始まりの勝負 2



 酒場の二階には冒険者たち専用の共同部屋があり、サーラはそこで夕方まで仮眠をとってから、食材の買い出しに出かけた。共同部屋で寝泊まりしている者は食事作りや掃除洗濯、雑用もまかされているのだ。
 アリアハンの城下町は見事な茜色に染まっており、哀愁すら感じられる。春になり日没までの時間も少しは長くなったが、まだ肌寒い。サーラは淡い桃色のセーターを着た自分の身体を抱きすくめた。
 行き付けの店は酒場を出て五分も歩けばたどり着く。足りない食材を買うだけなので、さっさと済まそうとサーラは歩みを進めた。
 すると、反対側の住宅街から、一人の少年が藤のかごを提げながら歩いてくるのがふと目についた。
 他の人間と大して変わり映えのない普段着に、茶色がかった硬そうな黒髪。見た感じはまだあどけないが、遠目に見てもどこか凛とした面構えをしている。
 少年はサーラが角を曲がると同時に、鏡のようにぴったりと同じタイミングで曲がった。そのまま並んで大通りを歩く。
 アリアハンにやって来てから何年か経つが、おそらく初めて見かける少年だった。サーラより若干背が低いが、体つきは顔に似合わずたくましい。真っ直ぐ正面を向いて、軽快に歩む姿はそこいらの若者とは明らかに異なる雰囲気を漂わせていた。
 ふと少年がこちらに視線を向けたので、サーラは慌てて目をそらした。焦茶色の瞳も思いのほか澄んでいて、妙にどぎまぎしてしまう自分に苛立ちを覚えた。
 すると――
「あんた、酒場の人だろ?」
 声変わりしきっていない、いや元々声が高いのか、いかにも少年らしい人なつっこい声音だった。それが逆に苛立ちを増長させる。
 サーラは立ち止まり、少年を軽く睨みつけた。
「……気安く話しかけるな」
 言い寄ってくる男共も、サーラが一睨みきかせるとすぐに退散していくのだが、少年はひるまなかった。
「な、冒険者なんだろ? 酒場にいる人たちって、どのくらい強いんだ?」
 少年に下心がないことは分かっていた。だが、年頃の少年と話すのは正直苦手なので、出来るだけ避けたい。サーラは無視して進んだ。冒険者になりたいのであれば、勝手になればいい。
「何だよ、返事ぐらいしろよ!」
 思わずカチンときたサーラは、再び足を止め少年と向き合った。
「初対面のくせに馴れ馴れしい奴だな。いいか、あの酒場は――」
「初対面……?」
 サーラの言葉を遮って、少年はひどく驚いた様子でつぶやいた。言い直そうとすると、その声は少年の叫びによってかき消された。
「覚えてないのか……? 俺のこと、覚えてないのかよ!」
 少年の瞳は怒りと悲しみがにじみ、ゆらめいている。サーラは訝しげに少年を見つめた。
 以前、会ったことなどあっただろうか?
「……悪いが、私は覚えていない」
 さすがに申し訳ないと思い、サーラは口調を少しゆるめた。少年の眉間に寄せられたしわがゆっくり消え、代わりに落胆の色が浮かぶ。裏表のない、素直な表情が幼さを感じさせた。
「こっちは、忘れたことなんかないっていうのに……」
 悔しそうに歯噛みする少年を前に、サーラは記憶の糸を懸命にたぐりよせようとした。そんな表情をされては、無視はできない。
 アリアハンにやって来たのは四年ほど前だ。丁度、この少年と同じ歳ぐらいの頃だろう。それから今までの間に会っていたのならば、思い出すことはそう難しいことでもないはずだ。
 うつむいたままちらりと視線を動かすと、少年がじっとこちらを見つめている。あまりにも真っ直ぐで、曇りのない瞳に、心が見透かされそうな感覚に襲われた。
 急に落ち着かなくなり、サーラは店の方へ歩き出した。少年も並んでついてくる。店の手前まで来ても、そばを離れようとしない。
「私が思い出すまで、ついて来る気か?」
「いや、俺もこの店に用があるから」
 おつかいという訳か。サーラは思わず苦笑した。
 店に入ってからは離れて行動したが、サーラはその間も少年のことについて考えていた。赤の他人なら何を言われても構ったりしないのだが、少年の方も人違いをしているわけではないだろう。
 サーラは目的の品物を取るため身をかがめ、頬にかかった髪を耳にかけた。
 この少々突飛な色をした髪こそが、自分の何よりの特徴なのだから。
 先に会計を済ませた少年は隣にやって来て、同じように身をかがめサーラの顔を覗き込んだ。
「思い出したか?」
 先程よりは元気を取り戻したようで、声の調子も明るくなっていた。だがサーラからすればノーヒントで問題を出されているようなものなので、また苛立ってきた。
「……このままで思い出せるわけがないだろう」
「そうか。……なら、今日はいいや」
 少年は店の出入り口まで歩いていくと、こちらを振り返った。
「じゃ、明日会いに行く。絶対待っててくれよな!」
 屈託のない笑みを残し、少年は食材をたっぷり詰めた藤のかごを手に店を出ていった。
 酒場まで来るというのか。サーラは気が重くなったが、ふと大事なことに気付いた。
「……名前、聞いておくべきだったか」



「えーっ! 何、新手のナンパ?」
「モエギ、お前そういう発想しか出来ないのか」
 酒場二階の女部屋では、既に一日の仕事を終えた冒険者たちが肌の手入れや雑談をしていた。いくら冒険者とはいえ、この時間ばかりは皆普通の女性に戻る。
 サーラは自分のベッドに腰かけ、モエギに夕方の少年のことを話していた。
「でも、その子絶対サーラに気があると思うよ。女の勘」
 モエギが熱を入れて断言する。この女は人の色恋沙汰が主食なのだ。だがただの野次馬根性で好んでいる訳ではなく、時にはキューピット役を買って出たりするので、まだ許せるだろう。
 サーラは腕組みをして、眉根を寄せた。
「だから、ガキは興味ない」
「ていうか、サーラは男自体嫌いなんでしょ。そんなんじゃ、一生結婚出来ないよ」
 結婚願望の強いモエギは、半ば呆れたようにため息をついた。
 嫌い、とまではいかない。
 ただ、信じられないのだ。
 そう言おうとしたが、モエギには以前にも言ったことがあるので、何も言い返さなかった。
「にしても、その子は覚えてるのに、サーラが思い出せないっていうのはどういうこと? やっぱ愛の差?」
「だから、何故そう愛にこだわる」
 うんざりした口調で指摘すると、モエギは胸の前で両手を組み、黒曜石のような瞳を輝かせ、夢見る乙女のようなポーズで主張した。
「いい? サーラ、この世で一番大切なものはお金でも地位でもなく、愛なの! 相手を想う気持はどんな力より勝るのよ!」
「モエギ、また乙女モード入っちゃってるよ」
 他の冒険者仲間がくすくすと笑う。サーラとしては乙女というより、説法モードと呼びたいところだが、これが意外とウケが良いのだ。おそらく、モエギの人柄だろう。
 だが、その主張にサーラは同意出来なかった。内心ため息をついて、話を戻す。
「とにかく、私も思い出せないとすっきりしないのだ。相手が忘れられないシチュエーションというのは、どんなものだと思う?」
 モエギは普通の状態に戻ると、そうだなあ……と口元に指を当てた。
「あるとしたら、命を救われたとか……。そういうのって忘れられないでしょ?」
 サーラは確かに、とうなずいた。だが、これでも護衛の依頼で何人もの命を守ってきたようなものだから、いちいち覚えていられない。
「それか、よっぽど傷つけられたか……でも、話を聞いた限りではそれはないみたいだね」
「……おそらくな」
 モエギはあくびをすると、もう寝るわと自分のベッドに潜り込んでしまった。サーラは短く息をつき、床を見つめた。
 人を傷つけた覚えが全くないとは言い切れないが、あの少年のことはいずれにしても思い出せなかった。
 それに、忘れられない傷をいつまでも引きずっているのは、自分の方だ。