番外編 銀色の日々 6



 ジャックが姿を消してから半年が経った。デスミラージュの活動は毎日のように囁かれ、夜に出歩くのが危険だとされるようになり、客足も遠のいた。
 リズも、ジャックのことを考えるのに疲れ、最近は何も考えず仕事をこなしていた。
 今となっては、二人で築いた仲も、ジャックが与えてくれたぬくもりも幻のように思えたが、時折それを思い出してはリズは自分を慰めた。
 その日も、いつものようにテーブルを拭き、酒や食材を揃えて、入口の札をオープンにする頃だった。
 外に出ると、初夏の涼しい風が感じられた。夏場は忙しくなりそうだ。両手をうんと伸ばし、リズが店に戻ろうとした時だった。
「……リズ」
 ひどく聞き慣れた声がした。忘れようと思っても忘れられない、声。
 おそるおそる振り返ると、そこには銀髪の青年の姿があった。
「よお、久し振りだな」
 大して悪びれた様子もなく、ジャックはひょいと片手を挙げた。リズは全身をわなわなと震わせ、ジャックに一歩だけ歩み寄った。
「……あんた、どの面下げて帰ってきたつもり? 一言も残さないで、誰にも何も言わないで……!」
 ジャックは答えない。ふと、その頬が腫れているのに気が付いた。昔の習性だ、どこかしら外傷があると気にかけてしまう。
「……その頬、どうしたの」
「コレか? ローズにやられた。二度と姿見せんなってよ」
 へっ、とジャックは吐き捨てるように笑う。何だか、自分の知っていたジャックとは違うような気がした。
「もう開店だろ? 早速中ジョッキくれよ」
 そう言うなり、ジャックは店に入り「おやっさん、ご無沙汰してます」などと会話を始めた。
 今まで半年も行方をくらましていて、いきなり帰ってきた途端酒をせがむ。ジャックの行動に無性に腹が立った。
 リズは店の中に入ると、怒号を上げた。
「ふざけないでよ! こっちがこの半年、どれだけ心配してたと思ってるの!?」
「まあまあ、帰ってきたんだしいいじゃねーか。おやっさん、中ジョッキ!」
 バートも面食らった顔をしたが、やがて黙々と酒をジョッキに注ぎ始めた。リズはなみなみと注がれたジョッキを手にし、乱暴にテーブルに叩きつけた。
「今までどこへ行って、何をしてたの? どうして戻ってきたの? 答えなさいよ!」
「まあ待てよ。後でたっぷり教えてやるよ」
 ぞんざいな口調だったが、問い質す前に他の客がやって来て、リズは口ごもった。
「……必ずよ、いい?」
 それからは他の客の応対をしたり、ジャックの追加注文を運んだりして時間が過ぎていった。ジャックは水のようにジョッキをあおっていた。
 しばらくして、店を訪れた客にリズは目をひかれた。
 近年は宣伝活動を積極的に行っているので、よそからの行商人や旅人も出入りするようになった。今入ってきた者たちも旅人のようだが、いつも来る客よりはるかに若かった。
 茶色がかった黒髪を逆立てた少年と、漆黒の髪を二つに結った小柄な女、そして女の目から見ても相当の美人だと分かる、紫の巻き毛の女。彼らはつかつかと奥のテーブルへと向かった。ジャックの方を目指しているようだ。
「ジャック、話がある」
 少年が呼びかけ、リズは耳をそばだてた。この旅人たちはジャックの知り合いなのだろうか。何か話し合っている。酒に強いはずのジャックは相当酔っ払っているようだ。
 彼らがテーブルについたのを見計らって、リズは水を用意し、平静を装って話しかけた。
「あら、ジャックのお連れさん? だったらどうにかしてくれない、こいつもう六杯目なのよ。若いくせにダメオヤジみたい」
 これ見よがしにジャックを見たが、本人は虚ろな瞳で旅人たちに視線を向けた。
「なーに、こんなの水みたいなモンよ。で、話って何?」
 リズはカウンターに戻ってからも、ジャックと旅人たちの会話に耳を傾けていた。
 すると、突然ジャックがジョッキをテーブルに叩きつけ、客の注目が集まった。だがこの店では珍しいことではないので、皆また元通り飲み始めた。しかしリズだけは、奥のテーブルから目を離さなかった。
 ジャックは言い争った後、立ち上がり外に消えていった。後を追おうとしたが、今は就業中なのでぐっとこらえた。
 ジャックなら必ず戻ってくる。そう信じるしかなかった。
 旅人たちは何やら話し合うと、客に何やら聞き込みを始めた。デスミラージュのことだった。
 この者たちはジャックの何なのだろうか? 女がいるのが気になったが、様子を見た限りでは恋人などという関係ではなさそうだ。
 それにしても、紫の巻き毛の女は、リズと大して歳も変わらないであろうに、どこかあか抜けた容姿をしている。身体も引き締まっており、出るところは出ている。リズはわずかに嫉妬を覚えた。
 しばらくすると、劇場の座長がやって来て、いつものようにバートと話し始めた。
「いや〜、今夜も最高だったよ。娘らが腰振った分だけ大儲けよ!」
 そういえば今日は劇場のショーの日だった。ジャックに連れられ嫌々観に行ったことも、今となっては懐かしい。
 座長はリズにも懲りずに声をかけてきた。
「お前さんもどうだい? うちの劇場に出てみないか?」
「何度も言ってるでしょ。あんなみっともないカッコしてまで男に媚びたくないの」
 座長に水を出し、リズは巻き毛の女たちに近寄った。
「早くここ出た方がいいわよ。あのオヤジ、若いコ見かけるたびに踊り子やらないかって声かけてくるんだから」
 巻き毛の女は露骨に顔をしかめた。この女も劇場に対して良い印象は抱いていないのだろう。
 そうしているうちに、案の定座長が巻き毛の女に目をつけ、声をかけた。だが冷たくあしらわれ、旅人たちが出ようとすると、ジャックが戻ってきた。
 ジャックは何やら早口でまくし立てると、紙切れを旅人たちに手渡し、また去っていった。
 自分には何も言わないのか。リズは茫然とその場に立ちつくした。
 ジャックは戻ってきた。だが、変わってしまった。あの頃のジャックは遠くへ行ってしまったままだ。
 リズは色褪せた店のドアを見つめ、ため息をついた。