銀髪の理由 5



 サーラは、今まで味わったことのないような手ごたえのなさを感じていた。
 腐った死体たちの動きはさほど機敏ではなく、もう何人も斬っているのだが、まるで死という概念がないかのように再生し、群がってくるのだ。
 そしてその向こうには、崩れたジャックとそれを支えるセリア、対峙したままのアルトとがいこつ剣士がいる。視界の端に映るだけで、何が起こっているのか分からない。
 ただ一つ言えることは、ジャックが危機に陥っているということだ。
 早く助けに行かねば、と死体たちを裂いていくが、このままではいずれこちらの体力が持たなくなる。
「もーっ嫌! サーラ、何かいい手はないの!?」
「あればとっくの間に片付いている!」
 また一人薙ぎ払うが、先程倒れた一人が再び襲ってくる。何か、方法はないのか――思考を巡らせながら剣を振るっていると、どこからか遠巻きに荷馬車らしき音が聞こえてきた。
 それと同時に飛んできたのは、鋭い女の声だった。
「この人さらいどもめがっ! セリアを返せっ!」
 声のした方を見やると、荷馬車を走らせる桃色の髪の少女と、むき出しの荷台の上に立つ黒いマントを羽織った赤髪の女が目に留まった。
「何? もしかして、ジャックの他の妹……?」
 モエギはつぶやくと、死体を蹴散らしながら、標的は魔物たちであることを訴えた。みるみるうちに近くまでやって来た彼女たちの内、赤髪の妹は、モエギの言葉を聞き驚愕の表情を浮かべた。しかし、すぐさま魔物たちを睨みつけ、口を開いた。
「そうきたら話は早いね! あんたたち、どけなっ!」
 言う通りに飛び退くと、赤髪の妹は片手に持っていた赤い宝玉の付いた杖を振りかざし、咆哮を上げた。
「闇を焼き尽くせ、紅を描く炎! ベギラマッ!」
 すると、宝玉の周りにぎらついた炎が沸き起こり、死体たちに向かって放たれた。鼻がもげそうなくらいの死臭と、耳を塞ぎたくなる程の絶叫が岩場を支配した。
 やがて炎が消え去ると、残ったのは黒炭と化し崩れ落ちた死体たちだった。
「ちょっと……ジャックの妹たちって、ナニモノ?」
 あまりの威力にモエギ共々茫然としていると、荷馬車が止まりジャックの妹たちが岩場へと駆けつけてきた。
「あんたら、一体何なの? それより、セリ……」
 周囲を見渡し、ジャックを支えるセリアを目にすると、妹たちは一目散に駆け寄った。サーラとモエギもその元へと向かう。
「お兄! どうして、こんな……!」
 桃色の髪の妹が地面にへたり込み、今にも泣き出しそうな声でジャックに呼びかける。サーラたちもその容態を見て愕然とした。既にジャックとセリアの足元には、血溜まりが出来ていたのだ。
「ローズ姉さん、アニー……来てくれたの?」
 セリアはもうかなり消耗しているようで、顔が青ざめている。
「どうしよう……血が、止まらないの」
「そんな……」サーラの隣でモエギが絶望したようにつぶやいた。
 それまで荒い息をついて、ジャックを見下ろしていたローズは、おもむろに膝をつくと血で汚れたベストを掴んだ。
「何でいるんだよ! アタシらは、ただあんたの昔の仲間が、セリアをさらったと思って、占いでここを突き止めて……なのに、何で魔物がいて、あんたは……兄貴は血まみれなんだよ! 訳分かんないんだよっ!」
 荒々しいローズの叫びに答えるように、ジャックがゆっくりと、その手を握った。
「……わりぃ。お前には……迷惑かけっぱなし……だな」
 放たれた声はあまりにも弱々しく、ローズは真っ赤な唇を切れそうなくらいきつく噛んだ。
「死なれたら……一番迷惑なんだよ、クソ兄貴が」
 押し殺したつぶやきは、微かに震えていた。
 サーラはそれを半笑いで眺めているがいこつ剣士に視線を移すと、その向かいに立ち尽くしているアルトに歩み寄った。
「アルト、何があった? アルト……」
 声をかけても、アルトは口を開けたまま黙り込んでいる。サーラはその肩に手を添え、きっとがいこつ剣士を睨み据えた。
「貴様、ジャックを傷つけたばかりか……アルトに何をした!」
 がいこつ剣士は歯をがちがちと鳴らし、悠々と答えた。
「ワシは真実を言ったまでよ。では、もう一度話してやろう……小娘ども、そして愚かなジャックよ、心して聞くがよい」



 アッサラームの遥か北東、険しい岩山に隔てられた高地には、世界中から己の生きる術を探して人々が集う神殿があるという。
 その神殿を統べる者は大神官と呼ばれ、それと同時にこの世で最高の『賢者』と称される。
「賢者とは、我ら魔族にとって勇者と等しく忌まわしい存在。魔法使いと僧侶の能力を兼ね備え、戦闘能力も高い。その代わり賢者へと辿り着くための道は厳しく、愚かな人間どもの中にはほんのわずかな数しか存在しないのだ」
「それが何だと言うのだ?」
 サーラが眉をひそめると、がいこつ剣士は話はここからだと言わんばかりに続けた。
「その神殿はさすがの我らでも手が出せぬ。しかし、あろうことか大神官の血を直に受け継ぎながらも、その運命から逃れようと自ら聖域を出た哀れな女がいた」
 その女こそが、ジャックとその妹たちの母だった。
「何だって……?」
 姉妹たちは初耳だったのか、お互いを確認するように顔を見合わせた。ジャックも飛び起きようとして、激痛に顔をしかめた。
「何それ……じゃあ、ジャックたちは皆、賢者の血を引いているってこと?」
 モエギの言葉に、がいこつ剣士は薄笑いを浮かべた。
「確かに、妹たちの魔力はそれなりに高いだろう。 だが、ワシは知っておるのだ……絶大な魔力を秘めている者は、この世に生を受けた時から色を持たぬ、まるで銀のような毛髪をしているのだとな」
「だが、ジャックは何も呪文を知らないのだぞ! なのにどうして――」
「知らないだけ、もしくは自ら学ぼうとしなかっただけだろう。だから、力が目覚めぬうちにワシらの元へ引き入れて、悪の魔導士に仕立ててやろうとしたものを……」
 すると、アルトがサーラの手を離れ、ゆらりと一歩進み出た。
「……そのためだけに、今までジャックを苦しめてきたのか?」
「そうとも。勇者よ、これからそれ以上に貴様を苦しめる輩が現れるであろう」
 がいこつ剣士は地面に刀を突きつけ、何やら魔法陣のようなものを描いた。その間にもアルトは少しずつがいこつ剣士に近付き、唸るように吐き出した。
「今だって、十分苦しんでいるんだ……」
「ほう? それは何より。では、ワシはバラモス様に賢者死亡の報告をせねばならんので、貴様を殺すのはまたの機会にしよう。
 ワシは魔王直属騎士団長のロイド……よく覚えておくがいい!」
 がいこつ剣士ロイドは哄笑を上げた後、魔法陣から湧き上がった闇色の光に包まれた。その光を、アルトは真っ二つに叩き斬った。
「待てっ! お前は、この手で――!」
 アルトの怒号も虚しく、光が消え去った後にはすす汚れた陣の跡が残るだけだった。アルトはやみくもに剣を振り回し、震えながらうなだれた。目の前でジャックに深手を負わせられ、止めを刺せなかった悔しさが、背中ににじみ出ていた。
「アル……ト……」
 微かなジャックの声に、アルトはぴたりと震えを止めたかと思うと、瞬時にジャックの元へ屈みこんだ。サーラもアルトとモエギの間に座り込む。
「すげーな……オレって。知らなかった……ぜ」
 若草色の瞳はかすんでおり、声にはいつもの覇気が全く感じられない。アルトは血まみれになったジャックの手を取り、顔を歪ませた。
「死ぬなっ! 賢者だとか、そんなの関係ない!
 お前に、死んで欲しくないんだっ! ジャック……!」
 赤く染まった手を両手で握り、アルトは祈るように面を伏せた。その髪をもう片方の手で、ジャックは弱々しく撫でた。
「死なねーよ……バカヤロー……」
 だが、途方もない血の多さに、誰もジャックの言葉を信じられずにいた。セリアのベホイミも力をなくしており、妹たちは揃って涙を浮かべている。モエギも小刻みに震えており、サーラはその肩を抱いてジャックに語りかけた。
「……ジャック」
 言葉が、出てこない。
「……サーラさん……泣いてくれる?」
 ジャックが虚ろな瞳で尋ねる。この男を一瞬でも疑ってしまった後悔が押し寄せ、サーラの胸は深い悲しみに包まれた。
 もしこの先ジャックが仲間でいてくれるならば、もう二度と疑ったりはしない。
 この男は信じてやることで、きっと何よりも強くなるのだから。
「……泣きはしない。お前も……死なない」
 サーラはジャックの頬についた血をぬぐってやろうとしたが、もう乾いて取れそうになかった。
「なあ……オレが賢者とやらなら、呪文を教えてくれよ……。セリア、お前の使ってた呪文は……何だ?」
 ほとんどうわ言のように紡がれたジャックの言葉に、セリアは涙声で呪文を語った。ジャックはわずかにうなずくと、息を吸い、最期になるであろう言葉を口にした。
「苦しみの……失せし、慈愛を込めた、願い……ベホイミ」
 微かな声で戸惑いがちに放たれた呪文は、瞬く間にジャックの周囲にエメラルドグリーンの光を立ち昇らせ、包み込んだ。
 あまりのまばゆさに、ジャック以外の全員が目を覆ったが、サーラは必死に目を凝らしてその様子をうかがった。
 よく見ると、光は帯状になり包帯のようにジャックの全身を駆け巡っている。中でも、致命傷となっているはずの胸の切り傷へ向かう光は、無色に発光していた。
 セリアがどれだけかけても効かなかったベホイミを、瀕死のジャックが唱えただけで明らかに違う輝きを放っている――やはりロイドの言う通り、ジャックには尋常ならぬ魔力が宿っているのだろうか?
 やがて光がおさまり、皆が目を開けると、血で湿っていたジャックの傷口がすっかり乾いていた。地面に広がった血溜まりもすっかり土と同化している。
 だが、ジャックは瞳を閉じていた。
 妹たちがそれぞれの呼び方で声をかける。すると、まだジャックの手を握っていたアルトは、顔を上げそっとつぶやいた。
「……手が、温かい」
 サーラもジャックの手に触れると、確かに脈もあり、ぬくもりを感じることが出来た。
「自分で治しちゃったよ……」
 モエギが唖然と口にしたので、サーラは思わずくすりと声を漏らし、笑いは皆に広がった。
 何という男なのだろう――サーラは横たわったままのジャックを見つめ、苦笑した。
 口元をほころばせると同時に、目尻から一粒、涙がこぼれ落ちた。