銀髪の理由 3



 アッサラームの夜はきらびやかな外灯が溢れ、その中で一際派手な輝きを放つ場所に、人々は蛾のごとく群がる。
 牡丹色に染め上げられたカーテンをくぐると、そこには気だるい音楽と熱気に包まれた大人の娯楽場が広がっている。
 何十人でも上げられそうなステージの上で、目のくらむような色の照明に映し出されているのは、はだけそうな程肌を露わにして身体を揺らす女たち。アッサラーム名物、ベリーダンスのショーだ。
 ジャックがここを訪れるようになったのはほんの数年前からだが、魅惑的な化粧を施した女たちが艶やかに踊るさまは、男としてはいつ見ても飽きないものだ。
 今日は踊り子たちの中でも、アッサラーム一、二の人気を誇るビビアンがステージの中央に立ち、笑顔と色気を振りまいている。どうりで客の入りが良い訳だ。
 汗を飛び散らし、暴れ猿の鳴き声のような歓声を上げている観客の間をすり抜け、ジャックは簡素な丸椅子に腰を下ろした。
 最後にこの劇場を訪れたのは半年前だった。その時はレナという踊り子が最も売れっ子だったのだが、今日は彼女の姿がない。アッサラームのショービジネスは上下の変動が激しいので、今は劇場のトップではなくなったのかもしれない。
 以前はよく、盗賊団の仲間たちとどの踊り子が好みか言い合ったものだ。好みは十人十色だったが、ジャックはずっとレナを推していた。
 だが、頭領――ガロッシュだけは、そのような話に交わる事がなかった。あの男を突き動かしているのは欲ではなく、憎悪なのだと誰かがこぼしていた。
「……憎悪、ねえ」
 ひとりごちた声は、自分の耳ですら遠く聞こえた。



 ガロッシュとの出会いは、数奇なものだった。
 十三、四の頃だっただろうか。父の行商の手伝いでアッサラームに帰る途中、ガロッシュ率いる盗賊団に荷馬車ごと襲われたのだ。最初は魔物が寄ってきたのかと思ったが、彼らは命を狙うのではなく、金目のものを狙っていた。
 その時、父は同業者の不正を暴いたことで仲間と対立し、挙句の果てに地位も財産も失い、既に母にも病でこの世を去られていた。ガロッシュは財産のない父を哀れに思い、何も盗らずに逃がした。ただし、ジャックを手元に残すことを条件に。
 父は息子が殺されるか売られると思ったのだろう、断固として拒否したが、ジャックは不思議とガロッシュと話をしてみたい気分になり、大丈夫だと父を説得し、一人残った。
 若くして盗賊たちを従えるガロッシュの瞳は、吸い込まれそうなくらい深い闇に満ちていた。その正体を、ジャックは知りたくなったのだ。
 岩場の洞穴に掘られたアジトに案内されると、デスミラージュの活動について聞かされた。彼らは汚い手を使って成り上がった商人や富豪を標的にし、財産を巻き上げる他、必要ならば二度と這い上がれない奈落の底へおとしめるという、いわば義賊のような行為をしていた。
 ほとんどがそういった者に嫌悪したり、恨みを持つ者――中にはカンダタのように、旅人にまで手を出す盗み好きもいたが――で、行商人だったガロッシュの父も仲間の裏切りに遭い、借金を苦に自害したのだという。
 その頃のジャックは、父の苦労を誰よりも近くで見つめ、貧困にあえぐ家庭内の事情をよく知っていた。そんなジャックが彼らの行為に共感を覚えたのも、不思議ではなかった。
 恵まれないジャックに対し、ガロッシュは薄汚い豚どもに復讐しないか、と手を差し伸べた。ジャックは迷わずその手を取った。
 こうして、ジャックは家族の目をしのんで、デスミラージュの一員として暗躍することになった。
 その心に、遠き日のオルテガとの約束を刻んだまま。
「オルテガさん、オレぁ……結局自分しか、守れねえのかな」
 周りの喧騒は次第に遠ざかり始めていた。娯楽ではとても埋められない、犯した過ちの重さに、倦怠感が漂った。
 ガロッシュは、標的を相手にする時は血も涙もなかったが、仲間に対しては優しい、と形容出来る男だった。
 特に、ジャックは似た境遇同士のためか、弟のように面倒を見、徹底的に盗賊の技術を叩き込んでくれた。元々すばしっこい性質だったためか、ジャックはめきめきと頭角を表し、団の中でも一際有能な盗賊となった。
 それをカンダタは気に入らなかった訳だが、ジャックはそれに構うより、盗品を売り『働いた』金を家庭に入れることに躍起になっていた。妹たちが喜ぶ顔を見るのが、何よりの幸せだった。それを薄汚い金などとは、これっぽっちも考えていなかった。
 そうして、いつしかガロッシュの右腕となったジャックだったが、その方針は今から一年程前に、がらりと形を変えた。
 今まで殺生だけは避けてきたガロッシュが、ある日を境に標的にした者は必ず殺すよう命令したのだ。皆最初は躊躇したが、冷酷な緋色の瞳には誰も逆らえなかった。
 その頃、既に自分の派閥を持っていたカンダタは分裂していったが、ジャックは今更反旗を翻す訳にはいかなかった。しかし、この手を人殺しのためには使いたくないと、いつ勅令が下されるか恐れるようになっていた。
 そして、ジャック自ら標的を始末するよう命令が下された。だが、ジャックはそれを拒み、ついに団からの離反を申し出た。
 カンダタの時はそれをあっさりと許したガロッシュは、ジャックを許さなかった。何度請うても血の色をした瞳はびくともしなかったが、それでも頼み込んだ。
 ガロッシュがもう、かつての彼でないと分かってしまったのだ。
 拝み倒した後ようやく許しを得たが、ガロッシュは代わりに、ジャックの腕に「制裁」を加えた。
 手ひどい仕打ちを受け、仕方なく家族に全てを打ち明けると、当然のごとく勘当させられた。寡黙な父に殴られた時の痛みは、今でもはっきりと思い出せる。妹たちは怒り、そして嘆き悲しんでいた。
 この手で守るはずだったものを、その日全て失ったのだった。
 いつの間にかショーは終わり、踊り子たちが舞台袖にはけていった。ざわざわと観客たちが立ち上がり、感想を口にしながら去っていく。ジャックは立てずにいた。
 デスミラージュに戻れば、妹たちはもうつけ狙われずに済むだろう。だが今度こそ本当に、この手を汚してしまうことになる。
 だが、奴らに近い今、ぐずぐずしていたら妹たちが更なる危険にさらされるかもしれない。
 何故、戻ってきてしまったのだろう。結局、自分が何も捨てきれていないという証拠なのだろうか。
 重苦しいのは嫌なのだ――頭を抱えると、手のひらが左耳の冷たいものに触れた。何てことはない、安物の金属で作られたイヤーカフだ。
 二、三年前だろうか、末っ子のアニーがお揃いで誕生祝にくれたものだ。そしてふと、今日目にしたアニーを思い返した。
 その耳にはやはり、同じイヤーカフが光っていた。
「……あいつも、いい加減捨てちまえばいいのによ」
 ローズはジャックを憎み、セリアもまたこの身を案じているだろう。あの父だって、もしかするとジャックのことを気にかけているかもしれない。
 信用は揺らいでも、自分の存在は何一つ、家族から失われていないのだ。
 観客のまばらになった客席を立ち、ジャックは瞳を閉じた。
 ――ガロッシュと決別しよう。たとえそのためにどんな目に遭ったとしても、それが自分の責任なのだ。
 早足で劇場を出ると、冷えた風が頬を撫でた。アッサラームの夜はまだ温度が低いが、それにしても身を切るような冷気が身体に纏わりつく。
 アルトたちにはタンカを切ったままなので、その元に戻る訳にもいかない。真面目な彼らのことだ、巻き込んではいけない。
 適当な所で夜を明かそう、と踏み出した時だった。まるで闇の中から溶け出てきたように、黒装束の長身の男が目の前に現れた。ちょうどジャックの影の上に立った男――ガロッシュは、フードから彫刻のようにいかめしい顔を覗かせた。
「……答えは出たか?」
 背筋も凍りつくような声音だったが、ジャックは震えそうになる自分を懸命に励まし、答えた。
「オレぁ、もう……あんたの所には戻らねえ。妹たちに手を出したって、それは絶対変わんねえ。もう、オレらに構わないでくれ」
 その場に膝をつき、土下座を試みる。頭を地面になすりつけて、何度も懇願した。
 あの時も、こんな風にして頼み込んだ。今度は首まで取られるかもしれない。
 けれど、いっそ捨ててしまうのならば、自分自身が一番いい。
 ガロッシュはしばらく黙っていたが、やがてジャックの元にしゃがみ込み、顔を上げるよう言った。
「お前がどうしても、と言うなら、聞いてやっても良い。ただし、一つ条件がある」
「……条件?」
 そっと見上げた先には、人のものとは思えない程、残忍な笑みが広がっていた。



 「デスミラージュ? ああ、奴らなら最近は窃盗に人殺し、もっとひどいことまでやってるって噂だぜ。昔は義賊気取りのことやってたくせによ、すっかり落ちぶれたもんだね」
 酒場の酔っ払いにしては的確な情報だったので、サーラたちは互いに顔を見合わせた。
「やはり、デスミラージュというのはここ数年でやり口が変わったのだろうな……」
 アルトもモエギも、眉間にしわを寄せうなずいた。犯罪組織とはいえ、相手は人間だ。殺す訳にはいかない。
「なんか、そいつらのアジトを見つけて、催眠剤でも撒いて、そのスキに捕まえる……とか、出来ない?」
「いや、盗賊はきっと、そういう類の罠には敏感だ。やっぱり、ジャックときちんと話をして……」
「無駄だ、アルト」
 サーラがかぶりを振ると、アルトはどうして、と反発するように視線を向ける。
「あいつは、おそらく自分一人で抱え込もうとしている。私たちは別の方向から、ジャックを助けなければいけないのだろう」
 アルトは納得いかない様子でサーラを見つめ、嘆息した。
「俺たち、仲間だろ? 仲間なのに、何で大事な時に力を合わせられないんだ……」
 力なく肩を落とすアルトに、モエギが神妙な表情で話しかける。
「アルト君……あたしたちは、何があってもアルト君の力になるよ」
 そう告げたモエギは、鏡のようにつらい顔をしていた。アルトはわずかにうなずき、繕った笑みを見せた。
 店の中は人気がなくなってきており、残っているのは飲んだくれのみだ。店主の話によると、今夜はアッサラーム一の劇場でショーがあるのだという。
 千鳥足の客と代わるように入ってきた中年の男が、席に着くなり陽気な声で店主にそのことを話し始めた。
「いや〜、今夜も最高だったよ。娘らが腰振った分だけ大儲けよ!」
 がっはっは、と品のない笑い声が狭い店内を揺るがす。モエギと揃ってしかめっ面になると、男はさらに店内の娘にも声をかけた。
「お前さんもどうだい? うちの劇場に出てみないか?」
「何度も言ってるでしょ。あんなみっともないカッコしてまで男に媚びたくないの」
 そこを何とか頼むよ〜、などと猫なで声を出す男に、娘は乱暴に水を押し付け、サーラたちに近寄ってきた。
「早くここ出た方がいいわよ。あのオヤジ、若いコ見かけるたびに踊り子やらないかって声かけてくるんだから」
 娘は特にサーラへ忠告したようだった。自分は若いというより、そういう場向きに見られたような気がして、何となく不快になった。
「踊り子? サーラとモエギは踊れるのか?」
 アルトが素朴な疑問を口にしたが、モエギはすかさず手のひらを振った。
「アルト君、そうじゃないの。ああいうオヤジはね、とにかく見てくれが良ければ踊れようがへっぴり腰だろうが何でもいいの。ま、あたしは当然お断りだけどね」
 それ以前にモエギの場合、お遊戯会になってしまうのではないかと思ったが、本人の名誉のために突っ込まなかった。
 夜も更けてきたので、宿を取るために店を出ようとすると、案の定例の男がサーラにちょっかいを出してきた。
「おっ、あんた……いい身体つきしてるねえ〜。おまけにかなりのべっぴんときたもんだ。どうだい、うちの劇場に……」
「悪いが、丁重に断る」
 冷たい視線を送り、入口に向かうと、外から誰かが勢い良く駆け込んできた。その拍子に頭をぶつけ合い、サーラはよろめいてアルトに寄りかかった。受け止められた手が思いの外しっかりとしていて、不意に心臓が鳴った。
「大丈夫か、サ……」
 アルトの声が不自然に途切れたので、額を押さえながら前方を見やると、ジャックが同じようにして額に手を当てていた。
「ジャック、お前……」
 アルトから離れ、サーラはまじまじとジャックを見つめた。ジャックはにへら、と顔を笑み崩し、早口で言った。
「さっきは悪い! オレ考え直してさ、お前らと一緒にあいつらを捕まえようと思って。んで、オレ先にあいつらのアジト探ってくっから、明日の昼この地図のところに来て? んじゃ、オレ急いでるからっ」
 ジャックはどこからかちぎったような紙切れをサーラに託すと、風のように去っていった。酒場の娘までもが茫然とジャックを見送っていた。
「何なのよ、あいつ……」
 モエギが腑に落ちないといった表情で、地図を覗き込んだ。サーラも目を通すと、どうやら奴らのアジトはアッサラーム近辺の岩場にあるようだ。
「ジャック、一人で大丈夫なのか……?」
 アルトが不安げにつぶやくと、サーラは首を傾げてみせた。
「さあ……な。とにかく、早く宿を取って準備をしよう」
「あのさあ、うちの劇場に……」
 なおもしつこく誘ってくる男に一睨みきかせると、サーラたちは宿へ向かっていった。
 地図には一言、「教会の僧侶をやっているオレの妹を連れてきてくれ」と付け加えられていた。