銀の賢者 灰色の雨 2



 険しい山道を登り切ると、広大な高地には古めかしい神殿がそびえていた。空の近さと神殿の威厳あるたたずまいに、モエギはしばし長旅の疲れも忘れてぼうっと突っ立っていた。
「おい、何やってんだよ。さっさと宿取って休むぞ」
 ジャックはいつもの旅で目的地に着いた時のような口調だった。カンダタも同意する。
「オレも早ェとこ休みてェな。嬢ちゃん、ボーっとしてると置いてっちまうぞ」
 男二人が歩き始めたので、モエギは慌てて後を追った。
 鋼鉄製の門は二階分の建物ほどの高さがある。所々黒く朽ちており、それが神殿の並々ならぬ歴史を物語っていた。三人並んで扉を眺めていると、門番らしき華美な法衣を纏った初老の男性が、ジャックの姿を見て目の色を変えた。
「お……おぬし、その髪の色は……!」
「地毛だけど」
 ごく当たり前のようにジャックが答えると、男性は慌ただしく中へ飛び込んでいった。
「何だァ? あのジイさんは。銀色の髪がそんなに珍しいってかよ」
 カンダタには、まだジャックの出生の秘密を話していない。ジャックはいつ教えるのだろう。ここへ来たからには、もう黙ってなどいられないはずだ。
「とりあえず、中に入ろうぜ」
 ジャックは言うなり門を開いた。重々しい音を立てて、門が左右に割れる。足を踏み入れると、モエギは思わず感嘆のため息をついた。
 広々とした神殿内は銀ねず色で統一されており、どこまでも高い天井には宗教画が描かれてある。吹き抜けとなった二階も、一階の大広間も、人里離れた高地とは思えないほど多くの人々が行き交っていた。
 大体の人間はモエギたちに特に興味を示す様子はなかったが、生成色のローブに深緑の法衣を身に付けた者の何人かはジャックに注目しているようだった。おそらくここの神官なのだろう。
「おい、こっちを見てる奴がいるぜ。しかもジャックの野郎を……オレの魅力は分かんねェってか?」
「そうじゃないのよ、ジャックは……」
「おう、嬢ちゃんはオレの魅力を分かってくれるんだなァ」
「そうでもなくって!」
 ジャックに振ろうとすると、その姿は既に若い女性神官の元へと向かっていた。
「あのさあ、ここで一番偉い人に会いたいんだけど。でも君が一番偉い人だったら一番嬉しいかなーって」
「あいつ……」
 この聖地まで来ても尚、軟派な言葉を投げかけるジャックに憤りを感じる。だが神官はそんなジャックに取り合うでもなく、ただ信じられないものでも目にしたかのように口を開閉している。
「あれ? オレがあまりにもいい男だったからびっくりしちゃった? ごめんねー、これ元からなのよ」
 一発この高地から突き落としてやろうかと思ったが、神官は口に手を当ててジャックの髪を指差した。
「そ……その髪も、元からなんですか?」声が震えていた。
 さすがにジャックも笑みを消した。周囲の人間の注目も集まり始めている。
「おい、そんなにあいつがイイ男に見えるのかァ? 嬢ちゃん」
「あんた本気でボケてるの!? いい、ジャックはここの大神官の孫なの! それでお爺さんに会いに来たのよ!」
 辺りが瞬時に静まり返った。ジャックがこちらを見てバカ、と口を動かした。
「ヨシュア様の……孫?」
「なんてこった、それじゃああのソラリス様の……」
 驚愕が一瞬にして膨れ上がり、神殿内は騒然となった。モエギは顔を覆ってしゃがみ込んだ。自分の声が人一倍響くことを、すっかり忘れていたのだ。
 ジャックが近付いてくる気配がした。モエギの足元で立ち止まり、首根っこを掴まれると怒声を浴びせられた。
「この、バカッ! お前、人がせっかくいつも通りに話聞こうとしてんのによ!」
「だって……!」
 元凶を睨むと、カンダタはジャックに一点を定め、怒りの眼差しを見せていた。
「おめェ……何で黙ってたんだよ」
 その眼は、まるで信用していた仲間に裏切られたとでも語るかのように揺らいでいた。
「皆さん、お静かに! お静かにお願いします!」
 喧騒を破るかのように、冷静な女性の声が響いた。人の波を縫うようにして現れたその女性は、他の神官より濃い緑の法衣だった。髪は柔らかい小麦色をしている。
「……あなたが、ジャックね?」
 女性は近くで見るとそれなりの年齢を重ねているようだった。目元が少したるんでいる。ジャックはモエギを放すと、女性に向き直った。
「そうだけど、おばさん、誰?」
「貴方、ソフィア様になんて失礼な……!」
 先ほどジャックに声をかけられた神官が言い放つのを、ソフィアと呼ばれた女性が制止した。
「……そうね。知らないわよね。私はソフィア。このダーマ神殿の神官長で、あなたのお母さん……ソラリスの妹よ」
「……お袋の?」
 ジャックが真顔になった。ソフィアはうなずき、ジャックとモエギについて来るように言った。だがカンダタは一歩も動こうとせず、じっとジャックをねめつけていた。



 モエギたちが通されたのは、小作りな客室らしき部屋だった。窓からの日差しに、大理石で造られたテーブルが輝きを放っている。
「まさか、叔母さんがいたなんて……ね、ジャック」
 ソフィアはモエギとジャックを通すと、部屋を一旦離れていった。ジャックは黙って部屋を見渡していた。
 間もなくして、ソフィアが湯気の立った椀を盆に乗せて戻って来た。背もたれのない直方体の椅子に座ると、モエギとジャックは出された椀をすすった。
「おいしい……しょうが湯?」
「そうよ。温まるでしょう」
 ソフィアも椅子に座り、同じものを一口飲み下した。ジャックはそれを待ってから口を開いた。
「ソフィア……さん」
「いやね、おばさんでいいのよ。本当に叔母さんなんだから」
 ころころと笑うソフィアは、痩身の人間が多いジャック一家の親戚とは思えない程ふっくらとしており、とても神官長という役職には思えなかった。だが親戚の叔母、という立場がぴったりの感じの良い女性だった。
「じゃあ……おばさんは、オレのこと、知ってたんだな」
 隣に座るジャックはいつもとはうって変わって、緊張を隠しきれない様子だ。ソフィアはそれを解きほぐすように笑みを向けた。
「知ってるに決まっているでしょう。ダーマからあなたたちのところに何回か使者が来なかったかしら。姉さんはかたくなに、ダーマに戻るのを拒んでいたらしいけれど……」
「それに、オレはガキの頃髪を黒く染めさせられていた。なのによく分かったな」
「それはそうよ。何故なら、銀の髪を持つ人間はダーマの血筋にしか生まれないんだもの」
 そうかい、とジャックは口元をほころばせた。
「それで、姉さんは元気?」
 椀に口をつけようとしたジャックの手が、止まった。黙ったままなのでモエギが代わりに話すと、甥との再会の喜びに満ちていたソフィアの顔が、みるみるうちにしぼんでいくのが伝わった。おそらく、知らなかったのだろう。
「……そう。姉さん、私より先に、逝ってしまうなんて……」
 ごめんなさいね、と小さくつぶやくと、ソフィアは嗚咽をこらえながら泣き始めた。ジャックは沈んだ瞳でテーブルを見つめていた。
 ジャックの母・ソラリスは病死だったという。それをソフィアが知らなかったということは、ダーマからの使者はソラリスの生前にしか訪れていなかったのだろう。ダーマの人間は、ソラリスが新たに手に入れたものを奪えなかったのだ。
 ソラリスは大神官になるべく厳しい修業を積んでいたという。ソラリスの亡き今、次の大神官になるのは誰なのだろう。
 まさか、ジャックが――そう思った時、部屋の扉が勢い良く開かれ、ブルーグレーの髪をした少女が飛び込んできてテーブルに両手を叩きつけた。
「お母様! あいつがここに現れたって本当なの!?」
「……クラリス」
 クラリスと呼ばれた少女はジャックに見当をつけると、歩み寄りいきなりその頬を平手で打った。
「ちょっと、あんた何するのよ!」
 モエギが立ち上がると、クラリスという少女は眉間に深いしわを刻んで睨み返してきた。緋色の瞳には憎悪すら感じられ、モエギは身じろぎした。
「……ひっぱたいてやろうと思っていたのよ。お母様とお祖父様を、そして大神官への道を捨ててこのダーマを離れた、罪深い女の息子を!」
「クラリス!」
 今まであれほど温和だったソフィアが放ったとは思えない、強い叱責の声だった。ソフィアは顔を濡らしたままクラリスの頬をぶった。クラリスが反論するより早く、ソフィアは声を上げた。
「なんて罰当たりな! 姉さんは……あなたの伯母様は、もうずっと前に亡くなっているのよ!」
 クラリスはぶたれた頬を押さえ、か細い声で「……え?」とつぶやいた。ソフィアの瞳に涙が盛り上がった。
 クラリスはしばらく茫然としていたが、やがて唇を噛んで風のように去っていった。
「ちょっと、ジャックに謝りなさいよ!」
 ジャックは憮然とした表情で頬をさすっていた。ソフィアは目尻をぬぐうと、長く息を吐いた。
「……ごめんなさいね。今のは私の娘で、クラリスと言うの。一応、賢者の卵なのだけど……あの通りきかん坊で」
 何故、この柔和な女性からあのような娘が生まれたのだろう。モエギが不思議に思っていると、ジャックがぽつりと言った。
「あいつ……お袋に似てる」
「えっ、本当に?」
 ジャックは渋々うなずいた。ソフィアは困ったように首を傾げた。
「……あなたもそう思うのね。そう、あの子は姉さんそっくり……。私が姉さんと似た名前を付けたのもいけなかったのかもしれないけど、あの子も自分が姉さんの代わりだと思っているふしがあるわ」
「それじゃあ、もしかして……」
「ええ。あの子が次期大神官なの。信じられないでしょうけど」
 モエギは愕然とした。あんな無作法な少女が、ダーマの未来を担うだなんて――
 モエギの言いたいことが分かったのか、ソフィアは眉を八の字に寄せた。
「でも、どうか許してやってちょうだいね。あの子は姉さんと違って、何もかも捨てて生きていくことなんて出来ないから……ひとりで全て背負おうとしているの」
「けど……あの子、ジャックのいとこってことになりますよね」
 ソフィアはうなずき、クラリスがまだ十六歳であることを教えてくれた。アルトと同い年だ。
 黙っていたジャックが、ふいに自嘲的な笑みを見せた。
「そっか。オレへのしわ寄せが、全部あいつに行っちまったんだな……」
 その時、扉がゆっくり開く音がした。またあの娘だろうか。モエギが警戒すると、扉の向こうから長身の男性が姿を現した。
 歳は六十を過ぎているように見えたが、眼光は淀みのない鋭さを誇っており、白髪かと思えた長髪とひげは絹糸のような銀髪だった。身体には純白のローブと、金の文様が美しい法衣を纏っている。
 ソフィアが立ち上がり目配せしたので、モエギは慌てて頭を下げた。だが、ジャックは立ち上がっただけで頭を下げようとしなかった。
 先ほどの騒ぎの中で、ちらりと聞こえた名前――ヨシュア。おそらく、この老人がダーマの大神官であり、ジャックの祖父なのだ。
 ヨシュアは厳かな物腰で椅子につくと、品定めするようにジャックを見た。あの目で見つめられた、身体中の筋肉が縮こまる思いだろう。
 だが、ジャックは挑むような目付きで、ヨシュアの視線を受け止めた。
「あんたが、オレのジイさんか。本当に銀髪なのな」
 ソフィアがたしなめたが、ジャックはそのままヨシュアを見つめていた。ヨシュアのひげが微かに動いた。
「……成程。ソラリスとよく似ておる。儂を何者とも思わない、その目付き……あれも同じ瞳をしていた」
 ジャックは褒め言葉と受け取ったのか、微笑した。
「あんたがオレを孫と認めてくれたんなら話は早いな。オレは、賢者になるためにこのべらぼうに高い高地まで来た。なあ、オレが本当に『銀の賢者』なら、賢者にしてくれよ」
 ヨシュアの眉が神経質な動きを見せた。ソフィアはひやひやしながらジャックとヨシュアを交互に見ている。モエギもまるで喧嘩腰なジャックの口調に内心落ち着かなかった。
「……賢者になった暁には、どうするのだ」
「仲間とバラモスを倒す」ジャックは間髪入れず答えた。
 それまでわずかにしか動かなかったヨシュアの表情が、初めて大きく動いた。ジャックの発言には、ソフィアも驚いたようだった。
「ジャック……あなた、それでダーマに来たのね?」
「ああ。おばさん、オレがお袋の代わりに戻って家族で仲良しこよし暮らすとでも思ってた? オレをなめてもらっちゃ困るね」
 ソフィアは何も返さなかった。図星だったのかもしれない。ジャックは得意げに胸を張った。
「オレには、アルト君っていうスペシャルなダチがいるのよ。そいつのためなら、オレは命を賭けてもいいね」
「アルト……かの英雄、オルテガの息子か」
 ヨシュアがつぶやくと、ソフィアはますます目を丸くした。ようやくいつもの調子が出てきたジャックに、モエギは知らずのうちに安堵していた。
「そういうこと。な、頼むよジイさん。オレを男にしてくれよ」
 すると、ヨシュアは最初の表情に戻り、告げた。
「……ならば、考えてやっても良い。だが、まず儂と、ソフィア……そしてクラリスに、全てを話せ。話はそれからだ」
「さっすが。話が分かるね」
 ジャックがにっと笑うと、すかさずヨシュアが睨んだ。ジャックは肩をすくめ、やってられないといった様子でモエギに笑いかけた。
 ソフィアはクラリスを呼びに部屋を出ていった。モエギは銀髪の二人を見比べ、居心地悪そうに首を縮めた。この世でもまたとない希少価値を持つ二人が揃い、自分の場違いさを感じたのだ。
「モエギ、お前は神殿でも歩いてろ。長い話になるから」
 モエギの心境を感じ取ったようなジャックの言葉に、わずかに緊張が解けた。モエギは立ち上がり、ジャックに弱々しく笑いかけた。
「……うん。ちゃんと戻って来なさいよ」
 ジャックはうなずき、手を払うようにして振った。モエギはヨシュアに出来る限り丁寧な会釈をして、部屋を後にした。
 廊下を抜け、大広間に出た所で、モエギは大きく深呼吸した。
 何と、物々しい環境なのだろう。いつもふざけてばかりのジャックが、あの重圧に耐えられるのだろうか? ソフィアはまだ人間味のある人物だが、ヨシュアの威圧感、そしてクラリスが滲ませた、異常なまでの嫌悪感――
「モエギさん、ジャックと一緒じゃなくていいの?」
 唐突に声がしたかと思うと、ソフィアとクラリスがこちらに向かってきた。クラリスは視線が合うと、ふいとそっぽを向いた。苛立ちを覚えたが、それをこらえソフィアに笑顔を向ける。
「いいんです。あいつ――ジャックが気を利かせてくれたから」
「そう。ここは何もないところだけど、ゆっくりしてね」
 ソフィアもにっこり笑い、奥へと去っていった。だが、クラリスはその場に留まり、モエギを見つめぼそりとつぶやいた。
「……さっきはごめんなさい」
 上品な顔に似合わず、ハスキーな声だった。モエギは少しだけ警戒心を緩めた。
「……謝るなら、ジャックに言ってよ」
 クラリスはうなずいたような、うなずいていないような曖昧な動きをして、ソフィアの後を追っていった。
 あの少女とよく似ているという、ソラリスはどんな女性だったのだろうか。モエギはぼんやりと物思いにふけりながら、大広間を横切っていった。