクラリスはとっさに目を覆った。
「おう……こりゃ、想像以上にキツいな」
 カンダタは振り子のように巨体を揺らしながら、少しずつ進み始めた。当人だけでもかなりの重さだというのに、おまけに大斧がくっついている。重量に耐えきれずロープが断ち切れるという想像を、モエギは懸命に振り払った。
 固唾を飲んで見守っていると、ふいに頭上から魔物らしき咆哮が降ってきた。空には、黄金色の巨大な龍――スカイドラゴン。
「ちっ、こんな時に……!」ジャックが舌打ちする。
「あいつ、何が効くんだっけ!?」
 モエギが問うと、クラリスは青ざめた顔でこう告げた。
「あいつは、打撃以外ほとんど効かないの……メラもギラも、ラリホーも効かない」
 ジャックが壁を叩きつけ、歯噛みしながらうめく。
「あいつぁ、ニフラムなら一発なんだ……くそっ、アルトさえいてくれりゃ……!」
「あんたやクラリスはそれ使えないの!?」
 二人の賢者の卵は力なくうなずいた。するとその時、スカイドラゴンが大きく息を吸い込み、勢い良く炎を吐き出した。炎はロープに燃え移り、程なくしてぶちりと嫌な音を立てた。カンダタの悲鳴がみるみるうちに遠のいていく。
「カンダタッ!」
 モエギが下を覗き込むと、どうやら塔中央の最上部にそれらしき人影が見えた。急いでジャックとクラリスを手招きする。
「大丈夫! 下に降り立つことが出来ればあたしもカンダタも戦える! さあ、飛び降りるわよ!」
「え、ちょっとタンマ!」
 ジャックがまだためらっているのを見て、モエギは強引にその手を取り、下の床に向かって弾みをつけて跳んだ。
「イヤーッ!」
 全身をこするような落下感に包まれ、ごうごうと耳が鳴る。着地すると同時にカンダタを助け起こすと、どうやらかすり傷程度で、炎の直撃はまぬがれたようだ。モエギはスカイドラゴンに鉄の爪を向けた。間を置かずクラリスも飛び降りてくる。
「モエギさん、あいつは何回かボミオスをかければ効くと思うの! ジャック、あなたはバイキルトを二人に!」
 床に這いつくばっていたジャックもクラリスに起こされ、何とか詠唱を紡ぐ。
「おらよっ、バイキルト!」
 モエギとカンダタに弾くような波動がぶつかると、全身の血が沸き立った。
「行くわよ、カンダタっ!」
「おうよっ!」
 モエギとカンダタは左右に散り、ジャックとクラリスの援護を受けながら攻撃を開始した。
 モエギは早速スカイドラゴンの胴体を斬りつけたが、皮膚は思いの外硬い。だがバイキルトのお陰か、黄金の爪を使っていた時より遥かに身体が自在に動かせる。クラリスのボミオスも功を奏したのか、モエギのスピードがスカイドラゴンを上回った。
「モエギ、まずはこいつを弱らせろ! 体力勝負だ!」
 ジャックも打撃に切り替え、鋼の鞭でスカイドラゴンを翻弄する。所々斬り付けてはいるものの、どれも致命傷には程遠く、それ以上に迫りくる牙や胴体での薙ぎ払いをかわすので精一杯だ。
 すると、スカイドラゴンは再び燃えさかる火炎を放出した。モエギたちはすんでのところでかわしたが、その先にはクラリスがいる。
「危ないっ!」
 モエギがかばうようにクラリスを押しのけ、直に炎を浴びてしまった。背中が爆発しそうな程の衝撃が走り、モエギはたまらず悲鳴を上げた。
「モエギっ!」
 クラリスが介抱するより早く、ジャックがモエギに移った炎を消し止め、抱き起こした。
「バカ、お前無茶すんなっ! クラリス、カンダタにピオリムだ! そうすりゃ速さは五分になる!」
「……分かったわ!」
 クラリスはモエギの容態を気にかけていたが、素早くカンダタの方へ向かっていった。あまりの熱さに涙がこぼれたが、モエギはそれでも立ち上がろうとした。
「カンダタだけじゃ、あいつは……!」
「待て! まずは治療だっ! ったく、お前は何でも一人でやろうとするなっ!」
 強い叱責の声に思わずジャックを見やると、驚く程真剣な眼差しにどきりとした。
「……命がいくらあっても足りねーのはお前だ。これ以上心配させんなっ!」
 ジャックはそれ以上何も言わず、黙ってベホイミをかけてくれた。それは、アルトの魔法のようにじんわりとした感覚ではなく、どこからともなく不思議な活力が湧いてくるような、そんな魔法だった。
 カンダタたちの方を見やると、スカイドラゴンは徐々にだが弱ってきているようだ。モエギは何とか立ち上がると、ジャックに尋ねた。
「ジャック……あいつの弱点、他にないの?」
 ジャックはモエギを見上げ、しっかりとした口調で答えた。
「あいつの唯一の弱点は、眉間だ。けどカンダタのヤローじゃ小回りが利かねえ。モエギ、お前に任せる」
 若葉色の瞳には信頼が見て取れた。モエギは笑顔を作り、うなずいた。見えない力が溢れてくる。
 深く息を吸い、モエギは駆け抜ける勢いでスカイドラゴンの頭部に跳躍し、眉間に深々と鉄の爪を突き立てた。途端に泣き叫ぶような声が上がり、スカイドラゴンはのたうち回った。モエギは引きはがされないよう、歯を噛みしめ食らいついた。
 やがて、スカイドラゴンは力尽きたのか、轟音を立てて巨躯を塔の上に沈めた。息絶えたのを確認すると、モエギは爪を引き抜き、よろめきながら床に降り立った。
「嬢ちゃん、無事かっ!?」
 カンダタとクラリス、ジャックが集まってくる。モエギは肩で息をしながら、勝利の笑みを浮かべた。
「モエギさん、わたしのせいで……」
 クラリスは涙を滲ませている。モエギは首をふるふると振った。
「いいの。それより、みんなのお陰であいつを倒せた。ありがとう」
 モエギの立ち振る舞いを目の当たりにし、カンダタは感極まって泣き笑いを見せた。
「おう! 嬢ちゃんはやっぱりサイコーだぜ!」
 カンダタの派手な笑い声が響く。ジャックの方に顔を向けると、心から安堵の表情を浮かべており、少しだけ泣きたくなった。



 降り立った中央の最上部には階段がなかったので、モエギたちは仕方なく、床の割れ目をつたい下の階へ降りた。そこには幸い下り階段があったのでさらに進むと、重厚な扉の存在する部屋に出た。
「クラリス、塔の入口以外に鍵ってあるのか?」
 これについてはクラリスも把握していなかったらしく、首をひねった。ジャックがたいまつを掲げ、注意深く扉を観察すると、どうやら文字が刻まれているのが分かった。
「なになに……『我は闇の住人。我の世界に光満ち溢れる時、我と汝は出会うだろう』だってよ」
 口調は堅苦しいが、文字はモエギでもカンダタでも読めるものだった。
「我って、この扉のことかァ? 扉が我って言うかよ」
「そういう突っ込みはどうでもいいのよ。これは謎かけね、クラリス?」
 モエギが尋ねると、クラリスもこくりとうなずいた。
「そのようね。そして、おそらく我というのは本当にこの扉のことだわ」
「光満ち溢れ……って、この暗ェ部屋を照らせってことかァ? もう夜だぜ」
 カンダタが腹をさする。モエギも、神殿にいれば今の時間は食堂で出来立ての夕食に舌鼓を打っている頃だろう。そう思うと空腹感が押し寄せてきたが、もう少しの辛抱とこらえることにした。
「そうね……ラナルータっていう昼夜逆転の魔法があるのだけど、今これを唱えたところで陽の光は届かないし、あれは時間を歪める魔法だからむやみには使えないわ」
「ジャック、もっとこうパーッと光が出せる魔法はないの?」
「ねえな。ジイさんなら創作魔法なんてお手のモンだけどよ、オレやクラリスはまだ使えねえ」
 四人は円を作るようにして考え込んだ。いっそたいまつを数十本作ればいいのかもしれないが、それでもこの暗闇に光が満ち溢れるとは言い難い。
 すると、ふいにカンダタがクラリスに向き直った。
「なァ、クラリス様よォ。我っていうのァ、本当にあの扉のことか?」
「だと思うわ。光で満たさなきゃいけないのは、明らかにこの部屋でしょ?」
 クラリスは断固として言い張ったが、そこでジャックが何かひらめいたように顔を上げた。
「……いや、待てよ。クラリス、固定観念は一回取っ払っちまおうぜ? 大体、我なんて言ってるヤツは、そこらにあるモンじゃねえ可能性の方が高えんだ」
「それもあなたの固定観念じゃないの?」
 クラリスの問いかけには答えず、ジャックは再び丹念に扉を調べた。文字の他に、人の顔をした三日月と無数の星たちが描かれている。ジャックの表情がみるみるうちに輝き出した。
「分かった。こいつはきっと、夜なんだ。クラリス、夜が朝になる魔法はラナルータだけじゃねえ。もう一つ、あるじゃねえか!」
 モエギとカンダタは揃って首を傾げたが、クラリスはさすがに察しが良く、利発な瞳をジャックに向けた。
「……そうだわ! あれね!」
 そう、とジャックは確信めいた笑みを見せた。扉に向かって詠唱を始める。
「急がねえから、構成も楽だぜ……ザメハ!」
 瞬間、扉から閃光が放たれ、ぐるりと裏返ったかと思うと太陽と雲の描かれた面へと変わった。そこには、こう刻み込まれていた。
『我は始まりであり終わり。汝にとってこれは終わりであり、始まりである』
「すごい、ジャック!」
 モエギのハイタッチに応え、ジャックはガッツポーズをこれ見よがしに作ってみせた。
「てめェ、最初に気付いたのはオレだぞ!」
 カンダタは抗議しながら笑っている。クラリスはというと、扉が動いたのにもかかわらず、じっと思い詰めたようにジャックを見つめていた。
「クラリス、お前も喜べ! ほれ、中入るぞ!」
 ジャックは全員を巻き込んで回転扉の向こうへ突入した。そこは、丁度四人が入ってぴったり収まる程の小部屋だった。天井にはくもの巣が張っており、かび臭い匂いが鼻を突く。
 そして、そこには子供が使うような机と、一本の古びた巻物が置かれてあった。クラリスはそれを目の前にし、感慨深げにつぶやいた。
「間違いないわ。これが、悟りの書……」
 巻物を広げようとして、思い留まったのかクラリスはそれをジャックに手渡した。ジャックは目をぱちくりさせている。
「クラリス、お前が広げていいんだぜ?」
「いいの。扉を開いたのはあなただもの。あなたが広げるべきだわ」
 クラリスの瞳は先程とはうって変わって、どこか陰りが見受けられた。ジャックはしばらくためらっていたが、意を決して巻物の紐を解いた。モエギとカンダタも覗き込む。
 だが、巻物の中身は全て、白紙だった。
「……何、これ? あぶり出し?」
 モエギが疑問を投げかけると、真に受けたカンダタがたいまつを巻物の下に当てた。それでも何の変化もない。ジャックもたまらずクラリスに視線を向けた。
「クラリス……『賢者の誓い』は? これ、持って帰っていいのか?」
 クラリスも想定外だったらしく、巻物を取り上げて隅から隅まで調べてみたが、やはり何の記述も見当たらない。ジャックは全身をわななわと震わせた。
「ジジイーッ! どんだけSなの!? どこまでオレたちをいたぶるの!? この身も心もっ!」
「静かにしてっ!」
 わめくジャックをクラリスが一喝する。耳鳴りがする程の静寂が四人を包んだ。
「……お祖父様は、無意味に厳しい人ではないわ。ジャック、あなただっていい加減分かっているでしょう?」
 ジャックは視線を落とし、むっつりと黙り込む。見かねたカンダタが代わりに弁明した。
「クラリス様よォ。世の中、あんたのような聞き分けのいい人間ばっかりじゃねェんだよ。男ってのァ、反発心がどっかこっかにあるってモンなのさ」
「でも、あたしもクラリスに賛成。ヨシュア大神官のことはよく分からないけど……何か考えがあるんだよ、きっと」
 少女二人に神妙な面持ちで見つめられ、ジャックも折れたのか、渋々といった表情で巻物を受け取り、元に戻した。
「冗談だよ、冗談。オレはこういうのがもう染み付いちゃってるの」
「嫌な染みね」クラリスはつくづくジャックに容赦がない。
「じゃあ、もう行ってない所はないよね。一旦神殿に戻って、ヨシュア大神官に聞いてみるしかないね」
「おう、嬢ちゃんの言う通りだな。オレァもう、腹減って斧振るう気もしねェ」
 四人はうなずき合い、白紙の悟りの書はそのままにし、残った気力を振り絞り塔を出、ダーマへと帰還した。



 モエギたちは数日後の昼神殿に戻り、その足でヨシュアの居所を尋ねた。ソフィアは自室にいる、と神殿の奥へ案内してくれた。
 いくら修行に協力したとはいえ、一介の旅人が大神官のプライベートな部屋に入って良いものだろうか。カンダタは廊下で待っている、と自ら辞退――否、拒否したが、モエギが考えあぐねいていると、ジャックが入れと促してくれた。
 部屋は、深緑に金糸の紋様が刻み込まれたじゅうたんが一面に敷かれ、壁にもダーマの紋章らしきタペストリーが掛けられている。ヨシュアは窓辺に立ち、じっとその先を眺めていた。
「お祖父様、ただいま帰りました」
 クラリスを筆頭に一礼すると、ヨシュアはこちらを振り向いた。
「……無事戻ったか。あの男の姿が見えないようだが」
「カンダタも一緒です。ただ、ここに入るのをためらっていて……」
 ためらうも何も嫌なんだよ、と吐露するカンダタの声が聞こえてきそうだが、ヨシュアはふむと納得したようだった。
「そうか。して、どうであった」
 待ってましたと言わんばかりに、ジャックがヨシュアに詰め寄った。
「ジイさん、悟りの書は見つけたけどよ、白紙を置くってのはどういうつもりだよ。説明してもらおうじゃねえか」
「お祖父様、お言葉ですがわたしからも。何かお考えがあってのことだとは思いますが、命がけの探索の末路があれでは、さすがに酷というものです。何故あのようなものを……」
 ヨシュアは孫たちに詰問されても、顔色一つ変えずにこう言った。
「では、お前たちが目にした悟りの書は、白紙であったと」
 ジャックとクラリスは揃ってうなずいた。すると、ヨシュアはおもむろに皺だらけの手をぱちぱちと叩き始めた。拍手のつもりらしいが、無表情なのが怖い。
「ジイさん、何がめでたいんだよ!」
 ジャックが突っ込むと、ヨシュアは拍手を止め告げた。
「分からぬか。お前たちは、これで一人前の賢者になる資格を得たのだ」
「分かんねーよっ! 大体、『賢者の誓い』とやらはどうすんだよっ!」
 声を荒げ、肩で息をするジャックを横で眺めていると、これでは反発するのも無理ないと思った。ヨシュアの話は飛躍しすぎている。
「お祖父様、もう少し分かりやすいようにおっしゃっていただけませんか?」
 クラリスも困惑している。この祖父を何年も相手にしているとは、クラリスはおろか、亡きソラリスの苦労も分かるような気がした。
「ふむ。あの塔にあった悟りの書は、偽物だ」
「偽物!?」三人は同時に声を上げた。ヨシュアの説明によると、話はこうだ。
 賢者というのは、大神官の親族でなくとも素質があれば就くことが可能で、そういった者には必ず最後の修業として、ガルナの塔へ向かわせている。だがあの部屋に辿り着くことが出来るのはその中のほんの一握りで、それがかなわなかった故にでたらめの誓いを口にする者がおり、その対策としてあえて白紙のものを置いている、とのことだった。
 ヨシュアは部屋の奥にある机の引き出しを開け、二冊の真新しい書物をそれぞれ孫たちに手渡した。
「今まで、よくぞ修行に耐えた。これの一番始めに、誓いは書かれておる。これを『悟りの式』で読み上げよ」
 ジャックとクラリスが書物をめくる。指通りの滑らかな、上質の紙が使われている。モエギも傍らで覗いてみると、最初に賢者の誓いが記されており、他に呪文と魔法陣らしき図式がずらりと並び、また様々な知識の記述も見受けられた。
「あの……巻物じゃないんですか?」
 モエギが尋ねると、ヨシュアは淡々として答えた。
「昔は悟りの書も巻物だったが、それでは使いづらい、とごねた娘がおってな。……儂の娘だったのだが」
「……お袋」
 ジャックがつぶやく。と、扉が開き、ソフィアが姿を見せた。
「ごめんなさいね、仕事の方が立て込んでいて……まあ、お父様もう悟りの書を渡されたのですか?」
「うむ。ソフィア、三日後に式を執り行う。全ての者に手配をするよう伝えよ」
 ソフィアは瞬時に顔を輝かせた。返事と共に、ジャックとクラリスに向き直る。
「クラリス、ジャック、よくここまで頑張ったわね……。『悟りの式』を行うのは、姉さんの時以来なのよ。準備は私たちに任せて、あなたたちはゆっくり休みなさい」
 さらに、ソフィアはモエギにもねぎらいの言葉をかけてくれた。
「モエギさんも、力を貸してくれてありがとう。あれから間もなかったのに……」
「いえ、あたしは……」
 モエギが恐縮していると、クラリスもはつらつとした笑顔を向けた。
「ダーマを訪れた武闘家の中でも、モエギさんほどの人はいないわ。そうよね?」
 話を振られたジャックは、頬をぽりぽりと掻きながら視線をさまよわせた。
「まあ……な。ものすごい勢いでドラゴンの眉間に爪刺しちまう女、そういてたまるかってんだ」
「何よ! 眉間が弱点だって言ったのはあんたでしょ!」
「そうだけどよ、何の躊躇もナシに向かって行ったお前にはおったまげたね」
「塔から飛び降りる時情けない悲鳴上げてた男よりずっとマシよ!」
「うるせー! 人は誰しも欠点があるの! だって人間だもの!」
 モエギとジャックが言い争っていると、ヨシュアが大きく咳払いをした。叱られるかと思ったが、ヨシュアがそういった素振りを見せることはなかった。
「……とにかく、各自式まで療養し、備えること。……ジャック」
「何だよ」
 未だに横柄な口を利くジャックに、クラリスとソフィアは呆れたように顔を見合わせる。ヨシュアは鋭い眼光でジャックを見据えた。
「お前には、もう一つ最後の修業を課す。
 けじめをつけろ。でなければ、賢者になることは許さん」
 ジャックは一瞬茫然とし、「……は?」と食い入るように祖父を見つめた。だがヨシュアはそう言ったきり、孫を追い払うようにして手をひらめかせた。
 途端に憤慨し、猛抗議しようとするジャックをソフィアが諫め、モエギたちをまとめて廊下へ押し出した。カンダタがのんきに迎える。
「おう、出てきたか。何そんな怒ってンだ?」
 モエギは肩をすくめてみせた。ジャックは怒りに全身を震わせながら、ぶつぶつと文句を垂れている。
「言ってることが分かんねえんだよ……あのクソジジイ……」
「何だ、またかよ。てめェぐらいだぜ? 大神官に悪態つけるのは」
「そうよ。あなたはお父様に甘えてるだけ」
 モエギたちは一斉にソフィアを見た。いつも穏やかな彼女は、珍しく厳しい眼差しをしていた。
「ジャック。賢者というのは、人の上に立つ存在よ。いつまでもその調子じゃ」
「分かってんだよんなこと!」
 ジャックは一瞬しまった、と表情を歪めたが、すぐに踵を返し自分の部屋に飛び込んでしまった。
「ジャック!」
 モエギが追おうとすると、カンダタが肩を掴み引き止めた。
「嬢ちゃん、ほっとけ。あいつァ、人にとやかく言われるのが好きじゃねェんだ。オレもそうだけどよ」
「でも……!」
 モエギも、いつものように反発しているだけだと思っていた。だが、今の表情を見て放っておく訳にはいかなかった。
「モエギさん、この人の言う通りよ」
 そう言ったソフィアは、人の良い叔母ではなく神官長の顔をしていた。
「これはジャックの問題よ。あなたが心配する気持ちも分かるけれど……賢者になるためには、それにふさわしい人物でなければいけないの。そっとしておきなさい」
 モエギは拳を握りしめ、うなだれた。
 力になりたい。物理的なものだけでなく、ジャックの精神面でもなりたいと思う。かつてモエギが人としての道徳を踏み外した時、諭してくれたように。
 なのに――モエギは自分の無力さに失望した。
「……モエギさん。放っておいてあげるのも、優しさのうちよ?」
 顔を上げると、そこにはもういつものソフィアがいた。
「……はい」
 小さくうなずくモエギを、クラリスとカンダタが静かに見守っていた。



 ジャックは部屋に入った後、ベッドに突っ伏したまま意識を失っていた。
 ガルナの塔でのことが身に堪えたのだろう、強い睡魔に襲われ、気付いた時にはあまりの寒さに身震いが止まらなかった。
 急いで暖炉に薪をくべ、メラを唱えるとじゅうたんの上に座り込み、炎と向き合った。窓の外は既に真っ暗だ。
 もう夕食の時間だろうか。だが、あの祖父と顔を合わせるのは、今は嫌だった。
 ヨシュアに、甘えている――父方の祖父母はジャックが生まれる前に他界しており、母の親族とは離縁していると、父に教わっていた。老人を相手にするのは苦手ではなかったが、それが血縁、しかも自分と同じ銀髪の人間となれば、自然と特別な存在になるのも無理はないのだろう。
 また、やぶからぼうに分かっている、と言った訳ではない。賢者となるからには、それ相応の人徳があるに越したことはない。祖父もそれを思い、ジャックにより厳しくあたるのだろう。
 だが、いくら血統上ダーマ大神官の孫とはいえ、ジャックはそれとはあまりにも異なる人生を歩んできた。決して裕福ではなかったし、金のために人をおとしめたことも数知れない。
 何より、ずっとこの気ままな性格だ。賢者とは名ばかりで、俗に言う『遊び人』の方がよほどしっくり来る。
『けじめをつけろ』
 ヨシュアの言動は凡人離れしているが、ここまではっきりしない物言いは初めてだった。かといって、具体的に示してもらわなければ何も出来ないような、落ちぶれた人間だと見なされるのは死んでも嫌だ。
「……このへらず口をやめろってか? そいつぁ、無理な相談だぜ」
 真面目という言葉が似合うのは、アルトのような男だけで十分だ。もし自分が似合うとすれば、それはもうジャックではない。
 けじめをつけること、それはすなわち賢者になることだと思っていた。だが、それでは許されないのだ。
「くそっ、どうすりゃいいんだよ……!」
 頭を掻きむしっていると、控え目に扉を叩く音がした。おそらくソフィアか、クラリスだろう。
「……開いてるけど」
 ぶっきらぼうに言葉を投げかけたが、再び音がした。
「手が塞がってるのよ。開けてくれるかしら?」
 叔母の声だった。扉を開けると、ソフィアがトレイを手に入ってきた。
「ありがとう。寒いわね、この部屋。あなた平気なの? それに、明かりもつけないで……」
「いや、さっき火起こしたばっかだから……」
 部屋には応接用のテーブルと椅子があるので、ソフィアはそこにトレイを置くと、部屋の明かりを灯し薪を暖炉に足し始めた。
「おばさん、オレがやるからいい……」
「いいのよ。お腹減ってるでしょう? そこにあるもの食べなさい」
 テーブルにつくと、トレイの上にはビスケットらしきものと、淹れたてなのか湯気を立てる紅茶が乗せられていた。
「おばさん、オレぁ大の男だぜ? もっとこう、精のつくモンを」
「いいから、食べなさい」
 今日のソフィアはいつになく強気だ。何を言っても言いくるめられてしまう。仕方なくビスケットを一口かじると、思ったより歯ごたえがあり、あごに力を入れるとようやくバキン、と折れた。ソフィアにこれを振る舞われたのは初めてだが、何故か、懐かしい味がする。
「堅えなコレ……でも甘いぜ? おばさん、何だコレ」
 ビスケットはバターの風味が強く、その割にはさほどくどい味ではない。何より、舌の上で驚くほどすっと溶けていく。ソフィアも椅子に腰を下ろすと、ちゃっかり二人分用意してあった紅茶をすすった。
「ダーマ一族の女は、みんなこのお菓子の作り方を伝授されるの。姉さんが作ったのを食べたことがない?」
 ふと、ジャックの脳裏にある記憶が蘇った。まだ母ソラリスが生きていた頃、やけに堅い菓子を食べさせられたことがあった。乳歯しかないジャックや妹たちが食べられない、と訴えたら、それを砕いてミルクでふやかしたものを与えられたはずだ。そして、その菓子が父の大好物だったことも、思い出した。
「姉さんのはやけに堅かったわね。お父様も渋い顔して食べていたわ」
 ヨシュアのことが話に出、ジャックは眉を曇らせたが、ソフィアは構わず続けた。
「それ、滋養強壮によく効くのよ。そうだわ、あなたたちが旅立つ時になったら沢山持たせてあげるわね。日持ちもするし」
「そりゃどうも」
 我ながら気のない返事だと思う。何せ、本当に賢者になれるのか分からないのだ。案の定ソフィアはしかめっ面をしたが、なかなかお説教が飛んでこなかった。
「うまいなコレ。カンダタには食わせたくねえな」
 苦し紛れにもう一つ手を伸ばすと、ソフィアがやっと口を開いた。
「……あなたと姉さんは、よく似てるわ。人に指図されるのが大嫌いで、自分の思ったことをどんどん口にしてしまう。けれどそれが決して愚かな考えではないから、責めるに責められない。お父様と口喧嘩ばかりしてるのもそっくりよ」
 ソフィアとは散々ソラリスの話をしたが、そういったことを言われたのは初めてだった。ジャックは片眉だけ上げてみせ、ビスケットを黙々と食べ続けた。
「姉さんは、自分がいなくなることで神殿がどうなるかを考えていなかった。姉さんは確かに天才だったわ。けれど、賢者になれたのは姉さんだけの力じゃない。お父様や、慕ってくれる皆がいたからよ」
「そして結局は、お袋がここを飛び出したことを責めるのか。裏切った、ってよ」
「そうじゃないの。ただ、あなたにも――」
 ジャックは菓子を飲み下すと、叔母を睨み据えた。
「けど、お袋と親父が出会わなけりゃ、今のオレはいねえんだよ。妹たちもそうだ。もうお袋の話は勘弁してくれ」
 視線を落とすと、ソフィアがごめんなさい、と細くつぶやいた。
「そうね。姉さんとあなたはまた、違う人間だものね……」
 ダーマを去り、その後二度と戻ることのなかったソラリスを恋しがる気持ちも分からなくはない。だが、姉の話になると見境がなくなるのは叔母の悪い癖だ。
 しかし、叔母はソラリスの訃報を知ってまだ数ヵ月しか経っていない。自分がむしゃくしゃしていた時とはいえ、さすがに罪悪感を覚えた。
「……わりぃ、おばさん。続けてくれないか?」
 ソフィアはほっと息をつき、話を戻した。
「ジャック、私が言いたいのはね。自分の好きなように生きるだけじゃいけないってことなの。一人ならそれでもいいわ。けれど、あなたには仲間や家族がいるでしょう? 神官たちも、あなたがガルナの塔を攻略したと聞いて感心していたのよ」
 ジャックが口を挟む間もなく、ソフィアは続けた。
「皆、あなたが賢者として認められることを望んでいるわ。それを幼稚な自分で無駄にする気なの?」
「幼稚、って……またグサッとくるな」
 おどけてみせたが、ソフィアがにこりともしないので、ジャックも笑みを消した。
「私は、あなたのひょうきんな所は好きよ。でも、いつもその調子では賢者として、失格よ」
 さらに話が続くと思っていたが、ソフィアは紅茶を飲み干すと席を立った。ジャックは無意識のうちに呼び止めていた。
「おばさん! オレ、どうすりゃ……」
 ソフィアは振り向くと、目を細めた。
「食べ終わったら給仕の子に渡しなさい。暖かくして寝るのよ」
 扉が閉まり、足音が遠ざかると、ジャックは額を抱えた。
「思ったこと口にするのは、オレの血筋全員だろ……」



 その後数日間、ダーマは『悟りの式』と、賢者の卵二人の噂で持ち切りとなった。神殿側は式の執行後、盛大な宴を開くという。カンダタは腹いっぱい食うんだ、と宴に備え食事を減らしている程だ。
 チュンはというと、モエギが式までいれば、と引き止めたのにもかかわらず、早々に下山してしまった。だがチュンのしたことを考えると、それ以上無理を言う訳にはいかなかった。幸い、彼が最後に見せた表情が笑顔だったので、それが唯一の救いと言える。
 滞在者は皆、男はクラリスを、女はジャックをしきりに話題の種とし、憧れの存在として崇めていた。モエギは黄金の爪の一件でジャックと仲間だということが知れ渡っており、うんざりする程ジャックを紹介して欲しいとせがまれた。アリアハンにいた頃はそういったことが一種の生業だったが、今は到底する気にはなれず、かどが立たない程度に断っている。
 その一方で、かつてダーマを捨てたソラリスの息子であるジャックが賢者になろうとは、と難癖をつける者も若干だがいるようだ。とはいえ、ジャックは大神官直々に修行をつけてもらったのだし、何より『銀の賢者』という存在価値があるので、他の者もそう強くは糾弾出来ない。だが、それでもジャックのあの振る舞いを知った上で、面白くない、と考えているらしい。
 周囲の騒ぎようを目の当たりにすると、いよいよジャックも立場上高貴な人物になるのだ、という実感を無視出来なくなる。信じられないよね、とサーラやアルトに冗談めかして笑いかけたかったが、彼らは今いない。
 早く、四人でまた旅がしたい――自分をこれ程までに寂しがり屋だと思ったことは、今までになかった。
 ダーマに帰還してからの数日間はあっという間に過ぎ、式当日を迎えた。
 神殿には至る所に紋章入りの垂れ幕がかけられ、祭壇のある大広間では数十名の神官たちがせわしなく式場の設営に汗を流していた。今日は皆、何故か灰色のローブを纏っている。その中で筆頭に立って指示を飛ばすソフィアの姿を、モエギは広間の隅で追っていた。
 ちらほら滞在者たちも集まり始めているが、モエギは一人で式を見たい、と仲の良い娘たちに言っておいた。彼女たちは幸い、モエギの心中を察してくれた。
 話によると、ジャックたちは賢者の正装をして式に臨むという。ジャックは、ヨシュアの言っていた修行を乗り越えたのだろうか――あれ以来ジャックとは会っておらず、それがひどく気がかりだった。
 次第に人が増え、広間には立食用のテーブルが並び始めた。式は正午から始まるという。このままぼんやりと待っているのが嫌になり、モエギは立ち回るソフィアに歩み寄っていった。
「ソフィアさん、あたしも手伝います。動いていないと何か落ち着かなくって」
 すると、ソフィアは意外にもそれを断った。どうして、と尋ねると、ソフィアは微笑んで告げた。
「気持ちは嬉しいわ。でも、悟りの式は神官たちだけで準備するのがならわしなの。ほら、お知り合いが来たわよ」
 振り返ると、カンダタが入口付近で辺りを見回しており、モエギを見つけると足音を立ててやって来た。
「おう、ここにいたか。オレァ式に備えて、さっきまで寝てた」
「ごちそうに、でしょ。あんた、髪ぼさぼさじゃない! そんなんじゃつまみ出されるわよ」
 咎めると、カンダタは手ぐしで髪を整え、ニカッと黄ばんだ歯を見せた。
「別にいいんだよ。主役はオレじゃねェんだから」
 それもそうね、とうなずいてみせると、ソフィアがくすくすと笑った。
「確かにそうね。でも、最低限の身だしなみは整えていただきますから」
「おう……クラリス様のオフクロさんに言われちゃ、仕方ねェな」
 ソフィアに礼をして離れると、カンダタもそのままついて来た。
「嬢ちゃん、今日は一人かァ? 珍しいじゃねェか」
「たまにはあたしだって一人でいたいの。複雑な乙女心ってやつ」
「へェ。だがオレァ、嬢ちゃんと一緒にいるぜ」
「……人の話聞いてる?」
 半眼でカンダタを見上げるが、当の本人は一向に離れようとしない。まあ、この男ならジャックについて口うるさく言わないだろう。モエギはそれ以上詰問しないことにした。
 テーブルには料理が続々と運ばれ始めた。おそらく、各地のあらゆる食材を揃えたのだろう。色鮮やかな葉野菜の上に盛られた、肉汁したたるローストチキン、様々な野菜が彩りを添えるサラダに果実の盛り合わせ。また、ポルトガで口にしたパエリアなど、諸国の料理も数多く並べられている。
 一体この式に、どれだけの労力と費用が注がれているのだろう。それだけに、ますますジャックが無事式をこなせるかが心配になってきた。
 そんなモエギの気持ちは露知らず、カンダタは今にもかぶりつきそうな勢いで、料理を食い入るように見つめている。
「どれもうまそうだなァ。この神殿、何かと金がいりやがるから相当儲けてるんだろうが、ここから金持ち出したら本当の大悪党だぜ」
「あんたならやりかねないからやめて」
 冷たくあしらうと、カンダタは苦笑した。
「まァ、本当に持ち出すとしたら、それは嬢ちゃんだなァ」
「またそんなこと言って。クラリス様、の間違いでしょ」
 ちげえねえ、と笑い出すかと思ったが、カンダタが真顔だったので、モエギは顔から血の気が引いていくのを感じた。
「……や、やめてよね。あたしみたいなガキを」
 すると、カンダタはふっと風が凪いだような息を漏らした。
「……安心しろや。嬢ちゃんを取って食うような真似はしねェよ」
 いつもと声の調子が違ったので、モエギはまじまじとカンダタを見つめた。それに応えるように、カンダタも真っ直ぐモエギの瞳を見据える。
「昔、いたんだよ。嬢ちゃんに瓜二つの、娘っ子がよ」
 え、と聞き返したモエギの声は、拡声器によって遮断された。
「皆様、間もなく『悟りの式』を執り行います。それまでしばしご歓談を」
 ソフィアの声だった。気が付けば、広間は滞在者や神官で溢れ返っている。これだけのざわめきの中で、カンダタの一言だけがやけにはっきりと聞こえた。
 もっと詳しい話を聞きたかったが、カンダタはそれきり何も言わなくなってしまったので、モエギも黙って式が始まるのを待った。
 程なくして、ソフィアの声が再び大広間に響いた。
「皆様、大変長らくお待たせしました。これより、『悟りの式』を執り行います。まずは、大神官補佐ノイルド様より開式の辞を」
 大神官補佐ノイルドは、普段の華美さとはうって変わって、神官たちと同じく薄い灰のローブを身に付けていた。予想より簡潔に挨拶が終わると、ソフィアが進行を続けた。
「続きまして、大神官ヨシュア様と、今回賢者の啓示を受けるクラリス、ジャックの入場です」
 すると、奥からヨシュアと、それに続いてクラリス、そしてジャックが登場し、ゆったりとした足取りで祭壇に上った。やはり由緒正しい儀式のためか、拍手や歓声は一切ない。
 ヨシュアは普段通りの装いだったが、クラリスはマントを、ジャックはローブをそれぞれ水色の衣で統一しており、それはモノクロームの神殿の中で一際鮮やかに映った。神官たちが無彩色のものを纏っている意味がようやく理解出来た。
「へェ。別人じゃねェか、あいつ」隣でカンダタが感心したようにつぶやく。
「それでは、今日ここに誕生する二人の賢者より、誓いを述べさせていただきます」
 大広間が緊張で満たされる。ジャックとクラリスがヨシュアに向き合い、悟りの書を手によく通る声で誓いを読み上げ始めた。
「母なる大地と、精霊神ルビスよ。
 我らここに誓わん、己の英知と健全なる肉体精神を持ってして、いかなる至難をも恐れず、ただ信ずるままに躍動の道を歩まんと。
 我らは悟りし者。いついかなる時も、清新の心を忘れず、世界の全てを見据えし者である」
 長い静寂が続いた。これでヨシュアが啓示を与え、承認すれば無事二人は賢者と認められる。
「では、大神官より啓示を」
 大神官補佐が銀の盆を差し出し、ヨシュアはそこから真ちゅうの額飾りを手に取った。遠目に見ているのでよく分からないが、中央にはクラリスの瞳とよく似た宝玉が埋め込まれている。
 クラリスがひざまずくと、ヨシュアは印を結び、祝福の言葉と共に額飾りを授けた。広間は割れんばかりの拍手に包まれた。
 クラリスはおそらく、幼少時からヨシュアの手ほどきを受けてきたのだろう。それだけに、長年かかって正式に賢者と認められた今の胸中は計り知れない。モエギも惜しみなく拍手を送った。
 ヨシュアは引き続き、盆から緑色の宝玉がはめ込まれた腕輪を手にし、ジャックの前に立った。だがジャックはひざまずかず、またヨシュアも腕輪を与えるどころか、何やらジャックに囁いた。広間は何事かとざわめく。
「オイ、ここまで来て賢者にァなれねェってことかァ?」
 ここでヨシュアの思惑が働くのか。モエギは答えることが出来ず、信仰者でもないのに胸の前で手を組み合わせた。
「皆様、お静かに願います。大神官の意思により、これよりジャックから改めて、賢者の誓いを述べさせていただきます」
 人々は驚くばかりか、破格の扱いをされるジャックに対し皮肉を口走る者まで見受けられる。おそらく、これがヨシュアの言っていた最後の修業なのだ。祭壇の傍らにいたソフィアから拡声器を受け取ると、ジャックはモエギたちの方向に向き直り、短く息を吸った。
「……オレは、生まれてこのかた、自分が大神官の孫であること、そして銀の賢者であることを、知らなかった」
 それは、こんな喋り方も出来たのか、と耳を疑う程、ジャックにしては深く通る、落ち着いた声だった。人々のざわめきが小さくなる。
「今までずっと、オレは自分の好きなように生きてきた。それがたとえ誰かのためであっても、自分のやりたいことだけを通して、自分が楽しければそれでいいと思っていた」
 広間には再び困惑が広がる。あんな奴を賢者にしてもいいのか、という非難の声もちらほら起こった。モエギは気が気でない。
「けれど」
 その一言で、広間は再び静まり返る。ジャックの一言は、わずかに怒気をはらんでいた。
「オレは大切な仲間を失った。そして自分も、死にかけた。死ぬっていうのは恐ろしいもんで、今までの泣いたり笑ったりっていう当たり前のことが突然出来なくなっちまう。その当たり前を奪っている奴らがいて、そいつらは世界っていう、オレたちの当たり前すら奪おうとしている」
 ジャックなりに今までのことを振り返り、ロイドを始めとする魔王側への怒りを表そうとしているのだろうが、口調が普段と変わらなくなってきている。モエギは手をきつく握り合わせた。
「けど、オレはその代わりに新しい仲間に出会った。そいつらは、魔王を倒すっていう馬鹿でかい目標を、ただ当たり前のように目指している。いつ死んじまっても、おかしくないのに」
 モエギたちのことだ。かつて、ジャックはロマリアでこうこぼしていた。正直言って、魔王討伐などにつき合う気にはなれない、と。今ももしかすると、そのような思いを胸の中に残しているのかもしれない。
 だが、ジャックの次の言葉は、モエギには想像もつかなかったものだった。
「そいつらがいるから、そしてこんなオレを慕ってくれる奴らがいるから、今のオレがここにいる。だから、オレはそいつらの当たり前を守りたいんだ。
 オレが賢者になる理由は、それだけだ!」
 突き抜けるような声が、大広間に静寂をもたらした。
 ジャックの誓いは、誰よりもモエギの胸に鳴り響いた。モエギだけではない、カンダタにも、ヨシュアたちの胸にも届いただろう。そして願わくば、サーラとアルトにも。
 ジャックは拡声器をソフィアに返すと、潔くヨシュアにひざまずいた。ヨシュアも今度はためらうことなく一連の動作を行い、腕輪をジャックの手首にはめると、孫たちと共にその間に立った。
「大神官ヨシュアの名において、ここに賢者クラリス、賢者ジャックの誕生を許す。ダーマの新たな風の前途を祝して、皆の者、杯を!」
 集まった者たちが次々と用意されていた杯を取り、天井高く掲げた。
「悟りし者の旅立ちに、幸多からんことを!」
 大広間は、かつて耳にしたことのない大歓声で満たされた。
「皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。これより祝宴の時間とさせていただきます、どうぞごゆるりと……」
 ソフィアが声を詰まらせているのが分かった。宴が始まり、有志らしき楽団の演奏が流れ始める。人々はテーブルに群がり、皆声をはずませている。そのほとんどが、ジャックとクラリスを祝福していた。
 その中で一人立ち尽くすモエギの肩を、カンダタがそっと叩いた。
「嬢ちゃんの分は取っておいてやらァ」
 カンダタは大股で料理に向かっていく。モエギはその背中に小さくうなずき返し、しばらく目頭を両手で覆っていた。



 宴は、夢のような一時をもたらした。人々の愉快な笑い声、楽団の荘重な調べが大広間を満たし、魔王が世界をおびやかそうとしていることこそが虚言のように思える程だった。
 だが、モエギはジャックの言葉をずっと反芻していた。カンダタが取り分けてくれた料理以外口にせず、一人広間を離れ、人知れず外に出た。
 暦から言えば、既に年の瀬を迎えようとしている。高地はただ荒々しい肌をむき出しにしており、西の山裾に滲むような斜陽が燦然と輝いている。
 モエギは腫れないように注意深く目をこすると、思い切り聖地の空気を吸った。寒冷な気を取り入れると、いくらか気持ちがしゃっきりしてきた。このまま宿に戻る気にもなれず、とりあえずぐるりと神殿の周囲を回ることにした。
 神殿と宿屋を結ぶ回廊をまたぐと、その右手裏には大神官のものだという庭園がある。岩の割れ目から清水がこんこんと涌き出ており、わずかに生えた草は霜で白く色づいている。奥の方には神殿と同じ色合いの東屋があり、モエギはそこに腰を下ろした。
 ――ジャックが、あのようなことを言うとは思わなかった。普段のジャックからはとても結びつかない言動だった。
 普通の人々が泣いたり笑ったり出来る生活を守るのは分かる。それがすなわち、平和だからだ。だが、モエギたちの当たり前を守るというのは、意味合いがよく分からない。
 それでも概ね人々の理解を得たジャックを目の当たりにすると、やはりダーマ一族の血なのだろうか、と思った。きっと、人々はジャックを大神官の孫だとか、ソラリスの息子、そして銀の賢者として第一に見てしまうのだろう。
 いつになればジャックと話が出来るだろう。宴が終わる頃合いを見計らって、ソフィアに掛け合ってみようか――
「あーさみぃ。こんなスースーしたモンいつまで着てろってんだ」
 ふいに耳に馴染んだ声が聞こえ、モエギはとっさに東屋を出た。神殿の裏の方から、晴天を切り取ったようなローブに白の外套を纏った銀髪の男が、こちらに向かってくる所だった。こちらに気付いたのか、足を止める。
「あ、あんた、何でここにいるのよ!」
 モエギが指を突き付けると、ジャックは不足そうに口を尖らせた。
「オレがあそこでずっと終わるまで愛想笑い作ってられると思うか? 用足してくるって言って、抜け出してきた」
 ジャックは宴の間、ヨシュアやクラリスと並んで上等の席に座り、他の者たちから祝いの言葉を投げかけられていたはずだ。
 ヨシュアの人脈は世界にも通じているのか、ロマリアやイシスなどからは今日のために王からの祝辞の文が送られており、ソフィアが宴の間に読み上げていた。そういった高位の者でなくとも、ジャックやクラリスは声をかけてくる者たちに快く応じていたのだが、やはり慣れないことで苦痛だったのだろうか。
 かといって、ジャックはもうダーマにとっては重要な人物なのだ。甘やかす訳にはいかない。
「主役のあんたがいないんじゃ、みんな寂しがるでしょ。早く戻りなさいよ」
 視線を外し、そっけなく告げる。だがジャックは困ったように頭を掻くだけだった。
「……まあ、ぼちぼちな。お前こそ、何でここにいるんだ? 内心びびってんだけど」
「ちょっと人に酔ったの。あんたが戻ったらあたしも戻るし」
 本当は誓いの真意を聞きたいはずなのに、口をついて出てくるのはいつもの突き放すような言葉だ。ジャックは天を仰ぎ、ため息をついた。
「……しかし、ジイさんもあれだけの人間の前でよくやるよな。そこでアドリブかますオレもオレだけど」
「アドリブにしては出来すぎてない? あんたがあんなこと考えていたなんて、思わなかった」
 すると、ジャックは長い瞬きをして、つぶやいた。
「ああ。何日か前におばさんに説教されてよ。それもあったのかね……」
「びっくりしたわ。『オレが賢者になる理由は、それだけだ!』だって。ホントに?」
 モエギが詰め寄ると、ジャックもたじろいで白状した。
「あー……あれは勢いもあるかも。それだけの訳ねえだろ、何にもねえ所から炎やら氷やら出せるようになったんだぜ? やっぱりオレ自身がすごくなりてえってのもあるよ」
「……そう」
 と、唐突に突風が吹きつけ、モエギは自分を抱きすくめた。大広間は火が焚いてあったため、外套を用意していなかったのだ。ジャックが呆れたように言う。
「お前、外套もなしに出てくるなよな。言っておくけどよ、オレはこういう時『これであったかいだろ?』なんてむずがゆい真似絶対しねーからな」
 外套を着せてやる素振りをしてみせ、ジャックは口をへの字に曲げた。若干それを期待していた自分が嫌になり、モエギもそっぽを向いた。
「分かってるわよ! 誰もそんなこと言ってないし!」
 そう言ったそばからくしゃみをし、モエギは全身をがくがくと震わせ、鼻水をすすり上げた。何たる醜態だろう。
 すると、見かねたジャックはおもむろに外套を脱ぐと、モエギに押し付けた。
「ったく、お前はホントに手のかかる奴だな。それ着ろ」
 外套を両手に抱え、モエギが拍子抜けしていると、今度はジャックが震え出した。
「あーっ、ホントにさみぃな!」
 身体のみならず、歯もがちがちと鳴らしている。モエギは肩をすくめ、ぬくもりの新しい外套をジャックに着せてやると、寒さに負けぬよう背筋を伸ばした。
「バカね。アッサラーム育ちの奴に寒さで負けてたまるもんですか。さ、それ着て戻ったら?」
「……人のせっかくの厚意を無駄にしやがって」
 尚も負け惜しみを言うジャックに、モエギはそれとなく尋ねた。
「……ねえ、あたしたちの当たり前を守るって、どういうこと?」
 神妙なモエギの表情が移る。ジャックはゆっくりと外套を羽織ると、こう告げた。
「それは、バラモスを倒すまで、お前らについて行くってことだ」
 じゃあな、とジャックは口元をつり上げ、元来た道を戻っていった。モエギはその背中を見送りながら、今までのことを思い返した。
 最初はただのいけ好かない軟派野郎だと思っていた。かといって、大神官の孫と崇められるような聖人でもない。
 盗賊であろうと、賢者であろうと、ジャックはジャックなのだ。そうである限り、格差を気にする必要はない。
 何故、あの時涙が溢れたのかはっきりとは分からなかったが、あの時のジャックは確かに、まぶしく輝いていたのだ。
「……もう泣き虫は、やめないとね」
 遠く離れた親友へ、モエギは囁くように語りかけた。