始まりの勝負 1



 もし、あの少年に出会わなければ、
 彼女はきっと、あらゆる思いを知らずに済んだだろう。



 太陽の柔らかな陽射しが窓から射し込み、規則正しい間隔で光のスクエアを板目状の床に映し出す。
 所狭しと並べられたテーブルはどれも賑わっており、あるテーブルではローブやマントに身を包んだ男女がポーカーを繰り広げ、あるテーブルでは屈強な体つきをした男たちが酒を飲み交わしている。またあるテーブルでは、軽装の若い男が厚化粧のバニーを口説いていた。
 かつて、世界すべての大陸を治めていたと謳われる、アリアハン――の城下町で、今も昔も活気を失わないのは、ここルイーダの酒場だけであった。
 世界各地から旅人や冒険者がこの酒場を訪れ、名簿に名を連ねた者の数はもはや店主も把握しきれない程存在する。
 だが、アリアハンは数年前からほぼ鎖国状態となり、外の国からやってくる者はほとんどいなくなった。そのため名簿の登録者数は減少する一方で、現在は地元の人間が過半数を占める。鎖国以前に外国からやって来た冒険者たちは自然、少数派となった。
 そして彼女もまた、はるばる海を越えアリアハンにやって来た冒険者の一人であった。



 カラコロカラン……、と古ぼけたベルの音が鳴り、酒場のざわめきに吸い込まれる。今日も昼間から飲んだり遊んだりのおめでたいこの場所に、軽く脱力感を覚える。
 「サーラ、さっさとルイーダさんに報告して休もう」
 背後で、萌黄色の胴着に身を包んだ女が促す。豊かな黒髪を左右二つに高く結んだ、つぶらな瞳の相棒。
 サーラは気だるげな息をつき、うなずいた。
「……ああ」
 床を軋ませながら、サーラはテーブルの間を縫うように奥へと進んだ。身に付けた鎧の重量に、ここの床が耐えられるのはあと何年だろうか。
「よっ! サーラじゃないか。婆さんの送り迎えご苦労さん。一杯どうだ?」
「暇人は暇人同士で飲んでろ」
 声をかけてきた顔見知りの商人を軽くあしらい、通り過ぎる。
「モエギちゃん、今度サーラと一緒に飲まんかい?」
「残念、あたしお酒飲めないのよ」
 背後で相棒のモエギがやんわりと断るが、本当はモエギの方が自分より酒豪であることをサーラは知っていた。
 そして、通り過ぎたテーブルから、それまでわいわい騒いでいた男たちの視線が自分に寄せられているのも知っていた。
 それもそうだ。紅に彩られた鎧は軽量化を図っているため、身体のラインがくっきりと出、黒のボディスーツがそれをより引き立てる。さらには近寄るだけで香り立ちそうな淡いラベンダーの巻き毛、目鼻立ちのはっきりした顔立ちは、この酒場に限らず町を歩くだけでも他の目を引く。
 だが、その視線はサーラにとって煩わしいものであった。
 特に、男のものは。
 それをすり抜け、サーラは店の奥のカウンターに立ち店主を呼ぶ。間もなくして、奥の部屋から洒落たドレスを纏った女性が顔を見せた。
「ただいま帰りました」
 サーラは翼の装飾が施された兜をはずし、軽く会釈した。
「おかえり。どうだった?」
 にっこりと笑顔で出迎えたのは、この酒場を女手ひとつで切り盛りする女店主――ルイーダ。もう三十路はとっくの間に迎えているのだが、年齢不詳の美貌と肝っ玉な性格で冒険者から慕われている。
 サーラは木製のスツールにモエギと並んで腰掛け、シードルを二人分注文すると今回の依頼の報告を始めた。
 魔物が日ごとに脅威を増すこの世界で、アリアハンは最も安全な土地とされている。だが、一般の民にとってはスライムのような雑魚でさえ、集団で襲われると大事になりかねない。そこで、ルイーダは民から一定額の報酬を受け取る代わりに、冒険者を護衛として遣わす制度を設けたのだ。
 サーラたちは今回息子夫婦に会いに行くという老婆の依頼を受け、レーベまで一往復、およそ二週間の護衛に出向いていたのだった。
 報告を聞き終えたルイーダは満足そうにうなずき、二人に注文の品と手のひら大の革袋を差し出した。
「ご苦労さん。それじゃあ報酬と、いつもよくやってくれてるからこれもアタシのおごりで」
「やった! ルイーダさん大好きっ!」
 モエギが両手を組んで甘えたポーズをとる。サーラは革袋の中身を確かめた。まあ、妥当な所だろう。
「それがさ、実はアタシ最近うきうきしちゃって」ルイーダがモエギの真似をして身をよじらせた。
「ルイーダさんにもついに春が来たのか?」
 皮肉混じりに言ってやる。いつもならおごりを取り消されそうになるくらい怒るのだが、今日は何故かそれもなかった。
 ルイーダはんふふ、と奇妙な笑いを浮かべて、サーラたちにそっと耳打ちした。
「明日、オルテガさんとこの息子がここを旅立つのよ」
「ええっ!?」
 モエギの声はよく通るので、一瞬冒険者たちの注目が集中したが、皆また何事もなかったかのように騒ぎ始めた。
 口にこそ出さなかったものの、サーラも内心ひどく驚いていた。
 アリアハンの英雄――オルテガといえば、アリアハンでその名を知らない者はいない。勇猛で人望も厚く、誰しもが彼を真の英雄だと褒め称える。だがオルテガは既にこの世になく、火山で行方知れずになったという。
 息子がいることは知っていたが、それだけで特に気に留めたりもしていなかった。
「……何のために?」
 ある程度予想はついたが、サーラは一応尋ねてみた。するとルイーダは人指し指を立て、小声で言った。
「そりゃあもちろん、にっくき魔王バラモスを倒すためでしょ」
 やはりな、とサーラは内心うなずいた。
 魔王バラモス。噂には聞いたことがある。奴こそが、オルテガが討とうとしていた相手であることも知っている。オルテガの息子とやらは、健気にも亡き父の後を継ぐということか。この比較的平和なアリアハンから旅立とうとする輩がよくいたものだと、サーラはわずかに感心した。
「ねえねえ、その子何歳なの?」
 モエギは童顔だが、歳はサーラの一つ下で、今年十九になったばかりだ。ルイーダがまるで自分の息子のことのように答える。
「知りたい? ええとね、明日誕生日だっていうから……明日で十六、成人よ」
「いやーっ、会いたい〜!!」
 カウンターテーブルを叩き割りそうな勢いでモエギが悶える。だが、サーラはその年齢を聞いて逆に興冷めした。
 十六。まだガキではないか。
 店を壊されまいと慌ててモエギを落ち着かせるルイーダを尻目に、サーラはシードルを飲み干した。
 英雄オルテガの息子だからといって、まともかは分からない。偉大な親を盾にいきがっているただの小僧かもしれない。
「……せいぜい、オルテガ様の二の舞を演じないことだな」
 サーラのつぶやきは酒場の喧騒に紛れて消えた。夢も希望もない自分への自己嫌悪だけが残る。
 だが、たかが十六そこらのガキに、何が出来るというのだ。