紅炎の夢 3



 午前は人が多い。とりわけ、広い道に面している宿の前は尚更だ。
 モエギはその間を縫うようにして、当てもなくひたすら走り続けた。
 ついさっき目にした光景と、砂漠の容赦ない熱気に吐きそうになりながら、人ごみをかき分けていった。
(アルト君を好きになったのは、あたしの方が先だったのに……!)
 目をぎゅっと閉じ、心の中で強く叫ぶ。それをはっきり自覚したのは、たった今だった。
 表通りを左に曲がり、立ち止まって屈んだ。いつもならこれくらい走ったところでは息が上がらないし、星降る腕輪までつけているのに、今はどういうわけか喉の奥がからからに干乾びている。
 人のいない時に、あの二人は何をしていたのだ。しかも、アルトの言い分ではサーラから進んで行動したように聞こえた。
 見損なった――奥歯を噛みしめ、モエギは顔を歪めた。
 再び走り出そうとすると、手首を誰かに掴まれ、モエギはきっと背後を振り返った。
「離してよっ!」
 怒鳴ってから、相手を思いきり睨みつけた。ジャックだった。
「何よ……あんたなんかに用なんてないんだけど」
 ほんのわずか、アルトが追ってきてくれることを期待していた自分に腹が立つ。ジャックにも腹が立つ。全てが苛立たしい。
「お前、早とちりしてんじゃねえか? サーラさん病人なんだぞ?」
 サーラの名前が出てきて、ますます苛立ちが募った。
「病人だから甘えたんじゃないの? なにさ、最初はアルト君のことガキだの何だのって言ってたくせに」
「だから、お前勘違いしてるって。あいつらがそういう仲に見えたか?」
「分からないよ? あたしは何人もの橋渡し役してきたから。サーラだってアルト君のこと好きだったんじゃないの?」
 言い始めると、もう止まらない。乾いた喉に唾を送り込み、まくし立てた。
「サーラって、結局男に媚びたいんじゃないの? じゃなきゃあんな踊り子になんてならないでしょ。アルト君のことも誘惑したんじゃないの?」
「は? お前バッカじゃねえの? サーラさんがそういう女じゃねえって知ってんのは、誰よりお前だろ?」
 そう。本心で言っている訳ではない。
 だけど、今はサーラのことが、憎くてたまらないのだ。
「モエギ、お前頭冷やせ。サーラさんは……」
「大体ね、あんたがサーラのことそうやって言ってるのも気に食わないのよ! 年上のくせにデレデレしちゃっ――」
 ぱし、と乾いた音がした。
 目の前には、ジャックの真剣に怒った表情が、あった。
「……お前、いい加減にしろよ」
 そっと左の頬に触れてみた。手加減したのだろう、痛みはなかったが、確かに打たれた感触はあった。
 誰にもぶたれたことなんて、なかったのに――あれだけ怒りを口走っていた唇を閉じ、モエギはただジャックを見つめた。ジャックは深く息をつき、ゆっくりと語りかけた。
「お前が、アルトのこと好きなのは何となく分かってたよ。気付いてたぜ、アルトとお前以外はな」
 行き交う人々が遠巻きに視線を向けている。そのざわめきすら、ゆっくりと聞こえた。
「けどな、嫉妬にも程があるぜ? 具合の悪い――サーラがふらついてアルトに寄っかかっただけかもしれねえじゃねーか。それをお前、よくそこまで言えたもんだな」
 何も返せず、モエギは黙り込んだ。ジャックは続けた。
「お前とサーラは、親友だと思っていたけどよ……お前はどうやら、それだけじゃねえみたいだな。聞いてやってもいいぜ? 愚痴くらいよ」
 そう言って、ジャックは口だけにっと笑った。モエギは地面に視線を落とし、こくりとうなずいた。
 本当は知っている。ジャックが人の気持ちに対して、とても聡いということを。



 サーラがアリアハンのルイーダの酒場にやって来たのは、モエギが十五を数えた頃だった。
 初めて見た時、世の中にはあんなに整った顔立ちをした同性がいるのだ、とうらやましく思った。整っている以上に、自分と大して変わらない歳のはずなのに、どこか艶めいた雰囲気があった。
 だが、サーラは全く笑わない少女だった。好奇心旺盛な男たちが声をかけてもつんとしており、肩に手をかけようものなら、すかさず刃をちらつかせ脅した。その態度に、酒場の主人ルイーダも注意を促す程だった。だが、サーラはかたくなに人との関わりを拒んでいた。
 周りは無愛想な女、と評していたが、モエギはサーラがそれだけの人間ではないことを知った。
 ある日、酒場の皆がほとんど出払っている時、二階の相部屋にサーラがぽつんといた。窓際に立ち、じっと遠くの景色を見つめている横顔がひどく物悲しげで、それでいて美しかった。
 その表情を目の当たりにしてから、モエギはサーラに少しずつ話しかけるようになった。最初は確か、こう言ったはずだ。
 そんなに肩肘張って生きてたら、疲れちゃうんじゃない?――
 無口無表情だったサーラに、モエギは事あるごとに様々な話をした。故郷のこと、ルイーダの恋愛遍歴、アリアハンにいる面白い人々のこと――沢山話しているうちに、ふっとサーラが微笑んだ。
 モエギは言ってやった。そうやって笑った方が、ずっといいよと。
 それから、ルイーダに仕事を斡旋してもらう時は必ずサーラと組むようになった。サーラの剣さばきはそこらの戦士よりずっと腕が良く、徐々にモエギとサーラを名指しで依頼する者も現れるようになった。モエギ自身も負けていられないと、さらに得意の武術に磨きをかけた。
 打ち解けた後も、サーラはあまり自分のことを語ろうとしなかったが、ある時過去のことを話したい、と自ら申し出てきた。それは、モエギが生きてきた環境とはあまりにかけ離れたものだった。
 両親の顔を知らず、教会の神父に育てられたこと。恋仲だった青年からひどい仕打ちを受けた上に、裏切られたこと。それから男を寄せつけないようになり、剣術を体得したこと。
 モエギはそれを全て受け止め、サーラにはあたしという親友がいるから、と言い聞かせた。
 だが、サーラの男性不信はそう簡単に直るものではなく、モエギのおかげで他の冒険者ともそれなりに馴れ合ったものの、男とはあまり付き合おうとしなかった。そのため、時折サーラに関する不快な噂も耳にしたが、気にしないことにしていた。
 けれど、本当は心の奥で、微かな嫉妬を覚えていた。
 どうして、恵まれたものを持ちながらも、そんなに屈折して生きようとするのか、と。



 昼前の酒場はがらんとしており、狭いカウンターでは髭をたくわえた主人が丁寧にグラスを拭いている。
 モエギはジャックと並んで座り、カウンター席で水を飲んでいた。酒は夕方からしか出さないというのが、この国の方針だという。これもあの女王の計らいなのだろうか。
 サーラとの馴れ初めを話し終えると、大分落ち着いた。水のおかわりを申し出ると、モエギはため息をついた。
「サーラはあたしの自慢の親友だった。美人で、剣もめっぽう強くて……本当はいい子なの」
 ジャックは陶器のコップに口をつけながら、黙ってうなずいた。
「だけど、旅に出てから……色んな所でサーラと比較されるようになった。あんたなんかは特にそうだったし、アルト君は比較こそしなかったけど、いつもサーラを慕ってた」
 アルトと初めて出会った時、この子ならサーラを救ってあげられるかもしれない、と思った。それを切に願っていた。
 けれど、いつの間にかそのひたむきな姿に、自分が惹かれていた。
「お前はさ、どうしてアルトのことが好きな訳?」
 ジャックはコップを口に運びながら、横目で尋ねた。視線を落とし、モエギは答えた。
「初めて会った時、なんてキラキラした瞳をしてるんだろうって思ったの。あんな目をした男の子を初めて見たの。アルト君が楽しそうだと、あたしもよく分からないけど……すごく嬉しいのよ。今思うと、それが好きってことだったのね」
「……まあ、そうだろうな」
 ふいに苦笑した。男女の仲を取り持っていたのに、自分の気持ちにはこんなに疎いなんて。
「でも、その一方でずっと思ってたの。アルト君に慕われて、あんたや他の人にチヤホヤされてるのに、どこかでそれを拒んでいるサーラが、妬ましいって……」
 アッサラームでサーラが踊り子を依頼された時も、心のどこかでうらやましさを感じていた。なのに必要以上に拒否するサーラを、本当はジャックの妹のローズ同様に皮肉ってやりたかったのかもしれない。
「比べたって、しょうがないのに……時々サーラの隣にいることが、苦痛になっちゃうのよ。疲れちゃうのよ。あまりにも、サーラがあの頃より好かれているから……」
「……じゃあ、お前は男から敬遠されていたサーラを囲っていたことに、優越感でも感じていたのか?」
 ジャックの問いかけに、モエギは即座に反発した。
「それは違うよ! 本当は、サーラは好かれてもいい子だと思ってた……だから、虚勢を張って生きているサーラがもどかしかったのよ!」
「そうだろ? お前、なんだかんだ言ってサーラのこと好きじゃん」
 ジャックがにやりと笑い、モエギは喉を詰まらせた。酒場の主人もにこやかにモエギたちを見守っている。
「……まあ、オレも聞いたことがあるのよ。どうして男にはそんなにツンツンしてるのかってよ」
 そんなこと、いつの間に聞いていたのだろう。ジャックの面持ちは、いつもサーラに接している時のものとは違って、締まりがあった。
「あいつは、真面目すぎなのよ。真面目にろくでもない男を愛しちゃって、傷つけられて……だからもう傷つかないようにって、自分を守ってるのよ」
 モエギもうなずいた。ただ、その防衛手段が少々度を過ぎることもあるのだろう。
「でも、サーラは少なくとも、オレらには心を許しているでしょ? まあ、オレは好かれてんのか嫌われてんのか分からねえけど……でも、アルトのこともお前のことも、同じだけ信用してると思わん? 今は」
 モエギは昨日のことを思い出した。星降る腕輪の亡霊に脅えた時、真っ先に心配してくれたのはサーラだった。
 思えば、カンダタ一味にさらわれた時も、サーラは誰よりも、私がついてなかったばかりに、と自分を悔いていた。
 そのサーラが、どうしてアルトにあらぬことをするだろう?
 コップを握る手が震えるくらい力を込めて、モエギはつぶやいた。
「分かってる……分かってるよ、そのくらい。だから怖かったのよ。アルト君と、あたしより魅力のあるサーラが、いつか両想いになっちゃうんじゃないかって……。アルト君のサーラを見る目が変わったのも、本当は気付いていたし……」
 ジャックは深いため息をつき、伸びをしてからこう言った。
「でもよ。オレたちは男女うんぬんの前に、バラモスを倒すって志を持った仲間だろ? まあ、今のアルトもそうだけどよ……ホレたのハレたの以前に、やることがあるんだよ」
 そこは分かっとけ、と釘をさして、ジャックは続けた。
「そしてな、お前のサーラに対する気持ちも分からなくもないけどよ……サーラが今一番心を許せるのは、間違いなくお前なんだよ。だから、そのお前がサーラを裏切っちゃいけねえ。分かったな」
 厳しい眼差しで告げられ、モエギは改めてサーラに対して吐いた暴言のひどさに、自分を悔いた。
「……そうだよね。あたしってホント、子供だね」
 笑ってみせたが、口元がひきつって上手く笑えない。
 見た目だけではない。心も幼い。
 いつからだろう。あたしはあたしと、胸を張って言えなくなったのは。
 視界がぼやけ、慌てて瞬いてごまかした。何とか笑顔を作ろうとしていると、ジャックの声が聞こえた。
「……お前はな、恵まれてんだよ。だから出せる明るさってのがある。
 お前はお前のままでいいんだよ」
「え……」
 ジャックは立ち上がり、モエギの頭を軽くぽん、と叩いた。
「さて! サーラさんの様子も気になるし、ぼちぼち戻るとすっか!」
「あ、ちょっと待ってよ!」
 先に店を出ようとするジャックを追いながら、モエギは初めてジャックという男が年上なのだということを、認識した。



 目を開けると、仲間たちの心配そうな表情と、見慣れない初老の男の顔が頭上に並んでいた。
「ほっほっ、どうやら気がついたようじゃの」
 上半身を起こすと、額から濡れた布が滑り落ち、手元のシーツを濡らした。
「私は……風呂から上がって、そのまま寝入って……」
 ちりっ、と頭に炎の残像が浮かび、サーラはこめかみを押さえた。
「サーラ、ずっとうなされてたんだよ。お医者さんは風邪でも熱中症でもないって言うんだけど……」
 モエギが眉を八の字に下げて顔を覗き込む。サーラはうつむいて、瞳を閉じた。
「……私の故郷が、燃える夢を見た」
「故郷? あれ、サーラさんの故郷って……」
 ジャックが首を傾げる。目を開きそれを見やると、隣のアルトに視線を移した。アルトは緊張した面持ちになったが、視線を外さず見つめ返した。そういえば、アルトには故郷の話をしてはいるが、その名までは言っていない。
「……私の故郷は、テドンという森に囲まれた村だ」
「テドン……確か、アリアハンの西の大陸にあるって言ってたよな?」
 アルトの問いかけにうなずき、サーラは毛布を握りしめた。
「これがただの夢なのか、正夢なのか……もし正夢なのだとしたら、私は一刻も早くテドンへ戻らねばならない」
「サーラ、ノアニールでもエルフの王女様の夢を見たんだもんね……ただの夢の方がいいに越したことはないけど」
 モエギが不安そうに考え込む。テドンは辺境の村なので、例え何が起こっていたとしても他国で取り上げられることはないだろう。
「ジャック、アッサラームの方から船は出ていないのか?」
「さあねえ……テドンっつう村は初めて聞いたしな……」
 ジャックの冴えない表情にアルトが落胆する。すると、話を聞いていた医者がふいに口を開いた。
「テドンといえば……ポルトガから近いのではないかのう」
「ポルトガ……って、確かロマリア王が言っていた……」
 アルトが思い出したようにつぶやく。ポルトガはロマリアの友好国なのだが、入国管理が厳しく、普通の旅人は通行が許可されていない。だが、魔法の鍵を持つ者は何人でも通行を許されるという。これはロマリア王家の刻印を見せるよりも、はるかに効能があるという。
「じゃあ、結局魔法の鍵を手に入れないとダメじゃんかよ!」
 ジャックが地団駄を踏む。サーラも、アリアハン行きの片道乗船券を手に村を出てきたので、戻り方は知らない。戻る気がなかったのだ。
 皆が落ち込む中、アルトがこう告げた。
「俺……昨日、次の日の晩に城へ来るよう言われたんだ。女王様なら、まだ何か知っているかもしれない」
 ということは、今日の晩に呼ばれているのだ。アルトは確かな決意を瞳に宿らせ、宣言した。
「サーラ、俺が必ず、何とかするから……心配するな」
 そう言いきったアルトは、以前のアルトに戻っており、それ以上に頼もしさすら感じられた。何故アルトが変化したのかは分からなかったが、サーラはうなずき、微かに笑みを覗かせた。
「ああ……気をつけてな」
 ジャックと医者はそれを満足そうに眺め、昨日あれだけ勘繰っていたモエギも黙ってアルトを見つめている。
 アルトもだんだん、パーティのリーダーとして成長していくのだ。昨日のような不安げな姿はもう見当たらず、サーラは心の中で深く安堵した。