紅炎の夢 1



 人の心とは移ろいやすいものだ。
 ふとした瞬間から、相手が憎くなることもあれば、ひどく愛しいと感じるようにもなる。
 肝心なのは、それに気付くのか気付かないのか、もしくは――
 気付いても知らないふりをするか、だ。



「あちぃ……」
 空からは真夏の陽射しが容赦なく降り注ぎ、黄金色の地面をさらに燃え上がらせる。空気はただ生ぬるく、一陣の風も吹きはしない。
「暑いって言ったらもっと暑くなるだけだよ。寒いって言えば」
「じゃあお前が言えよ」
「あたしは自分をごまかしたくないの。あー暑い」
 屁理屈を言って武闘着の中をあおぐモエギに、ジャックはけっ、と悪態をついた。それを横目に、サーラは桶に入った水を地面に置いた。
 アッサラームでジャックの家族に別れを告げ、ジャックの父マルクスが率いる隊商と共に、サーラたちはアッサラームの西に広がる広大な砂漠を横断していた。
 アリアハン大陸とほぼ同面積を誇る砂漠なだけあり、点々と集落も存在している。今はその集落の一つで、各々休憩を取っていた。
 隊商には用心棒として同行しているが、ラクダの世話など、諸々の雑用もすすんで買って出ている。ラクダが頭を垂れ、水を飲むのを眺めていると、やがてアルトも桶を手に戻ってきた。
「水があって良かった。前の集落は水不足だったから……」
 物欲しげにしていたもう一頭のラクダに桶を与え、アルトは額当てを取った。この暑い中金属を身につけているのは、良い心地はしないだろう。
 ラクダは商品の運搬と、マルクスら商人たちが乗って移動するための数頭を従えており、サーラたちは彼らを守るため時折遭遇する魔物を相手取ってきた。
 モエギなどは、ラクダの顔を正面から見つめては「変な顔ー!」と腹を抱えていたが、さすがにふざける余裕もなくなってきたようだ。
 サーラは額をぬぐうアルトに目をやった。砂漠に入ってからというものの、どこか瞳に陰りがある。
「アルト、イシスまであとどのくらいかかりそうだ? マルクス殿は何と言っていた?」
 声をかけると、アルトは一瞬だけサーラを見、視線をはずした。
「そうだな……あと二、三日はかかるらしい」
「……そうか」
「アルト君、まだ魔力は残ってるの? またあの緑バサミが出てきたらきつくない?」
 緑バサミというのは、通称地獄のハサミと呼ばれる甲殻類の魔物で、アルトのギラで先手を仕掛けないと上手く倒せないのだ。
 モエギが近寄ると、アルトは大丈夫だよ、と微笑んでみせた。サーラの胸がわずかに疼いた。
「サーラさん、疲れてる? 元気なくない?」
 隣でジャックが首を傾げる。サーラはアルトを見つめたまま、別に、と答えた。
 だが、心のどこかで引っかかっていることは、ある。
 ここ数日、アルトはサーラと目を合わせようとしないのだ。モエギやジャックとは普段通りに話すのだが、サーラに対してはたとえ視線を合わせても、すいとはずしてしまう。
 思えば、サーラがアッサラームで一夜限りの踊り子を務めてから、アルトはどこかおかしい。結局は男に媚びるような踊りを大衆の目にさらしたのだと、軽蔑しているのだろうか。だが、サーラは精一杯舞台の上で舞っただけだ。それ以上でもそれ以下でもない。
「……ジャック、私はアルトに嫌われるようなことをしただろうか」
「へっ? サーラさん、何言ってんの? んなこたぁないでしょ。つーか、むしろ……」
 と、ジャックはふいに口を止め、首をふるふると振った。
「いや、まあ……アルトも思春期なのよ。あんなきらびやかなサーラさんを見たから、気になっちゃうんじゃない?」
「……そうだろうか」
 そうさ、とジャックは笑い、水筒に口をつけた。やはりあの件のせいなのだろうか、とサーラは眉根を寄せ、アルトを見た。
 モエギと笑い合うアルトは、まだどこかあどけなく映った。



 砂漠地帯で最も巨大なオアシスに建てられた国、イシス。人口の多さはアッサラームよりやや劣るものの、治安は遥かに安定しており、住民は皆穏やかな表情をたたえている。
 オアシスのほとりにそびえ立つ城には、この砂漠を治める気高き女王が住む。その類稀なる美貌を一目見ようと、わざわざ砂漠を越えやって来る旅人も多い。長旅で疲労した者たちは、女王の慈悲溢れる微笑みに全ての疲れを忘れるという。
 アッサラームを経ってから二週間程、サーラたちはようやくイシスの都に辿り着いた。マルクスたちに礼を言い別れると、宿を取り旅の間についた砂や汗をすっかり洗い流した。早速、女王に謁見するため城へと足を運ぶ。
 城内の入口まで来ると、門番らしき女性二人が行く手を阻んだ。砂漠に住む民らしく、小麦色の肌を太陽の下に惜しげもなくさらしている。
「貴方たちは旅の者ですね。女王様への謁見を希望されるのであれば、身分証明を」
 言葉遣いは丁寧だが、どちらの女性もにこりともしない。そうでなければなめられてしまうのかもしれない。
 アルトは一歩進み出、ロマリア王からの紹介を聞いていないかと尋ねた。門番は顔を見合わせ、こう言った。
「確かに、ロマリア王からの紹介は私たちも聞き及んでおります。しかし、それを証明するものがないと」
「これのことか?」
 マントに留めてあったブローチをはずすと、アルトは門番にそれを差し出した。ロマリア王家の刻印が入っているのだ。
 門番はそれを確認すると、深々と頭を下げた後、ようやく笑顔を見せた。
「ようこそお越し下さいました。オルテガ様のご活躍と訃報は私たちも存じております。そのご子息であるアルト様であれば、女王様も喜んで面会して下さることでしょう。さあ、中へ」
 城内へ入ると、すぐに別の仕えの女性がやって来て、謁見の間へと先導してくれた。サーラたちは繊細な装飾の施された内装に目を見張った。
 ただ、この男を除いては。
「うっひょー、かわいこちゃんがいっぱいいるねえ! さっきの門番のおねえさんも美人だったし……オレ、賢者になるのやめてここの召使いになろっかな」
「お前……もういっぺん死にかけたいか?」
 サーラが剣を抜こうとすると、ジャックは慌てて取り消した。それを聞いていた仕えの女性はくすくすと笑いながら、説明した。
「それは無理な相談です。何故なら、女王様に仕えるのは女に限られているからですわ」
「じゃあ、今そこを歩いていた男の人は?」
 アルトが学者風の男性を指すと、仕えの女性は例外もある、と苦笑した。
「ですが、女王様は全ての者に平等なお方。きっと貴方がたを歓迎して下さることでしょう」
「こんな奴にでも平等に接してくれる女王様だったら、よっぽど出来た人なんだろうね」
「んだとコラ! 女王様ってのはなあ、海のように広い心を持ってんだよ! たぶん!」
 肩をすくめるモエギに、いつも通りジャックが食ってかかる。冗談には違いないが、サーラはモエギの言葉が以前より卑屈になっているような気がしていた。
 二階の謁見の間は、燃えるような真紅のじゅうたんが敷かれ、色とりどりの花たちに囲まれており、一瞬砂漠にいることを忘れさせるような空間だった。
「女王様、ロマリア王から援助を仰せつかっております、アルト様のご一行が到着いたしました」
 仕えの女性が下がると、サーラたちは片膝をつき、頭を垂れた。
「よいのです。楽になさって」
 鈴の音のような声が降り注ぎ、おそるおそる顔を上げると、サーラは目の前に鎮座する女性に目を疑った。
 純白の絹のローブを纏い、肌は砂漠の住人とは思えない程色素が薄い。肩で切り揃えられた黒髪には艶があり、瞳は濃く縁取られている。すっと通った鼻筋が涼しげな印象を与えた。
 そして何より、空気を通して伝わるオーラそのものが、別次元の人間だということを認識させた。
 サーラだけでなく、仲間たちも皆、女王のあまりの美しさに言葉を失っているのが伝わってきた。
 すると、女王は紅をひいた唇を開き、語りかけた。
「……どうされました?」
 誰も答えない。しばらくして、ジャックがやっと口を開いた。
「いや、その……ご評判通りの、素晴らしいお方だなあと……」
「ありがとう」
 微笑むと、朝露に濡れた真紅のバラを彷彿とさせる。だが、女王は笑顔を弱め、こうつぶやいた。
「……皆が私を褒めたたえます。けれど、ひとときの美しさなど何になりましょう」
 そして、胸のあたりに華奢な手を置き、続けた。
「きれいな心をお持ちなさい。心にしわはできませんわ」
 言動もどこか凡人離れした響きを持っており、サーラたちは返事をすると共に深く頭を下げた。
「……貴方がたの話はロマリア王より伺っております。遠路はるばる、ようこそお越しくださいました。砂漠に囲まれた国ではありますが、ここでゆるりと旅の疲れを癒すと良いでしょう」
「女王様、一つお尋ねしたいことがあります」
 アルトが切り出すと、それまで優雅な笑みをたたえていた女王の表情がわずかに動き、そっと身を乗り出した。
「……貴方が、アルトですね。そう、あの方の……」
 そうつぶやいてから、女王は懐かしむように目を細めた。アルトはややためらうようにして、続きを口にした。
「俺たちは、アリアハンのとある人物より、三つの鍵を探すよう命じられています。その一つの『魔法の鍵』が、この国にあると伺ってやって来たのですが……女王様はご存じでしょうか?」
 女王はアルトを真っ直ぐ見つめたまま、こくりとうなずいた。
「魔法の鍵……ですね。ええ、勿論、知っておりますとも」
「その鍵は、イシス王家が保存しておられるのですか? オルテガ殿も、かつて魔法の鍵を探していたと伺っておりますが……」
 サーラが付け加えると、女王は長いまつげを上下させ、答えた。
「貴女のおっしゃる通り、魔法の鍵は私たち王家の宝ですわ。そして、かの英雄オルテガも、それを求めてこの砂漠へとやって来ました」
「なら、どうして父さん――父は鍵を手に入れることが出来なかったのですか?」
 確かに、王家が保管していたのならば、英雄であり名声の高いオルテガが譲り受けていてもおかしくない。だが、オルテガは鍵を手にすることなくネクロゴンドの地を踏み、そして果てた。
「……鍵は、この城から北へ行った所にある、ピラミッドの奥深くに保管してあります。オルテガもそこへ向かいました。ですが、彼は封印を解く術を知らなかったのです」
「封印……? 女王様、貴女がご存じではないのですか?」
 すると、女王は力なく首を振った。
「それが……バラモスがこの世界に現れて間もない頃、三つの鍵の行方をくらませるため、封印を解く術を記した古文書を奪ってしまったのです」
「そんな……誰か覚えてる人はいなかったの?」
 モエギの言葉に、女王は申し訳なさそうに返答した。
「ええ……。鍵が必要とされるのは、この世に乱れが生じた時だけ……。長らく平和が守られていたイシスでは、封印を解く術も時代と共に忘れ去られてしまったのです」
「それじゃ、鍵が手に入らないことになってしまう……」
 アルトが絶望したようにつぶやくと、ジャックが励ますように声をかけた。
「で、でもよ! この国の人に片っ端から聞いていけば、一人くらい覚えてる奴がいるかもしれねーじゃん! そんな気ぃ落とすなって!」
「あんたバカじゃないの! この国の人って、何人いると思ってんのよ! それで賢者の子孫のつもり!?」
「るせーな! オレの血筋にバカが一人混じってたかもしれねーじゃねえか!」
 毎度のことながら、モエギとジャックの言い争いは時と場所を選ばない。頭痛を覚えながら、サーラは立ち上がり、わめいている二人を一喝した。
「静かにしろっ! お前たち、場所をわきまえろっ!」
 モエギとジャックは瞬時に口論をやめ、渋々と床に腰を下ろした。サーラが女王に向き直り一礼すると、くすくすと笑いながら女王は言った。
「随分と賑やかですこと。……しかし、封印を解く術は本来、門外不出のものなのです。それを言い忘れていましたね」
「では、魔法の鍵についてはあきらめざるを得ない……ということですか?」
 アルトの問いに、女王は力なくうなずいた。
「……残念ですが、その件に関しては貴方がたの力になれませんわ。ですが、出来る限りの援助はいたします」
「……と言いますと?」
 女王は仕えの女性に何か言付けると、再び花のような笑顔を見せた。
「この城に眠っている、もう一つの王家の宝……『星降る腕輪』を貴方がたに差し上げましょう。今案内させますから、どうぞ貴方がたの旅にお役立てください」
「……ありがとうございます!」
 サーラたちが立ち上がり、仕えの女性と共に退出しようとすると、女王はアルトを呼び止め、何かを囁いた。アルトが戸惑いがちにうなずくと、女王はにっこり微笑み、サーラたちを見送った。