過去の影 悟りの書 2



 魔法の発動を成功させてからの数日間、ジャックは一通りの魔法をこなした。一度成功させると他も難なくクリアしていったが、まだ実戦で発動させたことはない。また、構成を描いてから発動させるまでが長い、とヨシュアに指摘されていた。
「ジャック、今日は実際に危機に直面した時の発動訓練を行うぞ」
 例のごとく、ジャックはクラリスと共に滝底でヨシュアを相手取っていた。とはいえ、クラリスとの室内での学習は終了し、ここ数日は朝からヨシュアの教えを受けている。
「危機……って、魔物と戦うのか!?」
 ジャックが興奮気味に問うと、ヨシュアは否、と首を振った。
「では、実際にどういった状況で行うのか、クラリスに手本を示してもらうとしよう」
 ヨシュアが顎で促すと、クラリスは無言でうなずき、ジャックに出来るだけ離れるよう指示した。ジャックが坂の上まで上ると、ヨシュアが杖を握りしめ、静かに念じ始めた。
「オイオイ、まさかあのパルプンテってやつじゃねえだろうな……」
 ぼやいていると、滝底の丁度真上あたりの崖がぐらぐらと揺れ始め、その次には大きな崩壊音を立てて、人の何倍もの岩がクラリス目がけて落下してきた。
「クラリスッ!」
 とっさに叫んだのとほぼ同時に、クラリスは素早く手を頭上に掲げ、声を飛ばした。
「イオ!」
 瞬間、クラリスを押しつぶそうとした岩が中心から弾け、粉々になり地面に散らばった。土煙が止むと、クラリスはうずくまっていた体勢を解き、こちらを見上げた。
「さあ、次はあなたの番よ!」
「あなたの番よ! って……」
 クラリスの声を真似ると、本人は当然露骨に顔をしかめた。
「ふざけないで! これは一歩間違えると命に関わる訓練なのよ!?」
 それは今の手本で嫌という程理解出来た。ジャックは眉を曇らせ、渋々滝底へと戻った。
 すると、ヨシュアが何も言わない内に再び崖が崩れ、今度は先程の倍の巨岩が降ってきた。
「オイーッ! 聞いてねーぞっ!」
 ジャックは無我夢中で構成を描き、巨岩に向かって手を突き上げた。反射的に目をつぶる。
「イオッ!」
 すると、まるで爆撃でも落とされたかのような轟音が鳴り響き、いくつもの破片がジャックを直撃した。しゃがみ込み頭を防御したが、ヨシュアやクラリスの安否が気になる。
「ジイさん、クラリス、大丈夫か!?」
 咳き込みながら辺りを見回すと、ヨシュアは薄い膜のようなものを周囲に張っていたが、クラリスはその場にへたり込んでいたので慌てて駆け寄った。
「わ、わりぃ……」
 ヨシュアの不意打ちを問い質すのも忘れ、とりあえず笑ってみせたが、クラリスは珍しく茫然としている。ヨシュアが膜のようなものを消し、歩み寄ってきた。
「……やはりな」
 そして、奇妙なことにニタリと笑みを浮かべた。鳥肌が立ち、思わず自分を抱きすくめると、ヨシュアはすぐにいつもの表情へと戻り尋ねてきた。
「ジャックよ。お前は今イオの構成を描いたのだな?」
「ああ……イオラなんて、唱えたつもりねーんだけど」
「だが、今のは確かにイオラ……否、イオナズンに匹敵する威力があった」
 マジで、とジャックは仰け反った。気を取り戻したのか、クラリスも乱れた髪を撫でつけながら立ち上がった。
「でもよ、オレは一番初歩のイオを描いたんだぜ! どういうことだよ!」
 クラリスにも訴えかけると、いとこの少女は眉根を寄せ、口元に手を当てた。若干脅えているのか、肩が震えている。見かねたヨシュアがそこに手を置いた。
「クラリスよ、案ずるでない。銀の賢者であれば誰しも、この巨大な力を持て余すのだ」
「あのさあ、そうやってもったいぶったり本人差し置いて話すんのやめてくれない? あとジイさん、前置きナシってひどくない?」
 やっと不満を口にすると、ヨシュアはジャックに向き直った。
「ふむ……では、今の実践の意図を話そう。
 まず、これは危機的状況を通し、発動の速効性と質を高めるための訓練だ」
「そりゃ、嫌でも速くなるだろうよ。こちとら命がかかってんだからよ。で、何でオレの魔法はあんなのになっちゃったワケ?」
「それは、窮地に陥ることにより、構成での制御があやふやになったためであろう」
 ヨシュアは、アッサラームでの件を例に出した。思い返せば、あの時もベホイミを唱えたはずだったが、実際にはベホマ級の回復力だったと、妹のセリアが事後口にしていた。
「でもよ、呪文ってのは構成よりはっきりと階級の差がつけられた発動方法だぜ? なあクラリス」
 クラリスはジャックと視線を合わせようとせず、じっとどこかを横目で睨み、つぶやいた。
「分からないわ……。あなたの力は、理解不能なのよ。何も知らなかったくせに、どんな魔法使いも賢者も凌駕しようとしている……」
「お前、そんな堅苦しいこと言って……まぐれじゃん、まぐれ」
「まぐれではない」
 ぴしゃりとヨシュアに言い放たれ、ジャックもクラリスも反射的に祖父を見た。ヨシュアは続けた。
「銀の賢者は皆そうなのだ。最初は有り余る魔力の放出量に四苦八苦する。ならば何故、制御率の高い呪文より構成を重視するのかというと、やはりそれは速効性に秀でているからだ」
「じゃあ、メラとかイオとか初歩の魔法で階級飛ばしちまうんなら、どうすりゃ制御出来るんだよ」
「それは、初歩の構成に上級の図式が混ざらないよう、明確な意識を持って描くしかない。危機的状況ではそれを正確にはこなし難い。そのために訓練するのだ」
 言われてみると、確かに先程はどの程度の爆発であの岩を粉砕出来るのか判断出来ず、イオラやイオナズンの構成がちらついた。瞬発力は盗賊だった頃培ったはずだったが、魔法となると訳が違う。
 状況を瞬時に判断し、最も相応しい魔法を選び出さねばならないのだ。
「つまり、出来るようになるまでやるしかねえ、ってこった」
 うむ、とヨシュアは深くうなずき、突然話を変えた。
「では、これからお前たちはこの谷を散策すること。そこで何か起こった時は必ず、魔法で解決すること。良いな」
「へっ? 良いな、って、ちょっとオイ!」
 ジャックが呼び止める間もなく、ヨシュアはルーラを唱え、突風に運ばれいずこかへ去ってしまった。
「何か起こるって、どうせ全部ジジイのせいだろ。なあ……」
 話を振ろうとして慌てて言葉を切った。が、ヨシュアに悪態をつくと必ず咎めてくるクラリスが、何故か黙っている。ジャックが顔の前で手をはためかせてみせると、やっと口を利いた。
「……ごめんなさい、ちょっと疲れただけ。さあ、行くわよ」
 いつもより沈んではいるが、口調は強気を保っていた。ジャックはにっと口元をつり上げ、クラリスと共に歩き出した。
「なあ、もしかしてオレにびびってるの?」
 問いかけてみると、クラリスは小作りな口を尖らせた。
「そんなことないわ。ただ、びっくりしたのよ」
「でしょー? 強敵相手なら別に制御しない方が良かったりして」
 すると、クラリスはうんざりしたようにため息をついた。
「何言ってるの? こんなこと想定してなかったから教えなかったけど、制御していない魔法は多大な精神力を消費するのよ? 言っておくけど、精神力は魔力と違って限界があるんだからね」
「へいへい、限界のない人間なんていてたまるかって話でござんすね」
 そうよ、とクラリスは澄ましたように鼻を高く上げた。口ではまだまだ敵わないようだ。
 でこぼことした道の傍らには、薄墨色をした川が流れている。水深はせいぜい膝が浸かるくらいだろうが、勢いはどちらかというと速い。ジャックはクラリスに視線を向けたまま、それを適当に指した。
「ほら、あのジジ……ジイさんのことだから、川が氾濫したりするのさ。見ろよ、今バッシャーンってまさに……」
 クラリスが川の方を凝視し、ぐいと袖を引っ張った。ジャックも振り返ると、長いものがこちら目がけて突進してきた。すんでのところでかわすと、ジャックはその正体に目を疑った。
 川の中から胴体をくねらせながら、精巧な彫刻のような水竜が牙をむいてたたずんでいたのだ。
「あんのクソジジイ……やりすぎだろコレ」
 まるでジャックの毒づきに反応したかのように、水竜は目にも止まらぬ速さで襲いかかってきた。相手は水、使う魔法は――
「あなた、私が教えたことちゃんと覚えてるでしょうね!」
 水竜はクラリスにも攻撃を仕掛けようと、胴体を鞭のようにしならせる。流石ヨシュアと言うべきか、愛する孫娘にも容赦はない。ジャックは攻撃魔法を瞬時に取捨選択した。
「水だからって、安易に火を使うなってことだろ!」
 ジャックは水竜の標的がクラリスに向いている隙をついて、川に手を突っ込んだ。先程の訓練での失敗を踏まえ、迷わず氷の中級魔法を編み上げる。
「ヒャダルコ!」
 パリパリと乾いた音が川の流れをせき止め、みるみるうちに水竜が氷の彫像と化す。さらに追い討ちをかけるように、クラリスが詠唱した。
「イオ!」
 ガラスを棒で叩き割るような衝撃音の後、水竜はダイヤモンドダストとなって砕け散った。川に張った氷も板のように崩れ、やがて元のせせらぎが戻ってきた。
「つ、冷てーっ!」
 手袋をしていたものの、ヒャダルコで凍った川に手を浸しているのはさすがに酷だった。すかさずクラリスが手を診てくれた。
「馬鹿ね、川に手をかざすだけで良かったのに……ほら、低温火傷してるわ」
「でも、直接突っ込んだ方がアレも早く凍ると思ってよ」
「そうかもしれないわね」
 相変わらず素直じゃねえなあ、と心の中でつぶやきながら、おとなしくクラリスのホイミを受けた。麻痺しかけた指先の感覚が、ゆっくりと戻っていく。
 回復魔法は、術者によって効能が異なる。アルトのホイミは湯に浸かっているかのようにじんわりと効くが、クラリスのものは清涼感がある。
 そこでふと、ジャックはひっかかるものを感じた。
「なあ……クラリス」
「何、もう怖気づいたの? 今度はそこの崖からゴーレムが出るかも――」
「構成で魔法を使うのって、本当に賢者だけなのか?」
 クラリスはきょとんとした目でジャックを見、気味悪そうに首を引っ込めた。
「な、何よ……そんな真面目な顔して」
「いや、知ってる奴にいるんだ! 長ったらしい詠唱なしに魔法を使う奴が!」
 何故気付かなかったのだろう。ロマリアの城下町に魔物が侵入してきた時の、鮮烈な叫び声。砂漠で地獄のハサミを相手にした時、唯一頼りだったほとばしる炎。
 アルトはいつだって、たった一言で魔法を発動させていた。
「そうね……お祖父様が言っていたわ。まれに、賢者以外にも構成で魔法を唱える人間がいるって」
「そういう奴って、何なの?」
 クラリスは眉間に細い指を当て、考え込む。ジャックは固唾を飲んで答えを待った。
「……その人は、もしかすると『心に秘められた魔法』を使えるのかもしれない」
「心に、秘められた……? 何だそれ?」
 説明的な話になると早口になるクラリスが、今はゆっくりと言葉を運ぶ。
「呪文も、構成も存在しない、その名を唱えるだけで発動する魔法よ。だからといって、誰でも使える訳じゃない。それを使うことが出来るのは、銀の賢者ぐらい、極めてこの世でまれな人間よ」
 クラリスはジャックの目を真っすぐ見つめ、告げた。
「そして、その人は……神に選ばれし『勇者』と呼ばれるの」



「ギラ!」
 アルトの手から流れるように炎が吹き出し、甲板上でマーマンたちが高熱にのたうち回る。その隙をついてサーラが止めを刺し、死骸を海に葬った。
「しかし、毎度毎度甲板まで攻められるというのも、気分が悪いな」
 母の形見である剣を丁寧にぬぐい、鞘に収めるとサーラはため息をついた。
「でも、これからジャックやモエギも乗ったら、相当文句言うぞ」
「それもそうだな」
 笑い合うと、それぞれの持ち場に戻った。
 テドンを発ち、数日が経過した。バハラタ近郊の港へ船を進め、モエギとジャックを迎えに行くつもりなのだが、その前にジェフの言っていたランシールに寄ると決めていた。
 何せ、テドンのような辺境の村でも、あのオーブという代物が眠っていたのだ。もしかすると母が村に保管していたのだろうかとも考えたが、そうだとしたら義父があの時話していただろう。
 いずれにせよ、オーブは世界のどこにあってもおかしくない。ならば、世界の隅々まで見て回ろう、とアルトと約束したのだ。
 それにしても――サーラはぼんやりと、テドンでの夜を思い返した。
 夢や幻にしても、現実と寸分変わりのない時間だった。義父の手料理はきちんと腹にたまり消化されていたし、交わした言葉は確かに人間のぬくもりに溢れていた。
 村の人々の御霊が現れたものだったのか、それとも――サーラはエメラルドのようにきらめく、あのオーブを革袋の上からそっと触った。
「サーラ、聞きたいことがある」
 唐突にアルトが尋ねてきたので、サーラはまた返事のことだろうか、と訝った。
「……何だ?」
 身構えたのが伝わったのか、アルトは困ったように笑った。
「そんなに怖い顔するなよ。その……サーラと同じように、テドン出身で他の国にいる人がいるんじゃないかと思ったんだ」
 瞬時に、あの男の顔がおぼろげながら浮かんできた。遊び飽きたおもちゃのようにサーラを捨て、別の『新しいおもちゃ』を手に村を出ていった、あの男。
「……さあな。私はよく覚えていない」
 かろうじてそれだけつぶやくと、アルトはそうか、と苦笑した。おそらく、テドンの生き残りがサーラだけではない、となぐさめようとしたのだろう。アルトには悪いが、それはお節介というものだ。
 あの男以外にも村を出た者はいる。だがそれ程親しくない人間ばかりだったので、どうしてもあの男が真っ先に思い浮かぶのだ。
 アルトは、サーラが男に裏切られたことを知っているが、それ以上はサーラの口から話していない。モエギとジャックはある程度把握しているが、具体的なことはやはり語っていない。
 いつか、世界を旅していればあの男に会うこともあるかもしれない。だが、あれから何年も経っているのだ。あの男も変わっているかもしれないし、サーラ自身ももうあの頃のように無力ではない。
 大丈夫――目を閉じ、サーラは潮の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。