紅炎の夢 2



「なあ、アルト、さっき女王様と何話してたんだ?」
 仕えの女性に案内され、城内の細長い通路を歩いている途中、ジャックはしきりにその話題をアルトに持ちかけた。だが当の本人はいつもより無口で、答えようとしなかった。
「面と向かってあたしたちにも言えばいいのに、アルト君にだけっていうのが怪しいよね〜」
 珍しく、モエギとジャックは意見が一致しているようだ。だが、サーラは何となく、事情が読めたような気がしていた。
 女王は平静を装っていたが、アルトを前にした時、わずかだが表情が揺らいだ。おそらく、『オルテガの息子』ということに反応したのだろう。
 女王は、オルテガに対し何らかの私情を抱いているのではないだろうか。そのためにアルトをどうするのかといえば、真意は図りかねるのだが――
「アルト君、いくら相手が女王様でも、嫌なことは嫌ってはっきり言いなさい!」
 モエギが女王の真意を理解しているとは言い難いが、よからぬことを想像しているのは確かだろう。サーラはいきり立つモエギをなだめた。
「モエギ、そう熱くなるな。女王様のことだ、悪いようにはしないだろう」
「だからこそ怪しいのよ! アルト君、万が一のことがあったらすぐ逃げるんだよ!」
「わ、分かったよ……そんなに怒るなよ、モエギ」
 アルトが渋々うなずくと、モエギはようやく落ち着いた。ふとアルトの視線が困ったようにサーラの方を向いたが、すぐにジャックの方へ移り、星降る腕輪の話を始めた。
 こちらとしては、女王がどうこうより、アルトの自分に対する態度の方が気にかかる。サーラは気付かれないようにため息をつき、先を急いだ。
 階段を降りると、土と埃の混じった地下通路になった。こうなってくると、やはり宝の匂いは隠し切れない。
 奥へ進むと、やがて小部屋の中に一つの宝箱が置かれているのが目に飛び込んできた。宝箱は装飾が所々はがれており、相当古くからあるもののようだ。
「こちらが、星降る腕輪になります。どうぞお持ち帰りください」
 仕えの女性が宝箱を開けると、深紅の布の上に、古びた緑をした腕輪が乗せられていた。アルトがおそるおそるそれを手にすると、サーラたちも腕輪を覗き込んだ。
「見た感じ、ちょっと変わった腕輪ってとこだな」
「この腕輪、どんな効果があるの?」
 モエギが尋ねると、仕えの女性はしばし思い出すようにしてから、
「言い伝えでは、身に付けた者の身体能力を増長させ、倍にまですると言われているはずですわ」
「となると、やはりアルトに持たせるべきか?」
「いや、ここは公平にジャンケンで……」
 アルトの提案で、サーラたちは一斉に各々の手を出し合った。
 と、
『誰だ……わしの眠りを醒ます者は?』
 どこからともなく得体の知れない声がして、サーラたちは顔を見合わせた。各々の手札を見ると、モエギがチョキで、他の三人は皆パーだった。
「やったー! じゃあたしのものね!」
 アルトから腕輪を受け取ったモエギが自分の腕にはめようとすると、再びおぞましい声が聞こえた。
『その腕輪を手にしたのは……お前か?』
 その瞬間、モエギが目にも分かる程に身震いし、硬直した。
「モエギ、大丈夫か!」
 サーラが肩を抱いても、モエギは真っ青な顔で口をぱくぱくさせている。困惑していると、声の主がさらに問い質してきた。
『さあ、答えろ……その腕輪を手にしたのはお前か!』
 モエギが悲鳴を上げてすくみ上がる。傍らにいる仕えの女性も予測していなかったことらしく、小刻みに震えている。サーラとアルトが顔を見合わせると、ふいにジャックが声を張り上げた。
「そーですっ! どなたか存じませんけど、この腕輪の持ち主は今度からこの女になったんですっ! でも安心してちょーだい、この子なら絶対悪いようには使いませんからっ! ねっ!」
 物凄い形相でジャックに同意を求められ、モエギは首をがむしゃらに縦に振った。
 重い静寂の後、やがて返事が返ってきた。
『……そうか。もうその腕輪は、わしには用のないもの……大事にするがよい。では、わしは再び眠りにつくことにしよう……』
 声が消えた途端、古びた宝箱がひとりでに閉まり、皆びくりと肩を震わせた。それから何も起こらないことを確認すると、全員我先にと地下から脱出した。
「びっくりさせんなよったくー!」
 ぜえぜえと息を切らし、ジャックは大きなため息をついた。一番手で階段を上りきったモエギは、腰の力が抜けたのか床にへたり込んだ。
「モエギ、大丈夫か? もう平気か?」
 アルトがしゃがみ込み様子をうかがうと、モエギは小さくうなずいた。
「まあね……何か、変なものに取り憑かれたみたいになってた。でも、ジャックのおかげで何とか平気になったみたい」
 モエギに視線を向けられ、ジャックは苦笑を浮かべた。
「どうよ……オレ様の機転の利かせ方はよ?」
「……助かったのは事実ね」
 モエギもかろうじて笑みを見せた。サーラは肩で息をしている仕えの女性に問いかけた。
「さっきの声は何だったのだ? いわく付きのものだったのか?」
 仕えの女性はやっと息を整えると、自分を抱くようにしてこう話した。
「そういえば、その腕輪は古い昔、歴代の王の中でも特に武術に長けた王が身に付けていたとされるものと聞きました……。それと、もう一つ、その王が愛用していた爪が、ピラミッドにあると言われています……」
「何だよオイ、この国はお宝ザックザクだな!」
 大して嬉しくなさそうにジャックが声を上げた。その一言に、全員が乾いた笑いを浮かべるしかなかった。



 夕方になり、サーラたちは一旦宿に戻ることにした。真夏とはいえど、夜の砂漠は冷え込む。夕食を摂った後、サーラは宿の浴槽に浸かりながら、これからのことを考えた。
 昼間に聞いた宝の爪は、通称「黄金の爪」と呼ばれているらしい。カザーブで買った鉄の爪もそろそろ買い換えようかと言っていたモエギだったが、腕輪の件がよほどこたえたのだろう、「いらない」の一点張りだ。
 それはともかくとして、魔法の鍵を手に入れられないとすれば、それを通行許可証とするポルトガには行けないし、船でもなければ別の大陸にも行けないだろう。
 それに、アルトの様子も相変わらず気にかかるところだ。今後の相談がてら、一度本人に問い質した方が良いのかもしれない――サーラは湯船を出、バスローブに着替えると、浴室を出た。
 すっかり温まった身体に、窓から吹き込む夜風が当たり心地良い。廊下を歩いていると、丁度向かいからアルトが歩いてきた。アルトはこちらに気付くと目を大きく見開き、さっとうつむいた。
 今までなら、サーラの顔を何の屈託もなく見つめ、言葉を交わしていた。あのアルトはどこへ行ってしまったのだろう。
 無性に苛立ちを覚え、サーラは大股で歩み寄るとアルトに食ってかかった。
「アルト! どうして私を避ける! アッサラームを経ってからずっとそうだ! お前の気に障ることを私がしたか!?」
 胸倉を掴み、壁に叩きつける。アルトはきつく目を閉じたが、うっすらと開けサーラを見た。だが口を利こうとはしない。
「答えろ! アルト!」
 詰め寄ると、アルトは視線を落とし、また目をつぶった。そして、微かにつぶやいた。
「……分からないんだ」
 それは、アルトが発したものとは思えない程、困り果てた声だった。
「俺にも、分からないんだ……!」
 顔の中心にしわを寄せそう言い放つと、アルトはサーラの手を振り切り、廊下の先へと走り去っていった。サーラは茫然とそれを眺めていた。怒りで上気したのか、全身が熱い。
 ただ一つ分かったのは、アルトが故意にサーラを避けている訳ではないということだ。
 アルトにも分からないのであれば、どうしようもないではないか――サーラは重い足取りで部屋に戻った。
「サーラ、何かあったの? 怒鳴っていたのが聞こえたけど……」
 ベッドの上で腕輪を磨いていたモエギの問いかけにもろくに答えず、サーラはベッドに横になった。全身が熱いだけでなく、鉛のようにひどく重くなっていた。
「サーラ? 髪乾かさないと、風邪引くよ? サーラ……」
 モエギの声にも答えられない程、舌までもがだるい。そのままサーラは引きずり込まれるように、暗闇へと堕ちていった。



 暗闇の下で、大きな炎がうごめいている。遠巻きに見ていたはずなのに、炎が近付いているのか、それとも自分が近付いているのか、真っ赤な大蛇のように迫ってくる。
 どこからか子供の泣き喚く声が聞こえる。野太い男の悲鳴が上がる。暗闇は次第に森のシルエットを取り、空が紅く焦げる。
 逃げようとしても風景が離れない。めりめりと木の裂ける音、地面にこびり付いた木の葉の焼ける弾けた音、それに伴う人々の逃げ惑う足音、ガラスの割れる悲鳴のような音色、得体の知れない哄笑――
 むせ返るような熱風が、この胸に吹き続けて止まない。繰り返し繰り返し、焼きつけられるようにして、その光景は流れ続けた。



「サーラさんが目を覚まさない?」
 身支度を整えていたアルトたちのもとに、モエギがやって来たのは日が昇ってしばらく経った頃だった。タオルを首にかけ歯を磨いていたジャックは、モエギに引っ張られるがまま部屋を出、アルトもそれに続いた。
 昨晩、自分を責めるように怒鳴りつけたサーラの顔が、言葉が心の中を去来する。
 自分のせいだろうか――そう考えるといてもたってもいられなくなり、アルトは足を速めた。
 サーラとモエギの宿泊している部屋に入ると、サーラは薄い毛布をかけたまま、ベッドの上に横たわっている。呼吸が荒く、額にはびっしょり汗をかいている。
「今朝からずっとこうなの……起こそうとしても、うなされたような声しか出さなくて……」
 ジャックは歯ブラシを口からはずし、サーラの額をぬぐい手を当てると、仰け反り大声を上げた。
「……ひでー熱じゃねーか! アルト、医者呼びに行くぞ! モエギ、お前は残ってサーラさんの看病してやれ!」
 モエギがうなずき、ジャックは部屋を出ようとして、立ちすくんだままのアルトを手招きした。
「ほら、アルト! ボケっとしてないでお前も来い!」
「……俺のせいだ」
 アルトの放った一言に、モエギとジャックは顔をしかめた。
「……俺のせい、って……どういうこと? アルト君」
 黙っていると、ジャックはモエギの袖を掴み、言いやった。
「しょうがねーな。アルト、サーラさんのことまかせたぞ! おら、行くぞ!」
「えっ、ちょっと待ってよ! アルト君!?」
 さっきとは逆にジャックがモエギを引っ張り、部屋を後にした。やがて足音が遠ざかると、アルトはサーラをじっと見つめた。
 サーラは、ずっとアルトの態度に思い悩んでいたのかもしれない。直接今の症状には関係ないとしても、精神的に悩ませ、疲れさせていたのは事実だろう。でなければ、あんな風に食ってかかったりしないはずだ。
 自分が、サーラの看病をする責任がある――アルトは強く肯定し、宿の主人に水と桶、布を用意してもらうと、サーラのベッドに寄り添った。
 イシスの城下町は、アッサラームに比べれば規模は小さいが、それでもかなりの広さがある。その中から医者を探すのは結構な時間がかかることだろう。
 アルトは桶に汲んだ水に布をひたし、固く絞ると、サーラの額に乗せた。本当は氷水の方が良いのだが、この暑さの中ではすぐに溶けてしまう。
 昔、風邪を引いて熱を出した時は、母がよくこうして看病してくれたものだ。剣術を始めてからは免疫力も高くなったのか、風邪はほとんど引かなくなった。
 こうして、誰かの看病をするまでになったのだな、とアルトはわずかに微笑んだが、その笑みもすぐ消えた。
 寝床の上のサーラは髪も乱れ、苦しそうに呼吸を繰り返している。モエギの呼びかけにも答えられないのだから、よほど意識がもうろうとしているのだろう。
 アルトは時折、サーラの汗をぬぐいながら、様子を見ていた。
 ふと、サーラの顔をこれ程じっくり見るのは初めてだ、と思い、アルトは息をひそめてサーラを見つめた。
 エルフにも見間違われ、アッサラームの劇場にも出演した程だ。サーラ自身は鼻にかけていないものの、相当の美人には違いない。
 伏せられたまつげは長く、肌は絹のようになめらかな表面をしている。口角の鋭い唇は形が良く、鼻筋がすっと高く流れている。そしてかけられた毛布の上からでも、魅力的な曲線を描いた肢体が見て取れた。
 アッサラームでの見事な舞を思い出し、アルトは瞳を伏せた。頬が熱い。
 今まで、ただ仲間として接していたサーラを、今は何故かそれ以上に女として見てしまう。だがそれでも、女性をここまで意識したことはなかった。それはきっと、サーラの瞳に見え隠れする陰のせいなのだろう。
 思えば、アリアハンからサーラを仲間として連れ出したのも、そのどこか悲しげで、不安定な姿を目の当たりにし、それを取り除いてやりたいと思ったからだった。
 だが、サーラはそれを他人に決してさらけ出さない。くすぶった炎を己の身に燃やしながら、それでも不器用なりに生きようとする姿に、この胸は痛みを覚える。
 ふと思うのだ。このままずっと、サーラは傷を負ったまま、癒されることを拒みながら生きていくのではないか、と。
 そして、自分はそれを救うに値しないのだろうか、と。
「……一人で、抱え込もうとするなよ」
 そばにいながら、一歩下がったままの距離を保たれているのが一番つらい。
 それは、サーラも一緒だったのではないだろうか?
 アルトは己のしていたことに気付き、口元を押さえた。
「ん……」
 それまでうなされていたサーラの呼吸が変わり、アルトは目を見張った。切れ長の瞳がゆっくり開かれ、アルトに焦点を定める。
「……アルト?」
「サーラ……大丈夫か?」
 サーラはそれに答えず、むくりと身体を起こすと、ベッドから出た。アルトもその拍子に立ち上がる。
「森が……燃え尽くされてしまう……」
 うわ言のように紡がれた言葉に、アルトは首を傾げた。
「サーラ、どうしたんだ? 森が……って、何か悪い夢でも見たのか?」
 サーラはよろけた足取りで部屋を出ようと扉へ向かう。よく見れば、バスローブのままだ。胸元から白い肌が見えて、アルトは思わずどきりとした。
「ま、待てよ! 落ち着けって! まだふらふらしてるじゃないか!」
 とっさに支えようとすると、サーラは急に力が抜けたように、アルトの肩に倒れ込んできた。
 荒い呼吸と、汗ばんだサーラの匂いが立ち込め、アルトは激しく動揺を覚えた。
「アルト君、お医者さん呼んでき……――」
 扉の開く音と共に飛び込んできたモエギは息を止め、アルトとサーラを凝視した。サーラを離す訳にもいかず、アルトは助けを求めるようにモエギと視線を合わせた。
「おい、どうした……って、あらま」
 遅れて顔を覗かせたジャックと医者らしき老人も、目の前の光景に言葉を失った。アルトは頬が急激に上気していくのを感じ、サーラの肩を抱いて自分の身体から離した。
「あ……あのさ、サーラが、その……」
 取り繕おうとしたのだが、舌が上手く回らない。モエギの顔がみるみるうちに険しくなり、床を蹴って走り去ってしまった。
「モエギ!」
 サーラをベッドに横たわらせ、アルトも後を追おうとしたが、ジャックがそれを阻んだ。
「待て。あいつはお前が何言ったとこで無駄だ」
「ジャック、そんなんじゃないんだ! 信じてくれよ!」
「分かってるよ。ただ、あいつの気持ち、お前気付いていたか?」
 ジャックの言葉に、アルトは虚を突かれたような気がした。
「……お前は、医者のじいさんにサーラさんを診てもらいな。モエギのことは、オレにまかせておけ」
 そう言い残し、ジャックは廊下の向こうへ消えていった。アルトは茫然と、モエギが最後に見せた表情を頭の中で反芻していた。