銀髪の理由 6



 そこは、岩場の奥深く掘られたいつものアジトだった。点々とろうそくの光が灯り、仲間の盗賊たちが杯を交わし楽しげに笑っている。一際大きな声を響かせているのはカンダタだ。
 その輪から少し離れるようにして岩場にもたれ、緑色の瓶に口をつけているのは面をあらわにし、仲間たちを眺めているガロッシュ。ジャックはその隣で膝を抱えていた。
「どうだ、お前も飲むか?」
 喧騒の中でも、ガロッシュの声は質が良く、はっきりと耳に届いた。隣を仰ぐと、瓶を突き出される。軽くうなずき、それを手に取ると、ぐいと喉に流し込んだ。途端に胃から頭まで熱を帯びたような気がしたが、それは快感と言えるものだった。
「……うまいっスね、頭領」
 口を手の甲でぬぐい、つり上げてみせると、ガロッシュは感心したようにほう、と息をついた。
「それはきつい酒のはずだが……お前は大物になるかもしれんな」
「へへっ、そースかねっ」
 ガロッシュはわずかに目を細め、瓶を取り戻し一口飲んだ。ほのかに照らされた横顔は同性の目から見ても端正だったが、そこには数々の死線をくぐり抜けてきた厳しさというのもまた、同居している。
 けれど、こうして皆で酒を飲んでいる間は、それも和らいでいるような気がした。
「……ジャック」
「何スか?」
 上機嫌で問い返すと、ガロッシュはジャックを見つめ、ゆっくりと言葉を発した。
「……お前はいつか、ここに留まるには惜しい男になる」
 それが断定ともとれる宣言だったので、ジャックは一瞬固まり、目を見開いた。
「そんな、オレ、これからもみんなとこの稼業をやりたいっスよ! たとえ盗みを働いても、わりぃのは汚い商人たちだしさ!」
 だが、緋色の瞳は水鏡のごとく沈黙を保って、ジャックを映していた。ジャックはうつむき、地面と向き合ってつぶやいた。
「……だってよ、オレまだ頭領にはかなわねえよ。そりゃ、盗みではカンダタにも負けなくなったけどよ……それにオレは、盗みが好きな訳じゃねえんだ」
「……知っている」
 確かに、盗みの腕はガロッシュの仕込みにより格段に上がった。だが、それはほぼ全て、妹たちを養い、少しでも父の負担を軽くするためだった。強欲な商人たちに一泡ふかせてやるのは楽しかったが、それより妹たちにおいしいものを食わせてやった方が、ずっと嬉しかった。
「オレは妹たちを守りてえんだ。そのためには、自分をもっと鍛えねえと……もっと強くなりてえんだよ、頭領と一緒に」
 兄妹の最年長であるジャックにとって、ガロッシュは今まで欲しくても叶わなかった、年上の兄弟――兄のようだった。ガロッシュの強さに憧れていたし、時折見せる優しさが心地良かった。
 ガロッシュの隣で夜の闇を駆け抜けるのが、好きだったのだ。
 ジャックの言葉をずっと前から知っていたかのようにガロッシュはうなずき、淡々と語った。
「だが、ジャック……お前と私とでは、決定的に違う部分がある」
 ジャックが首を傾げると、ガロッシュは酒を飲み干し、傍らに瓶を転がした。視線が交わり、ガロッシュは口を開いた。
「私は復讐のために生きている。だが、お前は家族のために生きている。手を汚しても、お前の心までは汚れないのだ、ジャック」
 ガロッシュは微かに笑った。憂いを帯びた笑顔を見せるのは、ガロッシュの癖のようなものだった。
「……頭領だって、自分が思ってる程汚れてねえよ」
 小声で反発したが、ガロッシュはそれに答えず、遠い目をした。
「お前はきっと、暗がりに映えるその銀髪のように、闇を切り裂く光となるだろう……」
 低く囁かれた言葉、寂しげな微笑み、酒の匂い、仲間たちの喋り声――その時、それが全て記憶と化していたものだと気付いた。
 たとえ願っても、決して蘇ることのない夜。
 ああ、夢なのだ――そう気付いた時、ガロッシュがひっそりと微笑んだ。
「お前とは、別れる前に一度、兄弟の契りを交わしたいな……」
「……そうっスね」
 ジャックは微笑み返し、うなだれた。
 契りなどなくても、頭領は紛れもなく、兄だった。



「気が付いたか」
 目を開けると、頭上にによく見知った中年の男が顔を覗かせていた。
「お、親父!?」
 慌てて飛び起きると、胸に激痛を感じ、ジャックは上半身を丸めうめいた。
 とりあえず痛みが引くと、ジャックはそっと周囲を見渡した。昼の光を受け、安堵の表情を浮かべた妹たち、イシスへ行商へ行っていたはずの父、そして心からの微笑みを向ける、今の仲間たち。
 我が家の狭い寝室で取り囲まれており、思わず苦笑いがこぼれた。
「おいおい、勢揃いって訳かよ……まいったねこりゃ」
 頭を掻いていると、ローズが腕組みをし、父――マルクスを一瞥した。
「父さん、さっき話した通りだよ。まずは、母さんの話を兄貴にしてやって」
 どうやらジャックが眠っている間に、妹やアルトたちが大方のことをマルクスに話したらしい。勘当された後のこと、デスミラージュのこと、そしてジャックに流れる血のことを。
 マルクスは深くうなずき、ジャックを見据えたものの、なかなか口を開こうとしない。
 行商で各地を回り、太陽を浴び続けた肌は浅黒く、あまり整っていない黒髪には白いものがまばらに混じっている。くたびれたベストは何年も前から着ているものだ。
 久しぶりに目にした父の姿に見入っていると、マルクスは口ひげをくしゃりと揉んで、ようやく話し始めた。
「……もう、何十年も前の話だ。お前たちの母、ソラリスは、かつてアッサラームから岩山を隔てた高地にそびえる、ダーマ神殿の賢者だった。そして、神殿の大神官の大切な娘だった」
 母ソラリスは、幼少の頃から大神官となるべく厳しい教育を受けていたが、そんな人生に嫌気がさし、ある日神殿を飛び出したのだという。
「だが、所詮俗世を離れた世界で暮らしてきた箱入り娘でな、わしが見つけなければ行き倒れになっていただろう」
 行商でダーマのふもとのバハラタ地方を回っていた際、マルクスは弱っていたソラリスを拾い、介抱してやった。ソラリスは路頭に迷っていたが、今までとは全く違う生き方がしたいと己の生い立ちを打ち明け、それを聞いたマルクスはとりあえず仕事を手伝ってもらうことにしたのだという。
「どんな娘かと思えば、意外と芯の強い娘でな。仕事を与えると生き生きと働き出した。きりっとした目をしていて、よく表情の変わる……器量の良い娘だった」
 二人は惹かれ合い、数年後には結婚をしジャックが生まれたのだという。
 もちろん、二人の暮らしがそのまま穏便にいく訳ではなかった。ダーマからの使者が訪れたこともあったが、ソラリスは気丈に振る舞い、かたくなにダーマへ戻ることを拒んだ。
「ソラリスは、お前が特別な子供であることを知っていたのだろうな。昔はわざわざ髪を染めていたぐらいだった。きっと、お前が母より大神官に近い存在だったからなのだろうな……」
「そりゃ……どういうことだ?」
 ジャックが問うと、マルクスは幾度かまばたきをして、答えた。
「その大神官……いわばお前の祖父も、生まれた時から銀色に光る髪をしていたそうだ」
 妹やアルトたちも真剣な表情で、ジャックの銀髪に注目した。そんな風にして見られるとこそばゆいのだが、今はふざける訳にもいかなかった。
「ソラリスには苦労をかけた。その結果、早くに先立たれてしまったが……わしはその分、お前たちを立派に育てようとしたのだ」
 マルクスの視線を受け、ジャックは瞳を伏せた。父の言いたいことは分かっている。なのに、どうしてこんな息子に育ってしまったのだろう。
「……ジャック」
 叱られるだろう。覚悟して目を閉じると、マルクスはこう告げた。
「……全てを魔物のせいにすることは出来ん。いくら悪どい商人を狙っていたとはいえ、他人をおとしめることは罪だ」
 うなずいてみせると、肩に大きな手が置かれた。そっと目を開き、父を見つめる。
「……だが、罪は償うことも出来る。それは、この方々の力になることだと、わしは思う」
 マルクスが視線を動かした先には、きょとんとするアルトたちの表情があった。
「俺たちの……?」
 アルトが尋ねると、マルクスは目元をほころばせた。
「ええ。旅の方……いや、英雄オルテガの息子殿、良ければこの不肖の息子を、これからも連れて行って下さらぬか」
「親父、でもオレぁ……」
「そうだよ!」
 突然甲高い声を上げ、アニーが立ち上がった。
「お兄、アルトさんたちとの旅の話をした時、すごく楽しそうだったもん! そりゃ、楽しいだけじゃないだろうけど……うちらの面倒で、お兄がつらい思いするよりずっといいよ!」
 すると、ローズとセリアも口々に続けた。
「アタシも賛成だね。いっそ本当に賢者になっちまいなよ、兄貴」
「そうよ兄さん。それならきっと、天国の母さんも許してくれるはずよ」
「お前らまで……」
 散々迷惑をかけたというのに、家族はもうジャックを責めたりなどせず、明るく送り出そうとしている。
 この先へ続いている、光へ。
「……オレのせいで、親父もお前らも、苦しかったんじゃねえのか?」
 その問いに、マルクスは静かにうなずいた。
「……そうだ。だが、わしらはお前を、褒めてやらねばいかん」
 ジャックが首をひねると、マルクスは厳かにこう言った。
「お前は、どんなに迫られても人を殺さなかった。そして、お前の手に入れた金で、事実わしらの生活は守られていた。わしはそこに、お前なりの信念を感じたい」
 そう聞いた時、もう誰も、自分を恨む気はないのだと悟った。
 盗賊としての人生は、もう終わったのだと。
「ジャック。お前はもう、自分のために生きるべきだ。この方々と共にな」
 ジャックはゆっくりと、アルトたちに視線を移した。今の仲間たちは、ただ黙ってジャックを見つめている。その背の向こうに、魔王を討つという頑なな意志を背負って。
 一介の盗賊あがり。けれどこの手には、まだ成す術を知らない、途方もない力が秘められている。
 本当の覚悟をするべき時は、まさしく今なのだろう。ジャックは戸惑いがちに切り出した。
「……正直言ってさ、オレに賢者の素質があるなんて寝耳に水なんだわ。お袋が元は賢者だったっつうのも、実感湧かねえし」
 これまでの人生が終わった今、自分はどう在るべきなのか。それを見出すための道は、ひとつだけだ。
「だから、オレはその、ダーマ神殿に行ってみてえんだ。そうすれば、オレのジイさんにも会って、何かが分かるかもしれねえし。
 ……そのためにも、これからもお前らと一緒に行っていいか?」
 口を突いて出た言葉が全くふざけのないもので、何だか落ち着かなかった。だが、アルトたちはそれを快く、受け止めた。
「もちろんだよ。サーラもモエギも、いいよな?」
 二人は次々にうなずいた。アルトも笑みを浮かべると、ジャックに向き直った。
「だけど、約束して欲しいんだ」
 尋ねると、アルトは真剣な眼差しを向けた。曇りのない茶の双眸に、自分が見える。それは遠い日に出会ったことのある、彼の父のものとよく似ていた。
「もう、一人で抱え込むな。俺たちはたとえどんなに苦しんだとしても、ジャックの力になりたいんだ。仲間って、そういうことだろ?」
 訴えかけるアルトを目の前にし、この少年が数日の間、ジャックの立てた壁を必死に乗り越えようとしていたことが分かったような気がした。
 出会ってからまだ数ヶ月も経っていないのに、ひたすらに真っ直ぐな信用を寄せてくるアルト。ふと、それはかつて自分がガロッシュに抱いていたものと似ているのかもしれない、と思った。
 その純粋さはまだ未熟な人間のように感じる。けれど、だからこそ愛しい。ジャックの口から自然と笑みがこぼれた。
「……分かった。ありがとな、アルト」
 肩をぽんと叩いてやると、アルトは心底嬉しそうに笑った。
 何があっても、この澄んだ少年を死なせやしない。ジャックの胸に、改めて決意が生まれた。
「おーい! ちょっと失礼するよ!」
 突然、中年の男らしき声が家の中にこだました。マルクスが慌てて玄関へ向かうと、ローズとアニーが青ざめた顔を見合わせた。
「どうしたんだ? お前ら――」
 ローズたちが答えるより先に、マルクスに連れられ現れたのは、ベリーダンスの劇場を経営している座長だった。油で撫でつけた七三分けは何よりの特徴だ。
「あっ! 昨日の酒場にいたエロオヤジ!」
 モエギたちも何故か知っているらしく、指をさされたオーナーは聞き捨てならぬといった様子でモエギを睨んだ。
「何だと? 誰かと思ったら、昨日あの店にいた連中じゃないか。どうしてここに……っと、用があるのはローズとアニー、お前さんがただよ!」
「何だってのさ、昼間っからうるさいんだよ!」
 ローズが言い返すが、いつもと違って若干の後ろめたさが見て取れる。アニーが「どうしよう、お姉」とすがりつく。座長は鼻息荒く用件を告げた。
「とぼけなさんな。お前さんがた、昨日うちから借りた荷馬車、すっかりボロボロにしちまって! 修理代どうしてくれるんだ、ええ?」
「しょうがないだろ、一刻を争ってたんだよ! それに、ショーで大儲けしてるあんたのことだし、修理代ぐらいでケチケチすんな!」
 ローズの勢いに飲まれそうになったのか、座長はうぐ、と息を詰まらせたが、苦し紛れにこう返した。
「じゃあ、こうしようじゃないか。お前さんに今度のショーで踊ってもらうってのはどうだい? それで修理代はチャラに……」
 すると、ローズはのそりと立ち上がり、座長に詰め寄るとやけに甘い声で囁いた。
「あんた、この間占ってやったじゃない? あと数年したらハゲるって。その時ハゲない薬調合してやるって、約束したでしょう? そのアタシに恩を仇で返す気?」
「しかし、それとこれとは話が……」
 そう言いかけた座長は、ローズの顔を見ると軽く悲鳴を上げ、ぼそぼそとローズへの誘いを取り消した。相当凄みをきかせられたのだろう、この時ばかりは座長に同情せざるを得なかった。
「だが、アニーにはまだ早いし、セリアちゃんは聖職者だし……そうか!」
 座長はぽんと手を打つと、すかさずサーラの方を見やり、喜々として告げた。
「お前さん、この場に居合わせたのも何かの縁だ。どうだい、うちの劇場に出てみないかね?」
 いきなり依頼されたサーラは、みるみるうちに顔を歪ませ、猛反発した。
「貴様、再三私を誘うとは全く懲りていないのだな! 何故私が荷馬車の修理代の肩代わりをしなければいけないのだ!」
「だって、元はといえばあんたたちがセリアを勝手に連れて行ったんだろ? 全くの無関係じゃないさ。それに、あんたアタシよかよっぽどセクシーじゃないのさ」
「好きでこうなった訳じゃない!」
 サーラの言葉にローズは眉をひそめ、低くつぶやいた。
「……随分とぜいたくなこと言うじゃないのさ」
 さらにローズは何か言いかけたが、ジャックはそれを制止した。
「ローズ、やめとけ。お前はもう少し人の気持ちってもんを考えろ」
 サーラが自分の必要以上な『女』に、コンプレックスを抱いているのは知っている。ましてやそれを全面に押し出さねばいけない踊りなど、拒絶するに決まっているのだ。
 ローズもさすがに悪気を感じたのか、小さく謝った。サーラは怪訝な表情で座長に問いかけた。
「ショーというのは、男を喜ばせるものなのだろう? 私はそういった類のものを嫌悪している」
 少ししおらしくなったサーラに、座長はためらいがちに話を持ちかけた。
「いや、確かにそうだが……ほら、誰にでも声をかけているんじゃないさ」
「あたしには見向きもしないもんね」
 モエギがすねたようにつぶやく。座長は冷や汗をかきながら続けた。
「だから、その……お前さんにはこう、不思議な魅力を感じたんだよ。昨日見かけた時から……。もういい、損得なしで頼む。うちの劇場に出てくれないか? ギャラも払う。この通りだ!」
 座長のへりくだった様子に、サーラも断固として拒否する訳にもいかなくなったようで、困惑している。異様な空気が漂い始めていた。
 座長の言うこともまんざらではない。ジャックの目から見ても、サーラは時々どきりとする程美しい。彼女があのステージに出たら、他の踊り子たちとはまた一味違う魅力を放つだろう。
 だが、サーラの心の傷を知っている以上、無理強いをさせる訳にはいかない。どうしてやるべきか、そう考えていると、アルトがぽつりとつぶやいた。
「……剣の舞ってのはどうかな」
 その発言に、全員がアルトに注目を向けた。一斉に視線を浴び、アルトは少々照れたように続けた。
「ほら、サーラは剣が得意だろ。それならきっと、サーラも踊れると思うんだ」
 アルトの提案は、座長が言う実際のショーを知らないからこそ出来るものだった。すっかり固定観念にとらわれていたジャックは、思わず手を大きく打った。
「いい。それいいわ。サーラさん、ショーっていうのはねーちゃんが男に媚びるだけじゃないのよ。そこんとこ見せつけてやるのも、いいんじゃない?」
 ジャックがひとたび賛成すると、妹たちやモエギも賛同した。しまいにはマルクスも「うむ、見てみたいものだな」などと口にした。
 茫然とするサーラに、アルトは明るく微笑みかけた。
「な、それならいいだろ?」
 全員がサーラの答えを待っている。サーラは軽く嘆息すると、渋々返事をした。
「……皆がそこまで言うなら、やってみようか」
 座長は手放しで喜び、早速打ち合わせをしようとサーラを外へ引っ張っていった。それをにこやかに見送ると、ジャックはアルトを小突いてやった。
「ナイスアイディアじゃん。さすがだわ」
 アルトは照れ臭そうに頭を掻いた後、やや神妙な顔をした。
「でも、サーラはそんなに、男の目が嫌なのか……」
 ジャックはあえて、何も言わなかった。心優しいアルトのことだ、真実を知ればまた仲間の苦しみを癒そうと身を費やすかもしれない。
 もしくは、仲間ではなくサーラという一人の女性を、だ。