銀髪の理由 1



 一度きりの人生だから、などとは言わないが、人生は楽しい方がいい。
 そう思って生きてきたから、つらいことも自分なりに楽しんできたつもりだ。
 だからふと、つらいことと楽しいこと、どちらの数が多かったのか、分からなくなる時があるのだ――



 季節は初夏。ロマリア半島にも面している地中海を囲むように広がる平野。すくすくと育った青草の上を歩く間も、じんわりと額に汗がにじみ、サーラは首に纏わりつく波打った髪を払いのけた。
 ノアニールの一件を終え、今度はかつてオルテガも立ち寄ったという商業都市――アッサラームを目指している。
 アッサラームはジャックの故郷でもあるらしいが、いつも雄弁なジャックは何故か、その話をあまりしたがらない。そのためか、四人の最近の話題はもっぱら、「魔法の鍵」について向けられていた。
 アリアハンでも「盗賊の鍵」というものを手に入れたが、今度のものについてはオルテガも探していたとなると、相当重要なものなのだろう。道中ロマリアを訪ねてみると、王は魔法の鍵についてこう述べた。
 魔法の鍵というのは通行許可証のようなもので、ポルトガへ入国する際に必要な他、各地でそれに対応した扉を扱っているのだという。サーラはその話を聞きながら、アリアハンのナジミの塔で会った老人の話を思い出した。
「アルト、ナジミの塔の老人が言っていたこと、覚えているか?」
 サーラは、後方でマントの襟を掴みあおいでいるアルトに問いかけた。アルトはこくりとうなずいた。
「ああ。この世に散らばる三つの鍵を手に入れた者は、『許されし者』だっていう話だろ?」
「何? その話オレ知らないんだけど。サーラさん、オレにも教えてよ」
「果たしてあんたに理解出来る話かな〜?」
 ジャックとモエギはいつものごとく口喧嘩を始めた。サーラは肩をすくめ、アルトと話を続けた。
「おそらく、魔法の鍵とやらはその三つのうちの一つということになりそうだな……許されし者というのは、どういうことなのだろうな」
「さあな……それより、父さんが鍵を探していたのなら、もう鍵はなくなっているんじゃないのか?」
 だが、オルテガの遺品は何一つ見つかっていないと聞いている。もしオルテガが魔法の鍵を手に入れていたのなら、今は行方知れずということになるだろう。
「まあ、アッサラームは大きい街だと聞く。情報も多いだろう」
 軽く微笑むと、アルトもにっこりと笑みを返した。最近はこうしてアルトとも普通に微笑み合うことが出来るようになった。これからもこの旅を続けることで少しずつ変わっていくことが出来れば、とサーラは密かに願った。
 森林の脇道に差しかかった所で、ふいにジャックの歩みが鈍くなった。問いかけてみると、若葉色の瞳は警戒を宿していた。
「……魔物か?」
 サーラが剣の柄に手をかけると、ジャックは首を横に振った。
「いんや。魔物よりもっと……厄介かもしれねえな」
 ジャックは先頭を切って早足で進み始めた。後に続いていくと、確かに森の中が微かにざわついている。
 足を速めるごとにざわめきは増し、日が陰ると共に不穏な空気が漂う。サーラたちは神経を張り詰めながら先を急いだ。
 駆け出す程の勢いになった頃、ジャックがぴたりと立ち止まり、最後尾のアルトを振り返った。アルトも脂汗を垂らし、口を真一文字に結んだ。サーラにもその意味は分かっていた。
 ジャックは舌打ちすると、口元を苦笑に歪めた。
「囲まれたな……」
 そうつぶやいた途端、森の方から十数人の薄汚い輩が次々と現れ、あっという間に四方を塞いだ。見かけはカンダタ一味と似ており、くたびれた鎧やぼろ布を纏っているが、手にする武器は皆刃物で、血糊がべっとりと鈍い輝きを放っていた。
「盗賊か……こんな白昼堂々と、よく現れたものだな」
 サーラたちはそれぞれ背中合わせに、盗賊と睨み合った。
「ジャック、まさか元同業者じゃないでしょうね」
 モエギの問いかけに、ジャックは乾いた声で答えた。
「……そのまさか。知ってる奴の顔がチラホラいやがるぜ」
 うそでしょ、とモエギはすくみ上がった。ということは、この男たちはジャックに用があるのかもしれない。ニタニタと笑っているだけで、一向に仕掛けてこないのだ。
 しばらく冷戦が続いた後、ジャックはおもむろに声を上げた。
「おい! オレぁもう団を抜けたんだよ! 今更何の用だっつうんだよ。それに、頭領はどうした!」
 頭領――モエギの話では、ジャックはその頭領のお気に入りだったらしいが――すると、森から一人の男が姿を現した。
 外見は意外にも若く、カンダタと並べたとすれば間違いなくカンダタが頭領に見えるだろう。この暑い中、紫がかった黒の装束とフードで全身を包んでおり、腰には曲刀を提げている。
 男は緋色の眼差しをジャックに向け、ゆっくりと口を開いた。
「……久方振りだな、ジャック。しばらく見ないと思えば、今度は女子供とつるんでいるのか。相変わらず、読めない男だ」
 昼だというのに、まるで夜の闇へといざなうかのような低く冷たい声音に、サーラは背中がぞくりとするのを感じた。
「誰とつるもうが、あんたにはもう関係ねえんだよ。オレはもうあんたと縁を切ったんだ、まだ分からねえのか!」
 いつもひょうひょうとした口調のジャックが、珍しく声を荒げた。だが頭領らしき男は全くひるまず、微笑を浮かべただけだった。
「お前には関係なくとも、私はいつでも、お前の力を欲している。この半年間、何故私がお前を放っておいたか分かるか?」
「……知るかよンなの」
 ジャックが吐き捨てると、男は悠然と告げた。
「猶予を与えてやったのだ。お前は必ず、私の元に戻ってくると分かっていたのでな。そしてお前が戻ってきたから、迎えに上がったのだ」
 モエギが気持ち悪い奴、と毒づくと、すかさず男の刺すような視線が飛んできて、モエギはとっさにサーラにしがみついた。あのような得体の知れない男に、ジャックはどれくらいの間仕えていたのだろうか。
「おい、お前」
 突然アルトがずいと前に出たので、ジャックは慌ててそれを押し留めようとした。
「アルト、お前はいいから――」
「ジャックは俺たちの仲間だ。お前の元には二度と戻らない、分かったか」
 堂々としたアルトの態度に、男はほう……と息をついた。
「貴様、ただの小僧ではないな。何者だ?」
 アルトは男を睨み据え、毅然と告げた。
「アルト。オルテガの息子、アルトだ」
 途端、盗賊たちがざわめき、男の顔が目に分かる程歪んだ。アルトは微動だにせず、男を視線の先に置いている。
 やはり盗賊でも、オルテガの名に反応するものなのだ。それにしては、アルトを何か汚らわしいものでも見るかのように凝視している。
 男はしばし黙った後、口元をフードで覆い、片手をすいと上げた。するとサーラたちを取り囲んでいた輩が瞬く間に男の元へと集まった。男は不敵な笑みを覗かせた。
「ならばそれでもいい。だがお前はいずれ、後悔するだろう――」
 そして男たちは再び、森の中へ姿を消していった。一人残らず去るまで、モエギは舌を出したままだった。サーラも男たちを見送ると、ジャックに視線を戻した。
「ジャック、あいつらはお前を取り戻したがっていたが……それだけなのか?」
 ジャックの横顔は鋭く尖っていた。いつもは決して見せない表情、否――サーラたちが知らなかっただけなのかもしれない。
 ジャックはしばらく森を睨んでいたが、やがて口早に答えた。
「さあな。とにかく、アッサラームへ急ぐぜ」
 そこには、いつもの余裕めいた響きは感じられなかった。



 この世のありとあらゆる物品が集い、膨大な金と情報が動く街――アッサラーム。日の照り返す土の上を人々が行き交う様子に、サーラたちはしばし見入っていた。
「話には聞いていたが、これではロマリア城下町の倍……いや、もっとあるか……」
 どう考えても、規模はアッサラームの方が上だろう。ひしめく建物に、各地からやって来たと思われる様々な風貌をした人々。ジャックだけは至極当然のようにそれを眺めていた。
「お前ら、ボケーっと突っ立ってると田舎モンに思われちまうぜ? そら、歩いた歩いた!」
 ジャックが張り手のようにアルトを押し出す。それでもアルトは物珍しそうに街並や過ぎ行く人々を観察していた。モエギはそんなアルトを見つめ、上機嫌でサーラに話を振った。
「アルト君たら、新しい所に来るたびに目をキラキラさせるんだから。かーわいーよねっ」
「そう言うお前も、目がキラキラしてるぞ」
 皮肉のつもりで言ったのだが、モエギは嬉しそうに頬を緩めた。こんなあからさまな態度を取るくせに、自覚すらしていないのだろうか。
 まあ、自覚した所で色恋にうつつをぬかしていては旅をやっていけないし、仲を取り持つ気もないのだが。
 ふと、親友のくせに冷たいだろうか、とサーラは心の中で自問した。
 広場までやって来ると、ジャックが急に足を別方向に向けた。
「そんじゃ、オレこっから別行動させてもらうわ」
「ええっ? 何でよ」
 モエギが眉を歪めると、ジャックはあっけらかんと告げた。
「なあに、ちょっとしたヤボ用さ。この街は治安があんまり良くねえけど、スリとぼったくりに気を付けりゃあ楽しい所だぜ。ゆっくりしろよ」
「いつ戻ってくるんだ?」
 アルトが怪訝そうに尋ねる。するとジャックは夕方に街はずれの酒場で、と言い残し、人ごみの中に紛れていった。
「まさか、さっきの奴らに会いに行くのではないだろうな……」
 サーラがつぶやくと、アルトは控えめに答えた。
「……そんな訳ないだろ」
 しばしジャックの消えた方を見送ってから、サーラたちは街を見回ることにした。
 あの盗賊たちに会った時、ジャックはきっぱりと奴らを拒絶していた。だが、ジャックの口から盗賊だった頃の話を一度も聞いていない。今サーラたちの旅に同行しているのも、行くあてがないからという理由が少なからずあるだろう。
 ジャックは、一体何がしたいのだろう――それはサーラたちにも分からないし、あるいは当の本人も分からないのかもしれない。
 アルトもジャックのことを気にかけているようだったが、モエギに引っ張られあらゆる店に入り物色しているうちに、普段と変わらない様子に戻っていった。だが大体の店はぼったくりで、しつこい店主にドスをきかせるのは毎回サーラの役目だった。
 それでも数少ない良心的な店で、モエギは気に入った髪飾りを見つけかなりご機嫌だった。そこは女性向けの小物や装飾品を集めた店で、サーラもモエギの買い物が終わるまで何となく品物を眺めていた。
 宝石のあしらわれた髪留めや銀細工の美しい鏡、色とりどりの小箱などが所狭しと並べられている。まだ村で暮らしていた頃のサーラなら、きっと目を輝かせて一つ一つに見入っただろう。
 だが、今は旅の途中で、着飾る前に己の身を守るためのものを、洒落た小物よりも傷を癒す薬を、と常に考えてきた。アリアハンにいた頃も、生活費以外の出費は出来るだけ避けていた。
 随分つまらない女になったものだ、と思ったが、今は女である前に一人の戦士なのだ。むしろ性別の区別など、無い方がかえって心地良い。
 女であるからには、男に負けないようにと常に気を張らねばいけないのだから。
「サーラ、何か気に入ったものでも見つかったか?」
 突然背後から声をかけられ、サーラはぴくりと肩を震わせた。アルトは笑顔で横に並び、繁々と品物を眺めた。
「ずっとここで見てたよな。サーラもこういうのが好きなのか?」
「私は、別に……」
 見ていたのではなく考え事をしていたのだが、アルトが気付くはずもない。困ったようにテーブルへ視線を向けると、ふと目に飛び込んできたものがあった。
 それは銅で出来た、手のひら程のくしだった。小さなルビーとサファイアが散りばめられており、何故か目が離せなくなった。
 アルトはサーラの視線の先を見つめ、ひょいとそのくしを手に取った。
「もしかして、これが欲しいのか?」
「いや、別に欲しいという訳では……」
 アルトは遠慮するなよ、とくしを持って店主の方へ向かっていった。勘定を終え戻ってくると、アルトはサーラにくしを差し出した。
「ほら、サーラ」
 星屑のような赤と青のきらめきが目の前に映る。サーラはそれをおずおずと受け取った。
「このルビーの色、サーラの瞳と同じ色だな」
 アルトはくしとサーラの目を見比べ、屈託なく笑った。その一言で、くしが自分に相応しいもののように思え、サーラは無意識のうちに微笑んだ。
「……ありがとう」
 すると、アルトは一瞬きょとんとしたが、すぐに笑い返した。
「サーラ、何買ったの?」
 買ったばかりの珊瑚の髪飾りを早速つけたモエギに、サーラは誇らしげにくしを見せてやった。