番外編 銀色の日々 7



 その数日後、リズは朝刊を見て目を疑った。
『デスミラージュは魔物が扮した邪悪な集団』『世紀の盗賊団 正義の刃に破れたり』などという、いかにも三流紙らしい見出しが貼り付いている。
 寝ぼけていた頭が一気に冴え渡り、リズは新聞を一言一句逃さず読み耽った。
 デスミラージュは魔物が化けており、そのため近年の犯罪集団へと成り果てた。それを見破ったのは――
 紙面にはいくつかの顔写真が並んでおり、それはジャックと、昨日の旅人たちだった。リズは思わず新聞を握りしめた。
 さらに読んでいったが、幸い、ジャックがデスミラージュの一員であったことは書かれていなかった。
 ジャックはきっと、この事実を知って盗賊団を抜け、用心棒と思われるあの旅人たちを連れてアッサラームへ帰ってきたのだ。だから、あの日はリズに構っている暇はなく、ぴりぴりしていたのだ。
 魔物の集団である、デスミラージュをせん滅するために。
 あの旅人たちがそれ程の強者には最初思えなかったが、あの中にいた少年はどうやら英雄の息子らしい。それならば多少は納得がいく。
 ジャックが言っていた「後で」、というのは、この件を片付けたらということなのだろう。そう思うと、急に安堵した。
 ならば、今度こそジャックはまともな職に就いて、平穏に暮らす――そうすれば、またリズと一緒にいてくれる。人目をはばからず会うことも出来る。もちろんバートの目を気にせず店に来てもらうことも出来る。
 それが叶うならば、空白の半年間のことは責めないようにしよう。リズは小躍りしながら、バートに新聞を見せに行った。



 さらに数日後、リズが開店に向けて準備をしていると、入口のベルが鳴った。日が長くなり、まぶしい昼下がりのことだった。
 姿を見せたのは、待ちわびていた青年だった。きょろきょろと店内を見回し、青年は口を開いた。
「リズ、時間空いてるか?」
 リズはうなずき、カウンターに座るように言った。ジャックはどこか落ち着かない様子で背もたれのない椅子に座った。
 ジャックが好きだったグレープフルーツのジュースを差し出し、リズはそっと微笑んだ。
「……色々と、大変だったんだね」
 ねぎらいの言葉をかけると、ジャックは氷の浮かぶグラスに口をつけ、喉を鳴らした。
 グラスをコースターに置くと、ジャックはおごそかに切り出した。
「……お前、知ってるのか?」
「新聞で読んだ。あんたの顔写真も載ってたわよ」
「そうかよ。まいったねこりゃ」
 ジャックは頭を掻き、グラスに手を伸ばしたが、飲もうとはしなかった。
「……まあな。まさか、そっくり魔物になってたとは思わなかったわ。今日アジトの方へ行ってよ、墓参りしてきた」
「……そう」
 いつから魔物になっていたのか、それとも最初から魔物と共に活動していたのか、聞きたいことは色々あったが、触れないことにした。ジャックにとっては生々しい傷だ。そして、不用意に触れられるほど、簡単に治る傷ではないだろう。
「ごめんな」
「……何が?」
 ジャックはきょとんとして、リズを見つめた。
「お前、怒ってねえのか? オレが黙って行方をくらませたこと」
 リズは肩をすくめ、微笑んでみせた。
「そりゃ、もちろん怒ったわよ。そして悲しかった。だけど、あんたにも事情があったんでしょ」
 ジャックは一口だけグラスの中身を口に含むと、長い瞬きをひとつした。アップルグリーンの瞳は静かな哀愁を帯びていた。
「……お前に何も言わなかったのは、あいつらにお前の存在を知られないようにするためだった」
 ジャックは妹たちがつけ狙われていたことを話し、妹たちにはそれぞれ身を守る術があったが、リズにはなかったことを話した。
「ま、そのせいでオレは散々モテない奴って言われたんだけどな」
 苦笑するジャックに、リズも笑ってみせた。
「盗賊団はあんなことになっちゃったけど、これでアッサラームも少しは平和になるし、ジャックもまともな生活が出来るわよ。そうしたら、また前みたいに――」
「リズ」
 唐突に遮られ、リズは眉をひそめた。ジャックはさっきまでとはうって変わって、至極真面目な表情をしていた。
「……オレ、お前に言わなきゃなんねえことがある」
 息が詰まりそうになり、リズは笑い飛ばした。
「何よ、改まっちゃって! それで何?」
 きっとこれからのことだろうと思っていた。ジャックと共に歩む、明るい明日。誰にも何にも邪魔されることのない、自由な未来。
「オレ、お前のそばにはもういられねえ」
 どくん、と心臓が動いた。
 まるで、世界から切断されたように、リズの心は真っ暗な闇で覆われた。
「……え?」
 ジャックはグラスを飲み干し、ゆっくりと語り始めた。
「……オレもつい最近知ったんだけどよ。オレのお袋はな、東の国にあるダーマ神殿の、大神官の娘だったんだってよ」
 ジャックの母親が厳しい生活に嫌気が差し家出したこと、そのまま夫マルクスと出会い、ジャックたちを儲けたこと、母親が生きていた時はジャックが髪を黒く染めていたこと、そして何故銀髪なのかということを、ジャックは教えてくれた。
「銀の……賢者」
 リズがつぶやくと、ジャックはわずかにうなずいた。
「オレも未だに信じられねえけどよ。嘘じゃねえんだ」
 一介の盗賊でしかなかったジャックの秘密に、リズはただ茫然としていた。
 賢者だなんて、街の神父ですら高名な人物に思っているリズにとっては、天上の人物のように思える。しかもその中でも最も尊い血を、ジャックは持っているのだ。
 さらにジャックは続けた。
「それで、昔オレがオルテガさんに助けられたのは知ってるだろ?」
 オルテガといえば、世界中でその名を知らない者はいないという英雄中の英雄だ。リズがうなずくと、ジャックは先日店に来ていたあの少年が、オルテガの息子だということを教えてくれた。
「じゃあ、他の二人は……」
「アルトの仲間。もしかして、どっちかとオレがデキてると思った?」
 リズは否定したが、内心安堵した。
「でもな、あいつらは、アッサラームから逃げて来て、その日暮らしをして食いつないでいた胡散臭いオレを、仲間と思ってくれるようになった。オレはそれが新鮮で、柄にもなく嬉しかったんだわ」
「仲間? でも、あの人たちはただの用心棒じゃ……」
 すると、ジャックは笑みを消した。
「違う。あいつらは、魔王を倒すんだよ。そのために旅をしているんだ」
 魔王。漠然と噂で聞いただけのおぼろげな存在が、実際にいて、それを本当に倒そうとしているというのか。リズは思わず苦笑した。
「そんな、まさか……」
「本当だよ」
 リズの顔は凍りついた。冗談めかして、嘘だって言ってくれれば良かったのに。
「オレは、まずダーマに行って、お袋の親父に会ってみる。それで、本当に賢者になれたら、オレはずっとアルトについて行く」
 ジャックの表情は見れば見るほど本気で、リズの胸に不安が込み上げてきた。
「……そんな、どうして?」
 リズはどうして、と繰り返した。
「どうして? そんな、賢者になんかならなくたっていいじゃない! 普通に働いて、食べて、寝て……それでいつか、家を買えばいいじゃない!」
「リズ、オレぁさ」
 ジャックは立ち上がった。昔に比べて、随分しっかりした身体の線を感じられた。
「あいつらの力になることで、今までの罪を償うって、親父たちと約束したんだよ。だから、もうお前とは一緒にいられねえ」
「なら、待つわよ! あんたが帰ってくるまで、ずっと……そしたら、また一緒に……」
「いや、やめとけ。オレたちもう、ガキじゃねーんだ。いつまでも一緒にはいられねーんだよ」
 リズはカウンターから出て、ジャックの腕をとった。
「あたし、今まで言ったことなかったけど、ジャックのこと……」
 ジャックはそれを遮るように、ぽんとリズの頭に手を乗せた。
「……安心しろ。オレもお前のこと、本当に可愛いと思ってたぜ。手当てしてもらう時なんか、内心ずっとドキドキしてたんだぜ?」
 ジャックの手のひらが頭から離れた。そのまま入口へ向かおうとする背中に、リズは夢中ですがりついていた。
「行かないで! ……もう、あたしを置いていかないで……」
 嗚咽が込み上げ、リズはそのままジャックの背中に突っ伏して涙を流した。ジャックは黙って立ち尽くしていた。
 男にすがりつくなんて、昔の自分なら最高にらしくないと思っていた。だが今は、こうでもしないとジャックを繋ぎ止められる自信が、ない。
 ジャックはそっとリズから離れると、にかっと笑った。昔のような、いたずらっぽい笑顔で。
「お前なら、もっといい男見つけられるだろ? 大丈夫、お前はこのオレが惚れた女なんだからよ」
 親指を立て、ジャックは自分の胸を叩いた。リズは濡れたままの頬をぬぐおうともせず、ぼうっとそれを見つめた。
「……ほんとに?」
「この期に及んで嘘を言うかよ。最後ぐらい信じろ、オレを」
 それを聞いて、安堵するよりも最後という事実は変わらないのか、と思った。
 どうあがいたってもう変わらない。ならば、最後は一番いい自分を、ジャックの記憶の中に残しておきたい。
 リズは顔をぬぐうと、自分が出来る最高の笑顔を見せた。
 ジャックはドアノブに手をかけ、薄く微笑んだ。
「……じゃあな」
 ゆっくりと扉が閉まり、ジャックの姿は完全に見えなくなった。視界がまた、歪んでいく。
 ふざけてばかりのくせに、時折見せる大人びた表情や、いつも冗談ばかり言うのに、囁くと甘い響きを持つ声。リズを抱くしなやかな腕。夢を語った時の子供のような瞳――ジャックの放った表情や言葉の一つひとつが、無数の星たちのように、リズの心で輝き始める。
 目を閉じても鮮やかに蘇る、銀色の日々が、リズの喉を震わせた。
「好き……」
 床に座り込むと、ぽたぽたと、瞳からこぼれた雫がエプロンを熱く濡らした。
 恥ずかしくて一度も言えなかった。だけどもう、追いかけて告げる勇気もない。
 ジャックはもう、リズのものではないのだから。
 リズは伝えられなかった二文字の言葉を、何度も、何度も唱え続けていた。