銀の賢者 灰色の雨 4



 目覚めた瞬間、ここはどこだろう、とひび割れた天井をぼんやり見つめた。
 丹念に木彫りの模様が施されたベッドから上半身を起こし、ジャックは早朝の冷え込みに自分を抱きすくめた。冷えた空気を感じると共に頭が冴え渡り、昨日の出来事が脳裏に蘇ってきた。
 祖父・ヨシュアとの対話は、ひどく苦痛なものだった。話が話なので冗談もろくに挟むことが出来ず、わずかな冗談にすら老人は眉一つ動かさなかった。
 ヨシュアたちには様々なことを話した。母の思い出、父の仕事、苦汁をなめた貧困生活、それぞれに才を持った妹たちのこと――そして、己の犯してきた罪。同情したのは叔母のソフィアだけで、クラリスは沈痛な面持ちを浮かべていたものの、口を開くことはなかった。
 生活は決して裕福なものではなかった。だが、ジャックの記憶にあったのは、いつも気丈に立ち振る舞う母の姿だった。辛くとも、決して弱音を吐かず、ただ前を見つめて笑っていた母――ソラリス。この神殿と家族を捨て、新たに得た家族がどれほどかけがえのないものだったのかは、その笑顔が証明していた。
 そんな母を見てきたジャックなので、己の生い立ちを悲観したことはない。涙ぐむソフィアをなだめつつも、過剰な反応だと心の中で苦笑した。
 モエギやカンダタ、そしてアルトとサーラが早くも恋しくなり、ジャックは口元を自嘲気味に歪ませた。
 手早く身支度を整え、大神官の親族専用の食卓へと向かうため部屋を出る。廊下は狭く、長身のジャックからしてみると天井も低く感じた。
 歩き始めた直後、手前の扉が開いたかと思うと、ブルーグレーの髪がひらめきクラリスが姿を現した。
「よう、お前も朝食か?」
 クラリスはジャックを一瞥すると、視線をそらし颯爽と足を踏み出した。
「おい、無視かよ。クラリス」
「気安く呼ばないで!」
 振り向きざまに睨みつけられ、ジャックは反射的に仰け反った。声も、怒った表情も、母と似ていたのだ。
 思えば、母も嘆き悲しむことはなくとも、ジャックたちを叱ることはよくあった。その時の毅然とした面構えが、束の間クラリスとだぶった。
「……どうしてそう、怒るかね。お前の母さんはオレの生い立ちに終始涙を浮かべていたっていうのによ」
 クラリスはじっとジャックの肩の向こうを見つめ、つぶやいた。
「お母様は、泣き虫なのよ。よくあれで神官長が務まるわ」
 クラリスの物言いにむっとし、ジャックは間合いを詰め少女の狭い額を弾いてやった。
「痛っ! 何するのよ!」
「お前な、母親のこと悪く言うのは良くねーぞ」
 色白な頬をみるみるうちに紅潮させ、クラリスは涙目で憤然とジャックを睨み上げた。
「……この、無礼者!」
 そして早足で奥の扉へ消えていった。ジャックはふるふると首を振り、ため息をついた。
「無礼者はどっちだよ。昨日のこと覚えてるんだろうな……」
 頬に手をやり、仕方なく後を追った。奥の部屋に入ると、食卓には既にヨシュアとソフィアがついており、クラリスはソフィアの隣で憮然としていた。祖母と叔父は既に他界しているのだという。
 残りの空いている席に座ろうとすると、ヨシュアの髭が神経質な動きを見せた。
「……やり直せ」
 言葉の意味が分からず、ジャックは聞こえなかった振りをして座った。クラリスの刺すような視線が痛い。
「やり直せ、と言っておる」
 ヨシュアが語尾を強めた。叔母に視線を移すと、扉の前で挨拶をするようにと小声で指示され、ジャックはのろのろと扉の前に立ち、おはようございますと軽く頭を下げた。
「……やり直せ」
 今度は幻聴かと思った。が、ヨシュアは岩石のような顔でジャックをじっと睨んでいる。
 これ以上何か言われてはたまらない。ジャックは城仕えの兵士を思い浮かべ、直立不動に姿勢を正し「おはようございます!」と深く一礼した。ヨシュアは何も言わなくなったが、クラリスの訝しげな視線が残った。
 朝食は静かなものだった。献立は十数種類の漢方や薬草を混ぜた薬膳がゆ、みょうがの漬物、そして昨日も出されたしょうが湯(全てソフィアが説明してくれた)。このような質素な食事で、どうして今日の活力が湧いてくるものかと疑念を抱いたが、食べ終える頃には不思議と身体が温まり、眠気も完全に取れていた。
「お父様、もう山に向かわれるのですか?」
 ヨシュアは布で口元を拭うと、うむとソフィアにうなずいた。
「ジャック、クラリス、準備を整え神殿の裏口に来るがよい。話はそれからだ」
 クラリスは引き締まった声で返事をし、素早くこちらに目配せした。ジャックも素直に返事をする。
 ヨシュアとクラリスが出ていくと、ソフィアは申し訳なさそうにジャックを見つめた。
「ジャック、最初のうちは慣れないかもしれないけど……賢者になるためにはまず、正しい礼儀作法を身に付けないといけないのよ。分かってちょうだいね」
 ジャックはしばし黙った後、ソフィアに尋ねた。
「なあ、おばさん。賢者ってのは何なワケ? ジイさんみたいなガンコジジイみたいなの? それとも、おばさんの娘みたいにつんけんしてるの?」
「ジャック……それ以上は口を慎みなさい。あなたはまだ、何も知らないのよ。お父様や、クラリスが姉さんの息子であるあなたに、どんな思いを抱いているのか……」
 そうかい、と言葉を残し、ジャックは部屋を後にした。
 感情の欠落した、厳格な父――これでは、母のあのきかん坊は収まるはずはない。それに耐えているクラリスはまだ、偉いのかもしれない。
 迷いそうになりながら神殿の裏口に辿り着くと、ジャックは外の景色にしばし圧倒された。
 辺りは、一面の荒涼とした山々だった。まるで巨人が積み木で遊んだように起伏が激しく、とても人が足を踏み入れられる場所とは思えなかった。
 既に待ちくたびれていたヨシュアとクラリスは、茫然とするジャックに容赦なく厳しい眼差しを向けた。
「ジャックよ。本日から、儂が直々に賢者となるための修行を執り行う。また、この修行にはクラリスも参加してもらう。よいな」
「はい」クラリスはこくりとうなずいた。さすがに祖父の前では素直らしい。
「よいか、ジャック。賢者とはそう簡単になれるものではない。ましてや、お前が銀の賢者ならば尚更のこと。心してかかることだな」
 ジャックは腰に手を当て、挑むようにヨシュアを見据えた。
「分かったよ。ただな、ジイさん。オレぁあんたとは違う。そこのところヨロシク頼むぜ?」
 ヨシュアはくぼんだ瞳でジャックの眼差しを受け止め、「良かろう」とだけ答えた。ジャックはクラリスに向き直り、手を差し出した。
「というワケで、よろしくな。クラリス」
 クラリスは渋々と、ジャックの手を握り返した。まだ年端もいかない少女の、華奢な手だった。
「いい? これはわたしの修行でもあるの。絶対に、あなたのためじゃないから」
「……そこまで言い切るかよ」
 ジャックたちの間を、凍てついた木枯らしがすり抜けていった。



 ついて来い、と言われた時は、一体どこを歩けば良いのかと耳を疑ったが、ヨシュアとクラリスは平然とした表情で細い傾斜を下り始めた。ジャックもためらいつつ、それに続く。
 このようなへんぴな場所で、どのような仕打ち――もとい、修行が待ち受けているのだろう。きっとあの老人のことだから、相当に厳しい修業だと考えて良いだろう。
 今まで数々の死線をかいくぐり、死の淵をさまよったこともある。よほどのことでなければ乗り越えられるだろう、とジャックは心の中で言い聞かせた。
 足元を確かめながら下っていくと、どこからか勢い良く水の流れる音が聞こえてきた。前方を見やると、山の中腹にある裂け目から谷底にかけて、滝が流れている。
「何ぼうっとしているのよ。あの滝底まで行くのよ」
 クラリスの苛立った声が下方から届く。ヨシュアに至っては、いつの間にか滝底でジャックたちを待っている。
「げっ、何だあのジジイは……瞬間移動でも使ったのか?」
 ぶつぶつと足を進めようとすると、ふいに土の緩んだ所を踏み、そこが一気に崩れた。
 ジャックはわめき散らしながら猛スピードで傾斜を下り、その先でクラリスが何事かとこちらを見上げ、目を見開いた。
「ちょっと、そんなスピードで来ないで!」
 どけ、と言う前にクラリスと衝突し、派手な音を立ててジャックは倒れ込んだ。痛みに顔をしかめながら身を起こすと、クラリスを組み敷いており、すぐ間近に顔があった。
「ぶ、無礼者っ! 早く、早くどけなさいよっ!」
 クラリスは顔を真っ赤にして怒鳴った。いとこ相手、しかもヨシュアの手前でふざける訳にもいかないので、ジャックは素直に起き上がった。
「ほら、立てるか?」
 手を差し伸べたが、クラリスは赤面したまま一人で立った。ジャックと目を合わせようとしない。
 こいつは――ジャックがわずかに口元を緩めると、ヨシュアが歩み寄ってきた。
「何をしておる、このたわけが。さて、修行を始めるぞ」
「オレ、具体的に何するか知らねえんだけど。教えてクラリス」
「何でわたしに聞くのよ!」
 髪を振り乱すクラリスを諫め、ヨシュアは手に持った杖でジャックを指した。
「まず、お前の魔力を試させてもらう。メラの詠唱は知っておるな?」
 もちろんよ、とジャックは胸を叩き、詠唱を始めた。
「空気を焦がす生まれし炎! メラ!」
 右手を振りかざすが、何の変化も起こらない。繰り返してみても、煙一つ出なかった。クラリスは唖然とジャックを見つめた。
「信じられない……あなた、それで本当に賢者になれると思っているの?」
「知るか! オレだってなあ、必死で暗記したんだぞ! だけど成功したのはあの一度きり……どうすりゃ使えるのか分かんねーから、ここに来たんだろうが!」
 ヨシュアは深々とため息をついた。
「ジャックよ。お前はどうやら、本当に何も知らないらしい……。無理もない、ソラリスは何も教えなかったのだからな」
「じゃあジイさん、あんたが教えてくれよ」
 良かろう、とヨシュアはうなずき、ジャックとクラリスは傍らの岩にそれぞれ腰かけた。
「最初に、魔法を扱う者には二種類存在する。クラリス、説明してやれ」
 クラリスははい、とうなずき、書物の記述を暗唱するかのようにすらすらと語り始めた。
「魔法はまず、少しでも魔力を持っていれば使える。最初は皆、それを魔法として発動するための媒体に、呪文の詠唱をするの。それで、その詠唱を図式として現したものがあり、それを構成と言う。
 熟練した者は頭の中で構成を思い描き、魔法……メラならメラ、と唱えるだけで、魔法を発動することが出来るのよ」
「じゃあ、オレが詠唱しても魔法が発動しないのは、魔力がないからか?」
 ヨシュアは否、とつぶやき、クラリスに代わり話した。
「お前は確か、アッサラームにて瀕死の状態でベホイミの詠唱をし、それ以上の効果を得たと話したな。もしお前に全く魔力がなければ、そのようなことは有り得ない」
「けどよ! オレが詠唱を成功させたのはあれっきりなんだぜ? 一体どういうことなんだよ!」
 ジャックは、自分が珍しくむきになっているのを感じていた。同じ母の血を分け合った妹たちが詠唱を難なく成功させるのに対し、自分はどうしてこれほどまでに上手くいかないのか、賢者の力に目覚めたばかりの頃苛立ってばかりだったのだ。
 クラリスは困ったようにジャックとヨシュアを見比べている。ヨシュアは髭を撫でつけながら答えた。
「では、教えよう。それは、銀の賢者が構成を頭で描くことでしか、魔法を発動出来ないからだ」
 証明してみせよう、とヨシュアは聞いたことのない詠唱を始めた。
「万物を動かす不可思議の秘術……パルプンテ!」
「お祖父様! その魔法は……!」
 クラリスが悲鳴を上げるが、先ほどのジャックと同じで何も起こる気配はない。ヨシュアはふっ、と微かに笑みを漏らした。
「まあ、この魔法は実際に発動しても、何も起こらぬ時がある」
「それじゃ意味ねーじゃんかよっ!」
 ジャックは思わず突っ込みを入れたが、内心この老人が冗談を口にしたことに驚いていた。だが、当のヨシュアは冗談のつもりはないのだろう、真顔に戻り続けた。
「ならば、銀の賢者であるはずのお前が何故、詠唱により魔法を発動させたのかというと、それはおそらく、生命力と共に魔力が弱まり、詠唱でないと発動が困難だったのであろう。あれは、興味深い話であった」
 近いうちに神官に調べさせよう、とヨシュアは独り言をつぶやいた。
「っていうことは、オレが覚えた呪文は全部パー……ってこと?」
 ヨシュアは何のためらいもなくうなずいた。
「そういうことだ」
「イヤーッ!」
 ジャックは頭を抱えて天に叫んだ。クラリスが両耳に指を入れ、迷惑そうに顔をしかめる。
「だがジャックよ、案ずるでない。呪文と構成はそれぞれ似通っておるのだ。呪文を知っておれば、構成を覚える時にも役に立つであろう」
 ジャックは恨めしげにヨシュアへと視線を戻した。
「じゃあ、構成とやらを覚えねーとオレは使いモノにならねえってこった」
 すると、ヨシュアは何を言っておる、と口を尖らせた。
「構成だけ学べばいいと思うな。お前には、午前は基礎体力作り、午後に構成の勉強を行ってもらう。まずはクラリスについて谷を一周走ってこい」
「……マジかよ」
 嫌々立ち上がると、クラリスはその前に立ち、ジャックを睨みつけた。
「いい、しっかりわたしについて来ること。そうでないと、谷で迷子になっても知らないわよ」
 言うなり、クラリスは長い四肢を伸ばし駆け出した。ジャックは肩をすくめ、簡単に準備運動を済ませると後を追っていった。



 相部屋というものは、なかなかいいものだ。
 宿屋の女部屋は沢山の宿泊で賑わっていた。下はモエギよりも若く、上はもう下山するのも難しいと思える老婆まで、実に幅広い年代の女性が集っている。
 職業も様々で、一般民からサーラのような女戦士に魔法使い、果てはどこぞの酒場から抜け出してきたような気だるい雰囲気の女性と、まさに十人十色だ。
 モエギは歳の近そうな娘たちと言葉を交わし、部屋で過ごす時間をつぶした。ルイーダの酒場にいた頃を彷彿し、ジャックと離れた心細さも束の間忘れられた。
 だが、部屋が寝静まり、一人横になって薄汚れた天井を見つめていると、無意識のうちにジャックのことを考えていた。
 翌朝、宿屋の食堂に入ると、大勢の宿泊客が朝食を摂っていた。モエギは厨房のカウンターから盆に乗った食事を受け取ると、空いている席を探しながら人々の話に耳を傾けた。
「聞いたか? 大神官の孫が昨日ここに来たらしいぞ」
「孫って、クラリス様以外にいたの?」
「それが若い男らしいんだ。しかも、銀髪の」
「しかも、今日から大神官の啓示を補佐がやるんだってさ。その孫と何か関係あるのかねえ」
 改めて、ジャックの存在がこの神殿に波紋を呼んでいることを思い知らされる。元はといえば、ここまで広まってしまったのもモエギのせいなのだろうが。
 だが、出会った頃ロマリアの格闘場でぼったくりを働いていたジャックを思い返すと、今こうして大神官のもう一人の孫と騒がれているのは、何だか信じ難い。
 アルトは英雄オルテガの息子、サーラも定かではないが並々ならぬ秘密を抱えている気がする。となると、仲間のうち凡人はモエギだけではないか。
 自分にも、武術以外に何か非凡なものがあっても良いのに――卵がゆをつつきながらため息をつくと、向かいの席に大きな影が落ちた。
「よォ、嬢ちゃん。ここいいか?」
 カンダタが盆を手にして立っていた。どうぞ、とぶっきらぼうに答えると、カンダタは嬉しそうに腰を下ろした。
「何だか、えらい騒がれようだなァ。ま、オレァ邪魔者がいなくなってせいせいしたぜ」
 にやにやとこちらを見つめるカンダタ。この男と人気のない所へ行かないでおこうと心に誓った。
「それにしてもよ、ここの連中はミーハーすぎやしねェか? 他の奴にいい女はいねェかって聞いたらよ、どいつもこいつも口を揃えてクラリス様って言いやがる。嬢ちゃん知ってるか?」
 モエギは、ジャックのいとこである少女を思い浮かべた。確かに、顔立ちは年齢の割に大人びており、涼しげな美しさを誇っている。だが似たような印象の美女であるサーラと比べると、いささか無愛想に思えるし、何よりあの性格だ。
「知ってるけど、あたしはそんな皆から慕われるような人には思えないな」
「へェ。嫉妬してんのか?」
「誰が!」
 モエギは勢い良く卵がゆをかき込んだ。だが、まんざら嘘でもないかもしれない。それが悔しかった。
「大体、あんたあたしの仲間でもないくせに、何でつきまとってくるのよ! あたしはこれから一人で修行するんだからね!」
「ひでェなァ。オレァ知り合いがいなくて寂しいんだよ。なあ、今日一日くらいはオレに付き合え」
「……何するのよ」
「まァ、これを見てくれや」
 カンダタはどこから取り出したのか、テーブルに紙切れを叩きつけた。職業適性診断の申し込み書だった。
「こんなの、あんた一人でやればいいじゃない! あたしは修行の申請するんだからね」
「そう堅いこと言わずによォ。嬢ちゃんも遊び感覚でやってみろや」
 よく見ると、用紙は二枚重なっていた。モエギは一枚を手に取り、目を通した。
「体力、知力、気力、観察力、そしてユーモアの五つの診断、だとよ。オレも詳しくは知らねェが……ほら、ユーモアなんてよ、お前さんとオレとで漫才でもすりゃ」
「嫌よ。……でも、診断は受けてやってもいいわ。この五つの能力の度合いも教えてくれるみたいだから」
 カンダタはよし、とガッツポーズを作り、あっという間に卵がゆをたいらげた。



 手続きを済ませると、モエギとカンダタは他の参加者に混じって診断を開始した。
 最初の診断は、何のことはない運動能力のテストだった。これは二人とも難なくこなし、担当の神官の度肝を抜いた。
 次の診断は、世界のことや冒険者としての知識、他一般的な常識についての筆記試験だった。モエギはそこそこの出来だったが、カンダタは終了後「オレァもう駄目だ」とぼやいていた。
 三番目の診断は、座禅を組まされ、少しでも気を緩めた者が脱落していくというもので、カンダタは大してもたなかったが、モエギは他の参加者より長続きした。
 残り二つとなった診断では、二つの聖水を鑑定し、どちらがより高価であるかを当てるというものを行った。高価な方はバハラタの聖なる川の水から作られているもので、モエギは運良く当てることが出来たが、意外なことにカンダタも正解を導き出した。本人曰く、直感だという。
 そして、最後のユーモア診断では、それぞれの診断の担当者四人と他の参加者たちの前で『面白いこと』をする、というものだった。
 カンダタは自己流で斧の演舞をやってのけ、人々の反応も上々だった。モエギはというと、武術を駆使した曲芸を披露し、割れんばかりの拍手を浴びた。
 全ての診断が終了し、二人は昼下がりの柔らかな陽気の射し込む広間で、診断結果を手に宿屋へと向かっていた。
「けッ、オレより拍手もらいやがって」
 二人とも体力はもちろんだったが、カンダタは観察力、モエギはユーモアが高く評価されていた。
「やっぱりあんたよりユーモアが高かったのは、うろこの盾のおかげよね」
 ふふん、と上機嫌で天井を仰ぐ。曲芸の一つに、うろこの盾のうろこを高速ではがすという演目を混ぜたのだ。適正結果も、当然武闘家だった。
「それにしても、あんたの適正に商人が入っていたのは意外ね」
 神殿の外にある渡り廊下に出ると、晩秋の冷たい風が吹きつけ、モエギは小さな身体を縮こませた。
「商人ねェ。知力でそういう分野は当たってたからな」
「他のはからっきし駄目だったくせにね」
 カンダタは機嫌を損ねたのか、そっぽを向き「あァ、今日の晩飯は何だろなァ」とひとりごちた。モエギはふと、カンダタに尋ねてみた。
「ねえ……あんたって、何で盗賊になったの?」
 カンダタは足を止め、まじまじとモエギを見つめた。
「嬢ちゃんが、オレに関心を持つたァ……そうか、ようやくオレのことを」
「それ、ジャックがサーラに言うのとすっごく似てるんだけど!」
 ジャックのことを思い出すと、自分が感じている隔たりや引け目が心の中で浮き彫りになった。モエギは拳を握った。
「……あたしは、ごく普通の平民の子。だけど、周りは英雄の息子とか、大神官の孫とか……実はすごい人。だから、あんたはどうなのかなって」
 すると、カンダタはいきなり大口を開けて笑い出した。モエギが唖然としていると、カンダタは腹をさすりながら言った。
「嬢ちゃん、そんなこと気にしてたのかよ。オレァ、お前さんはむしろ、そんなこたァ全く気にしないタチだと思ってたぜ? そうかそうか!」
 モエギはぽかんとカンダタを眺めていた。今まで腹の探り合いばかりしていたカンダタの、本当の素を見たような気がしたのだ。
 カンダタは一発モエギの背を叩くと、ヤニに汚れた歯をむき出しにした。
「いいだろう。嬢ちゃんには特別に教えてやらァ。酒場行くぞ」
 宿の酒場は、早く修行や訓練を切り上げた者たちで賑わっており、カンダタは甘酒を、モエギはヤギの乳と茶葉を甘く煮付けた飲み物を注文した。
 注文が届くと、カンダタは一口含んで、語り始めた。



「オレの生まれた村は、アッサラームの北の、山沿いにある小さな農村でよ。オレァそこの農家の三男坊だった」
 兄弟は全部で十人おり、そのうちの半分が飢えで亡くなった、とカンダタは話した。
「死んだのは、全部オレより後に生まれた奴だった。何年か凶作が続いてよ、オフクロもろくに食ってねェから、ガキにやる乳が出やしねェ」
 兄たちにならい、カンダタも幼い頃から両親の仕事を手伝っていたが、いつも空腹だった。
「盗みに目覚めたのは、ほんのささいなことがきっかけだった。いつも遊んでいたダチがいてよォ、そいつの家に遊びに行った時、そこにあった食い物をいくらか拝借したのさ」
「それ、拝借って言わないわよね」
 カンダタはうなずいた。
「でも、その時のオレァ、自分の家が豊作になったら食い物を分けてやろうと思っていた。だが実際は、他人の家に与えられるほど作物は出来なかった」
 盗みは食べ物だけに留まらず、いつしか金目のものにも及ぶようになった。それをアッサラームから来た行商人に売りさばき、得た金で腹を満たしていた。
「だがよォ、悪事はいつかばれるモンだ。オヤジはオレを散々殴りつけ、オフクロは村での立場を悪くして心を病んだ。アニキたちはオレを一家の恥と罵った。そしてオレァ十二の時、村から追い出された」
 勘当されたカンダタの足は、自然とアッサラームに向いた。辺境の小さな農村とは比べ物にならないほど人や物で溢れた街に、カンダタは初めて訪れた時夢を見ているような心地がしたという。
「しかしよ、十二のガキが出来る仕事なんざ、たかが知れてる。オレはどっかの酒場の雑用をやったり、まァ……人様には言えねェ仕事をして何とか食いつないだ」
 それでもやはり、満足な生活は送ることが出来なかった。そのため、アッサラームでも盗みを働くようになった。
「盗みがバレて、解雇されちゃあ新しい職を探す……その繰り返しだった。だがな、あの街にはそんな奴が他にもちらほらいたのさ」
 カンダタは似たような境遇の少年たちと徒党を組み、集団で窃盗行為をした。その中の一人に、ガロッシュがいた。
「奴ァ、見かけはどこにでもいそうな、ひょろっとした優男だった。だが誰よりも暗い目をしていてよォ、頭も仲間のうちで一番切れる奴だった」
 次第にカンダタたちは勢力を伸ばし、カンダタが十八の時、盗賊団『デスミラージュ』が結成された。
「最初、オレたちァなりふり構わず盗んでいた。だが、ガロッシュの野郎は手口の汚い商人たちに恨みを持っていたから、活動は奴の方針でそういう奴らを標的にしたものになったのさ」
 あとは嬢ちゃんも知ってるだろ、とカンダタは締めくくった。
 カンダタは、以前盗賊稼業が好きなのだと公言していた。だが、始まりはジャックと同じで、やむを得ないものだったのかもしれない。
 わずかに同情を覚えたが、それよりも目の前にいるこの男が、数々の悪事の上に生計を立ててきた、かなりしたたかな男であるという畏怖が、モエギの心を支配していた。
 モエギが黙り込んでいると、カンダタは鼻で笑った。
「嬢ちゃん。これで分かっただろ? オレがどれだけ嬢ちゃんに手加減してやってるかよォ。だが、オレァもう盗賊じゃねェ。ましてや貧しい農家の三男坊でもねェ。オレの第二の人生は、ここから始まるんだ」
 カンダタの表情は晴れ晴れとしていた。モエギはそれを見つめ、この男の人生を反芻した。
 この男は、決して善行で成り上がった訳ではない。だが己の身一つで道を切り拓き、仲間を得、そして決断してきた。
 そこに、生まれも何も関係ないのだ。
「嬢ちゃんは、どっかのお姫さんに生まれたかったか? でもよォ、周りの奴らを見てみろ。どいつもこいつも大変そうじゃねェか。お姫さんだったとしても、それはそれで生きるのはつらいぜェ?」
 カンダタは喉を鳴らして甘酒を飲むと、甘ったるい息を吐いた。
「嬢ちゃんは確かに平凡かもしれねェ。だがよ、それがこの世じゃ一番幸せなんだ。
 オヤジとオフクロがいて、ダチがいて、仲間がいて、帰る場所がある。ほら見ろ、これが全部揃ってる奴が世の中に何人いる? 嬢ちゃんは十分、特別な人間だ」
 カンダタの言葉の一つ一つに、目の覚める思いがした。自分がいかにちっぽけなことで悩んでいたのかと、鳥になって地上の自分を見下ろしているような気分になった。
 カンダタは駄目押しで、さらにこう告げた。
「それでももし、引け目を感じるんなら……平民の中で一番すげェ平民になってやれ。いいか?」
 人差し指を突きつけ、カンダタはニカッと笑みを浮かべた。モエギは力強くうなずいた。
「……ありがと。あんたって、悪人の割にはいい奴なのかもしれないね」
 すると、カンダタは調子に乗り、頬杖をついて身を乗り出した。
「へッ、やっぱり嬢ちゃんは可愛いなァ。取って食っちまうかな」
「なっ、バッカじゃないの!」
 モエギは注文の品を飲み干さない内に退散した。カンダタが何故、自分につきまとってくるのかだけは、一生分かりそうになかった。