過去の影 悟りの書 5



 黄金の爪による騒動により、武術訓練場は一時閉鎖され、その間モエギは暇を持て余していた。
 この数日であったことといえば、カンダタが試験の際身分証明と過去の経歴を問われ、ごまかそうとした所神官と口論になり、挙句の果てに相手に殴りかかろうとして押さえられ、謹慎処分になったことと、意識を取り戻したチュンと話したことくらいだ。
 満身創痍だったチュンがいくらか気力を取り戻したとソフィアに教えられ、モエギは彼のいる救護室を訪ねた。
 黄金の爪、もとい古代イシス王の脅威は相当なものだったのだろう。修行をしていた男たちがまだ苦悶の表情を浮かべながら療養していた。彼らとの摩擦を避けるためだろう、チュンは贅沢にも個室を用意されていた。
 チュンは、部屋に入ってきたモエギを見るなりぼんやりしていた瞳を見開き、開口一番に尋ねた。
「あんた、その髪……」
 モエギは十分すぎる程短くなった髪を触り、明るく答えた。
「切ったの。ショートカットも悪くないでしょ?」
 元々二つに結い上げていたのだ、首元の寒さは変わらないし、モエギとしては戦いの時に邪魔にならなければ良いのだが、それでもやはり長年伸ばしていた髪を失った寂しさが、口元に滲んでしまった。
 チュンはゆっくり視線をそらし、沈痛な面持ちで詫びた。
「おれ……あんたに迷惑かけっぱなしな上に、あんたを傷付けて……。自分がこんなにしょうもなく思えたのは初めてだよ」
 はは、と乾いた笑いが空気に溶けた。
「おれ、もうあんたや他の奴らに合わす顔がないよ。体力が戻ったら、下山して家に帰ることにしたんだ」
 あのような騒ぎを起こしては、さすがに滞在し続けるのも酷だろう。モエギは何も言わなかった。
「なんか、さ……農家は兄貴が継ぐし、下の兄貴はバハラタでちゃんと家庭も持ってるし、おれだけぷらぷらしててさ。特にやりたいこともないし……でも」
 そこでチュンは言葉を切り、モエギをまぶしそうに見つめた。
「聞いたよ。あんたが魔王を倒すために旅をしてるって。大神官のもう一人の孫のことも。おれにはとても真似出来ないけど、あんたならきっと出来るよ」
 おそらく、ソフィアが話したのだろう。チュンはしみじみと語った。
「こんなおれでも、あんたは優しくしてくれたし、おれはあんたの一生懸命な所が好きだった。あんたを見てると、自分も頑張れるような気がしたんだ」 
 内心、チュンが何故自分に執着心を見せたのかが分からなかったのだが、ようやく合点がいった。自分をそんな風に見てくれる人間もいるものなのだ、と胸にほのかな熱が灯った。
「でも、これからは自分で何とかしてみるよ。時間はかかるだろうけど、せめてあんたに一人前の男として扱ってもらえるように、さ」
 チュンの表情は、怒りも呆れも受け止めて緩和してしまうような、元の柔らかさを取り戻しつつあった。
「……そっか。あんたならきっと、大丈夫だよ」
 モエギが出来る限り優しく言葉をかけると、チュンはへへへ、と顔を笑み崩した。
 そう、前向きであれば、きっと何とかなる。



 その日の朝、食堂でいり卵をつついていると、突然入口の方からどよめきが広がった。
「クラリス様!」
 人々は慌てて道を開け、何事かとクラリスの姿を目で追う。その美貌に惚れ惚れとしている男たちもちらほらと見受けられた。
 モエギも、何故クラリスが――と訝っていたが、彼女は食堂を見回し、モエギを視界に捉えると迷わず歩み寄ってきた。
「え、ちょっと何!?」
 彼女とはダーマに来た初日に話しただけで、黄金の爪の一件ではその場に居合わせただけだ。一体何の用だというのだろう。
 クラリスはモエギの目の前までやって来ると、小ぶりな唇を開いた。
「モエギさん……だったわよね。お祖父様があなたを呼んでいるの。一緒に来てもらえるかしら」
「はあっ!?」
 思わず席を立つと、向かいに座っていた魔法使いの少女がひらめいたように手を叩いた。
「ほら、あれじゃない? この前の――」
 モエギも一瞬そう考えたのだが、黄金の爪の一件についてだろう。褒められるのだろうかと思ったが、あれは元々モエギがまいた種だ。自分が青ざめていくのが分かった。
「あの……あたし怒られるの?」
 おずおずと尋ねると、クラリスはきょとんとしてから、モエギが彼女に抱いていた印象とはあまりにかけ離れた、愛らしい表情で笑った。
「まさか。とにかく、わたしについて来て。それと――」
 大神官の孫娘はさらにカンダタの名を挙げたので、モエギは目を丸くした。チュンの時と比べたらささいなものではあったが、仮に謹慎処分となっているカンダタを呼びつけるとは、果たしてどういった用件なのだろう。
「何だァ? 今日はやけに騒がしい――ん?」
 丁度階段から食堂に降り立ったカンダタを見つけ、モエギは大声でこちらに来るよう手招きした。カンダタの巨体を目前にしたクラリスは少々圧倒されたようだが、毅然と胸を張った。
「あなたがカンダタね。お祖父様から」
「おうおう、あんたが噂のクラリス様かァ。いいぜェ、オレの好みだ」
「……え?」
 クラリスは瞬時に顔をひくつかせた。おそらく、軟派な男は心底嫌いなのだろう。モエギは慌てて仲裁に入った。
「ま、まあまま! クラリスさん、それなら早いとこ行こう!」
 そしてカンダタには無言の視線を送った。カンダタはつまらなさそうに口を曲げる。
「まあ、いいけどよ……メシ食ってからでいいか?」
 カンダタの豪快な腹の音が、食堂にこだました。



 通されたのは、モエギとジャックがダーマを訪れた初日ソフィアに通された客室だった。部屋では既にヨシュアと、ジャックが待っていた。
「よう、久し振り……って、この前会ったけどよ」
 ジャックは相変わらずといった様子で片手を上げた。以前より構え方に落ち着きが出ている。髪のことに触れるかと思ったが、ジャックはそのままヨシュアに視線を向けた。
「ジイさん、こっちはモエギ。最初に会ってるよな。で、このオッサンがカンダタ。まあ……その、何だ、今は一応カタギだ。この二人なら白兵戦はお手のものさ」
 モエギは丁寧にお辞儀をし、カンダタは首だけで挨拶した。ヨシュアがカンダタの悪名を知っていないかとひやひやしたが、大神官は何も言わずに座るよう指示した。
「モエギ……と言ったか。そなたの活躍は聞いておる」
 大神官の耳にも、やはりあの一件は届いているのか。照れ臭いような、恥ずかしいような気がしたが、モエギは素直に頭を下げた。
「ところで、嬢ちゃんはともかく、オレまで呼び出して何の用だァ? オレァ神殿のお偉いさんと慣れ合う気はねェ」
 カンダタはふてぶてしい態度で、ヨシュアを軽く睨んだ。この男の育ちを考えると、高貴な人物を苦手とするのも分からなくはないが、モエギはヨシュアが怒り出さないかと懸念した。
「ふむ。確かに、呼び出したのは儂だが……用があるのはジャックとクラリスなのだ。代わりに説明するがよい」
 クラリスは礼儀正しく返事をし、切り出した。
「今日、わたしたちがあなたがたを呼んだのは、あることに協力して欲しいからなの」
「ある、こと……?」
 二人はまだ修行中のはずだ。そこにモエギとカンダタが介入する理由など、皆目見当がつかない。ジャックを見やると、説明が代わった。
「ああ。修行の総仕上げに、オレとクラリスはここから北にあるガルナの塔に行って、『悟りの書』っつうモンを持ち帰らなきゃいけねえんだ。でもって、それに書いてある『賢者の誓い』ってやつをジイさんの前で読んで承認されると、晴れて一人前の賢者になれるってワケ」
「何だァ? そんなモン、二人で行けばいいじゃねェか。それとオレたちに何の関係があるってンだよ」
 クラリスは、カンダタの言い分に顔をしかめつつ返答した。
「ガルナの塔には魔物が棲み付いているの。もちろん、わたしやジャックにも対抗する力はあるわ。けど、お祖父様は打撃能力に長けた人間に協力を請うよう、おっしゃったのよ」
「それで、お前らが適任かなってよ。ま、あんたはダメ元で名指しさせてもらったぜ」
 ジャックが笑いかけるが、カンダタは気難しい表情で黙っている。確かに、カンダタの斧さばきは魔物とも互角に渡り合えるだろう。この中では誰よりも、力と体力に優れた戦士だ。
 だが、カンダタが問題を起こしたことはヨシュアにも知れているはずだ。大神官としては、常識的に考えてそんな人間に協力を請うのは遠慮したいはずだが――
「あの、大神官様……この人のこと知ってますよね。いいんですか? こんな大事なことに協力させて」
 モエギが尋ねると、ヨシュアは無表情のまま答えた。
「うむ……その者のことはジャックより、少しばかり聞いておる。だが、賢者の修業は内密なものでな。腕が立てば、協力者の過去の経歴は殺人以外不問としている。その代わり、特に報酬はないのだが……ジャックの友人であれば、引き受けてくれまいか」
 モエギは、ヨシュアの言葉に驚きを覚えた。初めてこの老人に出会った時は冷たいとすら思えたが、賢者の創出のためには手段を問わない切れた頭脳と、何よりジャックを思いやる心が見て取れる。
 もちろん、断わるはずがない。モエギは力強くうなずいた。
「はい。あたしで良ければ、喜んで同行させてもらいます!」
「……そうか。礼を言う。して、その者は」
 ヨシュアが視線を向けると、カンダタは苛立ったように後頭部を掻いた。
「待ってくれや。オレはオレなりに、迷ってンだ……」
「わたしはどちらでも構わないけどね」
 クラリスの冷徹な声に、モエギとジャックは苦笑する。が、意外にもその一言で、カンダタはくるりと表情を変えた。
「……そうかァ?」
 カンダタの意味深な笑みに、クラリスは目元をひきつらせた。
「な、何よその笑い方は……」
「よし、決めたぜ」
 どん、とテーブルを叩き、カンダタは勢い良く立ち上がった。
「オレも行くぜ。せっかく『クラリス様』とご一緒出来るんだ、そんな機会みすみす逃すワケにァいかねェなァ!」
 大声で笑い出したカンダタを茫然と眺めた後、クラリスはジャックに抗議を浴びせた。
「ちょっと! わたしこの男と一緒に行くの嫌! あなたよりずっとふざけてるわ!」
「当たり前だろ! あいつとオレを比べるな!」
「だって知ってるはずないでしょ!?」
 急にやかましくなった部屋の中で、モエギが困ったようにヨシュアを見ると、大神官はわずかだが苦笑していた。
 クラリスといいヨシュアといい、最初の印象から比べると随分人間らしい人柄になった。彼らが変化したのは、やはりジャックに感化されたからなのだろうか。
 そうであればいい――モエギもヨシュアに向かって、はにかんでみせた。



 ガルナの塔は、神殿の裏にある起伏にとんだ峡谷の向こうにそびえているという。ここはジャックとクラリスが修行をしていた場所らしく、先導したのはジャックだった。それにモエギ、クラリスが続き、しんがりをカンダタが務める。
 地面はただでさえ傾斜がきつく、足取りが重くなるのに加え、所々霜や氷が張っており、転ばないようにと気を張らざるを得なかった。だがジャックにとっては屁でもないらしく、いつも通り軽口を叩き始めた。
「いやー、オレもいよいよ賢者か。今まで無職みたいなモンだったからな」
「あんた、賢者がどんな存在か分かってるの? 再就職が決まった失業者みたいに言わないでよね」
 モエギがすかさず突っ込むと、クラリスもジャックの斜め後ろでうなずいた。
「そうよ。賢者――しかも銀の賢者は、一世紀に一人生まれるか生まれないかの希少価値なのよ? それが二人も、しかもそのうち一人があなたみたいなろくでもない男だなんて、本当は信じられないわ」
「そこまで言うかよ。あーあ、口うるさい女が二人揃うと気が滅入るね」
「何ですって!?」
 モエギとクラリスが同時に叫ぶと、カンダタが愉快そうに笑った。
「ジャックよォ、それは贅沢ってモンだぜ。こんなに可愛い娘っ子たちに囲まれて、うらやましいぜェ?オレとしてはよォ」
「テメーみたいなロリコンと一緒にするな。オレは年上か、せいぜい同い年しか範疇にねえよ」
 きっぱり告げられ、モエギの胸に鋭いものが突き刺さった。クラリスが顔を覗き込む。
「モエギさん? 顔色が悪いようだけど……」
「あ、ああ……ここ空気薄いからかな?」
 そう? とクラリスはやけに親身な瞳でモエギを見つめた。初めて出会った時と比べると、大分モエギに心を開いているようだ。これもやはりチュンの一件のおかげだろうか。
 それにしても――ジャックの、男にしては細身な背中を見つめる。
 当人がまだ子供っぽいためか、妹が三人もいるためだろうか。直接言われた訳ではないが、ここまではっきりと範疇外だと認識させられると、さすがに堪える。
 だが、今のモエギの気持ちは誰も知らない。アルトの時のようにだだ漏れにはしたくないのだ。サーラにすら、打ち明けるのを迷っているくらいだった。
「しかし、クラリス様がまだ賢者になってなかったとはなァ。今のうちかねェ」
 カンダタがにやつきながら、無精ひげの生えた顎をさする。この男くらい開けっぴろげに好意を口に出来たらどんなにか良いだろう。とはいえ、この男に至っては冗談なのか本気なのか、未だ計り知れないのだが。
「今のうちって何よ。あなたとの関わりはこれっきりよ、分かってる?」
「へッ、怒っても可愛いなァ。ますます好みだぜ」
 クラリスは付き合いきれない、といった様子で再び前方に向き直った。クラリスには申し訳ないが、カンダタのお気に入りが乗り換わったようで、モエギとしては一安心だった。
「クラリスさん、カンダタはそうやって冷たくしても逆に喜んじゃうから、無視無視!」
 比較的広い道に出たので隣に並ぶと、クラリスは苦笑した。
「クラリスでいいわ。でも、無視する訳にはいかないのよ。あれでも協力してくれる人だし……」
「そう? じゃあクラリス、あんまり刺激しない方がいいよ。あいつ、Sっぽいけどあなたに対しては真正Mみたいだから」
「えす……えむ?」
 クラリスが目をぱちくりさせる。どうやら、こちらは世間ずれしていない生粋の令嬢のようだ。モエギは思わず舌を巻いてしまった。
「あー、クラリスはそういうこと知らなくていいから。カンダタ、テメー冗談だとは思うけどよ、変な真似すんじゃねえぞ」
「分かってらァ。そんなことしたら、間違いなくオレの首が飛ぶしなァ。だから、やっぱり嬢ちゃんと……」
「なんで結局そうなるのよ!」
 迫ってくるカンダタを全身で拒絶していると、クラリスがふいに笑い声を漏らした。モエギとカンダタが不思議そうに見ていると、クラリスは首を傾げながらこぼした。
「あなたたちって、いがみ合っているけど息がぴったりだわ。案外お似合いかもしれないわよ?」
「な……クラリス、それだけは撤回してくれる!?」
「おう、クラリス様に言われちゃ本望なような、残念なような……」
 モエギはちらとジャックの反応をうかがったが、妹たちを相手にする時でも浮かべないような、柔らかな笑みでクラリスを眺めていた。胸が鈍く痛んだ。
 視線に気付いたのか、ジャックがこちらを見たので慌てて目をそらし、クラリスの手を引っ張った。
「ほら、行こうクラリス! あんなオヤジいなくても、あたしがちょちょいと魔物くらい片付けるわよ!」
 大股で先を進む。背後でジャックとカンダタが会話を始めたので、とりあえずこれで良い。
 クラリスはジャックをけなしてはいるものの、最初のような憎悪を向けることはもうしなくなったようだ。それは喜ばしいことなのだが、反面ジャックはこのいとこの少女をどう思っているのだろう。やはり、亡き母ソラリスを重ねているのだろうか。
「モエギさん、本当に調子が悪いんじゃないの? さっきから考え込んでいない?」
 声をかけられ我に返ると、クラリスは細い眉根を寄せて、本気で心配していた。
「……気になっていたんだけど、髪、短くしたのね。聞いたわ。あの時切り落とされてしまったって」
「ああ! 確かに今はちょっと寒いけど、また伸びるからいいの!」
 明るく言い放つと、クラリスも安心したように微笑んだ。この少女も、実は思った以上に根は優しいのかもしれない。
 だが、ジャックは寒々しい程短く切り揃えられたモエギの髪を見ても、まだ何一つ言わない。
 あたし、何て言って欲しいんだろう――モエギのつぶやきは、心に仄暗い影を落とした。



 神殿を経って数日後、モエギたちは無事ガルナの塔に辿り着いた。塔はダーマ創設の数十年後に建築されたらしく、左右に二つの尖塔がそそり立ち、砦のような外観を示していた。神殿自体が相当長い歴史を誇っているので、この塔もかなりの年月を重ねているのだろう。
 クラリスは複雑な文様の入った扉の前に立つと、おもむろに鉄製の鍵を取り出した。
「ガルナの塔は、野盗が出入りしないように閉鎖されているの。お祖父様から預かったこの鍵で、開くはずよ」
「何だか、耳に痛ェな」
 過去シャンパーニの塔を拠点としていたカンダタは、ばつが悪そうに頭を掻いた。
 クラリスが鍵を挿し入れると、扉は錆びついた音を立てて開かれた。内部の空気は冷え冷えとしており、そのくせ何年も人の出入りがなかったのか、ほこり臭く淀んでいた。早速咳を始めたのはジャックだ。
「こりゃ、早いとこ悟りの書を持っておさらばしたい所だな……」
 クラリスがメラを唱え、備え付けの燭台に火を灯す。すると、暗闇の奥から原色の羽根を持った蝶がゆらゆらと寄ってきた。
「何だァ? 蛾か?」
 カンダタが目を凝らし観察しようとすると、蝶は黄金色のりん粉を撒き出した。
「カンダタ、そのりん粉を吸い込むな!」
 ジャックが叫ぶが時すでに遅し、カンダタはそれを吸い込んだのか激しい咳を始め、同時に担いでいた斧を手放した。鉄の斧が大きな音を立てて床に落下すると、さらに奥から何者かがうごめく気配がした。
 と、暗闇からいきなり炎が噴出され、なめるように床を焦がした。ジャックは手早く燭台からたいまつを作ると、正面にかざした。
 その先には、けたましい鳴き声を上げる黄土色の魔鳥と、左右に角を持った鹿のような獣、さらに先程のどぎつい色をした蝶が数匹、群れをなしていた。
「カンダタ、斧落としてる場合じゃないわよ! 早く!」
 だが、カンダタは膝をついたまま細かく震えているだけだ。この症状は以前にも目にしたことがある。麻痺だ。
「クラリス、カンダタにキアリクをしろ! モエギ、お前はたいまつの明かりの中で戦え!」
「……分かった!」
 モエギは新調した鉄の爪で構えると、先陣を切って躍り出た。
 ここの周辺に棲息する魔物は事前に把握してある。マッドオックスという獣の突進をかわし、その頭部を踏み台にして魔鳥ガルーダを切り裂く。硬度のある羽根が散乱する。
「おらァ、いくぜェ!」
 復活したのか、背後からカンダタが飛び出し、斧片手にしびれあげはを仕留めようと奮闘する。だが、しびれあげはは他と比べると普通の昆虫程度の大きさしかなく、なかなか斧が命中しない。
「何やってるのよ! ラリホー!」
 クラリスの声と共に超音波のような波動が伝わり、しびれあげはは力尽きたように床へと舞い散った。それをカンダタが一太刀で裂く。
「助かったぜ、クラリス様よォ!」
 ジャックはというと、得意の鞭をふるいながら出方をうかがっている。ガルナの塔へ向かうまでにも幾度か魔物と遭遇していたが、今相手取っている数には及ばない。
 マッドオックスは学習したのか、飛び乗る隙を与えまいとしきりに突進を仕掛けてくる。それに気を取られるので、なかなかもう一匹のガルーダまで手が回らないのだ。
 その時、ガルーダが羽をはばたかせ、モエギ目がけてギラを発射した。マッドオックスに邪魔され避けられない。
「ヒャド!」
 炎がモエギ寸前で氷に凝固され、相殺される。ジャックがとっさに唱えたようだ。これでマッドオックスに集中出来る。
 モエギはジャック、カンダタと連携してマッドオックスを一掃し、ようやく全ての魔物を片付けることが出来た。魔物たちの絶命を確認すると、ジャックが頭ごなしに怒鳴った。
「カンダタ、テメーしびれあげはに近寄るなって言っただろ! 一人でも麻痺しちまうと戦力が落ちるんだぞ!」
「ああ、そうだったなァ。でもよ、クラリス様のキアリク、あれァ気持ち良かったぜ」
「あんたが言うと何か嫌なのよね……」
 モエギがぼやくと、クラリスもこくこくとうなずいたので、お互い苦笑した。
「とにかく、お祖父様は魔物たちを相手にするのも修行のうちだとおっしゃっていたわ。心してかかって。いい?」
 モエギたちはうなずき、先を進むことにした。



 内部は入り組んでおり、いくつもの小部屋が存在していた。モエギたちは、ヨシュアから事前に渡されていた地図を見ながらくまなく部屋や通路を調べ、時には『旅の扉』という瞬間移動の仕掛けを利用した。
 旅の扉は、ジャック曰く先人たちの技術の結晶だという。床に描かれた魔法陣から絶えず魔力の渦が湧き出ており、その上に乗るとそよ風に包まれてほんの一瞬気が遠くなる。そして、気が付くと先程とは別の場所に到着している。魔力の根源はルーラという移動魔法に近いという。
 モエギはアリアハン大陸を発つ際に、誘いの洞窟で体験していたのでそれ程不快でもなかったのだが、他の三人は初体験だったらしく、独特の浮遊感に気持ち悪さを訴えていた。
 魔物は、他におおくちばしという鳥の頭部が異様に発達した魔鳥属や、キラーエイプ、ごうけつ熊といった凶暴化した獣たちが襲ってきた。もう真冬に近いというのに、何故冬眠しているはずの獣属が活発なのだろうと疑問に思っていると、再びジャックがこう説いた。
「そりゃ、きっとバラモスの妖力だな。獣っつうのは寒さに弱いけど、そういう欠点をバラモスが補うことで強化してるんだ。ま、生態が変わっちまえばもう普通じゃねえしな」
 そういった知識を培うのも修行の一環だったらしく、モエギは素直に感心した。純粋な学識だけであればクラリスの方が上なのだろうが、ジャックは実戦経験に基づく知識がクラリスより勝っていた。
 途中行き止まりに遭遇しながらも階段を上り、最上階に辿り着いたが、そこにあったのは別の品物だった。
「オイ、本当に悟りの書ってのァあるのか? もう大方行ける所は調べちまったぜェ?」
 カンダタが粗雑に宝箱を閉め、肩をすくめた。モエギとジャックも首をひねっていると、クラリスが口を開いた。
「となると、あのロープの先しかないわね」
「げっ」ジャックが露骨に顔を歪めた。
「クラリス、ロープって下の階にあった……」
 クラリスがうなずくと、ジャックは途端にうろたえ始めた。
「あ、あのさあクラリス。どっかにまだ旅の扉残ってねえかな? オレら猿じゃねえんだからさ……」
「そこしかないのよ。行きましょう」
「クラリスのいじわるーっ!」
 まるで喧嘩をした少女のごとく反発するジャックを尻目に、クラリスは階段を下っていった。カンダタがモエギにそっと耳打ちする。
「あいつ、高所恐怖症なんだ。こりゃ、賢者への道も閉ざされちまうかもなァ」
 カンダタがクラリスの後を追うと、モエギは仕方なく、駄々っ子のようにしゃがみ込んだジャックに声をかけた。
「あんたね……男のくせにしっかりしなさいよ」
「嫌なモンは嫌なのっ!」
 またこの男は――モエギは内心がっかりした。ヨシュアとの修行で頼もしくなったかと思いきや、こういう部分が根強く残っている。
「でも、賢者になるには乗り越えないと」
「その前に天国の住人になるって! とにかく、オレは嫌っ!」
 モエギの中で、何かがぶち切れた。
「……あんた、いい加減にしてよっ! じゃあ今までの賢者はどうして賢者になれたのよ!」
 ジャックは年甲斐もなく、ぶすっと頬を膨らませて答えた。
「そりゃ……あのロープの先に悟りの書がなかったんだな」
「でも、今まで行った所のどこにもなかったのよ!? そんな簡単に死ぬ訳ないでしょ! ほら、早く!」
 モエギが無理矢理腕を引っ張るが、尚もジャックは渋る。とうとう堪忍袋の緒が切れ、モエギは怒号を上げた。
「じゃあ、サーラはどうなるの!? もしテドンが滅ぼされてたら! サーラはあんたよりも、ずっとつらい思いするんだよ! 死ぬよりつらいんだよ!?」
 すると、ジャックの顔つきが変わった。腕を振り払い、無言で階段に向かう。
 今、サーラのことを引き合いに出すべきではない。だが、ジャックを動かすには、モエギの言葉だけでは足りなかった。それが、たまらなく悔しい。
 後をついて下りると、クラリスがロープを目の前にして難しい顔をしていた。
「このロープの先に、階段があるはずよ。……でも、さすがに怖いわね」
 今モエギたちがいる尖塔と、その先をつなぐのはたった一本の綱。日も暮れかけており、見通しもあまり良くないが、地面らしきものはかなり下にある。
 モエギたちが躊躇していると、カンダタが肩を揺らし一歩踏み出た。
「へッ、高所恐怖症野郎やか弱い嬢ちゃんたちにァ、ちと酷ってモンだよなァ。いいぜェ、オレが行ってやらァ」
 誰に言われるでもなく、カンダタはロープに手をかけると慎重に床から足を離した。大きくロープがたるみ、モエギとクラリスはとっさに目を覆った。
「おう……こりゃ、想像以上にキツいな」
 カンダタは振り子のように巨体を揺らしながら、少しずつ進み始めた。当人だけでもかなりの重さだというのに、おまけに大斧がくっついている。重量に耐えきれずロープが断ち切れるという想像を、モエギは懸命に振り払った。
 固唾を飲んで見守っていると、ふいに頭上から魔物らしき咆哮が降ってきた。空には、黄金色の巨大な龍――スカイドラゴン。
「ちっ、こんな時に……!」ジャックが舌打ちする。
「あいつ、何が効くんだっけ!?」
 モエギが問うと、クラリスは青ざめた顔でこう告げた。
「あいつは、打撃以外ほとんど効かないの……メラもギラも、ラリホーも効かない」
 ジャックが壁を叩きつけ、歯噛みしながらうめく。
「あいつぁ、ニフラムなら一発なんだ……くそっ、アルトさえいてくれりゃ……!」
「あんたやクラリスはそれ使えないの!?」
 二人の賢者の卵は力なくうなずいた。するとその時、スカイドラゴンが大きく息を吸い込み、勢い良く炎を吐き出した。炎はロープに燃え移り、程なくしてぶちりと嫌な音を立てた。カンダタの悲鳴がみるみるうちに遠のいていく。
「カンダタッ!」
 モエギが下を覗き込むと、どうやら塔中央の最上部にそれらしき人影が見えた。急いでジャックとクラリスを手招きする。
「大丈夫! 下に降り立つことが出来ればあたしもカンダタも戦える! さあ、飛び降りるわよ!」
「え、ちょっとタンマ!」
 ジャックがまだためらっているのを見て、モエギは強引にその手を取り、下の床に向かって弾みをつけて跳んだ。
「イヤーッ!」
 全身をこするような落下感に包まれ、ごうごうと耳が鳴る。着地すると同時にカンダタを助け起こすと、どうやらかすり傷程度で、炎の直撃はまぬがれたようだ。モエギはスカイドラゴンに鉄の爪を向けた。間を置かずクラリスも飛び降りてくる。
「モエギさん、あいつは何回かボミオスをかければ効くと思うの! ジャック、あなたはバイキルトを二人に!」
 床に這いつくばっていたジャックもクラリスに起こされ、何とか詠唱を紡ぐ。
「おらよっ、バイキルト!」
 モエギとカンダタに弾くような波動がぶつかると、全身の血が沸き立った。
「行くわよ、カンダタっ!」
「おうよっ!」
 モエギとカンダタは左右に散り、ジャックとクラリスの援護を受けながら攻撃を開始した。
 モエギは早速スカイドラゴンの胴体を斬りつけたが、皮膚は思いの外硬い。だがバイキルトのお陰か、黄金の爪を使っていた時より遥かに身体が自在に動かせる。クラリスのボミオスも功を奏したのか、モエギのスピードがスカイドラゴンを上回った。
「モエギ、まずはこいつを弱らせろ! 体力勝負だ!」
 ジャックも打撃に切り替え、鋼の鞭でスカイドラゴンを翻弄する。所々斬り付けてはいるものの、どれも致命傷には程遠く、それ以上に迫りくる牙や胴体での薙ぎ払いをかわすので精一杯だ。
 すると、スカイドラゴンは再び燃えさかる火炎を放出した。モエギたちはすんでのところでかわしたが、その先にはクラリスがいる。
「危ないっ!」
 モエギがかばうようにクラリスを押しのけ、直に炎を浴びてしまった。背中が爆発しそうな程の衝撃が走り、モエギはたまらず悲鳴を上げた。
「モエギっ!」
 クラリスが介抱するより早く、ジャックがモエギに移った炎を消し止め、抱き起こした。
「バカ、お前無茶すんなっ! クラリス、カンダタにピオリムだ! そうすりゃ速さは五分になる!」
「……分かったわ!」
 クラリスはモエギの容態を気にかけていたが、素早くカンダタの方へ向かっていった。あまりの熱さに涙がこぼれたが、モエギはそれでも立ち上がろうとした。
「カンダタだけじゃ、あいつは……!」
「待て! まずは治療だっ! ったく、お前は何でも一人でやろうとするなっ!」
 強い叱責の声に思わずジャックを見やると、驚く程真剣な眼差しにどきりとした。
「……命がいくらあっても足りねーのはお前だ。これ以上心配させんなっ!」
 ジャックはそれ以上何も言わず、黙ってベホイミをかけてくれた。それは、アルトの魔法のようにじんわりとした感覚ではなく、どこからともなく不思議な活力が湧いてくるような、そんな魔法だった。
 カンダタたちの方を見やると、スカイドラゴンは徐々にだが弱ってきているようだ。モエギは何とか立ち上がると、ジャックに尋ねた。
「ジャック……あいつの弱点、他にないの?」
 ジャックはモエギを見上げ、しっかりとした口調で答えた。
「あいつの唯一の弱点は、眉間だ。けどカンダタのヤローじゃ小回りが利かねえ。モエギ、お前に任せる」
 若葉色の瞳には信頼が見て取れた。モエギは笑顔を作り、うなずいた。見えない力が溢れてくる。
 深く息を吸い、モエギは駆け抜ける勢いでスカイドラゴンの頭部に跳躍し、眉間に深々と鉄の爪を突き立てた。途端に泣き叫ぶような声が上がり、スカイドラゴンはのたうち回った。モエギは引きはがされないよう、歯を噛みしめ食らいついた。
 やがて、スカイドラゴンは力尽きたのか、轟音を立てて巨躯を塔の上に沈めた。息絶えたのを確認すると、モエギは爪を引き抜き、よろめきながら床に降り立った。
「嬢ちゃん、無事かっ!?」
 カンダタとクラリス、ジャックが集まってくる。モエギは肩で息をしながら、勝利の笑みを浮かべた。
「モエギさん、わたしのせいで……」
 クラリスは涙を滲ませている。モエギは首をふるふると振った。
「いいの。それより、みんなのお陰であいつを倒せた。ありがとう」
 モエギの立ち振る舞いを目の当たりにし、カンダタは感極まって泣き笑いを見せた。
「おう! 嬢ちゃんはやっぱりサイコーだぜ!」
 カンダタの派手な笑い声が響く。ジャックの方に顔を向けると、心から安堵の表情を浮かべており、少しだけ泣きたくなった。



 降り立った中央の最上部には階段がなかったので、モエギたちは仕方なく、床の割れ目をつたい下の階へ降りた。そこには幸い下り階段があったのでさらに進むと、重厚な扉の存在する部屋に出た。
「クラリス、塔の入口以外に鍵ってあるのか?」
 これについてはクラリスも把握していなかったらしく、首をひねった。ジャックがたいまつを掲げ、注意深く扉を観察すると、どうやら文字が刻まれているのが分かった。
「なになに……『我は闇の住人。我の世界に光満ち溢れる時、我と汝は出会うだろう』だってよ」
 口調は堅苦しいが、文字はモエギでもカンダタでも読めるものだった。
「我って、この扉のことかァ? 扉が我って言うかよ」
「そういう突っ込みはどうでもいいのよ。これは謎かけね、クラリス?」
 モエギが尋ねると、クラリスもこくりとうなずいた。
「そのようね。そして、おそらく我というのは本当にこの扉のことだわ」
「光満ち溢れ……って、この暗ェ部屋を照らせってことかァ? もう夜だぜ」
 カンダタが腹をさする。モエギも、神殿にいれば今の時間は食堂で出来立ての夕食に舌鼓を打っている頃だろう。そう思うと空腹感が押し寄せてきたが、もう少しの辛抱とこらえることにした。
「そうね……ラナルータっていう昼夜逆転の魔法があるのだけど、今これを唱えたところで陽の光は届かないし、あれは時間を歪める魔法だからむやみには使えないわ」
「ジャック、もっとこうパーッと光が出せる魔法はないの?」
「ねえな。ジイさんなら創作魔法なんてお手のモンだけどよ、オレやクラリスはまだ使えねえ」
 四人は円を作るようにして考え込んだ。いっそたいまつを数十本作ればいいのかもしれないが、それでもこの暗闇に光が満ち溢れるとは言い難い。
 すると、ふいにカンダタがクラリスに向き直った。
「なァ、クラリス様よォ。我っていうのァ、本当にあの扉のことか?」
「だと思うわ。光で満たさなきゃいけないのは、明らかにこの部屋でしょ?」
 クラリスは断固として言い張ったが、そこでジャックが何かひらめいたように顔を上げた。
「……いや、待てよ。クラリス、固定観念は一回取っ払っちまおうぜ? 大体、我なんて言ってるヤツは、そこらにあるモンじゃねえ可能性の方が高えんだ」
「それもあなたの固定観念じゃないの?」
 クラリスの問いかけには答えず、ジャックは再び丹念に扉を調べた。文字の他に、人の顔をした三日月と無数の星たちが描かれている。ジャックの表情がみるみるうちに輝き出した。
「分かった。こいつはきっと、夜なんだ。クラリス、夜が朝になる魔法はラナルータだけじゃねえ。もう一つ、あるじゃねえか!」
 モエギとカンダタは揃って首を傾げたが、クラリスはさすがに察しが良く、利発な瞳をジャックに向けた。
「……そうだわ! あれね!」
 そう、とジャックは確信めいた笑みを見せた。扉に向かって詠唱を始める。
「急がねえから、構成も楽だぜ……ザメハ!」
 瞬間、扉から閃光が放たれ、ぐるりと裏返ったかと思うと太陽と雲の描かれた面へと変わった。そこには、こう刻み込まれていた。
『我は始まりであり終わり。汝にとってこれは終わりであり、始まりである』
「すごい、ジャック!」
 モエギのハイタッチに応え、ジャックはガッツポーズをこれ見よがしに作ってみせた。
「てめェ、最初に気付いたのはオレだぞ!」
 カンダタは抗議しながら笑っている。クラリスはというと、扉が動いたのにもかかわらず、じっと思い詰めたようにジャックを見つめていた。
「クラリス、お前も喜べ! ほれ、中入るぞ!」
 ジャックは全員を巻き込んで回転扉の向こうへ突入した。そこは、丁度四人が入ってぴったり収まる程の小部屋だった。天井にはくもの巣が張っており、かび臭い匂いが鼻を突く。
 そして、そこには子供が使うような机と、一本の古びた巻物が置かれてあった。クラリスはそれを目の前にし、感慨深げにつぶやいた。
「間違いないわ。これが、悟りの書……」
 巻物を広げようとして、思い留まったのかクラリスはそれをジャックに手渡した。ジャックは目をぱちくりさせている。
「クラリス、お前が広げていいんだぜ?」
「いいの。扉を開いたのはあなただもの。あなたが広げるべきだわ」
 クラリスの瞳は先程とはうって変わって、どこか陰りが見受けられた。ジャックはしばらくためらっていたが、意を決して巻物の紐を解いた。モエギとカンダタも覗き込む。
 だが、巻物の中身は全て、白紙だった。
「……何、これ? あぶり出し?」
 モエギが疑問を投げかけると、真に受けたカンダタがたいまつを巻物の下に当てた。それでも何の変化もない。ジャックもたまらずクラリスに視線を向けた。
「クラリス……『賢者の誓い』は? これ、持って帰っていいのか?」
 クラリスも想定外だったらしく、巻物を取り上げて隅から隅まで調べてみたが、やはり何の記述も見当たらない。ジャックは全身をわななわと震わせた。
「ジジイーッ! どんだけSなの!? どこまでオレたちをいたぶるの!? この身も心もっ!」
「静かにしてっ!」
 わめくジャックをクラリスが一喝する。耳鳴りがする程の静寂が四人を包んだ。
「……お祖父様は、無意味に厳しい人ではないわ。ジャック、あなただっていい加減分かっているでしょう?」
 ジャックは視線を落とし、むっつりと黙り込む。見かねたカンダタが代わりに弁明した。
「クラリス様よォ。世の中、あんたのような聞き分けのいい人間ばっかりじゃねェんだよ。男ってのァ、反発心がどっかこっかにあるってモンなのさ」
「でも、あたしもクラリスに賛成。ヨシュア大神官のことはよく分からないけど……何か考えがあるんだよ、きっと」
 少女二人に神妙な面持ちで見つめられ、ジャックも折れたのか、渋々といった表情で巻物を受け取り、元に戻した。
「冗談だよ、冗談。オレはこういうのがもう染み付いちゃってるの」
「嫌な染みね」クラリスはつくづくジャックに容赦がない。
「じゃあ、もう行ってない所はないよね。一旦神殿に戻って、ヨシュア大神官に聞いてみるしかないね」
「おう、嬢ちゃんの言う通りだな。オレァもう、腹減って斧振るう気もしねェ」
 四人はうなずき合い、白紙の悟りの書はそのままにし、残った気力を振り絞り塔を出、ダーマへと帰還した。