紅炎の夢 4



 その夜、アルトは旅装束の上にマントを着込み、ランプを片手に部屋を後にした。砂混じりの冷えた風が、廊下の窓から吹き込む。
 宿の受付まで行くと、入口のところに小柄な人影を見つけた。アルトはランプを掲げ、影の主を映した。
「……モエギ」
「待ち伏せしてごめんね。アルト君とちゃんと話したかったの」
 モエギはいつもより柔らかく微笑んだ。こうしてみると、童顔の中にも年上の女性らしさがうかがえる。
「モエギ、今朝はごめん……。モエギは、俺のこと」
「うん。って言っても、悪いのは早とちりしたあたしの方。アルト君とサーラには、何もやましい気持ちなんてないんだよね」
 アルトはうなずきかけて、思いとどまった。
 ジャックの言い方からすると、モエギはアルトのことが好きなのだ。だが、アルトはモエギに仲間以上の感情は抱いていない。しかしサーラには、それ以上の何かを感じているのは事実だった。
 モエギに期待させるようなことはしてはいけない。自分の気持ちを、伝えなければ――
「……でも、俺はきっと……サーラのことを」
 モエギは一瞬怪訝な表情を見せたが、ふっと苦笑した。
「……知ってるよ。アルト君はきっと、サーラに会った時から惹かれていたんだよね」
 アルトは、ハッと胸を突かれたような気がした。自分はあの時から、サーラに惹かれていたのだろうか。
「あたしは、そういうアルト君が好きなの。半分は弟みたいなものなんだ。だから、あたしたちこれからも仲間同士だよ。それを言いたかったの」
 にっとモエギは笑い、軽い足取りで奥へ去っていった。アルトはその後ろ姿を目で追い、モエギの心中を察した。
 モエギはきっと、今の四人の関係を壊したくないのだ。その思いはきっと、四人の中で誰よりも強いのではないだろうか。アルトはアリアハンでついて行く、と言った時のモエギを思い出した。
 今のモエギの笑顔はあの時と違う。あの時のように、モエギに笑えるようになって欲しい。
 そのためには、自分が働きかけるしかない。
 足早に進み、部屋へ戻ろうとするモエギの手を取った。モエギは弾かれたように振り返った。
「わっ、アルト君、何……」
「モエギ、俺はモエギのこと、大事な仲間だって思ってるよ! モエギがいなかったら、ここまでやってこれなかった……だから」
「そんな顔しないで、アルト君」
 モエギはにっこり微笑み、幼い兄弟にするようにアルトの頭を撫でた。
「なるべく早く帰ってくるんだよ。行ってらっしゃい」
 その口振りはまさしく姉のようで、少しだけ切なくなった。
 アルトはこくりとうなずき、夜の城下町へと踏み出していった。
 アッサラームは夜も明るく賑わっていたのに対し、イシスは建物の明かりが点々と灯っているだけで、人通りは皆無に等しい。アルトは早足で城へと向かった。
 城門には門番の女性たちが立っていた。アルトの顔を見ると、女王から話は伺っている、と通してくれた。
 静まった城内をランプで照らしながら歩き、階段を上り謁見の間に出た。玉座の手前の左脇に、重厚な扉がある。その奥へ来るようにと女王に言われている。
 扉に手をかけると、重い音を立てて開いた。中には階段があり、最後の段を上り終えると、アルトは広い部屋に出た。
 部屋の中央には、薄い天蓋つきのベッドが備わっており、その傍らには召使いらしき女性がいた。女王はベッドの上で足を斜めに崩し、座っていた。
「アルト、こちらへ」
 女王が手招きをする。召使いは「女王様にそそうのないように」と厳しい視線を向け、退室していった。アルトはごくりと唾を飲み込んだ。
 ベッドの四隅には燭台があり、近付くと立てられたろうそくの灯火に女王が映し出されていた。絹で出来たネグリジェを纏っている。
 こうしてみると、まだ年若い少女のようにも、自分よりも遥かに大人の女性にも見える。女王を目の前にし、アルトは胸の高鳴りを抑えられなくなっていた。
 だが、目的は一つ。魔法の鍵について問い質すことだ。
「……女王様、あの」
「アルト、よく顔を見せて頂戴」
 言うなり、女王は細い手を差し出し、アルトの頬にそっと触れた。ほのかにぬくもりがあり、お香の匂いがした。めまいを覚えそうになるのをぐっとこらえ、アルトは硬直した。
「……やはり、あの方と同じ瞳をしているわ。でも、まだどこか危なげな瞳……」
 女王は独り言のようにつぶやくと、手を下ろした。意味深な眼差しでじっとアルトを見つめ、やがて静かに口を開いた。
「……私は昔、あの方に……貴方のお父様に、恋をしました」
 アルトはどきりとした。女王と父オルテガの間に何か関係があったのではないか、と訝ったのだ。それと同時に、この美しい女性が惚れた程、父が男としても魅力的だったということを知った。
「身も心もたくましく、一点の曇りもない瞳をしていました。一目見た時から、私は心を奪われて……でも、その時既に、彼には奥様と、貴方という子供がいたことを知りました」
 女王は寂しげに瞳を伏せた。おそらく、今もきっと、父を好いているのだろう。
「それに、女王である私が、みだりに己の私情だけで動けるはずがありません。皆私の気持ちに気付いていたかもしれませんが、私は想いを押し殺し、彼に旅の援助だけをして送り出しました」
 昨日、目の当たりにした気高い女王の姿は見当たらず、そこには切ない片想いを胸に秘めた一人の女性がいた。
「しかし、あの方の訃報を聞いた時……せめてこの気持ちだけでも伝えておけば、と悔やみました。今となっては、叶わぬことですわ」
「そんな大事なことを、何故俺に……」
 すると、女王は目を細め、囁くように告げた。
「……私の届かぬ想いを、せめて貴方には……あの方の子供である貴方には、伝えておきたかったのです」
 アルトには女王の気持ちは図りかねたが、ずっと想いを一人で抱えていた苦しみを理解出来ない程、子供ではなかった。
「ですが、女王様……俺は父さんの代わりにはなれません」
 困惑気味に訴えると、女王は微笑を漏らし、うなずいた。
「分かっていますわ。それに、貴方の瞳に戸惑いがあるのは……他に大切な女性がいるからでしょう?」
 瞬時にサーラの顔が浮かび、アルトはうつむいた。女王はくすくすと笑い、アルトの顔を覗き込んだ。
「話してごらんなさい。貴方の大切な方のことを」
 女王に促されては黙っている訳にもいかない。アルトは赤面しつつ、サーラのことを話し始めた。
「……その人は、暗い過去を背負っています。気難しい人だけど、出会った頃よりは気を許してくれるようになりました。けど、心の奥底では、闇を一人で抱えたままのように見えて……俺はそれを、取り除きたいんです」
「……そう」
 女王はそっと微笑み、こう返した。
「貴方の表情を見ていると、ただ同情しているのではなく、その方を心から慕っているのが伝わってきますわ。けれど、今の貴方では、彼女の心の闇は取り除けないでしょう」
 アルトは首を傾げた。「……どうしてですか」
「貴方はとても真っ直ぐな人。だけど、人を包み込むような器をまだ持っていない……それを持つためには、身も心ももっと強くならなければいけません」
 女王は既に、玉座で見せる君主の表情に戻っていた。
「そして、何があってもその方と正面から向き合い、決して逃げないこと……分かりましたね」
 女王の厳しい眼差しに、アルトは今までの幼い自分を見透かされたような気がした。
 今までは、名目上パーティのリーダーであっても、どこか仲間たちに甘やかされ、頼っていた。これからは、自分が率先してパーティを引っ張っていかねばならない。
 そして、何があってもサーラという女性を受け止められる、強い男にならねばならない。
 サーラを慕うだけの少年ではもう、いたくない。彼女よりも強くあるべきなのだ。
 アルトは表情を鋭くし、深くうなずいた。
「……はい」
「そう、さっきよりずっと良い面構えになりましたね」女王も満足げにうなずいた。
「女王様。俺たちは一刻も早くポルトガへ向かわなければいけません。魔法の鍵は、どうしても手に入れられないのですか」
 女王はしばし黙った後、首を横に振った。
「いいえ。そのことも、今夜話そうと思っていました」
「というと……」
 すると、女王は透き通った声で、童謡のようなものを唄った。あまりにも女王が唄うには似つかわしくないもので、アルトはきょとんとしてしまった。
「……今の唄は?」
 尋ねると、女王は恥ずかしそうにして、答えた。
「このわらべ唄は、イシスに古くから伝わるものです。そして、この唄こそが、魔法の鍵の封印を解くカギなのです」
「それでは……何故最初から教えて下さらなかったのですか」
 女王は瞬いた後、こう返答した。
「試したかったのです。この唄を教えるに相応しい器を、貴方が持っているのか……でも、心配いりませんでしたね」
 そして、ベッドから下りると、女王は鏡台から何かを持ってきて、アルトに手渡した。
 それは、水色に光る珠をはめ込んだ、金の指輪だった。
「これは、祈ると魔力を回復するという、祈りの指輪です。私からの、ささやかな贈り物ですわ」
 アルトは指輪を眺めた後、深々と頭を下げた。
「……女王様、このご恩は一生、忘れません」
「よいのです。さあ、お行きなさい」
 アルトは最後に笑顔を見せてから、部屋を後にした。
 もっと強くならねばいけない。サーラの心を守れるよう、強く――



 翌朝、食堂の席に着くなり、アルトは喜々とした様子で告げた。
「皆、魔法の鍵の封印を解く方法が分かったんだ」
「えっ、マジで! アルト、お前女王様と何かチョメチョメなことがあったんじゃ……」
「チョメチョメってどこの三流ゴシップよ、センス悪っ」
 モエギの突っ込みを軽くあしらい、ジャックは答えを待っている。サーラも怪訝そうにアルトを見つめたが、当の本人はあっけらかんと笑い飛ばした。
「まさか。女王様はただ俺の話を聞いてくれたんだ。そして、こういう唄を教えてくれた」
「唄……? どんな唄だ?」
 サーラが問うと、アルトは調子をつけて唄い出した。
「まんまるボタンは ふしぎなボタン
 まんまるボタンで とびらがひらく
 東の西から 西の東へ
 西の西から 東の東」
 アルト以外の三人は、一瞬呆然としてから、顔を見合わせた。
「……えらい不思議な唄だな」
「アルト君、もう一回唄ってくれる?」
 モエギの申し出をアルトは快く受け入れ、もう一度唄ってみせた。他の宿泊客が興味深そうにこちらを眺めている。
「――ということは、アルト……ピラミッドへ向かうということだな?」
 アルトはサーラにうなずいた。ジャックが腑に落ちない顔をした。
「へっ? なんでそういう話になる訳?」
「分からないのか? この唄が、魔法の鍵の封印を解く方法を語っているのだ」
 ジャックは間を置いて、「……なるほどね」と苦笑を浮かべた。
「じゃあ、すぐに出発した方がいいよね? アルト君」
「ああ。昼には発とう。皆、武器の手入れや買い足すものがないかチェックしてくれ」
 サーラたちはうなずき、朝食を済ませると各々の準備に取りかかった。アルトとジャックがピラミッドの情報収集をし、サーラとモエギは薬草などの補充をするため道具屋に向かった。
 サーラは、この数日でアルトやモエギの様子がどことなく変わっているような気がしていた。アルトは以前に比べてやけにしっかりしているし、モエギもどこか吹っ切れたような雰囲気がある。
 町を行く途中、そのことを話してみると、モエギは逆に問い返してきた。
「サーラ、あの時のこと覚えてないの?」
「あの時とは……何のことだ?」
 モエギは、ならいい、と首を振った。
「サーラは、あたしがアルト君のこと好きなのは気付いていたんでしょ?」
 唐突に、しかもモエギ自らそんな質問をしてきたので、サーラは目を白黒させた。
「モエギ……いきなり何を言い出す」
「だって、あたしの気持ちはサーラも知ってるってことを、ジャックが言ってたもの」
「あいつ……だが、それがどうしたというのだ?」
 モエギは深く息をつき、サーラを見上げた。
「でもね、あたし……アルト君とは両想いになれない。だって半分は弟みたいなものだし。それに、ぎくしゃくしちゃうのが一番嫌だもの」
 モエギは少しだけ寂しそうに笑うと、声を張り上げた。
「だから、アルト君のことはずっと仲間! 悩んでるあたしはもうおしまいなの!」
 きっぱりと言い切るモエギ。その横顔は太陽のように晴れ晴れとしていた。
 モエギは、想いの半分を捨てたのだろう。アルトに抱いた恋愛感情ではなく、弟のように思う気持ちを選んだのだ。仲間という調和のために。
「……そうか」
 サーラが微笑むと、モエギも笑い返した。
 だが――サーラはふと思った。
 自分は、アルトにどのような気持ちを抱いているのだろうか、と。