銀髪の理由 7



 一人かり出されるのは少々心細かったので、サーラはモエギにも同伴してもらうことにし、座長に連れられ劇場へと向かった。
 昼の劇場は閑散としており、ずらりと丸椅子が並べられた先では、舞台の上で踊り子たちが振り付けの練習をしていた。このだだっ広い場所が、夜になると色とりどりの照明を当てられ熱狂の渦を生み出すのだという。
「座長! 遅いと思ったら、新しい娘連れてきたの?」
 数人の踊り子たちが練習を中断し、舞台から軽やかなステップで降りてきた。皆華のある顔立ちをしており、歳はサーラやモエギとそう変わらない。
「そうとも。と言っても、一夜限りの約束さ」
 座長は軽くサーラの肩を叩き、踊り子たちの前に突き出した。
「わ、足長〜い」
「スタイルも引き締まってるっていうか、ちょっと筋肉質? 座長、こんないい娘この街にいたの?」
「私は、たまたまこの街に用があっただけで……」
 今まで関わってきた同世代の女たちとは雰囲気が違い、戸惑っていると、モエギがわざとらしく咳払いをした。
「あたしたち、本当は一日でも早く先を急ぎたいの。さっさと踊りとか教えて欲しいんだけど」
 どことなく不機嫌そうなモエギを見て、踊り子たちは「何、この女?」とでも言いたげに顔を見合わせる。座長も苦笑して、まずはこっちへ、と舞台袖の方へサーラとモエギを通した。
 奥は薄暗くひんやりとした通路で、その先は控室となっていた。一級品の鏡台と衣装だんすが所狭しと並べられており、香水と化粧品の匂いが染み付いているのか、空気はどことなく淀んでいた。モエギは開口一番換気を訴えた。
「ふーむ、まずは衣装が必要だな。あんたは見たところわしよりも背が高い。この劇場にはわしより背の低い踊り子しかおらんから、新しく仕立ててやるしかないねえ。今寸法を測らせるから、ちょっと待っとくれ」
 座長が早足で出ていくと、モエギは腕組みをし、ふんと鼻息を漏らした。
「ったく、アルト君がああ言わなかったら、こんなとここっちから願い下げだもんね! ね、サーラ?」
「ああ……。でも、報酬をもらうからには、やらねばならないだろう?」
 すると、モエギは肩をすくめ、適当な椅子に腰かけた。また真面目なんだから、などと皮肉を言われるのだろうか。
 だが、モエギの口から出てきたのはこんな言葉だった。
「……あたし、疲れるんだ」
「……え?」
 聞き返すと、モエギは我に返ったように「ごめん、何でもない!」と明るく振る舞った。サーラは、モエギの表情が一瞬本当に疲労していたのを確かに目にした。
 モエギが言わんとすることは何となく想像がついたが、サーラの口からは言えなかった。
 それはきっと、サーラが口にすることで一番、モエギが傷つくことだ。
 沈黙の後、座長はまだ見習いだという踊り子を伴い戻ってきた。彼女に採寸をまかせると、座長は再び行ってしまった。
 踊り子はサリーと名乗り、衣装だんすから巻尺を取り出すと早速寸法を測り始めた。
 鎧を脱ぎ、じっと立っていると、サリーが遠慮がちに話しかけてきた。
「すみません。うちの座長、人は悪くないんですけど強引なところがあって……。旅の方だと聞いて、みんな驚いてましたよ」
 まだ若いためか、他の踊り子たちよりは腰の低そうな娘だ。サーラもいくらか肩の力を抜き、返した。
「この劇場の踊り子は皆、地元の人間なのか?」
「いいえ。確かにそういう人もいますけど、大体は地方から出てきたり、行くあてのなかった人の集まりなんです」
「それをあのエロオヤ……座長が拾ったってこと?」
 モエギの質問に、サリーは苦笑して答えた。
「ええ。それと、エロオヤジで結構ですよ。腰やお尻を触られることもありますから」
「……そうまでして、この劇場で踊りたいか?」
 サーラが怪訝な表情で問いかけると、サリーは迷わずうなずいた。
「ええ。わたし、地方から出稼ぎでこの街へやって来たんです。でも、何をやってもダメで……。働き口に迷っていたところを、座長が拾ってくれたんです。私にはここしかないんです」
 自嘲気味に微笑むサリーは、少女のあどけなさの奥に歳以上のものを感じさせた。
「って、初対面なのにこんなこと話しちゃって、すみません……聞き流して下さいね」
 何事もなかったかのように明るく笑い、サリーは寸法を書き留めていった。
 きっと、この街で生きていくには何かを失い、我慢しなければならないのだろう。そうして成功する人間は、何人いるのだろうか。
 採寸が終わると、座長が姿を現し、今度は踊りを指導すると舞台に連れて行かれた。サーラは仕方なく一番大きいサイズの稽古着に着替えた。
 舞台に立つと、座長はモエギを一瞥し、首を傾げた。
「お前さん、勝手について来たけど、わしたちは別にお前さんには何の用もないよ。まあ、稽古が終わるまで待つって言うんならそれでもいいが」
 モエギは頬をふくらませたが、他の踊り子たちがくすくす笑っているのを一睨みすると、大股で舞台を降りた。
「モエギ、私は大丈夫だ。気をつけて帰れ」
「言われなくたってそうするよ」
 モエギは振り向かずに劇場を去った。踊り子たちが小声でモエギをからかう。
「何がおかしい。モエギはわざわざ付き添ってくれたのだ。笑う理由なんてどこにもないだろう?」
 サーラが低く告げると、踊り子たちは眉をひそめ、口をつぐんだ。大方、モエギも踊り子になろうとして来たと思っていたのだろう。
「はいはい、みんな仲良くね。さて、サーラさんや、あんたはここの娘たちとは違う踊りをしてもらうんだけど、基本は一緒だからね。最初は同じ振り付けで練習してもらうよ」
 指導は踊り子歴の長い娘が担当し、座長は客席から細かに指摘をするというスタイルだった。剣術が染み付いている身体に新たな動きを覚えさせるのはなかなか難しいことだった。
 踊りは全身の動きはもちろん、指先やつま先のひとつひとつにまで神経を使い、観客を魅了しなければならない。そしてただの機敏な動きではなく、曲線を描くようにくねらせたり、震わせなければいけない。
 サーラは悪戦苦闘しながらも、見よう見真似で踊り子たちの動きをたどり、数時間後には何とか形になる程度にまでこぎつけた。
 夕方まで稽古は続き、終わる頃にはさすがのサーラもくたくたになっていた。また、昨日の戦いの疲労もまだ残っていた。
 アルトたちの元へ帰る際、座長はサーラを呼び止め、こう言った。
「サーラさん、あんた飲み込みは結構いい方のようだ。だけど、あんたの踊りにはまだ魂が入っていない」
「心のこもった踊りをしろ、ということか? すぐには出来ない」
 座長はまあそうだろうなと、てかった髪を撫でつけた。
「けどさ、踊りは魂が大事なんだよ。あんまり引きとめるのもアレだから、三日後には本番に出てもらう。それまでに、自分がどんな魂で踊るのか、よく考えておくれ」
 その晩はまるで宿題を出されたような気分で、サーラは横になった後も踊りのことを考えたのだった。



 サーラが劇場へ稽古に通う数日間、アルトはマルクスから格安で防具を仕立ててもらったり、剣の鍛錬を積んだりと、次の出発に向けて入念な準備をしていた。鍛錬には「今は思いっきり身体を動かしたい気分なの」と言うモエギと、傷の癒えたジャックも加わった。
 ジャックの家の近所の空き地で、アルトとモエギは組み手をしていた。時々、自分より体術に優れたモエギに相手をしてもらうことで、アルトは戦術の幅を広げようとしていた。
「よし、一旦休憩ね。アルト君」
 汗の玉を額に光らせ、モエギは伸びをした。アルトも服の中をあおぎ、積み上げられた木箱に座り込んでいるジャックに歩み寄った。その傍らにはアニーもいる。
「だーっ! オレも身体動かしたいんだけど!」
 ローズのものらしき呪文書と睨めっこをしていたジャックは、唐突に空を仰いで叫んだ。頭をかきむしる兄をアニーがなだめる。
「お兄、これからは呪文も頑張るんでしょ? メラやホイミくらい覚えておかないと、お姉たちに笑われちゃうよ」
「そうそう、ホントあの時のことが嘘みたい」
 モエギとアニーは意気投合したようで、揃って「ねー」と首を傾けた。そういえば、以前ジャックはモエギと妹が似ていると発言していた。
「オレだって、いつもに増して真面目にやってんだぜ?」
「じゃあ、メラの詠唱ぐらい暗記したんでしょうね?」
 モエギが挑戦的な視線を投げかけると、ジャックは勢い良く呪文書を閉じ、右手の人差し指を立てた。
「あったりめーよ。いくぜ、空気を焦がす生まれし灯火! メラ!」
 ジャックの威勢の良い叫びは、まるで子供のごっこ遊びのように、効果音をつけるべきか迷うほど何の変化ももたらさなかった。
「ジャック、呪文はそれで合ってるのか?」
 アルトが尋ねると、ジャックは目を点にした後、急においおいと泣く素振りを始めた。
「ひどい……ひどいわアルト君……わたしこれでも一生懸命やってるのよ?」
「あ、いや、それは分かってるけど……」
 すると、モエギとアニーが同時に吹き出し、腹を抱えて笑い出した。
「あーあ、アルト君にまで疑われてるようじゃおしまいね〜」
「っていうか、お兄気持ち悪いよ〜!」
 アルトは何故二人が笑うのかよく分からず、疑問符を浮かべてその様子を見ていた。ジャックは嘘泣きをやめ、呪文書をその辺に叩きつけた。
「笑いごとじゃねーよ! 呪文は合ってんの! なのに煙の一つも出やしねえ……あーもうやめだ! アルト、相手しろ!」
「ああ、いいけど……」
 再び広い場所まで出向き、ジャックと向かい合う。モエギとアニーは肩をすくめた。
 ジャックは深く短く息を吸うと、土を蹴りアルトへ突進してきた。鋭い上段蹴りが繰り出されるのをかわしながら、アルトは言い聞かせるように声を上げた。
「ジャック、ムキになるなよ。きっと理由があるんだ!」
「その理由が分かんねーから腹立つんだよ!」
 荒々しい言葉の通り、ジャックの動きにはいつもより乱れがあった。アルトは数回蹴りをかわした後、ジャックの足を腕で止め、そのまま身体ごと地面に叩き落とした。面食らった様子のジャックに、アルトはゆっくりと尋ねた。
「……その理由を、俺たちと探すんじゃなかったのか?」
 ジャックは視線をそらし、軽く舌打ちすると起き上がった。
「まあ、すぐ賢者にゃなれんよな」
「おーい、兄貴ー!」
 声が飛んできた方向を見やると、ローズとセリア、そしてマルクスが空き地の入口に立っていた。
「今日がサーラさんの舞台の日でしょ? そろそろ開場する頃だから、兄さんたちを迎えに来たのよ」
「サーラさん、調子は良さそうだったかい?」
 マルクスは心なしか機嫌が良さそうだ。アルトは今朝のサーラを思い出した。
 ここ数日ろくに喋っていなかったのだが、今日の朝は少しだけ話をすることが出来た。稽古の疲れがあるのか、疲労の溜まった顔をしていたが、アルトにはそれを取り繕うような笑みを残して宿を出ていった。
 一言、今晩観に来てくれと。
「……多分」
 わずかに微笑んでみせると、マルクスはそれは楽しみだ、としきりにうなずいた。美人の娘たちに飽き足らずサーラにも興味津々ということは、この父親も意外と女好きなのかもしれない。
「サーラさんて美人だから、ちゃんと着飾ったらもっとキレイだろうな〜。ね、モエギさん?」
 アニーに同意を求められ、モエギは小さくうなずいた。いつもの調子なら「ま、あたしの親友ですから」などと冗談を交えるのだが。
「いや〜、オレきっと惚れ直しちゃうね。楽しみだよな〜アルト!」
 ジャックは先程の不機嫌が嘘のように、アルトの首に腕を絡ませてきた。アルトはうめき声を上げた。
「前から聞きたかったんだけどさ、ジャックって本当にサーラのこと……好きなのか?」
「ふふ〜ん、さあな。そういうアルト君こそ、あんなキレイなおねえさんにこれっぽっちも煩悩が働かない訳?」
「煩悩とかそういうこと言うな」
 じゃれ合っていると、ローズがはいはい、と手のひらを打った。
「よし、それじゃ行こうか。アタシらは顔パスだから、金の心配はいらないよ」
 ローズを先頭に、アルトたちは劇場へ出発した。広い通りに出ると、建物にはずらりと劇場のポスターが貼られており、そこには『一夜限りの舞姫 ご鑑賞はアッサラーム一のポルテ劇場まで!』とキャッチコピーが刷られている。サーラらしきシルエットを見た人々が、「どんな女なんだろうな」と囁き交わしていた。
「坊っちゃん、知ってる? 今アッサラームはサーラの噂で持ちきりなんだよ」
 ローズの後ろを歩いていたアルトはふいに話しかけられ、苦笑した。何故かローズはアルトのことをそう呼ぶのだ。
「皆、今日の踊り子がサーラだってことを知ってるんですか?」
「まさか。ただ、今日サーラを観た客の中に気付く奴がいるかもしれないだろ? そういう輩にはあんたが気をつけるんだよ」
 オレは? と隣でジャックが問うと、ローズは「こいつにも気をつけな」と兄を親指で指した。吹き出してから、アルトはローズの言葉の意味を考えた。
 アッサラームの治安が良くないことは既に分かっている。そして、女性というものは狙われやすい。サーラも戦士とはいえ、女性であることには変わりない。そして、彼女が目立つ容姿であるということを、アルトは共に旅をするうちに理解していた。
 俺が、しっかりしないと――アルトは気を引き締めた。
 劇場はまだ日が沈んでいないにもかかわらず、サーラを一目観たいと押しかけた客でごった返していた。ローズは受付の若い男に胸を張って言った。
「アタシら、座長のツテで来たんだけど、もちろん通してくれるだろうね?」
 受付はローズの顔を見るなり、急におびえたような表情をしてアルトたちを通してくれた。客席を見渡してみると、最前列が丁度人数分空いている。あの男にも何かしたのだろうか。
「へぇ〜、気が利くじゃねえか。オレ実は最前列は初めてなんだよね〜」
 ジャックは上機嫌で劇場内を見回し、優越感にひたっている。アルトは人々のざわめきがどこか落ち着かなく、隣のモエギに話しかけた。
「モエギ、サーラはちゃんと踊れるかな……」
「言い出しっぺが何言ってるの。そんな心配するくらいなら、きちんと踊れますようにって祈ってあげなさい」
 モエギはここ数日、どこかぴりぴりしている。本当は自分も舞台に立ちたかったのではないかと思ったが、単に親友のサーラを心配しているのかもしれない。
 だが、言い出しっぺだからこそ、多少なりとも責任を感じているのだ。
 そわそわしながら開演を待っていると、しばらくして舞台に座長が現れ、会場は潮が引くように静まった。
「え〜、皆様大変長らくお待たせしました。本日はスペシャルショーとして、一夜限りの踊り子をご用意しております。どうぞごゆるりとお楽しみ下さいませ! それでは、今日も張り切って参りましょう〜どうぞ!」
 前説が終わると、観客席は拍手で沸いた。劇場内が暗転し、アルトはこくりとつばを飲んだ。いよいよだ。
 微かな話し声のする中、スポットライトが舞台を照らす。絵本に出てくる月のように黄色いライトの中に、サーラは立っていた。
 胸の大きく開いた衣装には、金や銀の刺繍やスパンコールが輝いており、ラベンダーの巻き毛は頭の中で高く結い上げられている。口元は淡いピンクのヴェールで隠しており、一見すると知らない女性のようだった。
 サーラの登場に、客席から口笛や歓声が次々と沸き起こる。だがサーラは顔色ひとつ変えずに、右手に携えていた宝剣らしきものを高く突き上げた。
 それと同時に、弦楽器の演奏が静かに始まった。サーラが剣を下ろす瞬間、アルトと目が合った。
 ルビーの瞳が、すっと細められる。
 勢い良くリュートがかき鳴らされ、サーラは剣を操りながら徐々にステップを刻んでいく。衣装がふわりと揺れたかと思うと、鋭く剣で空を裂き、くるりとターンをする。音の強弱に合わせて小さく、時には大胆に身体をくねらす。客席は静まり返り、アルトの五感は舞台へと注がれていた。
 剣術をモチーフとしているのは明らかだ。だが、それ以上に、サーラの踊りには別のものが閉じ込められている。鼓動が、ゆっくりと早まっていく。
 演奏が次第に激しさを増し、サーラの剣もそれに伴い、見えない敵を貫くかのように残像を描く。衣装は、肌は、瞳は光を浴びて艶やかに反射し、まるで魔法をかけられたかのように胸に迫る。
 だが、それと同時に、アルトはその輝きに陰を見た。
 本物のルビーのような、澄んだ輝きではない。それは炎のように揺らめき、サーラの奥底に渦巻いている、闇。
 サーラは、闇と戦いながら舞っている――アルトは寸分の動きも漏らさずに、いつしか息をするのも忘れるほど、サーラの姿に見入っていた。
 闇に向かって剣を突きつけ、炎のごとくその身を揺らし、心に潜めた思いを舞う。悲しいほどに、狂おしいほどに闇と共に踊る。
 サーラは美しかった。誰よりも。
 気が付くと、劇場は大歓声に包まれており、サーラは深く一礼すると、舞台袖へと消えていった。
 しばらく動く気にもなれず、ぼうっとしていると、目の前で手のひらを振られた。隣を見ると、モエギが立ち上がって神妙な顔をしていた。
「アルト君、ジャックとマルクスさん以外はサーラのとこに行くよ。まさか、次の踊りも観るなんて言わないよね?」
「あ、ああ……」
「どっちなの? もう、とにかく一緒に来なさい!」
 モエギに手をひかれ、アルトは控室へと連れて行かれた。これからサーラに会うのだと思うと、舞台が始まる前以上に落ち着かなかった。
 ジャックの妹たちと一緒に入口の横の通路に入り、中を進んでいくと、突き当たりに「関係者以外立入禁止」の貼り紙をした扉があった。
「ねえ、男子禁制の文字が見えるよ」
「いいの、坊っちゃんは発案者だから」
 どこか矛盾した理由を挙げて、ローズは扉を開けた。控室にはサーラと、若い踊り子が一人おり、サーラは口元のヴェールを取ると声を上げた。
「お前たち……!」
「サーラさん、すっごくキレイだった!」
「本当、女の私でも惚れ惚れしちゃいました」
「さすがアタシを差し置いて選ばれただけあるね」
 妹たちが口々にサーラを絶賛する。サーラは圧倒されつつも、まんざら嫌ではなさそうだ。いつものサーラがいて、アルトはほっと胸を撫で下ろした。
「サーラ、頑張ったね」
 モエギが微笑みかけると、サーラはこくりとうなずき、微笑み返した。そしてアルトに視線を向け手招きをした。
 おそるおそる近寄ると、サーラの顔には入念な化粧が施してあり、アルトは視線を落として黙った。肩に置かれた手は白粉がはたいてあった。
「アルト、お前のお陰で何とかやり遂げられた。……ありがとう」
 サーラの顔を見ると、それは舞台の真剣な表情とはうって変わって、ひどく穏やかなものだった。アルトは再びうつむいて、ぼそりとつぶやいた。
「……サーラが、頑張ったからだよ」
「あら、坊っちゃん照れてるんじゃないの? サーラ、あんたも罪な女だねえ」
「別に、そういう訳では……」
 ローズに茶化され、一人で宿に戻りたい気分になったが、女性たちを置いて帰る訳にもいかず、じっと黙っていた。モエギが「もしかして、人に酔った?」と心配してきたが、それなら街を歩くだけでとっくにまいっている。
 酔っているとすれば――アルトは舞台の上のサーラを頭の中で反芻した。
 この気持ちは何なのだろう。
 その時は、明日になればきっと、夢から醒めるように元通りになると思っていた。



 サーラの晴れ舞台は大成功で幕を閉じ、座長は荷馬車のことなどすっかり忘れて報酬を支払ってくれた。その額はロマリア王から与えられたものとさほど変わらないものだったが、サーラはこれの半分をマルクスにと差し出した。マルクスやローズたちは遠慮したが、サーラはいい経験をさせてくれた礼に、と律儀に報酬を渡した。
 今後の方針を皆で話し合った末、アッサラームの西の砂海にあるイシスという国で、魔法の鍵の噂を聞いたことがあるというマルクスの助言により、次の目的地はイシスということになった。マルクスはさらに、砂海を渡るため自分の隊商の用心棒として、サーラたちを雇い同行させると約束してくれた。
 妹たちは別れを惜しんだが、必ず戻ってくると約束した。兄よりもずっとしっかりした妹たちだ、これからそれぞれの道を歩んでいくだろう。母のように、強かに。
 そして、ジャックには行くべき場所があった。



 まだ戦いの跡も生々しい、荒れた岩場にジャックは一人、たたずんでいた。
 木の十字架と緑色の酒瓶を手に、洞穴の前に立つ。アルトたちは連れてこなかった。連れてきても、この場所ではいい気分もしないだろう。
 だが、ジャックにとっては、あらゆる思いが染み付いている。
 入口に十字架を突き立て、汚れていない石でその土台を固める。石は今まで出会い、死んだだけの仲間の数だ。一人一人の名前はもうはっきりとは思い出せないが、その数だけは覚えている。
 石を全て積み上げると、ジャックは酒瓶を掲げてみせた。
「へへ。きっと花より、こいつの方が嬉しいだろ?」
 栓を抜き、中身を十字架にゆっくりと注いでやる。ガロッシュが恋人のように手放さなかった銘柄だ。
 酒を飲み交わし夜を明かしたあの頃には、もう戻れない。けれど、もうあの頃が一番楽しかったとは思わない。
 結局、自分は闇を駆けるに相応しくない人間だった。闇の中でも月が照らすと、この銀の髪は光を放たずにいられなかった。ガロッシュはきっとそれを知っていた。
 瓶が空になると、ジャックは十字架の前にしゃがみ込み、そっとつぶやいた。
「……オレぁ、もう今更何も出来ねえけどよ。あんたらの分まで生きることは出来る。
 もう一度会うのは、オレがヨボヨボのジイさんになってからだぜ?」
 口元を緩め、ふと真顔に戻る。
「それまでは、お別れだぜ。頭領」
 立ち上がり、天を仰ぐと、雲ひとつない晴天が広がっていた。これから歩む道は、この太陽の下に続いているのだろう。きっと。
 ジャックは目を細め、微かに笑みを浮かべた。
「わりぃ。オレ、やっぱ日の光の方が好きみたいだわ」