それぞれの道 4



 幅広い刃が空気を裂くたびに、突風のような重い音が鳴る。それが肌をかすめ、わずかな熱を覚える。
 右へ、左へ、カンダタが振り下ろされるのとは逆の方向へ、モエギは宙に舞う羽毛のように身体を躍らせていた。ヤニに汚れた歯を噛みしめ、カンダタは苛立ちを隠せない様子だ。
 テーブルを踏み台にして、モエギは痛烈な蹴りをくらわせた。が、カンダタの頑丈な腕により遮られ、モエギは弧を描いて床に降り立った。
「嬢ちゃん、もぐらたたきじゃねェんだ。それに、もぐらどころじゃねェ、お前さんの動きは何だァ?」
 不可思議なものでも目にしたかのように、カンダタの声には畏怖すら含まれていた。モエギは得意げに答えた。
「お生憎様。あんたに言ったら、腕ごと持ってかれそうだからね」
 カンダタの目がモエギの腕に注目し、一点で静止した。
「へェ……見たことねェ腕輪だな。って、それどころじゃねェんだよ!」
 横裂きにしたカンダタの斧を跳ね上がってかわしたものの、再びカンダタに攻められる形となった。
 この攻防が始まってから既に数分は立っていたが、まだ息は切れていない。星降る腕輪のおかげだろう。
 だが、逆手をとってこちらから攻める、ということが出来ない。合間に攻撃を試みることは出来るのだが、主導権はカンダタにある。それ程までに、隙がないのだ。
 こちらが隙を見せたら、それで終わり――モエギの首筋を冷汗が伝った。
「ぐっ!」
 突然、モエギの脇を何かが駆け抜け、視界の隅で壁に沈んだ。アルトだった。
「アルト君!」
 叫ぶのとほぼ同時にカンダタの斧が襲ってきた。すんでのところでかわしたが、床に転がり起き上った時には二撃目が来た。
 派手な金属音が鳴り響き、モエギは荒い息をついた。
「これァ……随分悪趣味な爪だなァ」
 カンダタは斧を押さえつけている奇妙な爪を見下ろした。モエギはそのまま斧の刃をなぞるように爪を動かし、飛び起きると同時に下から腕を振り上げた。何かを掻っ切る感触がした。
 目の前には、胸の爪痕から赤い筋を覗かせるカンダタ。
 モエギは素早く自分の顔をぬぐった。赤黒いものが、まだらに手の中にまとわりついていた。
 ここに来るまで、魔物を相手取っていたため、爪はつけたままだった。出来るだけ傷つけないよう、蹴りでの攻撃だけをしていたのに、手が出てしまった。自分の顔から血の気が引いていくのが分かった。
 そっと見上げると、カンダタは血の流れる胸を眺めて、鼻で笑った。
「どうした? 嬢ちゃん、血にビビってんのかァ? オレァ、こんなもんじゃ痛くもかゆくもねェぜ」
 カンダタが短く息を吸った。何故か、動けない。
「終いだ、嬢ちゃん」
 カンダタが斧を振り上げた。モエギはぎゅっと目を閉じた。誰かが悲鳴を上げた。暗闇の中に、飛び散る紅いものが容易に想像出来た。
 刃が空気を斬った。が、その後には身を引き裂くような激痛も、喉を震わす絶叫も聞こえなかった。
 うっすら目を開けると、目と鼻の先に分厚い刃が突きつけられており、モエギはその場にへたり込んだ。声を出そうにも、情けないうめき声しか出なかった。
 カンダタは斧を下ろすと、床に放り捨てた。ひどく無表情だった。
「……嬢ちゃん。人を傷つける度胸もねェくせに、いきがってるんじゃねェぞ」
 モエギの視界が曇った。肩をすくめ、カンダタは全員に向かって言い放った。
「くだらねェ! オレがやりてェこたァ、こんなんじゃねェ!」
 そして、手下全員に手を引くよう命じた。



「アルト!」
 手下たちが抵抗をやめると同時に、サーラは壁にもたれ座り込んでいるアルトの元へ駆け寄った。
「しっかりしろ! アルト!」
 アルトの顔はグプタまでとはいかずとも、手ひどい仕打ちが残っていた。肩を揺さぶると、アルトはサーラの手を押し戻し、ふらりと立ち上がった。
「大丈夫……そんな顔するな」
 アルトの言葉に、それ程心配そうな表情をしていたのだろうか、とサーラはうつむいた。
「おい……大丈夫かよ?」
 モエギはジャックに立たせてもらうと、目尻をぬぐった。
「……本気で、駄目だと思った……悔しいよ……」
「バーカ。実戦だったらとっくの間にあの世に行っちまってるぜ? あ、これも実戦っちゃあ実戦か」
 ジャックが笑い飛ばすが、モエギは唇を噛みしめ、黙り込んでしまった。ジャックはため息をつき、モエギの頭をぽんぽんと撫でてやった。
「……さて、どうするよカンダタ。今のは降参とも取れるぜ。じゃなけりゃ、オレらを殺すかぶちのめすかすりゃ済む話だろ?」
 ジャックの態度に、カンダタの元に集まった手下たちはいきり立ったが、カンダタがそれを一喝した。
「てめェら、ガタガタぬかすんじゃねェ! ……そうともよ、てめェらを殺しちまえば良かった。けど、それはオレらの本業じゃねェ」
「なら、どうして人さらいなど……ましてや、黒こしょうを狙って」
 気が変わったのか、カンダタはサーラの問いに意外とあっさり答えた。
「……オレらもなァ、盗みだけじゃやっていけねェのは重々承知してるんだ。だから今まで貯めた金で黒こしょうをを仕入れて、ひと儲けしようと企んでいたんだが……」
「それを、あのクソジジイが『お前らのような得体の知れん奴らには売れん』の一点張りさ! だから娘をさらって、身代金として黒こしょうを要求したワケよ」
 赤毛が不満そうに漏らした。争いが鎮まったのを感じ取ったのか、タニアとグプタも通路から姿を見せた。
「おじいちゃんの言うことはもっともだわ。あなたたちのような、野蛮な人たちに……」
 タニアに食ってかかろうとする赤毛を制止し、カンダタがつぶやいた。
「野蛮、か。へッ、まさにうってつけの言葉だな」
 低い天井を仰ぎ、カンダタはしばし黙り込んだ後、口を開いた。
「オレらは、デスミラージュを抜けて、ロマリアとカザーブを行き来して盗みを働いた。勿論、オレらに降りかかるのは悪評だ。だが、金の冠をロマリア王家から盗んだ時ァ誇り高かった。それだけでオレらの名は飛ぶように売れた」
「……言ってたっけ。有名になりたい、って」
 落ち着きを取り戻したのか、モエギが小さく言った。それにうなずき、カンダタは続けた。
「だが、てめェらが冠を取り返して、オレらの評判は地に落ちた。ロマリアじゃもうやってらんねェ、そう思ってバハラタへ落ち延びた。しかし田舎のバハラタじゃ活動は正直難しかった。だから、オレたちァいつの間にか表舞台から消えちまって、そしてデスミラージュも消滅した」
 さっきまで怒りをあらわにしていた手下たちも、しだいに暗い表情になっていった。
「まっとうな生き方を嫌っていたオレらが、まっとうなことをせざるを得なくなった。だが今更無理だってンだろうな、結局はこのザマよ」
 ここいらが潮時なのかもしれねェな、とカンダタは吐き捨てた。
「……カンダタ」
 アルトが呼びかけると、カンダタは苦笑した。
「アルトよォ、その同情っぽい言い方はよせ。てめェとオレらじゃ何もかもが違ェんだ。てめェみたいなケツの青いガキに情けかけられたくねェ」
「じゃあ、テメーらこれからどうすんだよ? オレァ、元仲間だろうが何だろうが、役人に引き渡すぜ?」
 ジャックが問いかけた。すると、カンダタは首をふるふると横に振った。
「いや、その必要はねェ」
 手下たちの目の色が変わった。サーラたちはとっさに武器を構えたが、カンダタは抑揚のない声で告げた。
「……カンダタ盗賊団は、ここで解散だ」
 手下たちは一瞬、何を言われたのか分からないといった様子でカンダタを見た。
「お頭……今、何て言いやした?」
 禿頭が怖々と尋ねる。カンダタはそれを一瞥し、目を閉じた。
「聞こえなかったのか? 解散だ。もうオレらみてェな盗賊が生き延びるにゃ、人の道外れるしかねェ。それこそ、オレらが愛想尽かした、あの魔物だらけの盗賊団になっちまう」
「で、でもよお頭、そしたらおれらはどうすりゃ……」
「そのくらい、てめェの頭で考えろ!」
 カンダタの怒声は床が揺れたかと錯覚する程空間にこだました。怒鳴りつけられた毛むくじゃらの男は、大きな図体を縮こませた。
「……てめェらはいい大人だろ? 出稼ぎに来た田舎のガキじゃねェんだ。てめェの人生はてめェで決めろ」
「じゃあ、お頭はこれからどうするんだよ? お頭は、この稼業が生きがいだって、言ってたじゃねえか!」
 赤毛がぼさぼさの頭を振り乱し訴えかけると、カンダタは手下たちを見回し、サーラたちにも顔を向けた。
「そうともよ。だが、さっきも言ったけどよ……永遠に続くものなんざこの世にありゃしねェ。どんなに英雄と謳われた奴でも、あっさりと消えちまいやがったしな」
「……父さんを侮辱する気か」
 アルトの強い眼差しを受け、カンダタは低く笑った。
「あくまでも例えだ。そして、オレももう若くねェ。世界一の大盗賊なんていう夢物語は今時、流行らねェよ」
 カンダタはなおも未練がましそうな視線を向ける手下たちに向かって、諭すように話した。
「だが、てめェらはそんなくだらねェ夢でも、一緒に追ってくれた。忘れるな、オレにとっててめェらは、家族同然だったってな」
 手下たちは皆沈痛な面持ちを浮かべていた。毛むくじゃらの男などは感極まってか、嗚咽を漏らし始めた。
 荒くれ者たちがしんみりとしている姿は不思議な光景だったが、彼らにも自分たちのような仲間意識が深く根付いていたことを、サーラは感じ取った。
「……なんか、いづらいね」
 モエギは話しかけたつもりだったのだろうが、ジャックは盗賊たちを黙って見つめていた。
「……カンダタ」
 アルトが進み出た。カンダタは気だるそうに向き直り、少年を見下ろした。
「……俺たちはタニアさんとグプタさんを連れて町に戻る。けど、あんたたちのことは逃げられたって言っておくことにする。それでいいよな?」
 カンダタは瞬き、低くつぶやいた。
「……甘ェな、お前。砂糖菓子より甘ェ」
 にたりと笑みを作ったが、それ以上カンダタは何も言わなかった。
「それじゃ、おっさんどものお別れ会を見るつもりはねえから、オレたちはここでおいとますっか」
 サーラはうなずき、アルトに帰るよう促した。アルトはカンダタたちから離れ、通路の方へ足を向けた。
「おい、てめェら!」
 サーラたちが振り向くと、カンダタはひどく真面目な表情をしていた。
「てめェらは死んでくれるなよ。……あいつみたいにな」
 アルトはカンダタをしばし見つめ、力強くうなずいた。
「……死なないさ」
 そして微かに微笑んだ。今までのアルトとは違う、確かな強さをたたえた表情に、サーラは何かを悟った。
 アルトは、父に左右されない、己の道を歩こうとしている。もう、オルテガの名を引き合いに出すのはやめよう。
 アルトという、ひとりの少年をそばで見つめていよう。
 秘かな決意を胸に宿し、サーラは歩き出した。