始まりの勝負 5



 サーラが階下に降りてきた時、残っていたのはルイーダとモエギだけだった。
「遅かったねえ、サーラ。もうアルトも皆も外で待ってるんだよ?」
 ルイーダが入口のドアを見やる。いつもの賑わいが嘘のように、酒場は静まり返っている。
「サーラ、準備はいい?」
 モエギが控え目に尋ねる。サーラは返事をする代わりにうなずいた。
 ルイーダが店の扉を開き、ベルが変わらない音色で鳴り響く。サーラは正面を睨み据え、大股で踏み出した。鎧が軋む。
 酒場前の広場では、冒険者たちがそこを取り囲むようにしてサーラの登場を待ちわびており、サーラが姿を現すと広場は一気に湧いた。
 広場の中心ではアルトが一人、じっとこちらを見据えてたたずんでいる。サーラは目つきを鋭くし、一歩ずつアルトに近付いていく。
 俺のこと覚えてないのか、とか俺と勝負してくれ、とか、このガキは自分中心に世界が回っているとでも思っているのか。
 そんなうぬぼれた根性は叩き斬ってやろうではないか。
 サーラはアルトの真正面に立つと、腰に下げた鞘から愛用の剣を抜いた。ひゅん、と足元の草が剣圧にあおられ揺れる。アルトも背中から剣を抜く。少年の武器は銅の剣だ。大したことはない。
 ルイーダがサーラとアルトの横までやって来ると、それまで騒いでいた冒険者たちがぴたりと喋るのを止めた。
「いいかい、勝敗はあたしが決めるよ。そして二人とも、どんな結果が出たとしても、約束は守るんだよ。それが勝負ってもんさ」
 まるで幼い姉弟を諭すような口調だ。だが、サーラはそれを素直に受け入れた。
 負けるなんて、ありえない。
 ルイーダは三歩ほど後ずさって、右手を高く振り上げた。
「始め!」
 声が発せられると同時に、サーラは容赦なくアルトに斬りかかった。それをアルトはひらりとかわし、間合いを取ろうと後方に跳躍する。
 周囲の声援がどちらに向けられているかなど、どうでもいい。ただ負けたくない。その一心で幾度も剣を繰り出す。だんだん間合いが取れなくなってきたのか、アルトはサーラの剣を己の剣で受けとめる。刃が交わり、響き合う。
「サーラが押してるぞ!」
 歓声とどよめきが交互に上がる。サーラは刃の向こうの少年に不敵な笑みを浮かべた。
 だが、アルトは表情一つ崩さず、黙って剣を受けとめている。
 まるで、サーラ自身をも受けとめるかのように。
 アルトの屈しない様子にサーラは舌打ちし、一旦飛び退いて間合いを取った。互いに出方を伺う。
 緊迫した空気が、鼓動を早める。自分を取り巻く、すべての音が消え失せる。
 すると、アルトがほんの少し、気を緩めたのが見えた。サーラはそれを見逃さなかった。
 全速力で駆け出す。これで終わりだ。
 アルトの目の前まで来て剣を振り上げる。周囲の悲鳴が上がる。
 すると、それまで全く無防備だったアルトが、突然目にもとまらぬ速さでサーラの剣を薙ぎ払った。細身の剣がくるくると弧を描き宙に舞う。
 勢い余ってサーラは地面に崩れ、その首の横には銅の剣が突きつけられた。
 アルトはゆっくり息をついて、サーラの頭上から告げる。
「……俺の勝ちだ」
 それとほぼ同時に、ルイーダが冒険者たちに勝敗を伝え、広場の熱気は最高潮に達した。
 アルトを誉め称える声、サーラが勝っていれば自分が仲間になれたのにという声。騒ぎを聞き付け、一般の町民までもがやって来るのが見えた。
 アルトが剣をしまうと、サーラは地面に座り込んだままうなだれた。
 負けた。男に負けた。
 もう、二度と男には負けないと誓ったのに。
「サーラ!」
 声が聞こえたかと思うと、モエギがサーラのすぐそばにひざまずき、顔を覗き込んでいた。
「……サーラを頼む」
 アルトの静かな声が耳をかすめ、その姿は視界から消えた。草地を踏む音が遠ざかっていく。
「……くそ……っ」
 目をぎゅっと閉じ、歯をくいしばる。そして拳を地面に一発、叩きつける。
 あまりにもあっけない勝負のつき方。相手の幼さ。悔しがる要素はいくらでもあったが、一番腹が立つのは自分だ。
 アルトは隙を見せたのではない。最初から、サーラが懐に入ってくるのを狙いカウンターを仕掛けたのだ。それが見極められなかった。
「……サーラ。あの子は、サーラが思っているような子じゃないよ」
 モエギが差し出した手を取り、立ち上がる。背後を振り返ると、アルトがルイーダと何かを喋っているのが遠目に見えた。
 本当は、心のどこかで知っている。分かっているのだ。
 あの少年は、あいつとは違うことを。
 皆が酒場の中に戻っていく中、サーラはアルトの元へ歩いていった。
「サーラ、あんたの都合もあるだろうから、アルトが話をさせてくれってさ」
 ルイーダがアルトの背中を叩き、前に突き出す。
「それじゃ、あたしも中に戻るね。さ、ルイーダさん行こう」
 モエギとルイーダは微笑み合うと、仲良く酒場の方へ歩いていった。
 それを見送ると、アルトはサーラの方に向き直った。昨日会った時の、十六歳の少年らしい顔つきだった。
 サーラが黙っていると、アルトはぽつりと言った。
「……あんたさ、男に裏切られたことがあったんだってな」
 思いがけない言葉に、サーラは目を見開いた。心臓が動揺で波打つ。
「きさま、何故それを」
「あんたの親友に聞いた」
 アルトはあっさりと答えた。モエギの奴め、あいつは口は軽くもないが重くもない。
 サーラが酒場の方へ向かおうとすると、アルトに腕を掴まれた。
「離せ!」
 振り払い、歩き出すと、
「逃げるなよ」
 凛としたアルトの声が、まるで呪文のようにサーラの足を止めた。
 振り向くと、アルトはこちらに歩み寄り、サーラを見上げた。
「あんたを待っている間に、俺が聞いたんだ。だけど、聞いたのはそれだけだ。あとは、あんたの口から聞きたい」
 アルトの真剣な眼差しが、心を締め付ける。過去の傷がうずく。忘れようと思っても忘れられない、あの顔が脳裏をよぎる。
 つぎはぎだらけの心が、また傷口を開く。
 サーラは頭痛を覚え、顔をしかめた。
「……大丈夫か?」
 うっすら目を開けると、アルトの神妙な表情がうかがえた。サーラは額を手のひらで押さえ、首をひねった。
「とにかく、座ろう。な?」
 かたくなに拒んだが、アルトは構わずサーラの手を引っ張り、酒場へ入っていった。
 アルトが事情を話すと、ルイーダはサーラたちを二階の客室に通してくれた。また詮索好きの男共が騒ぎ立てるのだろうが、それより頭痛がひどい。
 客室は小綺麗に整えられており、長方形のテーブルと座り心地の良さそうな布張りの椅子が備えてあった。
 サーラは腰を下ろすと、額を押さえたままテーブルに突っ伏した。アルトも隣の椅子に座る。
 この頭痛は一種の持病みたいなもので、精神的に多大な不安がかかると引き起こされるのだ。普通は倦怠感や腹痛を伴うものだが、サーラの場合はこれだった。
 ここしばらくはなかったはずなのだが――サーラは突き刺すような痛みに顔を歪めた。
 すると、頭にしっとりした手のひらがそっと乗せられた。
「きさま、何を……!」
「じっとして」
 手をどけようと顔を上げたが、アルトはサーラの頭に手を置いたまま、瞳を閉じ静かに何かをつぶやいた。
 呪文の詠唱だ。
 アルトが口を結び、目を開けると、頭に置かれた手から心地よいものが流れてきた。それは頭痛だけでなく、サーラの心までをもときほぐす。
 なんと優しい波動なのだろう。サーラはぼんやりとアルトの顔を見つめながら、心が穏やかになっていくのを感じていた。
 この手は、全てを自分の思い通りにしようとしていた、あいつの手とは違う。
 違うのだ、きっと。
 波動が止むと、アルトは手を離し、口を開いた。
「……あんたがつらいのなら、今は何も聞かない。だけど、一緒に旅をしたい気持ちは変わらない」
 サーラは何も言わず、アルトの言葉を待つ。少年は力強い瞳で続けた。
「昔あんたが俺を助けてくれた。だから、今度は俺があんたを助けたい」
 サーラは目を見開いた。
「あんたはここでくすぶっていたら、一生そんな顔をしたままだ。だから、一緒に旅をしよう。つらいこともあるかもしれないけど、色んなものを見て、色んな人に会ってさ。そしたら、きっと心の底から笑えるようになるからさ!」
 顔いっぱいに広がる、あどけなさの残った笑顔。今までの自分なら、ただ苛立ちを覚えるだけだった。
 だが、今はその笑顔に癒される。サーラはほんの少しだけ、胸に熱いものが込み上げるのを感じた。
 傷はまだ痛むけれど、その分優しさが身に染み入る。
 サーラは手を差し出し、笑顔を作ろうとしたが、少し考えて口角を下げた。
「いいか、お前に手を貸す訳じゃない。この土地にも丁度飽き飽きしていたのだ。それを忘れるな」
 それでもアルトは目を細めたままで、強く手を握り返してきた。握手など、求めたのもしたのも初めてかもしれない。少年の手のぬくもりを感じ、サーラはわずかに微笑んだ。
 この少年なら、少しくらいは――信じたい。