銀の賢者 灰色の雨 1



 旅立ちの日、彼は言った。
 私は、お前の本当の父ではないと。
 本当の父と信じて疑わなかった彼の告白に、ただ茫然とし、次には怒りが込み上げてきた。
 ならば、本当の両親はどこにいるのかと、法衣をきつく掴んで問い質した。神父だった彼は、かたくなに沈黙を守り通した。
 折角、故郷で起こった忌まわしい過去に終止符を打ち、新たな人生へと旅立とうとしていた矢先の仕打ちに、涙が溢れた。
 それを見かねてか、彼はこう言った。
 お前が成長して、再びテドンに帰ってくることがあれば、両親のことを話そうと。
 それは自分を連れ戻すための口実にも聞こえたが、その反面故郷と決別しようとする自分への気遣いにも思えた。
 両親のことを知れば、旅立ちの決意が揺らぐだろう。しかし、両親のことが知りたくて涙したのではなかった。
 彼が、実の父ではなかったことに、涙したのだ。
 そして、そのようなことで揺らぐほど、決意は甘くなかった。
 沈痛な面持ちで見つめる彼と抱擁を交わし、涙をぬぐって背を向けた。
 その時は、もう二度と故郷には帰らないと、確かに思っていた。



 あばれ猿の群れを伸し、赤黒い血糊のついた剣をしごいて鞘に収めると、グプタは懲りもせずにほう、と感嘆の息をついた。
「いやあ、何度見てもほれぼれしますね……! 僕なんか、馬にしがみついているだけで精一杯だっていうのに」
 グプタがまたがっている馬は、五キログラムの黒こしょうを担いでいる。黒こしょうは丈夫な麻袋に詰められているが、これが破れてしまえばひとたまりもない。
「当然だ。奴らに袋を狙われては元も子もない。自然、私たちの戦い方もいかに早く片付けるかが勝負になるのだ」
「グプタさん、疲れていませんか?」
 アルトも剣をしまい、グプタを見上げる。サーラとアルトは徒歩の方が戦いやすいため、馬は借りなかったのだ。
「いいえ、それよりあなたがたの方が……。何だか、申し訳ないです」
 グプタは居心地が悪そうに首を縮こませた。
「本当は、一刻も早くポルトガへ向かいたいでしょうに、僕のような一般人を連れて……。守ってもらってばっかりでホント、情けないです」
 すると、アルトがふるふると首を横に振った。
「そんなことないです。グプタさんがいてこそ、俺たちはポルトガ王との交換条件を成立させることが出来るんです。それに、グプタさんの働きはきっと、バハラタの発展にも繋がりますよ!」
 拳を握り力説するアルトを見つめ、グプタは照れくさそうに笑い返した。おだてに弱い男のようだ。
「しかしアルト君、僕はどうしても君がカンダタの手下にボコボコにされていたとは思えないよ。君の剣さばき、サーラさんに全くひけをとらないじゃないか」
 アルトは頬を掻きながら、困ったように答えた。
「人と争うのは、苦手なんです。こんな世の中だから、せめて同じ人間とは争いたくないんです」
 グプタはそうだよね、とわずかに残った怪我痕に手をやった。サーラもアルトの怪我の具合が気になり、その顔を眺めた。
「アルトはもう完治したか?」
「ほとんどな。だって、サーラが手当てしてくれたじゃないか」
 だって、という言い方に、サーラは微笑を漏らした。随分としっかりしてきたように思えるが、まだ言葉の節々に幼さを感じる。
 だが、その方がかえって安心するのは、何故なのだろう。
「あの、つかぬことをお聞きしますが……」
「何だ?」
 サーラが顔を向けると、グプタは至極真面目に尋ねた。
「あなたがたは、恋人同士なんですか?」
 サーラとアルトは顔を見合わせたが、アルトは何故かぷいと顔を背けてしまった。
「……恋人同士に見えるか?」
 仕方なくサーラが問い返すと、グプタはいえ、と苦笑した。
「ジャックさんが、アルト君にサーラさんのことを頼むと言っていたので、親密な間柄なのかなと……」
「それは……仲間だからだろう」
 同意を求めようとアルトに視線を移したが、気難しい顔をして押し黙っている。
「とにかく、残念だがはずれだ。それより、早くこの件を済ませてタニア殿を安心させることだな」
「そうですよね! ちなみに、僕とタニアの馴れ初めは……」
 グプタは延々とタニアとの思い出を語り始めた。サーラは黙りこくったままのアルトを小突いた。
「アルト。そんな顔をいつまでもするな」
 すると、アルトはサーラをじっと見つめ、こう言った。
「……俺のこと、少しでもそんな風には思えないのか」
 不意を突かれ、サーラは言葉を失った。アルトはサーラから目線をはずし、「行きましょう」とグプタの馬の手綱を引いて歩き出した。グプタはアルトのつぶやきが聞こえなかったらしく、されるがままアルトに同じ話をし始めた。
 人前で、何ということを聞いてくるのだろう。わずかに乱れた動悸を抑えつけ、サーラも遅れを取らないよう踏み出した。
 それからしばらく、アルトの熱っぽい眼差しが頭から離れなかった。



 山道は、これまでダーマに登った先人たちのお陰か、草木が踏み倒されたまま道を作っており、丁寧に「ダーマまであと何キロ」という立て札が点々と存在していた。焚き木の痕跡も見受けられ、未だにダーマを目指す人間が多いのだと、モエギは密かに感心していた。
「ねえ、あと何日くらいかかりそう?」
 先を行くジャックに尋ねると、間を置いて返事があった。
「知るか。行ったことねーんだから」
「でも、立て札見れば分かるでしょ? さっきあと五十キロってあったから、逆算すると……」
「だーっ、めんどくせーっ! 別に何日かかろうが構わねーよ! このまま真っすぐ行きゃ着くんだから!」
 でも、とモエギも声を荒げた。疲労感と空腹感で互いに苛立ちが倍増しているのだ。
「もう食料も底を尽きかけてるのよ! こんな高山地帯でそう簡単に食べ物が見つかると思ってるの?」
 すると、ジャックはふいに足を止め、モエギを振り返った。
「……何よ」
 ジャックはしたり顔で、モエギの背後に視線を移した。
「食料なら、もらえばいいじゃねーか」
 奇妙な笑みを訝しげに見つめていると、ジャックは口に手を添え声高に叫んだ。
「いい加減、姿見せたらどうなんだよ!」
 モエギはおそるおそる背後を振り返った。辺りはしんと静まり返っていたが、ふいに茂みが揺れ、林の中から毛皮のマントを纏った大柄な男が現れた。
「けッ、寝込み襲ってやろうかと思ってたのによ」
 錆びた大斧を担ぎ、男――カンダタは苦々しく笑った。
「な……あんた、一体何のつもりよ!」
 モエギは後ずさった。先日バハラタの洞窟で対峙した時、いくら反射的にとはいえカンダタに傷を負わせた後ろめたさは、まだ鮮明に残っていた。
 カンダタはいたずらっぽく笑みを浮かべ、斧をぶら下げた。
「嬢ちゃん、そうカッカすんなって。オレと会えて嬉しいんだろ?」
「バッカじゃないの! それより、あんたもまさか……」
 モエギは血の気が失せていくのを感じた。こんな険しい山道を登ってくる理由は、ただひとつだけだ。
「テメーもダーマに用があるのかよ?」
 ジャックは至極普通に尋ねた。カンダタはご名答、と口角を引き上げた。
「ダーマの噂はかねがね耳にしていたからな。行くあてもねェし、軽い気持ちで登り始めたらよォ、おめェらが先を歩いていたのさ」
「他の仲間はどうしたのよ?」
「さァな。もう仲間じゃねェしな」
 薄情な奴だ。肩をすくめるカンダタに、モエギは指を突きつけた。
「言っとくけどね、あんたみたいな悪党がダーマに受け入れられるとでも思ってるの?」
「分からねェじゃねェか。神殿の奴らがオレの悪名を知っていたら、それはそれで嬉しいけどなァ」
 がはは、とカンダタは天を仰いで笑い声を響かせた。木の間から小鳥が何羽か飛び去っていった。どうやら、夢に破れてもさほど落ち込んではいないようだ。
「ジャック、どうするのよ! あたしこいつと一緒に行くなんて嫌! 絶対嫌!」
「大丈夫さァ、嬢ちゃん。オレァこう見えてもロマンチストでなァ、ふたりっきりじゃねェと……」
「あー聞きたくないっ!」
 両耳をふさいで目を閉じると、カンダタの哄笑が遠巻きに聞こえた。相変わらず下品な男だ。
 すると、ジャックが目の前を横切る気配がし、モエギは目を開けた。
「カンダタ。テメーホントガキだな。あいつをからかうのがそんなに楽しいか?」
「へッ、可愛いじゃねェか。オレみてェに穢れてなくってよ」
 二人が勝手に話し始めたので、モエギは大股でジャックに歩み寄り手首を掴んだ。
「とにかく! あたしたちはあんたに構ってる暇はないの! 行くわよジャック!」
 踵を返すと、奇妙な音が腹から鳴った。
「……嬢ちゃん」
「……何よ」
 モエギが赤面しながら振り向くと、カンダタは目の前に干し肉をぶら下げていた。満面の笑みでカンダタは言う。
「食えや」
 モエギは黙り込んだ後、不精不精干し肉を受け取った。
 カンダタ盗賊団お手製の干し肉は、密かにモエギの好物となっていた。



 サーラとアルトがポルトガに到着した頃、季節は既に晩秋を迎えようとしていた。
 グプタは長旅の疲れで、小太りだったのがすっかり痩せてしまった。タニアがこの姿を見たら何と言うのだろう。
 交渉人のグプタがぐったりしていては困るので、サーラとアルトは宿で一泊することにした。宿の女将は初めて訪れた時と変わらず、豪勢な食事を振る舞ってくれた。これにはグプタも歓喜を隠せないようだった。
 翌日城へ向かうと、グプタは城を目の前にし怖気づいたが、アルトの励ましにより、何とか連れていくことが出来た。確かに、一般の民には恐れ多い場所だろう。
 ロカ王と大臣は、サーラとアルトが謁見の間に入ると表情を一変させた。
「そなたたち、ご苦労であった! 昨日のうちに到着の報告は受けておる。して、どうであった?」
 アルトは自信たっぷりに微笑み、グプタを紹介した。どもったり舌を噛むグプタが自己紹介を終えないうちに、王は玉座から立ち上がり、グプタの提げている袋を渡すようせがんだ。そして袋を開けると、深い感嘆の息をついた。
「この、芳しき香り……これぞ、まさしく黒こしょう!」
 王は大臣に何やら言付を託すと、グプタの手を取った。
「グプタ殿……と言ったか。遥々バハラタからよくぞ参った。そなたは私の国にとって、良き貢献者となるであろう。心から感謝する」
「あ……ありがとうございますっ!」
 グプタは感激のあまりか、泣き始めた。サーラとアルトは顔を見合わせ、微笑んだ。
 王はサーラたちに視線を移し、厳かに言葉を紡いだ。
「そなたたちの働き、見事であった。まさしく、真の勇者に相応しいと言えよう。しばしここで待たれよ」
 王が謁見の間を後にすると、グプタは鼻水をすすりながらサーラとアルトに頭を下げた。
「アルト君、サーラさん……こんな、しがない商人のはしくれの僕が、一国の王様に感謝されるなんて……天にも昇る思いです」
「お前は感動しすぎだ。だが、そんなお前だからこそ、タニア殿も見初めたのだろうな」
 これはグプタと旅をしてから、心から思ったことだった。人一倍大げさで気が弱いが、グプタの温厚な人柄は大きな救いとなっていた。アルトとだけでは、この先のことに気をとられ、暗い旅になっていたかもしれない。
「この件が済んだら、早くタニアさんを幸せにしてあげて下さい」
 アルトの言葉に、グプタは何度もうなずいた。やがて黒こしょうの詳しい取り引きのため、グプタは別の場所へと案内された。しばらくしてから王が戻り、外に出るようサーラとアルトを連れ出した。
 城を出ると、サーラたちは目の前の光景に圧巻した。
 砦ほどの大きさのある帆船が、城の前の海辺にたたずんでいたのだ。
「……見事であろう」
 サーラたちは無言でうなずいた。この船が、本当に自分たちのものになるというのだ。
「我が国は、造船も他の国に引けを取らない。今ではすっかり職人も少なくなってしまったが……」
 そして、王はサーラたちがポルトガを発ってからすぐ船の製作に取りかからせたことを話した。サーラとアルトはひざまずいて礼を述べた。
 それから数日は、舵手をはじめ乗組員の面々に船旅のことを指南してもらい、またグプタも連日の商談に熱意を燃やしていた。
 出発を翌日に控え、サーラは部屋でひとり、これからのことを考えた。
 これで、やっとテドンへ行ける。だがそれと同時に、どんな現実が待っていようと目を背けることは出来なくなる。
 しかし、もう足踏みしている訳にはいかないのだ。
 これ以上考えても堂々巡りだろうと判断し、サーラは早々に床についた。
 翌朝は、サーラたちの出航を見届けようと多くの民が集まった。王も直々に見送ることとなり、船着き場は騒然としていた。
「すごい人だな……」
 辺りを見渡し、アルトは苦笑した。すると数人の娘たちがアルトを指差し、色めき立った。途端に民たちの注目が集まり、大歓声が湧き起った。
「王様も大げさだよな……俺は早朝に静かに発ちたかったのに」
「そう言うな。皆、お前を好いている証拠だ」
 微笑みかけると、アルトも困ったように笑みを覗かせた。人混みをかきわけてグプタが現れた。
「アルト君! サーラさん! 短い間だったけど、本当にありがとうございました! 君たちのこと、忘れないよ……」グプタは既に泣いていた。
「バハラタまでは報酬金でキメラの翼でも買って帰ることだな。そしてタニア殿と良い家庭を作れ」
「俺も、グプタさんならきっといい父親になれると思います!」
 アルトはグプタの肩に手を置くと、熱い抱擁を交わした。
 名残惜しむグプタをアルトから引きはがし歩いて行くと、王と大臣は船のすぐそばで待っていた。サーラとアルトは深々と頭を下げた。
「王様……俺たちが真の勇者となる日が来るのは、きっとバラモスを倒した時です。その時まで、俺たちのことはどうか、数多くいる旅人のうちの一団として心にお留め下さい」
 アルトが謙虚に告げると、王はまぶしそうに目を細めた。
「……そなたは、もっと強くなるであろう。いつかその名が世界に轟く日を、楽しみにしていようではないか」
 アルトと王は固い握手を交わした。船に乗り込むと、王は声を張り上げた。
「アルトよ! この半島の南にある灯台を訪れよ! さすれば、そなたらの道はより広がるであろう!」
 アルトはうなずき、ポルトガの民たちへ手を振った。サーラはその隣で、ただ去っていくポルトガの地を見つめていた。
 皆、この旅で様々なものを得ていく。だとすれば、自分はこの先、テドンで何を得るのだろう――