銀の賢者 灰色の雨 3



 神殿内部はいくつかの場所に区切られていた。一階の大広間には、大神官からの啓示を乞う祭壇と待合所、二階は職業適性を診断出来る場所や各種職業の講習室・訓練場があった。
 モエギは入れそうな場所を全てあたってみたが、カンダタの姿はどこにもなかった。
 他に入れそうな場所はないかと神官に尋ねると、神殿の隣に大きな宿があると教えられたので、モエギは早速向かった。
 宿は一階が受付と酒場になっているようだが、人はまばらだった。モエギはまず部屋の確保をしようと女将を呼んだ。
「一泊四ゴールド。その代わりうちは大部屋なんだよ。まあ、さすがに男と女は分けてるけどねえ」
 恰幅の良い女将は豪快に笑った。このような高地にあり、また修行をするため長期滞在する者が多いので、格安で運営しているのだという。
 話もそこそこに、モエギは受付の向かい側にある酒場へと足を運んだ。程なくして、テーブル席の片隅に大柄なシルエットを見つけた。
「昼間から飲んでるんじゃないわよ」
 正面に立つと、カンダタはモエギを一瞥し、ぐいと猪口をあおった。ジャックといい、周囲の男は何故嫌なことがあると酒を飲むのだろう。モエギは楽しい時しか飲まない。
「嬢ちゃんは黙ってろ」
「あんた、ずっとここにいたの?」
 カンダタはいや、と首を振った。
「最初はあのだだっ広い神殿をぶらぶらと歩いてたんだよ。しかし、神官ってのもいいなァ。オレァきっと穢れのない女が好きなんだな。そうだ、いいダジャレが出来たぞ、神官を視……」
「最低。あんたってホンット最低」
 モエギは荒々しく椅子を引いて腰かけた。カンダタはにやにやしていたが、ゆっくりと笑みを消した。
「……あんたにジャックのことを黙っていたのは謝るわ。けど、あいつもきっと、言い出せなかったのよ。だから怒らないでやって」
「嬢ちゃん、知らねェ間に随分あいつの肩持つようになったじゃねェか」
「あんたは事情を知らないから怒ってるんでしょ? もういい、あたしが全部話すから!」
 モエギはアッサラームで怒った、デスミラージュの一件を語って聞かせた。バラモスの配下ロイドと、ジャックの父マルクスからもたらされた話は、カンダタの酔いをさますのに十分だった。
「……ジャックは、つい最近まで何も知らなかったの。なのに、今はあいつなりに、一生懸命自分の運命を受け入れようとしてる……。あいつは、決して好きで大神官の孫に生まれた訳じゃないんだからね」
 カンダタは憮然とした表情で、短く刈られた髪を掻くと深いため息をついた。
「……そりゃご苦労なこった。だが、オレにァ関係ねェ。あいつが賢者とやらになるってかよ? 笑っちまうぜ」
 へっ、と吐き捨てるように笑い、カンダタは暇を持て余している店員に猪口と徳利を下げるよう言いつけた。
「しかし、嬢ちゃんも言うようになったな。初めて会った時ァ、全力でジャックの野郎とデキてねェって否定してたのによ」
 モエギは当時のことを振り返り、口ごもった。
「あれはまだ知り合ってから日も浅かったからよ。今は……あいつにも何かと借り作ってるし」
 カンダタは含んだ笑みを浮かべていたが、それ以上は何も言わなかった。
 カンダタは頑なに同行を拒んだので、モエギは一人宿を離れ、一旦神殿に戻った。大広間を見渡すと、奥からこちらに向かって歩いてくる銀髪の男を目に捉えた。
「ジャック、話はどうだったの?」
 駆け寄ると、ジャックは首を左右に傾けたり回したりしながら答えた。
「疲れた。あのジジイ、何を言っても表情一つ変えやしねえ。岩にでも話してる気分だったぜ」
「それで、賢者にはなれそうなの?」
 ジャックは面倒臭そうに後頭部を掻いた。
「ああ……。明日から、ジジイに修行つけてもらうことになった。あとクラリスも一緒」
「大神官直々に? それじゃあ神殿はどうなるのよ」
「それはノープロブレム。大神官補佐ってのがいるんだと。ほら、門のところにいた派手なおっさん」
 ああ、とモエギはつぶやいたが、半分はうわの空だった。明日から、という言葉に、何故か心細くなったのだ。それを見かねてか、ジャックはモエギの頭に軽く手を乗せた。
「なーにしかめっ面してんだよ。修行っつっても、神殿の裏の山に行くだけだっての。あ、でも飯の時もジジイたちと一緒だとよ」
「そ、そうなんだ……」
 弱気な声が出てしまい、モエギは慌てて胸を張った。
「べっ、別に寂しい訳じゃないからね! あんたがいないと静かになってせいせいするくらいだし!」
「へいへい、そうですかい」
 ジャックはあさっての方向を向いて口をへの字に曲げた。モエギも視線をそらし、口をすぼめた。
 何故か、今まで味わったことのない感情を覚えていた。自分とジャックの間が霧に覆われたような、疎外感を感じていた。
 これ以上沈黙が続くのは嫌だったので、モエギは言葉を絞り出した。
「……具体的に、賢者になるにはどうすればいいのよ」
 ジャックもひょいと片眉を上げて、口を開いた。
「ああ……何でも、この神殿の北にある、ガルナの塔って所に行って、何かするんだってよ」
「何かって何よ」
「オレも知らねえ」
 ぞんざいな口調に、この男は本当に賢者になどなれるのだろうか、と首を傾げずにはいられなかったが、ジャックはのんきな口調で言った。
「まあ、そんな訳だからしばらくは顔合わす機会も少なくなるな。お前はお前で何とかやってくれや」
「あんた、寝る時はどこで寝るのよ」
「オレは客室を自分の部屋にしていいってよ。安心しろ、お前も宿代はここにいる間免除してもらうように言っておいたし。カンダタは……自分で何とかするだろ」
 モエギは思わず歓声を上げた。そういう面ではやはりぬかりのない男だ。
「あと、聞きたかったんだけど……お前、何でオレについて来たの?」
 ジャックは訝しげに尋ねてきた。モエギは背筋を伸ばし、きっぱりと告げた。
「決まってるでしょ。あたしも修行するの」
 バハラタでカンダタと対峙した時、思いがけずカンダタを傷つけたことで戦意を失ってしまった自分を、モエギは深く悔いていた。アルトへの未熟な恋心やサーラへの劣等感を抱いていたことも、全ては己の精神が至らないことに理由すると考えていた。
 武道は肉体と精神の両方が均等に保たれてこそ、力を発揮出来る。ダーマの清い空気に触れ、己をもっと高めたいと、密かに思っていたのだ。
「それに、あたしはバハラタ出身だから、ずっとダーマで修行するのが夢だったの!」
「お前、それでサーラさんを放って……」
「失礼ね、放ってなんかいないわよ! サーラは、アルト君がいれば……大丈夫よ」
 そう、サーラを誰よりも一途に想うアルトがついていれば、サーラはたとえ深く傷付いたとしても、立ち直ることが出来るはずだ。
 モエギは遥か遠くに発っていった親友を思い、胸を詰まらせた。



 ポルトガ半島の向かいにそびえる灯台は、数十年前、まだ多くの貿易船が地中海を行き交っていた頃、先代の王が建てたものだという。近くで見ると、それはシャンパーニの塔とほぼ同じ高さを誇っていた。
 サーラとアルトは乗組員と共に見張りをしながら、半日ほどで灯台に辿り着いた。既に日は暮れており、今日はこの灯台のそばで船をつながせてもらうことにした。
 灯台には二人だけで上り、最上階に降り立つと、そこには屈強な身体つきをした一人の男がいた。
「おお、待っていたぞ! 俺はロカ王の甥で、ここの見張りをしているジェフだ。さあ、夜の海は冷えるだろう、早く火のそばへ来るといい」
 サーラたちは煌々と燃える巨大な灯火のそばへ歩み寄り、椅子に腰を下ろした。最上階はやや広めの一間といった具合で、ジェフという男のものらしき寝具や必要最低限の生活用品が備え付けてあった。
「王様から、ここの灯台を訪れるよう言い付けられたのですが……まさか人がいるとは思いませんでした」
 アルトは手袋をはずし、冷えた指先を炎にかざした。壁際のかまどには、具だくさんのシチューが入った鉄鍋がかけられている。匂いを嗅ぐと腹が鳴り、サーラは思わず赤面した。ジェフが笑いながら声をかける。
「慣れない船旅で腹も減っているだろう。今椀によそってやるから、待ってろよ」
 ジェフは陶器の椀とスプーンを三つ用意すると、鍋からシチューをすくい取り椀に盛った。湯気と共にバターの香りが漂ってくる。アルトは食卓で夕飯を待ちわびる子供のように、鼻いっぱいにそれを吸い込んだ。
 椀とスプーンを受け取り、一口含むと、ミルクの柔らかさと海の幸の風味が口に広がった。
「……美味しい。身体の芯から温まるようだ」
「本当だ、やっぱりポルトガの料理は一味違うな」
 普段は行儀の良いアルトも、勢いよく椀の中身をかき込んでいる。ジェフはおかわりもあるぞ、と満足げにそれを眺めていた。
 サーラはじっくりとシチューを味わいながら、ジェフを観察した。人当たりはロカ王と比べて大分砕けているが、彫りの深い顔立ちは伯父とよく似ていた。年齢は二十八、九といったところだろう。
 食後、簡単に自己紹介をしてから、サーラはジェフに質問した。
「ジェフ殿は、ここで何をしておられるのですか」
 尋ねると、ジェフは日に焼けた顔から白い歯を覗かせた。笑うと少し若く見える。
「色々さ。今はめっきり少なくなったが、この海を行き交う船の誘導をしたり、釣りをして食料を採ったり……あとはお前たちのような旅人の寝床を世話したりだな」
「俺たちがここに来ることは、ご存じだったのですか」
「ああ。伯父から数ヵ月前に伝書が来てな、黒こしょうの件が上手くいけば、若い旅人たちがここを訪ねて来るであろう……とな。だが、話では四人と聞いたが?」
 サーラとアルトは事情をかいつまんで説明した。ジェフは、ダーマは誰しもが憧れる悟りの聖地だと感慨深げに言った。
「しかし、この灯台に特別何かあるようには思えないのですが」
 サーラが周囲を見回すと、ジェフはとんとん、と己の厚い胸板を親指で叩いた。
「それがあるとすれば、俺以外にないだろう? お前たち、船旅は初めてだな?」
 サーラたちがうなずくと、ジェフは壁の本棚から一枚の古めかしい地図を取り出し、膝の上に広げた。
「地図なら、俺たちも持ってますが……」
 アルトは荷物から、ジェフの地図の八分の一ほどの地図を出して並べた。ジェフは目を見張った。
 この地図は、アリアハンのいざないの洞窟で手に入れたもので、最初はアリアハン以外の大陸は真っ黒だった。だが、旅を続けるうちに、サーラたちが訪れた場所が有彩色で塗りつぶされるということが分かった。
 ジェフは繁々と地図を眺め、「これはおそらく人間が作ったものではないだろう」と評した。
 だが、今はサーラたちの地図は役に立たない。ジェフは気を取り直し、説明を始めた。
「俺はこう見えても世界を旅していたことがあってな。そこら辺の旅人よりよっぽど世界のことには詳しいと自負している。お前たちは、これからどこへ向かおうとしている?」
「……テドンです」
 すると、ジェフの表情が一瞬陰りを見せた。アルトが神妙そうに見つめると、ジェフは言葉を濁した。
「……まあ、そのテドンだが、ここから南、陸に沿って船を進めるとほこらがある。そのほこらの近辺は二又に分かれた川があってな、その南の方の川を上流に向かって進んでいけば着くだろう」
 サーラはジェフの表情の変化が気にかかり、姿勢を正して尋ねた。
「テドンに、何かあったのですか」
 サーラとアルトを交互に見比べ、ジェフは眉をひそめた。
「君たちは、テドンに何かこだわりがあるようだが……親類でもいるのか?」
「テドンは、私の故郷です」
 サーラが間髪入れず答えると、ジェフの眉間のしわが深くなった。アルトが身を乗り出した。
「教えて下さい、テドンで何かあったんですか!」
「落ち着け、俺も不確かな情報しか得ていないんだが……」
 ジェフは軽くため息をつくと、サーラたちに語った。
「南からやって来た船乗りが、数ヵ月前テドンの方が赤く燃えているのを見たと言っていたんだ。大規模なものだったそうだ」
 目の前が暗くなった。ジェフは取り繕うように早口で続けた。
「しかし、たまたま森を焼いていただけかもしれないじゃないか。悲観するのは良くない」
 サーラは首を横に振り、イシスで見た夢のことと、ノアニールでエルフの正夢を見たことを話した。だがジェフは思い込みだろう、と微かに笑うだけだった。おそらく、サーラを気遣ってのことなのだろう。
 だが、サーラはいよいよ、あれが正夢としか思えなくなってきた。ポルトガで調達した毛皮のマントをきつく身体に巻きつけ、じっと床を凝視した。
「サーラ……」
 アルトが心配そうに声をかけたが、大丈夫だと微笑むことも出来なかった。
 ジェフはあくまで明るく努め、他の土地のことを話してくれた。テドンの岬からずっと東へ行けばランシール、さらにアリアハン大陸、その北には黄金の国ジパングがあるという。サーラも一応耳を傾けていたが、ほとんど頭に入らなかった。
「それで、ここからが俺が一番伝えたかったことだ。これは伯父上が認めた者にしか話せないことで、お前たちに話すのが初めてだ。
 お前たちは、地に許されし者の話は知っているかな?」
 アルトがうなずいた。ジェフは他に誰がいるという訳ではないのに、息を潜めた。
「では、この話を知っているかな。
 この世界のどこかには、竜の神が産み落としたとされる、六つのオーブというものが存在する。それを全て集めた者は、天に許されし者……つまり、船を必要としなくなるというのだ」
 この話はサーラもアルトも初耳だった。三つの鍵を集めた者は地に、六つのオーブを集めた者は天に許されし者――それはすなわち、人知を超えたものなのではないだろうか。
 ロカ王は、この世の全てを知るに相応しい者を勇者と呼ぶと言った。サーラたちもいつか、勇者に値する旅人になるのかもしれない。
「……俺の話はこれで終わりだ。今日はもう休むと良い。そして、サーラ殿……と申されたかな。あまり気に病むといけない。真実を知るまで、心を強く保つことだ」
 サーラは静かにうなずき、礼を述べた。
 船に戻っても良かったのだが、ジェフがここで休んでいけと言って聞かないので、アルトが乗組員たちに断り、サーラたちは灯台で夜を明かすこととなった。
 ジェフのベッドを譲ってもらい、サーラは横になった。アルトはベッドのそばの床に毛皮を敷いてもらい、毛布を被った。灯火のお陰で、睡眠を取るには十分な暖かさが得られた。
「……サーラ、起きてるか?」
 パチパチと火のはぜる音に混じって、アルトのくぐもった声が聞こえた。サーラはああ、と短く答えた。
「サーラはきっと……不安でしょうがないんだろ? あの夢を見てから、ずっと……。俺やみんなが大丈夫って言っても、不安なんだろ?」
 サーラは何も返さなかった。黙っていても伝わるだろう。
「でも、サーラの夢が正夢だったとしても……不安でしょうがなくても、空元気でいいから笑ってろよ」
 アルトがそういった物言いをするのは久し振りだった。サーラは出会った頃のアルトを思い出した。
「不安がっていると、本当に悪いことを引き寄せてしまうって、爺ちゃんが言ってたんだ……。だから、明るくしてろよ」
 アルトの言う通りだった。サーラは元々悲観的な性格だったため、似たようなことを義父からよく教わっていた。
 義父が、村の人々が無事でいて欲しい――痛切な思いがサーラの胸を焼いた。
「……そうだな」
 すまない、とつぶやいた言葉は、音にならなかった。