始まりの勝負 6



 翌日、サーラは準備を整え、皆が寝ている部屋をひっそりと後にした。
 仲間の何人かが送別会を開こうといってくれたが、あまり大げさにはしたくなかったので、断っておいた。
 結局、あの後アルトはサーラ以外の冒険者を仲間にすることを明言せず、出直すと言って家に帰っていった。
 そして今日、早朝に酒場の表で待ち合わせる予定なのだが――
 一階に降り立つと、カウンターにはルイーダが立っていた。
「……行くのかい?」
 ルイーダはいつもより少し声音を落としていた。
「……はい」
「珍しいね、あんたがそんな返事するの。……モエギは?」
 モエギは……復唱して、サーラは相棒の顔を思い浮かべた。
 昨日、モエギとはろくに話さず床についてしまった。アルトの旅に同行することを告げたら、良かったねとだけ言ってくれた。
 あの寂しげな笑顔が忘れられない。
「……ルイーダさん、モエギに伝えておいてくれないか」
「……何だい?」
 サーラは、まるでモエギ本人に語りかけるかのように、告げた。
「お前は、私の一番の親友だ……と」
 ルイーダは何も言わず、ただ微笑んでうなずいた。サーラは深くお辞儀をしてから、入口の方へ歩き始めた。
 この旅は、ただの護衛とは違う。アルトに手を貸す訳ではないといったものの、これから先は常に危険と隣り合わせだ。アリアハンよりずっと凶暴な魔物のうろつく所に住んでいたので、その危険性は重々承知している。
 そんな生死をかけるような旅には、モエギを連れて行けない。誰かと縁を結んで、幸せに生きた方がいい。
 サーラは入口の前で立ち止まり、ルイーダを振り返った。
 ルイーダはいつも通り、カウンター越しから明るく送り出してくれるだろう。
 だが、今日は何故か、それがたまらなく切ない。
 彼女は、サーラにとって、ここの全ての冒険者にとって、主人であり、もう一人の母なのだ。
「……お世話になりました」
 絞り出すような声で、サーラは別れの言葉を述べた。そして扉を開けようとする。
「いつでも帰っておいで」
 ルイーダの声がひどく優しく聞こえて、サーラはたまらず外に飛び出し、扉を閉めた。
 天を仰ぎ、瞬くと涙が一筋、頬を伝った。
 サーラは指で涙をぬぐうと、朝もやのかかった町へ足を踏み出した。
 数歩足を進めると、それらしき姿がこちらへ向かってくるのが見えた。
「おはよう」
 アルトはサーラの目の前で立ち止まると、にっこり白い歯を見せた。サーラはぶっきらぼうに「……ああ」とだけ返す。
 アルトは目をぱちくりさせ、サーラの顔をしげしげと眺めた。
「……泣いたのか?」
「な、お前には関係ない!」
 思わずかっとなり怒鳴る。この少年にはデリカシーというものがないのか。
 すると、
「あんた、この酒場が好きだったんだな」
 そう言ってアルトは、酒場の外観を愛おしそうに見つめた。サーラも振り返り、建物のてっぺんから下までを確かめるように愛でた。
 この古びた一軒の酒場が、もう一つの故郷。
「……ああ」
 そっとつぶやいて、踵を返す。
 アルトは屈託のない笑みを浮かべてから、外門へ歩き出した。サーラも少し離れて歩き出す。
「ちょっと待ったぁ!」
 背後から、朝の静寂を打ち破るかのような甲高い声が響き渡り、サーラはとっさに振り向いた。
 萌黄色の胴着を翻し、童顔の小柄な女はずんずんと大股で近付いてくる。そして荷物を地面に叩き付け、仁王立ちになりサーラを見上げた。
 モエギは、完全に怒っていた。
「ちょっと、この大親友モエギ様を置いていくなんて、ちょいとばかしかっこつけすぎなんじゃない? どうせサーラのことだから、あたしを危険な目に合わせたくないとか思ったんでしょ!」
 図星だったので、何も言い返せない。モエギは全てお見通しだとでもいうようにうなずいてから、一気にまくし立てた。
「でもね、危険上等! あたしだってここでくすぶってちゃ、あっという間に歳とってルイーダさんみたいになっちゃうのよ! だから、今のうちに色んな経験しておきたいの!」
 おそらくルイーダは店内で顔をひくつかせていることだろう。が、それよりひっかかることがあった。
「モエギ、お前盗み聞きしていたのか」
 モエギは一瞬ひるむが、すかさず切り返す。
「だって、アルト君が……そ、それはともかく! あたしだって、何年サーラの相棒やってると思ってるの?」
 問い掛けはアルトに対するものだった。アルトは唐突に話の矛先が自分に向けられ、慌てて自らを指差した。
 モエギはほんの一瞬の間にアルトの目の前まで移動し、その胸元に指を突き立てた。
「キミも見る目がないよね。サーラとあたしが何て呼ばれてるか知ってる?」
 モエギの妙な気迫に押され、アルトはふるふると首を横に振った。
「紅のサーラと、疾風のモエギ……って、呼ばれてるのよ」
「それ、酒場の近所の爺さんが勝手に名付けたんじゃないか」
 サーラの突っ込みにモエギが固まる。するとアルトはくしゃっと顔を崩し、思いきり笑い声を上げた。
 これでは遊び人の漫才ではないか。サーラとモエギは顔を見合わせ、互いに苦笑した。
 何が面白かったのか、しばらく笑った後アルトは腹をさすりながら言った。
「分かった。じゃあ……君にも一緒に同行してもらうことにするよ」
 年上扱いされていないモエギはぴくりと眉を動かし、アルトに向き直った。
「あのね、何度も言ってるけどあたしモエギって言うの。そんでもって、キミより三つばかり年上なんだよね」
 腕組みして胸を反らすモエギを前に、アルトはしばし呆然として、やがて「ごめん……」と、気まずそうに顔を掻いた。
「ま、呼び捨てでもいいから、そこんとこヨロシク」
 体は小さいくせに言うことだけは一人前なモエギに、サーラはくすりと笑みをこぼした。
 本当は、モエギについて来て欲しかったのだ。彼女の明るさが必要だったのだ。
 何も言わずとも、彼女の方から追いかけてきてくれたことに、サーラは心の中で感謝した。
「よし、それじゃ行こうか!」
 威勢のいいアルトの声が上がり、モエギが返事をすると共に拳を高く天に突き上げた。
「行こう、サーラ」
 初めて名前を呼ばれ、サーラは驚いてアルトを見た。
 目が合うと、少年は活気に満ち溢れた笑顔を見せる。その表情に、何故か懐かしさを覚えた。
 けれどやはり、昔のことは思い出せないままだ。
「……ああ」
 ぎこちなく微笑み返すと、アルトは満足そうに外門に向かって歩き始めた。
 自分が覚えていなくても、出会った事実はきっと真実だ。
 それでいいのではないだろうか、今は。
 全てはまだ、始まったばかりだ。